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憂「夏の記憶」#後編 【非日常系】


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憂「夏の記憶」#前編
憂「夏の記憶」#後編




119 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 01:42:17.87 ID:CnejB+PP0

 いつの間にか、失望から絶望が生まれてきてしまっていた。

 お姉ちゃんが二度と目の前に姿を現すことがないと思うと、恐怖さえ感じた。

 絶望と恐怖は嵐のように猛烈な勢いで、わたしの思考を蝕んでいく。

 抗うことすら許さない、その圧倒的なまでの絶望は絶対的な無力感をわたしに刻み込む。

 あの時の事故と同一の無力感だった。

 幾ら手を伸ばそうと、漆黒の闇が光を殺し、実体を掴もうとするのを阻む。

 全ては終わってしまった。

 わたしは居間の床に寝転がり、白の天井を見つめている。

 その白が、わたしの目の色に染まることはない。

 お姉ちゃんの目の色も、今のわたしと同じなのだろうか。

 そう思ったら、目の赤が更に滲んだ。



123 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 01:45:15.99 ID:CnejB+PP0

 目が覚めると、なんら変わりのない天井が見えた。

 どうやら眠ってしまったらしい。

 時計の針は午後九時を少し過ぎたところを指していた。

 目の回りがいささか腫れぼったくて気になった。

 座ったまま、自分が居る部屋を見渡す。

 動く物体は無く、音を発する物すら見当たらない。

「泣いても世界は変わらない……か」

 褪めた心境にも関わらず、お腹が空いていた。

 こんな時くらい空気を読んで欲しい気もするが、

 わたしの意思でどうこう出来ることじゃないので仕方がない。



126 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 01:47:54.91 ID:CnejB+PP0

 強張った身体を伸ばすように立ち上がる。

 洗面台で顔を洗い、鏡で自分の顔を見てげんなりする。

 次に台所へ行き、冷蔵庫を開けた。

 そこで初めて、夕飯の食材がないことに気付く。

 朝はあの空気だったので、確認するのを忘れてしまっていた。

 これから買いに行くとなると、スーパーは開いてないのでコンビニで買わざるをえない。

 無駄な出費になってしまうと考えると、余計に気分が滅入った。

 手早く支度をして、家を出た。



128 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 01:48:59.54 ID:CnejB+PP0

 外は月明かりと街路灯、住宅の窓から漏れる光で、そこまで暗くは感じない。

 蒸した温い風が、髪に絡みつくようにわたしを包む。

 背中にかいた汗がべっとりしていて、不快さが余計に増す。

 夏ということもあり、窓を開けた家が多く、一家団欒をしている楽しげな声が聞こえた。

 それを聞いて少し早足になる。

 他人の幸福が面白くなかったからだ。



131 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 01:51:49.16 ID:CnejB+PP0

 コンビニに到着。

 調理が簡単なカップ麺を一つ買うことにした。

 普段はあまり食べないけど、今日は食べてもいい気分だったのだ。

 そして、お店を出ようとしたときだった。

 わたしは立ち止まる。

 正面の自動ドアを開けて入ってきたのが和さんだったのだ。

「あ、憂ちゃん。久しぶりね」と、簡単に挨拶をされた。

「こんばんは。お買い物ですか?」表情を無理に作って言う。

「ええ、喉が渇いたから寄ったの。憂ちゃんはこんな時間にどうしたの? アルバイトの帰り?」

「いえ、夕飯を買いに」

「それでコンビニ?」

「この時間だと他は開いてませんから」

「ああ、それもそうね。ちょっと待っててくれる、買い物を済ましてくるから」

 そう言うと、和さんは飲み物が並んだ冷蔵庫に歩いていく。



133 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 01:54:18.68 ID:CnejB+PP0

 正直、和さんを含めて、いまは話をする気分ではなかったし、早く家に戻りたかったけど、

 待っててと言われたのを無視して帰る度胸は、わたしにはなかった。

 わたしはお店の外に出て、入り口の脇で待つ。

 和さんはビニールの袋を右手にすぐに出てきた。

「それじゃ、途中まで一緒に行きましょ」と、和さんが頬を緩ませて言う。

 対するわたしは、頷くのが精一杯だった。



134 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 01:56:50.38 ID:CnejB+PP0

 歩きながら、和さんはわたしの近況を訊いてきた。

 大学生活のことや夏休みのこと、自炊のこと等、取り立てて特別なことは訊かれていない。

 それから、和さんが自分の近況を話して教えてくれたが、わたしの耳には中途半端にしか届かなかった。

 適度な話が終わって、お互いが口を閉ざして歩くことになる。

 和さんはお姉ちゃんの友人であって、わたしの友人ではない。

 となると、話すことが限られてくるのも当たり前といえば当たり前だ。

 会話の代わりにわたし達の足音だけが、沈黙の中にあった。

 疲れを感じていたせいか、大きな溜息を吐いてしまう。



136 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 01:59:00.93 ID:CnejB+PP0

「どうかした?」と、和さん。

「い、いえ」

 あわてて、顔の前で両手を振って否定する。

「そう。……ねえ、幽霊を見たことある?」

 その言葉に何故かドキッとした。

「え、あ、いえ」

「今日ね、変なことがあったのよ」

「変なことですか?」



137 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 02:01:25.72 ID:CnejB+PP0

「ええ。家で出掛ける為の支度をしている時だったわ。
 たまたま携帯電話がどこに置いておいたか分からなくて、家の中を探し回っていたの。
 そしたら、さっき確認した場所に携帯電話が置いてあってビックリしたわ。
 見つかったのだから何も問題はないんだけど、それでもおかしいじゃない。
 家にはわたしの他に誰もいないのに」

「見間違えとかじゃ、ないんですか?」

「だってテーブルの真ん中よ。見間違えはないわ。それと、それだけじゃなかったの」

「他にもあったんですか?」

「それまで音を出していなかった風鈴が突然に鳴ったのよ。
 それから、靴を履くときに気付いたんだけど、揃えて置いておいた靴が微妙に動かされてるの。
 流石に恐くなったわ。背筋がゾクッとして、何かいるのかもって」

 わたしは何も言わずに話を聴き続ける。



139 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 02:05:18.77 ID:CnejB+PP0

「でもね、直ぐに妙な温かさを感じたの。
 不愉快さはなかったわ。
 夏の暑さとか関係なくて、ふわふわした感じの温もりとでも言えばいいのかしら。
 言葉に出来ない感覚ね。そのときに何故か、唯の顔が頭にパッと浮かんだわ。
 そして、唯がわたしの名前を呼ぶのよ、和ちゃんって。
 だから、もしかしたら唯が遊びに来てるのかもって思ったの。
 もちろん、そんなことはないんだけれど」

「お姉ちゃんです」

 わたしは立ち止まり、何も考えずに言った。

 和さんがどう思おうと、わたしには確信めいたものがあったから。

「唯?」

 和さんも足を止めた。



142 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 02:10:12.05 ID:CnejB+PP0

「お姉ちゃんが和さんに会いに行ったんですよ。お姉ちゃんは和さんのことが好きですから」

「そう……なのかしら」

「わたしはそう思います」

 和さんは思案顔で、月が浮かぶ夜空を見る。

 月はもうすぐ満月なのか、満月を過ぎてあの形なのかは分からないけど、ほとんど円形だった。

「そうね。だったら、言ってあげればよかったわ」

 和さんは月を見ながら言った。

「何をですか?」

「なんでもいいわ。おかえりでも久しぶりでも、なんでもいいのよ。
 でも、一番言いたいのは――会いたかった……かしらね」



144 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 02:15:02.86 ID:CnejB+PP0

 会いたかった。

 それはわたしが言った言葉となんら変わらない。

 死者であろうと、大切な人に会いたいと思う気持ちは、

 心を通わせた人であれば誰でも思うことなのかもしれない。

「でも、わたしには見えなかったのが残念だわ。

 少しでいいから、唯の顔を見られればよかったのに」

 わたしは答えない。

 どうして、わたしにだけお姉ちゃんが見えるのか。

 今となっては、見えたのか。

 わたしには分からない。

「憂ちゃんになら見えるかもしれないわね」

 和さんがそんなことを言った。



145 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 02:19:09.61 ID:CnejB+PP0

「どうしてですか?」

「だって、誰よりも唯のことが好きだったでしょ」

 そう、わたしは誰よりもお姉ちゃんが好きだ。

「今も好きです」

「そうね、ごめんなさい。そんな憂ちゃんになら唯が見えると思うわ」

 お姉ちゃんは見えた。

 けれど、何処かへ行ってしまった。

「あの、幽霊ってどこに行くんでしょう」

 わたしはそんなことを訊いていた。

 なんの為なのかは自分でも不明だ。



148 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 02:21:47.86 ID:CnejB+PP0

「わたしは幽霊じゃないから分からないけど、

 唯なら遊びに行くんじゃないかしら。今日もわたしの家に来たみたいだし」

「遊びに……」

「幽霊だって遊びたいわよ」

 そうか、お姉ちゃんは何処かに遊びに行っているのかもしれない。

 そう考えると、希望が沸いてきた。

 お姉ちゃんはまだ帰ってこないと決まったわけじゃないのだ。

 今まで落ち込んでいた気分が、いささか上向きになり、モヤモヤとしたものも少しだけ晴れてきた。

 そのあと、途中まで和さんと帰り、家に戻った。



149 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 02:25:22.94 ID:CnejB+PP0

 玄関の靴の数は先程と変わっていない。

 家の静けさも変わらない。

 変わったのはわたしの決意だけ。

 決めたのだ。

 明日でも明後日でも辛抱強く待つことを決意したのだ。

 帰りを待つ。

 ひたすら待つ。

 お姉ちゃんの帰りを、わたしは待つ。



151 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 02:31:02.29 ID:CnejB+PP0

 そんな決意とは裏腹に、お姉ちゃんはあっさりと帰ってきた。

 朝食のトーストをかじっているときだった。

 お姉ちゃんは玄関扉を開けた音もたてずに、居間に姿を現したのだ。

「お姉ちゃん!?」

 咄嗟に声を出した為に、トーストが口からお皿の上に落ちた。

「あ、憂。ただいまぁー」

 お姉ちゃんは近場に買い物に行ってきた帰りのように、あっけからんとした声だった。

 わたしは歩み寄って、無理に睨む目つきをして言う。

「お姉ちゃん! 何処に行ってたの!? 心配したんだよ!」

 お姉ちゃんは口を開けて驚いた顔をした。



155 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 02:34:13.48 ID:CnejB+PP0

 更には視線が右に左にと落ち着かなくて、挙動不審だ。

「あ、え、う、あ、うー」

 何かの暗号みたいな答え。

「お姉ちゃん!」

「ご、ごめんなさい!」と、四十五度以上の角度で頭を下げる。

 だけど、五秒程すると徐々に頭が上がってきた。

 眉尻を下げた困り顔が上目遣いでわたしを見る。

 わたしは一回だけ嘆息して、表情を柔らかく変える。

「でも、よかった。お姉ちゃんが帰ってきて」



158 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 02:37:39.93 ID:CnejB+PP0

 お互いの息が触れるぐらい近くまで寄り、背中に両手を回して抱きしめる。

 引き寄せた身体は確かな熱を持っていた。

 お姉ちゃんは生きている。

「憂?」

「何にも言わずに消えちゃ嫌だよ、お姉ちゃん」

 お姉ちゃんの右肩の上に顔を乗せて、頬に頬を合わせる。

 目を閉じると、自分の鼓動とお姉ちゃんの鼓動を感じることができた。

「憂、ごめんね。心配かけちゃって」

 そう言って、わたしの頭を優しい手付きで撫でてくれる。

「よしよし」と、背中も擦ってくれる。

 わたしは急に胸に痞えてたものを吐き出したくなって、それが涙となって溢れ出した。



160 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 02:40:18.31 ID:CnejB+PP0

 我慢が出来なかった。

 お姉ちゃんの匂いが。

 お姉ちゃんの手の感触が。

 お姉ちゃんの温かさが。

 これまでにないくらい、優しく包み込んでくれた。

 抱擁を通して、お互いの存在を深く感じた。

 どれだけの時間、そのままの状態でいただろうか。

 わたしは長い時間泣いていたし、涙が止まっても抱き合っていた。

 幸せな時間を終わらせたくなかったのだ。



163 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 02:45:02.55 ID:CnejB+PP0

 けれど、エアコンを使っていない夏の居間は蒸し暑くて、抱き合ってるのにも限界があった。

「あ、暑い」と、お姉ちゃんが先にギブアップ宣言。

「う、うん、暑いね」

 暑さには敵わず、わたし達は離れた。

「こんな暑いとアイスがないと生きていけないよ。あ、エアコンもつけないと」

 そう言って、真っ先にエアコンのリモコンの元へと駆け寄っていく。

 わたしはお姉ちゃんの背中に向かって声を掛けた。

「お姉ちゃん」

「スイッチオン! え、なにィ?」

「遊びに行こっか?」

「遊びに?」

「うん。遊びに」



164 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 02:46:58.74 ID:CnejB+PP0

 アルバイト先にお休みの連絡を入れた。

「いいの? 休んじゃって」

「うん。お姉ちゃんと一緒にいたいから」

 お姉ちゃんは何も言わない。

 ただ、わたしを見て笑ってくれた。

 行き先は映画館だった。

 チケットはわたし一人分で、お姉ちゃんは無料。

 このぐらいのサービスはあっていいだろう。

 観る映画はお姉ちゃんに選んでもらった、派手なハリウッド映画だ。

 わたしの席の横がたまたま空いていて、お姉ちゃんはそこに座った。



166 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 02:48:57.02 ID:CnejB+PP0

 ポップコーンを渡すと、嬉しそうに受け取った。

 お客さんの入りがよくないので、お姉ちゃんは堂々としていられる。

 人が多かったら、座ることもポップコーンを食べることも出来なかった。

 お姉ちゃんと一緒に映画を観に来たのはいつ以来だろう。

 遡ると、お互いが中学生のときが最後かもしれない。

 結構、長い間行ってなかったんだな。

 上映が始まる前だったので、お姉ちゃんに声をかけてみる。

「お姉ちゃん、寝ちゃ駄目だよ」

「寝ないよぉ。憂には難しい映画かもしれないけど」

「これ、アクション映画だけど」

「アクションは深いんだよ、憂」



167 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 02:49:59.79 ID:CnejB+PP0

 そんなことを話しながら、場内が暗転するのを待った。

 ポップコーンはどんどんと減っていく。

 食べているのは、ほとんどお姉ちゃんだ。

 わたしは脇に置いておいた、ジュースを一口飲む。

 それをお姉ちゃんが横から物欲しそうな目で見ていた。

「どうしたの?」

「飲み終わっちゃった」

 そう言って、空の紙コップを持って見せた。

「しょうがないなー、少しだけだよ」

 中が入った紙コップをお姉ちゃんに渡す。

「ありがたやー」と、大袈裟な態度をとって紙コップを受け取る。



169 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 02:51:49.36 ID:CnejB+PP0

 お姉ちゃんが紙コップの縁に口をつけると、炭酸の弾ける音が聞こえた。

 ごくごくごくごくごくごく……。

「お姉ちゃん。もしかして、全部飲む気じゃないよね」

「そ、そんなわけないじゃん」

「コップ貸して」

 お姉ちゃんは素直にコップを差し出す。

 わたしはそれを受け取る。

 妙に軽いのは気のせいか。

 上からジュースの残りを確認すると、案の定、あとちょこっとしか残っていなかった。

「お姉ちゃん」

「ご、ごめん。喉渇いてたから」

「わざとだよね」



170 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 02:53:54.55 ID:CnejB+PP0

 本気で怒ってはいない。

 お姉ちゃんを少しからかってみただけだ。

 わたしは残りを一気に飲み干して、コップの中身を空にした。

 そのコップを脇のホルダーに置くと、場内の照明がゆるやかに落ちた。

 お姉ちゃんはこちらを見たままだったから、笑って応えてあげる。

 それを見てホッとしたのか、お姉ちゃんは座りなおしてスクリーンに目を移した。

 名前は忘れたけど、画面に有名なキャラクターが出てきてコントみたいなことをしている。
 
 映画を観るときは、こうやって焦らしを入れてくるから面白い。

 本編が始まる頃に左手が温かいものに包まれたのに気付き、わたしはそれを握り返した。



172 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 02:55:06.06 ID:CnejB+PP0

「ふあー」
 
 長い時間座っていて疲れたせいか、お姉ちゃんがそんな声を出して伸びをした。

 映画が終わったことで、既に場内の照明が点灯している。

「どうだった?」

 映画の感想を聞いてみる。

「ハッピーエンドでよかったよー。最後に助からなかったら可哀想だもんね」

「そうだね。でも、相手のやられ方はちょっと可哀想だよね。どっちが悪役か分からないぐらい」

「悪い人にはお仕置きが必要なんだよ、憂」

 そう言って、お姉ちゃんは軽い足取りで出口に向けて歩き出す。

 わたしは後を追う。



174 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 03:00:32.25 ID:CnejB+PP0

 映画館を出た後は、お昼抜きでウィンドウショッピングに興じた。

 だけど、さすがに何も食べないというのは苦しかったので、

 スーパーで適当な食材を買って早目に帰ってきてしまった。

 外で食事をしようにも、お店の人にお姉ちゃんの姿が見えない状態では一人分のサービスしか受けられない。

 お姉ちゃんにリラックスして食事をして貰う為には、やはり家が良いという結論になったのだ。

 二人とも家に着いたときには汗をびっしょりかいていて、お姉ちゃんは真っ先にエアコンの電源をいれた。

 お昼ご飯は冷やし素麺にすることにした。

 氷を敷いて、麺を冷やすのだ。

 ようやく準備を終えて、お皿を運ぶ頃にはお姉ちゃんはぐでんとダウンしていた。



176 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 03:03:57.43 ID:CnejB+PP0

 翌日はビニールプールを庭の限りあるスペースに設置して入った。

 もちろん、お姉ちゃんもわたしも水着を着用して、暑い暑い言いながらも水遊びをして楽しんだ。

 夜になると、家の前で花火をした。

 場所が場所だけにロケット花火は出来ないから、小さな花火で我慢した。

 我慢したのはわたしではなく、お姉ちゃんだ。

「憂、ロケット花火ないんじゃつまんないじゃん」と言って、やる前はいささか拗ねていたけど、

 いざ花火をやりだすと一番はしゃいでいたのは、お姉ちゃんだった。

 その日の夜は夜更かしを少しだけして、二人で身を寄せ合いながら、ホラー映画を観て盛り上がった。



179 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 03:08:32.83 ID:CnejB+PP0

 そんな昔に戻ったみたいに、平凡ながら幸せな日が続いた七日目のことだった。

 朝食のコーンフレークを食べていると、お姉ちゃんがいつになく元気のない声で言った。

「あのね、憂」

「ん?」

 お姉ちゃんは手を止め、顔を伏せて、わたしの顔色をチラチラと窺っている。

「どうかしたの? あ、お腹の調子が悪いなら残してもいいよ」

 お姉ちゃんは頭を振って否定する。



182 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 03:10:03.84 ID:CnejB+PP0

「あのさ、驚かないで聞いてね」

「う、うん」

 驚かないでとは、どういう意味なのか。

 それはつまり驚きを与える可能性がある話なのか。

 わたしはこれから展開されようとされている話を予想しようとした。

 けど、それより先にお姉ちゃんが言葉を続けた。

「わたし、もう駄目みたいなんだ」

「だ……め……?」

「なんでか解らないけどさ。もうすぐ消えちゃいそうな気がする」



185 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 03:13:55.35 ID:CnejB+PP0

「消えるって……」

「解るんだよ。もう時間がないって。今日の夜にはもういないかもしれない」

「そんな……」

 そんな、そんなことってない。

 お姉ちゃんが、いつかいなくなってしまうのはわかっていた。

 わかっているつもりだった。

 でも、実際にこんなにも明確に言われてしまうと、その理解が如何に不十分であったかを実感する。

 この一週間、時間があったにも拘らず、覚悟を決めることが出来ていなかった。

 日常に潜む非日常に備えていなかったのだ。

 非日常は常にわたしの眼前に迫っていたのに、わたしは目を向けようとはしていなかった。



188 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 03:16:35.82 ID:CnejB+PP0

「憂……」

 お姉ちゃんの顔に笑顔はない。

「いつまで……いられるの?」

「分からない。けど、今すぐじゃないよ」

「そう……」

 わたしはどうしたらいい。

 残りある時間、どのように過ごせばいい。

 お姉ちゃんの為に何が出来る。

 突きつけられた現実に、まともに思考することが出来なかった。



191 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 03:22:13.97 ID:CnejB+PP0

 いつの間にか、お姉ちゃんが目の前にいた。

 そして、両手をわたしの両肩に置くと口を開いた。

「憂、そんな顔しないで」

「お姉ちゃん……」

「人って、死んだら戻ってこないんだよ。

 本来なら、わたしがこうやって憂の前にいるのだっておかしいぐらい」

「そんなことないよ。お姉ちゃんは……お姉ちゃんは……」

「憂っ!」

 いままで聞いたことがないぐらいに鋭い声。

 わたしの肩に載る手に力が入る。



192 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 03:24:22.68 ID:CnejB+PP0

「わたしの目を見て」

 その声に従って、正面から真っ直ぐに視線を向けた。

 宝石のように光を反射する瞳には、今にでも泣き出しそうな、わたしの顔が映っていた。

「憂、お姉ちゃんのお願い聞いてくれる?」

「お願い?」

 お姉ちゃんは小さく一回頷く。

「憂と泣きながら、お別れなんてしたくない。どうせなら、笑ってお別れしようよ。ねっ?」

 そうは言っていたが、顔は決して笑ってはいない。

 それが逆にわたしの心を強く打った。



195 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 03:30:03.84 ID:CnejB+PP0

 ひょっとしたら、別れが辛いのはわたしだけではないのかもしれない。

 お姉ちゃんもまた、わたしと別れるのが辛いのかもしれない。

 考えもしなかった。

 お姉ちゃんにとって、自分がどのような存在なのか。

 唯一の妹であり、自分の姿形を見ることが出来る存在。

 声を聴き、応えられる存在。

 手を握り、温もりを感じ取れる存在。

 お姉ちゃんからしたら、わたしはたった一人の生きた人なのかもしれない。

 けど、その考えは主観を用いて作られた根拠のない認識という域を出ない。

 その所為か、心の隙間を埋めんとする衝動に駆られる。

 不安でしょうがない。



197 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 03:31:08.07 ID:CnejB+PP0

 わたしはどんな存在なのか。

 瞳を通して、わたしの何を見ているのか。

 わたしには分からない。

 都合よく、人間には言葉という意思疎通する為の表現法がある。

 そして、幸運にもお姉ちゃんと話しをすることが出来る。

 短い言葉だけでも、人はお互いを知ることが出来る。

 そう、だから訊けばいい。

 訊いて、自分の存在を確かめればいいのだ。



199 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 03:35:25.08 ID:CnejB+PP0

「お姉ちゃん」

 依然として、目の前の双眸はしっかりとわたしを見ている。

「わたしのこと好き?」

 わたしは訊かないでいられなかった。

 言葉で、声で、受け取りたかった。

 けど、お姉ちゃんはわたしの意には関せず、

「当たり前じゃん」と言い放った。

 当たり前。

 お姉ちゃんにとって、それは当たり前だった。

 いや、わたしにとってもそれは当たり前だったはずだ。

 長い間離れていた所為か、いつしか当たり前が曖昧模糊としたものになっていたのかもしれない。



200 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 03:38:28.04 ID:CnejB+PP0

「言ったでしょ、わたしは憂に会いに来たって」

 帰ってきて間もなく、お姉ちゃんはたしかにそう言った。

「憂はわたしのこと好き?」

「好き……大好き……当たり前だよ」

 そう、当たり前なのだ。

 わたし達はお互いを好いている。

「ねえ、お姉ちゃん。わたしのこと愛してる?」

「え、うん」

「愛してるって言って」

「ええ~、恥ずかしいよぉ」

 少し仰け反って、そんなことを言った。



202 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 03:43:30.74 ID:CnejB+PP0

「わたしはお姉ちゃんのこと愛してるよ」

 ずっと言えなかった言葉。

 言おうと思ったときには、お姉ちゃんはいなかったから。

 お姉ちゃんは崩した顔を僅かに戻して、微笑む。

 そして、

「愛してるよ、憂」と言ってくれた。

「ありがとう、お姉ちゃん」

 わたしはたしかに愛されていた。

 そのことがたまらなく嬉しかった。



204 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 03:45:42.97 ID:CnejB+PP0

 わたしは立ち上がる。

 覚悟は決まった。

 悲しむのはもう止めよう。

 泣くのも、もう止めよう。

 わたしはお姉ちゃんの為に笑顔で見送るのだ。

「憂?」

「顔、洗ってくるね」

 さて、今日はなにをしようか。



207 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 03:56:20.18 ID:CnejB+PP0

 朝食後、話し合いの末に海へ行くことになった。

 お姉ちゃんのリクエストだったので、即決だった。

 海へは片道二時間と、近くもなく遠くもなくといったところか。

 泳ぐわけじゃないので、夕方前には帰ってこられるはずだ。

 駅に着くまでに真夏特有の炎天下の中を歩くことになり、気力、体力がそれなりに消耗してしまった。

「あづい……あづい……」

 お姉ちゃんのそんな呟きを聞いてると、余計に暑く感じる気がする。

 本当に暑い。

 けど、この暑さがなければ夏じゃないのだろう。



208 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 04:00:35.89 ID:CnejB+PP0

 海は海水浴に来た人で溢れ返っていて、静かに海を見られる場所を探す為に歩き回った。

 相変わらず、太陽の照りが強烈だったけれど、

 潮風や海の匂い、澄み切った青空を見ると、そんな不快な思いも気にならなくなる。

 それはお姉ちゃんも同じらしく、暑さをものともせず
 
 子供のようにどんどん先に行ってしまうから、追うのが大変だった。

 人気の少ない場所に腰掛けると、横一線に伸びる水平線を境に
 
 濃い青と薄い青に別れた風景が視界一杯に映った。

 それはまるで、この世と天国の境界のようだ。

 ざざあ、ざざあと波が寄せては引いていく。

 波音がくすぐるように耳に飛び込んでくる。



209 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 04:06:28.98 ID:CnejB+PP0

「お姉ちゃん。明日ね、お母さんとお父さんが帰ってくるんだよ」

「明日ぁ。タイミング悪いなぁ、もう」

「本当だよね。折角会えたのに」

 お姉ちゃんは膝に肘をたて、両手に顎を載せる。

「でも、最初から決まってたのかもね」

「最初から?」

「そう。つまり、運命っていうのかな。
 わたしが戻ってきたのは、憂に会いに来たからで、それ以外はしちゃ駄目っていうかさ」

 お姉ちゃんはそう言って、蹲るように顔を隠した。

「お姉ちゃん?」

「あづい……」

「うん。暑いね」



212 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 04:07:33.89 ID:CnejB+PP0

 わたし達はその後も海を見ながら様々なことを話した。

 その間にも刻々と時は過ぎていく。

 お姉ちゃんと過ごせる時間が減っていく。

 それでも覚悟が変わることはない。

 けど、何かをしたいと思った。

 やれることをやって、後悔しないように。

 やれることがあるはずだから。



213 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 04:10:26.26 ID:CnejB+PP0

 じっくりと海を堪能して帰宅した後、最後になるであろう昼食を作りながら鼻歌を歌っていると、
 
 わたしのものではない響きを持った音が聴こえてきた。

 それはお姉ちゃんの鼻歌だった。

 わたしの鼻歌に自然と重なり、終いにはユニゾンとなっていた。

 そこでわたしは思った。

 お姉ちゃんの声を残すことは出来ないかと。

 わたしは早速お姉ちゃんに提案をしてみることにした。

「お姉ちゃん。お昼を食べたら歌わない」



215 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 04:16:11.87 ID:CnejB+PP0

 お昼を食べ終えると、わたしは直ぐにマイク付きのラジカセを探しに行った。

 ビデオカメラは試してみたけど、お姉ちゃんの姿は捉えられなかったから、
 
 ラジカセは唯一の録音機材と言っていい。

 ラジカセは最近はめっきり使っていなかった所為で埃を被っていた。

 埃を簡単に払い、カセットテープの差込口を開けてみる。

 中にはテープが入っていなかったので、テープを用意をしなければならない。

 だけど、今からカセットテープを買いに行くのは躊躇われた。

 外に出ている間にお姉ちゃんが消えてしまえば、そこまでだからだ。

 家に保管されているテープを探して、それを使うしかないだろう。

 テープを使ったことは一度や二度だったし、自分で積極的に使ったわけでもないので、

 テープの保管場所については知らないと言っていい。



216 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 04:18:40.46 ID:CnejB+PP0

 とりあえず、有りそうな場所として両親の寝室の押し入れを探ってみた。

 しかし、押し入れには大量の荷物が鎮座しており、隅々まで探していては時間が足りないだろう。

 やはり、外に買いに行った方が早いか。

 押し入れの前で跪きながら考えを巡らせていると、

「憂、なにをしてるの~」

 お姉ちゃんが寝室の入り口から顔を覗かせていた。

 わたしはまだ録音の企みを教えていない。

「お姉ちゃん、カセットテープの場所知らない?」



218 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 04:25:48.90 ID:CnejB+PP0

「カセットテープぅ? ……ん、ああ、カセットテープね。探してるの?」

「うん、どこかにあったと思って」

「ちょっと待ってて」

 お姉ちゃんは床をどたどたと音を鳴らしながら駆けていった。

 場所を知っているのだろうか。

 わたしも寝室を離れ、足音が向かった先の部屋を覗いた。

 そこはお姉ちゃんの部屋だった。

 机の抽斗の奥をなにやら漁っている。

「あったあったぁ!」

 抽斗から引き抜かれた手には、テープの収納ケースが握られていた。



219 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 04:29:32.31 ID:CnejB+PP0

「よっ。セット完了~、再生っと」

 お姉ちゃんがラジカセの再生スイッチをカシッと押し込む。

 ラジカセがそれに続いてアナログな音を響かせると、テープがたしかに回り始めた。

 スピーカーから流れてきたのは、お姉ちゃんの歌声だった。

「これ、お姉ちゃんの声だよね」

「そうそう。練習のときに録ってみようってことになってさぁ。いつのだっけなぁ」

 歌声と共に聞こえる雑音が、妙に声の存在感を際立たせていた。



221 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 04:33:45.18 ID:CnejB+PP0

「それで、なんで急にカセットテープなの?」

 軽音部の演奏が流れるなか、訊いてきた。

「お姉ちゃんの声を残そうと思って」

「声? 残してどうすんの」

「どうって……なにも残らないのって悲しいから」

「でも、わたしの声ならDVDに残ってるじゃん」

 たしかに過去の学園祭のDVDを観れば、声を聴くことはできる。

 過去と現在では違うものがある。

「今にいるから歌えるものがあるよ。お姉ちゃんが歌っていない歌が」



222 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 04:40:17.12 ID:CnejB+PP0

 カーテンを開けると、陽光が部屋内を舞う埃の姿を浮かび上がらせた。

 日色はもうじきオレンジになるであろう時間。

 時計の針が一秒毎にカチッカチッと音を鳴らして、時を刻んでいた。

 床の片隅にはテープがセットされたラジカセが置かれ、コンセントにはそのプラグが接続されている。

 部屋の中央には歌詞が書かれた紙を持ってお姉ちゃんが座っており、

 わたしはギターを抱えながら、いささか離れて座っていた。

 今から歌おうとしている曲を、お姉ちゃんは弾いたことも歌ったこともない。

 わたしはこの曲だけは必死に練習をして弾けるようになっていた。

 お姉ちゃんが生前に書き残した歌詞を元に作られた曲だ。

 だから、お姉ちゃんは歌詞を知っている。

 歌は先日のDVDで予習済みである。



228 名前:ばいばいさるさん:2010/02/28(日) 05:00:31.83 ID:CnejB+PP0

「憂、準備オッケー?」

 問いかけに、わたしは深く頷いて応える。

 それを見て、静かに録音のスイッチが押された。

 人差し指と親指に挟まれたピックが、ギターの弦と触れ合って音色が弾き出される。

 刻まれるリズムにお姉ちゃんの歌声が乗る。

 まるで空を自由に羽ばたく鳥のようにそれは優雅だった。

 その声にわたしは自分の声をそっと重ねる。

 たった二人だけのアンサンブルが部屋にこだました。



230 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 05:02:43.16 ID:CnejB+PP0

 不思議な光景、不思議な感覚だった。

 今、この瞬間、この部屋はどこか違う世界に位置している、そんな感覚。

 橙色に近い鮮やかな日の光が部屋に差しこみ、お姉ちゃんがそれを纏いながら歌っている。

 お姉ちゃんが肩を左右に揺らす度に髪はふわりと揺れ動き、
 
 瞬きをする度に橙色の光を宿した瞳がチカチカと明滅し、口は歌詞を表現する為にその形を変えていた。

 その一挙一動から目が離せず、自分がちゃんとしたコードを弾いているかさえはっきりとしない。

 それでも楽しくて、嬉しくて、幸せで、自然と笑みが零れてしまう。

 歌うお姉ちゃんも柔和な笑みを浮かべていた。



231 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 05:04:49.11 ID:CnejB+PP0

 ガシッという音に続いて、テープは回るのを止めた。

 それと同時に静寂が部屋に訪れる。

 その中でわたしはほっと吐息をもらす。

 はちみつみたいに甘ったるい余韻が部屋には漂っていて、体中に浸透するように満足感を与えてくれる。

 ギターを下ろし、お姉ちゃんの表情を読み取ろうと試みる。

 けど、お姉ちゃんはわたしに背を向けている為に、表情を窺うことが出来なかった。

「――――ありがとう」

 そんな声が聞こえた。

「お姉ちゃん?」

 それはたしかにお姉ちゃんの声だった。



233 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 05:06:14.70 ID:CnejB+PP0

「ありがとう、憂」

「なにが?」

 感謝の言葉が何に対してのものなのか、わたしには解らない。

「……暑いね。窓開けよ」

 お姉ちゃんがそう言ったので、わたしは素直に従い、窓に手をかけた。

 窓をスライドさせると、生温い風が部屋に入り込んでくる。

「憂、会えてよかったよ」

 背後の声に咄嗟に振り返った。

 歌詞が書かれた紙が、床にひらりと落ちていく。

「おねえ……ちゃん……」

 呟いた声は行き場がなく孤独だった。



237 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 05:15:02.33 ID:CnejB+PP0

 お姉ちゃんが消えた。

 いなくなってしまった。

 とうとう時間が来てしまった。

 でも不思議と、感傷の気持ちはなかった。

 涙も出ない。

 喜びでも悲しみでもない、それ以外のなにか温かい感情が胸に湧き上がっていた。

 その感情は血肉に溶けるように体中に沁みていき、未知の力を漲らせた。



239 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 05:17:43.80 ID:CnejB+PP0

 わたしは床に落ちていた紙を拾い上げる。

 紙には黒い染みが模様のように点在していた。

「お姉ちゃん、泣いたんだ」

 わたしには笑顔でって言った癖に、自分はしっかりと泣いていたみたいだ。

 わたしはそれがなんだか可笑しくて、頬を緩めてしまう。

 紙を折りたたんで机の上に置き、窓の外を眺める。

 夕焼けと影を持った雲とが、絵画のように調和している風景を見せていた。

 わたしはしばらく風を浴びながら風景をぼんやりと眺め、

 幾何か時間を潰すとラジカセの前に座って、カセットテープを巻き戻した。

 次いで、再生スイッチを押す。

 そして、わたしは録音の結果に耳をすました。



240 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 05:20:41.74 ID:CnejB+PP0

 ――――これから夏が訪れる度に、わたしはこの年の夏を思い出すだろう。

 お姉ちゃんと二人で過ごした、あの一週間を。

 わたしはもうお姉ちゃんのことで泣くことはないと思う。

 それは後ろ向きなものではなく、前向きであり成長だ。

 お姉ちゃんのお陰で過去に手を振ることが出来た。

 忘れるのではなく、自分の中で消化することで未来への道はより確かなものになったと思う。

 けど、そのようなことよりも、わたし達二人にとって最も大事なことは
 ――会えてよかった――その言葉に集約されるのだろう。

 愛する人に会えてよかった。



241 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 05:23:55.46 ID:CnejB+PP0

 夏休みも終わりが近い今日、家に元軽音部の皆さんを集めた。

 居間ではあの日のラジカセに視線が集中している。

 わたしは静かに再生スイッチを鳴らす。

 スピーカーからギターの音が流れ出し、続いてメロディーに乗った声が聞こえてきた。

 その声が誰のものなのか、それを聴いて皆さんがどのような顔をしたかは、ご想像にお任せしたいと思う。


            お わ り



245 名前:◆hVull8uUnA :2010/02/28(日) 05:26:13.03 ID:CnejB+PP0

グーテンモーゲン

支援してくれた方、読んでくれた方ありがとうございます。
この作品は、けいおん「非日常的ラブソング」というSSの続編となっております。
ですので、こちらも読んでもらうと理解が早いかと思います。

誤字が多いのと、上にあった唯が冷房が苦手という有り難いレスを貰いましたが、次回以降は気をつけます。

では、また会おう



けいおん「非日常的ラブソング」




242 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 05:24:56.69 ID:A6oTxNvL0


面白かった



243 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 05:25:17.27 ID:O8JSLjgD0

久々にすごく感動した!
乙!



244 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 05:25:47.04 ID:2xVgC/fd0

良い話だ

乙じゃなく お疲れ様



246 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 05:27:05.85 ID:je8GEAs7P





247 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 05:27:08.52 ID:B5npjrkF0

>>1
ありがとう



248 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 05:28:09.37 ID:OKJH6R610

凄い良い話だよ。お疲れさま!



249 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 05:28:55.70 ID:qNCgDr0h0


面白かった



250 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 05:29:23.50 ID:XzCCvwKy0

おつかれー
こういうの好きだわもう一回読んでから寝るとするかー



251 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 05:30:38.46 ID:ndDuDVmC0

乙よかったよ



252 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 05:35:20.70 ID:4j1TC4gg0

乙。
リアルタイムで会えてよかった



254 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 06:21:36.06 ID:AVjtHHkv0

良かったよ、乙



255 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 06:48:09.38 ID:CvUo0YTU0

乙、涙が止まらないわ



256 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 06:56:44.96 ID:45XmxpUiO


面白かった
前作も見てみるよ



258 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 08:04:37.56 ID:p9hvjvpD0

>>1乙最高だった



260 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 08:35:02.34 ID:wNPdL6GY0





262 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 10:23:38.17 ID:JigFraXG0

>>1
地の文もしっかりしていて読み応えがあったし感動した



263 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 10:42:33.54 ID:WzoC29Tb0

泣いた




264 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 10:46:15.06 ID:lcY9YOfN0

>>1
感動した
前作も読んでくる



265 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 10:57:31.30 ID:CMq7B4wp0


こんなに読んでて切ないSSは初めてだ
感動をありがとう



266 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/28(日) 11:04:42.48 ID:0N6B5JLZ0

乙でした
唯安らかに・・・






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タイトル:
NO:4275 [ 2011/11/05 08:54 ] [ 編集 ]

うおおおっ!泣くよこれぇー

タイトル:
NO:4285 [ 2011/11/06 21:13 ] [ 編集 ]

名作っすね

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