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唯「く」 梓「ぐ」 憂「つ」#中編 【非日常系】


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唯「く」 梓「ぐ」 憂「つ」#前編
唯「く」 梓「ぐ」 憂「つ」#中編
唯「く」 梓「ぐ」 憂「つ」#後編





196 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/12(土) 18:25:13.79 ID:rdfhcZ6D0

 冬の日照時間は短い。
 校舎を黄昏色へと塗り替えたその日差しは、私の眼前にも平等に降り注いでいた。
 この夕空もやがて暗闇と混じり合い、そして夜に侵食されていくのだろう。

紬「そう、突然動き出した理由は、憂ちゃんにも分からないのね……」

憂「約束は果たしましたし、あの子はこのままうちに置いてもいいんですよね?」

紬「ええ、それは問題ないわ。
  ……だけど、人形が意思を持つなんて、そんなことがありえるのかしら」

 紬さんはそう呟くと私に背を向けた。
 ふわりと、柔らかな髪が風に靡く。
 とろけるようなクリーム色は夕日に染まって赤く見えた。

憂「傀儡の時点で大分現実離れしてるとは思いますけど」

紬「憂ちゃんは最初に傀儡って訊いて、どんなものを想像した?」

憂「うーん……、操り人形だとか、呪いの藁人形、ですかね」

紬「『くぐつ』という漢字は、本来『かいらい』と読むのだけど」

憂「知ってます。傀儡政権とか言いますよね」

紬「ええ。人を意のままに操る、という意味合いを持つ訳だから、
  良いイメージは浮かばないかもしれないわね」

憂「……まぁ、そうですね」



198 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/12(土) 18:26:27.46 ID:rdfhcZ6D0

紬「傀儡はマリオネットやパペットの別称。
  元々は糸や指で人形を操って、劇を作ったり、
  子供達を楽しませる為の人形。だから、決して悪いものではないのよ」

 それは、そんなことはあの子を見ていれば、十分理解できる。
 ゆいは操り人形の『傀儡』として作られた存在だけど、
 呪いだとか悪いイメージだとか、そんなのとは一切無縁だ。
 あの子はお姉ちゃんに似て、純粋で優しい子なのだから。

憂「……」

紬「傀儡が日本で呪詛的な意味合いを持つのは、それが人形であるから。
  古来から人形は、人間の穢れや悪意を引き受ける役割を担っていたの」

憂「? えっと……」

 この人は、何を言おうとしているんだ?

紬「今は何も問題ないかもしれないけれど、憂ちゃん。
  もしかしたら貴女の溢れんばかりの劣情は、
  あの人形になんらかの影響を与えてしまうかもしれないわ」

憂「……いや、あの、私の何処に劣情が?」

 私の問いに、紬さんは物憂げに溜息をついた。

紬「……さぁ、どこかしら?」

憂「……」



199 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/12(土) 18:27:14.40 ID:rdfhcZ6D0

紬「……意思を持ったことについては、私の方でその原因を調べさせてみる」

憂「お願い、します」

紬「憂ちゃん」

憂「なんでしょう?」

紬「……」

 紬さんは何かを言いかけて、口をつぐんだ。

紬「……いいえ、なんでもないわ」

 そう答えてから、いつもの優しい笑顔で振り返った。

紬「そろそろ戻らないとね。りっちゃんに怒られちゃうわ」



200 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/12(土) 18:29:41.89 ID:rdfhcZ6D0

 音楽室に戻ると、お姉ちゃん達は既に演奏の舞台を調えていた。
 どういう経緯でこうなったのかは分からないが、
 演奏というのもを知らない小さな観客の為に、一曲披露してくれるということらしい。

 これから何が始まるの? と言わんばかりに興味津々のゆいを横目に、
 私も澪さんの用意してくれた椅子に腰掛ける。
 紬さんが遅れて準備を終えると、律さんがスティックで合図を執った。

 ――。

 決してうまい訳じゃないけれど、ぴったりと息の合った演奏だった。

 ちょっと走り気味の律さんのドラムに、
 慌てることもなくぴったりと合わせてビートを刻む澪さん。
 阿吽の呼吸で二人が演奏の基盤を作り、
 サイドギターの梓ちゃんが抜群の安定感でリズム隊にその音色を乗せる。

 ドラムに合わせたカッティングも、
 ベースに合わせたコードチェンジのタイミングも、寸分の狂いもない。
 アンサンブルに音の厚みを作り、他のメンバーの音域を助けつつ、
 決して邪魔にはならないバランスでメロディを奏でる紬さんと、
 曲の核となる主旋律を弾きながら、自らボーカルを務め上げるお姉ちゃん。

 目を輝かせながら、身体全体でリズムを取るゆい。
 私もゆいと同じ気持ちで、終始聞き惚れていた。


 ……演奏している時のお姉ちゃんは、どうしてこうも格好良く映るのだろう?



201 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/12(土) 18:30:24.68 ID:rdfhcZ6D0

 私が椅子から立つのとほぼ同時に、
 ゆいが走ってお姉ちゃんのところへ駆け寄り、
 お姉ちゃんがそれを拾い上げる。

 ゆいは嬉しそうにお姉ちゃんのジャージを掴んで頬擦りを……
 って、私よりお姉ちゃんに懐いてないかこの子?

憂「すごく良かったです。お姉ちゃんも素敵だったよ」

唯「えへへ。ありがとー」

律「ぶっつけでやったにしては、良い感じだったな」

澪「そうだな。ただ、ちょっと走りすぎだったけど」

律「あれくらいの方が疾走感がでて良いんだよ」

澪「それに合わせるみんなのことも考えてくれ」

紬「まぁまぁ、憂ちゃんも良かったって言ってくれたことだし……」

澪「……ムギがそういうなら」

律「え、なんか私の時と態度違わない?」



202 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/12(土) 18:31:12.96 ID:rdfhcZ6D0

梓「唯先輩、ソロ完璧でしたね。難しいのに」

唯「ふふふ、練習したもん!」

梓「でも簡単なところで二回間違えましたよね。初っ端のリフと、サビの手前」

唯「うええっ!? うまく誤魔化せたと思ったのに」

梓「なんで誤魔化すことに力入れてるんですか、後で特訓しますからね」

唯「え~~」

梓「え~~、じゃない」

唯「にゃーん!」

梓「にゃあ!」

唯「……」

梓「……何言わせるんですか」

唯「ふふふ」

 なんなんだ。なんでいちいちそんなに可愛いんだ、お姉ちゃんも梓ちゃんも。
 二人共もはやペロペロでは済まさんから覚えておくといい。

 悶えていると、いつの間にか肩によじ登ってきたゆいに、頬をぷにぷにされた。
 生意気だぞこのやろう、と、反対の手で捕まえて
 思いっきり頬擦りしてやると、ゆいはぐったりしてしまった。
 ふふ、可愛いやつめ。



203 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/12(土) 18:32:05.32 ID:rdfhcZ6D0

律「ところで、唯」

唯「なあに?」

律「いつまでジャージでいるつもりだ?」

唯「あ、そっか。忘れてた」

 そう言って、お姉ちゃんはおもむろにジャージを脱ぎ始めた。
 光の速さで梓ちゃんが止めに入るが、そんなことは意に介さない。

唯「なんであずにゃんが照れるの?」

梓「い、いや……。だから、唯先輩はもう少し恥じらいというものをですね……」

 私はお姉ちゃんの生着替えを目と脳裏に焼付けんが如く凝視した。
 律さんだか澪さんだかから受けた「憂ちゃん、見すぎだ」という突っ込みは飄々と受け流す。
 うむ、眼福眼福。



207 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/12(土) 19:10:29.43 ID:rdfhcZ6D0

 音楽室で会話に華を咲かせていると、あっという間に下校時刻になっていた。
 夕飯の支度が遅くなってしまうことを懸念したが、
 お姉ちゃんは「遅くても大丈夫だよ」と言ってくれたので、
 「私も愛してる」、と答えておいた。

 たまにはこんな日があっても良いだろう。
 ゆいも楽しそうにしていたし、なにより生着替えが見れた。
 それだけで十二分に価値のある時間を過ごせたと言っても過言ではない。

憂「……?」

 一瞬だけ、酷く胸が軋んだような感覚に陥った。……理由は、分からない。
 何故だろうか。今私は凄く幸せなはずなのに、心の中で何かが引っかかってる。

 ――憂ちゃん。もしかしたら貴女の溢れんばかりの劣情は、
 あの人形になんらかの影響を与えてしまうかもしれないわ。

 あの言葉か?
 ……いや、私らしくもない。
 こういう時はお姉ちゃんを抱きしめつつ、
 その胸に顔を埋めて悦楽に浸ると◎って今朝の星占いで言ってた。

 気が付くと、隣を歩くのがお姉ちゃんだけになっていた。
 考え事に集中しすぎたあまり、
 律さんや梓ちゃん達と別れたことにも気付かなかったらしい。

 ふと、ゆいに視線を落とす。
 疲れたのだろう、お姉ちゃんの手袋の上ですぅすぅと寝息を立てていた。

唯「寝ちゃったね」

憂「そうだね。今日は色々あったし、疲れたんだと思うよ」



208 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/12(土) 19:12:51.57 ID:rdfhcZ6D0

唯「憂」

憂「うん?」

唯「何かあった?」

憂「え?」

唯「ムギちゃんと二人きりで話した後から、ちょっと元気ない気がするよ」

憂「……」

唯「あ、何も無いんだったら気にしないでね。私の杞憂ならそれでいいんだし」

憂「大丈夫、なんでもないよ」

唯「……そっか」



209 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/12(土) 19:13:33.23 ID:rdfhcZ6D0

 程なくして、我が家に到着する。
 私は足を止めて空を仰いだ。
 西の空に輝いていた夕日は地平線に溶けて、夜の帳が下りている。

唯「どうしたの、憂?」

憂「ううん、日が落ちるの早くなったなーって思って」

唯「冬場はお日様が恋しくなるね~」

憂「そうだね……。うぅ、寒っ」

 不意に吹き付けた風に、ぶるっと身を震わせる。
 こういうときは炬燵で(と)お姉ちゃんと(で)ぬくぬくするに限る。
 玄関の前で私を待つお姉ちゃんに駆け寄って、二人一緒に扉を開けた。



233 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/12(土) 23:39:37.42 ID:rdfhcZ6D0

唯・憂「ただいまー」

憂「と言っても、誰もいないんだけど」

唯「お父さん達、帰ってくるの来週だっけ?」

憂「うん、水曜日だったかな」

唯「そっか、じゃあそれまでは二人きりだね」

憂「!」

 よもやお姉ちゃんの口からそんな言葉が飛び出そうとは。 
 これは、そう。きっとフラグ。

 『二人きりだね……二人きりだね……』

 脳内で何度もリフレインさせる。

 『二人きりだね……二人きりだから、憂。私の全てを見て欲しいの……』

 ハラショー! ヤー リュブリュー チビャー!!

唯「ゆいの面倒もしっかり見なくちゃ――って、わぁ!?」

憂「私も! 私も愛してるよ、お姉ちゃん!!」

唯「話が噛みあってないよ!?」



234 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/12(土) 23:40:46.78 ID:rdfhcZ6D0

 力の限りお姉ちゃんの胸に飛び込んで、そのまま押し倒す。
 そのまま胸に顔を埋めて、スリスリする。これで今日は幸せになれるはずだ。
 いや、既に幸せだ! すげえ! 星占いすげえ!
 そこまで考えたところで、今朝の星占いは見逃していたことを思い出した。

唯「くっ、くすぐったいよ憂っ。どうしたの突然!?」

憂「はあぁぁぁん! お姉ちゃん可愛いよお姉ちゃん!!」

唯「う、憂、ゆいが……!」

憂「!」

 お姉ちゃんは仰向けの体勢のまま、
 ゆいが強い衝撃を受けないように必死に庇っていた。
 幸い、起きてはいないようだけど、少々興奮しすぎてしまったようだ。
 断腸の思いでお姉ちゃんから離れる。
 己の愚行を反省するが、しかし後悔は微塵も無かった。



235 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/12(土) 23:41:44.78 ID:rdfhcZ6D0

憂「ごめん、お姉ちゃん」

唯「だ、大丈夫だよ、ほら、起きてないし」

憂「……私、ゆいをベッドに寝かしつけてくるね」

唯「うん、私もギー太とカバン置いて着替えてこようっと」

 ……着替え……だと?

憂「カバンとギターをお持ちします」

唯「え? なんで?」

憂「なんでも」

唯「う、うん。ありがと、憂……」

 私は懲りもせずに、己の欲望に従った。



236 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/12(土) 23:46:34.18 ID:rdfhcZ6D0

 リビングで炬燵に潜りながらお姉ちゃんが寛ぐ。
 私はキッチンで夕食の支度。
 ゆいは私の部屋で寝ているが、あの子夕飯どうするんだろう?
 朝は玉子焼き食べてたけど、お昼は何も食べていなかった。

 人形ってお腹空いたりするんだろうか?
 いや、それ以前に疲れたら寝るとか、ご飯食べたりとかって、まるで人間じゃないか。
 うーむ、考えれば考えるほど不思議な存在だ。

憂「ねえ、お姉ちゃん」

唯「んー?」

憂「ゆいって夕飯食べるのかな?」

唯「食べるんじゃないかなー」

憂「でもあの子人形だよ?」

唯「今朝食べてたもん」

 いや、うん。
 お姉ちゃんならそう言うと思ったけど。
 一応、ゆい用に小さく切った物を準備しておくか。

憂「よし、っと」

 後はお皿に盛り付けて完成だ。

憂「お姉ちゃん、そろそろ――」

 ガシャーーーン!!



238 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/12(土) 23:47:20.61 ID:rdfhcZ6D0

憂・唯「!?」

唯「い、今の音……」

憂「上からだよね」

唯「うん……、もしかしてゆいが――わっ!? 待ってよ、ういー!」

 私はエプロンでそそくさと手を拭いて、駆けつけて来たお姉ちゃんの手を掴んで走る。
 リビング脇の階段を上って三階へ。廊下を通って、私の部屋……の扉が開いてる!?

憂「ゆい!」

唯「ここには、居ないみたいだね」

 となると、お姉ちゃんの部屋、か?

憂「ゆいー!?」

 お姉ちゃんの部屋の扉も、やはり開いていた。
 となれば、ゆいはきっとこの部屋に――。



240 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/12(土) 23:49:12.12 ID:rdfhcZ6D0

唯「あ、ギー太……」

憂「ゆ……ぐはぁ!?」

 く、抜かった……。私にとってこの部屋の空気は、猫で言うマタタビのようなもの。
 増して隣にお姉ちゃんが居て、かつその手を握っているとなれば、私の情欲も鰻登りだ。
 お、落ち着け私。こんなタイミングで愛に耽溺している場合じゃないぞ!
 はぁはぁ言いながら、理性を振り絞ってゆいの姿を探す。
 お姉ちゃんは既に私の手を離し、ギターの元へと駆け寄って――

 ――いた。

 スタンドから離れてうつ伏せに横たわるギターの横で、ゆいは蹲っていた。

唯「ゆい、大丈夫?」

 お姉ちゃんが優しく声をかけると、ゆいはゆっくりと顔を上げる。
 スタンドに固定されていたギターが倒れているということは、
 なんらかの力が加わったってことだけど……。

 寝ていたはずのゆいが、私の部屋、そしてお姉ちゃんの部屋の扉を開けて、
 更にはスタンドによじ登ってギターを倒した……ということか。

憂「ゆい、どうしてこんなことしたの?」

 言葉を発することができないゆいは、ボディジェスチャーで必死にアピールする。
 ギターを指差して、次にお姉ちゃんを見て、
 エアギターをするかのような仕草。
 更には両手を挙げて、自ら床に倒れこむ。ばたん!

 ……可愛い。



241 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/12(土) 23:51:47.00 ID:rdfhcZ6D0

唯「……ゆいもギー太弾きたかったんだね。
  それで、私の部屋に来てギー太を手に取ろうとして、そのまま倒しちゃった……」

 っていうことでいいのかな? とお姉ちゃんが問うと、ゆいは、うんうん、と何度も頷いた。
 しかしその様子は、必死に言い訳して罪を逃れようとしている行動のようにも映る。
 お姉ちゃんはどこまでも優しいから、きっと笑って許してしまうことだろう。

憂「ゆい。言い訳よりも、まずはごめんなさいでしょ?」

 だから私は、しっかりとした口調で言い聞かせる。

唯「大丈夫だよー、ういー。ギー太も傷付いてないみたいだし」

憂「お姉ちゃんはちょっと黙ってて!」

唯「は、はい……」

 萎縮するお姉ちゃん。しまった、語気を強めすぎたか。
 後で謝りながらぎゅっと抱きしめるとしよう。

憂「良い、ゆい? このギターはお姉ちゃんにとって大事なものなの。
  もしギターが壊れちゃってたら、お姉ちゃんは悲しむよ。
  悲しむお姉ちゃんは見たくないよね?」

 ゆいは、自分が諭されていることを察しているのだろう。
 私を真剣に見つめて、目を逸らそうとはしなかった。

憂「それにね、ギターが倒れた時に、ゆいがもしここに居たら……」

 私はゆいを床に置き、反対の手でギターをゆっくり倒していく。
 ゆいは、自分が潰されると思ったのだろう。
 必死に首を横に振って『嫌!』と訴えていた。

憂「ね? 怖いでしょ? ゆいがしたことは危ないことなの。分かった?」

 今度は静かにゆっくりと、ゆいは一度だけ頷いた。



242 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/12(土) 23:53:29.58 ID:rdfhcZ6D0

憂「はい、お姉ちゃんにごめんなさいして」

 自分の手に乗せて、ゆいをお姉ちゃんの正面に据える。
 ゆいは、私の目を何度か見た後、お姉ちゃんに向けてこくりとお辞儀した。
 お姉ちゃんは『良いよ』と微笑んでから、
 『よくできたね』と囁きかけて、ゆいの頭をすっと撫でた。

憂「演奏してるときのお姉ちゃん、素敵だったから。ゆいも弾きたくなっちゃったんだよね」

 ちゃんと謝れたからもう怒ってない。
 ゆいにそう伝える為に、柔らかな口調で告げる。

憂「そういう時は勝手に弾こうとしないで、お姉ちゃんに弾きたいって伝えるんだよ。
  そうすれば、お姉ちゃんはギター弾かせてくれるから、ね?」

 ゆいがこくり、と頷いたのを見て、私はお姉ちゃんに微笑みかけた。



243 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/12(土) 23:54:12.51 ID:rdfhcZ6D0

唯「ご飯食べたら弾かせてあげよっか。
  私が左手でコード押さえれば、弾くだけならゆいでもできると思うし」

憂「そうしてあげて。……ごめんねお姉ちゃん」

唯「ううん、私もゆいと一緒に弾きたいからね、気にしなくて良いよー」

憂「……ありがと」

唯「憂、なんかお母さんみたいだね」

憂「そう、かな……?」

唯「ゆいのお母さんみたい」

 そう口にしたお姉ちゃんの笑顔は、どこまでも温かかい。

憂「えへへ……、お母さんか。ちょっと照れる、かな」

 この私が滾る色欲を忘れるほどに、その空間には穏やかな空気が流れていた。



250 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 00:15:47.71 ID:2D7FLZJm0

 お姉ちゃんとゆいと私、三人で公園に遊びに行った。
 ゆいは空を飛ぶ小鳥を追いかけて、そのまま迷子になった。
 お姉ちゃんはゆいを追いかけて、そのまま迷子になった。
 私がお姉ちゃん達を追いかけていくと、二人仲良く冬芝の絨毯に幸せそうに寝転んでいた。
 ずるいよそんなの、と言って私も寝転んだ。
 見上げた空はどこまでも青かった。

 お姉ちゃんとゆいと私、三人でショッピングモールに行った。
 ゆいのサイズに合う人形用の洋服を何着か購入した。
 お姉ちゃんが私も新しい洋服欲しいなーと人差し指を口元にあてたので鼻から血がでた。
 ゆいが物凄い勢いで心配してくれた。

 お姉ちゃんとゆいと私、三人でボードゲームをした。
 ゆいはルールが分かっているのかいないのか、とにかく楽しそうにはしゃいでいた。
 お姉ちゃんが結婚のマスに止まったので、私は生きる気力を失った。
 ゲーム、憂、これゲームだから! と何度も叫ばれて我に返ると、ゆいに思いっきり笑われた。

 お姉ちゃんとゆいと私、三人で同じ布団に入った。
 なかなか寝付かないゆいに、私は絵本を読み聞かせてあげた。
 真剣な眼差しで次は? 次は? とせっつくゆいと、それをにこやかに見守るお姉ちゃん。

 やがてすぅすぅと寝息を立て始めたので、
 ようやく眠ったかと思って視線を落とすと、船を漕いでいたのはお姉ちゃんだった。
 全く、どっちが子供なんだかわかりゃしない。
 私はゆいと顔を見合わせて微笑んだ。



 ――そんなこんなで一週間が過ぎた。



251 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 00:17:57.76 ID:2D7FLZJm0

 ゆいは平沢家の新しい家族としてなんら違和感無く馴染んでいき、
 『お母さんみたい』と言われたその日から、
 ゆいの存在は私の中で日に日に大きくなって、その溺愛っぷりに拍車をかけていた。

 唯一の問題だったクラスメイト達も、時間の経過と共に興味が薄れたのか、
 深くは干渉せずに、時折頭を撫でたり、手を振ったりする程度にまで落ち着いていた。

梓「うわぁ、今日はまた一段とべったりだ……」

 机に突っ伏しながらゆいを抱きしめて頬擦りする私に、梓ちゃんがぼやいた。

憂「おはよう、梓ちゃん」

梓「おはよ」

憂「安心して、梓ちゃん。母性愛と梓愛はまた別だから」

梓「何一つ安心できない。ていうか変な単語作んないでくれるかな……」

 今日は一段とやさぐれていらっしゃる。



252 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 00:19:01.28 ID:2D7FLZJm0

憂「じゃあ梓ちゃんがお姉ちゃんのことを愛しているという単語は――」

梓「うわぁああああ、ストップ、憂すとーーっぷ!!」

 なぜか必死な梓ちゃんの頭に、ぱすん、とカバンが降ってきた。

純「朝っぱらからなんて会話してんのよ」

梓「だ、だって、憂が……」

憂「おはよう、純ちゃん」

純「おはよー」

憂「純ちゃん」 

純「なに?」

憂「軽音部」

純「そろそろ怒るぞ」

憂「えへへ」



255 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 00:34:33.63 ID:2D7FLZJm0

純「ところで二人とも、日曜日あいてる?」

梓「ん、私は大丈夫だけど」

憂「ごめん、私はちょっと厳しいかも」

純「何か用事でもあるの?」

憂「ううん、明日からまたお父さん達海外だから。
  お姉ちゃんも家に居るみたいだし、この子の面倒も見ないといけないからね」

 そう言って、ゆいを指で突っつく。
 ゆいは指に飛びつこうとするが、バランスを崩して転んでしまった。

純「そっかぁ、お母さんは大変だね~」

梓「むしろ唯先輩が家に居ることが重要なんじゃ……」

憂「Exactly(その通りでございます)」

 ゆいのぶつけた膝を優しく撫でながら、どこぞのサイコ野郎の台詞を流用する。

梓「……」

純「と言いつつ、梓も明日憂の家に行くとか言ってなかったっけ」



256 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 00:35:42.19 ID:2D7FLZJm0

梓「わ、私は、部活の延長で……、
  ただギターを、そう唯先輩にギター教えないといけないから、ほら」

純「私は『憂の家』と言っただけで、唯先輩の名前は出してないんだけど」

梓「うぐっ……、軽音部入らなかったこと後悔してる癖に!」

純「ぐはぁっ!? おのれ梓、そんなこと言っちゃう子には……こうだっ!!」

 オーバーアクションで怯んだ後、
 純ちゃんは梓ちゃんの首元から冷たい手を入れて、
 背中にぴたん、とくっつけた。
 そのまま外せばいいのに(ブラのホックを)。

梓「にゃぁあああっ!? やったなこのー!!」

 飛び退いた梓ちゃんが、反撃に出る。

純「きゃっ、はははは、
  ちょ、くすぐるのは反則……、このっ、私を怒らせたな!!」

梓「きゃぁっ!?」

 こちょこちょの応酬が始まる。
 しかし、私の心はそんなものでは満たされない。



257 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 00:36:25.76 ID:2D7FLZJm0

憂「純ちゃん、そのまま押さえつけといて」

 だから、私が代わりに外してやる(ブラのホックを)。

純「ふふふ、任せなさい」

梓「え、ちょ、うわ、何その手つき、
  憂、落ち着いて、話せばわk嫌ぁぁぁあああーーーーーー!!」

 ――。

 始業のチャイムが鳴り響く。
 純ちゃんと梓ちゃんは、交互にゆいの髪を撫でて、
 「それじゃ、今日も一日頑張ろー」
 「おー!」
 というよく分からない掛け声と共に席へとついた。

 ……そういえば最近梓ちゃんにセクハラしてなかったな。
 海よりも深く反省しなくては。



258 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 00:48:43.70 ID:2D7FLZJm0

 終業のチャイムが授業の終わりを告げた。
 時間割を見て嘆息する。まだ2時間目。先は長いなー。
 ゆいも退屈そうに大欠伸をひとつ。
 それでも大人しくしているのだから、よっぽど初日のもみくちゃが怖かったんだろう。

梓「憂」

憂「ん~?」

梓「……なんでそんなに眠そうなのよ」

憂「昨日の夜お姉ちゃんと大人の階段を……」

梓「はぁ!? な、なに、どういうこと!? 今度は唯先輩に何したの!?」

憂「嘘だよ。梓ちゃん、必死すぎるよ」

梓「……」

 梓ちゃんはぷるぷる震えながら俯いた。
 なんて愛らしい。ご褒美ちゅっちゅだよ~、と囁きながら接近したら下敷きでブロックされた。



259 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 00:49:30.43 ID:2D7FLZJm0

梓「まったく……」

憂「梓ちゃん」

梓「うん?」

憂「何か用があったんじゃないの?」

梓「あ、そうだった」

憂「可愛い」

梓「う、うるさいな!」

憂「それで?」

梓「うん、次体育だからさ。唯先輩にゆい預けに行くんでしょ?」

憂「……梓ちゃん」

梓「なに?」

憂「行きたいんだ? お姉ちゃんに会いに」

梓「……いや、別に」

憂「じゃあ、なんで来たの?」

梓「……」



260 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 00:50:58.62 ID:2D7FLZJm0

憂「違うって言うなら私がお姉ちゃんの所に行って、
  ついでにお姉ちゃんにちゅっちゅしてくるけど」

梓「……」

 椅子から立ち上がった私の肩を、梓ちゃんが両手でがっちり掴んだ。

梓「すいませんでした」

 素直でよろしい。

憂「一緒に行こうか」

梓「……うん」

 梓ちゃんと並んで廊下を歩く。

梓「今日のゆい、静かだね」

憂「授業中はいつも静かにしてくれてるよ」

梓「いや、そうじゃなくて、なんか元気が無いって言うか……」

 その言葉に、私は思わず足を止めた。
 授業中眠そうにしてるのはいつものことだが、
 休み時間中はクラスメイトと戯れたり、
 私や梓ちゃん、純ちゃんに擦り寄って来るのが常だ。

 だが、今日はそういう素振りを一切見せず、
 授業中となんら変わりなく目を擦ったりして、ぼーっとしている。
 風邪でも引いたのだろうか? ドールなのに?
 人間の医者に診てもらうわけにもいかないしなぁ……。
 紬さんにでも訊いてみるか。



332 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 21:50:53.47 ID:2D7FLZJm0

憂「……」

 紬さんという名前から想起されたのは件の台詞。
 仮に私に劣情とやらがあったとして、
 その影響を受けたゆいが体調不良を起こしているとでも言うのか?
 そんなこと、ありえない。

梓「どうしたの憂、深刻そうな顔して」

憂「梓ちゃん、劣情ってどういうことだと思う?」

梓「……そりゃ、憂が時折唯先輩や私に向けてくる、
  なんていうか……その、そういう感情のことじゃないの?」

憂「私が劣情を持っている、と?」

梓「至るところから滲み出てるじゃない」

憂「……」

 まじかよ。

梓「なんでそんなに驚くの?」

憂「私は淑女だよ」

梓「程遠いわ」



333 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 21:51:52.84 ID:2D7FLZJm0

憂「……」

 いや、考えすぎだろう。
 元気が無い程度で、まだ病気と決まった訳ではないし、
 私の感情如きがゆいにそこまでの影響を及ぼすとはやっぱり思えない。
 手の平に乗せたゆいを見据える。
 『どうしたの?』と不思議そうに私を見つめるゆい。

憂「杞憂だよね」

梓「ゆいのこと?」

憂「ちょっと疲れてるだけでしょ」

梓「……そうだね」

 ゆいの話題から、期末テスト、冬休み、
 そしてクリスマスの話題へと世話しなく移ろい、
 やがてお姉ちゃん達の教室にたどり着く。
 扉を開けて、最初に私達に気付いてくれたのは律さんだった。

律「おー、憂ちゃんに梓じゃないか」

憂「こんにちは、お姉ちゃんいます?」

律「唯、お客さんだぞー」

唯「ふぇ?」

 その声に、和さんと楽しそうにお喋りしていたお姉ちゃんがこちらを振り向いた。



339 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 22:09:11.60 ID:2D7FLZJm0

唯「あ、ういとあずにゃん! ごめんね和ちゃん、ちょっと待ってて」

和「はいはい、いってらっしゃい」

 ぱらぱらと手を振る和さんに背を向けて、お姉ちゃんが小走りでこちらにやって来る。

唯「どうしたの、二人共?」

憂「会いたかったよ、お姉ちゃん!」

唯「わっ!?」

 とりあえず抱き付いておく。
 そうすることで、後ろにいる梓ちゃんが不機嫌になるのだ。
 というのは表向きの理由で、単純にお姉ちゃんの匂いを堪能したかっただけである。
 
唯「……」

 そのままの体勢で優しく頭を撫でてくれるお姉ちゃん。
 これで後ろにいる梓ちゃんが更に不機嫌になるのだ。
 というのは表向きの理由で、単純にお姉ちゃんの身体を撫でくりまわしたかっただけである。

梓「あ、あの」

唯「えへへ、あずにゃんもおいでよ」

梓「上級生の教室前でそんな恥ずかしいことできません。
  ていうか憂が占有してるから私が抱きつくスペースが……、じゃなくてですね」

唯「気にすることないのにー」



343 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 22:17:48.02 ID:2D7FLZJm0

梓「私達のクラス、次体育だから、
  ゆいを預かってもらおうと思って来たんですよ。っていうかそろそろ離れろ!」

 梓ちゃんに無理やり引き離される私達。
 嗚呼、なんたる悲恋物語。現実はかくも残酷である。

唯「そっか、体育なんだ。ゆい、おいで」

 お姉ちゃんが手を差し出すと、ゆいは嬉しそうにその手に飛び乗った。
 心なしか、さっきより元気になってる気がしてちょっぴりジェラシー。

憂「じゃあ、ゆいのことお願いね」

梓「お願いします」

唯「ほいほーい、任せといて!」

 ばいばーい、と手を振るお姉ちゃんと別れて、
 私と梓ちゃんは自分達の教室へと向かう……と見せかけて、壁際に身を潜める。

梓「な、なにやってるの、憂?」

憂「しっ、静かに!」

梓「?」



344 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 22:24:17.25 ID:2D7FLZJm0

 壁からそっと顔を出して、お姉ちゃんを見つめる。
 私達の姿が見えなくなったことを確認したお姉ちゃんは、
 踵を返して教室に入ろうとする――その瞬間。

唯「あ、あれっ……、な、なんで?」

 小さな声が漏れた。
 足を止めて、「ちょっと待ってね」と呟いてゆいを足元に置き、
 自らの背中に手をまわすお姉ちゃん。

梓「憂、まさか……」

 さすがは梓ちゃん。
 冷静さを保っている振りをしながら、僅かに上気した頬がその興奮を物語っている。
 間違いない。この娘なら分かってくれる。
 そしてブラウス、セーター、ブレザーという
 三重の壁を突き破ったこの右手の偉業を讃えてくれるに違いないッ!!
 だから私は梓ちゃんに向けて親指をグッと突きたてた。

憂「抱きついた時に外しました(ブラのホックを)」




 怒られた。







345 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 22:30:36.19 ID:2D7FLZJm0

憂「ん~~~っ」

 両手を頭の後ろに組んで、大きく伸びをする。
 日頃運動不足の私にとって、体育の授業はなかなかに酷なものがあった。
 運動自体は別に苦手ではないけれど。

梓「お疲れ様、憂」

 既に制服に着替え終えた梓ちゃんが、声をかけてくる。

憂「早いね、着替えるの」

梓「憂がのんびりしすぎなんだと思うけど」

憂「そうかなー」

 何かを期待しているような眼差しで私を見つめる梓ちゃん。
 言わずもがな。私とて理解はしている。

憂「ゆいを引き取りに行かないとね」

梓「あ! そっか、そうだったね!
  ほら、休み時間終わっちゃうし、早く着替えて、行こう、憂」

憂「……」

 もうバレバレなんだから隠さなくても良いのに。
 着替えを終えた私は、素直にならない梓ちゃんと共に、お姉ちゃんの教室へと向かう。
 右手をわしわしと開閉させて、お姉ちゃんに抱きついた時の為のイメージトレーニングも欠かさない。



346 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 22:43:06.25 ID:2D7FLZJm0

梓「あ、先輩達だ」

 梓ちゃんの声に、右手に集中していた意識を前方へと向ける。
 そこには、楽しそうに談笑するお姉ちゃん、律さん、澪さん、紬さん、和さんの姿。
 遠目からでは分かり難いが、お姉ちゃんの肩にはちょこん、とゆいが座っていた。

憂「お姉ちゃん!」 梓「先輩!」

唯「あ、おかえり二人ともー」

澪「お、どうやらお迎えが来たみたいだな」

律「澪、死んじゃうのか?」

澪「そういう意味じゃない!」

律「うっ、うっ……忘れないぞ、澪。
  私はお前のことは決して忘れな――
  いででで、嘘、嘘、冗談だってばゴメンナサイ澪ちゃん様!」



347 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 22:44:37.46 ID:2D7FLZJm0

紬「ほら、ゆいちゃん。お母さんが来てくれたわよ」

 お姉ちゃんの肩に乗るゆいに、紬さんが微笑みかけると、
 ゆいは、満面の笑みを浮かべてお姉ちゃんの頬に抱きついた。

唯「良かったねー、ゆいー。わっ、あはは、くすぐったいってば~」

 ひとしきり抱擁を交わすと、
 ゆいはお姉ちゃんの髪の毛を引っ張って、『降ろして欲しい』とせっついた。

唯「慌てて走ると危ないよー?」

 お姉ちゃんが廊下に屈みこんで、ゆいをゆっくりと地面に降ろす。
 私は、今すぐにでも駆け寄りたい衝動を抑えて、
 ゆいがこちらに走ってくるのを待つことにした。
 歩けるようになった子供を見守る心境って、こんな感じなのかもしれない。

 とことこと走ってこちらに向かってくるゆい。

 ……あれ?

 ――なんか、遅くないか?

 気のせい、だよね……?


 ようやく私のところまで走りきったゆいは、やっぱり笑顔だったけれど、
 私の心の隅に存在していた小さな不安は、徐々にその形を現そうとしていた。



402 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 20:33:44.24 ID:uS14Vocc0

唯「おはよー、ういー」

憂「おはよう、お姉ちゃん。すぐご飯の支度するねー」

唯「ふぁーい」

 欠伸をしながらお姉ちゃんが階段を下りて来た。
 時刻は午前の10時。午後から梓ちゃんが遊びに来ることもあってか、頑張って早起きした様子。
 10時を早起きと称するかどうかは、大分怪しいところではあるけれど。

 お姉ちゃんと私とゆい、それに梓ちゃんを交えて団欒を共にできる素敵な休日。
 普段の私なら意気揚々と108通りのセクハラパターンを研鑽しているところではあるが、
 しかし、今日の私は一味違う。

 今日一日、私は鋼の意志をもって自らの情欲を押し殺そうと思う。
 私の劣情がゆいに悪影響を及ぼしている確証はないし、あるとも思っていない。

 だから、あくまでもこれは保険だ。
 これ以上ゆいの元気がなくなってしまうのは嫌だし、念の為というやつだ。
 今まで必要が無かったから抑えてこなかっただけで、
 劣情なんてものは、気持ちの持ち様でどうにでもできる筈なのだ。



403 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 20:34:26.60 ID:uS14Vocc0

憂「それじゃ、私達もご飯食べようか、ゆい」

 二階の掃除、洗濯と大まかな家事を済ませて、肩に乗るゆいに問いかける。
 相も変わらず眠そうにしているゆいが、こくりと頷いた。

 平沢家の朝は基本的にパン派である為、さほど手間はかからない。
 1品。食パンにハムとチーズ、スライスした玉ねぎ、ざくぎりトマトを挟んでトースト。
 2品。少し甘めに味付けしたスクランブルエッグに、バターで炒めたほうれん草とベーコンを添える。
 3品。デザートには、すり潰した苺に砂糖を塗して牛乳をかけただけの簡単イチゴミルク。

憂「はい完成」

 手抜きとか言わない。
 作り終えた食事をリビングへと運ぶと、お姉ちゃんが炬燵で丸くなっていた。

憂「お姉ちゃん、出来たよー」

唯「あーい」

 炬燵から頭だけ出したお姉ちゃんが、もぞもぞと這い出てくる。

 嗚呼、今日もそのだらけっぷりがいとおしい。
 夢現で無防備な姉ちゃんの反対側から炬燵に潜り込んで、
 ピンク色のベロアパンツをずり降ろして顔を押し付けたい――っておい、バカ。
 妄想を膨らませたところで首を横に振って、ゆいに視線を送る。
 私と目が合うと、ゆいは劣情とは無縁の天真爛漫な笑みを浮かべた。
 私は僅か20分で崩壊の兆しを見せた鋼の意思を必死に補強した。



405 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 20:51:15.35 ID:uS14Vocc0

唯「美味しいねー」

 もぐもぐと咀嚼しながらお姉ちゃんがゆいに微笑みかける。
 スクランブルエッグをもしゃもしゃと頬張るゆいも、お姉ちゃんに微笑み返す。
 
 躾に厳しい一般家庭ならば、
 口の中に物を入れたまま喋るんじゃありません
 と叱りつけるのだろうけど、平沢家ではその必要は皆無である。

 何故って、そりゃお姉ちゃんとゆいが可愛いからだろう。

唯「……どうしたの、うい?」

憂「え、ううん、何でもないよ」

唯「?」

 いかん、堪えろ。と自分に言い聞かせてお姉ちゃんから目を逸らす。
 私は誤魔化すようにしてスプーンでイチゴミルクを掬い、ゆいの前に差し出した。
 ゆいは、くんくんと匂いを嗅いだ後、それを一口舐める。

憂「美味しい?」

 いつもみたいにこくりと頷くことはなく、ゆいは一心不乱にイチゴミルクを飲み始めた。
 その仕草に、思わず笑みがこぼれる。



406 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 20:52:16.76 ID:uS14Vocc0

憂「そういえば、梓ちゃん来るって言ってたけど、お姉ちゃん達今日は一日家にいるの?」

唯「うん。この前合わせたときにあずにゃんに怒られちゃったから、今日は特訓なんだってさー」

憂「そっか、ギターもいいけど勉強もしなくちゃだめだよ? 来週から期末なんだし。ね?」

 ゆいに振ってみるも、イチゴミルクに夢中らしく、期待したようなリアクションは得られなかった。

唯「わかってるよ~、ちゃんと勉強も教えてもらうもん」

 勉強なら私が教えてあげるのに……。
 しかし私も一緒に、とは言えない。
 万が一、お姉ちゃんの部屋で梓ちゃんも交えて三つ巴というシチュエーションが成れば、
 私の鋼の意志は揺らいでしまうだろう。

 右に誘惑、左に誘惑、部屋に誘惑、だ。どう転んでも勝てる気がしない。
 だから、例えお姉ちゃんの方から一緒に勉強しようと言ってきたとしても、
 断固ノーと回答しなくてはならないのだ。

唯「憂も一緒にやろうよー」

憂「うん、いいよ」

 お姉ちゃんの台詞からは、目的語が抜けている。
 会話の前後関係から推測するなら、そこに入る言葉は、『勉強を』となる。
 しかし、他の単語が入る可能性とて捨て置けない。
 いかがわしい行為である可能性だって比較的高い。
 ならば答えは断固としてイエスだ。
 私の鋼の意志は、コンニャク並の柔軟性を持っているのだ。



409 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 21:11:39.43 ID:uS14Vocc0

 食事と後片付けを終えてから、私は自分の部屋、
 そしておねえちゃんの部屋の掃除へと移った。

 ゆいはリビングでお姉ちゃんに遊んでもらっている。
 今のところ、私の中の劣情とやらは脳内だけに留まってくれているし、
 部屋の掃除さえ乗り切ればなんとかなるだろう。

憂「……期末か」

 自分の部屋に掃除機をかけながら思考する。
 ゆいに構ってばかりで忘れていたけど、最近全然勉強していなかった。
 お姉ちゃんに促すよりも、まずは自分がやらなきゃ駄目だろう。
 梓ちゃん文系得意だし、教えてもらうことだってできるのだ。
 余計な事は考えず、今日は真面目に勉強した方がいいのかもしれない。

 窓を開けて空気を入れ替える。
 冷たい風が吹き込むが、それでも今日は暖かい。
 冬の柔らかな日差しを浴びて、私は大きく伸びをした。

 二階ではお姉ちゃんとゆいが、今も楽しくじゃれあっていることだろう。
 幸せな日々はこれからもずっと続いていくけれど、休日は週に二回しかないのだ。
 一秒だって無駄にしたくは無い。
 早く掃除を終わらせて、私もその幸せを噛み締めるとしよう。

憂「よーし、やるぞー!」

 気合を一つ入れたところで。
 お姉ちゃんの声が――、驚愕と悲痛の入り混じった声が木霊した。



410 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 21:14:21.22 ID:uS14Vocc0

 平和で幸せな日常は、いつだって唐突に終わりを迎える。
 そこに、私の想いは一切関係がないし、お姉ちゃんの願いも決して通じない。

 階段を駆け上がる音が近付いてくる。
 お姉ちゃんの心と同調するかのように、その痛みが伝わってくる。
 胸のうちに押さえ込んでいた得体の知れない焦燥と、言いようの無い不安が急速に膨れ上がった。
 冷や汗が滴り落ちる。

唯「憂! ゆいがっ、ゆいがっ!!」

 振り返ると、お姉ちゃんはもうそこに居た。
 額には薄っすらと汗が浮かんでいて、肩で息をしている。
 愛くるしい大きな瞳に涙を溜めて……、お姉ちゃんは泣きそうだった。
 私はその表情を見て、全てを理解した。

 あの子に何かあったのなら、きっと、それは私のせいなんだ。
 もう、逃れることはできない。

 ……私は、震える心に鞭打って、なんとか言葉を紡ぎだす。

憂「……ゆいが、どうした、の?」

唯「……」

 お姉ちゃんは、私に向けて両手をゆっくりと差し出した。
 戦々恐々としながらも、私はゆっくりと手のひらに視線を落とす。



 ――ゆいが苦しそうに横たわっていた。



414 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 21:24:15.63 ID:uS14Vocc0

唯「ど、どうしよう、救急車呼ばないと……」

憂「駄目だよお姉ちゃん。この子は人形だから、病院ではどうすることもできない」

唯「で、でも!」

憂「紬さんに連絡をお願い」

唯「ムギちゃんに?」

憂「あの人が、一番ゆいの身体のこと解ってると思うから」

唯「……わかった」

 お姉ちゃんは携帯電話で紬さんにコールしながら、一度部屋の外へと出た。
 ゆいをベッドに寝かしつけて、彼女用に作ったフリース生地の布団をかける。
 今も尚苦しそうに布団を握り締めるゆいを見て、私は唇を強く噛む。
 私に出来ることは何もないのか……。



415 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 21:25:46.11 ID:uS14Vocc0

 しばらくして、お姉ちゃんが部屋に入ってくる。 

唯「20分くらいかかっちゃうかもだけど、なるべく急いで来てくれるらしいから」

憂「そう……」

唯「そのまま安静にして、傍にいてあげて、だって」

憂「……うん」

唯「あずにゃんにも、一応連絡しておくよ……。もうすぐ来る頃だし」

憂「……そうだね」

 紬さんと梓ちゃんが家にやってきたのは、それからちょうど30分が過ぎた頃だった。



418 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 21:41:05.16 ID:uS14Vocc0

 前兆はあった。
 昨日の朝から、ずっと眠そうにしていたこと。
 指先でじゃれさせただけで転んだこと。
 私に向かって走る速度が、やけに遅かったこと。

 ゆいが初めて意思を持った日、あの子は私の肩から飛び降りても平然としていた。
 なのに、昨日はお姉ちゃんの肩から飛び降りようとはせず、『降ろして』とせっついた。
 ともすれば、もうあの時既に飛び降りるだけの力が無かったのではないか。
 
 本当は、私だって気付いていた。だけど、何もしてやれなかった。
 どうすればいいのかが分からなかったから、何もできなかった。

憂「(本当に、そう……なの?)」

 私のせいで、私の劣情の影響を受けて、ゆいは苦しんでいるんじゃないのか?
 さっきよりは落ち着いたようだが、ベッドの上で未だ苦しそうな表情を浮かべるゆい。
 なんとかしてあげたいのに。気持ちばかりが焦る。

唯「ゆい……」

紬「そのドール……、ゆいちゃんが意思を持ったのは、十日ほど前だったかしら?」

憂「……」

梓「私が唯先輩の家に行った次の日からですから、正確には九日ですね」

 思考もまともに働かせられない私の代わりに、梓ちゃんが答えてくれた。



419 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 21:51:30.13 ID:uS14Vocc0

紬「そう……」

 重苦しい空気の中、紬さんが渋面で呟いた。

紬「ちょっと、訊いてもらえるかしら」

 お姉ちゃんと梓ちゃんが、静かに頷く。

紬「意思を持つ傀儡。前例が無かった訳じゃないらしいの。
  ……ドールの関係者に調べさせて、明らかになったことが二つ程あるわ」

 二つ。紬さんはそう述べてから言葉を続ける。

紬「一つ目。精巧に作られたドールは、時として人の魂を宿す。
  どんな想いでも良いのだけれど、その持ち主の意思が強ければ強いほど、魂は宿りやすい」

 紬さんはそこで一旦台詞を区切る。

紬「過去にも数体、意思を持ったというドールが居たらしいわ」

唯「……ゆいの友達、他にもいたんだね」

紬「これは過去の話なの。だから今はもう……」

唯「あ……、そっか……」

紬「ごめんなさい、唯ちゃん」

唯「う、ううん! ムギちゃんが謝ることなんてないよ!
  ……ただ、ちょっとゆいが可哀想だなって」

紬「唯ちゃん……」



421 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 21:53:52.56 ID:uS14Vocc0

梓「それで、ゆいに宿った魂っていうのは……?」

紬「この子の場合、おそらく憂ちゃんの、唯ちゃんに対する想いね」

唯「……憂の、私への?」

紬「ええ、憂ちゃんのシス……
  いえ、唯ちゃんへの想いの強さは他の追随を許さない、尋常ではないレベルのモノだと思うの」

梓「そこは概ね同意です」

唯「そんなに言われるとちょっと照れる……」

 お姉ちゃんの言葉に、場の雰囲気が少しだけ和む。

梓「……えっと、ゆいに宿った魂は
  憂の『唯先輩への想い』っていうのは分かりましたけど、
  ゆいが倒れたことに何か関係があるんですか?」

紬「梓ちゃん、私は過去の事例を述べているに過ぎないわ」

梓「?」

紬「重要なのは二つ目なの」

 紬さんが語気を強めた。
 何を言おうとしているのかは分からない。
 けれどもう、嫌な予感しかしなかった。
 一秒だってこの場に居たくない。その言葉の先を、訊きたくない。



426 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 22:05:39.16 ID:uS14Vocc0

紬「二週間」

唯「え?」
梓「え?」


 お姉ちゃんと梓ちゃんの声が重なる。




紬「――魂を宿らせたドールは、一件の例外もなく、二週間後に心を失っている」


 心を――なんだって?

 二週間で。

 不意に、視界が滲む。
 
 ――失うと言ったのか?



427 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 22:07:29.46 ID:uS14Vocc0

憂「嫌……」

梓「……」

憂「そんなの嫌だ……」

紬「……」

憂「嫌だよ……」

唯「憂……」

 崩れるように床にへたり込んで、精一杯ゆいを抱きしめる。
 頬を伝う涙を拭うことも忘れて嗚咽を漏らす私に、
 ゆいはその小さな手を懸命に伸ばそうとする。

 『どうして泣いているの? 泣かないで、うい』

 言葉は伝わらなくても、気持ちは伝わっている。
 本当に苦しいのは私じゃないのに。
 辛くて仕方ないのはゆいのはずなのに。

梓「……」

紬「……」

唯「ねえ、ムギちゃん」

紬「なにかしら?」



430 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 22:22:22.22 ID:uS14Vocc0

唯「まだ二週間が過ぎるまで五日もあるよ?
  なのにどうして、ゆいはあんなに苦しんでるの?」

紬「……」

唯「ゆいが苦しんでいるのは、他の要因があるような気がするんだけど」

憂「!」

 邪気の無い言葉の一つ一つが、棘となって私の心を穿つ。
 その傷口から侵食されていくかのように、胸に、どす黒い何かが広がった。
 紬さんは警告してくれていたじゃないか。
 なのに、私はそれを気にも留めなかった。
 ゆいをここまで苦しめて、追い詰めているのは……、他ならぬ私自身だ。

紬「それは……」

梓「ムギ先輩、さっき一件の例外なく、って言いましたけど」

 口篭る紬さんに、今度は梓ちゃんが問う。

梓「意思を持った例が数件、つまり数える程しか無かった訳ですよね。
  それなのに二週間でゆいが消えるなんて、決め付けるのは早くないですか?」

紬「……」

梓「前例が無かったら諦めなきゃいけないんですか?
  消えてしまうのは仕方ないから黙って見てなきゃいけないんですか?」

唯「あずにゃん……」



431 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 22:23:28.28 ID:uS14Vocc0

書き込み時間すげえ




433 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 22:28:28.47 ID:WGVyWubd0

22:22:22.22wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww記念





434 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 22:28:39.98 ID:uS14Vocc0

梓「おかしいです、そんなの。
  私は唯先輩や憂みたいに、ゆいとずっと一緒にいた訳じゃないけど、
  二人に負けないくらい、ゆいのことが好きなんですよ」

憂「……」

梓「だから私は、諦めたくない。何ができるかわからないけど、何もせずに後悔はしたくない」

紬「梓ちゃん。さっきも言ったけど、私は前例を述べたに過ぎないわ。
  諦めろだなんて思ってないし、私だって、この子に消えて欲しくなんかない」

梓「え、それじゃあ……」

紬「私も出来る限り協力するわ。ゆいちゃんが心を失わなくても良い方法を探してみる」

梓「ムギ先輩……」

 梓ちゃんは、紬さんの名前の後に何かを呟こうとして、結局口をつぐんだ。
 そして蹲る私の視線の高さまで屈み込むと、優しく背中を叩いてくれた。

梓「ほら、憂。ムギ先輩もああ言ってくれてるんだから、泣いてる場合じゃないよ。
  ポーカーフェイスでセクハラに及ぶいつもの憂はどこにいったの?」

 そのセクハラが、ゆいを苦しめているのかもしれない。
 だけど――。

 その言葉で、ようやく覚悟が決まった。
 ありがとう、梓ちゃん。
 
 涙を拭け。後悔する暇があるなら思考しろ。
 私の感情ひとつで、ゆいの身体に影響を及ぼすというのなら……、
 救うことだってできるはずなんだ。
 ゆいを救う方法は必ずある。



435 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 22:32:57.89 ID:uS14Vocc0

憂「紬さん」

紬「……今度は憂ちゃんなのね、なにかしら?」

憂「以前言いましたよね。私の劣情がゆいになんらかの影響を及ぼすかもしれない、って」

紬「ええ。人形は人の邪な心をその身に引き受ける存在、だから……」

憂「だったら、私からその邪な心が無くなれば、ゆいは元気になるってことですよね」

紬「断言はできないけれど、その可能性は否定できないわね」

憂「わかりました」 

 劣情がなんだというのか。
 邪な心がなんだというのか。
 
 お姉ちゃんや梓ちゃんを愛する心は決して捨てない。
 だけど、二人と接することで私の中の劣情が膨れ上がってしまうのならば。

憂「お姉ちゃん、お願いがあるんだけど」

唯「なに?」

憂「今日からしばらく、梓ちゃんの家に泊まって欲しいの」

 そもそも接しなければ良いのだ。

 ――見せてやる。私の覚悟を。



436 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 22:37:03.39 ID:uS14Vocc0

 お姉ちゃんは、最後まで私とゆいのことを心配してくれた。
 どうして私がいちゃ駄目なの? と寂しそうな目をしていた。
 お姉ちゃんなのに、憂の支えになってあげなくちゃ駄目なのに。
 
 そんな悲壮に満ちたお姉ちゃんの言葉が、何よりも重く胸に突き刺さった。
 逸早く事情を察した梓ちゃんが、そんなお姉ちゃんを嗜めてくれて、二人は家から出て行った。
 ごめんね、二人共。

 身勝手な私を許してください。

紬「ごめんなさい、憂ちゃん」

憂「どうして謝るんですか?」

紬「事の発端は私。私がドールなんか作らせなければ、誰も苦しまずに済んだの」

憂「……違いますよ。紬さんがいなければ、私はゆいに出会えなかった。
  確かに今は苦しいですけど、まだ終わった訳じゃありませんし」

紬「……」

憂「だから、私は紬さんに感謝こそしますけど、
  紬さんが私に謝らなくちゃいけない理由なんて何一つないんです」

紬「憂ちゃん……。ごめんなさい、ありがとう」




437 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 22:38:18.81 ID:uS14Vocc0

憂「そういえば、紬さんはどうして傀儡の実験をしようなんて思ったんですか?」

紬「軽音部はパラダイスよ」

憂「やっぱ言わなくていいです」

紬「あら、憂ちゃんならわかってくれると思ったのに」

憂「今の一言で分かってしまったから言わなくていい、と言ったんです」

紬「ああ、そういうこと……」

憂「紬さんは寂しくないんですか?」

紬「どうして?」

憂「律さんと澪さんは幼馴染で仲が良いし、お姉ちゃんと梓ちゃんは、あの通りべったりです。
  だけど紬さんにそういう相手は、その……」

紬「それは、貴女も同じでしょう」

憂「へ?」

紬「お互い、歪に捻じ曲がってはいるけれど、私と貴女の根底にあるものは一緒のはずよ」

憂「……言ってる意味がよくわかりません」



438 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 22:39:11.00 ID:uS14Vocc0

紬「要するに、好きな人が幸せならそれでいいのよ。
  貴女の好きのベクトルは唯ちゃんのみに傾いているけど、私はそれが皆に向いている」

憂「紬さんは、軽音部の皆さんが幸せそうにしているのを見られればそれでいいってことですか?」

紬「大当たり♪」

 悪戯っぽく舌を出す紬さん。

紬「そして、貴女は唯ちゃんが幸せならそれで全てを善とできる」

憂「……大当たり、と言いたい所ですけど、それじゃ60点ですね」

紬「? ああ、梓ちゃんね。彼女も含めて……」

憂「いいえ。それだけじゃ満点はあげれません」

紬「えっと……」

憂「ゆいですよ。当たり前じゃないですか」

 得心行った、という風に紬さんは頷いた。



439 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 22:40:16.07 ID:uS14Vocc0

紬「それじゃあ私はそろそろ失礼するわね」

憂「すみません。折角の休みに……」

紬「いいのよ。ゆいちゃんも大分落ち着いてきたみたいだけど、また何かあったらすぐに連絡してね」

憂「はい、ありがとうございます」

紬「それと……、今日一日はその子の傍にいてあげること」

憂「勿論そのつもりですけど」

紬「傀儡である彼女は、貴女の意思を栄養として生きている。
  傍にいてあげることが、回復への近道だと思うわ」

 私の意志を栄養として……。
 だから私の心に劣情が含まれると体調を崩す、ということか。

憂「わかりました」

 何故だかは分からないけれど、この時私は会話のどこかに違和感を感じた。



444 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 23:00:44.18 ID:uS14Vocc0

 翌日。
 ゆいの体調は安定しなかった。
 時折苦しそうな表情を浮かべては、私の服の袖をぎゅっと握り締める。
 私はその度に、「大丈夫だよ、ちゃんと傍にいるから」と言い聞かせて、ゆいの髪を指先で撫でた。

憂「……」

 お姉ちゃんの居ない家は、やっぱり寂しかった。
 心にぽっかりと穴が開いたみたいな淡い寂寥感。
 美味しそうに食べてくれる人が居ないと、料理にも作り甲斐を感じない。
 まさかたったの一日で暗礁に乗り上げるとは思わなかったが、だからといって挫けている暇は無い。
 せめてゆいが回復するまでは、この生活を続けていかなければ。

 長時間ゆいから離れている訳にもいかず、朝昼と、有り合わせの食事で我慢した。
 自室に篭って、ゆいの様子を気にかけながらテスト勉強に打ち込む。
 そういえば、先週の今頃は公園に行ってたんだっけ。
 今頃お姉ちゃん、何してるんだろう。



446 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 23:02:12.10 ID:uS14Vocc0

憂「ねえ、ゆい?」

 多少落ち着いた様子のゆいに、シャーペンの尖ってない方を使って優しく小突く。
 ゆいは、それにじゃれつこうとして起き上がろうとするものの、
 またすぐにこてん、と転んでしまった。
 やはりまだ回復には程遠いらしい。

 澄み渡るような青空に輝いていた太陽は、いつの間にか厚い雲に隠れていた。
 カーテンの隙間から差し込む光が描き出した灰色の影も、部屋の暗さに飲まれて姿を消した。
 それが、なんだか私とお姉ちゃんの関係みたいで、少しだけ切なくなった。
 光が無ければ影は存在できないのだから。

憂「頑張ろう」

 私にできることは、これしかないのだ。
 耐えろ、ゆいの為だ。
 紬さんが心を失わなくて済む方法を見つけてくれるまでは――。



448 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 23:19:47.16 ID:uS14Vocc0

 二日が過ぎた。
 学校でも極力梓ちゃんとの接触を避けなければならないのだが、幸いにも今はテスト期間中。
 午前中だけ凌ぎきれば家に帰れるし、テストに集中することで、余計な雑念を捨てることができる。
 ゆいとはずっと傍にいなくてはならないため、布団に包んでブレザーの胸ポケットに落ち着けた。

純「ねえ、憂」

憂「な、なに?」

純「もしかして、徹夜?」

憂「テスト前にそんなことしないよ」

純「じゃあどうしたのよ、憔悴しきった顔してるけど」

憂「あー、まぁ、色々とありまして」

純「梓と喧嘩でもしたの?」

憂「まさか」

純「なんかお互い距離置いちゃってるし、何かあったならそれくらいしか思い当たらないんだけど」

憂「説明すると物凄く時間がかかるから、今はテスト勉強に集中した方がいいと思うよ」

純「たかだか10分の悪あがきじゃ点数に大差ないって」



449 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 23:20:59.46 ID:uS14Vocc0

憂「10分あれば教科書2ページ分くらいは暗記できるのに」

純「それは憂だけだと思う」

憂「そうかな、お姉ちゃんもやればできそうだけど」

純「いや、だから、あんたら姉妹は脳の作りがちょっとおかしいんだってば」

 はぁ、と一つ溜息をついて、純ちゃんは私の胸ポケットのゆいを見つめた。

純「ゆい、苦しそうだけど」

憂「……うん」

純「大丈夫なの?」

憂「あんまり、かな」

 そう。ゆいの体調は一向に回復していなかった。
 しかし、同時に悪化もしていないように思えたから、
 症状の進行は抑止できているのかもしれないが。

憂「……」

 いつもの癖、とでも言うのだろうか。
 私は不意に、梓ちゃんの方へ視線を送ってしまった。
 梓ちゃんも同様にこちらを見ていたようで、二人の視線が重なった。

梓「……っ!」



451 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 23:23:02.36 ID:uS14Vocc0

 梓ちゃんは慌てて目を逸らした。
 彼女にはある程度の事情は説明してあるし、私が距離を置かなくてはならない理由も察している。
 だけどそれでも、ゆいのことが心配で仕方ないのだろう。

 苦しいのはきっと、私だけじゃない。梓ちゃんも紬さんも、それに、お姉ちゃんだって……。
 お姉ちゃん。お姉ちゃん。お姉ちゃん。お姉ちゃん。お姉ちゃん。
 お姉ちゃん。お姉ちゃん。お姉ちゃん。お姉ちゃん。お姉ちゃん。

憂「!」

 思わずぶんぶんと首を横に振る。……いかん。禁断症状出てきた。

純「ちょっと、憂?」

憂「え?」

純「今、一瞬目開けたよ、この子」

憂「? 起こしちゃったかな」

純「あ、あれ、また寝ちゃった」

憂「気のせいじゃないの?」

純「うーん、起きたと思ったんだけどなー」

憂「それよりいいの? 勉強しなくて」

純「あはは、古典は苦手なのだー」

憂「諦めてるのね……」



454 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 23:28:46.91 ID:uS14Vocc0

 テストが終わり、教室を飛び出すようにして帰路へ就く。
 期間中は部活動が無いため、下手すればお姉ちゃんとバッタリ出くわす可能性もあるのだ。
 理性なんて気休めにもならないだろう。
 今お姉ちゃんを前にしたら、自分でも何を仕出かすかわからない。
 それほどまでに、渇望していた。

 そんなことになったら、ゆいはきっと……。
 薄ら寒い想像をして、自己嫌悪に陥る。

憂「そんなこと考えてる時に限って、出くわしちゃったりするんだよね」

 独りごちてから、はっと後ろを振り返ってみる。
 だけどそこに人影は無く、どうやら無事に家にたどり着けそうだった。



455 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 23:29:58.18 ID:uS14Vocc0

憂「ただいまー……、って言っても独りか」

 殆ど寝たきりのゆいは、その声に反応することもない。
 お姉ちゃんのいない家なんて、もはや家でもなんでもない、寒さを凌ぐ為の空間に過ぎなかった。
 ただ広いだけのその空間に取り残され、孤独と同居を始めてから既に三日が経過していた。
 ゆいの為に! と意気込んでいた私は今はもう完全に鳴りを潜めてしまっている。

 それでも意思を曲げなかったのは、愛する娘を救いたいが為か。

憂「愛する娘、とか言っちゃって」

 脳内ナレーションに、お気に召す単語を見つけて思わず頬が緩む。
 寂しい寂しいとは思いつつも、どこまでもポジティブなのが私が私である所以だ。

 ゆいをベッドに寝かしつけてから、着替えを済ませ、明日の準備に取り掛かる。

憂「明日は現国と日本史と……」

 本当に、今がテスト期間中で良かったと思う。
 教科書と問題集をテーブルの上に広げて、私は黙々と知識を頭に詰め込み始めた。

 今日は頭の冴えが良い。スラスラとペンが進んだ為、時間を忘れて学力向上に勤しんだ。
 勉強は調子の良い時に一気にやるべし。
 お姉ちゃんもそういうタイプだし、平沢家は短期集中型なのかもしれない。
 勉強のタイプにそんな言葉があるのかどうかは知らないけれど。



456 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 23:36:49.00 ID:uS14Vocc0

憂「ん~~」

 充足感と共に軽く伸びをした瞬間、不意に喉の渇きに気がついた。
 いや、喉の渇きを忘れるほど没頭とかどんだけよ、
 と突っ込みを入れてから、私は時計を確認した。 

憂「……」

 三時間も過ぎていた。
 さすがにちょっと休憩を入れようと立ち上がった私は、
 ついでに、ゆいの症状を確認しようとベッドに近付く。

憂「……え?」

 思考が。呼吸が。
 一瞬だけ完全に停止した。

 ゆいが、もがいている。
 苦しそうな顔で、自分の胸を必死に押さえて。
 布団なんか跳ね除けて、激しくのた打ち回るその姿は、
 痛々しくて直視できない程だった。

憂「嘘……、ゆい? ゆい!?」

 暗然とする。

 噴き出る冷や汗が止まらない。

 悪化しないんじゃなかったのか?

 劣情を持たなければ、大丈夫なんじゃなかったのか?



457 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 23:39:54.06 ID:uS14Vocc0

 慢心していた。
 三日間なんともなかったからって、気を抜いていた。

 二週間で消える――。
 今日は何日目だ? カレンダーを目で追う。
 焦りだけが先行して、今日の日付がなかなか見付けられない。
 ……あった! ……12日目。大丈夫、後二日はある。ゆいはまだ消えない筈だ。

 落ち着け、落ち着け私。
 とにかく、紬さんに連絡を――。

 ピンポーン。

 携帯を手に取ったその瞬間、家のチャイムが鳴った。

憂「こんな時にっ!」

 私は紬さんにコールしながら、慌てて階段を駆け下りる。
 本当は、絶対にゆいから離れるべきではないのだが、この時の私には完全に冷静さを欠いていた。



458 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/14(月) 23:40:37.43 ID:uS14Vocc0

 『――……った電話は、電波の届かない所にあるか、電源が入っていないため、かかりません』

憂「なんでっ!?」

 何かあったらすぐ連絡して、って言ってたじゃないかっ!
 いつでも出れるようにしといてよ、役立たずっ!!
 荒ぶる感情を抑えようともせずに、階段を下りきって玄関を目指す。
 勧誘とかセールスだったら玄関にある花瓶で思いっきり脛をどついてやる。

 ピンポーン。

 煩い、一回鳴らせば分かる!
 何度も鳴らすな! ハエのようにうるさいやつね!
 力任せに玄関の扉を開く。

憂「ごめんなさい、今忙しいんで――」

唯「えへへ、着替えを取りにまいりましたー」

 グッバイ リーズン。
 (さよなら、理性)
 ハロー セクシャルディザイア。
 (こんにちは、性欲)




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唯「く」 梓「ぐ」 憂「つ」#中編
[ 2011/08/29 20:55 ] 非日常系 | | CM(0)

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