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紬「SAW」#後編 【ホラー】


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紬「SAW」#前編
紬「SAW」#中編
紬「SAW」#後編





177 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/14(日) 23:57:57.83 ID:daISRcm70


*

 紬は走った。
本来なら、制限時間到来時にクリアのアナウンスを流し、
その後に救助する心算だった。

クリアと救助の間にタイムラグが生じてしまうが、然して気にしていなかった。
だが、律達を案じる気持ちが強い今となっては、
タイムラグゼロで救出する方向へと考えを変えている。

 紬は程なくして、二階のエレベーター前へと到着した。
少し開いたドアに幾つものホースが通り、下へと水を送り込む用途を為している。

律達が居るエレベーターの籠は丁度この真下にあった。
ドアを完全に開いてシャフトの下を覗き込めば、
交互に呼吸を繰り返す二人の姿を確認できるだろう。

 紬はその前に、時間を確かめた。
制限時間まで、残り3分を切っている。
救助の準備にかかる時間を考えれば、もうクリアしたと扱っていい頃合だった。
紬はそう判断して、床に据えつけられているポールに縄梯子の一方を結わえ始めた。

ここから縄梯子を垂らして、二人に登らせる心算でいる。
律達の居る一階の扉を徐々に開いて排水する方法もあったが、
こちらの方が安全かつ早いだろうと紬は考えていた。

そもそも、一階の扉は開けられないようにと、外側を錠で頑丈に固定している。
鍵を用いて開錠する必要があり、余計な時間を取られてしまう。

 救助の準備を整え終わると、いよいよ紬はエレベーターのドアに両手を掛けた。
ドアを開く事に、躊躇はあった。
ムギソウは自分であると、明かす事が怖かった。



178 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/14(日) 23:59:10.92 ID:daISRcm70

 だが、ゲーム終了時間になっても進行サイドがアクションを起こさないのでは、
律達を無用の不安に陥れる事になる。

それに、身長よりも水位が高い以上、溺れてしまう危険性もあった。
体力が奪われていたり、出血をしていたりするなら尚更の事だ。
紬は勇を鼓してドアを開いた。

 下を覗き込むと、二人は無事だった。
水の上に頭を出している律も、水底に居る澪も、
驚愕に満ちた顔を紬に向けている。


「話は後。これで足の拘束解いて」


 紬は鍵を投げた。
それは水面に波紋を呼び起こして沈み、水底へと届く。
水中に居た澪が鍵を拾って、自身の足と律の足を拘束から解き放った。


「ム、ムギっ?お前……何で?」


 律がまず口を開き、水上へと顔を出した澪が続いた。


「ムギ?まさかお前……」


 紬は言葉を返しながら、縄梯子の結わえていない方を落とした。
水面を打つ音が響き、再び波紋が広がった。


「まずはゲームクリアおめでとう。
 そしてごめんね。私がムギソウなの。
 取り敢えず、上がって?」


 紬の差し出した縄梯子に、律も澪も警戒に満ちた視線を送っている。
その反応も当然だと紬とて思うが、あまり逡巡している時間は無かった。

「早く上がって?
 もうゲームは終わったの。だから、これ以上危害は加えないわ」


 そう言った後で、紬は付け足した。


「少なくとも、私はね」


 律は眉根を寄せた後、怪訝に満ちた声音で返してきた。


「どういう意味だ?他に仲間が居るのか?
 それとも、裏でムギを脅してるヤツでも居るのか?」



181 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:00:46.18 ID:zxd9nZC10

「それもすぐに説明するから。早く上がって」


 協力者が姿を見せる前に、二人を水から上がらせてしまいたかった。
勿論、姿を見せるとは限らない。
姿を見せても、危害を加えてくるとは限らない。
だが紬の危惧通りに襲撃してきた場合、二人を救出する事は困難になる。

 それでも動かない二人を見て、焦れた紬は敢えて強い語調で言う。


「何時までも其処でそうしている訳にもいかないでしょ?」


 尤もだと思ったのか、澪が腹を括ったように言う。


「確かに、他に選択肢は無いな」


 律も続いた。


「一理ある……な。ところで、コレ」


 律は縄梯子を引っ張りながら、問いかけてきた。


「大丈夫なんだろうな?途中で落ちたりしないよな?
 二人の体重が掛かったとしても」

「それは安心していいわ。しっかりと端を結んであるから。
 それに登る距離も短いから、
 続け様に登っても二人分の体重が掛かる時間は少ないわ」


 紬が返すと、律は澪に向けて言う。


「澪、私が先に上る。すぐ後を付いてきてくれ。
 何かあっても、澪は私が守るから」

「いや、駄目だ。律は怪我してるし……それも私のせいで。
 だから」

「私のせいだよ。私は澪を裏切り続けた。何回も何回も。
 せめて今度は、守らせてくれ」

「律……」


 澪の頬が赤く染まった。
その頬に一つ口付けしてから、律の手が縄梯子に掛かる。
そうして律が少しずつ、水から身体を引き上げている時だった。
紬の後方に、足音が聞こえた。



183 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:02:30.74 ID:zxd9nZC10

 紬は反射的に振り返る。
そこには長い黒髪を靡かせる小柄な女が居た。


「どうした?ムギ、何かあったのか?」


 不審に満ちた律の声が聞こえてくる。
それには返答せず、紬は足音の主の名を呼んだ。


「梓……ちゃん」


 梓が裏で絵を描いていた協力者の正体なのだろうか。
仮にそうだとして、危害を加えに来たのだろうか。

紬はすぐに判断を下した。
協力者の正体は梓であり危害を加えに来た、それを前提に動こうと。

 判断を下した理由は二つ。
梓の攻撃的な視線と、その手に握られた金槌の存在だった。


「ゲームはもう、終わりです」


 言うや否や、梓は呼気を荒げて突進してきた。
それは紬の判断を肯定する行動だった。
舌打ちを一つしてから、紬も突進した。

二人の距離が一瞬で縮まる。
梓が金槌を振り上げたが、紬は怯まず加速した。

 僅かな時間の後、二人の身体は衝突した。
振り下ろされた金槌が紬に当たったが、
衝突した際に梓の体勢が崩れたお陰で痛みは少なかった。

 反面、梓を見舞った衝撃は大きかったらしく、
突き飛ばされて地に臀部を付けている。
金槌を使う際に梓の速度は減殺されていた上、体格も紬の方が勝っていた。
その二つが二人の優劣となって、結果に表れたのだ。
紬の突進は、そこまで計算しての事だった。

 だが、安心するのはまだ早かった。
梓は素早く体勢を立て直し、金槌を振り回してきた。
紬は躱す事を諦め、頭部のみ守りながら接近戦に徹する。
体格の差は紬に有利であり、素手と鈍器という差は梓に有利だった。



184 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:03:40.86 ID:zxd9nZC10

「梓っ、ムギっ。何やってんだっ?」


 激しい殴打の応酬は、律の叫びによって止んだ。
紬が梓と格闘している内に、律は登りきっていたらしい。


「りっちゃん……」

「律先輩……って、その顔はっ?」


 梓は驚愕に満ちた眼差しで、律の顔を見やった。


「いや……ちょっと」


 律は言い難そうに言葉を濁した。


「許せない……きっとムギ先輩のせいだ。
 でも安心して下さい、助けに来ましたから」

「何を言ってるのっ?」


 紬は慌てて割って入った。
そしてすぐに、梓の意図を察する。律を騙そうとしているのだ、と。


「騙されないでっ。梓ちゃんこそ黒幕よっ」


 紬は叫びながら動いた。梓の隙を衝き、渾身の力で腹部を殴る。
喋らせる暇を与えず、意識を落とす心算だった。


「ぐぇっ」


 腹部を抑えながら梓は苦しそうな声を発し、蹲るように身体を曲げた。
顎が浮くその姿勢を、紬は見逃さなかった。
すかさず顎を目掛けて、拳を見舞った。

 梓は足を躍らせながらも、金槌で反撃に転じてきた。
だが、意識が朦朧としているのか、その動きに精彩は無い。
紬は容易く金槌を奪うと、梓の頭部へと打ち下ろした。
今度こそ梓は意識を落とされて、身を崩して床へと倒れ込んだ。


「ムギ……お前……」


 律は呆然とした顔を浮かべて呟いた。


「何なんだよ、一体……」


 何時の間にか上がってきた澪も、声に戸惑いを滲ませている。



185 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:04:47.07 ID:zxd9nZC10

「こうするしか無かった。こうしないと、りっちゃん達が危険だった。
 ……その辺の事情、全て話すわ」


 律と澪は黙って紬を見詰めている。
二人が大人しい様子を見せている事に紬は安堵した。
自由を取り戻した律と澪から攻撃される危険もあったのだ。


「私はね、りっちゃんの事が好きだった。それは捨てられてからも、ずっと。
 そして澪ちゃんの事が羨ましく……いえ、妬ましく……いや、恨めしかった。

 そんな時にね、私の元にメールが届いたの。
 二人に復讐するプランが書かれたメールが」
 それこそが、協力者からのメールだった。

「それが、今回のゲームか?」


 律からの問いに、紬は頷く。


「ええ。私がその案に乗ることを告げると、
 場所の指示や計画の詳細が、メールによって届いた。
 必要な道具の提供もしてくれたわ。勿論、私が自前で揃えた道具もあるけれど。

 提供された道具の中には、ゲーム中に散々流した例のビデオもあった。
 私を含めた女と、りっちゃんが交わる映像の事よ」


 ゲームの前に紬はその映像を、既に観ていた。
その時に、律と交わった彼女達に対する嫉妬心は湧かなかった。
嫉妬心は澪にだけ向けられ、彼女達には寧ろ連帯感や同情心を抱いた程だ。


「あー、あれはムギが撮ったんじゃ無かったのか。
 ムギって女同士の恋愛好きだから、お前が撮ったのかと思ったよ。
 ああいや、そう思ったのは勿論、ムギがムギソウだと正体明かした後だけどさ」


 律の口調は穏やかだった。
顔に傷を負ったにも関わらず、その事に付いて紬を責める心算は無いらしい。


「私が好きなのは……いえ、好きだったのは、りっちゃんだけ。
 確かに百合好きっぽいところは見せてきたけど、それはカモフラージュだった。

 って、ごめんなさい、話が逸れたわね。
 それで、私は計画を実行に移す事にした。それが今回の、別荘への招待よ」



187 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:06:52.44 ID:zxd9nZC10

「うん、それで私達はやって来た訳だ。
 別荘に泊まりに来た事は憶えてる。でも、その後の記憶が曖昧なんだ。

 攫われた記憶が無いって言うか、
 クロロホルム嗅がされた記憶が抜けてんだよね。
 そんな乱暴な事されたら、憶えてそうなもんだけど」


 律が疑問を抱くのも無理は無い。
あの時、紬は本当の事を言っていなかったのだから。


「実はね、クロロホルムなんて使ってないの。
 使ったのは経口摂取の睡眠薬よ。

 市販薬に含まれる抗ヒスタミンと、処方の睡眠薬のカクテル。
 両方とも、私に計画を指示した人から提供された物だった。
 それを食事に混ぜておいたの。夕飯のお皿を配ったの、私だったでしょう?」


 律は得心いったように頷いた。


「あー、道理で攫われた記憶が無いワケだよ。
 しっかし、眠っている私達を、どうやってこんな所まで運んだんだ?
 別荘から近かったとしても、数人掛かりじゃないとキツくないか?
 その、お前に計画を送ったヤツが協力してくれたのか?」


 紬は首を左右に振った。


「んーん、一人で運んだ。私に計画を指図した人、
 私は協力者と呼んでいるけれど、その人はゲームの間は動かなかったわ。
 その正体さえも知らなかった。
 でも、一人でも問題無かったわ。此処、見覚え無い?」


「んー?」


 律は唸りながら周囲を見渡す。


「そういえば、どっかで見た事ある風景だな。
 かなり前に……」



188 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:08:16.08 ID:zxd9nZC10

 記憶の惹起に苦戦している律を助けるように、紬は口を挟む。


「ここ、りっちゃん達が泊まった別荘よ。
 客室ルームじゃなくて、配膳やら倉庫やらの実務スペースだけれども。
 此処ってね、厳密には琴吹家私有の別荘じゃなくて、グループの福利厚生施設なの。

 利用申請者なんてほとんど居ないから、社内イベント時に使ったり、
 倉庫として使ったり、或いは琴吹家の別荘として使ったり、がメインだけど。

 この実務スペースにも、りっちゃんや澪ちゃんは以前に何回か訪れたはずよ。
 勿論、唯ちゃんや梓ちゃんも」


 律は思い出したようだった。


「ああっ、そうだ。そういえば、唯が迷い込んだ事もあったっけ。
 あまり来た事無かったから、思い出せなかったよ」

「無理も無いわ。此処はあまり用がある場所じゃないものね」


 紬がそう言った直後に、それまで黙っていた澪が口を挟んできた。


「確かに来た事のある場所だな。
 それで、梓は?どうしてムギと梓は、戦ってたんだ?
 梓は一体何なんだ?このゲームと、何か関係があるのか?」


 律もその事が気になっているらしく、真剣な眼差しを紬に注いできた。


「さっきから私の話に出てきてる、協力者。
 その協力者の正体が、多分梓ちゃん。
 じゃなきゃ、招待していないこの別荘に姿を現す訳が無い。
 何が行われているか、知りようも無いのだから」


 紬が答えると、今度は律が問いを放ってきた。


「協力者というか、黒幕の正体が梓だったとして、
 どうしてムギを襲ったんだ?
 梓が協力者なら、お前達は仲間のはずだろ?」



190 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:09:43.38 ID:zxd9nZC10

「私も仲間だと、初めのうちは親近感すら抱いていた。
 けれど、りっちゃんと澪ちゃんの勝利を見て、考えは揺らいだ。

 もしかしたら、ゲームクリアの成否に関わらず、
 協力者は二人に危害を加える心算じゃないのかと。

 これだけ怨念に滾る計画を練った人間が、平和な結末を望むのかと。
 そして事実、協力者……梓ちゃんは、危害を加えに来たわ」

「でも……梓は、助けに来ました、とか言ってたけど」


 澪の顔には、不審が表れている。


「りっちゃんと澪ちゃんを騙す為の方便、じゃないかしら。
 邪魔な私を排斥する助力を期待できる上に、二人の油断を誘う事もできる」

「本当に梓が、その協力者なのか?」


 澪は未だ半信半疑のように問うてきた。


「その可能性はかなり高いわ。そもそもこのゲームの黒幕は、
 りっちゃんの浮気相手の誰かのはずだから。
 それは撮られた映像や、ゲームの内容から推量できる。

 その条件を満たし、この場に現れた。殆ど梓ちゃんで確定じゃないかしら。
 大体、このゲームを知っている人間じゃない限り、
 助けるなんて言葉は出てこない」


 今度は律が応じて、顎に手を当てながら言葉を返してきた。


「まー、確かに。それは勿論、ムギが嘘を吐いていないなら、の話だけど。
 いや、疑うワケじゃ無いんだけどさ、ムギだけから事情を聞くのも不公へ……」


 律の言葉はそこで止まり、顔には緊張が漲った。
澪の顔も強張っている。
紬とて二人同様、表情にありありと警戒を浮かばせた。

 それは徐々にこの場に近づいて来る、足音に対する反応だった。
紬の口から、思わず独り言が漏れ出る。


「もう誰も、居ないはずなのに」



192 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:11:51.23 ID:zxd9nZC10

 ゲーム参加者である律と澪、進行役を務めた紬、そして黒幕と思しき梓。
これで全ての役者は出揃ったはずだと、紬は疑っていなかった。
だからこそ梓の意識を断った段階で、安堵していた。

だが今更になって、見落としていた可能性に思い至る。
それは協力者が一人とは限らない、という事だった。


「まだ誰か、居る」


 紬が確認するように呟いた時だった。
足音の主が、壁の影から姿を現した。


「唯ちゃん……」


 紬は呻くように、その名を呼んだ。


「何で澪ちゃん、裸なのかなぁ?
 ショーツ一枚のりっちゃんに、何をする気なのかなぁ?」


 唯は顔を俯かせたまま、視線だけこちらに向けてきた。
その視線も声も、酷く暗い。
そして、唯が握っている木製の長い棒に、紬の警戒心はいや増した。


「こんな所に居たんだね。一つ下の階に行っちゃってたよ。
 エレベーターの中に居ると思っていたら、中から物音がしなくなって。
 代わりに、上から騒々しい物音や声が聞こえてきて、ね。
 来てみたら、りっちゃんがショーツ一枚で……」


 話す唯の瞳が薄暗さと険しさを増した。
梓と紬の騒動の音を聞いて、
一階エレベーター前から唯は移動してきたらしかった。

手に持っている棒も、その過程で手に入れたのだろう。
実務スペースであるが故、凶器に代用できる道具の入手も難しくは無い。


「ねぇ、ムギちゃん、澪ちゃん。りっちゃんは、私のものなんだよ?
 分かってる?ねぇ?分かってる?分かってないよね?」



195 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:13:47.37 ID:zxd9nZC10

 壊れたように言葉を放ちながら、唯はゆっくりと近付いて来た。
唯が梓と協力していたのか、それとも唯こそが黒幕なのか、紬には断じかねた。

だが、自分達に危害を加えようとしている事くらい、
梓の時と同じく容易に理解できる。
だから紬は制止の声を上げた。


「唯ちゃん……もう、止めましょう?
 二人は勝ったの。私達は負けたの。
 りっちゃんには、澪ちゃんが居るんだから」

「駄目。りっちゃん、言ってたもん。
 私の事、捨てないって。私の事、特別だって。
 そうだよね?りっちゃんっ」


 唯は表情を明るく転じ、律に視線を向けた。


「唯……」


 唯の視線を受けた律は苦しそうに呟き、俯き加減に目を逸らしていた。


「どうして目を逸らすの?りっちゃん、嘘だったの?
 捨てないよね……私の事。
 だって、りっちゃんって本当は、私に未練あるんでしょ?」


 縋るような声で問いかけながら、唯が一歩また一歩と迫って来る。
言葉を返せず黙りこくる律に代わって、紬が答える。


「あのね、唯ちゃん。りっちゃんにとって特別な存在は、澪ちゃんなの。
 残念ながら、私も唯ちゃんも、りっちゃんを射止める事はできなかった。
 そういった意味では、私も唯ちゃんと同じ仲間よ。
 澪ちゃんだけがり」

「うるさいっ」


 棒を乱暴に振り回しながら、唯は激しく叫んで紬の言葉を遮った。


「っ」


 振り回された棒が腕に当たり、紬は痛み故の絶句を漏らした。
唐突な攻撃だったとはいえ、紬は己の油断を悔いた。
既に棒が当たる位置まで、唯は近付いて来ているのだ。
いつ攻撃を浴びてもおかしくない、という認識が必要だったはずだ。



197 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:15:20.34 ID:zxd9nZC10

「あのね、ムギちゃん、あんまり調子のいい事言わないでもらえるかな?
 仲間?笑わせないでよ。んーん、違うね、これ以上怒らせないでよ。
 仲間だと言うのなら、ムギちゃんは裏切ってる。
 ムギちゃんは澪ちゃんと同じで、りっちゃんを誑かす悪女だもん」


 唯の言う裏切りとは、律と澪を助けた事を指しているのだろうか。
それとも、梓を斥けた事を指しているのだろうか。
或いは、律と澪の仲を認めた事を指しているのかもしれなかった。

 だが紬は、裏切ったのは寧ろ唯達の側だと思った。
律と澪の二人は定められた条件通りに、ゲームをクリアしている。
にも関わらず襲撃するなど、信義に悖っているとしか感じられなかった。
クリア直後とあれば尚更の事だ。

 尤も、今その事を指摘しようとは思わなかった。
感情が昂ぶっている唯に対し、論理が通用するとは思えない。
逆に正論であるからこそ、唯の言葉を封じて暴力を誘発する危険があった。
極度に感情的になった人間が、言い返せない時に用いる手段など決まっている。

勿論、誘発せずとも唯は暴力を用いるだろう。
だが、説得の最中に再び不意を衝かれる事は避けたかった。
だから紬は、唯の話を無視して警告のみ口にする。


「唯ちゃん、これ以上近づかないで、足を止めて。
 それ以上近づいたら、実力で排除するから」


 唯は紬の警告を受けて尚、歩みを進めてきた。


「唯ちゃんっ」


 紬の叫喚など聞こえないかのように、唯は棒を持つ腕を振り上げた。
構えた棒の先には、目を見開く澪の姿があった。
その澪に向けて、唯の口から言葉が放たれる。


「りっちゃん、ずっと一緒だよ。澪ちゃんはバイバイ」


 物理的な排除を躊躇う事は、既に限界に達している。
紬は警告を実行に移すべく、梓から奪った金槌を振り上げた。



208 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:24:40.03 ID:S9cKBqsw0

「その前に、お邪魔な裏切り者は黙っててね」


 唯の振り上げた棒は澪へと打ち下ろされず、
方向を変えて紬の頭部へと打ち下ろされてきた。

咄嗟に腕で頭を庇うが、痛みと衝撃で金槌が手から離れて床へと落ちる。
金槌が床に転がる音を響かせる頃には、
既に唯は次の攻撃を繰り出す体勢を取っていた。
それは両腕を引き、棒を水平に寝かせる姿勢だった。

避ける暇も無く、その攻撃が放たれる。
両腕が伸ばされ、棒の先端が紬の鳩尾へとめり込んだ。


「ぐぇっ」


 紬は無様な呻き声を上げて、腹部を抑えて蹲った。
早く体勢を立て直さなければ、上から滅多打ちにされる。
紬はそう思い、必死に立ち上がろうとした。

だが、押し寄せる痛みによって、立ち上がる事さえままならない。
歯痒い思いと恐怖を抱えながら、紬は唯を見上げた。
想像に反して、唯は紬に追い討ちをかける体勢を取ってはいなかった。

それどころか、唯は既に紬など見てさえいない。
怨嗟と敵意が篭った唯の眼差しは、澪へと向けられている。


「澪……ちゃん……逃げて」


 叫びたかったが、痛みに阻まれ小さく断続的な声しか出せなかった。


「逃がさないよ」


 唯は棒を振り上げて、澪を目掛けて打ち下ろした。
鈍い音が響き、澪が床に転がった。
それでも紬は安堵していた。
対照的に、唯は不機嫌そうな表情を浮かべ、舌打ちをしている。
唯の放った一撃は空振り、棒は床を打ちつけていたのだ。
避ける際に勢い余って転びはしたが、
運動神経の良い澪ならすぐに体勢を立て直すだろうと紬は考えていた。



213 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:27:19.69 ID:S9cKBqsw0

 しかし、澪は起き上がろうとはしなかった。
紬はその原因に気付き、青褪めた。
唯も気付いたのか、不機嫌そうな表情が上機嫌なものへと転じている。


「つぅっ」


 転んだ際に捻ったのか、澪は足首を抑えて呻き声を上げていた。


「ほらね?神様も澪ちゃんを罰したがってるんだよ」


 唯は再度、棒を振り上げた。
それが振り下ろされた時、澪が避けられるとは思えなかった。

とは言え、紬の鳩尾には未だ痛みが疼いており、
立ち上がって妨害する事は困難である。

 だが、痛みが緩和してきている今なら、全く動けない訳では無い。
紬は屈んだ姿勢のまま、転がるように唯の足へと飛び込んだ。
今度は唯が不意を衝かれる恰好となった。


「えっ?」


 驚愕の声を上げながら、唯は姿勢を崩して床へと倒れ込む。
その際に唯の手から離れた棒も、鈍い音を響かせて床に転がった。
そして紬は転んだ姿勢のまま、立ち上がらせないよう唯の両脚を抱え込む。


「邪魔しないでよ、ムギちゃん」

「言ったでしょ?近づいたら実力で排除するって」


 苛立たしげな唯の声にそう返したものの、紬の身体とて万全では無い。
鳩尾への一撃のみならず、梓に打たれた部位も痛みを訴えている。
それでも自由にはさせまいと、唯の足を抱き続ける。


「あー、もうっ」


 唯は焦れたように声を上げると、右手を床に這わせた。
紬が意図を察した時には、唯の右手に金槌が握られていた。
先程、紬が落とした金槌だった。


「邪魔っ」


 頭部を金槌で打たれて、紬は再び蹲った。
唯の足に密着した体勢では、避ける事も防ぐ事もできなかった。



215 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:29:06.61 ID:S9cKBqsw0

「手間取らせないでよ」


 紬の拘束を脱した唯は一言呟くと、上半身だけ起こした。
そして、床に転がっている棒へと腕を伸ばした。
金槌よりも長い分、棒の方が澪を攻撃し易いと判断したのだろう。
紬は蹲った姿勢のまま、唯の動作を見ていた。

 だが、唯の手が棒を掴む事は無かった。
唯の手が棒に触れる寸前に、律が棒を取り上げていたのだ。
唯は一瞬、驚愕を表情に浮かべたが、すぐに納得したように頷いていた。


「あ、そっか。そうだよね。
 りっちゃんも漸く気付いてくれたんだね。誑かされていた事に。
 自分で始末付けたいんでしょ?いいよ、譲ってあげる。
 どうぞ、思う存分、悪女の澪ちゃんを打ちのめしてよ」


 律は何かを逡巡しているかのような、煩悶の表情を浮かべている。
勿論、澪を打つか打つまいかを迷っている訳では無いと、紬には分かっていた。
一方で唯は、律の表情を澪への攻撃に対する逡巡と解しているらしかった。


「あ、最初の一撃躊躇ってる?
 そうだよね、付き合ってたもんね。躊躇うのも無理は無いよ。
 だから、私から打とうか?順番で澪ちゃんやっつけようか。
 その次は、ムギちゃんだね」


 言い終えた唯は律の返事を待たずに、金槌を手に立ち上がろうとする。
その姿に向けて、律の口から苦しげな声が放たれた。


「ごめん……唯……」


 続いて響く、低く鈍い音。


「え?」


 唯は立ち上がる事無く、額を手で押さえて訝しげな声を上げていた。
その口は呆けたように開かれ、目も大きく見開かれている。
律から打たれた事に、認識が追い付いていないのだろう。



218 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:30:33.73 ID:S9cKBqsw0

「本当にごめんな、唯」


 再び律が棒を振り上げ、唯の華奢な肢体へと打ち下ろした。


「痛い……痛いよ、りっちゃん。何するの?どうしちゃったの?
 私じゃないよ?澪ちゃんをやっつけるんだよ?」


 二度目の打擲を受け、漸く打たれた認識が芽生えたようだった。
だが、どうして打たれたのか、その理解まではできていないらしい。


「私は澪を打てないよ。だって、澪の事が好きなんだ」

「そっか。まだ澪ちゃんから誑かされてるんだね。
 早く澪ちゃんをやっつけないと」

「駄目なんだよっ、唯っ」


 再び立ち上がろうとする唯に、律はまたも棒を打ち下ろした。
臀部を地に付ける唯に対し、律は縋るような声で言葉を放つ。


「頼むから、放っといてくれ。私の事なんか構わずに、幸せになってくれ。
 なぁ、私は澪が好きなんだ。だから……危害を加える人間には、
 防衛行為を取らざるを得ないんだよ。
 嫌なんだ、これ以上は唯を傷付けたく無いんだよ。だから、頼むよ……」


 途端、唯の激した声が轟く。


「何それっ?そんなの、酷いもん。
 それって、私より澪ちゃんを優先するって事でしょ?
 そんなの、絶対許せないっ」


 唯の言う通りだった。
澪を守る為ならば、傷付けたくない対象である唯だろうと排除する。

それは即ち、澪が唯よりも大切な事を意味している。
律に恋情を抱く唯にとって、これ以上の屈辱は無いだろう。
唯は続けて言う。


「うん、絶対許せない。
 だって、りっちゃん、私の事、特別だって言ったもん。
 きっと澪ちゃんとムギちゃんに騙されてるんだ」



219 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:32:26.85 ID:S9cKBqsw0

 尚も立ち上がろうとする唯に対して、律は棒を振り下ろした。


「頼むから止めてくれっ」


 唯は打たれた肩を抑えながら、律に向けて言う。


「無理だよ。りっちゃんを澪ちゃんから取り戻さないと」


 律の瞳から、涙が零れた。
覚悟が決まった瞬間なのだろう。


「本当にごめん、唯。私が悪いのは分かってる。
 お前だけじゃない、色々な浮気相手を作って、お前達を苦しめてきた。
 それでも私は……澪が一番大事だから。本当に、ごめん」


 律は涙ながらに、棒を振り下ろした。
唯の口から短い悲鳴が漏れたが、律は更に続けて棒を打ち下ろす。
そして、更に打擲、打擲、打擲。


「痛いよ、りっちゃん。止めてよ。
 私はりっちゃんの事が好きなのに、
 りっちゃんも私の事を好きだって言ってくれたのに、
 どうしてこんな事するの?どうしてこんな事ができるの?」


 唯は痛みに喘ぎながら、言葉を紡いだ。
それでも律の打擲は止む事が無かった。


「ごめん、ごめん、ごめん」


 涙混じりに謝りながら、唯へと棒を打ち下ろし続けている。


「痛いよお、りっちゃん、痛いよう。
 セックスの時とは違うもん、あの時は愛があったから、痛くても良かった。
 でも、こんなの違うもん。こんなの、澪ちゃんの為だもん。
 だから、止めてよ、痛いよ、痛いだけなんだよ。
 りっちゃん、心も痛いんだよぉ……」


 唯は身体を丸めて蹲り、涙を溜めた瞳で律を見上げて言った。
それでも、律は打つ事を止めなかった。



222 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:34:57.06 ID:S9cKBqsw0

「ごめんな、ごめんな、本当に……ごめん」


 澪の為に自身の顔を傷つけ、友人すら傷付ける律。
その姿に、紬は途轍もない悲しみを覚えた。

そして、今打たれ続ける唯の姿は、
もしかしたら自分がそうなっていたかもしれない姿でもあるのだ。
紬は戦慄と悲しみを抱きながら、ただ見ていた。


「りっちゃん、止めてよぅ……痛いよぅ……りっちゃん……。
 痛いよぅ」


 唯は泣いていた。泣きながら、痛みを訴え続けていた。
律も泣いていた。泣きながら、痛みを与え続けている。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

「痛いよぉ、痛いよぉ、痛いよぉ」


 打擲は、唯の口から言葉が途絶えるまで続いた。
 言葉を発しなくなった唯を、律は荒い吐息を繰り返しながら見つめた。


「本当にごめん、唯」


 律は涙混じりに呟くと、青褪めた顔を澪へと向けた。


「澪……私、私……」


 そこまで言って言葉に詰まった律は、澪の胸へと雪崩れ込んだ。
澪は優しく律を抱き止めて、頭を撫でていた。


「澪、私、私っ」


 尚も言葉を詰まらせる律に、澪は励ますように言葉を掛けている。


「大丈夫、大丈夫だから」


 その二人に言葉を挟む事が躊躇われたが、紬は結局言った。


「ごめんね、りっちゃん、澪ちゃん。
 何時までもこうしている訳にはいかないわ。
 取り敢えず、二人の服と、それと梓ちゃんと唯ちゃんを拘束しないと。
 意識を取り戻した時、また暴れないとも限らないし」


 梓はともかく、唯に気力が残っているとは思えなかった。
だが、警戒は必要だろう。



223 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:36:45.62 ID:S9cKBqsw0

「唯は……大丈夫なのか?」


 律の声は心配そうだった。


「死んではいないわ。死に至る重症でも無いと思う……多分ね」

「そっか、良かった。ムギは、ムギは大丈夫か?」


 律が自分の身を案じてくれた事が、紬は少なからず嬉しかった。


「ありがとう。私は大丈夫よ、まだ身体中痛むけれど。
 ちょっと二人は此処で待っててもらえる?
 唯ちゃんと梓ちゃんを一先ず拘束するシーツか何かと、
 りっちゃんと澪ちゃんの替えの服を取ってくるわ」


 そう言って紬は立ち上がった。
泊まる為に持ち込んだ着替えを含めて、
律と澪の荷物は紬が監視場所として使用していた部屋に置いてある。
身体の痛み故に足取りは覚束ないが、時間を掛ければ部屋まで辿り着けるだろう。


「いや、私が行くよ。だから場所だけ教えてくれ」


 律は紬を気遣うように口にしていた。


「悪いわ、私のせいでもあるんだし」

「いや、私のせいだよ。唯も梓もいちごも、そしてお前も悪くない。
 だから、私が行くよ。
 何より、ムギは怪我してるし、澪だって足を捻ってる。
 私しか、居ないだろ?」


 律の申し出は有難かった。確かに、身体中が痛みを訴えている。
律とて精神的に辛い部分が多々あるのだろう。
だが、だからこそ動きたいのかもしれなかった。


「有難いわ。でも、やっぱり私だって悪いのよ。
 唯ちゃんも梓ちゃんもいちごちゃんも含めて、
 澪ちゃんを裏切ってたんだから」


 紬はそれだけ言い含めて、部屋の場所を教えた。
加えて、唯と梓を拘束する為に、シーツも持ってくるように頼んだ。



226 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:39:16.61 ID:S9cKBqsw0

「ああ、そう複雑なコースでも無いな。そらで憶えられるよ。
 行ってくる、ちょっと待っててな。それと、澪の事頼むわ」


 紬は頷くと、律を見送った。
そして、梓と唯に視線を向かわせる。
ハンカチか何かで、手だけでも拘束しておいた方がいいと判断したのだ。
また、容態も確認しておきたかった。

 まずは梓に向かうと、顔色や呼吸を確認した。
暫く起きそうな気配は無いが、命に別状は無いだろう。
ハンカチで手を縛ると、ふとポケットの膨らみが目に入った。

探ってみると、携帯電話と財布があった。
財布に興味は無いが、携帯電話には興味がある。
もしかしたら、メールの送受信記録や着信履歴に、
梓や唯がゲームの黒幕である証拠があるかもしれないと思ったのだ。

 プライバシーの侵害が気になったが、どうせこちらは情事まで撮影されている。
お互い様だと胸中で言い訳して、メールの受信ボックスを見た。

「梓ちゃんは……協力者では無かったのか」
 差出人不明のメールを見て、紬は然程意外でも無さそうに呟いた。

その文面には、こうあった。


『田井中律と秋山澪が、琴吹紬が主催する悪趣味なゲームに巻き込まれる。
 それを解決できれば、田井中律からの歓心を買えるだろう。
 ただし、助けるタイミングを誤ってはいけない。
 もし間違えれば、二人の命が危険に晒される』


 続いて、この別荘の住所とゲーム開催の日付が書いてあった。
メール自体の着信日付は、昨日だった。



230 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:41:08.33 ID:S9cKBqsw0

「唯ちゃんが黒幕、か」


 紬は呟く。
唯が梓にメールを送って乱入させたのだろうと、紬は推測した。
送信者のメールアドレスは、携帯電話のプロパイダメールでは無く、
フリーメールのものだった。

唯が送ったかどうかの証明はできないが、消去法的に考えた結果だった。
加えて、律に対する執着は、浮気相手の中で唯が一番強かった。


 紬は次に、唯の元へと移った。
顔色は悪いが、呼吸までは途絶えていない。
取り敢えず手を縛ろうと、唯のポケットを弄った。
自分のハンカチは、梓の拘束に使っている。
だから唯のハンカチで代用する心算だった。

 その時、手が固い物体に触れた。
それは携帯電話だった。
梓への連絡や紬への指示には、フリーのメールアカウントが使われていた。
故に期待薄だと分かっていたが、梓の時と同様にフォルダを調べた。


「えっ?」


 程なくして、紬は絶句を漏らした。
その原因は、受信フォルダにあった一通のメールだった。


『田井中律を、秋山澪と琴吹紬が誑かそうと画策している。
 田井中律は貴女のものの筈だ。

 だが田井中律は、琴吹紬の別荘で、性欲の餌食にされようとしている。
 琴吹紬と秋山澪によって、田井中律は犯される。
 貴女は田井中律を取り戻さなくてはならない』


 梓の時と同様、この別荘の住所と今日の日付が書いてあった。
送信者のメールアドレスは、梓に送られたメールと同じだった。


「どういう……事?」



231 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:43:43.61 ID:S9cKBqsw0

 唯もまた、詐言を受けて操られていたに過ぎない。
その唯こそが黒幕だと思っていた紬は混乱に陥った。
だが、すぐに混乱から脱し、黒幕の正体を導き出す。
消去法で考えれば、もう一人しか居ないのだ。

 紬は自分の携帯電話を取り出すと、彼女の番号へと発信した。
彼女の電話番号を、紬はつい最近まで知らなかった。
昨日、眠っていた律の携帯電話のアドレス帳から、入手したばかりである。

 すぐにその相手は着信に応答した。


「もしもし?」

「どうも、琴吹紬よ。
 いちごちゃん、貴女が黒幕だったのね。協力者の正体だったのね」


 相手は、若王子いちごは、沈黙を返してきた。
その沈黙こそが答えである気がしたが、紬は敢えていちごの返答を待った。


「……何の話?」


 少し経って、いちごの訝しげな声が返って来た。


「惚けないでっ。今回のゲームよ。
 貴女が、裏で糸を引いていたんでしょう?
 それで、今は何処に居るの?この建物内に、潜んでいるのかしら?」


 紬は苛立たしげに問いかけた。


「だから、何の話だか分からない。錯乱でもしてるの?
 忙しいから、切るよ?これから病院行かなきゃならないし。
 何なら一緒に行く?診療科は違うだろうけど」



233 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:45:10.18 ID:S9cKBqsw0

「惚けるのもいい加減にして」

「惚けてなんか無い。本当に最近は厄続きね。
 この前は自転車で転んで怪我するし、そのせいで病院通い。

 そして今度は、紬が訳の分からない事を言って絡んでくる。
 マイナスのサイクルもいい加減にして欲しいな。
 ていうか、何処で私の番号知ったの?」


 律の浮気相手の一人という事で、
念の為と自分に言い聞かせて入手しておいた番号。

それは律のプライバシーへと踏み込む自分に対する言い訳であり、
本当に使う事になるとは思っていなかった。

 勿論、その事をいちごに伝えはしない。
いちごの問いには答えず、追及のみを続けた。


「自転車で転んで怪我?見え透いた嘘言わないで。
 貴女が今回のゲームの」

「もう、付き合ってられない。
 何処で私の番号知ったのか分からないけど、もう掛けてこないで」


 いちごは紬の言葉を遮ってそれだけ言うと、一方的に電話を切った。
紬は怒りと警戒の綯い交ぜになった思いで、リダイヤルしようと試みる。

だが、その手は不意に止まった。
紬の脳裏に、大きな疑念が過ぎったのだ。



235 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:46:19.48 ID:S9cKBqsw0

 いちごと紬は、それ程親しかった訳では無い。
故に、この別荘へと招いた事が無かった。

そのいちごが、果たして今回の計画を思い付くだろうか。
別荘の構造さえ知らないいちごに、考え付けるだろうか。
少なくとも、エレベーターの存在を知らない限り、
その中に注水するなど考え付けるはずもない。

 また、いちごは梓とは殆ど面識が無かった。
面識のある唯や紬とさえ、電話番号の交換をしていない。
いちごが黒幕だと言うのなら、どうやって梓とコンタクトを取ったのだろうか。

 疑念を深めた紬は、今まで見落としていた問題にも気付いた。
それはいちごに限った話では無く、紬をすら含めた話だった。

もし黒幕が律の浮気相手の中に居るのならば、
自身と律の場面をどうやって撮影したと言うのだろうか。
リスクを冒して、誰かに頼んだのだろうか。

 疑念の中で紬は、別の可能性に思い至った。
──黒幕は律の浮気相手の中には居ない──


「いちごは私とそれ程親しく無かったから、裏切られたって感じはあまりしなかった。
 だから、自転車に細工する程度で許してあげたよ」


 その時、後ろから低い声が聞こえた。
紬が反射的に振り返ると、
立ち上がった澪が勝ち誇った笑みを浮かべて見下ろしている。
足など始めから捻っていないような、自然な姿勢だった。


 実際、歩みを進めてくる澪には、
足を庇うような仕草は一切見受けられない。
裸体を恥じる事の無い、堂々とした闊歩だった。

悠然と澪は、続けて言い放つ。


「律との絆を確かめる事ができたよ」


 途端、紬の脳裏に記憶の奔流が押し寄せた。
それらは全て、澪の発言だった。



236 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:48:00.58 ID:S9cKBqsw0



『律だけ愛してきた。律だけ愛してる。律だけ愛していく』
──律に対する凄まじい執念。

『律の言う通り、企画した奴はきっとすぐ側でゲームを見てるんだろう』
──澪は律の最も側に居た。

『お前が誰かと浮気しているんじゃないかって、疑ってたんだ』
──澪は律の浮気に気付いていた。

『律の事、ずっと見てきたから』
──だから澪は律の浮気を撮影できた。

『夜も眠れず……精神科にだって通ったくらいなんだ』
──紬に届けられた睡眠薬の入手経路。

『律は怪我してるし……それも私のせいで』
──文字通りの意味。

『確かに来た事のある場所だな』
──エレベーターの存在を知っていた者。

『律との絆を確かめる事ができたよ』
──ゲームのテーマは絆。ゲームの目的は二人の絆を確かめる事。
その必要に最も迫られていた者とは──



241 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:50:41.86 ID:S9cKBqsw0



「いやあああああっ」


 紬の口から絶叫が漏れた。
発作的に唯の手から金槌を引っ手繰って、澪へと向ける。

協力者の正体に気付いた衝撃を、口から迸らせたまま。
黒幕は、ゲームをコントロールできる位置にずっと居た。
姿を見せなかったのでは無い、見せられなかったのだ。

 澪は事も無げに紬の手を払い、金槌を叩き落して言う。


「律が私から離れて、浮気相手の所に行くんじゃないかと不安だった。
 気が狂いそうだった。
 でも、今回の件で、私達の結び付きは強くなった。
 これでもう、律は浮気しない」


 言葉を放ちながらゆっくりと迫ってくる澪に合わせて、
紬は腰を地に付けて後退する。


「あ……ああ……全部……演技だったの?」


 恐怖を隠せず、紬の問う声が震えた。


「ほとんど本音だったよ。
 実際、律が私を信じさせてくれないなら、一緒に死のうと考えていた。
 私は律の為に大切な何物をも、例えば自分の親友でさえ犠牲にできる。

 そして今回、犠牲にした。
 律がそれに値するやり方で私を信じさせてくれないなら、
 あのまま一緒に死んだ方が良かった。

 でも、顔を犠牲にしてくれた。その後、親友までも。
 ああ、足を捻ったのは演技だけどね」


 後退していた紬の指が、縁に触れた。
それは、エレベーターの縁だった。


「言ってやるっ。りっちゃんに、言ってやるんだからっ」


 追い詰められた紬は、恐怖と怒りを織り交ぜて叫んだ。
しかし、澪は全く動じなかった。



242 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:51:51.56 ID:S9cKBqsw0

「それは名案かもな。ムギの眼前で律に打ち明けてみようか」


 紬は咄嗟に叫ぶ。


「嫌っ。見たくないっ」


 真実を知った今、澪に律を渡したくは無かった。
だが律は、澪の為に顔を傷つけ、大切な友人であり嘗て愛した唯を傷つけた。
それら犠牲を正当化する為には、もう澪を愛し続けるしかない。
澪の悪辣な部分を今更見た所で、もう引き返せない所まで来ている。

だから律はきっと、澪を愛し続けるだろう。
それは紬にとって、絶対に見たくない場面だった。

 紬は話題を変えようと、続け様に叫ぶ。


「澪ちゃんっ。唯ちゃんや梓ちゃんが可哀想だと思わないのっ?
 りっちゃんを騙して、悪いと思わないのっ?」

「唯と梓は、親友や妹だと思っていたのに、私を裏切った。
 その罰だよ。お前がゲームの規定から外れて、
 私達を救助しない時の保険でもあったけど。

 律に付いては……そうだな、確かに騙していた事は悪いかもな。
 だからやっぱり、打ち明けよう。勿論、お前の眼前で」


 再び戻ってきた話題に、紬は激しく首を振って返す。


「嫌っ嫌っ嫌っ」



246 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:53:04.19 ID:S9cKBqsw0

「提案したのはお前だよ。
 それに、見続ける事が、私を裏切り律に手を出したムギへの罰だしね。
 だから、大人しくしてな」

 澪の足が蹴るような勢いで、紬を強く押した。
紬の後方は、エレベーターの籠へと落ちる空間だった。


「あっ」


 紬は身体が宙に浮く感覚を味わった。
その感覚は長く続かず、水面を破る音と共に水の感覚へと変わる。
飛沫の向こうに、縄梯子を引っ張り上げる澪の姿。
紬は慌てて手を伸ばすが、間に合わなかった。

 呆然と上を見上げる紬に対し、澪の冷たい声が降ってくる。


「絆を深めた私と律の関係は、幸せなものになるだろう。
 生きている事に感謝できるくらい、幸せなものにな。
 お前は律を誑かし、幸せから遠ざけていた。
 その自分の罰から逃げるなよ、ムギ」


 紬は見ていた。
両腕を広げ、左右の扉を掴む澪を。

 紬は見ていた。
抱くような動作で、勢い激しく扉を閉める澪を。



248 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:54:29.23 ID:S9cKBqsw0

.


.
 律と澪を左右半々に模して作った人形が、ディスプレイの端に映っている。
監視に使っていた部屋から、澪がライブ映像の送信を始めたのだろう。
紬がゲームの開催を告げる時に、そうしたように。

 絶望が届けられるライブ映像を、紬は見ていた。
律に全てを打ち明ける、澪の姿を。
その後に裸のまま抱き合う、律と澪の姿を。
律の顔の傷痕を愛しそうに舐める、澪の姿を。
真相を語った澪を受け入れる、律の姿を。

 そして律の放つ言葉が、スピーカーを通じてエレベーター内に響く。


『ムギより澪の方が好きだよ』

「やめてえぇっ」


 紬は耳を塞ぎ叫んだ。

それでも、目を閉じる事はできなかった。
絶望から目を逸らす事ができなかった。
澪の放った罰という言葉に、精神が拘束されていたから。

だから、紬は見続けた。
自分よりも澪を選ぶ律を──
幸せそうな澪の笑みを──
律の顔の傷を──
二人の絆を──
紬はそう、見ていた。


<FIN>



253 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:57:50.87 ID:S9cKBqsw0

>>5-248
以上で完結です。
改行の件で指摘を受けましたが、
文量の関係上ご要望に添えなかった事、
お詫びします。


最後までご閲覧頂き、ありがとうございました。
支援頂いた事と合わせて、お礼申しあげます。
それでは。




250 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:55:27.02 ID:yv25beDC0

おつ



251 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:55:53.33 ID:avVOuY3i0





252 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:56:52.25 ID:c+EvDnJ/0


面白かったけど別人過ぎたのが残念
「」の前にキャラ名がなかったから特にそう思う
もう少し元のキャラに似せてほしかった



254 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:58:13.65 ID:ehFOGuZjO


面白かった



255 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:58:27.81 ID:f8ihNPlf0

別に悪いとか言うつもりはないが、地の文ほとんど飛ばしてたわ
SAWもそんな感じで見るし



256 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:58:31.10 ID:jwHMzKyF0


まとめ方がまさにSAWで面白かった



257 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:58:34.96 ID:m7UojOOc0


そして、ゲームオーバー



258 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 00:58:57.00 ID:kD5UK7Dc0

SAW見たことないけど面白かったわ
謎の爽快感があった



267 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 01:23:22.11 ID:X2Bsf3uOO

>>258
SAWだけにSAW快感ってかwwwwwwwww



268 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 01:32:11.58 ID:jwHMzKyF0

>>267



260 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 01:01:19.77 ID:b6ULexaO0


いちごは俺がせっかんしておく



261 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 01:01:52.69 ID:bbks0SPbO





263 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 01:06:58.32 ID:dal/feKO0

真の黒幕は何もせず澪達を傍観していた俺達



264 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 01:09:49.29 ID:v7sGW1bz0

SAWの最後に似てていいな
扉閉めるくだりとか



265 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 01:16:23.10 ID:MxMrl3rU0

>>1乙!!追い付いたら終わってたwwww



266 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 01:17:48.58 ID:Z06xjIiT0

途中までとオチはよかったよ
急にムギが正義の味方面し始めたあたりは微妙だったが乙



270 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/15(月) 01:35:08.68 ID:mmBrlg350

むぎゅーーー






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紬「SAW」#後編
[ 2011/08/15 16:04 ] ホラー | SAW | CM(0)

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