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唯「ギー太の愛した数式」#前編 【非日常系】


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唯「ギー太の愛した数式」#前編
唯「ギー太の愛した数式」#後編





1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 22:33:56.04 ID:gqiqufcO0

ほら

ID:PRAHzYyI0





5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 22:37:39.67 ID:PRAHzYyI0

#00 プロローグとエピローグ/〔48〕


「ええと。私ね、記憶が、75分しか持たないんだぁ」


 紡いだ言葉にちっとも実感がわかなくて、つい笑ってしまった。
 体中が何だかとってもガサガサするなって思ったら、
ブレザーの内側の至る所にシールが貼られているせいらしい。

 何十枚と貼られているそれらは、間違いなく私の字で書かれたものなのだけれど、
いつ貼ったかも思い出せないし、書いた記憶も、書かれている内容について覚えもない。
 それこそが、多分、私の記憶が75分だけって証明になるのだろう。

 忘れてしまった記憶に対して、思う所がないって言えば嘘になっちゃうけど。
そんなことよりも、私は、目の前で泣きそうな顔して
こっちを見ている小さな女の子に、早く笑って欲しいなって思っていた。



      『ギー太の愛した数式』
   A pretty little girl and music.





7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 22:39:01.15 ID:PRAHzYyI0


彼女のことを、私はセンパイと呼んだ。
そしてセンパイは私を、あずにゃんと呼んだ。
私の頭のてっぺんに猫耳を乗せたら、とてもそれが似合っていたからだ。

『か、かわいい……!』

 私の髪がくしゃくしゃになるのも構わず、頭を撫で回しながらセンパイは言った。
センパイの接し方はとてもフィジカルで、
揺れる頭と視界の中でえらく混乱したのを覚えている。
 先輩達にからかわれるのを嫌がり、猫耳を外した私は警戒して距離をとった。
その仕草がまた猫らしく、先輩たちを喜ばせてしまう結果になったのは、今でも遺憾だった。

『これを使えば、とっても可愛い後輩が、梓ちゃんが、もっと可愛くなるねぇ』

 センパイは笑いながらそういって、お菓子のくずが散らばったテーブルの隅へ、
角ばっていて、無機質な――先輩にはちっとも似合わない――真っ白いシールを貼ると、
ピンク色のペンで不細工なたぬきのイラストを描いた。

『あずにゃん』。

 私がセンパイから教わった数えきれない事柄の中で、
猫耳の意味は正直、あんまり重要なことじゃない。
でも、それはたしかに、『とても狭い世界』でしか生きていけなかったセンパイにとって
重要な要素で、彼女自身が奏でる豊かなギターの音色や、
聞くだけで心踊る歌声と同等の地位を占めるものだった。
私がセンパイに教えた些細なことも、先輩の世界を彩るその一片に加えられていたのかは定かではない。



8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 22:39:55.53 ID:PRAHzYyI0


しかし私は信じている。

私がセンパイと過ごした7ヶ月という時間の密度を考えるたび、
胸に去来するこの暖かい感覚を幸福と呼び――――


『あだ名は、『あずにゃん』で決定だね!』


 奇跡のような、きらめきに満ちた、あの時間は。


『あ、はは。あずにゃんは、ろまんちすとだなぁ』


 もう居なくなってしまった彼女にとっても、特別で、幸福なものであったことを。



10 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 22:41:11.54 ID:PRAHzYyI0

#01 出会いの一次方程式/〔15472〕

 ――――まごうことなき春だった。

 校門から校舎までの道すがら等間隔で植えられた桜たちには、自身の枝葉で空を覆う力強さがあった。
地面には薄紅色のビロードが敷かれていて、これから始まる新生活に否が応でも胸が高鳴ってしまう。
 通学路で、自分と同じ紺色のブレザーを見かける度、つい口元が綻んでしまったものだ。
校門の手前で立ち止まり、私は三年間お世話になる校舎を見上げる。

梓「…………よしっ」 

 ぐっ、と胸元で小さくガッツポーズ。
 第一ボタンまで閉めたカッターシャツは、少しだけ首元に息苦しさを与えていた。
中学の制服はセーラーだったから、余計にそう感じるのかも知れない。
私は棒タイをいじりながら、校門から最初の一歩を踏み出した。

 受験番号48、東中学校出身 中野梓。
私立桜が丘高等学校に、晴れて入学です。

高校生活を送るにあたって、やること。

 『音楽』。

 中野梓という個人を語る上で、とても大切な要素であるからという理由が一。
 それでジャズ研究会を見学してみたのだけれど、なにかが違うという印象を受けた。
ジャズがなんたるか、なんて説けるほど高尚な身ではないにしろ、不満くらいは……。
 高校の部活なんて、こんなものなんだろうか。
最悪の場合として考えていた外バンという選択肢が頭にちらついて、少し残念な気分になった。
 でも、一縷の望みはある。それが、今向かっている――



11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 22:42:15.91 ID:PRAHzYyI0


友「ホントに行くのぉ? あの着ぐるみの人たちでしょ?」

 付き合うの面倒くさい、と言外にいいながら、階段の踊り場で友人が訪ねて来た。
同じ中学出身のよしみでなんとなく行動を共にして来たけれど、そろそろ潮時かも知れない。
 …………なんて、ちょっと薄情すぎるかなぁ、私……。

梓「ちょっと覗くだけ」

 努めて曖昧に笑いながら、歩を進める。
革靴が階段を叩くたび、乾いた小気味いい音があたりに響いていた。
放課後の喧騒に混じる二人分の足音。

友「ああ、もう、梓ぁ」
梓「…………」

 部活勧誘の折、妙な馬の着ぐるみから渡されたチラシを、もう一度見る。
裏移りした色ペンから醸し出されるこれでもかという程の手作り感。
とてもカラフルで、ところどころに消しゴムのかけ忘れがあるのはご愛嬌だろう。
 正真正銘、全身全霊でホームメイドなそのチラシには、
だからこその暖かさを宿しながら『けいおんがく部』と文字が躍っていた。

 少し背伸びして覗いたその部活は、

梓「……ジャージ?」
友「あ、あれ平沢さんじゃない? 同じクラスの。……なんか、困ってるっぽいね」 
梓「真面目にやってる部じゃないのかな……」

 漏れたのは嘆息。心に沸いたのは納得。
 実際のところ、あまり興味は湧かなかった。
 ――高校の部活に対して、偏見のようなものを持ち始めていたかもしれない。



13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 22:43:25.04 ID:PRAHzYyI0


 ……私は、真剣に音楽がやりたいだけなのに。

 不満、拗ね、羞恥。
いろんなものがない交ぜになった顔つきで、心の中でごちた。
 返した踵に、もう一抹の心残りもなかったから、

友「あれ、もういいの?」
梓「うん。ごめんね、無理につき合わせちゃって」

 私があの「軽音部」に関わることになるなんて、少しも想像していなかったんだ。


?「え? 決めちゃったの?」

 ホームルームが終わり、放課後。
教科書をカバンに押し込めていると、そんな声が聞こえてきた。
――所属する部活動を決めるこの時期に、新入生の間で頻発する些細な裏切りを想像させる言葉。
 そちらについ耳が向いたのは、疑問系の言葉と裏腹に、
その声色に隠せ切れない程の安著と納得が滲んでいたからだった。
ちょっと異様。だって、アンバランスすぎる。

 視線をそちらにやれば、あの時、けいおん部の部室にいた子たちがいた。
 一人は平沢さん。いつも決まって、ポニーテールを黄色いリボンタイで結んでいる子だ。
単独行動をしている所はあまり見ない、愛想の良い優等生。そんな印象の。
 それからもう一人は、



15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 22:44:20.02 ID:PRAHzYyI0


純「うん、ジャズ研究会にすごいカッコいい先輩がいて……ごめんね」
憂「……そっか。しょうがないよ、どこに入るかは自由なんだし」
純「ごめんね。……じゃ」

 思い出す前に二人の会話はそこで終わって、薄い鳶色を横結びにしたクラスメートの子
――あ。たしか、鈴木さんという名前だった――は、カバンを担いで足早に教室を後にした。
 教室に残ったのは、私と平沢さん。
無言の教室に、平沢さんのそろそろと地面を這う様な嘆息が響いた。

 ……う……これ、流石に気まずい……

 何て言葉を掛けていいか解らない。

 それにこのタイミングじゃ、盗み聞きしてましたーっていうようなものじゃん……私。
ここは、私も先達を見習ったほうがいいかな。と立ち去ろうとすると、視線を感じて

梓「…………ん?」
憂「あ」

 見つかってしまった。
 ひく、と、唇の端が痙攣してしまう。
 果たして――平沢さんは、縋るような視線で私を見ていた。
愚直なまでに真摯な視線の、その奥の瞳がどんな感情を宿しているかまではわからない。
 数秒、初心なお見合いよろしく無言で対峙する私たち。
放課後の喧騒は、オレンジ色のオブラートに包まれてどこかぼやけて聞こえてきた。



17 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 22:45:15.80 ID:PRAHzYyI0


梓「…………」
憂「…………」

 コチ。
4を差す短針が数ミリ動いて、先に切り出したのは平沢さん。


憂「あ、あの――!」


 ――――さて、ご存知の通り、ここから私たちの物語は始まる。

 といってもそれは、映画や文庫で語られるスリルやサスペンス、
ホラーやスペクタクルあふれて 血沸き肉踊るものなんかじゃ勿論なくて――
 のんびりだらだら進む、緩い日常4コマ系でもなくて――

 1コマ75分の時計の針へ、私の指先が触れる。

 たったそれだけの話。

 ま、その時はそんな予感、微塵もなかったけどね。


      /



18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 22:46:35.13 ID:PRAHzYyI0

憂「……ごめんね、付き合わせちゃって。わぁ、結構いっぱいだぁ」

 申し訳なさそうにいいながら、平沢さんは講堂の扉に手を掛けた。
重厚な木彫りの観音開きに、ぐっと力を入れて開く。
 隙間から熱気がむわりと這い出てきて、薄暗い闇に一矢の光が射した。
講堂は多くの人――新入生だろう――でごった返していて、
私たちは出入り口近くで立ち見することになった。

憂「――――お姉ちゃん、ボーカルなんだ……」

 驚きを表す言葉の中に、何かを責めるような色が交じっていた。
 ……まただ。この、言葉と響きの不一致。
平沢さんの方を見ると、彼女の視線は私の訝しむ視線にちっとも気づくことなく、
――もしかしたら、気づいていてもなお、かもしれないけれど――まっすぐ舞台に向けられている。
 声をかけて、何故と問うてもよかったのだけれど、それよりも耳が先に、気になる単語を拾っていた。

 ――お姉ちゃん?

 私も平沢さんの後を追い、舞台に目を向けた。
舞台の上には制服姿の4人組がいた。人ごみのせいで、膝元から先は見切れていた。

 ギター・トリオとキーボードの4ピースバンド。
 女子高生がなんであんな重いギブソン・レスポールを、とか、
音に厚みを入れるためのキーボードかな、とか、
ベースの人左利きなんだ、とか、そういう思考が脳内を過ぎった後、ああ、と、思う。

 あそこにいるのは、あの「軽音楽部」の先輩たちだ――――



19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 22:47:52.09 ID:PRAHzYyI0

 ギブソン・レスポールを担いだ一人が、
ひょこひょことヒヨコみたいな動作でマイクスタンドへ歩いていく。
よく見れば、その幼げな顔立ちはどことなくだけれど――私の隣にいる平沢さんと似ていた。

「『「【〔どーもぉ、って、ぅわ……〕】」』」

 開口一番、だらしない笑顔が発した声は派手なハウリングを挟んだ。
壇上の先輩は音に怯んだみたいで、上体を大げさに逸らす。
 講堂に広がる暗がりのそこかしこで、くすくすと笑いがあがった。
一曲目が終わり、ほどよく熱せられていた場の空気は良い方向にほぐれたみたいだった。


『軽音部です。えと、し、新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます――?』


 なんで疑問系。
 先ほどより心持ち大きな笑いが講堂の中に広がって、
腑抜けたMCを嗜めるかのようなバスドラムが二度打たれた。
 マイク前の先輩は、その音にも肩を大げさに揺らしてからやおら振り返って、えへへぇ、と笑う。
 一連のやり取りから――腕前はどうあれ――
きっと雰囲気の良い部活なんだろうな、と素朴な感想が沸いた。
その後も漫談みたいなやりとりが続いたけれど、それはまあ、今は脇において――

 ワン、ツー。

 掛け声と共にドラムスティックが打ち鳴らされ、
アンプから鳴り響くD♯7-5(セブンスフラットファイブス)。
 聞き覚えの無いメロディーと歌詞。
コード進行はメジャーなものだけれど、新鮮味にあふれていて。



20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 22:48:40.38 ID:PRAHzYyI0

 
 ……まさか、とは思うけど――オリジナル?

 高校の部活動なんて、コピーバンドばかりだと思っていた。
覗き見したあの音楽室では不真面目さしか見受けられなくて、
ただお遊びでやっている部活だと思っていた。
 曲が始まった瞬間から火に掛けられた講堂は、拍手と歓声をより大きなものにしていく。
隣から、半拍分ずれた手拍子と笑顔が伝わってきた。

 鷲づかみにされた心臓が、ギターやドラム、キーボードの音で無遠慮に揺さぶられる。
ブレイクの合間にだけ呼吸が許されているかのように、私は息を止めていた。
 確かに演奏にはまだまだ抜け切らない稚拙さがあるし、細かいミスをあげようと思えばいくらでも。



 だけれど、どうしようもなく、私は。



 私はその演奏に、魅入られてしまっていた――――



21 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 22:49:43.36 ID:PRAHzYyI0

#02 記憶の平方根はゼロ/〔12496〕

 そして「軽音部」へと入部した私は大いに歓待された。
練習量だけは人並み以上にあると自負していたけれど、それでも人前でギターを弾くのは緊張した。
 なんだかんだで、私は新しい環境に胸を弾ませていたのだった。

 急く気持ちを押さえつけながら、特別教室が軒を連ねる棟の階段を登っていく。
始めて訪れた時と違い、一人分の足音が放課後の喧騒の中に反響していた。
 階段を登りきり、音楽準備室のプレートが掲げられた扉の前に立つ。
棒タイをいじり、形を整えて、咳払い。
 入部二日目。未だ緊張してます。

梓「……普通に。普通にすればいいんだ、私」

 自分を落ち着かされるために独り言を落として、ままよ。扉に手を掛けて一気に開いた。
中の様子を確認する前に、腰を45度折る。

梓「遅れてすみません!」
?「ふ、ふぇい!?」

 ……勢いよすぎだったみたいで。しかも声量の調整も誤った。
随分と間の抜けた声に遅れて、ガタン、と椅子が揺れる音。
片目を瞑りながら上げた視線にいたのは、昨日と同じ場所、
奥の椅子に座りながら目を丸くしてこちらを見やる――

梓「あ、まだ唯先輩だけですか? 他の先輩方は……」
唯「ほぇ……? あのぅ、ごめんなさい。お名前、聞いてもいいかな」

 どうしました、と続くはずだった言葉は、唯先輩の弱弱しい声にかき消された。
 それは、本当に『知らない人』に対する反応だった。
戸惑いを纏う雰囲気は、演技で出るものでは決してなく、



22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 22:50:45.60 ID:PRAHzYyI0

 
梓「え……なに、言ってるんですか、唯先輩……」
 
 震える声。おかしい。昨日、ちゃんと自己紹介したはずだ。
唯先輩は困ったまま顔で、自らのブレザーの内側へと手を入れた。

梓「メモ、帳……?」
唯「え、と。うーんと」

 取り出されたのは手のひらサイズのピンクのメモ帳だった。
リングメモ形の、100均でもよく見かけるもの。

 そこには、大量のシールが張り付けてあった。
 シールの中には角が擦り切れていたり、日焼けして黄ばんでいるものもあって、
新品のメモ帳と比べて相当な年季が入っているのが見て取れた。
 よく目を凝らすと、唯先輩のブレザーの内側にもそれはそこかしこに張られていて、
先輩が細かい挙動を起こす度にガサガサと虫の羽音みたいな音を立てている。

 わからない。これは、いったい、どういうことなのだろう。

紬「こんにちはー。……あら? 二人とももう来てたの?」
梓「あ、えっと、ムギ先輩。あの、唯先輩が……」

 部室に現れた琴吹 紬先輩は、
メモ用紙を漁り続ける唯先輩の様子を見て、状況を察したようだった。



23 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 22:51:33.84 ID:PRAHzYyI0

 
紬「……あ、そうか。そうね。説明、しないといけないわね」
梓「説明、って。なにが、どうしちゃったんですか? 唯先輩は、」
紬「少し待ってね、梓ちゃん。みんなが揃ってからお話しましょう?
 ―――――……とりあえず、」

 どことなく硬い笑顔だった紬先輩は、そこで一旦言葉を切った。
メモ帳を漁っていた唯先輩が、突然あっ、と小さく声を上げる。
 その様子を見て、笑みを深めた紬先輩は続ける。

紬「お茶にしましょうか」
梓「はぁ。……………………え、お茶?」

 言葉通り、出てきたのはティーセットだった。

 ティーセット。学校の音楽室で、ティーセット。
 なんかケーキまであるし。どこから出したんですかこれ。
これはこれですっっっごく気になるところだったけど、とりあえず今は優先すべきことがある。
 席に着きながら、私は紬先輩を見た。
ふわり、と花がほころぶ様に微笑む彼女は、首を横に振りながら。



24 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 22:51:50.46 ID:PRAHzYyI0

 
紬「……これは唯ちゃんから言った方が、良いと思うの」

 水を向けられた唯先輩は、ケーキを食べる手をいったん休めて、
小さく微笑みすら浮かべながら口にした。
 まるで昨日の晩御飯を話すように、なんでもないというように






唯「ええと。私ね、記憶が、75分しか持たないんだぁ」







 そういった。


 /



25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 22:52:59.38 ID:PRAHzYyI0

 
 それは、どこにでも転がっていそうな、
だからこそ絶対に体験しないと思えるような、ありふれた『悲劇』だった。
 唯先輩が一年生――つまりは前年度の冬の話。

 学校からの帰り道。
ちょっとした不注意から、飛び出してきたトラックにぶつかったらしい。

 茜色射す夕暮れの時間だっと、と律先輩は言う。

 宝物にしていた、素敵な『いつも通り』を全部奪っていったのは重苦しいブレーキノイズ。
それを今でもたまに思い出して身動きが取れなくなるの、と紬先輩は言う。

 唯先輩はすぐに病院に運ばれて、幸い一命は取り留めたのだけれど、
脳の機能――つまり「記憶」に、障害が残ってしまった、と澪先輩が言う。


  それまでの、過去の記憶については問題なく、自分の事もちゃんと覚えている。
 けれど新しく入った記憶は、75分経つと消えてしまうそうだ。


紬「――脳の中に75分のカセットテープがあるような感じかしら。
 そこに重ねどりしてくと、以前の記憶は消えてしまう。延長はなくて、きっかり、1時間と15分。」

 紬先輩はそういうと、眉根を下げて目を細めた。
ビスクドールもかくやというような碧眼の瞳は、どこか遠くを見ていた。
きっとその先には、在りし日の光景が広がっている。
もしかしたら、私が辿るはずだったまた別の物語かもしれない。



26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 22:54:30.06 ID:PRAHzYyI0

 紬先輩は悲しげな微笑のまま、唯先輩の脳の故障をして、『前向性記憶障害』。
『記銘障害』と『記憶障害』が重なった非常に稀有な状態だと言う。

梓「記銘、ですか? それは、その……記憶と、どう違うんですか?」

律「一言でいうならノートとエンピツだな。
 記銘はエンピツ――つまり記憶に書き込む力。
 記憶はノート――つまり記憶を保存しておく力。
 唯はさ、書き込んだノートを忘れてきちまうんだよ」

 こいつ、おっちょこちょいだからなぁ。なんて、冗談っぽく言う部長――
律先輩の説明は、とても滑らかなものだった。
 これまで何度も、違う人の前で、同じような説明をしてきたのだろう。
ポイントだけ狙い撃ちにして、余計な部分をそぎ落としたそれは、なるほどわかり易い。
 けれど――冗談めかした言葉と声色は、今にも泣きそうな顔と不釣合いすぎた。

紬「お医者様は、『完治は難しいだろう』って。
 私たちと知り合ったのは去年のことだから、ある程度は覚えているんだけど。
 新しいことが覚えられないから、大切な事はメモに残して持ち歩いているの」

 ムギ先輩が語ったのを最後に、沈黙が場に横たわる。
唯先輩が小さく身じろぎした瞬間、カサリ、と乾いた音がした。

 澪先輩が、俯いて呟くように漏らす。



27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 22:56:00.39 ID:PRAHzYyI0


澪「初日に伝えてなくてごめん。先にこんなこと言っちゃうと、
 もう誰も来てくれないんじゃないかと思って」

 隠していて悪かった、と付言する。
頭を深々と垂れ、かみしめるようにもう一度、すまない、と。
 その肩はとても小さく見えた。
律「……いや、悪意があった訳じゃないんだ。
 軽々しく口に出来る事でも無いだろ? でも、私たちも新入部員っていうんで浮かれててさ」

 律先輩が、後を引き継ぐように口にする。
 バツの悪そうな顔のまま頬を掻き、背もたれに体を預けた。
ぎし、と音が鳴るくらいたっぷりと木を軋ませてから、緩慢な動作で離す。
 机に置かれていた紅茶で口を湿らせて、私を見据えた。


律「でも、やっぱり気になるっていうんなら無理強いは出来ないんだ。うん。
 ……今日は帰ってくれていい。考える時間もいるだろーしな。明日からも――」
梓「来ますよ」


 律先輩が何事か言い終わる前に、私は待ち切れず言葉を発していた。
語尾を奪われた律先輩のみならず、



29 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 22:58:13.04 ID:PRAHzYyI0

 

律・澪・紬・唯「「「「え?」」」」


 異口同音。
 視線が一点集中しているのを肌で感じながら、私は思った。

 うん。そうだ。だって、そんな話を聞いたからって――どうだっていうんだ。

 目を白黒させている先輩方へ視線を一巡させて、いう。


梓「私は、皆さんと一緒に演奏がしたいんです。
 辛いことはあるかもしれないけど、そんなのは当たり前のことで。
 この先、苦難があったとしたら、いいえ、あったとしても。
 それって、そのときに、考えればいい事じゃないですか?」


 言い終わってから、楽観的すぎる意見だと気恥ずかしくなった。
ともすれば、タライ回しや問題の先送りと揶揄されるかも知れない。
 それでも、痛烈なくらいに思ってしまったのだ。
そんなことはどうでもいいからこの人たちと音楽がしたい、と。
 それだけは胸を張って宣言できる。決意と言い換えてもいい。

 ほとんど全員がぽかんとした顔をしていたけれど、ムギ先輩だけはくすくすと笑っていた。



30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:00:00.19 ID:PRAHzYyI0

紬「唯ちゃんと同じことを言うのね」
梓「え?」

 目を細めながら、ムギ先輩が言った。
聞き返すと、内緒話を囁く前みたいに笑う。
 すっかり中身の温くなったティーカップを取り、両手で包み込みながら、続けた。

紬「唯ちゃんはね、記憶が無くなってしまう、という話を聞いて。それでも笑ったの」

唯『あはは。これで同じお菓子が何日続いても、私は絶対に飽きないねぇ。
 ムギちゃんのおいしいお菓子が、いつでも美味しいんだよ。
 それって、とっても良いことだって思わないかな、ムギちゃん――』

 唯先輩の声で聞こえた言葉は、私の発したもの以上に楽観主義的。
『楽しいは楽しいだよ』と笑う唯先輩の姿が脳裏を過ぎる。
 ああ、この人なら言いそうだなって、納得して、苦笑いが漏れた。
ムギ先輩は唯先輩を一瞥してから、睫毛をそっと伏せた。


紬「だから――私たちは、唯ちゃんと一緒にいて、力になろう、って思ったの」


 ――――こうして、私の新生活が始まった。

 ちょっと変わった先輩たちと過ごす、放課後の部活動。
少し、いやかなり、不真面目なのが玉にキズだけど――



32 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:02:24.39 ID:PRAHzYyI0

 

 私は、ここに居たい、と。そう思ったのだ。

 そしてその日から。

 唯先輩のブレザーの内側、心臓に一番近い左胸へ、
「中野 梓 新入部員!」と書かれたシールが張られることになった。



34 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:03:29.75 ID:PRAHzYyI0

#03 微分積分、不十分。それからネコミミのこと

 翌日の事。
 教室で、唯先輩の妹でクラスメイトの平沢 憂さんに声を掛けられた。
昼休みの2/3も過ぎ、自分の机で昼食をとり終えて、人心地ついていた頃だった。

憂「――ごめんね? あのときは、無理に誘っちゃって」

 新歓のライブに付き合わせたことを、まだ気にしていたらしい。
 ソースと醤油とお米の残り香が漂う中、おずおず、といった態で切り出す平沢さん。
両手を胸元で合わせ、こちらを伺う彼女の姿は、まるで何かに祈っているようにも見えた。

梓「ううん。私、軽音部に入ることにしたから」

 ありがとう。と、そう伝えるつもりだった。
 出会いのきっかけをくれたのは、何を隠そう目の前の彼女だから。
私は着席したまま、机の横についている平沢さんに頭を下げる。

憂「…………え?」

 しかし、当の平沢さんは戸惑った様子で。

憂「え、でも。あの、お姉ちゃんのこと、知ってるの?」
梓「唯先輩の。記憶の、こと?」
憂「……知ってるんだ」

 返答はため息と一緒で、続く言葉は疑念と一緒にだった。



35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:04:57.19 ID:PRAHzYyI0

 
憂「――でも、ね、中野さん。本当に良いの?
 本当に、全部忘れちゃうんだよ。毎日、積み重ねたはずのこと、全部、なんだよ?」

 辛くないの、と、口以上に物を言う瞳が私を詰る。
 普段、人当たりよく、誰にでも分け隔てなく接する彼女の姿はどこにもなかった。
 垣間見たことのある言動と響きの不和――――平沢さんの攻撃性の由縁が、
それを向けられたことで、始めてわかったような気がした。

梓「……あなたは、辛いの?」

 口にしてから、しまった、と思った。

 当たり前だ。

 家族なのだから、誰よりも唯先輩と接する機会は多いはずだ。
忘れ続ける姉について、どんな思いを抱いているか、なんて――
私には解らないし、簡単に整理が付く問題じゃない。

 そして、きっと、だからこそ、彼女は戸惑っていて。

 混乱を面に出せず、気持ちを整える暇すら与えてもらえない環境に置かれて、
だからといって、非情に徹して切り捨ることも出来ずにいるから。



38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:06:09.80 ID:PRAHzYyI0

  
 姉のことが好きだから。

 知らない子を無理やり捕まえて、ライブを見に行ってしまうくらい、大好きだから。


 そんな場から生まれる不安、不満のエネルギー総量はいかばかりか。

梓「――――……」

 固まってしまった私の表情から全てを察したように、平沢さんは肯首した。
鈍い光を携えた瞳は以前、私を捉えて離さない。

憂「……わからない、よ。どんなに楽しくても、どんなに嬉しくても、どんなに、悲しくても。
 お姉ちゃんはそれを覚えてないの。だから――」

 平沢さんはその先を口にはしなかった。
 私はそれでもあの場所に居たいと口にしたけれど、
本当に、その思いはずっと果たされるのだろうか? 果たしていけるだろうか?
 こんなにも苦しんでいる彼女を前にして、胸を張れるだろうか。

 そう考え込みそうになった思考は、平沢さんの呟きに掬い取られた。

憂「……私ね、中野さんが羨ましいんだ」
梓「――――……え?」



39 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:09:27.60 ID:PRAHzYyI0

  
憂「あなたは、お姉ちゃんにとっていつも知らない女の子かも知れない。
 だけど私は、いつまでも妹の憂なんだよ」
梓「……それが、どうかしたの?」

 積み重ねた事を忘れてしまうことと、
その人の存在自体を忘れてしまうこと。

秤にかければ、どちらが幸福かなんて目に見えているではないか?

 白状すれば、私にだって他の先輩方や平沢さんを羨ましいと思う気持ちがある。

 せめてあと1年早く生まれていれば、と、昨日の夜何度考えたかわからない。
細めた視界の中で、平沢さんは諦めたように笑っていた。

憂「お姉ちゃんにとって、私はずっと『中学3年生』の妹なんだよ?」
梓「…………っ」

 向けられた視線に、浅はかな私の抗議は根っこから刈られた。
それまで錆付いた鉄のようだった光が、冷たさと鋭さと精彩を取り戻して、一直線に向かって来る。
 彼女の内でのたうち回っている激情。その芯の部分に、いま、触れた。


 ――――それは、痛烈なまでの悲嘆だった。



40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:10:24.76 ID:PRAHzYyI0

 

憂「本当ならね、私もお姉ちゃんの部活に入りたかったんだよ。
 でも見学しにいった初日にね、お姉ちゃんったら慌てながら言うの。
『どうして憂がここにいるの? 中学はどうしたの、憂!?』って。
 困っちゃうよね、私はとっくに高校1年生で、お姉ちゃんの後輩なのに。
 ――――時間が経てば経つ程、『妹』と『私』は離れていっちゃうんだ。
 私、妹なのに、お姉ちゃんを置いていっちゃうんだよ?」


 息継ぐ間もなく言いのけて、平沢さんが一歩パーソナルスペースへ踏み込んでくる。
何事かとざわつき始めた教室の空気を認識しながら、
彼女の抱える傷をむざむざ暴いてしまった事に深い羞恥が残った。
 平沢さんの瞳は一片の曇りもなく、ただ昏い。

『あ、あれ平沢さんじゃない? 同じクラスの。……なんか、困ってるっぽいね』

『でも見学しにいった初日にね、お姉ちゃんったら慌てながら言うの』

 部室の扉を覗いた時、何やら困ってる様子であたふたしていた彼女の姿。

 それが、今の発言と繋がった。

梓「……っ」

 もうたまらず、息を呑んで視線をずらしてしまった。私は、結局、逃げたのだ。



41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:11:55.61 ID:PRAHzYyI0

 平沢さんは、臆病者が竦んだのを敏感に感じ取っていた。
刀を納めるように瞼を伏せると、眉根を下げながら申し訳なさそうに笑う。

憂「……あはは。ちょっと気持ち悪いよね。ごめんね、中野さん」
梓「う、ううん。私の方こそ、ごめん」

 緩慢な動作で首を降り、謝罪する。
備え付けのスピーカーからチャイムが鳴り響いたのはその時だった。
それがタイムホイッスルの変わりか、リングに投げられたタオルかはあいにく判別がつかない。

 私達はもう一度、お互いに謝罪の言葉を交わしながら別れる。
張り詰めていた空気は霧散して、教室にはいつの間にか温度と平穏が舞い戻ってきていた。
 数学を受ける準備を各自で始めて行くクラスメートを背景にして、
あめ色のポニーテールが揺れながら遠ざかっていくのを、複雑な心境で見送る。



「あー、もうチャイムが鳴っているだろう。各自席につくよう」

 それからややあって、教室の扉が音を立てて開いた。
出てきた若い男性の数学教師は、紺色の薄い本を脇に挟みながら教壇に立った。

「さて、今日の授業だが、君たちは約数について覚えているかな?
 数字を割り切れる数字のことだ。6なら、1と2と3と6がこれにあたる。
 ではこの数字、220と284だが、これは共に助け合い、支えあう数字――友愛数と呼ばれている。
 何故かというと、不思議なことなのだがこの約数は――」



42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:14:05.38 ID:PRAHzYyI0

 
『唯先輩』『ノートとエンピツ』『平沢さん』『けいおん部』『75分』。
 色々な事を考えて。ぼんやりと、先生の話を聞いていた。

その時先生が口にした二つの数字が、なんとなく気になった。
 広げただけのノートに220と284とだけ書き出して、
書き出すことが出来たのは、自分がその数字を覚えているからだと気がついた。

 『記憶』。

 覚えること全てを忘れてしまうというのは、どんなものなのだろう――?


       /

唯「……えっとー」
梓「新入部員の中野梓です。よろしくおねがいします!」

 放課後、部室へ赴くと先輩方はもう既に勢ぞろいだった。
こんにちは、と挨拶しながらソファーにカバンを置き、自分に割り当てられた席へ座る。
 唯先輩の心象としては、私は突然の乱入者だろう。
戸惑った様子の彼女に、明るく笑いかけながら宣言する。

 彼女は、また当然のように私の事を忘れていた。

 でも、それはもう、わかっていたことだから。
私は私に出来ることをやろう、そう決めた。なら、辛いなんて今更思えない。



43 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:16:07.89 ID:PRAHzYyI0

律「おぉ! 元気いっぱいだな。それじゃ早速――」
梓「練習ですか!」
律「お茶にしようっ」
梓「……えぇっ!?」
 
 身を乗り出していた肩から崩れ落ちた。
その様子を見ながら、律先輩は楽しげにケラケラ笑う。
 能天気な人だなぁ……。とジト目になっていると、いつの間にかテーブルにはティーセットが並んでいた。
まるでこれが通常の姿であるとでも言うように、律先輩は椅子の上に胡坐をかいて紅茶をすすっている。

梓「――あの、音楽室でこんなことして、大丈夫なんですか?」
律「だいじょーぶだいじょーぶ。心配すんなー」

 言葉の響きが軽すぎて、ちっとも大丈夫には思えない。
少し肩身の狭い思いをしていると、扉を開けて先生が姿を現した。
 ホワイトスーツに橙色のインナー。
スカートからスラッと伸びた両足、蜂蜜色のストレートロングの髪に、細い楕円フレームの眼鏡。
 キャリアウーマンのパブリックイメージに手足が生えて歩いてるみたいだった。
でも、眼鏡の奥に仕舞われた眼精は穏やかで――あ。そうだ、音楽の山中さわ子先生。

梓「あ」

 先生はつかつかと歩いてきて、椅子に腰掛けた。
おしとやかな大人の女性像そのものな先生は、やはりというべきか新入生の間でも評判がいい。
 そういう類の情報網において、最末端の私でも存在を耳に挟んだことがあるくらいだから、
その人気ぶりたるや相当なものなのだろう。



44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:18:00.54 ID:PRAHzYyI0

 山中先生は机の上に両肘をつきながら、
疲れた、と大袈裟にため息を吐いてみせる。ムギ先輩が席を立った。

梓「……あのっ! あの……これは……」
さわ子「私ミルクティーね」
梓「えぇっ!?」

 この人も。私か? 私がおかしいのか?

 はーい、と間延びした返事をしながら、ムギ先輩は笑って
食器棚(どうしてあるの!?)から新しいポットを取り出している。

 夕暮れ時にふさわしい、穏やかな時間の流れだった。
うん。でも少なくともけいおん部の日常の一コマでない。……ないよね?

さわ子「顧問の山中さわ子です。よろしくね」
梓「よ、よろしくおねがいします」

 はあ……綺麗な人だなぁ……。
部員のみんなは、当然のようにお茶とお菓子を口にしつつ雑談に興じていた。


 …………ここ、軽音部だよね…………?



45 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:20:09.69 ID:PRAHzYyI0

 で。
 満杯に入れられた紅茶が、すっかり冷めてしまう位の時間が流れて、現在。

梓「……あの、なんですか、これ」
さわ子「ネコミミだけど?」

 しれっと答える山中先生。
2杯目はストレートにしたらしい。カップの中の紅茶を優雅にくゆらせていた。
 ひくつく口元が、最初に抱いた印象が崩れていくのを伝えていた。
脳内ではデマゴークの危険性についての論議が白熱している。
 私の視線は、机の上へ落ちていた。
黒カチューシャの上に、ファサファサした毛並みの三角がついているソレ。


 ネコミミ。いやでも何故にネコミミ。

 これはお茶会もたけなわの内から、山中先生が嬉々として取り出してきたものである。
かろうじて動く口先で、私は先生を見る。

梓「いえ、それは、わかるんですが。これを、どうすれば……」
さわ子「…………ふっふっふっ」
梓「ひぇっ!」

 妙な笑い声と共に先生は私の背後へと回り、肩をつかんだ。
柑橘系のコロンの香りが鼻先をくすぐるが、
ぞわわわわっ、と大量の毛虫が割拠して背筋をせり上がって来るような悪寒が走る。



46 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:21:12.69 ID:PRAHzYyI0

 
 だらしなく椅子に座っていた律先輩が、その様子を見ながらひらひらと手を振った。

律「あぁ、だいじょぶだよ。軽音部の、儀式みたいなモンだから」
梓「何の儀式ですかぁ!?」

 声量を上げて叫び、掴まれた手を振りほどく。身を両腕で庇うようにして、先生を睨む。
しかし目の前の悪代官は、下世話な笑みを浮かべながらネコミミを手ににじり寄ってきていた。
 効果なしッ!?

 まさか、良いではないか、とか言い出さないよねこの人!?

さわ子「――もう。恥ずかしがり屋さんねぇ」
梓「当たり前です! 先輩方だって恥ずかしいですよね!?」

 ――振り向くと、和気藹々とネコミミを着けて話し合う姿が。


 え。えぇー? あれ? 私がおかしいの?


さわ子「んっふっふっふっ、良いではないか良いではないかー」
梓「この人言ったぁ!?」

 ぎょっとしていたら、唯先輩が近くに寄ってきていた。



47 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:22:34.93 ID:PRAHzYyI0

 
唯「はい。次、梓ちゃんの番」

 そう言って、ネコミミを差しだしてくる。

 受け取り、手にとって、思案顔。
これはなんだ。いやネコミミだけど。それはわかってるけど。
どうするの。着ける。本当に?
恥ずかしい。でも。どうしよう。見られてるし。

 細切れの思考は、プライドと実行の間をゆらゆら反復していた。
頭がこんがらがりそうになって、ううっと呻きながら、なんとか頭に載せてみる。

唯「わぁ――――!」

 酷く恥ずかしい。

律「おぉ――――!」

 歓声が上がっている。

 現実から逃避したくて俯くと、その姿も肴にされる。なんという悪循環……。
 板張りの床を眺めながら嘆息を漏らすと、視界の端にローファーと黒タイツが見えた。
顔を上げると、私にネコミミを渡した唯先輩がいる。
 沈み込んで行く気分を掬い上げるように、先輩は優しい声色で話しかけてきた。



48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:23:55.69 ID:PRAHzYyI0

 
唯「すごく似合ってるよ、梓ちゃん」
さわ子「私の目に狂いは無かったわ」

 椅子に腰掛けながら長老みたいにうむうむ頷いている人は放って置く方向性で。

梓「……ううっ」

 先輩の励ましは心に響いたけれど、やっぱり気恥ずかしくて、
頭上に居座る違和感にとにかく落ち着かなかった。
 姿見があったら椅子で叩き割っていたかも知れない。

 先輩たちは一様に顔を見合わせながら、示し合わせたように一笑した。
そこには私がまだ立ち入れない絆の存在が確かにあって、私に孤独を教えてくれる。

 律先輩はくしゃりと、ムギ先輩と澪先輩はふわりと上品に笑い、
唯先輩は幼子のような無垢な笑顔で笑っていた。
 そして、せーの、の掛け声もなく、

律・澪・紬・唯「「「「軽音部へようこそ!!」」」」
梓「ここで!?」

 割と訳がわからなかった。
 けれど彼女たちが精一杯歓迎してくれているということは伝わってきて。
張っていた肩が落ちて、気持ちが幾分かほぐれてしまった。苦笑が漏れる。



49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:25:28.80 ID:PRAHzYyI0

 
唯「うぅーん、梓ちゃん、かわいー」

 そして、唯先輩が抱きついてくる。

律「ニャーって言ってみて! ニャー! って!」

 律先輩がそんなことを言った。

梓「……に、にゃぁーっ」

 唯先輩に抱きつかれながら、素直に要望に答えて
(上目遣い+猫の手までして)しまったのは、
歓迎の言葉のお礼だったのかもしれない。

 ……サービスしすぎた、と思わないでもないけどね。

 ああ――だとか、感嘆の言葉を漏らす先輩方だった。
 その中にあって、黙ってぶるぶる震えていた唯先輩は、
その震えが最高潮に達すると同時に腕の力を強めた。

梓「ふにゃ……っ!?」
唯「あだ名は、『あずにゃん』で決定だね!」

 ……なんなんですか、それ……。



50 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:26:30.98 ID:PRAHzYyI0

私の髪がくしゃくしゃになるのも構わず、頭を撫で回しながら先輩は言った。
先輩の接し方はとてもフィジカルで、揺れる頭と視界。

 ヒューヒューと律先輩が遠巻きに囃し立てる。
澪先輩が嗜めているけれど、効果は薄そうだった。
 強い光が一度、二度と瞬いたのが見えて、驚いてそちらを見れば、
ムギ先輩がカメラのシャッターを高速で切っていた。…………えぇ!?

梓「っー!」

 これ以上絡まれるのは流石に堪えると、私は猫耳を外して距離を取った。

唯「これを使えば、とっても可愛い後輩が、梓ちゃんが、もっと可愛くなるねぇ」

 先輩は笑いながらそういって、お菓子のくずが散らばったテーブルの隅へ、
角ばっていて、無機質な――先輩にはちっとも似合わない――真っ白いシールを貼ると、
胸元からピンク色のペンとり足して不細工なたぬきのイラストを書いた。

『あずにゃん』。

 ……訂正。
たぬきじゃなくて猫のつもりらしい。
書き終わったそれを満足げに眺めてから、唯先輩はまたこちらへ寄って来た。



52 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:28:22.83 ID:PRAHzYyI0

唯「ね、ね、ね。あずにゃんのこと、もっと教えてよ!」
梓「……中野梓、1年2組。東中出身で、ギターを少々。誕生日は11月11です」

唯「うお、すご。ゾロ目なんだね。11、11ね。んんー……」
梓「どうかしました?」

 データだけを簡潔にまとめて言うと、先輩は最後の数字に食いついてきた。
誕生日ではなく、その数字について言われたのは初めての経験だ。
 先輩は腕を組んで軽くうねると、素朴な感想を告げてきた。


唯「11ってフシギな数字だよね。いっぱい友達はいそうなのに、ひとりぼっちな感じもする」

 あー、と言葉を濁して、私はその数だけが持っている特別な意味を口にする。
自分に関係するということもあってか、よく覚えていた横文字の言葉。

梓「すべての桁が1である数をレピュニット数って言うんです。1,11,111……」

 滑り出しが堅苦しすぎる私の話に辟易する様子もなく、先輩は目を輝かせた。

 自分の記憶に関して、先輩はどこかで負い目を感じているのも確かだろう。
なるべく私にそういった心苦しさを感じさせないよう、努力しているのかもしれない。



53 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:29:22.32 ID:PRAHzYyI0

梓「ちなみに、レピュニット数を用いた計算で面白いものがあるんです。
 111111111×111111111はですね――――」

唯「12345678987654321……あ、すごい! 綺麗な形だねぇ!」

梓「……なんだ、唯先輩、知ってたんですか?」

唯「ううん、暗算しただけだよ?」

律・澪・紬・さわ子・梓「「「「「すげぇ!!!??」」」」」
 

 ――かくして、その『あずにゃん』シールは、
左胸のシールのすぐ横に張られることになったのだった。

 忘れちゃダメだから、と、こちらが引いてしまう程の真剣味で、
猫もどきのイラストが書かれたシールをワッペンのように胸元へ貼ろうとする
唯先輩を全力で止めたのは、その余談だ。



54 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:30:19.87 ID:PRAHzYyI0

#04 U&I和(ゆーあいかず)/〔220,284〕〔14228〕

 それから三日後の放課後だった。
自己紹介、抱きつかれのルーティンワークをこなして、お茶を飲んでいた
(これにあまり抵抗感を抱かなくなっていることを自覚した時は、大いに戦慄した。)時のこと。

?「ちょっと律! 新歓の講堂使用申請書、またミスがあったんだけど」

 叱咤の声で扉が開いて、茶色いショートヘアで
赤いアンダーリムの眼鏡が理知的な女生徒が入ってきた。
 棒タイの色から察するに、上級生だ。

唯「あ、和ちゃん」
和「…………唯」

 その先輩の姿にはなんとなく見覚えがあった。
たしか、生徒会役員の人だったか。唯先輩と知り合いなのだろうか?
 それにしては、目を伏せて、視線を手元の書類へ逸らして――返答もあまりにそっけない。
小さく手を振ろうとしていた形で、笑顔が氷ついたまま唯先輩が固まった。

律「あー、はいはい! 書類、書類ね! えーっと、なんだって?」

 わざとらしいくらい大きな声で、律先輩が割り込む。
立ち上がり、入り口付近で立ち尽くしているその人の方へ歩いていくと



55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:31:45.21 ID:PRAHzYyI0

 
和「あ、ああ。そう、ここのところなんだけど……」
律「うぇー。なんとかならないかなー、だいたい終わったことじゃ――」

 二人は少し話しこんで、ノドカ、という先輩は部屋を後にした。
――最後まで不自然なくらい、唯先輩とは目を合わせずに。

梓「……唯、先輩?」
唯「あ、うん。今のは和ちゃんって言って、私の幼馴染、なんだけど」

 少しずつ、声が小さくなって震えていく。
先輩は痛みを堪えるように俯くと、膝のスカートをきゅっと握り締めた。


唯「私が、ばかになっちゃったから、のどかちゃんは、きらいになったの、かなぁ」


 ぽたり、と、俯いたままの顔から雫が落ちる。
堪えきれずにとうとう泣き出してしまった。
ムギ先輩が、傍らから撫でるようにしてなだめている。

澪「……どうせ、しばらくしたら忘れるさ」
律「澪っ!!」

 それを見ながら吐き捨てるように口にした澪先輩と、叫ぶように諌める律先輩。
 ……私は、何かを考える前に矢も盾もたまらず駆け出していた。



57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:37:08.61 ID:PRAHzYyI0

 
律「あ、おいっ、梓!?」

 背中で律先輩の呼び止める声を聞きながら、引っつかんだドアノブ。
蝶番が、心の軋みを代弁するようにキキィと鳴いた。
 使命感とか義務感ではない何かが、心の中で生まれた瞬間だった。
それが一体何なのか考える暇もなく、この体ははじき出ていたけれど。

 ――――そして、件の和先輩は階段の踊り場に立っていた。
私は彼女の後姿を睨め付るように見下げながら、問う。

梓「あのっ! なんで、唯先輩の事、避けるんですかっ」
 
 こちらを見上げたその瞳は、思っていたよりも、酷く――泣きそうなもので。

和「あなた、新入部員? ……そう。勘違いしないで。別に避けてるわけじゃないの」

 和先輩は震える声で言って、私から視線を逸らした。

 場に沈黙が落ちる。

 私は愕然とした。
――これは、何て、弱弱しい姿だろうか。
振り上げた拳の降ろし所が解らないというのは、こういうことをいうのだろうか。
 橙色をした放課後の空気だけが、この重苦しい場を自由に漂っていて、
音楽室からは、何の音も聞こえてこなかった。



58 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:38:33.55 ID:PRAHzYyI0

 
和「――私に、あの子の隣にいる資格なんてないのよ」

 和先輩は自嘲気味に笑い、滔々と語り出した。

和「私ね、あの子が高校に入っても、また同じような日々の繰り返しだって、信じてたの。
 気がつけば唯が隣にいて、頼られて、しょうがないわねって笑って、世話をして」

 階段の手すりに置かれている銅像の亀の甲羅を撫でながら、続ける。

和「でも、けいおん部に入って、やりたい事を見つけて、熱中して――
 どんどん私を置いて輝いていく唯を見るのは少し寂しかったけど、
 そんな風に成長していくあの子が、とても誇らしかったのに」

 私という穴を通して、どこか遠い風景を見ているような目だった。
吐き出される懺悔を聞き届ける人は、私しかいない。

和「唯がああなったって知った時、一瞬、嬉しい、と思ってしまった。
 これから積み重ねる事のないあの子が、また私を頼ってくれる。そう思った。
 ……最低でしょう?」

 一息に口にすると、そのまま階段を下りて行ってしまう。
私は、何も言い返せずに、また追うことも出来ずに立ち尽くしていた。



59 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:40:43.66 ID:PRAHzYyI0

 
?「梓」

 背中にかけられたのは、穏やかな声。

梓「……りつ、せんぱい」
律「あー、悪い。立ち聞きするつもりはなかったんだけどな」

 ばつが悪そうに頭を掻きながら、扉に寄りかかっていた律先輩は
一歩一歩、踏みしめながら階段を降りてくる。

律「和のこと、あんまり責めないでやってくれよ」

 悪戯を咎められた子どものような顔つきだった。

梓「…………」
律「それぞれにやっぱこう……後悔って奴があるんだよ。
 ――私だって、あの時。唯を助けられてたら、もしこの手が届いていれば、って、思ってる。
 私は部長で……ううん、唯の友達だから」

 それは、魅力的で、苦しい仮定だ。
 もし、ああしていたら。なんて。――第一、そんなこと。

梓「……エゴですよ、それは」

 今の唯先輩を、否定する言葉じゃないか。



60 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:42:27.36 ID:PRAHzYyI0

 
梓「勝手なんです。みんな。全部全部、自己完結して、勝手に落ち込んで。
 唯先輩の気持ちも聞かずにそんなこと思って、離れて、それで傷つけて!
 そんなの、ただの自己満足じゃないですか!?」

 癇癪を起こした子どもみたいに私は叫んで、律先輩に詰め寄っていた。
何故こんなにも必死になって食いかかっているのか、わからなかった。
自分では抑えきれない激しい感情のうねりがお腹に渦巻いている事だけが確かだった。

律「――――中野」
梓「っ!?」

 三度目の呼び声は、とても静かな声。
底冷えするような声色と瞳で、律先輩は私を見下ろしていた。

律「忘れたのか? アイツは、唯は覚られないんだぞ……?
 許しを貰ったって、75分後にはそれをアイツは覚えてない。覚えてるのは私だけだ。
 そんなの、それこそ自己満足じゃないのかよ!? それなら、それならさぁっ」

 いっそ私たちも、ぜんぶ忘れちまえって思う気持ちは、間違いか――?

 最後は消え入りそうな声でもって、感情を辛そうに吐き出す姿。
――今の私には、彼女たちの「痛み」を、否定できる言葉がなくて、
何も言い返せず、黙り込むしかなかった。



61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/18(月) 23:44:38.82 ID:PRAHzYyI0

梓「…………」
律「――でも、いや、だから、かな。
 お前がけいおん部に入ってくれて、『私たち』はホントに助かったんだぜ?」

 律先輩は、固まった空気を解すように、軽い口調で言う。

律「あんなでもさ、やっぱりその、パニくる時とかあんだよ。泣き喚いたり」

 信じられない、というような顔でも私はしていたのだろう。
彼女はそこまで楽しそうではないにしろ、笑ってみせた。

律「でも梓が来るとそれがピタっとおさまるんだ。
 後輩の前でそんなみっともない姿を見せらんねーって思うんだろうな。……おかしいよ、ホント」

 放物線を描くように徐々に落ちていった彼女の視線を、誰が責められるのだろうか。
 能天気な人だなって、幾度となく思った。
だけど、律先輩にしろ、他の先輩方にだって、苦悩がある。痛みがある。
 それを私は否定出来ないけれど――やはり、気に入らなかった。


梓「ねぇ、律先輩。提案なんですけど――」

 どうやら唯先輩の中では、後輩は絶対に愛さなければいけない、という公式があるらしい。
たとえ自分の状況に折り合いがつかないような場合でも、私がいるだけで先輩は先輩足ろうとしているそうだ。
 なら、きっと。たくさんある唯先輩の公式の中で、『友人』に関するものも、あるはずで。

 目の前の小心者に、それをなんとしても教えてあげなくちゃって私は思った。



67 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/19(火) 00:02:14.64 ID:XSmVuVtF0

      /

?「何なのよ、律。用事って」
律「いーからいーから!」
?「待って、っ、押さないでって。……貴女、何か企んでない?」

 翌日、律先輩は半ば無理矢理『彼女』を部室に呼び出していた。
私が昨日、階段で頼んだことで、律先輩は渋々承諾してくれたことだ。
 部室には、まだ私と唯先輩の姿しかない。
澪先輩とムギ先輩は、掃除当番で遅くなる。勿論、それを予め聞いた上での作戦だった。

律「ほら、入った入った!」
?「ちょ、ちょっと――」

 例の『挨拶』を一通り終えて、部室のソファーに並んで腰掛けながら
唯先輩が歪な猫の落書きをするのを見ていた時、扉が開いて、

梓「律先輩!」
律「おう。連れて来たぞー」

 私は跳ねるように立ち上がり、そちらを見やる。
肝心な所はちゃんと決めてくれる部長は、彼女の肩に手を置いて、背後から押し出すようにして入ってきた。
 彼女といえば驚いた顔でこちらを見ると、背中にいる律先輩へ、恨むわよ、と小さく漏らす。



68 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/19(火) 00:04:22.94 ID:XSmVuVtF0

 
唯「和ちゃん!」
和「唯……」

 唯先輩は昨日と同じように、全身から歓迎の念を表して、
一方の彼女――和先輩は昨日と同じように、気まずそうな顔で視線を逸らしている。

 ――でも、それじゃ駄目だ。
 条件を一つ加えて、証明可能にするように、私は促した。

梓「先輩。……話したいことが、あるんじゃないですか?
 話さないと伝わらないと思うんです。お二人とも、友達、なんですよね?」

 まだ証明が得られていない命題はすべて未解決問題であると、心の中で唱える。
それに、すれちがったままは、悲しいから。

 例え唯先輩が忘れてしまったとしても、積み重ねたことは、きっとそこにあるんだって思う。

和「…………」
唯「和ちゃん?」

 ここまでお膳立てされると、和先輩も流石に観念したらしい。
唯一の逃げ場である出入り口も、律先輩によって封鎖されている。
 私を親の敵のように見ていた厳しい眼差しから、ふっと力が抜けていって。

和「…………唯、」

 迷子のような弱弱しい声が、唯先輩を呼んだ。



69 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/19(火) 00:06:57.31 ID:XSmVuVtF0

 
和「ごめん。私、とても――とても酷い人間なのよ。
 唯が記憶を保てなくなって、それで、また私を頼ってくれるって、そんなことを考えてた」

 眼鏡を外して胸ポケットへ直し、彼女はためらいながらも、唯先輩へと歩み寄っていく。
震える手が、部室のソファーに座っている唯先輩へと伸びて――止まって、落ちる。

和「こんなことを考える私には、唯の隣にいる資格なんてないんだって、そう考えて。
 だから唯から逃げた。こんな酷い私を見せたくなかった。
 ……ううん、これだって言い訳。わたしは、ただ、怖かったのよ」

 唯が映す自分の姿が、酷く恐ろしくて、醜くて、逃げてしまいたかった。

 罪の吐露は、胸を押しつぶす言葉と涙を伴っていた。

和「ごめんなさい、唯。――本当に、ごめんなさい。
 わたし、ずっと唯の親友でいたのに、たいせつ、なのに、
 それなのに、わたしっは、唯、ごめん、ごめんね、ごめんなさい――」

 ごめんなさい、ごめんなさい。

 抉り出した傷から、次々と溢れて出る謝罪の言葉。
 頬に流れて落ちていく涙は止め処なく、このまま血まで涙にして
干からびてしまうのではないかと見ていて心配になる程だった。

 一体どれほどの苦痛と、どれほどの苦しみだったんだろう。

 親友の姿を、自分自身を否定しながら、積み重ねてきた重みは。
両手で何度も何度も頬を擦って、それでも涙は止まらなくて、嗚咽が漏れて。 
 その姿は、やはり迷子の子どものように頼りなく、弱弱しかった。



70 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/19(火) 00:08:00.70 ID:xfXMXQk10

 
唯「――ねぇ、和ちゃん」

 唯先輩は、ソファーから立ち上がって

和「…………っ」

 和先輩と向かい合うと、お腹からぐるっと腕を回して、抱きついた。
胸元に耳をつけると目を閉じて、あやす様な甘い声で言う。

唯「私と和ちゃんはね、220と284なんだよ」
和「……え?」

 唯先輩が口にしたのは、どこかで聞いたような覚えがある数字だった。
そう古い記憶ではない。ほんの一週間ほど前、数学の先生が授業の中で言っていた――

梓・和「「友愛数……」」

 唯先輩に抱きつかれたまま、固まっている和先輩と同時に呟いていた。


唯「220の約数って、1、2、4、5、10、11、20、22、44、55、110。ぜんぶ足したら284だよね。
 284の約数は1、2、4、71、142――ぜんぶ足したら、220。
 220の中には284がいて、284の中には220がいるんだ」

 すらすらと、まるで何かの呪文のように約数が唯先輩の口から紡がれていた。



71 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/19(火) 00:11:12.03 ID:XSmVuVtF0

 
梓「――――――……」

 初めてレピュニット数について話した時にも驚いたが、今回のことで一つ確信した。
 数字と向かい合うとき、唯先輩には躊躇いがないのだ。
 真摯で、心配りに溢れ、親愛の情に富んだ姿勢でもって向き合うその姿は、
気心の知れた友人とじゃれ合っているかのようであり、
初めての客人を諸手を上げて歓迎しているようでもあった。
 数学的なセンスの煌きを見せながら、先輩は腕の力を一層強めて言う。

唯「怖かったのは私もなんだよ、和ちゃん。
 こんな私と、和ちゃんはいっしょにいてくれるのかなって、一番最初に思ったんだよ?
 きっと、これまでも、これからも。私が思い浮かべるのは、和ちゃんのことだと思う。
 ばかになっちゃった私なんか嫌になって、愛想尽かしちゃうんじゃないかなって」

 友愛数は、約数という強固な繋がりで共に支えあって存在している。
 それは『数字』という概念がこの世に誕生した瞬間から決まっていることで、
これから何があっても変わることのない絶対的なものだ。
220は284に、284は220に寄り添うようにして、膨大に広がる数字という砂漠の中で抱きしめあっている。

 そう、まるで――あの二人のように。

唯「でもね、和ちゃん。和ちゃんはいつだって、
 ずっと、わたしの、大切な、幼なじみなん、だよ……?」

 感極まって、唯先輩の瞳から涙が流れた。
言葉を詰まらせながらも、一つ一つの言葉を想いで包みながら伝えている。



74 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/07/19(火) 00:12:25.59 ID:XSmVuVtF0

和「唯――」
唯「ごめんね、和ちゃん。和ちゃんが苦しんでること、わからなくて。ごめんねぇ――」

 ぐじゅ、と鼻をすする水音が聞こえた。
 私だけそちらを見ると、扉の前で弁慶のように仁王立ちしていた律先輩が貰い泣いている。
視線は二人から逸らされることなく、真っ直ぐとそちらを見ていて。
 
 作戦は、大成功といえるだろう。

 涙でぼやける自分の視界の中、私は小さく微笑んでいた。
 
和「違う、それっ、違うわよ、謝る、のは、私のほう、なのっにぃ……」

 力強く首を振って、和先輩が――やっと、唯先輩の体に腕を回した。
もう何があっても放さないと体言する頼もしさで、先輩を抱きしめ返している。

 放課後のオレンジ色の中、宙を舞う埃が夕日を浴びてキラキラと輝いていて。
まるで、黄金色の宇宙を漂っているみたいだった。

 ―――その日以来、唯先輩のシールがまた一つ増えた。

 「U&I和(ゆーあいかず)。たいせつなしんゆう」。




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唯「ギー太の愛した数式」#前編
[ 2011/07/19 17:56 ] 非日常系 | 博士の愛した数式 | CM(0)

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