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紬「心に響いたの」#3 【シリアス】


SS速報VIP(SS・ノベル・やる夫等々)@VIPServiseより


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紬「心に響いたの」#1
紬「心に響いたの」#2




84 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/21(金) 21:10:32.36 ID:4aLHgW+m0

放課後、部室の扉に手を掛ける。
と、視界の端に一人の女子生徒が入った。

その生徒は、艶やかな黒髪を二つに結び、
整った顔立ちは緊張の色に染まっていた。

伏し目がちで視線が床のあっちこっちを行き来する彼女に、
正直あまり自信は無いものの声を掛けてみることにした。

「もしかして、軽音部の入部希望かしら?」

「……!」

肯定の返事と頷き。扉を開けて入室を促す。
中を覗くと誰も居ない。これは正直参った。
せめて誰か一人くらい居てくれても良かったのに。

「……!……。」

と考えている間にもその入部希望の子は
ぺこぺこ頭を下げたりして、口が忙しく動いている。

じぃっ、と口の動きを見つめてみるも……全く読めない。
ゆっくり喋ってもらって、且つ短い単語程度なら
まだ読めるかもしれないが、このままでは会話など到底不可能だろう。

とりあえず彼女を止めることした……のだが向こうから止まってくれた。
そして、今度はぶつ切りに話し始める。
少し力の入った喉の動きに、
「今度は私の補聴器に気付いて難聴者だと思っているのだろう」と推測した。

「ちょっと待って!
 えっと……言いにくいんだけど、私、実は耳が全く聞こえないの。
 この補聴器は飾り、これがあると人に分かってもらえ易いからしてるだけ。
 だからこういう目立つ色にしてるの。
 
 ……それでね、すごく手間を掛けちゃうんだけど
 携帯のメモ帳か、紙に書いてもらうか、して欲しいの。
 紙とペンは備え付けの物があるけど……」

メモ帳とペンを差し出すと、それをゆっくりと受け取ってくれた。





85 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/21(金) 21:15:14.50 ID:4aLHgW+m0

「じゃあまずは……初めまして。
 放課後ティータイムのキーボード担当、二年の琴吹紬です」

『一年の中野梓です』

まぁこういう内容になることは分かっていた。
やっぱり文章だと今一つ気持ちが分からないのが不便だ。
メモ帳に書かれた、可愛さの抜けきっていない綺麗な文字を見て思う。

「可愛い字ね。梓ちゃん、って呼んでも良い?」

『はい』

「そんなに緊張しないで? 紅茶も遠慮せずに飲んでね」

ぺこり、とこれまた可愛く頭を下げ、紅茶に口を付ける。
そこで会話が途切れる。
意地の悪い言い方だとは思うが、言ってみた。

「どうしても会話のテンポが悪くなってしまうけど……ごめんなさい」

梓ちゃんは構いません、気にしないでください、
と書くがどうもやりにくそうに見える。

紅茶を飲んでいる時も、メモ帳にペンを走らせる時も、
彼女の目線は頻繁に扉の方へ向いていた。

誰かが来るのを待っている。
それは他の部員でも、他の入部希望の生徒でも構わないのだろう。

やっぱり、私との会話はやりにくいんだ。



86 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/21(金) 21:18:43.07 ID:4aLHgW+m0

半年でも付き合った友達ならともかく、
高校入学してすぐに初対面の先輩と二人きりなら当然か。

「私達のライブ、どうだったかしら?」

『すごく良かったです。あれを見て入部を決めました』

軽音部の人以外との会話。私はそれが嬉しくて夢中で話をした。
澪ちゃんが部室に入ってくるまで、
私は彼女の表情が晴れずにいたことに気付かなかった。


「ひょっとして入部希望?」

『はい。 一年の中野梓です。 よろしくお願いします』

そんなに嬉しそうな顔をしなくてもいいじゃないか。
もちろん本人に悪気が無いのは分かっているけれど……辛いものがある。

『他の方は? 日が悪かったですか?』

「……えっと、後二人いるけど、掃除かな? もうすぐ来ると思うよ」

澪ちゃんが梓ちゃんとの会話を全部訳してくれている。
ひどくやりにくそうだったので、それを遠慮しておいた。

何か言いたそうな顔をしていたが、
私が見ようとしない限り手話は意味が無いからか、
そのまま手話無しの会話を始めた。

手話を使わないで会話する澪ちゃんなんて、久しぶり。
二人は話が弾んでいるようで、
澪ちゃんも心なしか饒舌。初対面の相手なのに珍しい。



87 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/21(金) 21:23:15.15 ID:4aLHgW+m0

唯ちゃんとりっちゃんも部室に到着し、梓ちゃんと話している。
私はそんな四人を背に、全員分のお茶を用意していた。

……耳の聞こえる人と聞こえない人で、話し易さは変わるもの。
当たり前の事を、今になって気にしてしまう。
今までは皆がいつも隣に居てくれて、通訳をしていてくれた。
そんな彼女達は私の後ろで、私を置いて楽しくお喋りをしている。
新歓ライブの時と同じ、距離感があった。

最低だということは自覚している。
でも、少しくらい寂しいと思ってもいいじゃないか。

軽く息を吐き、後ろを振り返る。
りっちゃんが拳を振り上げ、机に叩き下ろしていた。
その表情から強い怒りが読み取れる。

「りっちゃん、落ち着いて。どうしたの?」

「何でもない。ムギは黙ってろ」

「何でもない訳ないじゃない……」

本当に何がなんだか分からない。
さっきまで楽しく話して、新入部員を歓迎していたんじゃなかったのか。
それが今では、その新入部員に殴り掛からんばかりだ。



88 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/21(金) 21:28:20.18 ID:4aLHgW+m0

梓ちゃんが鞄を掴み、立ち上がる。
そしてそのまま扉に向かって歩き出した。

「梓ちゃん! 待って!」

呼び掛けにも応じず、深く一礼をして梓ちゃんは出て行ってしまった。

「唯ちゃん、澪ちゃん……何があったの?」

二人も私から目を逸らす。何かあったんだ。それは間違いない。
皆が話してくれないのなら仕方がない。
メモ帳とペンを掴み、梓ちゃんを追いかける為に部室を飛び出した。

何度も人と衝突しそうになりながらも、廊下を駆ける。
周りの状況が分からないまま走るのは非常に怖いが、そうも言ってられなかった。
と、ギターケースを持った後ろ姿を見つけ、声を掛ける。

「梓ちゃんっ!」

声を掛けたのは遠くからだったが、
特に逃げられるようなこともなく追いつけた。
メモ帳を差し出す。

「あの……何があったの?」

『部室に居る先輩方に聞けばいいじゃないですか』

聞けるならとっくに聞いてる。
だからわざわざ全力疾走してきたんじゃないか。



89 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/21(金) 21:34:46.21 ID:4aLHgW+m0

「私……梓ちゃんが話してくれないと納得出来ない」

進路を塞ぐようにする私を見て、梓ちゃんは溜め息混じりにペンを走らせる。

『失礼なこと書きますから』

「構わないわ」

『普通、そういう学校に通うものじゃないんですか
 → アイツがこの学校に居るのがおかしいって言いたいのか
 こういう流れです』

「……それだけ?」

こくり、と頷く。
これが失礼なこと、なのか。
通常あまりない方法を取っているのは自覚しているし、別段ショックも受けない。

でも、これなら十分じゃないか。
まだやり直せる。

そういう所を怒ってくれたりっちゃんには申し訳ないが、
私は何の問題も感じていなかった。

「部室に戻りましょう? あなたは何も悪くないわ」

『無理ですよ。あの先輩すごく怒っていましたから』

「私が何とかするから」

この子は入部を希望して、部室に来てくれたんだ。
それが無くなるなんてあってはいけない。部室から退く必要が無い。

「私は、梓ちゃんに軽音部に入って欲しい。
 もちろん決めるのは梓ちゃんだから、
 別に強制はしないし、何か脅しを掛けるつもりもないの。
 でも折角話せた相手だから、もっと梓ちゃんの事が知りたいな……」

躊躇いがちに差し出されるメモ帳。

『せめてもう少し、日を置いてからにさせてください。
 私も頭を冷やさないといけないです』

礼儀正しく頭を下げ、梓ちゃんは私に背を向けて走って行った。



90 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/21(金) 21:36:06.29 ID:4aLHgW+m0

ここまで




91 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/21(金) 23:02:43.26 ID:aHQd0eooo

お疲れ様です、続きゆっくりまってます



92 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/21(金) 23:03:51.15 ID:upStTStto

お疲れさま

俺が昔仕事で会った事のある聴覚障害の人は、
こっちが耳が聞こえていない事に気が付かないくらい普通に会話してたよ
手が届くくらいの真後ろから声をかけても無反応なのに
俺がとまどっていたら、その人の同僚の人が気が付いて教えてくれた

その後知人にその話をして読唇の真似事をしたりして
全然分からなくて改めて驚いてたんだけど、もっと凄いことに気が付いたんだ
その人と仕事であって初めに話ししてた時ってさ、
「複数人」で打ち合わせしてたんだけど誰もまったく気が付かなかったんだよね

今思い出しても凄い人だと思う、



93 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/21(金) 23:30:25.70 ID:LXq+Gf4DO

おつかれ

ついにあずにゃん出てきたか
どういったキャラで動かすのか、期待





96 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/23(日) 22:04:48.80 ID:9w/JeXiD0

「ただいま」

部室に帰ると、三人は椅子に掛けていた。

「ムギちゃん、あの子と話してきたの?」

「何があったのか、聞いてきたの。
 それと、これからの事もね?」

私の言葉を聞き、りっちゃんの肩がぴくりと反応する。
まだ、納得が行っていないのだろうか。

「これからって、どうするの?」

「私は梓ちゃんに、ここに来て欲しいって思ってる」

「ムギは、さ」

りっちゃんが俯いたまま手を振り、私の話を遮る。

「ムギは私とあの子の事、怒ってないのか?」

とんでもない。
梓ちゃんは、障がい者の就学制度について質問しただけだ。
りっちゃんに関しては……ちょっと乱暴だったから怒ってるかも。

「もちろん。
 梓ちゃんは私達のライブを聞いて、軽音部に入ることを決めたって言ってたわ。
 だから、ね? 五人でライブ頑張りたいな」



97 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/23(日) 22:07:31.28 ID:9w/JeXiD0

りっちゃんはそれきり黙ってしまう。

「前に、律と話してたことがあったんだ。
 新入部員は、ちゃんとムギと付き合える人なのか見極めないと、ってさ」

同じ部活に所属する限り、会話する機会は必ずある。

そしてそのためには、
手話を覚えるか、筆談するか、通訳をしてもらうかの
何れかを選ばなければならない。

それを煩わしく感じる人が居るから、
読話の習得を目指しているんだけれど……そう簡単に成せることではない。

「律がピリピリしてるのもそれが理由だからだと思う。
 あんまり責めないでやってくれ」

「大丈夫よ。
 りっちゃんも、ありがとう」

『いい』か。照れてるんだ。

「ムギちゃん。それで、中野さんは何て言ってたの?」

「うん、ちょっと時間を空けさせて、って言ってたわ。
 さすがに気まずさを感じているのかしら……」

「それじゃ、私達は来てくれるのを待ってればいいんだね」

どこか引っ掛かる言い方ではあるが、それでいいだろう。
無理矢理部室に引っ張ってくるのも良くない。



98 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/23(日) 22:10:57.22 ID:9w/JeXiD0

「それでりっちゃん、話ってなぁに?」

部活が終わり、唯ちゃんと澪ちゃんを先に帰らせた。
りっちゃんと向かい合わせに座り、彼女の話を待つ。

「ライブの時、何があったんだ?」

「何が、って……どういうこと?」

「ムギ、泣いてたじゃん」

確かに泣いた。
ライブに、意味を感じられなかったからだ。
楽しいのは皆だけ。私は楽しくない。

私にとってライブは自身の作った曲を発表するだけの場となり、
どう捉えるかは観客次第。それだけ。

ライブ前から分かっていた距離感は、
皆が一体となった瞬間により深く私の胸を抉る。
それを今、りっちゃんに話すかどうか。
即決。話さない。

「そうね……嬉し泣きかしら。
 耳が聞こえなくなって、演奏を諦めたこともあったもの。
 それがちゃんと実を結んだことが嬉しかったのよ」

「……本当かよ」

「もう、嘘をついてもしょうがないじゃない」

嘘をついてもつかなくてもどうしようもないから。
これで皆が私に気を遣って軽音を止められても困る。



99 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/23(日) 22:12:54.81 ID:9w/JeXiD0

「こうやって入部希望の子も来てくれたし、結果としては上々よね?」

りっちゃんは小さく頷くと席を立つ。

「中野さんに、ちゃんと謝るよ。
 どーも、ムギのことになると冷静になれないんだよな。
 ちょっと過保護になってるかもしれない」

「ううん、ありがと」

りっちゃんが過保護かぁ。
でも、りっちゃんのようなお姉さんが居たら頼りになるだろうな。
周りへの気配りが上手だし、立派に部長をやっているし。

『ごめん』

とりっちゃんは言葉に出さず、手話だけで伝えてきた。
謝られるようなこと、何もされていない。
むしろ謝るのは私の方なんだけど。

「帰ろうぜ」

すると、りっちゃんはいきなり扉に向かって走り、勢いよく扉を開ける。
唯ちゃんと澪ちゃんが居た。

「えーと……二人で話すっていうから、ちょっと気になっちゃって……」

「私は唯を止めたぞ? 本当だからな?」

……話してしまわないで良かった。



100 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/23(日) 22:15:22.57 ID:9w/JeXiD0

翌朝。十五分ぐらい経っただろうか。
私は学校の玄関で立ち続けていた。梓ちゃんに会う為だ。
時間を空けるとは言ったが、だから会ってはいけないということも無いだろう。
そう考えて梓ちゃんを待っていた。拒まれればそれはそれでだ。


「おはよう、澪ちゃん」

「誰か待ってるのか?」

当然の質問。私は隠す事なく答えた。
それを聞いた澪ちゃんは苦笑い。

「よくやるよ。よっぽど気に入ったんだな」

周囲の生徒達は奇異の目でこちらを見ている。
恐らく一年生だろう。
もうこの目に心を痛めることは無くなった為、
私は気にすることなく澪ちゃんと会話できる。

「じゃ、私は教室に行くから。
 何か進展があったら教えてくれよ?」

視線を外へ向けると、まさにピッタリのタイミングで梓ちゃんを見つけた。

「おはよう、梓ちゃん」

声を掛けると、軽く一礼してくれた。
そのまま歩き出す梓ちゃんに後ろから付いていく。



101 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/23(日) 22:18:00.05 ID:9w/JeXiD0

『どうしたんですか?』

携帯電話が差し出される。意外に可愛いデザインだ。

「気にしないで。ほら、教室に行かないと」


こうして見てみると、綺麗な歩き方をしている。
きびきびとしていて如何にも真面目そうだ。

そんな全身からのオーラとは裏腹に、
二つに結ばれた黒髪がふわふわ靡くのがまた可愛い。
背も小さいし、まさに『後輩』という印象だった。

と、変質者のようなことを考えながら歩いていると、
立ち止まった梓ちゃんにぶつかりそうになった。

『私の教室、ここですけど……』

「分かったわ。お昼休みも遊びに行くから」

『私達、まだそういう関係じゃないですよね……?』

疑問形なので問題は無さそう。
これできっぱり言われたらさすがに驚く。

「冗談よ。それじゃ梓ちゃん、またね」

梓ちゃんはいかにもリアクションに困っていそうな顔をしている。
こんなことをして何になるんだろう?
これで仮に彼女が入部を取り消したらどうなる?

自身にふと湧いた疑問に答えは出せず。
高鳴る心臓と強烈な耳鳴りに耐えながら、その場を後にした。



102 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/23(日) 22:25:51.11 ID:9w/JeXiD0

唯ちゃんとりっちゃんとで、三人、部室へ向かう。
昨日のことがあってからか、どことなくぎこちない空気が漂っていた。
特に部活の時は。

「ムギちゃんは、あの子のことをどうしてそんなに気にするの?」

「梓ちゃんのこと?」

どうしてかと言われても……なんとなく、としか。
でも、初めて会った時によく声を掛ける気になったものだ。
それは勿論、何か大切な用事を抱えているのかもしれない、
という軽音部を想っての行動だけど。

「折角、来てくれたんだもの。
 軽音部に入部して欲しいし、仲良くなりたいし、
 友達になりたいから……かな?」

「可愛かったよね」

「ええ、如何にも後輩、ってイメージがあったわ」

部室前の階段に足を掛ける。
もしかしたら。そんな期待を胸に抱き上るが、部室前にその姿は無かった。
思わず足を止めてしまう。

「ムギ、行こう」

りっちゃんの手が背中をとん、と押す。
そんな簡単じゃないとはちゃんと分かっている……けど。

部室に入った私達は、すぐに演奏の準備をした。
誰が言うでもなく、ただ何故かそういう流れになっていた。



103 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/23(日) 22:28:03.53 ID:9w/JeXiD0

演奏終了、と同時に扉が開く。
澪ちゃんだ。

「澪かー」

「えっと、……、ゴメン」

私達からそんな雰囲気が出てしまっていたのか。
澪ちゃんはいそいそとベースを取り出す。
ティータイムを楽しみにしているとはいえ、
いつも真っ先に練習を提案していた彼女が、何も言わない。

「よし、私も準備出来たぞ。曲は何から?」

「ホッチキスな」

「ちょっと思ったんだけど」

唯ちゃんがくるりと振り返る。

「『ホッチキス』って、この歌が無かったら多分手話で覚えることはなかった言葉だよね」

「というか、ホッチキスは特に手話というかジェスチャーっぽいけどな」

確かに。
別の動かし方があっても、きっとこちらの方が分かり易く覚え易かっただろう。
何も知らない健聴者同士で使っても分かる。

「うんうん。私こういう言葉が好きだなぁ。やってて楽しいもん」

唯ちゃんの言葉が重く感じる。
私は、手話を楽しんだことはあっただろうか。
これは生活の為に必要なことであって、
楽しむなんて感情の領域に持って行ける物じゃない。
その義務を楽しめたら、それはどんなに良い事だろうか。

「早く練習……」

澪ちゃんと目が合ったのでとりあえず苦笑いをしておいた。



104 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/23(日) 22:29:44.69 ID:9w/JeXiD0

小出しだけどここまで

レス感謝してます




105 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/23(日) 23:16:09.56 ID:e5fia6Hko

きたあああああああああああああああ
乙です!!



106 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/23(日) 23:30:18.38 ID:VVWJd0D40

聴覚という翼をもがれたムギちゃんマジ天使・・・



107 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/24(月) 06:21:29.28 ID:lvKjg1ODO

続き期待

ホッチキス調べたらちょっとニヤリとしてしまったじゃないか






日本手話研究会 ホッチキスの項目参照(動画)





108 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/28(金) 22:31:06.02 ID:Z17qslg10

翌日のお昼休み。
四限が終了し、私は財布を持って立ち上がる。

「購買?」

「うん。お弁当を忘れちゃってた」

というのは嘘で、単に冒険したくなった。
音が必要な周りの世界に。もしかしたら梓ちゃんに会えるかもしれないし。

「私も行く」

「私も」

二人も立ち上がるが、それを止める。

「大丈夫。多分、買い物だけならなんとかなるし、メモ帳も持っていくから」


購買のパン売り場は意外に人が多い。
万が一に備え、あまり人が並んでいない時に注文することにした。
敢えて補聴器を見せるように髪を一つに縛る。
それがまるで敵陣に特攻するようで、少し怖かったりもする。

目の前に並ぶパン。
種類は多く、目移りしてしまう。
これではぐるぐる見回るだけで時間を取ってしまいそうだ。

悩んだ結果、クリームパンとバターロールという無難な線に到達した。
そして問題なのが……値段表示がされていないこと。
とはいえ値段を聞かなくても、五百円玉一枚で解決するだろう。
さすがにこれを超える値段なんてことは有り得ないだろうし。
まあお釣りの手間を取らせることは申し訳ないけど。



109 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/28(金) 22:32:29.78 ID:Z17qslg10

「これとこれ、お願いします」

「――。 ――、―――。」

五百円玉を渡そうとすると、
目に映ったのは指を立てて数字を表す、購買の小母様の姿だった。
この人は私の耳に気付いて、それをしっかり伝えようとしていてくれた。
取り出した硬貨を財布に仕舞い、金額ピッタリで支払う。

耳、バツ、首を傾げる。

「はい、もう全く聞こえません」

少し考え、笑顔で手を振ってくれた。『また宜しくね』かな。
ありがとうございます、とこちらも笑顔で返し、教室へ戻ろうとする。
すると、パンを手に一人立っている梓ちゃんを見つけた。


「梓ちゃん」

彼女は相変わらずぺこり、と軽く頭を下げるだけ。

「誰かと一緒に来てるの?」

頷くと、ポケットの中を探り始めた。
恐らく私がいつものメモ帳を差し出さないから、
その類を持っていないか探しているんだろう。
私は持ってきているのだけど……でも、これはチャンスかもしれない。

「ごめんなさい、実はメモ帳を持ってきていなくて」

会話が出来るかちょっと期待していた。
意地悪な話だけれど、真面目そうな彼女が、
先輩からの話を無視するようなことは無いと思ったから。

それこそ先ほどの購買の人のように、
何かしらの方法で伝えようとしてくれないか、と。



110 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/28(金) 22:34:06.61 ID:Z17qslg10

私、書く、首を振る。
梓ちゃんの動きがそう示す。

「うん、でも、無くても会話出来たわ」

何故か梓ちゃんは固まってしまう。
そしてそのまま見詰め合うこと十秒。
不意に彼女の目線は私の横を通り過ぎて。

後ろを振り返ると、そこには……
梓ちゃんとは違う意味で二つに髪をまとめている女の子が居た。

「――。 ……――――?」

当然、読めるはずもなく。
恐らく私の事だろう。

「こんにちは、二年の琴吹紬です」

梓ちゃんが隣に並び、横の子を指す。
口の動きが一文字ずつだから、名前の事だろう。

で、肝心の中身なんだけど……訳が分からない。えーとーえーと。
ちょっと気まずくなり目線が泳ぎ始めた私。隣の子もまた微妙な表情……

さすがに名前を聞き間違えるのは宜しくない。
メモ帳を出すべきか……と思ったその時、梓ちゃんの手が動く。

首の前に十円玉サイズの小さな輪。それを振る。
大きな輪に小さな輪を付けて、被って……?

「鈴……? 鈴木……?」

どうやら合っていたようだ。
そうそうそう、鈴木さんが首をぶんぶん縦に振る。
そして下の名前。



111 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/28(金) 22:35:30.91 ID:Z17qslg10

「 、 、 」

丸。小さい丸。丸。
真ん中は拗音の『ゅ』か。最後は口を閉じているから『ん』。
最初は……いきしちにひみ……

「じゅん……?」

きゃー、という声が真っ先に思いついた。
二人は抱き合っている……
梓ちゃんが覆い被さられているようにも見えるけど。

それでも、彼女の表情は柔らかく、
こうして手間を取らせたことを迷惑がっているようには見えなかった。

「準備? 純粋?」

思いつく二つの『じゅん』を挙げると、純粋の方に頷く。
鈴木、純さんか。
彼女はいきなり携帯電話を取り出し、文章を打ち始める。

『実は五限の宿題をまだやっていないのでこれで失礼します!
 ちなみに携帯を出さなかったのはわざとですから、怒ったならすみません!』

怒っていない。むしろ嬉しかった。
梓ちゃんの手を引き、教室に戻ろうとする鈴木さんに、お礼の言葉を述べる。
そして梓ちゃんにも。

「ありがとう。すごく分かり易かったわ」

その言葉に笑顔で応え、二人は角を曲がっていった。


「よし……!」

梓ちゃんと話が出来た。しかも紙や携帯電話を介さず。
そしてそのことを彼女は嫌がっていない。
私は、誰にも見られないように壁の方を向き、小さくガッツポーズをした。

楽しかった。本当に楽しかった。



112 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/28(金) 22:37:06.35 ID:Z17qslg10

「遅くなってごめんなさい」

「やっぱり時間掛かっちゃった?」

「ふふ、そうなの」

心躍るようだ。
自分で気付かない内に、
傍から見ればかなり不審な動きをしていたのかもしれないくらい。

『良かった。ムギが、健聴者から離れなくて。
 そういう人、多いって聞いた』

『楽しかった。だから、大丈夫よ』

皆との距離を感じた時もあったし、
健聴者を避ける理由も、聴力を失う前後で性格が変わることも分かる。

でも、ここ最近の心変わりの早さには驚いている。
梓ちゃんを迎え入れてライブを、あの虚しさしか残らないライブをしたいなどと。

「待ってもらってごめんなさい。食べましょう?」

クリームパンを齧る。
そういえば、梓ちゃんは何のパンを買ってたんだろう。
それと、読話はもう少し真面目に練習しておかないと。



113 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/28(金) 22:38:52.14 ID:Z17qslg10

「ムギちゃん、今日のお菓子は?」

「それは部室に着いてからのお楽しみよ」

唯ちゃんはあれこれ妄想を膨らませているようだ。
目を輝かせたかと思えば蕩けたり。
今日は、まずティータイムからだろうか。
いつもはそれを提案するりっちゃんは黙ったままだけど。

基本的に、階段など危ない場所を移動する時に手話は行わない。
手元に集中するあまり、注意が散漫になるからだ。
その為、この場合に限っては黙って階段を上る。
すると、見上げたその先、踊り場の窓に映る人影を見た。
思わず階段を駆け上がる。

「梓ちゃんっ!」

声を張り上げ、彼女の元へ。

「来てくれたのね! ありがとう……!」

早速部室へ案内しようとするが、梓ちゃんは階段の方を見つめたまま動かない。
……りっちゃんか。

二人の距離が徐々に縮まり、向かい合ったまま。
まさに一触即発とはこのことだろうか。
不安になり、思わず口を挟んでしまいたくなる。

しかし彼女達はそのまま、同時に頭を下げた。

『これって……?』

『うん、仲直り』

二人の会話は全く読めず、唯ちゃんから聞いた事情は一言。
なるほど、二人の顔を見るに本当にそうらしい。
元々今回の問題は、もう少し冷静に話し合えば解決するものだったし。



114 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/28(金) 22:40:16.89 ID:Z17qslg10

「梓ちゃん、どうぞ」

全員分の紅茶とお菓子を用意する。
彼女は軽く礼をすると、そのままちびちびと飲み始めた。

「どうかしら?」

『美味しいですよ。
 といっても紅茶を飲んだ経験がほとんど無いので、
 他と比べたりは出来ないんですが……』

「ありがとう。種類は色々取り寄せてあるからいつでも言ってね?」

割と熱心に飲むものだから、どうやら本当のようだ。
まるで小動物のように少しずつクッキーを頬張るその様子が、とても可愛く見える。

『このお菓子、どこで買ったんですか?』

……どこだっただろう。
あまり確認していなかった。
確かヨーロッパのどこかだったようななかったような。

「えっと……忘れちゃった」

澪ちゃんの手が動く。

「ところで中野さん、書くの速いな」

「そうね、それにすごく読み易いと思うわ」

『これぐらいが普通じゃないんですか?』

軽く言ってくれるが、これは一種の才能なんじゃないだろうか。
ノートテイクに求められる物を持っている。



115 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/28(金) 22:41:33.36 ID:Z17qslg10

「んじゃ、そろそろ練習にするかー?」

今までと違い、
皆がこうやって積極的に練習をするようになったのは、
私の事があるからだろうか。

私はとにかく時間を掛けて手から演奏を離さないようにしなければ、
演奏が出来なくなってしまう。
そんな気遣いが嬉しくて、嬉しくなくて。

「中野さんはどれくらい弾けるんだ?」

『大した事ないですよ』

「と言う人ほど、凄いことがよくあるんだよね」

梓ちゃんははにかみながらギターを取り出す。
そのギターがまた、梓ちゃんのイメージと見事に噛み合っていた。

「何か、弾いてもらってもいい?」

困ったような顔をされた。当然か。
耳が聞こえない人に聞かせようとすることに、疑問は拭えないだろう。
それでも、と催促すると、彼女は手を動かし始めた。

その動きを目で追う。
動きは滑らかで、先ほどまでの表情の硬さはもう表れていない。
目線は手元に置かず、あくまで正面を捉えている。
耳は聞こえなくとも、熟練者であることがよく分かった。



116 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/28(金) 22:42:41.69 ID:Z17qslg10

「びっくりした。上手だね」

「唯以上だなこりゃ」

皆の反応も上々らしい。
梓ちゃんの口が動く。
『両の手が塞がっている時、会話はどうすれば』らしい。

「その時は普通にしてくれればいいよ。私達が通訳するから」

『でも、私も手話を覚えた方が』

「いいのよ、梓ちゃん。
 私みたいな失聴者は確かに少数派だから、
 周りの人達とか制度に適応していくのは難しいけど、
 梓ちゃんとは一対一のコミュニケーションじゃない?
 私達二人だけで納得出来る付き合い方がしたいな、って思うの」

手話の習得を無理強いしたりはしない。
人には向き不向きがあるし、それは仕方ないだろう。
その為にも読話の習得を頑張らなければならないのだが、
実用となると先が全く見えない。

「ムギと一緒に、一番楽に付き合える方法を色々探してやってくれ。
 もう仲が良いみたいだし、二人なら上手くやっていけると思うんだ。
 もちろん、私達も手伝うよ」

梓ちゃんはゆっくりゆっくりと、言葉を探すように話し始めた。

『一つだけ、失礼なことだと思いますが、聞かせてください。
 琴吹先輩は、どうやってキーボードの演奏をしていたんですか?』

それは確かに聞きにくいことだ。



117 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/28(金) 22:44:21.86 ID:Z17qslg10

皆が一斉に私を見る。
思えば、そんなにはっきりと話したことはない。

「他の人と、何も変わらないわ。
 譜を覚えて、手の動きを覚えて、演奏する。
 それでも耳は聞こえていないから、
 人と合わせるっていうのは出来ないけど……
 皆が、助けてくれるの」

誰も口を開こうとしない。
自分が発する言葉から、無理もないことは重々承知している。
それでも私は続けた。

「ライブの時も、何も聞こえていなかったわ。
 ……それで楽しいのか、って思う?」

梓ちゃんは目を逸らす。図星か。

「私が耳を悪くしてから、
 皆で手話の勉強をすることになって、
 軽音部らしい活動が全然出来なかったの。

 だから、少しでも軽音部として皆をお手伝いすることが、
 今の私の目的……かしら。
 幸い、その気になれば演奏出来るって、新歓ライブで分かったから」

横から腕を強く掴まれる。
りっちゃんの口が『もうやめろ』と言っていた。

「……ごめんなさい。少し、頭を冷やしてくるから。
 皆、梓ちゃんを責めないで」

これ以上は駄目だ。
間を置かないと。

廊下に出ようと、皆の脇をすり抜ける。
静止の声が上がっても、私は気付かない振りが出来る。
そんな事を当たり前に考えるようになってしまった。



118 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/28(金) 22:46:07.43 ID:Z17qslg10

後ろ手に扉を閉め、そのまま廊下に座り込む。

私は最低な人間だ。
折角、梓ちゃんが戻ってきてくれたのにまた壊した。
こんなつもりじゃなかったのに、吐き出される言葉を止めなかった。

同情してもらいたかった? それとも八つ当たりのつもりだった?

私は、こんな嫌な奴だっただろうか。
本当に、駄目だ。駄目過ぎる。

仕方ないことだってわかってる。
もう私の耳は戻らない。健聴者の人とは違う。
なんでこんな目に。

先天性の人が羨ましいなぁ、
今まで有った聴力を失う怖さを知らなくて。

顔を覆う手に、徐々に力を込める。
ぷつぷつと、嫌な感触と共に爪が額に食い込み始める。
指の滑る方向次第では、眼球をくり抜きそうな勢いで。
とりあえず身近な所から壊してみよう、視力からはどうだろう?

赤い爪が眼球に触れる前に、後頭部を扉に叩きつける。くらくらした。
拳を強く握り、衝動を必死に押さえつけた。


扉が開き、皆が飛び出してくる。
自分なりに考えて、口から出た本心は、

「ごめんね、皆。もう心配しなくても大丈夫よ」

色々な解釈を招きそうで、
到底納得されないであろう言葉だけだった。



119 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/28(金) 22:47:02.10 ID:Z17qslg10

本日ここまで




120 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/01/29(土) 04:25:27.19 ID:ZajQb1geo

お疲れ様です、次もゆっくりまってます



124 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/02/01(火) 23:38:59.60 ID:84Knishmo

俺の知ってる読話できる人は
なんか茶目っ気があって明るい人だったぜ?

今考えると凄い失礼だが「えっ?聞こえてないの?」
って聞き返しちゃったんだけど、ニヤリって笑ってたwwww

あれってわざと初めに教えてないんだろうなwwww
なんか障害者に対してのイメージが凄い変わった瞬間だったわ



125 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/02/03(木) 20:58:37.01 ID:2ELWqbvGP

俺紬好きで、難聴なんだ
片耳だけだけど、24時間耳鳴りが鳴り続けてる

だからなんだってわけじゃないんだけど、続きを楽しみにしてる





126 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/02/05(土) 10:41:54.95 ID:luiyRSXr0

翌朝。なんだかいつもより早く学校に着いてしまった。
玄関で上履きに履き替える。

「梓ちゃん、おはよう。今日は早いのね?」

いつの間にか隣に居た梓ちゃんに声を掛ける。
すると、紙を渡される。
手紙と一緒に『これ、読んでください』の文字。

確かにメールアドレスを教えていなかったのもあったけど、
手紙とはなかなか古風な子だ。
彼女はそのまま、いつもよりも深く頭を下げてその場から去って行った。


教室には誰も居らず、気兼ねなくその場で手紙を広げることが出来た。


『琴吹先輩へ
 
 昨日は私のせいで、先輩方全員を傷付けてしまいました。
 初めて軽音部の皆さんと会った時も、
 私は問題を起こしていましたよね。

 それでも琴吹先輩は私を責める事も無く、
 話しかけてきてくれて、軽音部に迎えてくれたのに、
 こんな結果になってしまって本当にごめんなさい。
 
 他の皆さんも琴吹先輩も、「気にしないで」と言ってくれましたが、
 それでも私が失礼な事をしたのだから、どうしても謝りたかったんです。
 
 琴吹先輩に誘って頂いて、とても嬉しかったです。
 そしてこれからも、先輩の事をもっとよく知りたいと思っています。

 私は今まで耳が聞こえない人と接したことが無くて、
 何か失礼なことを無意識にしてしまうかもしれません。
 それでも私は、他の皆さんみたいに、もっと琴吹先輩に近付きたいです。
 私を軽音部に居させてください。お願いします。 』


最後に書かれた、『中野梓』の文字が何だかぶれていて。
わざわざこんなことをさせるくらいに、私は彼女を追い詰めていた。



127 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/02/05(土) 10:43:45.90 ID:luiyRSXr0

手紙を丁寧に折り畳み、ふぅーっと息を吐き出す。
梓ちゃんに会いに行かなきゃ。
教室を飛び出そうとすると、廊下に居た人物とぶつかりそうになった。

「大丈夫か?」

「ええ。ありがとうりっちゃん」

「昨日のこと、だけど……」

りっちゃんも気まずそうだ。

「ちょっと、伝えにくいんだけど……」

「りっちゃん、言い辛かったら無理に言わなくてもいいのよ?
 勢いに任せて言ってしまったら、
 それは変に伝わってしまうかもしれないもの」

何か、伝えたいことがあるのはきっと澪ちゃんも唯ちゃんも同じはず。
でも今はまだ受け取るわけにはいかなかった。
それに、私だって昨日の事は……。

「聞こえないからって、何でも伝えてって言ってるわけじゃないから」

それでまたこういう言葉が出る。
きっと私は耳の聞こえ以前に、元の性根があまり宜しくはないんだろうな。

「あ、それとりっちゃん。おはよう」

横をすり抜け、梓ちゃんの元へ向かった。



128 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/02/05(土) 10:46:01.13 ID:luiyRSXr0

未だ人がほとんど居ない校舎を歩く。
確か山中先生に補聴器の事を報告した時もこんなだった。

あの時から色々変わったけど、
それでもこの空間はこんなに綺麗なままで。

扉に手を掛ける。
余所のクラスの扉を開けるのには、どうしても勇気が必要になっちゃうな。
中には梓ちゃんだけが居た。


「手紙、読んだわ」

どうやら彼女は、余計な事は言わずにただ私の返事を待っているらしかった。

「もう……梓ちゃんは卑屈になり過ぎよ?
 『ごめんなさい』とか『軽音部に居させてください』とか……」

私も含め、誰も気にしていないことを
いつまでも引き摺る必要は全くないというのに。

とはいえ真面目な彼女のことだ。
手紙にもあったが、改めて迎え入れてくれた日に
問題が起きてしまった事を悔いているんだろう。

「それでも後半に関しては同意見なの。
 私も梓ちゃんのことをもっと知りたいし、梓ちゃんには軽音部に居てほしいわ」

『ありがとうございます』

「さて、じゃあもう後腐れの無いように、梓ちゃんの疑問を全部ぶつけてみて?」

『どういう意味ですか?』

「私の耳に関して分からないことがあれば、今ここで全部聞いてしまってね」



129 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/02/05(土) 10:47:51.14 ID:luiyRSXr0

どうも困ったような顔をされてしまう。
聞きにくいのは分かるけれど、ここで終わってしまうのも非常に心配である。

「遠慮しないで……ね?」

『琴吹先輩は発音が綺麗ですけど、中途失聴なんですか?』

「そうなの。梓ちゃん、よく知っているのね」

『そんなことないですよ』と、梓ちゃんは手を振る。
確かに先天性であっても、
訓練を受け続けている人は何れ発話が出来るようにはなるが。

「去年の秋だったわ。文化祭のライブが終わった直後の事だったの。
 本当に、なんてタイミングで来るんだ、って思った」

『それじゃあ、たった半年ぐらいで
 今みたいに手話が出来るようになったんですか? 他の皆さんも』

「私の場合生活に必要な物だから、嫌でも……ね?
 皆は、本当に頑張ってくれたの」

『皆さん凄いんですね。
 それは例えば私が、英語の授業を受けて
 日常会話が出来るようになる、ってくらいですし』

「そうね。でも英語は習っても、
 少なくともその時は使い道が無いじゃない?
 必要が無いことを頭で分かっているから、
 きっと脳が覚えようとしてくれないのよ」

ちなみに、ここまで言ってしまったけど根拠は全く無い。

『例えば、今こうやって叩いて、分かりますか?』

梓ちゃんは軽く机をノックしているようだ。
私は首を軽く横に振った。



130 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/02/05(土) 10:49:35.42 ID:luiyRSXr0

「他には、何かあるかしら?
 演奏に関しては昨日言った通りだし、
 学校での事は、基本的には皆に通訳してもらっているわ」

『特にありません。ありがとうございました』

「ふふ、お礼を言われるようなことはしていないのよ?」

辺りを見ると、生徒が大分集まってきたようだった。
見知らぬ人物ばかりの教室に居るのは、少々緊張してしまう。

「それじゃ、そろそろ私は教室に戻るわ。
 また放課後にね?」

『はい』

「あ、大事な事を忘れてた」

一旦向けた背を返す。

「名前の呼び方。皆からは『ムギ』って呼ばれているから、
 梓ちゃんも『ムギ先輩』とかで呼んでくれたら嬉しいな。
 他の皆からのも、梓ちゃんからの呼び方も、この際変えてしまいましょう?」

実はずっと気になっていた『琴吹先輩』という呼ばれ方。
まずは呼び方から。

前面で出る部分から変えることで、自然と距離が縮まるだろうと思った。

『ム、ギ、せ、ん、ぱ、い』

朝日が射す教室で、頬を赤らめ、
若干目線を逸らしながら、口を動かす。

その姿はまるで、ロマンチックなシチュエーションで、
想い人に告白をする不器用な少女そのもの……って、いけないいけない。

「なぁに?」

『また放課後、部室で。
 これからもよろしくお願いします!』



131 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/02/05(土) 10:51:47.00 ID:luiyRSXr0

時刻は予鈴10分前と行ったところ。
教室へ向かう足取りは軽い。

席には唯ちゃんとりっちゃん、澪ちゃんも居た。
見れば何やら真剣な表情をしていて、
どうも私の入室に気付いていないようだった。

「おはよう、皆。澪ちゃんが居るなんて珍しいのね?」

「ちょっと……暇だったからな」

随分間が開いている。
多分昨日の事で、私にあまり話したくないのは分かった。
朝はあんな態度をりっちゃんに取ってしまったし。


「それじゃ、私達も下の名前で呼ぶようにするよ」

「ええ。ありがとう」

先ほどの梓ちゃんとの話を伝え、自分は一人で席に戻る。
皆は気を遣って、何も言い出さないでいるのだろう。
ならばこちらもそうしなければならない。

私達の誰もが口に出しさえしなければ、それは無かったことになる。
きっと最善の策になるはずだ。



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紬「心に響いたの」#3
[ 2011/04/19 16:43 ] シリアス | | CM(0)

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