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律「狼人間!」#前編 【ファンタジー】


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律「狼人間!」#前編
律「狼人間!」#後編




3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:33:58.31 ID:HPL6B5VRO

律「……」

律は自室のベッドに腰掛けて放心していた。

黄昏時の日差しが、カーテンの隙間からほげーっとした彼女の顔を照らす。

律「何これ…どういうことなの…」

ぽつりと独りごちて、自分に手に視線を落とす。

彼女の目に映るのは、スティックによってマメが作られた見慣れた小さな手のひらではない。

肘の先から指先にかけて黄金に近い茶色の毛に覆われた、獣の足のようなフサフサした手のひらだった。

指先に生えた驚くほど鋭利な爪が、きらりと光る。

手にばかり気を取られていたが、よく見れば靴下を脱いだ足も、同じように毛むくじゃらだ。

口内にも違和感を感じ、おそるおそる鏡の前で口を開くと、少しだけ犬歯が鋭く長くなっている。





5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:36:42.67 ID:HPL6B5VRO

金色に光る瞳は、少しばかり獣の鋭さを帯びていた。

律(目つき獣みたいじゃん…)

前髪を下ろして目元を隠す。

そのままぼんやりと丸い鏡を眺めていると、背筋にざわざわっと何かが走るような感覚が律を襲った。

律(この感じ…)

この感覚には覚えがあった。

つい先ほどまでいつも通りだった自分の体が、

こんないびつな物に変化する前に、律は一度この体のざわめきを経験していた。



時はさかのぼり、放課後。

いつものように部活を終え、いつものようにだべりながら、いつものように皆と別れ、家に着いた。



6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:40:06.93 ID:HPL6B5VRO

律「たっだいま~」

聡「おかえり姉ちゃん!」

律「お?なーんか嬉しそうだなぁ。どした?」

聡「ずっと欲しかったゲーム、やっと買ったんだよ!今日父さん達遅いしさ!一緒にやろうよ!」

律「えっマジで!?でも今日課題多いしなぁ…。今何時だ?」

靴を脱ぎながら時計に目をやる律。円形のそれが目に入った、刹那。

ザワッ

律「ほわっ!?」

聡「あいっ!?」

突然の姉の奇声に驚く聡。怪訝な面持ちで、彼は律を見た。



8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:41:13.36 ID:HPL6B5VRO

聡「な、何?」

しかし彼の声は律の耳をすり抜けた。

律は自分の心臓が、尋常じゃない速さで鼓動するのを感じ、胸を押さえた。

律「は、あっ…」

熱い呼気と共に額に汗が噴き出す。言葉にならない何かが、体の奥から駆け上がってくる。

聡「ちょ、ね、姉ちゃん!?大丈夫!?」

律「なんか…わかんな…ごめ、ちょっと部屋行く…」

明らかに調子が悪そうな律を見て、聡はどうしたらよいかわからずうろたえる。

そうこうしているうちに、律はあっという間に階段を駆け上がっていった。

聡「はや…」



9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:42:33.35 ID:HPL6B5VRO

よくわからないが、駆け出したくなるような衝動に駆られる。

律は一気に階段を駆け、自室に飛び込んだ。

ドアに背を預け、座り込む。

律「…うっ…」

再び背筋がざわめき、徐々に鼓動が収まっていく。

ようやく落ち着きを取り戻した律は、ふぅと息をついた。

律「一体何だったんだ――」

ずれたカチューシャを元に戻そうと手を挙げ、目に入った物体に律は固まった。

律「――…は?」

茶色いフサフサの手。光る爪。

瞬きをすることも忘れ、その手を閉じたり開いたり。

明らかに自分の手だが――自分の手じゃない。

律「はあああああああああぁ!!??」

そして話は、現在に戻る。



11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:43:57.63 ID:HPL6B5VRO

律(丸い物を見たら、体がぞわぞわする…)

律(それにこの手…まるで映画で見た狼男みたいだ…)

律「――いつの間にか狼人間になってました…ってか?」

なんで?意味わかんない。

律は混乱する頭を抱え、その場に座り込んだ。

律「…これ、元に戻れるのかな…」

腕から生えた体毛を引っ張り、律は独りごちる。と、その時だった。

コンコン

律「おぎゃっ!!!」

聡「あひぃっ!!!」

いきなりドアがノックされ、律は飛び上がる勢いで悲鳴を上げた。

ドアの向こうからも、甲高い悲鳴が聞こえてくる。



13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:46:29.24 ID:HPL6B5VRO

聡「ね、姉ちゃん?大丈夫なの?入るよ?」

律「だっ!駄目駄目駄目!入ってくるなああぁ!!」

開きかけたドアの元へ、律は凄まじい速さで駆け寄ると、内側から押さえつけようとした。

しかし、律はこの時、自分の体の変化にまだ慣れてはいなかった。――結果。

バギャァッ!!!

鋭利な爪がドアに穴を穿ち、力加減がされなかった両腕はドアを突き抜けていた。

突如ドアから生えた腕の間に、聡の顔がちょうど収まった。短い黒髪が、はらりと切れて落ちる。

聡「…へ…?」

聡の顔に引きつった笑みが張り付く。

律「…」

沈黙の中、ゆっくりと腕がドアから抜かれ、二つ開いた穴から律が顔を覗かせた。

律「あ、あはは…。ども~、田井中りっちゃんです♪」

聡「」ドサッ

律「ちょ!さ、聡!?しっかりしろおおおぉ!!」



15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:48:11.13 ID:HPL6B5VRO

気まずい沈黙が、律の部屋の中を支配する。

律と聡は何故か正座をして、向かい合って座っていた。

ドアに開いた穴は、

外側には律の手作りパネル(舌出してスティック持ったアレ)、

内側にはポスターを貼ってごまかした。

見られたからには黙っているわけにはいかないので、

律は聡に自分の体に起きた異変について説明した。

もっとも、彼女自身何が起きているのかわからないが。

律「……」

聡「…も、元に戻ったね」

律「あ、あぁ…本当だ…」

呆けているうちに、いつの間にか体は元に戻っていた。

聡「…えっと…丸い物見たら変身しちゃうんだよね?」

律「たぶん」



16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:49:55.37 ID:HPL6B5VRO

聡「…ほい」パカッ

急に聡は手に持っていたゲームのパッケージを開ける。律の目に入る、丸いディスク。

律「おわっ!!聡お前!!…うぁっ!!」

途端、律は体を震わせて呻いた。聡はその様子を興味深そうに見つめる。

聡「おおぉ…なんかすげぇ」

律「う、ううぅ…さと、しいいぃ…」

体のざわめきが落ち着いてくると、律は息を切らせながらその気持ち悪い感覚に耐えた。

律「…っ…はぁ。折角元に戻れたのに、何すんだ!!」

再び変身し、牙をむいて怒った律を見て、聡は肩をすくめて申し訳なさそうに笑った。

聡「だって、なんかすげぇんだもん」

律「…まぁいいや。とにかく、誰にも言うなよ?
  お父さんとお母さんにも内緒。じゃないと――」

律が意地の悪そうな笑みを浮かべて聡を睨んだ。

覗いた牙と、鋭い眼光に、聡は思わず身を震わせる。

聡「わ、わかったよ!」



17 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:51:16.11 ID:HPL6B5VRO

律「――だいだい元に戻るまで二十分か」

腕と足から引いていく体毛を見つめて、律は呟いた。

聡「それにしても、なんか俺が思ってた狼人間とイメージ違うなぁ」

どこかつまらなさそうな声で、聡がぼやく。

律「どういうことだよ」

聡「いや、なんていうかさ…もっと完璧に狼になっちゃうイメージあるじゃん。
  だけど、姉ちゃんは腕と足ぐらいだろ?思い切り見た目が変わってるの」

律「牙も生えるし、瞳もちょっと変わるけど…。
  あ、あと、なんか凄い体が軽い。身体能力が上がったりしてるのかな」

とんでもない馬鹿力も発揮できるしな、と律は苦笑しながらポスターを貼り付けたドアを見た。

聡「ふーん…。まぁ、半狼人間ってところだね。でも、一体何でこんなことに?」

律「それがわかったら苦労してないっての…」

律は重々しいため息をついた。



20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:53:01.69 ID:HPL6B5VRO

律「とにかく、みんなにばれないようにしないとな」

聡「でも、かっこよくて良いと思うけどなぁ。自慢できるよ」

律「お前なぁ…気持ち悪がられるに決まってるだろ。怖がられるよ。第一お前もぶっ倒れたじゃん」

聡「…そうだね」

律「――軽音部のみんなには絶対ばれないようにしたいな…。みんなに怖がられるなんて…絶対嫌だ…」

弱々しい声で呟く姉の姿を見て、聡は顔を引き締めると手を叩いた。

聡「よし!姉ちゃん、特訓しよう!変身しても、すぐに元に戻れるように!」

律「は、はぁ!?」

突拍子もない提案に、律は素っ頓狂な声を出した。

聡「というわけで、はい♪」パカッ

有無を言わせず、再び聡は律の前でゲームのパッケージを開いた。

律「あぁあっ!!聡いいいいいぃ!!…くっ!」

ニヤニヤ笑う聡に歯向かうこともできず、再び気味の悪い感触に表情を歪める律。

聡(うおお!面白れぇ!!)

――その後も律の悲痛な声はずっと続いた。



22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:54:35.89 ID:HPL6B5VRO

翌日。

律「おはよ…」

律母「おはよう。どしたの、元気ないわね」

律「あはは、平気平気」

やつれた顔に笑みを浮かべ、律は食卓に着く。

昨晩ずっと変身を繰り返したせいで、心身ともにぼろぼろだった。

しかし、特訓の成果は現れた。

普通にしていれば元に戻るまで二十分ほどかかるが、

体の底からわきあがってくるものを押さえ込もうとすることで、

その時間を短縮することが可能になった。

その点は聡に感謝しなくてはならず、面白半分でいた彼をぶん殴りたかったが我慢した。

律「いっただっきまーす」

とにかく、学校ではぼろが出ないようにしなくては。

ご飯を頬張りながら、律は改めて自分に言い聞かせる。と、

律「あ゛」

迂闊だった。律の目に、目玉焼きの綺麗な黄身が映る。



24 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:56:47.80 ID:HPL6B5VRO

律「へぁっ!!」

聡「うぉっ」

背筋を走る戦慄。律は慌てて鞄を引っつかむと、立ち上がった。

律「い、いってきます!!」

律母「え、もういらないの?そんなに急ぐ必要ないでしょう?」

律「ご、ごめん、お母さん!」

律は猛ダッシュで玄関へと駆けていく。

律母「…どうしたのかしら?変な子ね」

聡(…あんなので本当に学校大丈夫かな…)



25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:58:15.89 ID:HPL6B5VRO

律「はぁ…駄目だ。かなり気をつけてないと、簡単に変身しちゃうぞ…」

体毛に覆われた腕をさすりながら、律は車庫の中で一人呻いた。

律「もしみんなの前で変身したら…すっげぇ騒ぎになりそうだなぁ」

律(ふぅ…冷静に、冷静に…平常心で――)

ゆっくりと深呼吸しながら、律は元の姿に戻ることに努めた。



27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 20:59:08.95 ID:HPL6B5VRO

学校

律「おっはよー!」

クラスメイト達「おはよー」

いつもと変わらない笑顔で、律は挨拶を交わしながら自席に着く。

律(なんか…丸い物を見ないように気をつけようとすると、逆に丸い物を探しちゃう…。
  駄目駄目、いつも通り、普通にしてりゃ大丈夫――)

唯「りっちゃんおはよー」

律「ぎゃっ!」

唯「うぇっ!?」

律「あぁ…唯か。おどかすなよー…」

唯「それはこっちのセリフだよ~…」

しかめっ面をしながら席に着く唯。悪い悪い、と律は軽く謝った。



28 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:00:20.89 ID:HPL6B5VRO

それから、後でやって来た紬とも挨拶を交わし、HRを終え、授業も順調に進んでいった。

律「ふぃ~…」

唯と紬と共に、三人で昼食の弁当を食べながら、律は大きくため息をつく。

紬「どうしたの?りっちゃん、ずいぶん疲れてる感じね」

律「ん?いやいや、りっちゃんはいつでも元気ですぜ。
  ただ、さっきの授業内容が難しかったなぁって」

唯「あぁ~難しかったね。私もうよくわからなくて、いつの間にか寝てたもん」

律「おい」

上手くごまかしながら、律はいつもと同じように会話を弾ませる。

途中、唯のお弁当に入ったゆで卵が目を掠めたが、何とか変身は押さえ込んだ。



30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:01:43.57 ID:HPL6B5VRO

昼休みが終わり、午後の授業に入った時のことだった。

数学の授業の準備をしていた律は、今日習う範囲を確認して、愕然とした。

律(え、円の性質…!?)

おそるおそる教科書を開けてみるが、すぐに閉じた。

至る所、円だらけだ。

律(く…どうする?授業休ませてもらうか…?)

だが、悩んでいる内に先生が教室に入り、授業は始まってしまった。

この授業の先生はなかなかの堅物で、

本当に具合が悪そうに見えなかったら、あまり中抜けを許してくれないのだ。

変身を耐えているときは具合が悪く見えるだろうが、

それから抜けるのを頼んでいるようでは間に合わない。

律(く、くそ…。こうなったら、一時間耐え抜いてやるぜ…。昨日の特訓を思い出せ、私!)

そうやって、気合いを入れて授業に集中するものの、なかなか教科書を見ることが出来ない。

黒板の文字に集中し、律は一心不乱にノートを取り続けた。



31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:03:02.48 ID:HPL6B5VRO

※言い忘れてた。この話は二年生の時のことです


律(辛い…時間が長く感じる…)

一体何分経っただろうか。時計を見ることも出来ない。

いつボロが出てもおかしくない状況に、心臓が暴れている。

小さく深呼吸を続けつつ、律は鉛筆を動かす。と、

先生1「で、教科書49ページのこの図だけど…」

先生が、黒板にコンパスを使って、綺麗な円を大きく描いた。

律(ちょっおま…)

ぞっと、背中にざわめきが走った。

慌ててノートに視線を落とし、歯を食いしばってわき上がるものを堪える。

律(駄目だ駄目だ!我慢我慢我慢!!)

円を見たのが一瞬だったからだろうか。

何とか耐え抜くことが出来、ゆっくりと体が落ち着きを取り戻していく。

しかし――



33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:04:29.81 ID:HPL6B5VRO

先生1「…であるから、この円の半径は――」

律(う、うぅ…黒板が見れない…)

何とか変身は抑えたが、いまだに黒板には綺麗な円が描かれていた。

生徒1「…律ちゃん?大丈夫?具合悪いの?」

頭を押さえたまま俯いている律を見て、隣の生徒が心配げに声をかけてくる。

律「ん?あ、あぁ、へーきへーき。あんがとね」

ニカッと笑い、出来るだけ平然を装って応える。

それを見て安心したのか、彼女も微笑んで前に向き直った。と、

先生1「ん?どうかしたのか、田井中?」

会話が耳に入ったのか、先生が声をかけてくる。

律「ふぇっ!?な、何でもありません」

先生1「そうか?んじゃあ、この問題解いてくれ。
    50番の、円の作図。簡単だから、すぐ出来るだろ」

律(――!!)



35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:06:34.03 ID:HPL6B5VRO

先生が教科書を見ながら黒板を指さす。

円の作図なんて…できるわけがない!

律(ちょっ、ど、どうしよ…)

だらだらと、背中を汗が流れる。

律(ま、まだ授業終わらないのか…!?)

ちらりと時計に目をやる、が。

律(おふぅっ!!)

円形だったことを忘れていた。汗びっしょりの背中にざわめきが走る。

律(こ、このタイミングでっ…馬鹿だろ私!!)

先生1「?どうした、田井中。ちゃっちゃと済ませてくれ」

律「…は、はい…」

律は震える足でゆっくり立ち上がると、なるべく黒板を見ないようにしながら前にでる。

その間も、体のざわめきが止まらない。

律(駄目だ、もう…抑えられない…!)



36 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:07:59.53 ID:HPL6B5VRO

腹を決めたその時、救いの鐘が鳴った。

キーンコーンカーンコーン…

先生1「お、もうそんな時間だったのか。すまん田井中。その問題はまた今度頼む」

律「は、はい!」

号令が終わると、律は慌てて教室を飛び出し、トイレへと駆け込んだ。

律(ギ、ギリギリセーフ…)

一番奥の個室に入った時には、腕に毛が生えかけていた。

律(危ない危ない…いやいや、安心するのは早いか。早く元に戻んないと)

律は歯を食いしばって、体の奥からわき上がってくるものを押さえ込むことに努めた。



38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:08:52.18 ID:HPL6B5VRO

潮「はぁー授業疲れるなぁ~…」

慶子「ホント、私もう眠くて眠くて…」

信代「朝練があると疲れるよなぁ」

談笑に花を咲かせながら、生徒三人がトイレへと入る。と、

「ううぅ…く、う…はぁ、はぁ…」

慶子「!?」

潮「な、何…何今の?」

信代「ん?どうかした?」

二人の反応に、思わず声をひそめて訊ねる信代。

口に指を当てる二人の様子を見て、彼女も口をつぐんだ。

「はぁっはぁ…ぐ、うぅ…」

慶子・潮・信代「――~~…!!!」ゾゾゾッ

トイレの奥から聞こえてくる苦しげな呻き声に、三人は声を失って抱き合った。



39 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:10:18.17 ID:HPL6B5VRO

信代「な、何だろ…?」

潮「ちょ、やめなって」ヒソヒソ

おどおどしながらも興味本位で声が聞こえてきた方へと近付く信代。

ただただ震えたままその場に立ち尽くす潮と慶子。その時。

バキャッ!!

乾いた破壊音が鳴り響き、三人は飛び上がりそうになるほど驚いた。

潮・慶子「ひぎゃああああああああっ!!」

信代「うほおおおおおおおおぉおお!!」

甲高い悲鳴を上げながら、三人はものすごい勢いでトイレから逃げ出した。


律「ふぅ…なんとか収まってくれたけど…手すり壊しちゃったな」

ぼやきながら律は個室から出る。

知らぬ間に力を入れすぎていたのだろう。

きつく握りしめていた手すりは、片方の端が壁から外れてしまっていた。

律「しゃーない…職員室に報告だけしとくか」

事情を聞かれたら困るので、ちょっと体重かけたら壊れたということにしておこう。

そう思いながら、律は職員室へと向かった。



41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:12:23.97 ID:HPL6B5VRO

慶子「の、呪いよ…トイレの花子よ…!!」

潮「違うよ!あれはきっとトイレで溺れて死んでしまった地縛霊なんだよ!!」

信代「なにそれ…。違う違う。きっと誰か便秘だったんだって」

トイレから離れた廊下で、三人はさきほどトイレで聞いた呻き声の正体について議論を続けていた。

信代「呪いだの地縛霊だの…そんなのあるわけないよ」

潮「一番凄い悲鳴上げてたくせに」

信代「なっ!いいさ!!じゃあもう一回行こうじゃないか!」

慶子「え、えぇ~…」

信代「あ、もしかして怖いわけ?」

慶子「こ、怖くなんか無いよ!いいじゃん!行こう!!」

潮「え~…ちょ、ちょっと待ってよ~…」



42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:13:42.94 ID:HPL6B5VRO

潮「ホントに戻ってきたし…」

慶子「ほら、入って」

信代「え、あ、あたしから…?」

慶子「当たり前じゃない!ほら!」

信代「わかったよ…」

改めて静かにトイレに入る三人。しばらく黙っていたが、呻き声は聞こえない。

慶子「み、見に行ってみて。一番奥」

信代「ちょ、行くならみんなで行こうよ」

おそるおそる、一番奥の個室をのぞき込む三人。中には誰もいなかった。が、

潮「ひ、ひいいいい!!」

へし折れた手すりを見て、潮は震え上がった。



44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:14:36.85 ID:HPL6B5VRO

慶子「きゃああああ!やっぱりそうじゃない!地縛霊が苦しさのあまり暴れたんだって!!」

信代「ち、ちちちちち違うって!そう!
   きっと誰かがふんばった勢いでぶっ壊しちゃったんだ!きっとそう!」

恐怖のあまり訳のわからぬ事を叫ぶ三人。そこへ。

がたん

さわ子「あなたたち――」

三人「qあwせdrftgyふじこlp!!!!!11!1!!!」

突然声をかけられ、三人は狂ったように悲鳴を上げつつ、トイレから逃げ出した。

さわ子「…?」

律に頼まれて手すりの確認に来たさわ子は、彼女たちの様子に眉をひそめて、ただ呆然としていた。



45 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:15:49.56 ID:HPL6B5VRO

放課後。

律「ふぇー…一時はどうなるかと思ったぜ…」

一人ぼやきながら音楽室へと向かう律。あの数学の授業以降は、普通に過ごすことが出来た。

頬を叩いて気合いを入れ直した後、律は準備室のドアを開けた。

律「おいーす」

澪「遅いぞ部長さん」

梓「一番最後ですよ…」

律「あは、悪い悪い。ちょっとさわちゃんと話しててさ」

HRが終わった後、廊下を歩いていると急に呼び止められたのだ。

その真剣な面持ちに、律は内心焦った。もしかして、ばれたのか、と。

が、彼女の口から飛び出した言葉はあまりにも拍子抜けな物だった。

さわ子『りっちゃん…あなた、ダイエットしなさいね?』

律(…体重かけたら壊れたなんて言い訳、するんじゃなかったな…)



47 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:17:58.05 ID:HPL6B5VRO

手すりの壊れ具合を見て、さわ子は愕然としたのだろう。

律(普通は疑うだろうけど…アホの子さわちゃんに感謝だな)

紬「そうそう、今日はチーズケーキ1ホール持ってきたの」

唯「わーい!チーズケーキ!チーズケーキ!」

はしゃぐ唯を尻目に、律はいつもの席に着く。

律(ん、待てよ…。チーズケーキ…1ホール…!?)

机の上に、まん丸に焼かれたチーズケーキが置かれた。

律(げっ…!)

皆に悟られないように、律は何気ないそぶりでケーキから目を背ける。

律「…ムギー、紅茶砂糖少なめでよろしくー」

紬「わかったわ」



48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:19:06.04 ID:HPL6B5VRO

律(うぅ…ムギ、早く切り分けてくれ…)

紬「さて、あら…ナイフはどこかしら?」

ゆったりとした動作で、紬は切り分けるためのナイフを探す。

なかなか見つからないのか、もたもたしている。

梓「もー…練習しましょうよぉ」

待ちきれないといった面持ちの唯を見て、梓が不満げに呟きを漏らす。

唯「あずにゃんったらぁ。ケーキ食べたいくせにぃ」

梓「そ、それは…そうですけど…」

そうか、練習を先にやれば良いんだ。そのうちにむぎが切ってくれるだろう。

律は鞄からスティックを取り出しながら、ドラムに目をやる。が、

律(う、うおっ!!)

円形の集合体――それがドラムだった。慌てて目をそらす律。



49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:20:08.47 ID:HPL6B5VRO

梓「…?どうしたんですか、律先輩。珍しいですね、お茶より先に練習するつもりですか?」

律が机の上に置いたスティックを見て、梓が少し驚いたように訊ねる。

律は引きつった笑みを浮かべて、そんな彼女を見た。

律「はは…言ってくれるねぇ。私が練習熱心だと、そんなにおかしいかい?」

梓「あ、いや、そういう訳じゃなくて
  ――そ、そうだ!ムギ先輩がケーキ切り分けて下さるまで、
  ちょっと合わせてみませんか!?私、新曲あやふやなところがあって」

上手くごまかした梓の提案に、律は喜ぶべきか悲しむべきかわからなかった。

とにかく、ここで返答に詰まっては怪しまれる。

律「んー、別にいいぞ!じゃ、やるか!」

澪「ほぉ…珍しく律が部長らしく見えるな」

律「お前ら、ホント失礼だな…。私だって見えないとこで頑張ってるんだぞ…」

律(梓の演奏に集中しよう…。ドラムからは出来るだけ視線を外すんだ…)



51 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:21:22.90 ID:HPL6B5VRO

梓「――あっ…また間違えちゃった…。このパート難しいんですよね…」

律「んじゃ、ここ繰り返しやってみるか」

できるだけ平然を装って、律はスティックを握りなおす。

驚くほど手汗が出ていて、ドラムを叩いている内に滑って飛んでいきそうだった。

唯は頬杖をついて机の上のチーズケーキを眺めていたが、

待ちきれなくなって、紬を振り返って急かした。

唯「ムギちゃ~ん…まだナイフ見つからないの?――ムギちゃん?」

ナイフを探していた紬は、いつの間にか手を止めて、練習に努める律と梓を見つめていた。

声をかけられて、びくんと肩を振るわせると、紬は慌てて棚を漁る。

紬「ご、ごめんなさい、ぼーっとしてたわ…。
  えーっと、確かこのへんに…あった!ごめんね、唯ちゃん。待たせちゃって」

唯「ううん。私もごめんね。何だか急かしちゃってさ」

ようやく見つけたナイフで、紬はチーズケーキを丁寧に切り分けていく。



52 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:24:01.34 ID:HPL6B5VRO

澪「二人共、ケーキ切れたぞ」

律「あいよ~。じゃあ、あと一回だけやってお茶にしようぜ」

梓「はい!」

律の練習熱心な姿が嬉しいのか、梓が満面の笑みで頷く。

律(私って、そんなに練習サボってるように思われてるのか…?)

落胆しながらスティックを構える律。

自分でも知らないうちに結構ショックを受けていたようで、

すっかり気をつけなければいけないことを忘れていた。

律「あ」

思いっきりドラムの円形が目に入る。律は慌てて全身に力を込めた。

律(ちくしょう!忘れてた!!)

わき上がるものとの葛藤が始まる。



53 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:25:09.07 ID:HPL6B5VRO

梓「…律先輩?始めないんですか?」

カウントを取るためにスティックを構えたままの姿勢で固まる律を見て、

梓が不思議そうに首をかしげる。

律「あ、あぁ…いくぞ」

怪しまれないためにも、律はそのまま無理矢理演奏に入った。

体を走るざわめきを押さえ込みながらの演奏は、

いつもより力が入ってしまい、つい走りがちになってしまう。

澪「おい律。また走ってるぞ。肩の力抜いた方がいいんじゃないか?」

律(無理です澪さん…)

紅茶をすする澪の助言に応えることも出来ない。

ざわめきが、体を徐々に支配してくる。まずい。押さえきれない。

律「…っ…」

バキッ!!

力を込めすぎたのだろう。スティックが、握ったところで真っ二つにへし折れた。



55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:26:15.32 ID:HPL6B5VRO

梓「わっ!だ、大丈夫ですか?律先輩!」

乾いた音に驚き、梓が演奏を中断して振り返る。

額が冷や汗だらだらなのを悟られぬよう、袖でおでこを拭いながら律は笑った。

律「あちゃ~…寿命がきてたのかな…。これじゃ練習になんないよ…。ごめんな、梓」

立ち上がって、律は鞄を引っ掴み、皆を振り返った。

律「みんなもごめん!新しいスティック買いに行くから、私先帰るわ!じゃな!」

急いで部室を飛び出す律。皆はその背中を、何も言い返せずに見送った。

唯「あ…チーズケーキ食べていけばよかったのに」

紬「しょうがないわ。りっちゃんの分は、唯ちゃんが食べてあげて」

唯「うわーい!りっちゃん隊員…あなたの遺した物、決して無駄にはしませんぞ!」

澪「何言ってるんだ…」



56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:27:25.76 ID:HPL6B5VRO

部室を出た瞬間、腕と足に体毛が現れた。

律「うお…危なかったぁ…」

とりあえず、最悪の状況は避けることが出来た。

後は、誰にも見つからないように変身を解かなければ。

他の生徒も部活中で、廊下に人気はない。

律(またトイレにでもこもるか)

律は階段を一気に飛び降りると、素早くトイレに駆け込んだ。

律「おぉ…すげぇ…」

身体能力の変化に、自分でもビックリする。

律「さて、と…」

例のごとく、律は一番奥の個室に入り、念じることに努めた。



58 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:28:32.91 ID:HPL6B5VRO

その後、変身を解いた律は、早めに学校を出て、

いつもの楽器屋で新しいスティックを購入し、帰宅した。

聡「あ、おかえり、姉ちゃ――」

庭でサッカーボールをリフティングしていた聡が出迎える。

律「あああああぁいっ!!」

聡「ちょおおお!」

彼が目に入った瞬間、律は地を蹴って駆け、思い切りサッカーボールを蹴っ飛ばした。

車庫の隅に固めてあった、積まれた本やダンボールの中にそれはつっ込み、

埃を舞い上げて隠れてしまった。

律「…ふぅ…」

聡「…もうすっかり円形恐怖症だね…」

成し遂げた笑みを浮かべて汗を拭う姉を見て、聡はため息をついた。



59 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:30:39.36 ID:HPL6B5VRO

律「今日は大変だったぜ…。
  ちょっと丸っぽいもの見ただけで、すぐ体が反応しちゃうんだもん」

リビングでぐったりと横になる律。その隣でアイスをくわえながら、聡は話を聞いていた。

聡「へぇ…。ま、まさか授業中に変身したりしてないよね?」

律「何回かやばいのがあってさ」

体を起こして、律は参ったように頭を掻く。

律「数学の時間に円の問題あてられるし、
  部活では目の前に丸いケーキ置かれるし、ドラムは円の集合体だし…」

聡「うわぁ…。大丈夫だったの?」

律「ぎりぎりで。しっかしどうすっかな…。
  こうも簡単に体が反応しちゃ、そのうちボロが出そうだぜ」

聡「じゃあさ!昨日みたいに特訓しようよ、毎日!
  今度は押さえ込む練習だけじゃなくて、簡単に変身しないようにさ!」

律「聡…お前なんか楽しそうだな」

聡「えへへ…そりゃだって…面白いじゃん」

律「こいつぅ…人の苦労も知らないで…この!」

律は聡の首に腕を回すと、チョークスリーパーをかける。

聡「わー!ごめんなさい!!ギブギブ!」

律「…ま、やらないよりはマシだろうしな…。
  よし!お母さん達が帰ってくるまで、ちょっと付き合ってよ」



61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:31:59.97 ID:HPL6B5VRO

律「ぐるるるるるぅ~…」

聡「――何で風船見ただけで変身しちゃうのさ…」

頭を抱えて呻る狼化した律を見て、聡が呆れたようにぼやく。

律「あのな、私だってなりたくてなってるんじゃないんだぞ。
  何で変身しちゃうかって?そこに丸い物があるからさ」

聡「なにかっこつけてるの…」

自分がふくらませた風船ををまじまじと眺めながら、聡は頭を掻く。

聡「丸だと思うから駄目なんじゃないかな。
  ほら、これは…えーっと…そう!いびつな形をしたよくわからない物だよ!」

律「えー…そんな簡単に済むものなのかな…」

聡「だってさ、実際変身しちゃった後も、戻りたいって思えば
  気合いですぐに戻れるんだろ?ようは気の持ち様だって!」

律「んーまぁ確かにそうだけど…」



62 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:33:04.07 ID:HPL6B5VRO

聡「せめて、綺麗な円形をしてない物は見ても大丈夫になりたいよね」

風船を放り捨て、後ろを振り返る聡。

彼の背後には、様々な円形の物体が並んでいた。

律「……」

律はふわふわと宙を舞う風船を目掛けて腕を振るう。

爪が薄いゴム膜をすっぱりと裂き、破裂音が響いた。

聡「うわっ!!?ちょ、ビックリさせないでよ!」

律「ん、悪い悪い」

律(力のセーブの仕方も、ちゃんと特訓しといた方がよさそうだな…)

恐ろしく鋭い爪と、扉に空いた穴を交互に見つめ、律は小さくため息を吐いた。



63 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:34:14.79 ID:HPL6B5VRO

翌日、律はたびたび危ない場面に出くわしたが、

先日とは違い余裕を持って乗り越えることができるようになっていた。


先生1「んじゃ田井中。昨日あたってたとこ、やってくれるか」

律「は~い」

律(わざといびつな形に描いてっと…)

律「できました」

先生1「おぉう…まぁあってるっちゃあってるが…汚い円だな」

律「答えが合ってればそれで良いんですよ!」



65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:35:17.65 ID:HPL6B5VRO

紬「りっちゃん、昨日ケーキ食べさせてあげられなくてごめんね。お詫びにマカロン持ってきたの」

律「ん?あ、あぁ、そんな気使わなくてもよかったのに!私が勝手に帰っちゃったんだし」

律(ピントをずらせば、なんとかいけるな…)

紬「でも、私がちゃんとナイフ用意してなかったせいだし…もらってくれる?」

律「…それじゃ、お言葉に甘えていただこうかな。
  でも、ホントそんなの気にしなくていいからさ」ヒョイパク

律「お!うめぇ!!ありがとな、ムギ!」

紬「……」

律「…どした、ムギ?私の顔、何か付いてるか?」

紬「え、あ、ううん。ごめんなさい、ぼーっとしてたわ」



67 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:36:50.74 ID:HPL6B5VRO

部活中もボロを出すことなく、いたって普通に過ごすことが出来た。

帰宅後は両親が帰ってくるまで聡と共に特訓に努める。


そんな毎晩の特訓のおかげもあってか、ようやく律はこの体での生活に慣れ始めていた。

焦点を外すことで、少しぐらいなら丸い物を見ても大丈夫。

たとえはっきり見てしまっても、一瞬なら変身を押さえ込むことも出来る。

律(でも、結局何でこんな体になっちゃったのかはわからずじまいなんだよなぁ)

原因がわからない限り、普通の体に戻ることは無理だろう。

律(ま、この調子だとこの体でも今まで通りにできそうだけど…)

そんなこんなで、誰にもばれずにいつも通りの生活を送り始めていた、ある日のことだった。



68 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:38:01.01 ID:HPL6B5VRO

律「いっつ…!」

部活中、楽譜の整理をしていた律は、指に走った鋭い痛みに危うくそれをばらまきそうになった。

律「あいた~…指切っちゃったよ…」

唯「え?うわ、ほんとだ…痛そ~…」

律の人差し指を真一文字に走る、小さな切り傷。そこからじわりと血が滲む。

律(…そうだっ)

律「――なぁ澪、指切っちゃったんだけど」

些細な悪戯心が芽生え、痛い話が駄目な澪に律は話題を振る。

いつもなら澪は耳を押さえ、悲鳴を上げながら飛んで逃げるだろう。ところが、

澪「……」

律「…み、澪さん?」

あろう事か、彼女はいつの間にか傍に来ていて、じっと律の指を見つめていた。



69 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:39:12.08 ID:HPL6B5VRO

律「え、な、何?どうしちゃったんだよ?澪って、血とか駄目だっただろ?」

澪「……」

無言で傷を眺める澪の様子にまごつき、律は手を引っ込めようとした。

しかし、澪はその腕を掴むと、自分の顔の前に律の手を持ってきた。

律「い、いてぇ!腕が変な方向に曲がっちゃうって!おい澪!!」

いつもの澪らしからぬ行為に、唯も紬も梓も、ポカンとしながら菓子をつまむ。

しばらく澪は律の指を眺めていた。そして――

律「――…なっ!!?」

澪は、無言のまま律の指をくわえ込んだ。

紅茶を口にしていた梓が、顔を真っ赤にして思い切りそれをぶちまけた。

状況が理解できず目が点状態の唯と、

二人をガン見たまま固まっているの紬にも、紅茶の雨がかかる。



71 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:40:22.73 ID:HPL6B5VRO

律「な、ななな…っ…ちょ、ちょっと、澪!!」

赤く火照った顔に焦りを浮かべ、律はもう片方の手で澪の体を揺さぶる。

澪「ん…は、あれ?」

ずっと律の指をくわえていた澪は、ハッとしたように顔を上げた。

律「お、おい澪…一体どうしたんだよ?」

まだ澪の舌の感触が残る指をちらりと見て、律は顔を赤らめたまま眉をひそめる。

澪「え?何が?」

律「何がって…!その、きゅ、急に私の指…舐めだして…」

澪「…は?」



73 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:41:39.95 ID:HPL6B5VRO

澪「私が?」

律「…」コク

澪「舐めた?」

律「う、うん…」

澪「律の指を…?」

律「そうだよっ!!恥ずかしいんだから、いちいち聞くなよ!!ってか、何で――」カアァ

澪「……!!」カァッ

律と同様に赤くなって、澪は無言で鞄を引っ掴むと踵を返した。



75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:42:48.39 ID:HPL6B5VRO

澪「先帰る!」

律「え!?いや、ちょっと!澪!!」

逃げるように部室から立ち去る澪。

律は困惑の表情を浮かべ、ただ彼女を見送ることしかできなかった。

唯「どうしたんだろ、澪ちゃん。変だよね、自分からやっておいて照れちゃうなんて」

梓「無自覚の内に体が動いてた、とか…」

梓が派手にぶちまけた紅茶を拭くのを尻目に、

紬は真剣な面持ちで澪が出て行った扉を見つめていた。

紬「――まさか…」

律「…むぎ?」

紬「えっ?いや、澪ちゃん大丈夫かなぁ…」

すぐにいつも通りの笑みを浮かべ、顔に付いた紅茶を拭う紬を見て、律は首をかしげた。



77 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:44:12.00 ID:HPL6B5VRO

澪(私が律の指を舐めた…?)

澪(自覚無いけど…あの空気は嘘付いてる雰囲気じゃなかったよな)

早足で学校を出ながら、澪はずっと悶々としていた。

知らぬ間に体が動いていて、気付いたら真っ赤な顔をした律が自分を見つめていたのだ。

律の指を舐めた覚えはない。

澪(……)ボッ

澪「は、恥ずかしい…」

自分で考えておいて恥ずかしくなった澪は、

顔から湯気が出る思いをしながらそそくさと帰路についた。



78 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:46:02.23 ID:HPL6B5VRO

翌日。

澪(なんでだろ…やけに目がさえて、なかなか眠れなかった…)

雲ひとつない空から照りつけるさわやかな朝日を浴びながら、澪はぼーっとする頭で学校へと向かう。

寝不足のせいか、やけに頭がガンガンするし、日差しが肌に刺さるようにちくちくする。

澪(それになんだか――すごく喉が渇く…)

時折顔を覗かせる堪え様のないこの喉の渇きは、何杯水を飲んでも消えることはなかった。

澪(風邪気味なのかな…)

ふらふらする頭を軽く振って、澪は校門をくぐった。

校舎に入ると、ずっと澪の頭を支配していた

もやもやとした気持ち悪さはすっと引いていき、体調もだいぶよくなった。

澪(あれ…一体なんだったんだろ…?)

和「澪、おはよう」

背後から声をかけられて、澪は振り返る。和が靴箱から上履きを取り出しながら微笑んでいた。



79 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:47:25.42 ID:HPL6B5VRO

澪「え、あぁ和。おはよう」

和「…?どうしたの?あまり顔色が良くないみたいだけど」

澪「やっぱりそうかな?何か、朝から調子悪くて…」

和「そう…。そういえば、昨日唯も澪の様子がおかしいって心配してたわ。無理しちゃ駄目よ」

澪「唯が?」

澪(あぁ…昨日のあれか…)

思い出しただけで、また顔が熱くなる。

急に真っ赤になった澪を見て、和が心配げに表情を曇らせた。

和「だ、大丈夫?熱あるんじゃない?」

澪「だだだ、大丈夫大丈夫!さ、早く教室に行こう!HR始まっちゃう」

慌てて和から顔をそらし、澪は教室へと向かう。

程なくして授業が始まったが、朝感じていた頭痛などはすっかり収まっていた。



82 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:48:53.87 ID:HPL6B5VRO

再び体に違和感を感じたのは、午後の授業を受けているときだった。

先生2「――次にこの文は――
    (ふっ…この時間をずっと待っていたよ。愛しの秋山のクラス…。最高だ)」

高くのぼった太陽からは、温かい日差しが教室の中に差し込んでくる。

窓際の席に座った澪は、開いた窓から流れ込む風に心地よさを感じるも、

朝と同じ体の違和感に頭を抱えていた。

澪(ん…なんか、頭が痛い…)

澪はずきずきとする頭を押さえ、重い息を吐いた。

先生2「…つまりここには所有代名詞のmineが――
    (ため息をつく秋山の憂鬱げな表情も美しいなぁ。ハァハァ)」

和「先生。その文の日本語訳、”その秋山は私の物です”になってますよ」

先生2「ん?お、おぉ…。す、すまない、
    次、秋山を当てようと思ってたんだ。それじゃ秋山、この文を――」ドキドキ



83 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:49:43.47 ID:HPL6B5VRO

先生2は顔を上げ、澪が珍しく授業中に机に突っ伏しているのを見て固まった。

先生2「お、おい秋山!!どうした、気分が悪いのか!?」

澪「え…えっと、あの…はぁ…」

ガンガンとこめかみを殴られているような頭痛と、

照り付けてくる日差しが鬱陶しくて、澪はやつれた顔で先生を見やる。

和「澪…酷い顔してるわよ…。保健室、ついて行こうか?」

澪「え、でも…授業が…」

先生2「無理をしてはいけないぞ秋山!
    抜けたところは私が後で個人授業してやるから、早く行きなさい!」ハァハァ

澪「えっと、それは大丈夫です…。自分で復習しますから…」

和「じゃ、行こう?」

絶望に打ちひしがれた面持ちの先生2を尻目に、澪は和と共に教室を出た。



85 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:50:56.19 ID:HPL6B5VRO

放課後。

ベッドで一眠りしてだいぶ楽になった澪は、とりあえず部活に顔を出すことにした。

澪「おす」

準備室に入った澪を出迎えたのは、心配そうに表情を曇らせた律だった。

律「澪!和から聞いたぞ!大丈夫なのか!?」

澪「り、律…」

慌てて駆け寄ってくる律を見て胸が熱くなると同時に、昨日の出来事を思い出して顔も熱くなる。

律「お、おい…やっぱ熱あるんじゃないか?」

澪「いや、その、もう平気だけど…昨日さ…」

律「あー…あれな。もう気にすんなって」

ぽんぽん、と背中をたたいて澪を机に促す律。唯と梓も心配げな表情で澪を見ていた。



87 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:52:03.89 ID:HPL6B5VRO

唯「びっくりしたよ…あの澪ちゃんが、授業欠課するなんてさ。もう大丈夫なの?」

澪「うん、平気。ごめん、心配かけて」

梓「疲れたときは、無理せず休むのが一番ですよ」

優しく声をかけてくれる皆に、澪は小さく微笑む。

紬「待っててね、澪ちゃん。すぐにお茶とケーキを用意するわ」

紬が紅茶を入れながら、澪を振り返った。

皆、全然昨日のことを気にしてはいないようだ。

澪(私一人テンパッちゃって…恥ずかしいな)

澪は自分の髪をきゅっと握り締め、小さくなった。と、その時。



88 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:53:02.22 ID:HPL6B5VRO

紬「あっ…!!」

紬が小さく悲鳴を上げ、床にナイフが転がった。

皆、驚いて彼女を振り返る。紬は片手を押さえて蹲っていた。

紬「あいたたた…」

律「大丈夫か!?むぎ」

紬「大丈夫、心配かけてごめんなさい…。ちょっと手元が狂って、ナイフで切っちゃった…」

律「大丈夫じゃないじゃん…。見せてみ」

紬の手を取りのぞき込む律。傷は深くなかったが少し大きく、血が流れ出していた。

さすがの律も、少し目を背けたくなる。

律「うわ…こりゃ保健室行った方が良いよ」

梓「大丈夫ですか、むぎ先輩!」

唯「む、むぎちゃ――」

唯の言葉は、急に椅子を蹴るように立ち上がった澪に驚かされて、そこで止まった。



89 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:54:08.90 ID:HPL6B5VRO

律「澪…?」

怪訝な表情をする律の横でしゃがみ、澪は紬の手を――そこから滴る赤い血を見つめる。

澪は律から紬の手を奪い取ると、無言のまま、彼女の傷に口をつけた。

唯「!!」

梓「!?」

律「うぇっ!?ちょ、澪!!」

慌てて引き離そうと、律が澪の肩に手をかける。が、澪は紬の手に口付けたまま動かない。

律「澪よせって――」

澪に声をかけながら、肩に置いた手に力を入れる律は、ちらりと紬に目をやる。

律「…?」

紬は自分の手を無我夢中で舐める澪を、無言で眺めていた。

だが、彼女の顔は、驚いて放心しているというよりも、

どこか観察をしているような…そんな感じがした。



91 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:55:21.78 ID:HPL6B5VRO

紬「…っ。み、澪ちゃん!!どうしたの!?」

少し間をおいて、紬がハッとした様に澪の口から強引に手を離す。

澪「…あ、わ、私…」

今度は少し自覚があったのだろうか。

何か取り返しのつかないことをしたかのような蒼白な顔で、澪は紬を見た。

紬「大丈夫?澪ちゃん…やっぱり疲れてるんじゃ…」

澪「う、いや…私、何でこんな…」

律「澪、とりあえず落ち着けって」

涙目になって震える澪の手をとり、律は小さく語りかける。

澪はその律の手を、きつく握り返す。

よっぽど自分の異変を怖がっているのか、すごい力だ。

律(いつつ…)

律「唯、むぎを保健室に連れて行ってやってくれ」

唯「あ、う、うん!」



92 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:57:03.80 ID:HPL6B5VRO

律と澪、梓の三人だけになった音楽室で、澪は律の手を握り締めたまま、ただ震えていた。

律「…どうしちゃったんだよ、澪」

澪「うぅ…わかんない」

梓「……」

静寂が、重く三人にのしかかる。

澪の握力はかなり強くて、律は手の痺れる様な痛みに

彼女の手を振り払ってしまいそうになった。だが、

律(ここで澪の手を払ったら、澪は立ち直れないだろうな…)

親友のために、律はばれないように歯を食いしばって我慢する。

と、澪は黙ったまま律から手を離すと、ふらふらと鞄を手にした。

澪「ごめん、今日も…先に帰るな」

律「澪…」

梓「…ゆっくり休んでくださいね」

何も言わずに出て行く澪の背中にかけてやる言葉が見つからず、

律は居た堪れない思いで彼女を見送ることしかできなかった。



93 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 21:58:31.34 ID:HPL6B5VRO

さらに翌日。

終わりのHRの前、律は教室の机に座って、ぼんやりと窓の外の空を眺めていた。

律(澪…一体どうしたんだろ…?)

ちらり、と自分の右手を一瞥する。

昨日澪に握られていたその手は、少し痣ができていた。

いくらなんでも、握力が強すぎるような気もする。

律「…まさかな…」

ぽつりと呟き、その痣を指でなぞる律。と、

唯「何がまさかなの?りっちゃん」

律「うおおおおぃ!!?」

突如声をかけられ、律は椅子をひっくり返しそうになるほど驚いた。

机の向かい側に立っている唯も、驚いて目をぱちくりさせている。まったく気付かなかった。



95 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:00:18.69 ID:HPL6B5VRO

律「び、びっくりした…。唯、いつの間にいたんだよ?」

唯「いつの間にって…失礼だなぁ。もうちょっと前からいたよ!
  りっちゃんが珍しく憂鬱げな顔してたから、声かけるの我慢してたのに」

ぶぅと頬を膨らませて唯は不機嫌そうにぼやく。

唯「むぎちゃん、部活ちょっと遅れるって」

律「ん、そうか。あれ?HRの前なのに、どこ行ったんだ?」

唯「わかんない。伝言だけお願いされたんだ」

律「そっか…。でも、良かったよな、むぎ。あんまり酷い怪我じゃなくてさ」

唯「うん…。澪ちゃんといい、むぎちゃんといい、大丈夫かな?」

肩をすくめる唯。律も小さく頷いた。確かに二人とも、最近少し様子がおかしい。

律「悩み事を無理に聞き出すのも悪いからな…。向こうから相談してくれるのを待ってようぜ」

担任が教室に入ってくる。唯はあわてて自分の席へと戻っていった。



96 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:01:22.15 ID:HPL6B5VRO

澪(部活…どうしようかな…)

HRと掃除を終え、澪は教室で鞄を手にしたままぼーっとしていた。

昨日と一昨日のこともあり、部活に顔を出すのが少し憂鬱になっていた。

とりあえず教室を出て、ゆっくりとした足取りで部室へと向かう澪。と、

紬「澪ちゃん」

後ろから声を投げかけられ、澪は振り返る。紬が、真剣な面持ちで立っていた。

紬「…ちょっと、話があるんだけど…付き合ってもらえる?」

正直昨日のこともあって、紬とは二人きりになりたくないのが澪の本音だった。

だが、紬がこんなにも真剣な表情をしているのを見るのは初めてだった澪は、断るのを躊躇った。

澪「…うん、いいよ」

しばらくの沈黙の後、澪はしっかりと紬の方を向いて頷いた。



98 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:02:56.48 ID:HPL6B5VRO

一方部室では。

梓「こんにちはー」

律「おーっす」

扉を閉めながら、梓は小首をかしげた。

梓「あれ?まだ律先輩しか来てないんですか?」

唯「失礼な!私もいるよ!」

ホワイトボードの影から身を乗り出して、唯は機嫌が悪そうに言う。

梓「わっ!す、すみません…全然気がつきませんでした」

唯「――私今日そんなに影が薄いかなぁ…」

紬の代わりに紅茶を入れようとしていた唯は、ポットを手にしたまま涙目になった。



100 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:04:04.29 ID:HPL6B5VRO

澪「…こんな所で話すのか?」

紬に連れられて校舎裏へとやって来た澪は、怪訝な表情を浮かべる。

紬はやはり真剣な表情のままで、いつも浮かべている笑みのかけらも見せずに頷いた。

紬「あまり…人に聞かれたくない話だから…」

澪「それって…もしかして、昨日のこと関係してる?」

紬「――えぇ。澪ちゃんの体に起きている、異変にもね…」

思いがけぬ言葉に澪は驚き、問い質そうと口を開きかけたが、

用務員が台車を押しながら傍を通ったので、彼女は慌てて口をつぐんだ。

澪「…それって、どういうことなんだ?」

ちらりと横目で用務員の姿を追いながら、澪は小さく問う。

視界の端に映った紬の表情が、曇ったような気がした。

紬「ごめんね、澪ちゃん」



102 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:05:01.15 ID:HPL6B5VRO

和「あら…澪とムギ…」

生徒会長に頼まれ照明の点検に校舎裏に来ていた和は、遠くに二人の姿を認めた。

和(こんなところで何を――)

声をかけようと、二人に向かって歩き出しつつ口を開く。が、

和「…!!?」

驚愕の光景に、和は口をつぐんで立ち止まった。

紬が澪に手を伸ばしたかと思うと、突然澪がその場に崩れ落ちたのだ。

一瞬走った閃光で、紬がスタンガンを使ったのだと和は理解した。

慌てて傍にあった物置の影に和は身を隠す。

和(何…一体どういうことよ…!?)



104 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:06:35.58 ID:HPL6B5VRO

紬「……」

ぐったりとした澪を、見下ろす紬。喉の奥が、つんとする。

紬はその場に跪くと、無言で澪を抱きしめた。

その横に、先ほどの用務員が台車と共に戻ってくる。

古びた帽子を取って、紬に愁いを帯びた瞳を向けたのは、彼女の執事である斉藤だった。

斉藤「お嬢様…本当によろしいのですね?」

紬「…連れて行きなさい。お父様には私が連絡する。
  しばらくしたらあの人達も来るでしょうから、その後は全部あちらに任せて」

斉藤「…かしこまりました」

斉藤は台車に澪を乗せ、カバーをかぶせると、裏口へと向かう。

紬はしばらくその後ろ姿を眺めていたが、弱々しい足取りで、音楽室へと向かった。



105 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:07:46.27 ID:HPL6B5VRO

紬「ごめんなさい、遅くなっちゃった」

偽りの笑顔と共に、部室へと入る紬。

律「…どこ行ってたんだよむぎ!遅いぞぉ!」

唯「…やっぱ紅茶はむぎちゃんが入れないとおいしくないよ!」

梓「唯先輩、派手にお茶っ葉ぶちまけてましたもんね…」

変わらぬ笑顔の仲間達が出迎えてくれ、紬は胸の奥が抉られる感覚を覚えた。

ただ、どこか…何かいつもとは違う空気が、音楽室を流れているような気もした。

紬「ごめんね、唯ちゃん。すぐにおいしいお茶入れるから」

鞄を置き、紬は茶菓子の準備に取りかかる。

と、律が大きくのびをしてから、ふいに口を開いた。



107 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:08:49.78 ID:HPL6B5VRO

律「むぎ…澪、どこにいるか知らないか?何も聞いてないんだけど、まだ来てないんだ」

心臓が跳ね上がる。紬は振り返らずにティーセットを用意しながら返事を返す。

紬「…わからないけど、たぶん帰ったんじゃないかしら?
  最近、様子がおかしかったし…疲れてるのかもしれないし」

そう言い終わった紬は視界の端に、唯がこっちを見るのをかすかに捉えた。

一瞬伺えたその表情は、酷く悲しげな表情だったように思えた。

紬(…え…)

律「むぎ…」

紬「えっ、な、何?りっちゃん?」

律が静かに立ち上がる。振り返った紬が見たのは、悲しげな律の表情だった。

律「――嘘はやめるんだ」



109 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:10:09.91 ID:HPL6B5VRO

紬「え――…」

扉が閉まる音がして、入り口の方を見ると、さわ子と和がそこにいた。

和「…澪をどうするつもりなの、紬…?」

眼鏡の奥から鋭い視線が紬に投げられる。紬は引きつった笑顔を彼女に向けた。

紬「えっと…どうするって、どういうこと?」

梓「むぎ先輩…無駄ですよ、とぼけるのは…」

震える声に、紬は梓を見る。潤んだ瞳が自分を見つめていた。

唯「むぎちゃん…正直に答えてよ。澪ちゃんを、どこにつれていくの…?」

今にも泣き出しそうな顔の唯が口を開く。

紬は何も言えず、震える足で立つのが精一杯だった。ちらり、と和の顔を見る。

和「全部…見てたわ」

そうか。そういうことだったのか。

紬は観念したかのように項垂れ、その場にへたり込んだ。



111 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:12:50.78 ID:HPL6B5VRO

紬「――ごめんなさい…っ」

消え入りそうな声で謝罪を述べる紬。震える彼女に、さわ子が歩み寄った。

さわ子「残念だけど、謝るだけじゃ済まされないことをあなたはしたのよ。
    ちゃんと説明してくれるかしら…?」

紬「…はい…」

唇を噛んで少し黙った後、紬は絞り出すように小さく言い放った。

紬「私は…軽音部のみんなを…実験台にしたんです…」

唯「ふぇっ…!?何、実験台…?」

澪の話をするのかと思いきや予期せぬ言葉が飛び出して、

唯は眉をひそめた。思い当たる節のあった律は、ただ黙っていた。

今にも澪を助けに行きたかったが、状況がよくわからぬうちに動くのは不安だった。

紬「お父様が、ある製薬会社の博士と契約を行ってから
  ――奇妙な薬の開発に興味を持ち始めたんです」

紬「最初は私、変だ、やめてって、抗議したんです…。
  だけど、なんだかお父様…どんどん怖くなってきて…逆らえなくなって…」



117 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:27:13.47 ID:HPL6B5VRO


紬「ある日、急にお父様が私に出来上がった薬を渡してきたんです。
  そして…それを軽音部に持って行く茶菓子の中に入れろ、と命令してきました」

紬「薬は人数分あって、数日毎に一人ずつ飲ませろと…。
  様子を観察し、報告することも命じられました。
  …もう私は、お父様の言いなりになるしかできませんでした」

紬「お父様…本当に怖くて…どうしたらいいか、わからなくて…」

紬「言われた通り、数日毎にお菓子に薬を混ぜて出しました。
  最初は唯ちゃん、次にりっちゃん、梓ちゃん、そして澪ちゃん…」

梓「く、薬って…どういう物なんですか!?」

口を押さえて梓が訊ねる。それもそうだ。

知らぬ間に奇妙な物を飲まされていたなんて知ると、不安で仕方ないだろう。

紬「お父様が知り合った博士は、空想の生物を実現させるのが夢の、変わった人でした」

紬「彼がお父様に研究させていたのは…
  人をその類の物に変化させる物だったと思います。それ以外は別に副作用もない」

紬「でも、効果が現れる確率は低かった。事実、三人は別段何ともなかったでしょ?」

自分の手をまじまじと見つめたり、頬をつねったりする唯。

梓も安心したかのように胸をなで下ろした。

律は、やはりただ黙っていた。



120 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:28:44.62 ID:HPL6B5VRO

紬「でも、澪ちゃんは違った。
  薬をお菓子に混ぜた次の日から、様子がおかしかったわ。
  体調を崩したのはおそらく日光が原因で、
  あれだけ苦手だった血を見ても、それを舐めに行ったりして――」

梓「ま、まさか…澪先輩が飲んだのって…」

紬「えぇ…吸血鬼になる薬よ」

身震いする梓。小さく息を吐いて、律は紬に向き直った。

律「大体の状況はわかった。そろそろ教えてくれ、むぎ。
  …澪をどうするつもりなんだ?今澪は、どこにいるんだ?」

早く、助けに行かねば。逸る気持ちを抑え、冷静に問う。

紬「澪ちゃんは…お父様の実験助手に連れられて、
  私の家の傍にある古い研究所に向かっているわ」

紬「外から見たらただの廃墟だけど…地下を改造して、実験室を新たに作っているの」

紬「澪ちゃん、常識を越えた新薬の研究のための重要なサンプルだもの…。
  きっと、お父様…酷いことすると思う…」



122 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:30:06.36 ID:HPL6B5VRO

律の全身に悪寒が走った。

静かな怒りを秘めた瞳で紬を睨みそうになるが、一度それを閉ざし、歯を軋ませる。

諸悪の根源は紬の父だ。紬にも罪はあるが…

彼女も好きでやった訳じゃない。恨むのは間違っている。

律「それは…澪が、実験のモルモットにされるってことか…?」

目を閉じ、俯いたまま、小さく律は訊ねた。

その言葉を聞いた瞬間、紬は堰を切ったように泣き出した。

紬「ごめんなさい!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…ごめん、なさい…!!」

泣き叫ぶ紬を見つめ、律は決心したように夕日で染まった橙色の窓の外を見た。

皆の前で、あの姿をさらすのは嫌だったが…そんなことを言っている場合ではない。



124 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:31:25.75 ID:HPL6B5VRO

律「――澪を助けに行く」

紬「無理よ…。うぅ…私の家…ここから遠いし…
  研究所の中には、登録された人しか入れないの…。
  車で行ってもっ間に合うかどうか…ぐすっ…」

律「間に合うよ――」

律は自分のドラムを見つめた。円形を描いた部分に、焦点を合わせる。


ざわ…


もはや慣れてしまったざわめきが、背筋を駆けていく。

獣のような鋭い瞳をあまり見られたくなくて、カチューシャを取って、机の上に置く。

皆が息を飲むのが、見なくてもわかった。

半狼人間と化した自分を見て涙の溢れる目を見開く紬に、律は薄く微笑んだ。

律「――今の私なら…」



126 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:33:33.20 ID:HPL6B5VRO

唯「りっ…ちゃん?え、えええええぇ!?」

梓「」

和「凄い…」

紬「…りっちゃん、狼人間の薬…効いていたの…!?」

さわ子(狼人間、か…。耳としっぽがないのが惜しいわね…そうだ、今度作ってry)

呆然とする皆に、律は困った笑顔を向ける。

律「人前で簡単に変身しちゃわないように家で何度も訓練したからな。それが裏目に出ちゃったか…」

きつく拳を握る。手のひらに、鋭い爪が食い込んだ。

律「薬が効いてるってばれてたら、私が澪の代わりになれたのに…」

悔しげに呟きながら、律は窓の傍に行き、開く。

夕暮れの涼しい風が、夕焼けを浴びて黄金に輝く律の毛をさわさわと揺らした。



128 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:35:25.77 ID:HPL6B5VRO

律「研究所はむぎの家から近いんだな?」

紬「そうだけど…本当に行くの?
  りっちゃん、澪ちゃんより薬の効き目が出てるから…逆に研究対象にされちゃうかも――」

律「澪がやばいかもしれないのに、大人しくしてろっていうのか?そんなの無理だよ」

がっ、と窓の縁に足をかける。それを見て、唯が驚愕の声を上げた。

唯「ちょ、りっちゃん!?窓から行くの!?ここ三階――」

律「――待ってろ澪」

唯の言葉を聞き流し、律は朱い空へと跳んだ。

唯「り、りっちゃあああん!!」

梓「律先輩!!」

唯と梓が窓から身を乗り出して叫んだ。

律は空中で身を翻し、着地と同時に疾走する。

まさに疾風のごとく、律はあっという間に姿を消した。



130 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:36:55.51 ID:HPL6B5VRO

エリ「な、なんか今校舎から人が落ちたように見えたんだけど…」

アカネ「なにそれこわい。見間違えでしょ――」

立ち話をしていた二人の間を、風が吹き抜ける。

エリ「きゃ…」

アカネ「凄い風ね…」

今までずっとため込んできた力が爆発するかのようだ。面白いぐらいに体が動く。

律は風のように不可視の存在となって翔けた。

学校を出、家々の屋根の上に跳び、ただひたすら紬の家の方角へと走る。

薄暗くなりかけてきた橙の空に、うっすらと月が姿を現し始めていた。



133 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:38:21.29 ID:HPL6B5VRO

ぽかーんとしていた唯は、ハッと我に返ると、慌てて皆を振り返った。

唯「りっちゃんを追おうよ!!」

梓「当然――…いや、でも…むぎ先輩は…」

律が飛び出していった窓をじっと見つめていた紬は、

一度目を伏せ息をつくと、決心した面持ちになった。

紬「私も行くわ…。りっちゃんのあの覚悟を見たら…
  私も自分の行動にけじめを付けなきゃいけないって…そう思えたから」

和「私も行くわ。澪はもちろんだけど…律も無茶しそうで心配だし」

さわ子「よぅし!そういうことなら任せなさい!!私が車でかっ飛ばしてあげるから!!」

さわ子(唯ちゃんと梓ちゃんからはりっちゃんのスカートの中丸見えだったと思うけど、
    問い質している暇はなさそうね…。

    残念だわ…スパッツだったのかしら、縞パンだったのかしら、いやはやry)

唯「さっすがさわちゃん先生!頼りになる!!」

梓「先生!お願いします!!」




134 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:39:38.31 ID:lyyebxhX0

さわちゃん・・・あんたまごう事なき駄目人間だよ





135 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:40:21.09 ID:HPL6B5VRO

がくがくと揺さぶられる感覚に、澪はゆっくりと目を開いた。

辺りは薄暗くて、体は何故か痺れていてなかなか動かせない。

だんだん頭がさえてくると、自分が車に乗っているということにようやく気付くことが出来た。

澪(え…私、何で…)

澪「…っふ…む…!?」

澪(猿轡!?っていうか…体が縛られてる!?)

黒服1「なんだ、目を覚ましたのか…」

黒服2「もう少し寝ていてもらいたかったな」

澪(だ、誰…この人達…。何が…何があったんだっけ…)

未だにぼんやりとしている頭で、必死に記憶を呼び起こす。

だが、車にはかなりの人数の黒服を着た男達が乗っていて、

恐怖のせいでなかなか思考を巡らすことに集中できない。



137 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:42:45.31 ID:HPL6B5VRO

黒服3「まだ着かんのか」

黒服1「仕方ないだろう…。あの高校からじゃ、電車でも時間かかるんだから」

澪(どういうことなんだ…?私、どこに連れて行かれるの…!?)

恐怖と不安がない交ぜになった澪の脳内に、ようやく記憶が戻ってくる。

澪(そうだ…私、むぎに…!!)

意識が吹き飛ぶ前に目に焼き付いた、紬の憂鬱げな表情が蘇る。

澪(むぎ…どうして…一体私を、どうするつもりなんだ…?)

澪は小さく呻いてもがいたが、横に座っている屈強な男に一睨みされ、

どうしようもなくすぐに大人しくなった。



139 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:44:09.62 ID:HPL6B5VRO

それから、どれぐらい車の振動に揺すられていただろうか。

黒服1「ふぅ…ようやく到着だ…」

黒服2「意外に時間がかかったな…」

黒服1「早く連れて行くぞ」

澪は男達に連れられ車を出る。目の前に、廃墟のようにぼろぼろの建物があった。

暴れて逃げようにも、三人もの男達に体を掴まれている上、体はロープでぐるぐる巻きだ。

きっと逃げ切ることは不可能だろう。

しかも、自分たちが乗っていた車の後ろにも、

まだ数台同じような車が並んで止まっていて、そこから大勢に黒服の男達が降りてくる。

澪(……)

澪は為す術もなく諦めたように歩き出しながら、猿轡を噛みしめた。



142 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:46:01.47 ID:HPL6B5VRO

廃墟のドアを、男の一人が開ける。

エントランスのような広い部屋には、

ぼろぼろになったソファや、枯れ果てた植木鉢が放置されていた。

天井には穴が開き、すでに暗くなった外が丸見えだ。

しかし、そんなボロ部屋の奥には、この光景に全く持って不釣り合いな頑丈そうな扉があった。

黒服3「ほら、歩け」

気味が悪くて入るに入れなかったが、背中を小突かれ、澪はよろけながら入り口をくぐる。

一体自分はこれから何をされるのか、全くわからない。

澪は不安と恐怖で、泣き出しそうになった。

黒服4「おい、ぐずぐずするな」

黒服3と黒服4が、澪の体に巻かれたロープに手をかけ、強引に引っ張ろうとした。刹那。



144 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:47:16.01 ID:HPL6B5VRO

激しい破壊音が轟き、その二人は入り口の扉と共に面白いぐらい吹っ飛んだ。

もわっと埃が舞い上がり、男達は咳き込みながら、何事かと身構える。

轟音と埃で怯み、目をきつく閉ざしていた澪は、

体の拘束が解かれるのを感じ、俯いたままそっと目を開いた。

誰かの足が、視界に入る。

澪は顔を上げ、そこにもっとも頼れる人物の姿を認めた。

律「間に合った…」

汗の滲んだ顔に笑みを浮かべ、肩で荒く呼吸をしながら、

律は乱れた髪を頭を軽く振って整えた。

澪(律!!)

思わず抱きついてしまう澪。律はちらりと澪を見て、はにかんだ笑みを浮かべた。

カチューシャがないことを除けば、いつもの律の笑顔だった。



147 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:48:52.19 ID:HPL6B5VRO

律「大丈夫か~澪。助けに来てやったぞ~」

男達を睨んだまま、律は澪を猿轡から解放する。

澪「律!律…ありがとう!!」

律(突入したと同時に変身解けちゃったよ…。タイミングが良いというか、悪いというか…)

澪にあの姿を見られずに済んだが、さすがこのままではあっという間にやられるのがオチだろう。

しかし、男達から見れば、自分が一体何をしたのかまだ理解できていないはずだ。

その証拠に、まだ距離を取ったまま自分たちの出方を伺っていた。

律「澪、空飛んだり出来ないの?」

澪「は、はぁ!?そんなこと、できるわけないだろ!」

そうか、澪はまだ自分の体に何が起きているのかよく理解できていないのだった。

男達を睨んだまま、律は苦笑する。



148 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:50:14.28 ID:HPL6B5VRO

しびれを切らしたように、男達がゆっくりと距離を詰めてくる。

律と澪もそれにあわせて、じりじりと下がる。が、

澪「り、律…」

澪の不安げな声に振り返ると、

後ろにも男達が数人壁を作っていて、じわじわと迫ってきていた。

知らぬ間に、二人は黒服の男達に囲まれていた。

律(くそ…やっぱり、変身するしか――)

ちらり、と律は澪を振り返った。目が合い、澪は眉をひそめる。

律(澪には…見られたくなかったなぁ…)

黒服1「お嬢ちゃん、この子のお友達か?…余計なことに首突っ込んじゃったなぁ」

男達が迫る。袖を握る澪の手に、力がこもったのを感じた。

律(――でも、これ以上澪に怖い思いをさせるわけにはいかない…!)

律は自分の腕を、ゆっくりと顔の前に持ってくる。

少し警戒の色を見せる男達を尻目に、律は袖のボタンに視線を集中させた。

体を走る、ざわめき。

律(あ、でも…私の変身した姿が、余計怖い思いさせちゃったりして…)



150 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:51:31.35 ID:HPL6B5VRO

黒服5「嬢ちゃん。何をしたのか知らないし、
    今から何する気かもわかんないけど、ここは大人しくしといた方が良いぜ?な?」

スキンヘッドにサングラス。いかにもな胡散臭い感じの男が、胡散臭い笑顔で近づいてくる。

澪は震える手で、ただ律に縋りつくことしかできなかった。

澪(律…?)

先ほどから彼女は自分のブレザーの袖を睨んだまま動かない。

そうこうしているうちに、男との距離はかなり縮まっていた。

澪(駄目だ…このままじゃ二人とも…)

澪は自分たちを取り囲む黒服の男達に目をやる。凄い人数だ。

澪(何でかわからないけど…この人達の目的は私…。――律は関係ない)

律が助けに来てくれたのは、本当に嬉しかった。

だが、彼女をこれ以上巻き込むわけにはいかない。

自分の身を差し出そう。そして、律は見逃してもらうんだ。

律の頑張りを無駄にすることになるが、やはりそれが一番いい。



152 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/30(土) 22:53:16.60 ID:HPL6B5VRO

澪はきゅっと目を閉じて恐怖を身の内に押し込む。

決心がついたところで、キッと目を開き、澪は口を開こうとした。その時だった。

律「何したかわかんなかったの?」

ずっと黙っていた律が、顔を上げて男を睨んだ。

心なしか、ただならぬ気配を律の背中から感じ、澪はずっと握っていた律の袖から手を離す。

律「――なら、よく見てなよ」

下がっていろ、と言うかのように、律は男を睨んだまま澪を後ろへ軽く押しやる。

その手は――あのパワフルな音色を奏でる、見慣れた小さな手ではなかった。

澪「――え…」

状況が飲み込めず、澪は顔を上げて律を見る。

だが、一瞬前まで目の前にいた彼女の姿は、視界から消えていた。




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律「狼人間!」#前編
[ 2010/10/31 22:50 ] ファンタジー | | CM(0)

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