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唯「あずにゃんが横浜のドラフト1位!?」憂「クライマックス!」#いちごアフター 【スポーツ】


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唯「あずにゃんが横浜のドラフト1位!?」

唯「あずにゃんが横浜のドラフト1位!?」憂「クライマックス!」#前編
唯「あずにゃんが横浜のドラフト1位!?」憂「クライマックス!」#後編
唯「あずにゃんが横浜のドラフト1位!?」憂「クライマックス!」#いちごアフター
唯「あずにゃんが横浜のドラフト1位!?」憂「クライマックス!」#けいおんメンバーアフター




118 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/23(土) 22:22:01.57 ID:VF8gd5KX0

宣言から三日も立ってしまいました。
まず『いちごアフター』から書いていきます。

いちごは好きなモブキャラなので、今までのテンションとは違った感じで書いてみようかと思います。
ノリを変えるのもどうかと思ったんですが、たかがSS。ご容赦ください。





119 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/23(土) 22:28:48.39 ID:VF8gd5KX0

若王子いちごはベンチに腰掛けていた。
冷たい秋風が吹きこむダグアウトの中から、
彼女の所属する楽天イーグルスの敗戦模様を眺めていたのである。
彼女はスターティングメンバーに名を連ねていたが、七回にレフトの守備を替えられた。
それまでは、2打数1安打1四球。決して悪い成績ではなかった。

『ゲームセット!』

審判の声は、ずいぶん遠くで響いたように感じられた。

結果は、スコアボードを見るまでも無かった。
相手チームの抑え投手の前に、自軍の最後の攻撃は、三人であっさり終わった。

周囲に座っていた選手たちは一斉に重い腰をあげ、自分の荷物を抱えてベンチ裏へと消えていった。
ある者がつぶやいた。
「残念だったな」
それを聞いた誰かもまた、誰に言うわけでもなくつぶやいた。
「最後の最後で最下位転落か」

シーズン最終戦、ホームスタジアムでの試合。
イーグルスのシーズンはこれで終わった。
客席からはもはやため息も聞こえてこない。

いちごの背中を撫でた一陣の風は、ひときわ冷たかった。



120 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/23(土) 22:44:13.25 ID:VF8gd5KX0

「ふぅ…」

ロッカールームで、髪をほどきながら一息ついた。

いけない。

自分のこの細くゆっくりと息を吐く癖は、自分ではリラックスをしているだけなのだが、
いつも家族や友人からは、「不満があるように見える」と言われてきた。
今はそれが一番いけない。

「あっ」
内村が慌ててイスに放り出されていたスポーツ新聞を隠した。
だが何が書かれているかは、ずいぶんと前から知っている。

『楽天 若王子 怠慢プレーでチームに亀裂!?
        お姫様から一転チームのやっかい者に ―ある選手は語る―』



121 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/23(土) 22:58:45.89 ID:VF8gd5KX0

こういう報道が、ここ二三日でやたらと増えた。
それにつられてか、試合中のヤジもそれに関するものも多くなった。
どんなに歓声が大きくても、そういう声は不思議と耳に突き刺さる。
それが辛いと感じたことは無い。
ただ、なんとなく寂しかった。

「気にすることないよいちごちゃん」

「こんなん恒例のことや。本当やったことは一度もあらへん」

「こういうのは売上欲しさにデッチあげてるもんだよ」

チームメイトはいつもそう言ってくれる。
その言葉が嘘とは思わない。
だが彼らの気遣いは、少しだけいちごの胸をしめつけた。

加えて、報道が始まって数試合での起用も気にかかる。
初めてスタメンに抜擢された時はフル出場出来たのに、最近は途中交代ばかりだ。
それはヤジに晒さない監督の心遣いなのかもしれない。
でももしかしたら、それとは全然反対な意味をもったものなのかもしれない。

(ま、気にする必要ないし。)

物ごころついた時から、いちごはあまり悩まないことにしている。
けれどこのところのゴタゴタは、彼女の心に、ぬぐいきれない影を落としていた。

(今日もあの公園でランニングしよう)

他の選手たちとは違う場所に用意された女子更衣室で、
寒さの割に肌にべっとりとついた汗をぬぐった。



122 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/23(土) 23:16:21.24 ID:VF8gd5KX0

夜の公園は樹木が熱を吸うようで、しんと冷たく静まりかえっている。
虫の声はそこかしこで聞こえるのだが、不思議なことに虫の鳴き声は静寂を引き立たせる。
落ち葉を食べた黒い土の匂いがほのかに薫る。

そんな夜の真ん中で、唯一自分の体がかっかと火照り、
したたる汗の匂いが湿った空気に溶けていく。その感覚が好きだった。
この公園でのランニングを始めたのは数日前、それ以来毎日続けている。

「はぁ、はぁ…」

首にかけた珠飾りつきのタオルで、流れる汗を拭く。
息を吸うと、秋らしい虫の音でいっぱいの空気が自分の胸いっぱいに入ってくる。
なんだか身も心もきれいになった気がして、さあ最後の一周、とシューズのかかとを整えた時だった。

「あれ?」

誰かが大きく目を見開いてこちらを見ている。知っている顔だ。

「秋山さん…?」

ああ、そういえば今日の先発は彼女だったな、と今更のようにいちごは思い返していた。



123 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/25(月) 23:34:55.28 ID:y+gjM0Qu0

「どうしてこんな公園に?」

「え…いや、色々あって、さ。それで良い公園があるなって」

澪は少し眉を八の字に傾けて、右手に提げていた大きめなグラニーバッグを胸に抱えた。

「あ、あの、若王子さんはどうして…ってランニングだよね、そりゃ…アハハ…」

いちごはこういうタイプが苦手だ。
いや、嫌いというわけではない
ただ、こういう風に人見知りする相手とはうまくコミュニケーションが取れない。
かと言って自分が会話をリードするようなおせっかいを焼こうともしてこなかった。

けれど今のいちごは、ふいに出会ったかつてのクラスメート、
そして同じ女性の野球選手に、今までにない親近感を感じていた。
秋夜の公園の冷たい空気をこの相手と共有できたことに、何か運命めいたものさえ感じていた。

「そこのベンチ、座る?」

澪は少し驚いた顔を見せたあと、大きくうなずいた。

ベンチに張り付いていた湿った落ち葉を拾い上げ、二人は小さめなベンチに腰を下ろした。

いちごは、澪がなぜここに来たのかを尋ねた。
出来るだけ明るく話そうと努める澪の話は、要するに、
今日の試合の後に『シーズンお疲れ様&プレーオフ頑張ろう』の飲み会があったが、
酒の席は苦手で、宿舎近くの公園に避難してきた、ということだった。

「大変だね、強いチームも。、あぁ。無理して苦手な所にいる必要もないよね」

人の話を進んで聞いてあげるなんて、なんだか自分らしくないと思った。
こういうことは、もっとしっかりして、もっと元気で、もっと頼れる人がやることだと思っていた。



124 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/26(火) 00:23:34.39 ID:3jt9zNrk0

その後も、二人は話し続けた。
さやかに光る星空も、首筋を撫でる秋風も、それに揺れる草のさざめきも、
まるで意図して二人に落ち着いて話せる場所を作ってくれているようだった。

「今日の試合はやられたなぁ」

澪は子供っぽく笑った。

「フォークをあんなに綺麗に外野にもっていかれるとは思わなかったよ」
「でもあれ結局フライだったじゃん」
「いや、でも一打席目のヒットよりあっちの方が印象に残ってるなぁ」
「まぁ分かるかも。私もあっちのが収穫あった感じだったし」
「だよね!やっぱり結果よりもさ、自分の中で『うまくいったー!』って方が心に残るんだよなぁ」

あ、と思い出したように声をあげて、澪はバッグの中に手をつっこんだ。
取り出したのは、グローブと野球ボール。

「若王子さん、グローブ持ってる?キャッチボールしない?」

さっきの話ですっかり気持ちが野球に向かってしまったらしい。
だがあいにく、ランニングだけをするつもりでここに来たのだ。

「持ってない」

「そっか…」

そっけない回答にしょんぼりと肩を落とし、グローブをしまった。
その時、またもふいに澪が声をあげた。

「あ!グローブ!あれ、グローブじゃないかな?」

指をさした先にあったのは、ハクチョウゲの茂みだった。
その隙間から、確かにグローブのようなものがその姿を覗かせている。

「ほら、やっぱりグローブだ!これ、結構いいやつじゃないかな?」

すっかり野球少女の目になってしまった澪は、グローブのもとに駆けて、それを拾い上げた。
表面の土を払いながら、澪は懇願するような目でいちごを見た。
その顔は、買ってほしいおもちゃを見つけた子供が
恐る恐る親の表情をうかがっているのをイメージさせ、いちごは思わず苦笑いを浮かべてしまった。

「いいよ。しよっか」

季節外れのコハコベが、澪の顔に小さく咲いた。

「う、うんありがとう!私がこっち使うからさ!」
「私左利き用使えないから。それでいいよ。貸して」

澪から受け取ったそれは、なるほど有名なメーカーによるもので、
作りはしっかりしているし土の上に投げ出されたにしては汚れも少ない。
けれど手入れはあまりなされていないようで、痛みが激しい。
ちらと前を見ると、澪が早く投げたそうにうずうずしている。
また小さく笑みを浮かべて、子ども用のそのグローブを左手にはめた。



125 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/26(火) 02:19:05.29 ID:3jt9zNrk0


「ふう…もうこのへんにしとこうよ」

いちごはグローブを外し、汗ばんだ左手をタオルで拭きながら言った。
澪も同意したようだったので、外したグローブを元の木の影に戻す。

「ゴミ箱に入れるべきだったのかな」

自販機の前に立ってジュースの品定めをしている澪の背中に話しかけた。

「いや、元の場所に置いといた方がいいんじゃない?あそこにわざと置いてるのかもしれないし」

「そんなことするかな」

渡してくれたカロリーゼロの炭酸飲料のフタを開けながら、首をひねった。

澪が腕時計に目をやっている。自分も携帯電話の時計を見てみると、もう随分と時間が経っている。
思えば、すずしいこの場所でも汗が噴きだすほどキャッチボールをしていたのだ。
さっきまで楽しそうにボールを投げていた澪も、これほど遅くになっているとは思ってなかったのだろう。
くちびるを小さく噛んで、考えるそぶりを見せている。

「随分遅くなっちゃったな…。あんまり遅くなるとアレだから、じゃあ、私これで」

「道わかる?」

「大丈夫。すぐそこのホテルだから」

二人は少しホテルの場所について会話を交わしたのち、
それが礼儀であるかのようにアドレスの交換を始めた。

言いだしたのは澪からだった。
とりあえず澪のアドレスをいちごに送り、「好きな時に返事ちょうだい」と言うことだった。
こういう場合の「好きな時に」は、「その日のうちに」と同義であることは、
人づきあいが達者でないいちごにも分かっていた。

「それじゃあ」

公園出口、月光が澪の白い顔を照らし、彼女の柔らかな頬笑みをますます清らかにした。

「若王子さんとこんなに話せて楽しかった。また会おうね。今日は本当にありがとう!」

はじめの人見知りはどこへやら、
澪はすっかり少女の無邪気さと大人の社交性を併せ持った顔をして、滑らかな口調でそう言った。
今日のように、どんなに自分らしくないことをしたとしても、この口調は自分には出来ない、と思った。

『楽しかった。また会おうね』

きっと自分には言えない言葉だと思いながら、
いちごは、去りゆく、時折振り返って笑顔を見せる一人の女性に手を振り続けていた。

そして自分のそういう一面が――

ふっと心に浮かんだそんな言葉は、
さっきまで美しくひかめいていた月を、いつの間にか薄雲の向こうに隠してしまった。



126 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/26(火) 02:48:08.82 ID:3jt9zNrk0

次の日の夜。
いちごは今夜もあの公園で走っていた。

もう澪のチームはこの土地を離れている。
それなのに、今日も誰かがひょいと現れて、
他愛のないおしゃべりが出来るのではないか、という甘い期待が心のどこかにある。
その心持ちを、「寂しさ」と表現するのは嫌だった。
そんなものは、自分と縁遠いものだと思っていたからだ。

シーズンが終わったとはいえ、チームの寮のすぐ近くにある、
球団が用意してくれた部屋で暮らしているいちごにとっては、その人間関係からまだ離れることはできない。
今まで、女ということもあって、周囲からは特別に見られてきたという自覚はある。

けれどあの報道がされてからは様子が違う。
今までより冷たくなった――わけではない。暖かい。みんなやさしい。
その不自然な優しさが、今の自分には非常に居心地が悪い。
なんだか自分が責められているような気さえした。

『良い子になりたいの?』

心の片隅で誰かがささやく。誰だろう?分からないけれど、きっと嫌な奴に違いない。

『みんなに好かれる良い子になれば、こんな煩わしさから解放されるのに』

その言葉はぐるぐるといちごの頭の中を駆け巡っている。
もちろん今も。いや、正確にいえば走れば走るほどその声は大きくなっている。
このささやきは、まだ子供だったころに聞いたことがあった。
その時は、『別に。どうでもいいよ』の一言にふした。
この言葉が、数年の時を超え、再び蘇ってくるとは思いもしなかった。

傷を負った慣れない自分にとまどいながら、いちごは走った。

ある低木のそばを走った時、木陰に隠されるように置かれた昨日のグローブが目に付いた。

明らかに昨日自分が置いた場所とは違う。

ということはこのグローブを誰かが使ったのだろうか?

明日、見にこよう――

そう思って、いちごは額を流れる汗をぬぐい、ぐい、とスピードを上げた。



127 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/26(火) 10:50:29.08 ID:3jt9zNrk0

翌日。
昼間の公園は夜と違って人が多かった。
親子連れ、子ども達の集団、休み時間をつぶすサラリーマン。

自分が何者であるかが知れたら面倒なことになるとは思っていたが、
かといって似合わぬサングラスをかけたり暑苦しいマスクをすることの方が
よっぽど面倒だと思ったので、いつも通りのトレーニングウェア姿で散策している。

昨日グローブを見つけたあたりを見回してみると、一人の子供がうずくまっているのが見えた。
何かを抱きかかえるように、その小さな背中をますますこごめている。
4、5歳だろうか、後姿だけでは性別までは分からない。

いちごは気になって話しかけようとした。
けれど子供といえど全くの他人に声をかけるのに躊躇し、
まごついているうちに、その子の方が先に振り向いてしまった。

「あっ、おねえちゃん!」

女の子だった。
大きく黒い瞳を爛々と光らせて、まっすぐいちごの顔を見つめている。
どうやらいちごのことを知っているようだった。

「やきゅうする人でしょ?おねえちゃん」

女の子は、あのグローブを大切そうに抱きかかえていた。
なるほど、どうやら野球好きの女の子のようだ。

いちごは少しほっとした。
あのグローブの持ち主としては、最も望ましい人物に思えた。
そして、この子と話したい、と思った。

「お嬢ちゃん、野球好きなの?」

いちごは出来る限り優しくほほ笑んだ。

「ううん、キライ!」

女の子の答えは明快だった。そしていちごの予想とは全然反対のものであった。



128 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/26(火) 11:12:35.01 ID:3jt9zNrk0

いきなり出鼻をくじかれた。
ただ相手は子供。状況を整理し頭を落ちつけ、出来るだけ穏やかに言った。

「そっか。なんで嫌いなの?」

「つまんないから!」

女の子の答えはどこまでいっても明快だった。

さて、一体これから何と言うべきなんだろうか?
当たり障りのない、そして当てにならないいくつかの候補が浮かんだ。
もやもやと逡巡するうちに、女の子が言葉を続けた。

「おねえちゃんだってそうでしょ?」

「えっ?」

「いつも怒りながらやきゅうしてる」

「え…」

「ぜんぜんたのしくなさそうじゃん!」

ショックだった。
女の子の言葉は、まるでハンマーのようにいちごの頭を打ち付けた。

『若王子、怠慢プレー』『若王子、やる気無くチームのやっかい者』『若王子、和を乱す存在』

あの忌まわしい新聞の見出し達が、一斉に頭の中で踊りだした。
『怒ってる』『楽しくなさそう』
一番言われたくない相手だった気がした。一番この子に言ってほしくない言葉だったような気もした。

「おねえちゃん?」

女の子が、いちごの顔を覗きこんだ。
心配そうにいちごを見つめるその顔には、悪意なんてこれっぽっちもなかった。
それが辛かった。
知らず、いちごの口からはこんな言葉が出ていた。

「そんなことないよ」

「え?」

「野球、楽しいよ。私。野球好きだよ。ほんとうだよ」

その言葉には熱がこもっていた。
なぜ自分がこんな見ず知らずの女の子にこんなことを言ってるのか、彼女自身にも分からなかった。



129 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/26(火) 11:27:26.72 ID:3jt9zNrk0

「おねえちゃん?」

女の子は、いちごの強い語気に鼻白んで、抱えたグローブをますます強く抱きしめた。
いちごは、ひしゃげたグローブに目をやりながら言った。

「お嬢ちゃんだって、野球が好きだからそれを持ってるんじゃないの?」

途端、女の子は、肩ほどまでの髪を振り回すように、何度も首を振った。

「それじゃ、どうして?」

「…………」

女の子は首をすくめて口をとがらせている。
あまり言いたくないのであろうことはすぐに分かった。
相手の秘密を詮索するほど自分は優しい人間でもないし、
優しい人間であることをアピールしたいとも思わなかった。

「ううん、言いたくなかったらいいよ。ごめんね」

「うん」

「でも。野球は本当に楽しいと思うよ」

「…………」

女の子は眉をひそめていちごの不慣れな笑顔を見つめている。
それははっきりと疑いの顔であった。
そんな顔を晴らしたいと、いちごは強く思った。この子のために、またおそらく、自分のために。

「キャッチボールって分かる?私としてみない?」

きっと持ち主は子供だろうと思って、来る前に準備しておいたゴムボールを取り出した。
女の子はしばし考えるそぶりを見せたのち、首を縦に振った。



130 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/26(火) 17:03:51.59 ID:3jt9zNrk0

蛍光色のゴムボールが二人の間を行き来する。

いちごが時折ゴロを転がしたり、高く上に放り投げてみたりすると、
女の子もそれを追って必死にパタパタと走る。
グローブはやはり女の子には大きすぎ、まともに捕球はできないようである。
だが時々ボールがうまくグラブに収まると、その度に汗ばんだ顔でにっこり笑うのだった。
そんなことをしているうちに、あっという間に数十分が経ってしまった。

「これくらいにしとこう」

女の子はもっと出来るとほほを膨らませたが、幼い女の子ならそろそろ家に帰るべきだろう。
女の子がグラブを外して、汗をぬぐっている。
それをぼんやり眺めていたいちごは、何かを思いついたように小さく眉を持ち上げた。

「これ」

いちごが差し出したのは、ジュースだった。
女の子は一瞬きょとんとそれを見つめたが、もらえるのだと分かるとパッと真面目な顔になって頭を下げた。

「あ、ありがとうございます!」

急な敬語に、思わずつい口元がほころんだ。
きっとお礼を言うときはそうするように親御さんにしつけられたのだろう。

「家まで送ろうか」

「いい!大丈夫!」

「そ」

またはじめの快活な少女に戻ったようで、いちごは安心した。

「でも、お母さん心配してるんじゃないかな」

「いないよ!夜まで私しかいないの!」

女の子はまた明快に答えた。
聞きたいことがないではなかったが、彼女の明るさを失わせるようなことはしなくなかったので、

「そっか」

とだけ言っておいた。

「ね、今度はいつきてくれる?」

ジュースを飲みきった女の子が尋ねた。
いちごは、予定を思い出して、この時間に来られそうな直近の日を教えた。
女の子は八重歯を見せて笑った。

そうか。彼女はずっとグローブをああいう風に使って来たことがなかったのだ。
今までは、初めて彼女を見かけた時のように抱きかかえてばかりいたのだろう。
できるだけ、この時間があけられるようにしよう。それが自分の役目のようにも思えた。

「それじゃあね。お姉ちゃん、バイバイ」

女の子は手を振って、そのままくるりと背を向け、夕方になりかける街の中へ駆けだした。
木陰に残されたグローブについて言っても、大きな声で「いいの!置いといて!」と答えるばかりだ。
そのうち、彼女の幼い背中はすっかり見えなくなっていた。



131 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/26(火) 19:22:44.71 ID:3jt9zNrk0

それから、二人は時々この公園でキャッチボールをするようになった。

女の子は握れないグローブの扱いにも慣れ、
いつしかいちごの投げたボールを上手に捕まえられるようになっていた。
すると彼女の興味は捕ることから投げることへ移ったようで、
いちごの構えるグラブめがけ目いっぱいボールを投げ込むことを楽しみとするようになった。

大体はいちごの捕れる範囲を大きくオーバーして、走って捕りに行く羽目になる。
女の子はそれすら楽しいようで、
いちごが「もう」と眉を寄せてボールを追う姿を見て、けらけらと笑うのだった。
それでも女の子は投げる方でもメキメキと上達し、
いちごのグローブに、パシンと乾いた音とともに球が飛びこんで来ることも多くなってきた。

うまくなっていく姿を見ることが楽しいと思いつつも、この女の子について気がかりなことがないわけではない。

いちごがこの秋に知った彼女の情報は、
名前と大まかな住所、好きなジュースは何か、程度のものでしかなかった。

だが、相変わらずいちごは彼女について多くを知ろうとはしなかった。
それはいちご自身、あまり他人に興味を持たない性質であったということもあるが、
心のどこかに、彼女との関係を揺らがせたくないという思惑もあった。

秋季キャンプでも相変わらずチームメイトとのギクシャクした関係は続いていたが、
あの少女のことを考えると、少し気持ちが落ち着いた。
(ま、私がいないとあの子も可哀そうだしね)
彼女のことを考える度、大体こういう結論に至るのだが、
自分が彼女に支えられているということも、いちご自身うすうす気がついていた。

そういう風に二人の仲は大きく変わることなく、冬を迎えた。

冬の公園はますます冷たく、あれほどいた子供連れやサラリーマンの姿も見えなくなっていた。
風の子たちが元気に走り回っているくらいである。

そんな中でも、二人のキャッチボールは続いていた。
女の子は相変わらず行動を家庭に束縛されていないようだったし、
いちごも実家に帰る日を先延ばししてこの街に残っていた。

だがある日、冬の冷たい空気が災いしたか、ついに女の子のグローブが壊れてしまった。
使っているのはゴムボールなので、おそらく一番の原因は彼女が執拗に抱いたりいじったりしたことだろう。

「これくらいならまだ何とかなると思うけど」

いちごがそう言っても、女の子は口をつぐんで壊れた所をいじるばかりだった。
結局その日は、それ以上二人は会話を交わすことなく、木枯らしと共に公園を去っていった。



132 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/27(水) 11:12:24.61 ID:B52d7inW0

家に帰って一息ついていると、携帯にメールが届いていることに気がついた。
秋山澪からだ。
彼女とはあの日から数回メールでやりとりしている。
大体は、彼女のチームが勝ち進んだことへの祝辞であり、
シーズンが完全に連絡が終わってから連絡が来るのは珍しかった。

「…なんだろ」

開いてみると、なんということはない。
単に、友達でクリスマスパーティーをすることになったから、
何か女の子に贈って喜ばれそうなかわいいもののアドバイスをもらえないか、ということだった。

おそらく学生時代の軽音部のメンバーでやるのだろう。
後輩の子はあまり知らないが、同学年の四人の顔を思い浮かべて、
それらしいものを紹介しておいた。

「クリスマスか…」

澪に返信し、カレンダーを見た。
いつの間にかもうそんな頃になっているのだ。
そういえば家族も、クリスマスあたりには帰ってこいと言っていたし、
バトン部の友人もそのくらいのころに集まろうと誘ってくれていた。

「どうしようかな…」

ベッドに転がって、組んだ腕の中に顔をうずめた。
おせっかいを焼くのは自分らしくないと思っていたし、あまり得意でない自覚もあった。

「クリスマス…か」



133 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/27(水) 12:00:46.10 ID:B52d7inW0

冬の日。

この日は朝からどんよりと重たい雲が空を覆っていた。
風も肌を切るように冷たい。
雪になるだろうと天気予報では言っていた。

公園に行くと、いつもの場所にいつもの女の子が座っていた。
いちごはできるだけ穏やかに話しかけた。

「寒いでしょ、ここにいると」

「うん。でも…」

ここしか行く場所がないから。
女の子の言いたいことはおおよそ予想がついていた。

だから彼女はここに来るのだ。
いちごとのキャッチボールは、彼女にとって数少ない楽しみだったのだろう。
それはいちごもよく分かっていた。

「それでね、昨日のグローブなんだけど」

いちごはそう言いながら彼女の胸に抱えられた、傷の付いたグローブを見た。
直そうとしたのだろうか、テープやノリの跡が見え、傷はますます広がっているようにみえた。

「それ、まだ大きかったでしょ?だから…これ」

そう言っていちごは、包みからグローブを取りだした。
女の子の手に合う、四、五歳の子供用のものだ。
スポーツショップで買ったそれは、冬のほのかな光を浴びて、きらきらと光っていた。

「これ使ってキャッチボールしよう。それは、あなたが大きくなるまでに直して、それから使えばいい」

女の子はまばたきを忘れたように目を剥いて、差し出された新しいグローブといちごの顔を交互に見つめた。
やがて、絞り出すような声で言った。

「…ありがとうございます」

女の子はうつむいた。

「でも、いらない」

「えっ?」

「…いまのグローブがいい」

「うん。でもそれ壊れてるし。大きさもあってないし、合うようになってから…」

「これがいいの!」

女の子の声は、公園中に響かんばかりだった。
枝に残った最後の葉が、はらりと落ちた。

どうして…。
口に出してしまいそうだったが、深く探らないと自分で決めたことだ。いちごは口をつぐんだ。
けれど、女の子のほうから口を開き、ゆっくりと話しだした。



134 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/27(水) 12:31:42.32 ID:B52d7inW0

「パパのだもん」

「え?」

「パパが買ってくれたの。一緒にこれで遊ぼうって」

「……」

「私、イヤって言ったの。おっきいし、手が痛くなるし、つまんないから」

女の子はそれから言い淀んだが、一度きゅっと唇を結んで、勇気を振り絞るように言った。

「そしたらね、いなくなっちゃったの。怒って、家からいなくなっちゃったの」

「……」

「私がね、イヤって言ったから、私が、私が…」

いちごは何か言葉をかけようかと思ったが、
言葉を詰まらせながらもなんとか言葉を繰ろうとする女の子を見て、
とにかく彼女が話してくれる限りのことを聞いてあげようと思いなおした。

「そしたら、ママがこれを捨てなさいって。家にもっていちゃダメって」

「………」

「ママが怒るから、パパのグローブ捨てなさいって言うから、でも捨てたくないって思ったから、だから…」

いちごはもう一度、彼女の抱えたグローブを見た。
雨と土と泥を吸ったそれは、表面をどんなに拭いても、ぬぐいきれないくすみが底光りしている。

「だから、これがいい。これじゃないと、パパが戻ってきてくれないもん。
 これで一杯遊んでたら、きっとパパもご機嫌なおして、また戻ってきてくれるから…」

いちごは、涙をこぼしはじめた女の子の背中を優しく撫でた。
小さく、そして熱い背中だった。
この背中にかけられる言葉を探したが、やはり見つからない。
何を言っても彼女を傷つけるように思えた。

そうやってしばしの時間が過ぎた。
もう日が暮れる。
女の子は赤い目をこすって、いびつな笑い顔をつくって、いちごに別れの言葉を告げた。

「新しいグローブありがとう。でも、でもやっぱりこれがいい。じゃあね、じゃあね」

女の子はいつもと同じように、街の中へ駆けて行った。

それを見計らったように、ちらちらと雪が舞い始めた。
雪はひらひらと風に踊りながら、いちごの手や首筋に落ちていく。
けれど、冷たさを感じる間もなく、それらは融けて消えていく。

「…帰ろうか」

少し早目のクリスマスプレゼントは、来たときよりも随分重たく感じた。



135 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/27(水) 13:12:49.42 ID:B52d7inW0

次の日の朝、雪はほとんど融けてしまい、土や葉の上にかすかに残っているだけだった。

朝食をとりながら、いちごは今日どうすべきかを考えた。
公園に行くべきか、行かざるべきか。

あの子は自分をどう思っただろうか。
大切なグローブを馬鹿にした、嫌な奴と思っただろうか。
なんだか嫌な考えばかり浮かんだ。

しかし、彼女は、また今日も寒空の下で自分を待っているかもしれない。
そうだとすれば、いかない理由なんて一つも無い。
あの子が自分を待ってくれている可能性が少しでもある限り、それに応える義務がある。


雪でびしゃびしゃになった公園には、昨日以上に人気がなかった。
グローブを隠してある場所、いつもあの子と待ち合わせる場所に目を移すと、
女の子ではなく、一人の大人の女性が佇んでいる。

細身の体にくたびれた衣服をまとわせ、大きな瞳でこちらをじっと見据えている。

見たことのない人物だったが、いちごにはその女性が、あの子の母親であることはすぐに分かった。

ぺこり、と礼をすると、女性も礼を返す。
どちらかが名乗るということもなく、自然に話は始まった。

「…いつもあの子と遊んで下さったようで、本当にありがとうございます」

女性は再び深く頭を下げた。

「私は何も…」

「いえ、よくあの子の相手をして下さる方がいらっしゃることは存じ上げておりました。
 でもそれがまさか、テレビで見るような方とは昨日まで思いもしませんでしたが…」

「…昨日は…」

「ええ。帰ってみるとあの子の目が赤く泣き腫らしておりまして、どうしたと尋ねたら、
 少しずつですが話してくれました。…恥ずかしいことを知られてしまったようですね」

女性の目はまっすぐいちごを見た。
そこには気品と、みなぎれんばかりの強さが湛えられている。
顔に刻まれた深いしわが物語る苦労も、その目の力で悲壮さを感じさせなかった。

だが、その目に負けてはいけない。いちごは、気になっていたことをぶつけた。

「あの子のお父様は…?」

女性は鼻から深く息を吸って、

「ええ。予想はおつきかと存じ上げますが、娘の父、つまり夫とは別れ、別居しております。
 毎日のように遊びまわりギャンブルに狂う夫に、私は困憊し離婚届を突きつけました。」

女性は一呼吸おいて、

「揉めなかったと言えば嘘になりますが、夫も家庭を困らせている自覚があったのでしょう。
 いつの間にか、私に置き手紙といくらかのお金を残して家から姿を消しておりました。
 その金額はさしたる額ではありませんでしたが、彼にとっては精一杯の額だったと思います」

「そのことは娘さんは知らないんですよね」

「ええ。娘には夫婦のゴタゴタを見せぬようにしておりましたし、
 娘からすれば急に夫がいなくなったように思えたかもしれません」

「…旦那さんはどこへ」

「存じ上げません」

「えっ」

「夫は唐突に姿を消しました。彼が今、どこにいるのかは私には分かりません。
 彼のことを思い出すと苦労ばかり思い出してしまい、彼に関するものはみな捨ててしまいましたし…」

いちごは空を見上げ、重たい息を吐きだした。



136 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/27(水) 13:42:13.17 ID:B52d7inW0

家に帰って、重たい体をベッドに放り出す。
携帯を開いてみると、澪からの返信が届いていた。

いちごのアドバイスに沿ったものを買った、という旨の文と、その商品の写真が添付されていた。

いちごは、自分でも築かぬうちに、澪への発信ボタンを押していた。

何回かのコール音ののち、澪が嬉しそうな声で電話に出た。

『若王子さんが電話くれるなんて珍しいね。どうしたの?』

あの子のことを話すのは、あの母子に失礼に思えた。
かと言って世間話をするような気分でもない。
本当に自分はなぜ電話をかけたのだろうと苦笑した。

「あー、いや別に。クリスマスパーティー、うまくいきそう?」

『うん。あ、そのパーティー、高校時代のバンド仲間でやるんだよ』

やっぱり。

『懐かしいなー。あの頃。若王子さんは私たちの演奏聴いてくれたことあったんだっけ?』

「三年の時ライブの受付とかしてたし、少しくらいは」

話すことはないが、自分からかけた電話だ。
とりあえず少し話を合わせて、会話らしいことをしておこうと思った。

「ライブってやっぱり楽しかったの」

『うーんどうだろ…最初は緊張してばっかりで楽しいどころじゃなかったなぁ。
 でも慣れてくると、自分の演奏で喜んでもらえるのが嬉しいんだよ。
 『もっと喜んでくれてる顔が見たい!』って素直に思えるんだ』

「へぇ…」

『でもあんまり欲張りすぎると駄目だったな。あれもこれもやってみたいって、失敗したりさ。
 自分が精いっぱいできることをやった時が一番ウケがいいし、自分も楽しかった』

その後もしばらく、他愛のない話を続けた。
会話が終わって電話を切ってからも、澪の話で気にかかった言葉がぐるぐるとリフレインした。

『自分が精いっぱいでいることを』

なぜだか、グローブを受けとらなかったあの子の顔が思い浮かんだ。
お父さんとのつながりを抱きしめ続けたあの子を。

『わたくしの杯は大きくはございません。
 それでもわたくしはわたくしの杯で戴きます。』

何かで読んだ言葉だ。
さして印象深い本でもなかったのに、この言葉が急に思い出された。

いちごは、ふぅ、と細く長い息を吐いて、もう一度澪に電話をかけていた。




青空文庫:森鴎外 杯(山椒大夫・高瀬舟より)





137 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/27(水) 13:59:24.88 ID:B52d7inW0

時は流れ、春になった。
まだ冬の寒さは残るが、それでも間違いなく春だ。

なぜなら今日はオープン戦。
仙台での初めての試合。
この地にもとうとう球春がやってきた。

観客席には春を待ちわびたファンが、胸を高鳴らせてプレイボールを待っている。
そんな外野席の真ん中に、あの女の子と、その母親の姿もあった。
いちごが招待したのだ。
女の子は修理したあのグローブを胸に抱え、母親は一番のおめかしをしてやってきた。

「プレイボール」

球審が手を上げる。
ピッチャーが投げ、バッターが打ち、野手が追う。
ベースボールが始まった。

そして、いちごの出番がやってきた。
一番レフト。トップバッター。
打席に立つその顔には、ほほ笑むわけでもなく、眉を釣り上げているわけでもない。
いつもの自然体だ。
自分にとって自然な形でいればいい。いちごは結局前と変わらぬ信念に行きついた。

キャンプ中もその姿勢で臨んでいくうち、チームメイトも分かってくれたらしい。
いつしか、過度に気にかけられることも、何か言われることもなくなっていた。



138 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/27(水) 14:14:57.04 ID:B52d7inW0

 
 かぁん。

乾いた木の音が球場に響く。

春の淡い色の空に、白い放物線がかかる。

白球はぐんぐん伸びて、女の子の方へと向かっていく。

「あ、あ」

女の子が、あのくすんだグローブで、ボールにむけて目いっぱい腕を伸ばす。

ぱしり。

けれど白球を捕まえたのは、女の子のすぐそばの別のグローブだった。

「あ」

女の子はそのグローブに見覚えがあった。
子供用の小さなグローブ。その革の表面は、春の日差しをうけてキラキラと光っている。
不釣り合いな小さなグラブを指先にはめた男性は、中のホームランボールごとグラブを女の子に差し出した。

「うっかりボールを買い忘れてちゃったんだよ。キャッチボールしたいと思ってたのにな」

今度は女の子のグローブをひょいと取り上げ、
それでもまだ男性には小さめなそれを、強引に自分の手にはめる。

「でもこれで大丈夫だ。お姉ちゃんのくれたそのボールでやろうな。うまくなったって聞いてるぞ」

女の子はこくこくと何度もうなずいた。

隣の母親のまん丸な目に気がついた男性は、優しく目を細めて、ダイヤモンドを周る野球選手を指差した。

「ご覧。あのお姉ちゃんのお友達がね、パパを探してくれたんだ。
 そしたらあのお姉ちゃんがやってきて、パパをここに呼んだんだよ」



139 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/27(水) 14:35:33.23 ID:B52d7inW0

「それにしても、もうちょっとニコリとでもすりゃあいいのによ」

カメラマンが苦々しく言った。
そのカメラの先はダイヤモンドを一周する選手の顔に向けられている。

「ま、お姫様きどりなんだろ。ちやほやされたいのさ。愛嬌をふりまくような下賤なマネはしたくないってさ」

隣のカメラマンも皮肉っぽく笑った。

「あれでニコニコしてりゃファンも増えるし、こっちだっていい写真の一つも撮れるのによ」

カメラから顔を外して、唇を歪めて、二塁ベースを駆け抜ける選手を眺めた。

「うん?」

一人が大きく目を見開いて、もう一度カメラを覗いた。

「今、笑ってなかったか?」

「まさか。ニコリともしねえしインタビューじゃ愛想一つねえ。それがあいつだろ」

「いや、でも…」

カメラマンの目線を背中に浴びながら、いちごはホームベースを踏んだ。
その口元は、わずかに緩んでいる。

どんな時でも自分の思うようにあればいい。
笑いたくなければ笑わなければいい。笑いたければ笑えばいい。
自分を自分でごまかす必要はない。
いちごはそう思った。

ホームランを放った選手を、ベンチが出迎える。
ハイタッチがどんどん連鎖していく。

明るく踊るマスコットキャラクター。

大盛り上がりのホームチームファン。

歯噛みするビジターチームのファン。

その合間を縫うように、大忙しの売り子たち。

バックスクリーンには、ホームランボールを持って嬉しそうに笑う三人家族。

今年も野球の季節がやってきた。

そして、いちごの新しい春がやってきた。


『いちごアフター』 おわり




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