SS保存場所(けいおん!) TOP  >  非日常系 >  憂「夏の記憶」#前編

お知らせ

SS保存場所は移転しました。
現在けいおん!関連の更新はしていません。
今後更新するかは未定です。
SS保存場所






憂「夏の記憶」#前編 【非日常系】


http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1267277075/

憂「夏の記憶」#前編
憂「夏の記憶」#後編




1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 22:24:35.00 ID:LU8q2Tne0

『夏の記憶』

 平沢唯はわたしのお姉ちゃんだ。

 わたしの良き理解者であり、わたしが最も理解しているであろう人。

 わたしと最も近しい人であり、それでいて最も遠い人。

 この話は大学生になったわたしが、お姉ちゃんと二人で過ごした夏休みの話。
 
 たったそれだけの話。
 
 けれど、わたしにとっては決して忘れることはないであろう話。
 
 とてもとても大切な一週間。

 時は一ヶ月前まで遡る。





3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 22:28:32.20 ID:LU8q2Tne0

 夏休みに入って二日が経った、八月の第一週。

 大学生になって最初の夏休みを迎えていた。

 どうせなら、外に出て何かをした方がいいだろう。

 梓ちゃんを誘ってプールにでも行こうか。

 その前に新しく水着を買ってもいい。

旅行をするのもいいかもしれない。

 わたしはそんな風に、残り余った夏休みの使い方を考えながら、流し台で洗い物をしていた。



4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 22:31:01.52 ID:LU8q2Tne0

 更に言えば、鼻歌を歌いながら。

 この鼻歌をどれだけ歌ってきただろう。

 ふと、そんなことを考える。

 わたしにとって、とても大切な歌。

 お姉ちゃんとわたしを繋ぐ歌。

 わたしはこの歌が大好きだ。 

 歌っていると幸せな気持ちになれる。

 そうだ、洗い物が終わったらギターを弾きながら歌おう。

 窓を開けて、夏の温い風を浴びながら、音を奏でるのだ。



6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 22:34:56.18 ID:LU8q2Tne0

 わたしは洗い物を早く済ませるべく、少し素早い手つきになる。

 スピードアップ。

 けど、すぐにストップ。

 背後に気配を感じて手を止めたのだ。

 いや、正確には真横にある台所への入り口に気配があった。

「憂、ただいまー」

 わたしは水を出しっぱなしのまま、コップを持ちながら振り返る。

 目の前にはお姉ちゃんがいた。



7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 22:39:20.35 ID:LU8q2Tne0

 お姉ちゃんと目が合う。

 間を置かず、なにかが割れた音がした。

 足元を見ると、コップが幾数の破片に別れて散乱していた。

「あ、ごめん。急に声かけたから」と、お姉ちゃんが申し訳なさそうに謝る。

「う、ううん。お姉ちゃん、いつ帰ってきたの?」

「さっき」

「そ、そうなんだ」

 自分自身、受け答えがぎこちなく思う。

 でも、驚いてしまったのだから仕方がない。

 わたしは出来る限り平静を装って、玄関にちりとりと箒を取りに行く。

 ちりとりを手に取る。

 ――あ、痛っ!

 そんな声が台所から聞こえた。

 慌てて台所に戻る。



8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 22:44:29.28 ID:LU8q2Tne0

「お姉ちゃん、どうしたの?」

「あ、憂。血が……」

「あー、もう! 素手で触るからだよ」

「あはは、ごめん」

「待ってて、いま救急箱を持ってくるから。じっとしててね」

 お姉ちゃんは何にも変わっていない。

 嬉しいような嬉しくないような、曖昧な感じだ。

 救急箱を持って台所に戻ると、お姉ちゃんは何かを飲んでいた。

 脇に置いてある紙パックからみて、リンゴジュースを飲んでいるみたい。

「お姉ちゃん、人の家のものを勝手に飲んでる」

「いいじゃん。けち臭いことを言わない言わない」



9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 22:47:58.34 ID:LU8q2Tne0

「もう。ほら、傷口見せて」

 お姉ちゃんは素直に従い、中指を見せる。

 赤い血が僅かに出ていた。

 どうやら、大した傷ではないみたい。

 水で洗い、消毒液を少量塗布し、絆創膏を貼る。

「ありがとう、憂」

「どういたしまして、お姉ちゃん」

 わたし達は久しぶりに笑顔をぶつけた。

「お姉ちゃんは、リビングで待ってて。洗い物を終わらせるから」

「はーい」

 本当に変わらないな、お姉ちゃんは。

 わたしはちりとりで割れ物を捨ててから、洗い物の続きに取り掛かった。



11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 22:52:46.64 ID:LU8q2Tne0

 洗い物は残り少なかったので、直ぐに終わらせることができた。

 お姉ちゃんはなにをしているだろう。

 リビングまで歩く。

「うぁーづーいー」

 お姉ちゃんは寝転がって、だらしなくお腹を見せていた。

 そうだった、お姉ちゃんは暑さに弱いんだっけ。

 そんな基本的なことも忘れていた。

「お姉ちゃん」横に座って声をかける。

「ううーん、憂」

「お姉ちゃん、なんで帰ってきたの?」

「憂に会いたかったからだよぉ」

「本当に?」

「ほんとだよぉ」

 寝転がりながら言われると真実味が薄れる気がするが、嘘ではないのだろう。



13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 22:55:11.42 ID:LU8q2Tne0

「でも、お姉ちゃんどうやって帰ってきたの?」

「うーん、わかんない」

「わかんないって?」

「気がついたら家の前に居たから」

「そうなんだ」

 わたしはお姉ちゃんから目を離す。

 わかっている。

 言わなければいけない。

 けれど、言ってしまうとお姉ちゃんが目の前から消えてしまいそうで怖い。

「憂、どうかした?」

 お姉ちゃんがむくりと起き上がって、こちらを見ていた。



14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 22:59:07.23 ID:LU8q2Tne0

「お、お姉ちゃん」

「なーにー」

「え、えっと、その……」

 言っていいのだろうか。

 それとも、黙っているべきか。

 いや、言っても黙っていても事実は変わらない。

 否定できない事実。

 認めなければいけない事実。

 この世に生きる限り、事実は消えない。

 言わないで、このまま時間が過ぎていく方が恐ろしい。

 事実を告げる。

「お姉ちゃん!」目を瞑ったまま言う。

「は、はい!」お姉ちゃんの声が少し上ずる。


「お姉ちゃんって――死んでるんだよね――」



16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 23:03:24.38 ID:LU8q2Tne0

 そう、お姉ちゃんは死んだ。

 二年半前に交通事故に遭って。

 だから、生きている筈がない。

 なら、目の前にいるお姉ちゃんは何なのだろう。

 お姉ちゃんは伏し目になり、わたしの目を見ようとしない。

 それでも、口が僅かに動くのが見えた。

「うん、死んでる……」

「そう……だよね」

 わたし達の居る空間に重たい空気が漂ってきて、まるで水中にいるかのように息苦しくさせる。

 光浮かぶ水面は遠い。

 それでも、わたしは水面に顔を出すべく言った。

「でも、お姉ちゃんはここにいるんだね」

「うん――ここにいるよ」と、お姉ちゃんは目を細めながら言う。



18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 23:04:50.58 ID:LU8q2Tne0

「お姉ちゃんは幽霊なの?」

「……さあ?」

 呆けた顔をするお姉ちゃん。

 懐かしい顔だ。

「わからないの?」

「うん。よくわからないんだぁ」

「そっか。不思議だね」

「不思議さんに感謝だね」と、Vサインをするお姉ちゃん。

「お姉ちゃんにまた会えるなんて思ってなかった」

「寂しかったよぉ、憂」

「それはわたしのセリフだよ、お姉ちゃん」

 お姉ちゃんは「ふへへ」と頬を緩めて笑う。

 その笑いに釣られて、わたしも笑ってしまう。



19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 23:07:39.95 ID:LU8q2Tne0

 なんだか、驚きを通り越して、素直に嬉しくなってきた。

 普通に会話しているのが夢みたいだ。

 事故以来、わたしは一人だったのだから。

 わたしは。

「お姉ちゃん」

「ん?」

 最大限に愛情を込めて言う。

「おかえりなさい」

 お姉ちゃんの表情は、不意を突かれたように一瞬だけ固まる。

 けど、すぐに満開の笑顔を見せながら言ってくれた。

「ただいま、憂」

 夏休み、お姉ちゃんが我が家に帰ってきた。


 こうして、わたしとお姉ちゃんの夏休みは始まった。



20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 23:12:20.91 ID:LU8q2Tne0

 およそ、二年半前のことだ。

 帰宅中のお姉ちゃんは、トラックに轢かれて亡くなった。

 あの時見た光景を今も忘れることはできない。

 忘れてはいけないのだろうけど、忘れたいと思うときもある。

 覚えていなきゃいけない記憶だけど、見たくない記憶。

 思い出す度に、やりきれない気持ちになる。

 過去の出来事が現在に干渉する。

 過去が、わたしの心を侵す。



23 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 23:14:44.60 ID:LU8q2Tne0

「ねえ、憂」

 寝転がったお姉ちゃんがわたしを呼んだ。

「なに、お姉ちゃん」

「さっきの鼻歌ってさ、あの時のだよね」

 あの時とは、あの時。

 学園祭。

 お姉ちゃんの歌詞が声に乗って響いた日。

 わたしの声に乗った。



25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 23:17:36.93 ID:LU8q2Tne0

「うん。――あれ、でも、なんでお姉ちゃんが知ってるの?」

 お姉ちゃんが知っているのはおかしい。

 何故なら、あの時には既にお姉ちゃんは亡くなっていたから。

「聴いてたから知ってるよぉ」

「聴いてくれてたの?」

「うん。憂はわたしと似て歌が上手いね!」

「そ、そんなことないよ」

 お姉ちゃんに褒められてしまった。

 なんだか、照れくさい。



26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 23:20:48.35 ID:LU8q2Tne0

「そっかぁ、お姉ちゃんに届いたんだ…」

「しっかり、くっきり、聴いてたよ。みんな、頑張ってたよね」

「うん。お姉ちゃんの為に一生懸命にやったんだよ」

「あーあー、なんで死んじゃったんだろ。死ななければよかった」

「お姉ちゃん!」

 そんな、はっきり言わないで欲しい。

 死んでるなんて。

「へ? な、なに」

 わたしの声にお姉ちゃんは驚いている。



27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 23:23:29.74 ID:LU8q2Tne0

「そういうこと、言わないで……」

 何を言おうと、事実は変わらない。

 けれど、ここにいる間だけは言って欲しくない。

 身勝手だけど、今だけは忘れたい。

「え、そういうことって?」

「その、死んだとか言わないで」

「でも、憂もさっき言ったじゃん」

「それはそうだけど……」

 それを言われると困ってしまう。

 わたし自身、お姉ちゃんに事実を突きつけた。

 けど、けど。

「憂。ごめん」



29 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 23:28:04.52 ID:LU8q2Tne0

「え?」

「もう言わないから」

「うん。ごめんね、お姉ちゃん」

「どうして憂が謝るの?」

「だって、わたしも言ったから」

「憂はいいの。お姉ちゃんが憂のことを考えずに言ったのがいけないんだよ」

「そんな……。優しいね、お姉ちゃんは」

「ええ、いまさらぁー」と、くだけた言い方で言う。

 わたしはそれを聞いて微笑する。

 お姉ちゃんは優しい。

 そのことを改めて実感する。



32 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 23:31:30.45 ID:LU8q2Tne0

 なにか生物の声が聞こえた。

 いや、違う。

 声ではない、音だ。

「あっ」と声を出して、お腹に手を添えるお姉ちゃん。

「えっと、お姉ちゃん?」

「お、お腹空いちゃったみたい」

「お腹空くんだ」

 純にそう思った。

「ねえ、憂のご飯が食べたい」

「わたしの?」

「うん。久しぶりだもん。折角だしね」

「でも、食べられるの?」

「さっきジュース飲んでたでしょ」

「あ、そっか」



33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 23:36:36.03 ID:LU8q2Tne0

 そうだ。

 ということはだ。

 また、あの美味しそうにご飯を食べるお姉ちゃんを見ることができる。

「うん、わかった。それで、何か食べたい物ってある?」

「うーん、そうだなぁ。ハンバーグ……かな」

「ハンバーグ? ふふ」思わず笑ってしまう。

「え、どうかした? ハンバーグは駄目ぇ?」

「だって、変わらないから」

 そう、お姉ちゃんはどこか子供っぽい。

 そこが良い所でもあるのだけど。

「変わらない?」



34 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 23:40:58.89 ID:LU8q2Tne0

「ううん。さ、じゃあ、お姉ちゃんの為に頑張るね」

「わたしも手伝おうか?」

「え、あ、ううん、大丈夫。お姉ちゃんは休んでていいよ」

 変わってないのなら、お姉ちゃんに料理をさせるのはやめておいた方が懸命だろう。

 帰ってきて早々、流血は避けたい……って、さっき流してたっけ。

「うー、そうかそうか。じゃあ、お言葉に甘えちゃうよー」

 声の調子は明るかったけど、顔は少し残念そうにみえた。

 手伝いたかったのかな。



35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 23:46:19.89 ID:LU8q2Tne0

「お待たせぇ、お姉ちゃん」

 ハンバーグを盛ったお皿とお茶碗を持って声をかけた。

「お、おお、懐かしい匂いがするよぉー」目を輝かせるお姉ちゃん。

 作っている最中にお姉ちゃんが消えてしまわないかと心配だったけど、

 どこにも行かずに待っていてくれたことに安心した。

 わたしはテーブルの上に揃えてあるフォークとお箸の奥に、

 料理のハンバーグと白米の盛られたお茶碗を置く。 

「あれ、憂は食べないのー?」

「わたしはさっき食べたから」

 洗い物には昼食の食器も含まれていた。

 今の時刻は大体二時、昼食には遅い時間。

「そっかー。じゃあ、食べちゃうよー!」

「どうぞ、召し上がれ」



37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 23:47:10.10 ID:LU8q2Tne0

「いっただきまーす!」

 フォークを使って、デミグラスソースを割り、お肉を割る。

 中からは肉汁がじゅわりと音をたてるように溢れ出る。

 フォークに捕まえられたお肉はお姉ちゃんの口へ。

「うおほほっほー! 美味しいーーーーーーーーーーーー!!!」

 本当に美味しそうな顔をするお姉ちゃん。

 久しぶりに見れた。

 幸せそうな、美味しそうな、そんな顔を見ると、こっちまで嬉しくなる。



39 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 23:49:50.49 ID:LU8q2Tne0

「憂、美味しいよぉー!」

「ありがとう、お姉ちゃん」

 お姉ちゃんがお肉を刺したフォークをこちらに向ける。

「あーん」

「え?」

「ほらほらー、あーん」

 お姉ちゃんに言われるがままに口を開ける。

「あーん」と言いながら、自分も口を開けるお姉ちゃん。

 お肉が口内に納まる。

「どおどお?」と、感想を求めてくる。

「えっと、美味しい?」疑問系になってしまった。

 自分で料理の感想を言うのには抵抗がある。

「美味しいよねぇ、憂。さすが憂だよ! 流石わたしの妹!」

「あはは」



40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 23:51:23.59 ID:LU8q2Tne0

 お姉ちゃんはあっという間に、ご飯を平らげてしまった。

「ごちそうさま」

 そう言って、ポンッとお腹を叩く。

 ふふ、本当にお姉ちゃんは可愛い。



41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 23:52:51.58 ID:LU8q2Tne0

 再び洗い物をした後、わたしとお姉ちゃんはDVDを観ることにした。

 学園祭のDVDだ。

 このDVDを観るのは、今回が二回目。

 澪さんに渡されて観たのが最後。

「よく撮ってたね」とお姉ちゃん。

「梓ちゃんが純ちゃんにお願いして撮って貰ったんだよ」

「あずにゃんは気が利くなー」

「ええと、これで」

 ゲーム機にDVDをセットして、コントローラーを操作する。



43 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/27(土) 23:55:06.58 ID:LU8q2Tne0

「お、始まった!」

「まずは軽音部の皆さんの演奏だね」

「懐かしい曲だー」

 お姉ちゃんが歌っていた曲。

 お姉ちゃんの生きた証。

 テレビの画面を通して、証を持った曲が、世界が、

 お姉ちゃんの存在を訴え掛けてくるみたいだ。

 澪さん、律さん、紬さん、梓ちゃんの四人によって曲は奏でられる。

 ライブはどんどん進み、遂に最後の曲だ。

 わたしの出番。

 画面に、わたしが舞台袖から出てくるのが映る。

 お姉ちゃんに観られると思うと、なんだか恥ずかしい。



44 名前:唯の姿は変わりません:2010/02/27(土) 23:59:16.19 ID:LU8q2Tne0

「あ、憂が若い」

「え?」

 今のはちょっとショックだ。

「まだ若いよー、お姉ちゃん」

「冗談だよー」

 ふざけあっているうちに、画面の中のわたしがマイクの前に立っていた。

 律さんが曲の始動を指揮する。

 曲が始まる。

 お姉ちゃんは画面に集中していた。



46 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 00:01:12.52 ID:CnejB+PP0

 わたしはお姉ちゃんの顔を眺めていた。

 時折、眉や目、頬や口が動く。

 お姉ちゃんはこれを観て、何を思うのだろうか。

 自分のいない軽音部を見て、何を思うのだろうか。

 わたしの歌声を聴いて、何を思うのだろうか。

 そんなことを考えながら、お姉ちゃんの顔を眺めていたら、目が合った。

「終わっちゃったね」

 わたしはそれを聞いて、画面に目を遣る。

 画面は真っ黒だった。

 お姉ちゃんの顔を見ているうちに終わってしまったみたいだ。

 軽い溜息を吐いて、

「よかったー」と、お姉ちゃんが言う。



48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 00:05:33.33 ID:LU8q2Tne0

「なにが?」

「また、憂が歌う姿を見れて」

 わたしもよかったよ。

 お姉ちゃんが見てくれて。

 でも、それ以上に。

 お姉ちゃんに会えてよかった。

「憂?」

 首を傾げて、わたしを見る。

「よかった」と、わたしは小さく言う。

「うんうん、よかったよー」

 そう言って、笑い合う。

 昔に戻ったみたいに。



49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 00:07:42.12 ID:CnejB+PP0

 夜。

 わたしとお姉ちゃんは一緒にお風呂に入った。

 わたしの胸を見て、拗ねた演技をしたお姉ちゃんは可愛かった。

 二人でベッドに入る。

「あー、憂と寝るのも久しぶりだねー」

「うん。でも、布団をもっていかないでね」

「しないよー、そんなこと」



50 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 00:11:06.77 ID:CnejB+PP0

 この日、この時、わたしは幸せだった。

 幸せがわたしを包み込み、ふわふわして落ち着かない気持ちだ。

 寝息が聞こえた。

 お姉ちゃんの身体が呼吸をする度に上下する。

 安らかで無垢な寝顔。

 些細なことだけど、全てが懐かしく、愛おしい。

 さあ、わたしも寝よう。

 お姉ちゃんの隣で、お姉ちゃんと手を繋ぎながら。


 この夜、布団の行方がどうなったかは言うまでも無い。



52 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 00:14:39.62 ID:CnejB+PP0

 翌朝、わたしが起きた時、お姉ちゃんはまだ寝ていた。

 さわやかな気分だった。

 これもお姉ちゃんがいるからか。

 寝顔をしばらく見たあと、起こさないようにベッドから降りて、部屋を出る。

 顔を洗い、水を飲む。

 パジャマのままだけど、朝食の準備をしよう。

 今日はサンドウィッチだ。

 具はツナと卵にトマト等の野菜の三種類。

 いつもより一人分多いから、変な感じがする。



53 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 00:17:05.99 ID:CnejB+PP0

 サンドウィッチを作り終え、テーブルにセッティングをしていたところ、お姉ちゃんが起きてきた。

「憂、おはよー」と、目を擦りながら言う。

「おはよう、お姉ちゃん。朝ご飯出来てるよ」

 お姉ちゃんは「うーん」と返事をして、欠伸をしながら洗面所に行く。

 さて、予定では今日アルバイト先に出かけなければいけない。

 お姉ちゃんを家に残して行くことになる。

 一人にして大丈夫だろうか。

 毛先を少し濡らしたお姉ちゃんが食卓につく。



55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 00:22:33.31 ID:CnejB+PP0

「あのね、お姉ちゃん。わたし、アルバイトに行かなくちゃいけないの」

「あー、うん。ファミレスのバイトだよね」

「え、なんで知ってるの?」

「憂のことなら、なんでも知ってるよ、わたしは」

 そっか、ライブも観てたみたいだし、そのぐらい知っていてもおかしくはない。

「憂のウェイトレス姿、似合ってて可愛いよ」

「え、そうかな。そんなことないと思うけど」

 駄目だ。

 お姉ちゃんに褒められると、嬉しさより、照れくささが勝ってしまう。

 顔が火照ってるのがわかる。



56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 00:26:11.16 ID:CnejB+PP0

「あー、憂。顔赤いよー」

「お、お姉ちゃん。早く食べようよ」

「そうだねぇ」

 ふう、話を変えないと畳みかけてきそうな雰囲気だった。

 危ない危ない。

 それにしても、再びこうやってお姉ちゃんと朝を迎えられるなんて、思ってみなかった。

 それだけに、この幸福感がいつまで続くのか疑問であり不安だ。

 諸行無常。万物流転。会者定離。

 出会いもあれば、別れもある。

 お姉ちゃんはいつ消えてもおかしくはない。

 わたしがアルバイトから帰ってきたら、もう居ないということもありうるのだ。

 そうなったら、わたしはまたもや言い知れぬ喪失感を味わうことになる。

 別れが恐い。



58 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 00:31:10.03 ID:CnejB+PP0

「憂、どうかしたの? 顔色悪いよ」

 わたしの顔を下から窺いながら、心配そうな声を出す。

「な、なんでもないよ」

「ほんとに?」

「うん」

 無事をアピールする為に、サンドウィッチに手を伸ばして口に運ぶ。

 その間もわたしを見ていたので、口に入れた分を飲み込んでから感想を尋ねる。

「味付けはどうかな、お姉ちゃん」

「なかなかのお手前だね」



59 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 00:33:39.13 ID:CnejB+PP0

「美味しい?」

「憂みたいにおいひいね」

「食べながら話しちゃ駄目だよ」

「えへへ」

 わたしの心を納得させ落ち着きを与えるには、

 目の前であどけなく笑う、お姉ちゃんを信じるしかないのだろう。

 信じても、実体のない不安はもやもやと身に宿ったままであることは明白だ。

 けれど、選択肢はそれ以外にないのだから仕方がない。



62 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 00:36:26.80 ID:CnejB+PP0

 わたしがアルバイトを終え帰宅し、玄関を上がった時だった。

 二階からギターの音が聞こえてきた。

 二階に上がり、音が聞こえてくるお姉ちゃんの部屋に足を踏み入れる。

「お姉ちゃん?」

「あ、憂。おかえりー」

 お姉ちゃんは床に座りながらギターを抱えていた。

「ギー太を見つけたら遂弾きたくなっちゃってさ」

「弾けなくなったりしてないんだね」

「そういえば、そうだね。わたしが天才だからっ!?」

「自転車と一緒なのかも」

「えー、天才がいいよー」



64 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 00:40:30.74 ID:CnejB+PP0

「あはは。お姉ちゃん、お昼は食べたよね」

「いただきました」

 わたしがそれを聞いて、一階へ戻ろうと部屋から出ようとした時、

 鞄の中で携帯電話が着信を告げるメロディを発していた。

 鞄の中から携帯電話を取り出した時にはメロディは終わり、

 画面には新着メールのお知らせ文が表示されている。

 メールの送り主は梓ちゃんだった。

 返信の為の文章を考え、キーを押していく。

 文章の作成途中で指が止まる。

 忘れていた。

 当たり前のことを忘れていた。



65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 00:45:42.62 ID:CnejB+PP0

どうして今になって気付いたのだろう。

 突然訪れた幸福に溺れていて、外に目がいかなかった。

 どうかしている。

「お姉ちゃん!?」

 後ろを振り返り、部屋でギターを弾くお姉ちゃんに呼びかける。

 お姉ちゃんは手を止め、こちらを見る。

「軽音部の皆さんに会ってみない?」

 そう、この世に姿を現したのなら、わたし以外の人、

 それもとりわけ大事な人達に会わない理由はない。

 どうせなら、お姉ちゃんの為にも、皆さんの為にも会うべきだと思う。

 お姉ちゃんの死に悲しみ悩んだ人は、わたしだけではないのだから。



67 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 00:50:27.45 ID:CnejB+PP0

 ぽかんと口を開けて、固まるお姉ちゃん。

 わたしと同じく忘れていたのか、もしくは考えがなかったのか、または触れられたくない話題だったのか。

 表情を見た限りでは、最後のはなさそうだ。

 お姉ちゃんは開口したまま、こくこくと二度三度頷いて答えた。

「そうだね。そうだそうだ。憂にも会えるんだから、みんなにも会えるよね。思いつかなかったよ」

「わたしもいま考えが浮かんだんだけどね」

「そっかぁ、みんなに会えるんだぁ」

 そう言って、明後日の方向を見るお姉ちゃんは顎に手を当てながら、なにやらを思い出しているようだ。

 きっと、昔のことでも思い出しているのだろう。



69 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 00:53:17.17 ID:CnejB+PP0

 停止していた指を動かし、作成途中のメールを少し改変して送信する。

 会うなら早い方が良いだろうと思って、梓ちゃんの予定を尋ねてみた。

 返信は直ぐに届いた。

『いいよ。時間と場所はどこにする?』と書かれた文面。

 よし、これで第一段階はクリアだ。

 時間と場所を指定して送り返す。

『わかった。
 今日ってバイトだったよね。もう終わったの?』

『うん、午前と午後の早い時間帯だったから。
 明日は楽しみにしててね、プレゼントがあるから』

『なになに、なんかあったけ? なんのプレゼント???』

『まだ秘密だよ』

 絵文字を省くと、大方こんな感じのやり取りだ。



70 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 00:54:27.35 ID:CnejB+PP0

 ここまでメールをしたところで、名前を呼ばれた。

「憂、なんか嬉しそうだね。なんかあった」

「明日、梓ちゃんと会うんだけど、お姉ちゃんも一緒に来ない?」

「明日!? 行く行く! あずにゃんに会いたいもん」

「お姉ちゃんは梓ちゃんのこと好き?」

「うん、当たり前じゃん」

「そうだよね。当たり前……だよね」

 こうもはっきりと言える辺り、本当に梓ちゃんのことが好きなのだろう。

 僅かながら嫉妬をしてしまう自分がいる。



72 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 00:55:36.56 ID:CnejB+PP0

 姉妹という家族の繋がりではなく、お姉ちゃんと友達関係になるという、

 不可能な繋がりに憧れを抱いているのかもしれない。

 そんな醜い欲求を認めたくはない。

 妹として生を享けただけでも感謝すべきなのだ。

 血という実体で繋がっている、この身体に宿った意識で満足すべきなのだ。

 頭の中で、独占欲の出現に抵抗する自分。

 それでいい、そのまま頭の外へ追い出してしまおう。

「憂、なに着ていけばいいかなぁ?」この声に我に返る。

 お姉ちゃんがこちらを見ていた。

「お姉ちゃんの服、残ってるから安心して。状態は見ないと分からないけど」

 依然として、頭ではなく胸の奥にもやもやとしたものが残留していたが、努めて平静に返事をした。



73 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 00:56:32.00 ID:CnejB+PP0

「着れなかったら、憂の借りるから大丈夫だよ」

「貸してあげるなんて言ってないよー」ちょっと意地悪に言う。

「駄目ですか?」

「いいですよ」

 わたしとお姉ちゃんは、くすくすと笑い合う。

 失われた時間を取り戻し、意思の疎通を確認するように笑い合っている。

 今はただ、笑うことの心地好さに酔いしれようと思う。



75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 00:58:59.40 ID:CnejB+PP0

 翌日、梓ちゃんとの待ち合わせ場所に向かう為に、正午前に家を出た。

 昼食も一緒にすることになっている。

 お姉ちゃんは結局、自分の服を着た。

 サイズもピッタリというか変化無しなので、すんなり着られたみたい。

 夏だったことでTシャツと下だけ考えれば良かったのも幸いして、服選びに時間はかからなかった。

 今日の気温は三十度を越していることもあってか、横を歩くお姉ちゃんの足取りは重たい。

「お姉ちゃん、大丈夫?」

「あー、あうい」と、意味の分からない返事。

「もうすぐだからね」とだけ言って、前を向くわたし。



76 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 01:00:56.07 ID:CnejB+PP0

 お店の看板が見えてくる。

 お財布事情も考えて、ファミレスでお昼だ。

 お姉ちゃんの為にもう少し高いお店にしようかと思ったけど、

 梓ちゃんの反応を考えてファミレスにした。

 驚いて大声を出す可能性もあるから。

「ねえ、お姉ちゃん。緊張してる?」

「ぎんちょう? してる……かな?」

 質問に疑問符を付けて返された。

 まあ、なんとなく微妙なんだろうということは察せる。

 間もなくして、ファミレスの前に到着した。



79 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 01:02:34.20 ID:CnejB+PP0

 わたしが先頭に立って店内に入る。

 すぐに店員がやってきた。

「いっらしゃいませ、お一人様ですか?」と、スマイルを添えて、お出迎え。

「二人です」

 どうしたら一人に見えるのか不思議だ。

「え? 一人……。ああ、はいはい。禁煙席でよろしいですか?」

「はい」

 店員が一瞬だけ真顔になったのが気にはなったけど、案内に従って窓際の席を選んだ。

 わたしとお姉ちゃんは並んで座る。

「ふいー、生き返るねー」と、お姉ちゃん。

 たしかに店内のエアコンの冷風が気持いい。



81 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 01:03:28.98 ID:CnejB+PP0

 お姉ちゃんはメニューを取って、わたしとの間に開いた。

「なんにする、憂」

「先に決めていいよ、お姉ちゃん」

「まずはアイスだよね」

「それは食後にしようよ」

 直ぐにでもアイスを食べたい気分だったけど、メインの前に食べては駄目だろう。

「あずにゃん、もう来るかなー」

「ちょっと待って」と言って、携帯電話を開く。

 新着の電話もメールもなかったが、家を出たというメールはあったので、向かっている最中だろう。

「もうすぐ来ると思うよ」



84 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 01:05:12.11 ID:CnejB+PP0

「あずにゃん、どんくらい変わってるんだろう」

「わたしの知る限りは、そんなに変わってないと思うけど」

「もっと可愛くなってたりしないの」

「元々、可愛いよ。梓ちゃんは」

「うんうん、あずにゃん可愛いよね。憂は分かってるなー」

 お姉ちゃんは本当に梓ちゃんが好きなんだなと思う。

 先程の店員がお冷を一つテーブルに置いた。

 数が足りないので「あの、もう一つ」と、控えめに要求する。

 店員は怪訝そうな顔をしたあと、微かに頷いてテーブルから離れていく。

 本当に理解したのだろうか、同じアルバイトをしている身としては、接客態度の悪さが気になってしまう。



86 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 01:10:12.71 ID:CnejB+PP0

 三十秒程してから、店員が戻ってきた。

「失礼します」と言って、わたしの向かい側にグラスを置いて去っていく。

 なんなのだろう、これは。

 お客を馬鹿にしているのだろうか。

 何かわたしに恨みでもあるのだろうか。

 怒りを抑えてグラスを目の前に持ってくる。

 大きく嘆息して、気分を和らげようとする。

「疲れたの?」と、お姉ちゃんがメニューを畳んで聞いてきた。

「ううん、なんでもないよ。お姉ちゃん、なに頼むか決まった?」



90 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 01:12:46.77 ID:CnejB+PP0

「決めたよ。はい、憂の番」と、メニューを渡してきた。

「ありがとう」

 メニューを受け取って、料理の写真を眺める。

 もう、とびっきり甘いものをデザートにしよう。

 笑い声がして、何気なく通路を挟んだ先の隣席を見た。

 目が合う。

 その人は、まるで嘲るような笑みを浮かべていた。

 わたしは瞬時に視線をメニューに移す。



92 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 01:16:27.49 ID:CnejB+PP0

 今日の運勢は悪いのかな。

 朝の運勢ランキングを思い出してみると、たしかに下から数えた方が早かった。

 内容は、思い通りにいかなくてイライラしそう、と書いてあった気がする。

 悪い時に当たらなくてもいいのにと、また溜息。

 嫌な予感がしたのは、そのときだった。

 推理小説でトリックを理解したときのように、

 〝悪運〟の謎が気持ちいいぐらいにすっきりと解けてしまった。

 いや、いまのわたしにとっては解けてしまうのは気持悪いことだ。

 謎の正体がわたしの胸に深く突き刺さる。



95 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 01:19:29.47 ID:CnejB+PP0

 そんなはずがない。

 認めたくない。

 認めてしまったら、お姉ちゃんはどうなるのだ。

 駄目だ。駄目だ。駄目だ。

 事実が恐い。

 頭痛と共に眩暈がやってきた。

 視界がはっきりしない。

 上下左右、方向感覚が無くなり、未知の浮遊感に襲われる。

 気持が悪い。

 わたしは今、どうなっているのだろう。



98 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 01:22:11.85 ID:CnejB+PP0

「憂?」

 声がして、ぼんやりとした意識のまま顔を上げた。

「大丈夫? 顔色悪いよ」

 次第に聴覚と視覚が戻ってきて、声の主が判明した。

 梓ちゃんだ。

「あ、あ、あ」

 自分でもなにを言っていいのか分からず、意味の無い声を出してしまった。

 口の中が乾いているのが分かる。

「憂、ほんとに平気?」と、梓ちゃんは通路に立ちながら、こちらを見ていた。

 わたしは梓ちゃんを見つめたまま、なにも言わなかった。



102 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 01:23:47.27 ID:CnejB+PP0

 違う、言えなかった。

「おーい、憂。起きてるー」

 梓ちゃんは目の前で手を振って意識を確認しているみたいだ。

 そうだ。

 お姉ちゃんはなにをしているのだろう。

 なにを見ているのだろう。

 梓ちゃんを見ているのなら、なんで声を出さないのだろう。

 後ろを振り返るのが恐い。



105 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 01:28:17.62 ID:CnejB+PP0

 それでも、見なくてはいけない。

 恐怖と義務感がせめぎ合う中、わたしは出来る限り、ゆっくりと振り返る。

 ゆるりと少しずつ、視界に映る光景が変化する。

 そして、わたしは見た。

 お姉ちゃんは、両腕で顔を隠すようにテーブルに伏せていた。

 すすり泣く声が聴こえる。

 ああ、お姉ちゃんは解ってしまったのか。

 誰一人、お姉ちゃんが〝見えていない〟ことを。

 わたしを除いては、誰も見ていないことを。

 目頭が熱くなったのを、唇をきゅっと結んで我慢を試みる。

 それでも、涙は無理矢理に頬を伝う。



109 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 01:30:53.04 ID:CnejB+PP0

「ちょっ、憂! なんで泣いてんの? あ、え、わたし、悪いこと言った?」

「ごめんね……ごめんね……」

 梓ちゃんにも謝りたかったが、いまは誰よりもお姉ちゃんに謝りたかった。

 わたしが悪いのだから、全てはわたしの責任だ。

 悲しむお姉ちゃんを見たくなかった。

 目を逸らし、同じようにテーブルに顔を伏せた。

 梓ちゃんが背中を擦ってくれてるのが分かる。

 今日は運が悪い。



112 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 01:35:00.95 ID:CnejB+PP0

 結局、梓ちゃんにはお姉ちゃんのことを言わなかった。

 言ったところで、どうなるのだろう。

 言葉の交換はわたしを通してでしか出来ない。

 それで梓ちゃんは、お姉ちゃんの存在をしっかり実感することが出来るだろうか。

 わたしの気が狂ったと思われてもおかしくはない。

 交通事故の後、わたしは梓ちゃんに対し酷いことをし、過ちを犯してしまった。

 その二の舞はだけは避けたかった。

 言わなかった所為で「プレゼントはー?」と、

 唇を尖らせて文句を言われてしまったが仕方がないだろう。

 帰宅すると、お姉ちゃんは真っ先に部屋に閉じこもってしまった。

 最悪な一日の続きは苦いものでしかない。



117 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 01:38:38.35 ID:CnejB+PP0

 翌朝、お姉ちゃんは一階に下りてきたものの、口数は少なく、明らかに元気がなかった。

 朝食時には会話が無く、わたし達の間には気まずい空気が漂っていたので、食事が不味く感じられた。

 この日もアルバイトが入っていたわたしは、お姉ちゃんに一声だけ掛けて家を出た。

 アルバイトを終えて家に帰ったときには、

 少しは元気になっているだろうという淡い期待を持って、アルバイト先へ向かったのだ。

 
 だけど、淡い期待は明確な失望へと変わってしまう。

 帰宅したわたしを待っていたのは、生のない空虚な空間だった。

 お姉ちゃんの姿がどこにも見当たらなかったのだ。

 ――消えた。

 ――お姉ちゃんが消えた。

 ――どこへ。

 ――どこへ、行ってしまったの。




関連記事

ランダム記事(試用版)




憂「夏の記憶」#前編
[ 2011/09/13 22:22 ] 非日常系 | 唯憂 | CM(0)

コメント(アンカー機能)
●>>1と半角で書き込むと>>1と記事へのアンカーが生成される。
●*1と半角で書き込むと1とコメントへのアンカーが生成される。
上記の2つのアンカーが有効なのは該当記事のみ。

コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

サイト関連
メール ツイッター 最新記事一覧(30件)
ユーザータグ 検索

U:
P:
色々変更
好みのカラーコードをどうぞ

記事の背景色変更


本体の背景色変更


名前の色変更
IE8:重
火狐4.01:軽
chrome:軽


広告4
広告5
広告6