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紬「四畳半に住むのが夢だったの~」#後半 【クロス】






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     紬「四畳半に住むのが夢だったの~」#前半
     紬「四畳半に住むのが夢だったの~」#後半

     




102 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 04:08:08.50 ID:JcM4nRRK0

「おじゃまします」

丁寧に靴を脱ぎ揃え、礼儀正しく部屋に上がり込む。
ふわりと浮くように髪をなびかせ、男汁の染み込んだ窮屈な空間に不釣り合いなほど
清楚な匂いを発散させていた。

琴吹さんはみすぼらしい私の部屋を、今にも「わぁ~」とでも言いたげな表情で見渡した。
この「わぁ~」は決して不快に身を引く「わぁ~」ではなく、少年が未知の存在と遭遇し、期待を込めて
感嘆するような「わぁ~」であることを読者諸君には理解していただきたい。

つまり私の部屋は琴吹さんにとって、まさに未知との遭遇だったのだ。

「むさ苦しい所だが、まあゆっくりしてくれたまえ」
「は、はい」

心なしか琴吹さんは緊張した様子でうやうやしく腰を下ろした。
その肩には妙に力が入っている。

改めて考えると、我が四畳半に一端の女子大生が面白みを感じるような変わった所などないように思えた。
しかし口をきゅっと結び、縮こまりながらも身を乗り出し興味深そうにおわしましている琴吹さんを見る限り、
それは杞憂にも感じられた。

琴吹さんは何か言いたげにそわそわとしているが、私とてコーヒーの一つや二つ用意するくらいの
礼節はわきまえている。
コーヒーメーカーを準備しようと流し台に向かおうとした時、半開きになっている部屋のドアの前に
小さな置き手紙を発見した。



103 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 04:12:17.19 ID:JcM4nRRK0

私はしゃがみこんで内容を読んだ。

『先日お話した極寒麦酒の件ですが、運よく大量に仕入れることが出来ました。
 師匠への貢物として買い溜めしたのですが、小津先輩も同じく大量に手に入れてしまったので
 余った分を先輩に差し上げます。よろしければ貰って下さい。  明石』

私はドアを開け、廊下に置いてあった段ボール箱を見つけた。

明石さんが小津と共に師匠と呼ばれる人物の元に出入りしていたとは。
なんだか仲間はずれにされたような気もしたが、正体不明の師匠などについて行ったら
これ以上踏み外しようもない人生をさらに逸脱するのは目に見えていたので、特に悔しいとは思わなかった。

私はコーヒー豆を放っておき、その段ボール箱を部屋に持ちこんだ。

「それはなんですか?」

琴吹さんが不思議そうに聞く。

「お酒……のようだな」

大きくない段ボール箱の中を開いてみると、見たこともないラベルの缶麦酒がずらりと揃っていた。

「これがお酒……」

琴吹さんが覗きこむようにして乗り出した。

「例の小津が余った分をこっちに寄こしたらしい。なんでもかなり希少な麦酒なんだとか」



104 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 04:15:53.10 ID:JcM4nRRK0

そこで私ははたと思いだした。
極寒麦酒と呼ばれるこの麦酒は飲めばたちまち涼しくなるという魔法のようなお酒だと。

見れば琴吹さんはじわりと汗をかいていた。
それも当然である。ただでさえ湿気と気温で汗ばむほどの暑さであるのに、雨風が入ってこないように
窓を閉め切っていたのだ。残念ながらこの部屋にクーラーなどという便利な装置はない。

この極寒麦酒は彼女に不快な思いをさせないために神が与えたもうた好機であると考えた。

「せっかくだから酒でも飲んでみるかね?」

思ったことをそのまま口にした。
言った瞬間、男女二人が一室に居る状態で酒を勧めるという軽率な発言に自ら焦った。
まさに紳士の皮を被った変態野郎、下心がめくれて現れそうな危機感に襲われたが、琴吹さんは
予想外の反応をした。

「飲みたい!飲んでみたいです!」

目を輝かせて頷く彼女に、逆に私が戸惑った。

琴吹さんは私の顔に驚きの表情を見ると、気付いたように慌てながら目を逸らした。

「その、私お酒を飲んだことがなくて……大学生なら飲むのが普通だと聞いたんです。
 それに前々から興味があって……」

照れながら必死に弁解する様子がまたこそばゆい。

私は落ち着いて微笑むと、缶を2本取り出して自分と琴吹さんの目の前に置いた。



107 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 04:19:37.47 ID:JcM4nRRK0

「確かに大学生ともなれば酒の一つや二つ知っておかなければならん。
 これもいい機会だ。酒との付き合い方も学ぶにしても、飲まないことには始まらん」

私はそう言うと、残りをありったけ冷蔵庫に放り込み、琴吹さんと向かいあって缶を手に取った。
爽やかな音を立てて蓋を開け、琴吹さんにもそうするよう促す。

「記念すべき琴吹さんの初麦酒だ。遠慮せず乾杯といこう」

これはあくまで余興であり、酒を飲むなど特別なことではないという調子で言ったつもりだったが、
琴吹さんは真剣に私の振舞いを観察している。

「まあそう固くならずに」と言うと彼女は拍子抜けしたように眼をぱちくりさせ、静かに乾杯の音頭をとった。


私はぐいっと一口目を仰いだ。
刺激的な快感が口元から胃袋まで流れこみ、敏感な喉を荒く震わせる。
その過剰なまでの清涼感が全身を巡り、苦味とアルコールを感知した脳味噌が瞬く間に覚醒する。
自然と缶を持つ手が2口目、3口目を供給し、肉体という肉体に冷たく染み渡っていった。

極楽なり。

「う、旨い」

思わず声を漏らした。
これほどまでに旨い麦酒は飲んだことがない。
私はあっという間に500mlの缶を半分まで減らしていたことに気付き、驚きのあまり目を丸くした。



108 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 04:23:02.47 ID:JcM4nRRK0

私は対面している琴吹さんを見た。

彼女はまるで古今未曾有の奇怪事を眼前に捕えたような不思議な顔をして麦酒缶を凝視していた。
その真面目とも驚きとも取れる表情がなんだか微笑ましい。

「初めての酒はどうだ」
「……嫌な味はしませんでした」

琴吹さんは静かに言った。

「でも、美味しい訳でもないんです。なんというか……とにかく不思議な感覚です」

そう呟く彼女は、美味しくないという不快感を表にすることもなく、ただ謎めいた感覚を考えている。
なんとも新鮮な反応だった。

「酒というのは旨さが分かるまで意外と時間がかかるものだ。特に麦酒なんぞは最初はただ苦いだけ
 の炭酸水だと思うかもしれないが、しばらく飲んでいれば慣れる」

そう言って私はもう一度、今度は豪快に飲んでみせた。
のどを鳴らしながら一気に流し込む。
私は実に気分良く飲みっぷりを披露し、これ見よがしに快感を演出した。

それを見た琴吹さんは姿勢を正し、同じように豪快に飲んだ。



そこから先はあっけないほど自然に会話が弾んだ。



109 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 04:28:49.06 ID:JcM4nRRK0

琴吹さんはしきりに私の私生活に興味を持った。
学部の勉強に興味を示し、交友関係に興味を示し、狭い四畳半を大きく占める
本棚に興味を示し、棘だらけの過去に興味を示し、ギー太郎に興味を示した。

「えっ、先輩もバンドをしていらしたんですか?」
「大学のサークルに参加していたが、去年の冬に辞めて以来活動してないなぁ」
「それはなんていうサークルなんですか?」
「『ぴゅあぴゅあ』という、いかにもお花畑なバンドサークルだ」
「ぴゅあぴゅあ……そういえば私の友達もそんな名前の同好会に所属していたような」

その後も矢継ぎ早に質問されたが、その度に私は気前よく答え、饒舌さを増していった。
極寒麦酒のおかげでサウナのような湿気をはらむ部屋の空気でさえ涼しく感じられた。

酒が入っていたこともあって私はどんどん機嫌を良くし、調子に乗って偉そうに雄弁をふるっていった。
下手をすれば説教まがいの戯言を口走ることもあったが、琴吹さんは実に器が広いようで
そんな与太話にも熱心に耳を傾けてくれた。

かたや琴吹さんの具合はというと、私と同じくらい麦酒缶を空けていながらも
まるで変わった様子を見せない。ふにゃふにゃと言動が怪しくなる私と違って平然としていた。

「琴吹さんは全然酔ってないみたいだな」
「はい~平気です~」
「酒は楽しいかね?」
「楽しいで~す」

少しずつ頭が回らなくなる中、琴吹さんもいささか酔っていることに気付いた。
今の彼女はいつも以上に言葉が伸びている。
かと言って朦朧とした口調ではなく、あくまでマイペースぶりに拍車がかかったということだろうか。



110 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 04:31:34.96 ID:JcM4nRRK0

「あ……」

私は極寒麦酒を取りに冷蔵庫の扉を開けたが、既に切らしてしまっていた。
5、6缶は空けただろうか、もう私の体は十分清涼感に満ち満ちている。
極寒麦酒の役割はとうに終えたのだ。

しかしこれではどうにも中途半端ではないか。

私は冷蔵庫の扉を閉めると、ふらふらと部屋の隅を漁った。

「先輩?」
「……あった」

ごそごそと取りだしたのは、以前小津と一緒に酒盛りをした時に買ったウヰスキーだった。

「まだ酒が足りん」

不明瞭にぶつぶつと呟くと、私は小さなコップになみなみとウヰスキーを注いだ。
琴吹さんの手元にはまだ麦酒が残っていたのでウヰスキーを欲しがったりはせず、
邪気のない笑顔で私をニコニコと見ている。

流石にウヰスキーを一気に飲むことはしなかったが、麦酒を飲むよりも確実に酔いが回る。
私はその後も琴吹さんと大いに楽しく語らい、夢のような至福の一時を過ごしたはずなのだが、
まるで本当に夢を見ているようにふわふわと地に足が付いていない感覚に襲われた。


そう、まるで夢のように。


……これは夢なのか?



111 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 04:37:20.00 ID:JcM4nRRK0

薔薇色のキャンパスライフを思い描くあまり、私の脳がむにゃむにゃした挙句
ありもしない幻覚を見ているのではないか?

そう言えば私は琴吹さんと何を話しているのか良く覚えていない。

私の目の前にいる可憐で繊細微妙なクリーム色の髪の乙女は天真爛漫に微笑んでいる。
その姿は次第に揺らめき、形を変えていった。

何かがおかしい。

その琴吹さんの像が消えてなくなったかと思うと、目の前にぬらりひょんが正座していた。
「ぎゃ」と飛び上がりそうになるのをこらえてよく見ると、それは小津であった。

もしかして英会話教室の琴吹さんは仮の姿であり、その皮をめりめりと剥けば
中に小津が入っていたのではないかと想像した。

ひょっとすると私は女性の皮を被った小津と相合傘をし、女性の皮を被った小津に交際の申し込み、
あわよくば合併交渉にまで思いを馳せるところだったのではないか。

「なんでお前がここにいる」

私はようやく言った。
小津は気取ったように頭を撫でた。



114 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 04:40:40.04 ID:JcM4nRRK0

「なんでも何も、あなたが持ってる極寒麦酒を返してもらいに来たんですよ。
 明石さんが変な気を利かせたみたいですが、あなたはいつも通りむさ苦しいこの部屋で
 精神修行していればいいんだ。あの麦酒は師匠の物ですから」

どういうことか分からない。

「琴吹さんは?」

私はそこで初めて四畳半を見渡した。
外は明るい。時計を見ると午前九時とある。

「琴吹?何を寝ぼけたことを言ってるんですか。あの架空のメールアドレスが
 とうとう人格を持って貴方の目の前にでも現れたんですか?」

小津が辛辣に言い放った。
ますますわけがわからない。

「それで明石さんから貰った極寒麦酒、どこにあるんですか。返して下さい」
「そ、そうだ!私はもう極寒麦酒は全部飲んでしまったぞ!証拠に部屋に空き缶が散らかっているだろう――」

私は喚きながら辺りを見るが、琴吹さんと飲み交わした麦酒の缶など綺麗さっぱり無い。

「な……」
「あれ、どうやら本当になさそうですね」

小津は勝手に冷蔵庫やらを調べ、「ふん」と鼻を鳴らすと

「まあいいでしょう。この近辺に極寒麦酒はまだ出回っているみたいですし。
 後で明石さんに確認しときますわ」



118 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 05:01:34.71 ID:JcM4nRRK0

小津はそれだけ言うと部屋から立ち去った。

私は一人四畳半の中心で呆然としていた。

本当に琴吹さんは幻覚だったのか?

堂々巡りの思惑にふけっている内、段々と頭が痛くなってきた。

絶望の淵に立たされたように私は頭を抱え、その場にうずくまった。
昨日の出来事を思い出そうと必死に脳をこねくり回すが、かえって何も思い出せない。

そうしているうち、おぼろげな私の意識は「琴吹紬という人物は存在しなかった」という
結論を導き出そうとしていた。


なんという悲劇。
これほど残酷な仕打ちがあろうか。


私はもごもごと意味不明な言葉を口走り、布団にもぐりこんだ。
恐怖のあまり生まれたての小鹿のようにぷるぷると体を震わせ、仮想現実と区別がつかなくなった
人間の末路を想像し、ますます恐怖に打ちのめされていった。

いっそ狂人になってやろうかとも思ったが、その覚悟があるようなら私はもっとまともな人生を
送れるだけの気概があったに違いない。

結局、私は今の境遇に不満を持つだけで何一つ自ら動こうとしなかったのだ。
哀しい人生であった。



119 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 05:06:54.32 ID:JcM4nRRK0

枕に顔をうずめながら誰にでもなく罵詈雑言をぶつけていると、不意にドアをノックする音が聞こえた。

また小津か、と顔をしかめていると、ドアが開かれた。

私は息を呑み、布団から飛び起きた。


琴吹さんであった。


「先輩、大丈夫でしたか?」

汗をかきながら私の方へ近寄ってくる。
私は固まったまま琴吹さんを見ていた。

「起きたら先輩がすごく苦しそうにしていたので、お薬と栄養剤を買ってきました。
 あと飲み物も」

琴吹さんはそう言うと私にスポーツドリンクを差し出した。

口をパクパクさせていた私だったが、先程の頭痛が強く響いてきたのを感じると
ペットボトルを闇雲に胃に流し込んだ。

飲み終わり、ぜぇぜぇと息を切らす私に琴吹さんは優しく声をかけた。

「二日酔いの時は水分を吸収するのがいいと聞きました」

二日酔い。頭痛。そして今更気付いたが、震えるほどの寒気。
私は琴吹さんが現れたことに安堵しながらも、今度は別の意味で布団に倒れ込んだ。



121 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 05:12:48.71 ID:JcM4nRRK0

「こ……琴吹さんは二日酔いは大丈夫だったのか?」
「私は全然平気です。昨日先輩がウヰスキーを飲み始めたかと思ったらそのまま
 横に倒れたので心配しました」

そうか。私は昨日アルコールを摂取しすぎたせいで意識が飛んでいたのだ。

「私も眠くなってその時は寝ちゃったんですけど、朝起きたら先輩が震えてるので
 どうしたのかと思って……。幸い友人が極寒麦酒について色々と知っていたらしくて
 二日酔いと冷え性の併発の話を聞いてお薬と栄養剤を用意していたんです」

私は心の底から申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
紳士として情けないこと極まりない。
しかし琴吹さんが看病してくれるというこの状況は、これはこれで幸せだとも考えた。

「先輩、顔がニヤけています」

琴吹さんの背後から冷ややかな声が聞こえた。

「あ、明石さん!?」

私は驚きのあまり上半身を勢いよく起こし、目眩に襲われた。

「え?先輩、明石さんとお知り合いだったんですか?」

琴吹さんが私と明石さんを交互に見ながら目を丸くした。

「まったく、紬さんの知り合いが極寒麦酒を飲み過ぎて倒れたと聞いたので訪れたら
 先輩だったのですね。阿呆なことです」

入口付近で静かにたたずみ、明石さんは厳しく言った。



123 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 05:18:34.12 ID:JcM4nRRK0

横になりながら詳しく話を聞くと、琴吹さんと明石さんは1年生の時に
友達の友達として知り合ってから仲良くなり、以降頻繁に連絡を取り合っているのだという。

意外なところで繋がっているものだ。
「スモールワールドですね」と琴吹さんは言った。

死んだように横たわる私に気を配りながら、うら若き乙女二人は他愛もない世間話をしていた。

「明石さんも小津さんという方を知ってるの?」
「小津さんとはサークルも一緒でしたし、今は師匠の門下として兄弟弟子でもあります」
「そうなんだ。師匠だなんて、きっと立派な方なんでしょうね」
「師匠はそれなりに立派です。あくまでそれなりに。
 それはそうと、紬さんは先輩とはどういう関係なのですか?」
「大学外の英会話教室で半年くらい前に知り合って、最近よくお話しするようになったの。
 昨日たまたま遊びに来たら素敵なお酒を頂いたらしくて、せっかくだから飲んでみようって……」
「なるほど。それで極寒麦酒を無下に消費してしまったんですね」
「そういえば、明石さんは何故その麦酒に詳しいの?」
「そもそもこの部屋に極寒麦酒を提供したのは私です」
「まあ、そうだったの」
「この麦酒も、元はと言えば師匠の貢物として探し求めていたのですが中々見つけることが出来ず、
 業を煮やした小津さんが何らかの手段でもって強引に集めたらしのです」
「何らかの手段?」
「聞いた話では、小津さんは大学中のありとあらゆる組織を動かすことが出来る影の支配者という
 大層な噂があるのです。現に小津さんはひと夏どころかあと四回は夏を越せるくらいの極寒麦酒を
 どこからともなく入手してきました。私はその余りを先輩に分けようと思ったのですが……」

そこで明石さんは私を一瞥した。
予期せず目を合わせてしまった私は一瞬どきりとして慌てて布団に身を隠した。
これではまるで私が怯えているようではないか



124 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 05:26:01.52 ID:JcM4nRRK0

しかし明石さんは別段なんともないように話を続けた。

「流石に一日で五、六缶も飲み干せば具合も悪くなります。それほどあのお酒は強力なのです」
「私もそれくらい飲んだんだけどなぁ」
「……それは紬さんがぽわぽわしているからでしょう」
「そうなのかな~?」

ぽわぽわしていることと冷え性をこじらせないことに何の因果関係があるのか分からなかったが、
琴吹さんが体調を崩す姿が想像できないことから妙に納得してしまった。

「そういえばさっき小津が私の所に訊ねてきたぞ。極寒麦酒を返せだの言っていたが……」

私は布団からもぞもぞと顔を出すと、思い出したように会話に割って入った。

「きっと余った麦酒を売りさばいて資金にするつもりなのでしょう。
 小津さんならやりかねません」
「資金とはなんだ?」
「自虐的代理代理戦争の軍資金だと思います」

訳の分からない単語を聞いた途端、私は考えるのを止めた。
小津の意味不明な日常的非日常生活に触れたら大やけどするに決まっている。
私はなるべく首を突っ込まないように再び布団に首を引っ込め、話題を絶とうとした。

「なんだか面白そう!」

布団を隔てた向こう側で琴吹さんの楽しそうな声を聞いた。
私は嫌な予感がした。
そして琴吹さんが何に期待しているか察すると、心臓が飛び出るほど危機感を感じた。



126 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 05:31:18.02 ID:JcM4nRRK0

「駄目だッ」

私は跳ねるように飛び起きると、その場にいた二人を一喝した。
急に私が大声をあげたので、驚いた琴吹さんはビクッと体を強張らせた。

「な、何がですか?」

「琴吹さん、絶対に小津と関わってはいけない。そんなのは言語道断だ」

ぼさぼさの髪で喚き散らす私を琴吹さんは困ったように見つめ、明石さんは呆れたように
ため息をついた。

「先輩、まだ紬さんは何も言っていません」

あいつは人の皮を被った悪魔だの妖怪だの悪態をつきまくる私を、琴吹さんは「まあまあまあ」と
なだめるように床に押し返した。

興奮しすぎたせいか吐き気と頭痛が再び私を痛めつけ、うーんうーんと唸りながら横になった。

「気にしないで下さい」

明石さんは憐れみを含んだ言い方をすると、琴吹さんの方へ向き直った。

「先輩は恐らく誰よりも小津さんの影響力を知っているのでしょう。確かに小津さんは
 底抜けの阿呆ですが、腰が据わっています。生半可に関わるのは止した方がいいと思います」

いよいよ明石さんにまで真剣に忠告されたとなれば琴吹さんも考えを改めるに違いない。
私は明石さんグッジョブと心の中で親指を突き立てた。



133 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 05:39:27.93 ID:JcM4nRRK0

「とは言っても小津さんがこだわっているのはあくまで先輩に対してだけです。
 つまり先輩に関わることは間接的に小津さんとも関わるということにもなります」

明石さんはさりげなくとんでもない事を言ってのけた。
まるで私が小津に執拗にストーカー行為を受けているかのような言い草である。
運命の黒い糸でボンレスハムのようにぐるぐる巻きにされて暗い水底に沈んでいく男二匹の
恐るべき幻影が脳裏に浮かび、私は戦慄した。

「そうですか……」

琴吹さんは憮然とした表情で呟いた。
違うぞ琴吹さん。いや、小津が危険な事は違わないが、私は至って清廉潔白なのだ。
むやみにアナタを腐れへっぽこ妖怪に近づけるような真似はしない。

私がそのような塩梅で紳士的説得を試みようと再び亀のように顔を覗かせたところ、先に琴吹さんが
口を開いた。

「でも私、今学期を終えたら海外に留学してしまうので、今の内に出来ることをやっておこうかなと思ったんです。
 英会話教室で先輩のお話を聞く限りでは、小津さんという方は非常に愉快で面白い人だと……。
 せっかくなら会ってみたいな、なんて思ってたんですけど」

琴吹さんはしょんぼりしたように言う。

そして私はというと、喉まで出かかっていた説得を思わず呑み込み、ぽかんとしていた。

何か今、とても大事なことを聞いたような気がする。
小津が愉快で面白い人間だという事だろうか?しかし私は英会話教室であいつの都合のいいようにスピーチした記憶はない。
出来る限り憎しみと卑下を込めたつもりだったが伝わっていなかったのだろうか。



135 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 05:47:38.63 ID:JcM4nRRK0

そうではない。
私が琴吹さんの台詞で強烈な違和感を垣間見たのは、小津の人間性の解釈の相違ではない。

彼女は「今学期を終えたら海外に留学」すると言った。

海外に留学とはどういうことだ?

「そういえばそうでしたね」

明石さんは表情一つ変えず言葉を添えた。

「か、海外に……留学……?」

つっかえながら琴吹さんに聞き返す。
彼女は微笑みながら首をかしげると、残酷な事実を私に告げた。

「あれ?先輩にはまだ言ってませんでしたか?
 私、前期終了後にアメリカに留学するんです。ついこの間決定したんですけど……」

アメリカに留学。
前期終了後。

私は返す言葉を失い、舞台が暗転するような感覚に包まれた。



136 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 05:51:45.94 ID:JcM4nRRK0

もし本当に海外に発ってしまうなら、私が琴吹さんと会えるのもあと数週間である。
まずもって喪失感。
そして認めたくないものの、失恋の情。

人によってはこう言うだろう。
あと数週間でもチャンスはあると。諦めるには早すぎると。
あるいは私を情けない奴と罵るであろう。

断言しよう。
私は生来の腰ぬけであり、諦めの早さにおいて並ぶ者はいないと自負している人間である。

あと一ヶ月と少しで居なくなる人に思いだけでも伝えよ、と甘ったるい思想の持ち主なら
闇雲に駆け出し玉砕を良しとするかもしれない。
しかし現実主義かつ小心者の私にとってそんな色恋劇場の役者のような真似が出来るはずもない。

クララの馬鹿、いくじなしとでも罵倒されてもなお石橋を叩き壊す勢いでリスクを回避する
この性格だけは直せず、だからこそ堅実な道を何よりも求めたのである。

私は新たな人生へと踏み込む琴吹さんを前に、もはや何も求めることは叶わなかった。

始まってもない恋の行方を案じた私がただ一人、道化を演じていたようなものだ。


私の心はその場で真っ二つに折れてしまった。
後悔する暇もなく、私は失意のどん底に勝手に落ちて行った。


じつに、生き方に工夫が足りなかった。

私はなんて不器用だったのであろう。



137 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 05:55:16.52 ID:JcM4nRRK0


 ――――――
 ――――
 ――

それから先のことは良く覚えていない。
いつの間にか琴吹さんは帰っていて、明石さんが私の看病をしてくれたことはなんとなく記憶に残っている。

次に意識がはっきりとしたのは翌日の朝だった。
気だるい体をむりやり起こし、何も考えずにトイレへ向かった。

昨日の琴吹さんの言葉は幻だったのではないか。
この期に及んでそんな妄想にすがるほど私は狼狽していた。

しかし次第に昨日の記憶は鮮明に思い出され、同時に絶望感で全身の力が抜けていく。

頼りない足取りで我が四畳半に戻ると、この二週間足らずの出来事がまるごと夢だったのではないかと錯覚する。




私はそれっきり英会話教室には行かなくなった。

琴吹さんと顔を合わせる勇気がない。

私は再び、大学と家を往復する生活に戻った。



139 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 06:00:34.50 ID:JcM4nRRK0


  ○     ○     ○

海外留学の話を持ちだしたのは他ならぬお父様でした。

それは私が先輩を部屋に招いた少しあとのことです。
お父様から直接電話をいただくことは珍しい事ではありませんでしたが、まるで週末の予定を聞くような
調子で海外留学の話をし始めた時は驚きました。

琴吹財閥の跡取りとして様々な経験を積んで欲しいと大学に行かせてもらい、事実私はお父様のサポートだけでなく
自らの意志でも色々と積極的に活動してきました。
そこにお父様の意志が無かったとも言い切れませんが、少なくとも私の自由をそれなりに尊重してもらい、
余計な指示や口出しは一切しませんでした。
その代わりプライベートには斎藤を介して何度もお節介を焼かれましたが……。

お父様の口から直接、具体的な提案が持ちだされることは今までなかったのです。

私は海外留学の提言に驚くと共に、複雑な心境に至りました。

まず、これは願ってもいないチャンスだという希望のような思いがにわかに浮かんだのです。

以前から私は海外留学に大いに興味がありました。
旅行で何度も海外へ飛ぶことはありましたが、本格的に日本を離れて勉学に勤しむことに憧れていたのです。
しかし私は、きっとお父様は許して下さらないだろうと思っていたのです。
自由を許された言っても、お父様は基本的に親馬鹿といいますか、私のことを大事にし過ぎる節がありました。
友達の家でお泊りするというだけでもお叱りを受けるのです。
ましてや私が留学したいなどと言ったら猛反対されるに決まっているのです。

それが何の心変わりかは存じませんが、まさかお父様から話を持ちだされるなんて思ってもいなかったのです。



140 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 06:06:15.67 ID:JcM4nRRK0

私は二つ返事で進言を受け入れようとしましたが、ふと別の考えが浮かびました。

何故お父様はこの時期にそんな話を持ちかけたのでしょうか?
私は何か裏があるのではないかと勘繰りました。

そして思い至ったのは、私の部屋に先輩を招いたことがばれてしまったのではないかということでした。
斎藤が言及したのかも知れません。例えそうでなくても、タイミングとしては十分考え得ることです。

もしかしてお父様は私がこの大学での交友関係をあまり快く思っていないのではないかしら。
それで海外に住まわせ、更に私の行動を制限するつもりなのでは……。

一概に先輩が原因とは言えませんが、何か裏があるのではと感じ取った私は、お父様の意見に素直に
賛同するわけにもいかず、しばらく返事を待ってもらうことにしたのです。


ところが一週間ほど考え抜いた結果、結局私は海外留学することに決めました。

理由は単純でした。
留学という未知の体験を想像し、その未来像が私の興味を余すところなく刺激したからです。

いつしか私は、自分の中に目覚めつつある好奇心への抗えない欲求に呑まれていました。
こうやって書くとまるで快楽に溺れる狂人の風に皆さんの目に映るかも知れませんが、私はそれこそ
無我夢中で大学生活を過ごして来たのです。
すでに私は顧みることを忘れ、ただただ現在と、その先にある未来を見ることしか出来なくなっていたのです。

あるいは視野が狭いと思う方もいらっしゃるかもしれません。
どこまでわがままな娘なのだと責める方だって居ると思います。



145 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 06:12:19.42 ID:JcM4nRRK0

過去、私は自分本位になることを否定し続けていました。
身勝手な振る舞いで他人を傷つけることを極端に恐れていたのです。

けれども私は、桜ケ丘高校の軽音部を経て自らの意志の価値を知りました。

私はその意志でもって、海外留学することを肯定したのです。



心残りなのは今まで私と知り合ってきた友人たちでした。

私が留学を決意した時、お世話になった人たちにまず知らせました。
その中には明石さんも居ました。

そして先輩にも、あの日、先輩の部屋にお邪魔した時に話をしようと思ったのです。
思いがけずお酒を飲むことになり、その場では留学の話などつい忘れて楽しんでしまいましたが、
しばらく経ったあと私は思い切って打ち明けたのです。

ところが先輩は直後に意識を失い眠ってしまったのでどうやら覚えていない様子でした。

わずか数回会って話をしただけですが、先輩には家まで送り届けてもらったという恩があります。
それに私の知らない色々なことも教えてもらいました。

先輩にはきちんとお話したかったのですが、なんだか中途半端に告げる形になってしまったのは悔やまれるところです。


そして何故か先輩はあの日以来、英会話教室に来なくなってしまいました。
メールによる連絡も何もありません。
私の方から連絡することも考えましたが、何か事情があるのかもしれないと思い、迂闊にお節介を焼くのが躊躇われたのです。



147 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 06:15:17.31 ID:JcM4nRRK0

先輩のことも気になりましたが、私はかつての軽音部のメンバーと連絡を取ることを考えました。

唯ちゃん、りっちゃん、澪ちゃん、梓ちゃん……今となってはあまり会うこともなくなっていましたが、
私にとっての大事な転機を知らせない理由にはなりません。

久しぶり、と挨拶を添えて、この度海外に留学することにしましたと4人にメールを送ると、返信はすぐでした。
本当に!?すごいじゃん!と驚きと感嘆を素直に言ってくれたりっちゃん。
久しぶりだな、おめでとう、と感慨深げに私を祝ってくれた澪ちゃん。
おめでとうございます、と丁寧に称賛してくれた梓ちゃん。
そっかぁ、寂しくなるね、と別れを惜しんでくれた唯ちゃん。

そして誰もが言ってくれたのは、旅立つ前に会えないかという言葉でした。

私はみんなのメールを読みながら、高校を卒業して離ればなれになっても会いたいと思える友人がいることに
心の奥から暖かいものが込み上げてくるような気がしました。


これが最後というわけではありませんが、日本を出発する前に放課後ティータイムのみんなと会うことが
色々な意味で人生に区切りをつけるために大事なことだと、私は感じました。

かくして私たちは再会することにしたのです。

それは7月に入る前、日差しが眩しく照らす休日の、桜ケ丘高校の音楽室でした。



148 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 06:19:27.15 ID:JcM4nRRK0


  ○     ○     ○

私の心に負った傷はかつてないほど深刻を極めた。

たかだか数日、それも熱烈な恋に身を焦がしていたわけでもないのに、琴吹さんとのわずかな想い出が
時と場所を選ばず甦るのだ。

私はその度に盛大なため息をつき、肩を落とし、頭を垂れ、そのまま地面に埋もれてしまうほど気分を落ち込ませた。

あの日から私は無気力に一層磨きがかかり、何をするにしても上の空、虚ろな目線は定まらず
意識は体から解き放たれたように宙をさまよっていた。


荒涼たる四畳半を精神的にさまよい続け、時はいつしか7月の終わりに差し掛かっていた。

もうすぐ大学も前期の修学期間を終えようとしている。

このまま夏休みに突入すれば、琴吹さんはすぐにでも海外へ旅立ってしまうだろう。

心の傷は時間が癒してくれるという人生の真理も、今の私には当てはまらない。
時間が経てば経つほど私は目の前の好機から逃げている自分自身を客観的に見えてしまう。
なんと情けない人間なのだろうと自己嫌悪に陥る。
乙女のように恋焦がれるむさ苦しい男の姿を想像してぞっとしたりもした。


しかしそんな私の傷心の日々にも救いの手は差し伸べられた。

まことにやるせないことながら、それは小津を伝わって私の元に舞い降りてきたのである。



149 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 06:24:15.55 ID:JcM4nRRK0

小津は相変わらず良からぬ妄念を腹に溜めながら、常に周りに災厄をまき散らすという
不毛なキャンパスライフに憂き身をやつしていた。
まさにホモサピエンスの面汚しである。

私が失意の波動に目覚め静謐な四畳半に籠るようになってから小津は以前ほど頻繁に訪れなくなった。
私としても自分の魂が彼によって汚染されることを危惧していたので願ったり叶ったりである。

ところが彼は私の部屋に顔を出さないものの、二階の師匠と呼ばれる人物の元には毎日のように訪問しているようだった。
たまにドタバタと天井を揺らし、私の部屋を埃まみれにしたが、私はその師匠とやらに関わりたくなかったので
騒ぎが収まるまで縮こまっていたりした。

そんな孤高の生活も長くは続かず、いい加減琴吹さんとの淡い思い出、しかるに苦い思い出を
忘却の彼方へ押しやらなければならぬと思う。
でなければ人として生きる術すら見失いかねない。
しかしそう簡単にも忘れられるほど小回りの利く私の性格でもない。

悶々と袋小路に嵌りかける私に、時を見計らったかのように小津が訊ねて来たのは八月に入ろうかという
暑い夏の日だった。

「おや、顔色がすぐれませんな。いまだに籠って無駄な水分を垂れ流しているんですか?
 こんなに天気がいいんだから外で気持ちよく汗を流せばいいのに」
「黙れ。心頭滅却すれば火もまた涼しいのだ。だいたい外に出て日向ぼっこでもしてみろ。
 水分をあらかた吸い取られてカラカラに干からびるのがオチではないか」
「せっかく健全な生活習慣を提案してあげたのに」
「そもそも何の用だ」

どうせ冷やかしにでも来たのだろうと思ったが、小津は何やら神妙な顔つきで「ちょっと」と
口を手元で覆い隠した。
その仕草が彼をより一層邪悪な人相たらしめていた。



150 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 06:27:02.13 ID:JcM4nRRK0

「あなた琴吹紬と顔見知りなんですか?」

その名を聞いたとき、全身に電流が走ったような衝撃に見舞われた。
何故小津が琴吹さんを?
もし琴吹さんに小津の魔の手が忍び寄ったら由々しき事態である。

「何故きさまが彼女の名を知っている!?」
「あら、ということはお知り合いなんですね」
「彼女に手を出すことは私が許さん!」
「あなた琴吹紬の何なんですか。そんなにはりきっちゃって」

ぐうの音も出ない。
私と琴吹さんはもはや何の関係もないのだ。

「まさかあなたがあの琴吹紬とお知り合いだとは思いもよりませんでした。
 てっきりあのメールアドレスも妄想かと」
「貴様、彼女をどうするつもりだ!」
「別にどうもしません」

小津がにやにやと悪魔のような笑みを浮かべた。
私は直感した。
小津は何かを企んでいると。

「……それで、私が彼女を知っているから何だというのだ」

私は努めて冷静に小津と対面した。

「いえ、なんでも彼女、今学期いっぱいで大学から去るらしいじゃないですか。
 それにつけて友人を招いて盛大に門出を祝うなんて噂を耳にしたもんで、あなたなら知ってるんじゃないかなぁと」



152 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 06:32:04.89 ID:JcM4nRRK0

私は小津の情報収集能力に改めて驚愕し、戦慄した。
小津の閻魔帳には様々な人物のあらゆる秘密が平凡社世界大百科事典のようにみっちりと書き込まれているらしい。
私はそのことを考えるたび、こんな歪んだ人物とは一刻もはやく袂を分かたねばならぬという焦燥に駆られるのだった。

「そんな話は知らん。そもそもお前がそれを知ってどうしようというんだ」
「秘密です」

不敵に笑う小津を廊下の外へ蹴りだし、私は再び四畳半に閉じこもり思案した。

とうとう小津が琴吹さんに目をつけた。

非常に危険な状況に刻一刻と近づいていくようで気が気でない。

私は一人作戦会議を開いた。

まず考えたのは小津が具体的に何をやらかそうとしているのかということである。
しかし小津の行動原理を自分の物差しで測るなど愚行も甚だしい。
今までもいったいあの男は何がしたかったのか、解き難い謎であるが強いて解く必要もなかった。

そしてもう一つ、小津の話の中で留意すべき言葉があったはずだ。
どうやら琴吹さんは最後のお祝いをするつもりらしい。

一体何をどのようにしてそのパーティが行われるのか私は知る由もない。
だが小津の口ぶりからして、その場で良からぬことを働くのは容易に想像できた。

もし琴吹さんが小津の毒牙にかかり清らかな魂を汚されでもしたら世紀の大事件である。
私と小津をまとめて珈琲挽きにかけて粉々にしても神は決してお許しになられないだろう。

これは私一個人の問題ではない。琴吹さんの将来に関わることだ。



154 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 06:37:01.09 ID:JcM4nRRK0

決断は思いのほか早かった。

私は念には念を入れて、まず明石さんに連絡をとることにした。
もしかしたら彼女もそのお祝い行事に呼ばれているかもしれない。

明石さんに電話をかけると、しばらく待った後に凛とした声が聞こえた。

『はい』
「明石さんか?」
『そうですが、どうかされたのですか?』

私の突然のコールにも彼女は落ち着き払った態度を維持していた。
携帯越しに明石さんの端然とした表情を想像する。

「小津から聞いたのだが、琴吹さんが日本を発つ前に友人を招いてパーティをすると」
『パーティではありません。紬さんがライブハウスで演奏するので、チケットを友人に配っているのです』
「ライブハウス?」
『京音堂という割と大きめのハコです。私も何度か行ったことがあります。
 先輩は呼ばれなかったのですか?』

明石さんのさりげない言葉がぐさりと私の心を突き刺した。
私はなんとか平静を保ちながらライブの詳細を質問した。

『日時は八月○日、放課後ティータイムという紬さんの高校時代のバンドの単独ライブだそうです。
 紬さんはライブの直後に日本を旅立つようですね『
「そうか……ちなみに明石さんは小津がそのライブに関心があるということを知っているか?」
『小津さんがですか?』



155 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 06:40:24.41 ID:JcM4nRRK0

「あの腐れ変態妖怪は私に琴吹さんの事情を聞いてきたのだ。
 絶対に何か企んでいる様子だった」

『それは初耳です』

「私は何としてもそれを阻止せねばならない。しかし琴吹さんにそんな事を洩らして
 余計な不安を与えたくはない。明石さんよ、せめて小津の動機に心当たりはないか?」

私は自分ですら計りしれなかった小津の目的が明石さんに分かるだろうかと聞いておきながら思った。
しかし明石さんはしばし黙った後、ぽつりとつぶやいた。

『もしかしたら……』
「もしかしたら?」
『いえ、根拠はないのですが、小津さんは単純に紬さんの財力が目当てなのではないでしょうか』
「誘拐して身代金でも要求するつもりか」

犯罪者になるつもりであろうか。落ちるところまで落ちてしまったと言わざるを得ない。

『小津さんは最近取り憑かれたようにお金に執着しています。
 今では師匠の貢物とは無関係にどこからともなく紙幣を溜めこんでいるらしいのです』
「そこで琴吹さんに目を付けたのか……しかしなぜ琴吹さんなのだ?」
『先輩御存じないのですか?紬さんは旧日本財閥琴吹商社の御娘です。紬さん自身ならいざ知らず、
 実家の規模を考えれば彼女にすり寄るメリットは想像に難くありません』

明石さんはあくまであっさりと答えた。
なるほど、手段を選ばない小津のことだ。
ライブにかこつけて琴吹さんと彼女の背後にある巨大な財源に急接近するつもりであろう。



166 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 07:12:45.62 ID:JcM4nRRK0

「ならば尚更、小津を琴吹さんに近づけるわけにはいかない」

私は意気込んだ。
しかし意気込んだはいいものの、どうすればいいのか皆目見当もつかない。

『何か策があるのですか?』
「……今のところ考えられるのは、私もそのライブ会場に行き小津の動向を見張ることくらいだ。
 しかしチケットは持ってないし、もし見張ったとして、未然に防げるとも限らない」

私は自信なく言った。

『チケットなら丁度一枚、私の手元に残っていますが』
「私にくれるのか?」
『相応の金額を支払ってもらえば別にかまいません』

なんと都合の良いことだろうか。
電話の向こう側の明石さんに敬意を払い、ありがたくチケットを売ってもらうことにした。

「明石さんも手伝ってくれないか?」
『遠慮します』

明石さんはにべにもなく言った。

「明石さんは小津と兄弟弟子だろう。奴を更生させたいとは思わないのか?」
『小津さんは私たちが何をしたところで改心するような融通のきく人間ではありません。横槍を入れたところで無駄でしょう』
「師匠とやらは何もしてくれないのか?」
『師匠は弟子の素行を正そうとするほど配慮の足りる人でもないですし、そんなことに
 動じないところが師匠が師匠たるゆえんなのです』



167 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 07:17:35.49 ID:JcM4nRRK0

つまり何もしていないに等しいではないか。
師匠と名乗るだけの説得力が微塵もない。
或いは、このあまりにも説得力のない感じが、逆に説得力があると言っても、説得力に欠けるのだろうか。

「……分かった。小津は私のほうで何とかしよう」

明石さんには明日チケットを持って来てもらうと約束して電話を切った。

今にして思えば、何故そんな師匠の元に明石さんまでもが師事しているのか甚だ疑問である。

  ○     ○     ○

先輩の語りの途中ですが失礼します。
補足説明も兼ねて、このイベントに至るまでのいきさつを少しばかりお話させてもらえば幸いです。

さて、私たち放課後ティータイムが京音堂にて単独ライブをすることになったのは明石さんの説明で
既にご存知かと思いますが、一つ付け加えたい事があります。

私は先輩を誘うつもりが無かったわけではありませんでした。

単に先輩に対して負い目といいますか、私が先輩の重荷になっているのではないかと……そのように思えたのです。
言い訳がましく聞こえるかもしれませんが、先輩にチケットを渡す踏ん切りがつかなかったことは事実でした。

あの日――私が先輩の部屋に遊びに行った日から、先輩は英会話教室に来なくなりました。

初めは先輩も何か事情があるのだと余計な詮索はしませんでしたが、いよいよ一ヶ月も姿を見せないとなると
私も心配を隠せませんでした。

そして最後に先輩にお会いした日まで記憶を辿ると、私はまさか、という焦燥にも似た胸騒ぎがしたのです。



169 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 07:23:34.45 ID:JcM4nRRK0

元はと言えば先輩があのように具合を悪くしたのは私が突然おじゃましたせいでもあります。
それでなくとも、優しい先輩のことですから私のわがままに無理に付き合っていたのではないかと、そう思ったのです。

このように考えたが最後、たかだか1週間と少ししかお話していない先輩をライブに招くことが
なんだかとても押しつけがましい行為のような気がしました。

不安はざわざわと胸の中で広がります。

これ以上踏み込めば、もしかしたら本当に迷惑に思われるかもしれません。
例えそれが杞憂で、先輩がライブに喜んで来てくれるとしても、臆病な心に囚われてしまった私は
一歩を踏み出すことが出来ずにいたのです。

そこで私は姑息にも、明石さんに先輩の分のチケットを託すことにしたのです。

もし先輩に会ったら、このチケットを渡して欲しいと……。

明石さんは何も言わず了解してくれました。



――これで私の独り言は終わりです。

以降は、先輩の個性豊かな物語と、私たち放課後ティータイムのライブをお楽しみください。



170 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 07:29:15.99 ID:JcM4nRRK0


  ○     ○     ○

威勢よく琴吹さんを守ると言い切った私であるが、人望も才能も一向に発揮される気配がなく
時間だけが過ぎてゆき、とうとう何も打つ手がないままライブ当日を迎えてしまった。

私は今、まさに京音堂の入口で立ちつくしている格好であった。

「先輩」

遠くで私を呼ぶ声が聞こえた。
振り向くと明石さんがこちらへ歩いて来るのが見える。

「随分とお早いのですね。小津さんの悪だくみは明らかになったのですか?」

私は何も言えず、しょんぼりと地面へ視線を落とした。

「気を落とすことはありません。小津さんが何をしでかすつもりなのかは分かりませんが、
 あの紬さんがそう簡単に屈することはありえないでしょう」

「なぜ断言できるのだ?」

「紬さんはああ見えてとてもしっかりしていますので」

明石さんと琴吹さんの間にどういった信頼関係が置かれているのか私には知る由もないが、この断定ぶりである。
この二人には全面的な信用というか、あえて言葉を添えるまでもなく互いを認め合っている風な
達観した友人関係が確立しているように思えた。



171 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 07:36:52.73 ID:JcM4nRRK0

そんな仲を羨ましいと思う反面、私とて小津に対する並々ならぬ負の信頼を置いていることを忘れてはならない。
小津はやる時はやる男である。
今の所そのやる気のほとんどは不毛極まる行為に向けられていたが、精力溢れる努力は認めざるを得ない。

明石さんが琴吹さんを信頼しているのと同じように、私もまた小津の性悪な人格を知り尽くしていた。

「万が一ということもある。もし琴吹さんの身に何かあろうものなら、私は世間に顔向けできない」

私が持てる限りの緊張感を発すると、明石さんは諦めたように視線を私から離した。

すでに周りには人が大勢たむろしていた。
今日は単独ライブとのことだから、この場にいる全員が琴吹さんのバンドを見るために来ているということになる。

「とにかく今日は記念すべきライブなのです。先輩も楽しまないと損ですよ」

そう言って明石さんはつかつかと京音堂へ入っていった。

私もその後を追っていく。

中はもう人でいっぱいだった。
私は小津の姿を探してみるが、昨今のファッションを代表するような若き大学生が蠢くこの界隈に
ぬらりひょんの面はどこにも見当たらなかった。


スタジオの扉が開いた。
開演を知らせる合図である。

私は人の波に揉まれ、なすすべなく中へ押しやられた。
これでは怪しい人物を見張ることすらままならない。



173 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 07:40:08.05 ID:JcM4nRRK0

そうこうしているうちに暗闇のスタジオに暑苦しく人間達が詰め込まれ、そう広くない空間に
にわかに興奮が高まっていくのが感じられた。

私といえば、ざわめく大衆から一歩引いた場所で高みの見物がごとく屹立していた。

しかし放課後ティータイムのメンバーが姿を現し、観客から熱狂的な歓声があがると、
私もその興奮に当てられ、小津を探すどころではなくなってしまった。

「みなさん、今日は集まってくれてありがとう!放課後ティータイムです!」

真ん中のマイクスタンドに立つ女性が手始めに挨拶すると、ステージの目の前、最前列の辺りから
「ゆいー!」だの「みおー!」だのといった黄色い声援が飛んだ。

後から知ったのだが放課後ティータイムの主要なファン層は同じ年頃の女子大生であり、一部では絶大な支持を
得ていたにも関わらず1年前に解散、今回はどちらかというと復活ライブという位置づけとしてファンが集まったらしい。

私は琴吹さんに目をやった。

彼女は前列にいる3人ほど名前を呼ばれることはなく、目立たない位置でキーボードを構えていたが
その表情は楽しげで、メンバーを見守るように落ち着いた姿勢を崩さなかった。


最初のMCを観客はそわそわしながら聞いていた。

徐々に全体に緊張感が広がっていく。

頃合いを見計らったように彼女たちは目配せし、ドラムスティックが力強くカウントを取る。

ライブが始まった。



174 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 07:44:29.30 ID:JcM4nRRK0


 ――――――
 ――――
 ――

表現力に乏しい私がこの激動のライブを事細かに話して聞かせたとして、その魅力の何割が伝わるだろうか。

読者諸賢には大変申し訳ないが、放課後ティータイムの過熱を極めた復活ライブの様子は端折らせてもらうことにする。

ただ一つ、今の私の現状から言えることは、まさに圧倒的という感想に他ならない。


私は本来の目的を忘れ、気付くとライブは終演していた。

終わってみれば小津の些細な悪行など微塵も介入する余地がないように思われた。
事実、ライブは一切の滞りなく始まりから終わりまで盛り上がりが途切れなかった。

興奮冷めやらぬ観客たちがぱらぱらとスタジオから出て行く。


「しっかりして下さい、先輩」

明石さんに袖を引っ張られ我に返った。

いつの間にかスタジオに居るのは私と明石さんだけであった。

「紬さんが待っています」

ライブの余韻も相まって、私は明石さんの言葉の意味を汲み取りかねて見事な阿呆面をしたまま
「え」とだけ口にした。



175 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 07:50:57.19 ID:JcM4nRRK0

明石さんは何も言わず、ぐいぐいと私を引っ張っていった。

「こちらが楽屋です」

私の意思を完全に置いてけぼりにして明石さんは楽屋の薄い扉をノックした。
まだ心の準備が出来ていない。

「あっ先輩!」

開かれた扉の方を振り向いた琴吹さんは私を見るなり驚いて声を上げたが、すぐにその表情はほころび
笑顔で私の元に駆け寄った。

先程まで談笑していたであろう放課後ティータイムの面々と不意に目が合い、私は赤面してうつむいた。
ライブの時も思ったが、この女子バンドのビジュアル的魅力は筆舌に尽くしがたい。
そんな彼女らの視線を一身に受けたら、世界一気丈な精神を持っている私といえど緊張の色は隠せない。

そしてそれは当然、私の目の前で嬉しそうにしている琴吹さんにも当てはまる。

私は何を言うべきか迷った。
不明瞭な感情が伝えるべき言葉を濁らせ、私は琴吹さんとまともに目も合わせられない。

「来てくださってありがとうございます。先輩には色々とお世話になりました。
 お粗末だったかもしれませんが、今日のライブは先輩へのお礼です」

そう言って琴吹さんは頭を下げた。



176 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 07:54:35.07 ID:JcM4nRRK0

「……この後、すぐに出発してしまうのか?」

「はい……」

琴吹さんは歯切れ悪く、それでも笑顔は崩さず言った。

彼女の背後には放課後ティータイムのメンバーが椅子に座り、じっとこちらを見ている。

琴吹さんは私が言わんとすることを静かに察し、話を続けた。

「私の高校時代の友人です。このライブを提案してくれたのは彼女たちなんです」

私は「そうだったのか」と抑揚なくつぶやいた。
およそ一カ月ぶりに会い、わざわざライブという場まで設けてもらったにも関わらず、琴吹さんに
かけてやる言葉が何も思いつかない。

私が再び押し黙ると、今度は横にいた明石さんが声をかけた。

「ライブ、とても素晴らしかったです。いつか日本に帰って来た時に、ぜひもう一度聞かせてもらえれば
 私も先輩も喜びます」
「私も今日はすごく楽しかったわ。しばらくはこっちに戻ってこれないかもしれないけど、数年後、機会があれば
 また放課後ティータイムで音楽をやりたいと思ってる……」

琴吹さんは後ろに座る4人に振り向いた。
メンバーは納得したように頷き、その間には何者も寄せ付けない確かな意思の繋がりがあるように思われた。

「その時は先輩も明石さんも呼んで、またお酒を飲みましょう」

それが別れの挨拶だとでもいうように、琴吹さんは笑顔で言った。



177 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 08:06:41.76 ID:JcM4nRRK0

「待っている」

かろうじて絞り出した台詞がそれだった。
他にも言いたいことが沢山あるような気がするが、今の私にはこれが精一杯である。

私たちは短い会話の後、明石さんに「そろそろ私たちは席を外しましょう」と言われて
楽屋を去ることになった。

琴吹さんは、促されるまま立ち去ろうとする私を最後まで見送ってくれた。

彼女はしっかりと現実に目を向け、どんな困難が待ち受けているか分からない未来に
覚悟を持って邁進しているというのに、私の体たらくといったらどうであろう。

好機は目の前にいつもぶら下がっている。

いつだって私はその一歩を踏み出せずにいた。


「琴吹さん!」


諦めでもやけっぱちでもなく、私は自分が何を為すべきなのかようやく理解した。
張り上げた声に臆することなく琴吹さんは振り向いた私をまっすぐに見つめていた。

「何があっても諦めず、頑張るんだ。私は応援している。
 そして数年後、また放課後ティータイムの音楽を聞かせてくれ。それまでに私も、君に負けないくらい
 立派な人間になろうと思う。また会えるのを楽しみにしている」

彼女は満面の笑みで「はい」と頷いた。



178 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 08:10:31.60 ID:JcM4nRRK0


 ――
 ――――
 ――――――

後から聞いた話だが、あの日、小津は実際にライブ直前に琴吹さんと接触する計画を立てていたらしい。

しかし幸いにも計画は頓挫した。

その原因については小津の口から聞きだすことは出来ず、様々な憶測がなされたが、ある有力な目撃証言によれば
琴吹グループ傘下のSP達によって<図書館警察>もろとも小津が羽交い絞めにされ、ライブハウスから放り投げられたとのことだ。

明石さん曰く、「小津さんの計画は元から琴吹さんに筒抜けだったのかもしれません」だそうだ。
琴吹さん自身が小津の企てを知っていたとは思えないが、少なくとも彼女を護衛する琴吹グループによって小津が懲らしめられたのは
事実のようである。

その他にも事情通らしい明石さんや小津の話でいまさら思い知った事では、琴吹さんはそこら辺に転がっている
「なんちゃってお嬢様」とは一線を画した、正真正銘本物の「お嬢様」だったのだ。

平凡な私がおいそれと声をかけることすら失礼なほど、彼女の生きる世界は別次元であった。
厚かましくも惚れてしまった経緯もあったが、むしろそこで思いとどまったのは正解だったのかもしれない。
それでも琴吹さんなら、こんなむさ苦しい私でも寛大に受け入れてくれる器の大きさがあるような気がする。
例えどんな人間に対してだろうと、彼女は分け隔てなく愛情を注いでくれるだろう。

しかし私のように、琴吹さんから溢れ出る愛情を受け止めきれない矮小な器の持ち主は
その無垢透明な愛の海に溺れ死んでしまうことは想像に難くない。

これでよかったのだ。
私は心の底から納得した。



180 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 08:15:56.08 ID:JcM4nRRK0


この一ヶ月にわたる怒涛の心理的葛藤物語のささやかな結末として、私は明石さんと親しくなった。

明石さんは表立って言わないが、琴吹さんの身内に小津の策略を洩らしていたのは彼女なのではないかと推測する。
もしそうだとすれば小津に負けず劣らず見事な暗躍ぶりである。

私と明石さんがその後いかなる展開を見せたか、それはこのスレの主旨から逸脱する。
したがって、そのうれしはずかしな妙味を逐一書くことは差し控えたい。
読者もそんな唾棄すべきものを読んで、貴重な時間を溝に捨てたくはないだろう。

成就した恋ほど語るに値しない物はない。



182 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 08:19:27.72 ID:JcM4nRRK0

別の日、私は二階にいる師匠の部屋に明石さんと訪れた。

先日の京音堂襲撃未遂によって失脚した小津は今まであらゆる方面から買った恨みによって居場所をなくし、
師匠にかくまってもらっているらしい。

「おや、二人ともお揃いで」
「聞いたぞ。お前、完全に追放されたんだってな」
「まあ、やらかしちゃいましたからね」
「これに懲りて人にいらんちょっかいを出すのは止めるんだな」
「お断りします。それ以外に僕がすべきことなんて何もないですからな」

小津は例の妖怪めいた笑みを浮かべて、へらへらと笑った。

「僕なりの愛ですわい」

「そんな汚いもん、いらんわい」

私は答えた。





おわり



190 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/19(日) 08:31:33.51 ID:JcM4nRRK0

思ったより森見風を受け入れてくれる人が居て嬉しいww
書いてて本当に思い知ったけど、あのセンスと語彙は異常すぐる
こんな稚拙な文章書いちゃってどれだけファンにお叱りをもらうかドキドキしながら投下してたわ
ともあれここまで読んでしまった人はお疲れさん、そしてありがとう




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紬「四畳半に住むのが夢だったの~」#後半
[ 2010/12/31 23:58 ] クロス | 森見登美彦 | CM(0)

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