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唯「あずにゃん、エレベーター動かない…」#中編 【非日常系】


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唯「あずにゃん、エレベーター動かない…」#前編
唯「あずにゃん、エレベーター動かない…」#中編
唯「あずにゃん、エレベーター動かない…」#後編




106 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 09:43:58.07 ID:a7m7L0Ev0


【2010年08月15日 9:43/Nビル構内】

梓「これから場所を説明しますから、助けを呼んでください!」

 言い切る間もなく、唯先輩の携帯の電池が切れた。
 一瞬、電話が繋がったときには喜んだけれど結局たいしたことを伝えられずに切れてしまった。
 もしかしたら、相手が律先輩だったからかもしれない。
 あの話をしてから、心の底で先輩に引け目を感じていたから。

唯「どうだった、りっちゃんと話せた?」

梓「はい。でもすぐ切れちゃって、場所が伝えられなくて……」

唯「閉じ込められてるのは伝わったんだよね? じゃあ大丈夫だよ!」

梓「でも、場所がわかんなかったら助けに行きようが…」

唯「それでも、誰かが見つけてくれるよ。だって今日いて座が1位だったもん!」

梓「あはは……」

 笑顔で根拠なく言い切ってしまって、思わず力が抜ける。
 でも、気持ちが押し潰されそうな密室の中ではそんな唯先輩が頼もしく見えた。



107 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 09:50:50.82 ID:a7m7L0Ev0

唯「まああずにゃんも、のーんびり助けを待ってようよ」

梓「……そうですね」

 私が言うなり教科書の入ったカバンを枕にして、床に寝っころがる唯先輩。
 いや、それはさすがにリラックスしすぎなんじゃ……

唯「そのぐらいの方がいいんだよ。ってかさっきのあずにゃん、めっちゃ慌ててたもん」

梓「私なりに落ち着いて伝えようとしましたよ!」

唯「地震起きたの、六時だよ?」

 あ…そうだっけ。

唯「ほらぁ、あずにゃんパニクってるじゃん」

 得意げな顔を向けられた。
 この人、事態の深刻さ分かってるのかな……?

梓「ていうか唯先輩はなんでそんなに落ち着いてられるんですか!」

唯「だって、あずにゃんが一緒だもん」



110 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 10:06:59.54 ID:a7m7L0Ev0

 えへへ、って愛くるしい笑顔を浮かべてそれとなく手を握る唯先輩。
 こんな時、いつもどうしていいか分からなくなる。
 私の心の奥底に、あまりにもすんなり入ってきてしまうから。

 私が「練習しよう」とか「もっと真面目な部活に」
 って構えてる時だって、気づくといつも唯先輩のペースに乗せられてた。
 アイデンティティをかけて必死で立てたバリケードなのに、
 唯先輩はたやすく隙間をぬって侵入してしまう。
 そして気づくとぎゅってされてて――

 ……いつしかバリケードの中で、唯先輩を待ちわびるようになってたんだと思う。

唯「私もね、一人だったら不安でたまんなかったと思うよ」

 私の目をじっと見つめて、唯先輩が話す。なんか、どきどきする。

唯「でもあずにゃんが居るから、大丈夫そうな気がするよ」

 私はギー太とアイスとあずにゃん分があれば生きていけるからね!
 そう、言い切られてしまって、居心地がわるくなって思わず目をそらす。

梓「……ギターより受験勉強をしてください」

 あはは、そうだよね。私、忍耐力ないからさ……弱いもん、うん。
 そう言って唯先輩は困ったように笑った。
 本当は思ってもいないバリケードを立てては
 また逃げようとしてしまう自分は、確実に唯先輩よりも弱い。



113 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 10:25:32.33 ID:a7m7L0Ev0

 五時――じゃなかった、六時の地震で閉じ込められた時は唯先輩もさすがに動揺してた。
 ていうか唯先輩、自分を責めまくってた。
 ごめんね、私が変なこと言い出したからだよね、ごめんねあずにゃん、って。
 思わず私は「唯先輩のせいじゃないです、事故だからしょうがないですよ」なんてなだめていた。

『先輩をこんな危ないところに連れてきたのはあなたでしょ』

 聞きたくない自分の声をかき消すために、つい唯先輩は悪くないなんて言い方をしてしまう。
 その度に、声を上げるたびに、自分の中に変な熱が溜まっていくのを感じていた。
 やがてその熱はこの部屋に充満し、唯先輩を押し潰してしまうのかもしれない。
 私のせいで、唯先輩が。

  唯『あずにゃん、どしたの? こわい顔してるよ』

 そうやって一人で思いつめてたときも、唯先輩が引き戻してくれた。

  唯『なんかこうしてると合宿みたいだよね!』

 ふきだしてしまう。
 いつの間にか、私が助けられる側に回ってた。……いや、最初からかな。

 甘えてばっかだ。落ち着きなよ、梓。
 自分の心に自分で言葉の刃を向けて、他人から傷つけられる前に先手を打つ。
 これも昔からの癖だった。



115 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 10:35:30.49 ID:a7m7L0Ev0

 しばらくして私も唯先輩も落ち着いた頃、唯先輩が突然言い出した。

  唯『あずにゃん、あずにゃん! あの非常ボタン押してみてもいい?!』

  梓『は……はぁ?』

  唯『ほら、ああいうボタンってふだん押しちゃいけないじゃん?
    ねぇ私が押してもいいよね?!』

 レストランで注文ボタンを押したがる子供みたいに唯先輩がはしゃぐ。
 っていうか、そのものだった……。

  梓『いいですよ、押してください』

 なんだかほほえましくて自然と口元が緩んでしまう。

  唯『終わったら次、あずにゃんの番だよ! 繋がるまで続けるからねっ』

 なんていうか……軽音部入ってから私、こんな気持ちになること増えたかも。



116 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 10:47:48.03 ID:a7m7L0Ev0

 はじめ唯先輩は非常ボタンを押し続けることを知らず、一回押しては私と交代しようとした。

  梓『いや、ここに書いてあるじゃないですか。押し続けるんですよ』

  唯『ええー…指疲れそうだなあ』

  梓『ギタリストがそれ言いますか…』

 それから唯先輩はしばらく押し続けた。
 けれど……一向に管理会社に繋がらなかった。

 私も心の底ではあの小さな黄色いボタンにすがっていた。
 外界に私たちの存在を知らせてくれて、やがて助けを呼んでくれるはずだと。
 でも実際は、七時ごろからずっとボタンを押し続けているのに何の音沙汰もなかった。

  唯『私たち、見捨てられちゃったのかな…』

 肩を落とす唯先輩。
 私は心の中で管理会社に逆恨みと八つ当たりをぶつける。



117 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 10:57:26.42 ID:a7m7L0Ev0

 そうして外の世界から完全に遮断された私たちは、エレベーターの床に座り込んだ。
 ここのエレベーターには足元に赤の薄っぺらいカーペットが敷いてある。
 それに気をよくした唯先輩はさっそくカバンを枕に床に寝転がった。

  唯『なんかこうしてる家みたいだなぁ…ういー、あいすー。なんちゃって』

  梓『憂の苦労がうかがい知れますね…』

 言ってはみたものの、私だけ律儀に立ってるのもばからしく思えて、結局自分のカバンの上に座った。

  唯『あーあずにゃんジベタリアンだー、お行儀わるーい!』

  梓『床で寝てる人に言われたくありません!』

 そんな、一瞬いま事故に遭ってるってことを忘れてしまうような。
 一緒に居る相手が唯先輩じゃなかったら……こうはならなかったと思う。



118 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 11:08:38.40 ID:a7m7L0Ev0

 結局私も根負けして、唯先輩と一緒に寝転がった。

 カバンを枕にして、仰向けになる。
 カーペットの縫い目を指でなぞったり、
 太ももに当たるカーペットの感触を押し当ててみたり。

 見ると天井はやけに低く感じて、
 煤けた照明が私たちを押しつぶそうと迫ってくるようで……気持ち悪くなる。
 そこで思わず目を逸らすと……唯先輩と目が合った。

  唯『えへへ、二人っきりでお泊りみたいだね』

  梓『……変なこといわないでください』

 変な気分になるじゃないですか。手とかつながないでくださいよ、本当。

  梓『そうだ、もう少しだけ携帯つながるか試してみましょうよ』

 今にして思うと、自分の気持ちをそらすために言ったんだと思う。



119 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 11:22:07.99 ID:a7m7L0Ev0

 結局、電話は律先輩に一瞬繋がったものの――振り出しに戻っただけだった。
 いて座が一位だったら、私のさそり座は何位だったんだろう。
 唯先輩と一緒にいれてるから五位ぐらいかな?
 っていうかその占い、絶対アテになんないな……。

唯「ねーあずにゃん、なんか楽しいことしよ?」

梓「じゃあ……音楽でも聴きますか?」

 自分の腰掛けていたカバンからウォークマンを取り出す。

唯「うん! ……って、それって最新機種?」

梓「そうですそうです、ノイズキャンセリング機能もついてるんですよ!」

唯「へー、なにそれ」

梓「自分の聴きたくない騒音とかを消せるんです」

 すると唯先輩はうなってしまう。
 そこまでして消したい騒音ってどんなのだろう、なんて悩んでしまった。

梓「例えばほら、人の話し声とか電車の音とかいろいろあるじゃないですか」

 ……言った後で、気づいた。
 唯先輩は何でも楽しめるから、騒音なんてないのかもしれない。
 雨音にあわせて歌っていたような人だったっけ。うらやましいな。
 そう考えると、自分の聞きたくない音をシャットアウトする私が急にみすぼらしく感じた。



120 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 11:33:31.35 ID:a7m7L0Ev0

梓「適当にシャッフルして流れたのでも聞いてみましょうか」

唯「そだね。どんなのだろ」

 目をつぶって適当にボタンを押して再生させる。
 印象的なディストーションギター、後に入ってくるドラム、
 はじめは小さくやがてうなりを上げるベース。
 ファルセットの利いたボーカルが歌いだす。

唯「おお……なんかカッコイイ! ねえなんて曲?」

 しかしよりにもよって、こんなときにこんな曲だなんて。
 苦い笑いがこみ上げる。なんて皮肉だろう。

梓「……ミューズの、ストックホルム・シンドロームって曲です」

 シャッフル機能はたまにこういうことをしてくれるから困る。

唯「それってどういう意味?」

梓「ストックホルムで銀行強盗があって、
  人質がしばらく監禁されているうちに犯人のこと好きになっちゃった事件があったんです」

 そんな風に、極限状態で人の気持ちが変わっちゃう、
 っていう心理学の用語をテーマにした歌だと思います。
 唯先輩にそう説明した。
 
 ……いまここでこの曲はないよ、やっぱ。



122 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 11:48:26.84 ID:a7m7L0Ev0

唯「あ、それって憂が同じこと言ってたよ! つり橋効果ってやつだよね?」

梓「似てるようで全然違います…」

 ストックホルム症候群はもっと悪い意味で使うんですよ、たぶん。
 わざと閉じ込めてたりとか、よくない関係だったりとか。
 ……気持ちを変えることで、身を守ってるだけだから。
 自分のことしか考えてないだけだから。

唯「ねぇ、私たちってストックホルム症候群なのかな」

梓「……そんなこと、聞かないでくださいよ」

唯「ごめん、なんでもない! でもこの曲かっこいいね、りっちゃんとか好きそう」

 すぐに笑顔に戻った唯先輩。
 だけど、その三秒前の表情は忘れられそうもなかった。

 昨日まで憂や純のおかげで
 なんとなく決意できてたはずの気持ちが揺らいで、崩れ落ちそうになる。

 せめてこのドアが開いてくれたら……
 病気じゃない、まっとうな気持ちだって、言い切れるのかもしれないのに。

『まっとうなの? あんたが先輩に向けてる気持ちって、傍から見たら相当気持ち悪いんじゃない?』

 うるさいな。静かにしててよ。

  律『――気持ちは分かる。けど、これから先に傷つくのは梓だし、唯だと思う。
    だから……やめといた方がいいって』

 数日前に聞いた言葉が耳の奥で揺れる。
 傷つけたくない。傷つきたくないから。
 ……私は気づかれないように、唯先輩の身体に触れないように、そっと距離をとった。



134 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 13:36:26.97 ID:a7m7L0Ev0


【2010年08月15日 13:36/児童公園】

律『さっきムギと合流した。唯たち見つかったか?』

 律からのメール。聞くぐらいだから、あっちも進展はないみたいだ。
 返信して、ベンチの隣の憂ちゃんに現状を伝える。

憂「あれ、紬さんって避暑に出かけてましたよね?」

澪「それどころじゃないだろ、今は」

 そうですよね、と憂ちゃんがか細い声で答える。
 私はカバンからチョコレートを取り出して――憂ちゃんに差し出すのはやめた。
 律からもらった個別包装のトリュフ、袋を開ける前から型くずれしてしまっていた。

澪「……えっと、食べる? ていうか、飲む?」

憂「もう溶けちゃってるじゃないですか」

 少し笑ってくれて、安心する。……なんか律みたいなことしてるな、私。



135 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 13:42:27.35 ID:a7m7L0Ev0


 午前中に窓の外を覆っていた分厚い雲は跡形もなく消え、
 抜けるような青空からは直射日光が遠慮なく降り注いでいる。
 夏の日差しは私たちの影すらも奪おうとするほど強い。

 憂ちゃんと唯の行きそうな場所を巡っていた私もさすがにダウンして、
 公園の木陰のベンチに逃げ込んできたところだった。

 ふつう、「雨は悪い天気だ」と人は言うけれど。
 けれど体中の水分を根こそぎ否定するようなこんな日差しに当たっては、
 少しぐらい雨が降ってほしいなんてことも思ってしまう。

憂「この公園、小さい頃にお姉ちゃんと和ちゃ……和さんとよく来てたんです」

 ほら、あの水飲み場ありますよね?
 そう言って、公園の隅に設置されたものを憂ちゃんが指さす。

憂「あの蛇口を全開にして、
  数メートルぐらいの噴水にして水浴びするのが好きだったんですよ。お姉ちゃん」

澪「それって、後で怒られたりしないのか?」

憂「だからお姉ちゃん、公園に行くと怒られてばっかでした」

 昨日のことのように語っては、くすくすと微笑む憂ちゃんがかわいらしかった。
 ……唯、愛されてるなあ。



137 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 13:49:34.80 ID:a7m7L0Ev0

憂「もしかしたら、梓ちゃんの方かも」

 公園の入り口の自販機で買ったポカリで喉をうるおしていたら、憂ちゃんがつぶやいた。

澪「どういうこと?」

憂「お姉ちゃんの行きそうな所じゃなくて、って意味です」

 なるほど。あれから半日近く唯の行動範囲をかけずり回って、
 それでも見つからないってことはそっちの線が濃そうだな。

澪「じゃあ、今度は憂ちゃんが知ってる限りで梓の講堂範囲を当たってみるか?」

憂「でも、梓ちゃんが知ってそうなところもほとんど巡ったんですよね」

 言われてみれば、そうだろうな……
 梓、唯か憂ちゃんかジャズ研の鈴木さんと仲良くしてるイメージしかないし。



142 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 14:03:25.31 ID:a7m7L0Ev0

憂「私、梓ちゃんから相談受けてたんです」

澪「へぇ、どんな?」

 何も知らないみたいに聞き返してしまった。……恐らくあれのことだろうな。
 違うことを祈るけど、たぶんそろそろ逃げられない。


憂「――梓ちゃん、お姉ちゃんが好きなんです」

 ビンゴ。
 返す言葉が浮かばず、そうか、なんてズレたあいづちを返してしまう。
 言葉を探せば探すほど見えなくなって、夏の熱気でますます意識のピントがずれていく。

 気づくと公園で遊ぶ子供たちは誰一人居なくなっていた。
 どこか遠くのスピーカーが、迷子の子供の話をしていた。

 ふと思う。律だったらこんなとき、うまく場を切り抜けられるのかな?
 いや……無理だったんだろうな。
 こないだ、梓から話を聞いたときもそうだったらしいし。



146 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 14:17:49.22 ID:a7m7L0Ev0

憂「……聞かないんですね、どういう“好き”かって」

澪「ごめん、律から聞いたんだ。それは憂ちゃんも知ってる?」

憂「その日に梓ちゃんから聞いたんです」

澪「……そうか」

 喉が瞬く間に乾いていく気がして、声もうまく出せそうにない。
 手に持ったポカリを口に持っていこうとするけど、
 それもしてはいけない気がして右手も動かせずにいた。
 なんとなく、左のポケットに入れた携帯電話に手を触れる。
 ほんの少し――液晶画面がやけに冷たく感じたけれど、すぐ私の汗で分からなくなった。

澪「梓の気持ちは、律から聞いてたよ」

憂「……澪さんも律さんも悪くないですよ」

 誰も悪くない。悪いって言う人が悪いんです。
 憂ちゃんはそう言い聞かせる。
 けど、それだと私たち全員「悪かった」ことにならないかな。
 梓が同性を好きになったことも、私たちがそれを止めたのも、憂ちゃんが応援したのも、
 唯が梓と同じ気持ちだったことも。



149 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 14:39:49.42 ID:a7m7L0Ev0

憂「それに、梓ちゃんの背中を押すかは私も迷ったんです」

澪「……気の迷い、男との出会いがないから勘違いしてるだけ、
  そのまま付き合っても世間はまず認めない」

 赤の他人は変わったものをすんなりとは受け止めない。
 「常識」はこの空の直射日光みたいに、驚くほど間単に異物を焦がしていく。
 それでもみんな、たとえば雨よりも晴れた日の方が
 ――変わったものを簡単に焦がしてしまう日差しの方が「普通」だと感じてしまう。

憂「全部考えました。お姉ちゃんと梓ちゃんの将来のこととかも。
  もしかしたら、私と澪さんの立場が逆だったかもしれないぐらいに」

 そう、律や澪が応援して、憂ちゃんが反対してた場合もあったはずだ。
 というより、もし建前だけで押し通せたなら私たちの立場は逆になってたと思う。

憂「私は、お姉ちゃんに幸せになって欲しかっただけなんです」

澪「……私も律も、そんなところだよ」

 何が二人にとって正しい、正しくないなんて考えてもいなかった。
 私たちは二人して、自分の気持ちを否定しただけだ。
 梓に「常識」を浴びせて、自分たちだけ日当たりのいい場所に逃げたんだ。



155 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 15:20:29.04 ID:a7m7L0Ev0

澪「憂ちゃんはどうして唯を応援することにしたんだ?」

 話を変えようとする自分が嫌だったけれど、どうしても聞いておきたかった。
 憂ちゃんだって――傍から見ていても、唯に並々ならぬ感情を持っている気がしたからだ。

憂「和さんと話し合ったんですよ。お姉ちゃんの気持ちは本当なのか、って」

澪「和はなんて言ってたんだ?」

憂「……
  『それよりも憂、唯の気持ちを肯定したら
   あんたの唯への気持ちも危うくなるんじゃないの?』」

憂「って、言ってました」

 うわ……さすがに鋭いな、和は。
 私たちのことまで言われてる気がしたよ。

憂「ねぇ、澪さん」

澪「何?」


憂「……恋愛感情って、なんですか?」

澪「……ごめん。答えられない」

 答えられたら、最初から悩んでないよこんなこと。



156 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 15:52:01.00 ID:a7m7L0Ev0

 日差しが緩まっていることに気づいて、空を見上げた。
 いつのまにか雲がまた空を覆い隠していて、今にも雨が降り出しそうな天気だった。

憂「とにかく今はお姉ちゃんたちを探しましょう」

澪「そうだな。こう暑いと、唯の身が危ないかもしれないし。早く探さないと」

 それは、私や律の問題先送り宣言にも聞こえた。
 それどころじゃないを言い訳にして、何回逃げてきたんだろう?

澪「……とにかく、日差しも弱まってきたしそろそろ行こうか」


 そんな矢先、耳慣れない着信音が聞こえた。
 憂ちゃんの携帯だった。



157 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 15:54:35.07 ID:a7m7L0Ev0

憂「はいもしもし……えっ、純ちゃん?
  今どこにいるの? ……ああ、おばあちゃん家だったんだ」


憂「……え? 梓ちゃんの行きそうな場所が分かるの?」

 えっ、見つかったのか?

憂「……うん、うん。わかった。この街ではあるんだよね?
  そう、たぶんそのこと言ってたんだと思う!」

 憂ちゃんの目が輝いていく。
 慌ててカバンからノートとペンを取り出し、憂ちゃんに渡す。
 これは……見つけたかもしれない!

憂「それじゃあ住所を――え? それは分からないの? あっちょっと電波が…」

 切れてしまったらしい。
 まただ、これじゃあ律の二の舞だ……。

憂「ごめんなさい、向こうの携帯だと思います……」

 でも、少しは進展があったみたいだ。
 あとはどうにかして鈴木さんに連絡を取れれば……

澪「じゃあ、律たちに伝えとくよ。そろそろ唯たちを助けてやらないといけないしな!」

 そう言って携帯を開こうとしたとき、今度は私にメールが入った。

 ……梓からだった。



166 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 17:52:25.17 ID:a7m7L0Ev0


【2010年08月15日 17:52/Nビル前】

律「澪、このビルだ!」

 数十分前のどしゃ降りが嘘のように晴れ出したころ、二人が閉じ込められてるらしいビルにたどり着いた。
 時々まだ遠くに落ちる雷の音に身をすくめながらもどうにか坂を上りきると、律が手を振っていた。
 律の横にはムギとさわ子先生。入り口に車が止まっているから、みんな先生の車で来たのだろう。

澪「言われたものは持ってきたぞ、早く行こう」

紬「ねえ、憂ちゃんは?」

澪「電波つながりにくいだろ?
  だから住宅街側で救急車呼んでもらうことにしたんだ。
  二人を確認次第、私がメールで憂に伝える」

律「とにかく急ごう、梓のメールを見る限りだと結構重傷みたいだぞ」

 私は真っ先にビル構内に入ろうとする――だが変なところでバランスを崩してしまう。

律「……大丈夫かよ、澪ー」

澪「二リットルペットボトルとか運んでみろ、誰だってこうなるよ」

 するとムギが「ちょっと貸して」と言うなり私のリュックサックを受け取って、軽々と背負った。

紬「さ、急ぎましょ?」

 ムギ、すごいな……。



167 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 17:57:25.69 ID:a7m7L0Ev0


澪「しかし暗いな……どうしたんだ?」

 懐中電灯を握りしめた私たちは三階まで階段で駆けあがり、エレベーターに向かった。
 条件反射的に「開」ボタンを押す――開くはずがない。

律「これですんなり開いたら笑うよな」

澪「そんなこと言ってる場合か!」

律「いてっ」

紬「ふふっ」

 思わずいつもの調子でつっこみを入れてしまう。
 でも、少し緊張がほぐれた。

さわ子「あんたたち、時間も気にしなさいよ…」

 キャンプ用電気ランタンをフロアに据えたさわ子先生が、あきれ顔で言った。



168 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 18:02:26.06 ID:a7m7L0Ev0


 ミーティングは三十秒で終わって、それぞれ位置に着く。
 さわ子先生とムギがドアを力技でこじ開ける。
 そこに小柄な律が入って、通気口から梓に指示を出す。
 私は荷物運びで疲れているからと、律の補助をすることになった。

律「澪、後ろから落とすなよ? ダチョウ倶楽部とかそーいうの求めてないからな?」

澪「ふざけてないで準備しろ」

律「わーかってるって」

 律はそういって部室から持ってきた懐中電灯を握りしめた。
 横には長いバールを持ったムギと先生。

さわ子「ムギちゃんいい? いくわよ」

紬「はい!」

 二人が力を加える。
 開かずの扉がこじ開けられた。
 すぐさま律が飛び込む。



170 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 18:07:26.44 ID:a7m7L0Ev0


 中では入り口三十センチ下の中途半端な位置に停止したゆりかごが一台。

律『いるのか?! 唯、梓、大丈夫か?』

 そう呼びかけたしばらく後、律が私たちの方に叫ぶ。

律「いた! やっぱ唯たちここだった!」

澪「そうか! じゃあ二人ともいるんだよな?」

律「ああ、いるいる。早く憂ちゃんに連絡してくれ。早い方がいい」

澪「わかった、行ってくる」

 そのまま飛び出そうとして――でも一瞬不安になって――振り返った。

律「なんだよ」

澪「律も、気をつけろよ」

律「わーってるって」

 笑顔で即答してくれた。
 私は今度こそ階段を駆け降りて電波の届く範囲に向かった。



171 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 18:12:26.82 ID:a7m7L0Ev0


 けれども外に向かおうとした矢先、メールが届く。
 電波状態が悪いせいで途中で切れてるものの、
 憂ちゃんから「救急車呼びました」って内容だとはわかった。
 安心して一息付き、きびすを返してエレベーターホールへと再度向かう。
 憂ちゃんも、いてもたってもいられなかったんだろうな。

澪「おい律」

律「うわ、なんだよいきなり?! 行ったんじゃなかったのか?」

澪「憂ちゃんもう呼んじゃったらしい、たぶんこっち向かってると思う」

律「お、ラッキーじゃん! あずさー、救急車早く来るってよ?」

梓『そうですか、じゃあこっちもそれまでがんばります!』

 今日初めて聞けた梓の、少なくとも無事そうな声。
 ……涙が出そうになった。



181 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 20:03:55.21 ID:a7m7L0Ev0


 それからしばらくの間は応急処置も順調だった。
 私が処置内容を律に伝えて、律に照らされた梓が唯に手当てをする。
 停電状態で暗く暑い中だったけれど、律やムギたちと話しながらだったから気にならなかった。

律「ってか澪ってひどいと思わねー?」

澪「なんだよいきなり」

律「だって『一番小さいのお前だからお前が入れ』とかって言ったんだぜ」

澪「そんなこと言ってる場合か!」

律「じゃあ澪が入れば? あっそれとも澪ちゃん暗闇が怖いとか――いだぃいだい!」

 ふくらはぎをつねってやった。



182 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 20:04:40.89 ID:a7m7L0Ev0


 憂ちゃんがエレベーターホールに着いたのはその頃だ。

憂「みなさん、救急車呼んできました!」

律「おーおかえり憂ちゃん! 今、澪が私の足つぼマッサージを――」

 ぎゅっ。

律「いだいいだいって!! ……悪かったよぉ、みおー」

澪「お前はいい加減懲りろ。で、救急車は――」

 憂ちゃんは呼びかけた私にわき目も振らず、エレベーターの中に向かって叫んだ。

憂「お姉ちゃん! 大丈夫なの!?」



183 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 20:05:25.92 ID:a7m7L0Ev0


 私たちの声なんて聞こえもしない様子の憂ちゃんを、潜り込んだ律がどうにか抑える。

律「よしよし、唯は無事だから。っていうか二人入るとエレベーター動いたらヤバいから」

憂「あ……すいません」

律「あっ憂ちゃん、救急車の方はどうなった? どのくらいで来るんだ?」

憂「それが……さっきの停電のせいで事故があったらしくて、ちょっと時間かかるらしいんです」

 時間が掛かるって……こっちだって、一刻を争う事態なのに!

憂「あっあの、二人はどうなんですか?!」

律「唯はいま梓に介抱してもらってるとこ」

 それでも憂ちゃんは落ち着きを取り戻せずにいた。
 あれだけ大切にしてた姉の一大事だ、無理もない。
 このままではエレベーター内に突入しそうな勢いの憂ちゃんを、律がどうにか諭す。

律「大丈夫。大丈夫だって、私たちがなんとかするから」



187 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 20:43:59.75 ID:a7m7L0Ev0

 憂ちゃんもいったんは引いたものの、やっぱり中が気になってしょうがないようだった。
 何もすることがない、何もしてやれないって状況に耐えられなくて、ずっとそわそわと動いていた。
 携帯電話を開いたり閉じたり、階段の方に向かって救急車を探しては戻ってきて、
 残ったポカリスエットのペットボトルを出したかと思えばしまう、そんな調子だった。

憂「梓ちゃん! 聞こえるー?!」

梓『全部聞こえてる、いま応急処置してるとこ!』

憂「ねえ梓ちゃん、ほんとに大丈夫? 霧吹きは使ってる?
  あっヒヤロンはタオルに巻いて当ててね、あといきなり――」

梓『律先輩から聞いてるよ』

憂「……そんな、でも」

 ――大丈夫だから。

 梓はたった一言、憂ちゃんにそう言った。
 水面にぽとりと落ちた滴のように心の中で梓の声が反響する。
 芯の通った、結晶のように透明なその声だけで、
 たったその一言だけで本当に大丈夫に思えてしまった。

梓「……憂、私たちは、大丈夫だから。」

 私はこの梓の声を一生忘れないと思う。
 いつか、歌詞として書きとめようと決めた。



195 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 22:24:00.39 ID:a7m7L0Ev0

憂「で……でも!」

 簡単には不安を消せない様子の憂ちゃんが、なおもすがる。
 唯に似て大きな瞳に浮かんだ涙をこぼさぬように、下唇に力をぎゅっと込めた顔で。
 公園のベンチで話した時もこんなような顔をしていたけれど
 「お姉ちゃんが見つかるまでは」と気丈に振舞っていた。
 でも……憂ちゃんにはもう限界だったんだと思う。

 律がそんな姿を見かねて、憂ちゃんに言った。

律「憂ちゃん、ここは梓を信じよう」

 伏せられた二つの目から涙があふれ、すぐにしゃくりあげるほどになってしまった。

律「ほら、もう夕方だしさ。これ以上暑くはなんないよ」

憂「そう…です、ね」

 涙声になりながらも憂ちゃんは頷いた。
 これ以上暑くならなければいい、心からそう願った。



198 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 22:31:48.83 ID:a7m7L0Ev0

憂「梓ちゃん、お姉ちゃんを頼んだよ」

 涙声で、でも閉じ込められた梓にも聞こえるように憂ちゃんははっきりと言った。
 非常階段のほうから見える空は赤く染まり、すでに昼間の暑さは過ぎ去っていた。
 熱気を伴って吹いてくる風も、少しだけ涼しく感じる。

 よし、あとは救急隊が来るのを待つだけだ――

 胸をなでおろそうととした時、急に非常口の誘導灯に電気が点った。
 ついで廊下の照明、エレベーターの階数表示、さらには非常階段の照明が次々と瞬き、点いていく。
 これは――停電が直ったってことなのか?



200 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 22:50:27.27 ID:a7m7L0Ev0

律「わっ……まぶし」

 どうやらエレベーターの室内照明も点いたらしい。
 不意打ちで強い光を浴びた律が目をくらませる。

澪「律、停電が直ったみたいだぞ!」

律「う……それはよかった、梓たちも暑さから解放されるのか?」

 えっ……それじゃありっちゃん、そこに居たら危ないんじゃない?
 横でムギがそう言ってたけどそんなこと気にならなかった。

憂「じゃあ……もう少ししたら救急車来るんですよね? お姉ちゃん助かるんですね!」

 憂ちゃんが泣き顔のまま、喜びの声を上げる。
 これで――唯も梓も助かる。一安心だ。あとは救急隊に任せよう。
 律も膝を折って身体を引きずるようにして、エレベーターの天井裏から這い出ようとした。

律「じゃあ梓、私はいったん澪のもとにもど

 その瞬間。
 つんざくような破裂音がした。
 とっさに身をすくめ、しゃがみこむ。
 耳を刺すような悲鳴。
 顔を上げると――エレベーターから出た下半身が痙攣を起こしていた。

澪「律?! 律、おいどうしたんだよりつうっ!!」



204 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/15(日) 23:15:25.89 ID:a7m7L0Ev0

さわ子「澪ちゃん、エレベーターから離れなさい! あんたも危ないわよ!?」

澪「えっ…えっ、どういう――」

 さわ子先生はすぐに持っていたバールをエレベーターホールに投げ捨てた。
 そして床に当たったバールが金属音を立てるよりも速く左足で律の身体を蹴りつける。
 小さな背中が扉の中から転がり出る。それからすぐに靴を持ってホールの真ん中まで引きずり出した。

紬「せ、先生?! りっちゃんに何を――」

さわ子「いいからムギちゃんも離れて! 感電するわよ」

 か…感電?
 律が? エレベーターで、感電?

梓『皆さん、いったい何があったんですか?! 答えてください!』



207 名前:誤字訂正:2010/08/15(日) 23:34:10.78 ID:a7m7L0Ev0

 扉の向こうで梓の声が聞こえる。
 でも、ムギと先生というストッパーを失ったドアは少しずつ閉まっていく。
 やがて梓の声も鉄の扉に遮られる。

憂「お…お姉ちゃんがまだ中に!」

 閉じていくドアに駆け寄ろうとする憂ちゃんをムギが捉まえ、抱きしめる。

紬「ダメ! 今行ったら憂ちゃんも危ないの」

憂「でも……おねえちゃんが、お姉ちゃんがしんじゃう! はなして!!」

紬「――憂ちゃん!!」

 乾いた音がした。
 ムギが…憂ちゃんの頬を、平手で打った。



226 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/16(月) 00:59:50.84 ID:hsE8QGEl0

紬「……ごめんね、ごめんなさい、憂ちゃん」

 ムギは憂ちゃんの頬をさすり、もう一度しっかりと抱きしめる。
 憂ちゃんのすすり泣く声がした。
 そのすぐ前ではさわ子先生の腕の中で、気を失った律が横たわっている。

澪「あっ……え、その……やだ……」

 やだ、いやだよ。
 なんでこんなことになってるの?

澪「りつぅ……りつう!」

さわ子「あっちょっと澪ちゃん落ち着いて――」

 律は目を覚ましてくれない。
 私は何度も律の身体を揺さぶる。
 律は笑ってくれない。
 誰かが律にしがみ付く私を抑えようとしている。
 律は、私の名前を――



227 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/16(月) 01:00:28.31 ID:hsE8QGEl0

澪「りつ、起きろよ、おきてよ…もうこんなのやだよ!!」

 顔が熱くなって、目に涙が溜まってくのが分かった。
 私は動かない律を抱きしめて、泣きじゃくっては祈った。
 何もできない子供みたいに、ひたすら心の中で唱えた。

 神様…。
 神様、どうかお願いです。
 律を、唯を、梓を……お助けください。
 ムギや憂ちゃんに笑顔を返してあげてください。

 神様、どうかお願いです。
 みんなをこれ以上苦しめないでください――と。



232 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/16(月) 01:27:18.18 ID:hsE8QGEl0

【2010年08月15日 18:52/Nビル構内】

 がこん。
 室内照明がついた時に浮き足立った心は、
 ついさっき天井裏でドアの閉まる音と共に叩きつけられた。
 一瞬出られそうだと思ったのに私たちはまた閉じ込められてしまう。

 とはいえぽっかり空いた通気口の分だけ、新鮮な風が届いている。
 手すりに足をかけカバンをぶつけてまでこじ開けた甲斐は確かにあった。
 通気口に携帯を掲げれば、まれにメールの送受信ぐらいならできると分かったのが大きい。
 もっとも最初に思いついたのは唯先輩だったけど、
 先輩はすぐバランスを崩してしりもちをついてしまった。

 そんな唯先輩は今、危険な状態にあった。
 顔を赤らめ、意識も定かじゃない状態で、うわごとをあえいでいる。
 熱中症で間違いなかった。
 睡眠不足も祟ったんだと思う。

 下着姿の彼女に霧吹きでミネラルウォーターを浴びせる。
 カバンから引っ張り出した教科書であおぐ。
 ……そうしていると唯先輩の口元に、わずかな笑みが生まれる気がするのだ。

 密室の熱気の中でその微かな笑みは、小さな氷菓子のように私を勇気付けてくれる。
 がんばらなきゃ。唯先輩は私が守るんだ。
 私は応急処置を続ける。



236 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/16(月) 01:52:26.42 ID:hsE8QGEl0

 発症したのは四時半を過ぎた頃だ。
 一時前辺りから急に室内が暑くなってきて、みるみる熱気に満たされていった。
 はじめ「あずにゃん室温下げてー」なんてはしゃいでいた唯先輩も、
 三時過ぎぐらいからみるみる元気をなくしていった。

 そして四時過ぎ、澪先輩へのメール送信が成功して喜んでいた矢先……急に唯先輩が倒れてしまう。
 通気口からのメール送信で頭が一杯だった私は、唯先輩の顔色の変化に気づいていなかった。
 最初の失神は数秒程度だったけれど、次第に私の言葉にも反応しなくなった。
 そうして五時を過ぎる頃には気を失ったような状態になってしまった。

 律先輩の助けが来るまで水分すらなかった。
 だから、せめてと唯先輩のシャツを脱がして下着姿にしてあおぎ続けた。
 今も膝元に、唯先輩をあおぎ続けた数Bの教科書がある。
 背表紙が指の汗で湿って破れてしまっている。

 ちなみに、スカートの方は二時ごろには脱いでいた。
 いま私が着ているのがそれだ。
 これについては……やっぱり忘れとこう。うん。
 汚れた私の下着についても、見ないことにする。



237 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/16(月) 02:11:19.17 ID:hsE8QGEl0

唯「……っ・・・・・ぃ…・・・・・・s……」

 首元にヒヤロンタオルを当てると、かすれた声で何かをつぶやいた。
 少し微笑んでいるように見える。
 もしかしたら、夢の中でアイスか何かと勘違いしたのかもしれない。
 そんな場合じゃないのにちょっとほっこりした気分にさせられてしまう。

唯「…ぁ・・・・・ん……」

 ……名前を呼んでくれてる、のかな?
 うん、そういうことにしとこう。
 夢の中にも私がいてくれたら、そんなにうれしいことはないし。


 もう十時間近く閉じ込められているから、唯先輩とはいろんな話をした。
 ギター。軽音部。勉強。好きな音楽。昔書いた将来の夢。好きな食べ物。
 聞けば聞くほど唯先輩のいろんな一面が知れて、私はますます惹かれていった。
 話せば話すだけ唯先輩は私に興味を持ってくれて、それがとても心地よかったんだ。

 たしかに、朝に屋上で唯先輩と気まずい雰囲気になったときはどうなるかとは思った。
 実際は唯先輩がすぐに不安を取り去ってくれたんだけど。



242 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/16(月) 02:33:42.28 ID:hsE8QGEl0

 いろいろ話していったら、二人で土手に行った日のことへと話がおよんだ。
 七月部活最後の日の夕方、先輩たちは次の日から夏期講習。
 ……私もあの日は変にアンニュイになってたんだと思う。

  唯『はいあずにゃん、ここで問題です!
    私がそのとき食べたアイスは次のうちなんだったでしょーかっ』

  梓『なんですかそれ!』

  唯『いち、バニラバー! に、・・・・・・えーっと、なんにしよっかな』

  梓『選択肢は考えてから出題しましょうよ?!』

 そんな、たわいもない話だったのに。

  唯『ねぇあずにゃん。……なんであの時、抱きしめてくれたの?』



244 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/16(月) 02:53:47.60 ID:hsE8QGEl0

 言えなかった。
 さすがに、本当の気持ちなんて。
 ちょっと前から憂には応援されていたけれど、律先輩の言い分ももっともだったから。

  梓『……たまには、そういう気分になったってだけですよ』

  唯『あんなに泣いたのに?』

  梓『えっと…部活が終わって先輩たちと離れるんです、そりゃ泣く子もいるんじゃないですか?』

  唯『あの日もいろんなこと話したよね。今までの日々が夢だったらどうしよう、とか』

  梓『そうでしたっけ』

  唯『あずにゃん。なにか悩みあるんだったら、遠慮なく言ってね?』

  梓『その言葉だけで十分うれしいですよ』
  
  唯『……えへへ』

 そんなの、言えるわけないですよ。
 あなたへの気持ちが、すべての悩みの原因だなんて。



248 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/16(月) 03:12:19.55 ID:hsE8QGEl0

 唯先輩の気持ちも、分かってないわけじゃなかった。
 私一人で抱えてた時はうぬぼれだと思い込ませてたけど、憂も律先輩もそうだと言ってくれた。

 律先輩は私たち二人の様子から自然と察してくれて、話を聞いてくれた。
 律先輩が知ってるぐらいだから、澪先輩も考えていてくれたんだと思う。
 そして私の唯先輩への想いを全部聞いてくれて、けれども律先輩はこんな話をした。

  律『やめといた方がいいって。梓たちのためを思って、とか私にえらそうなこと言えないけどさ』

  梓『そんな……女性が女性を愛することって、そんなにおかしいんですか?!』

  律『おかしくねーよ。私は、唯とお前ならすごくお似合いだと思う』

  梓『でも、じゃあなんでですか!』

  律『……昔話、していい?』



250 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/16(月) 03:30:18.61 ID:hsE8QGEl0

  律『澪って昔っから人付き合い苦手じゃん?
    小学校のときとかクラスにあんまなじめてなかったわけよ』

  梓『やっぱり澪先輩の話なんですね』

  律『うるせー、昔話って言った時点で覚悟しとけ。
    んで澪のやつ、友達になりたての頃とか二年ぐらい私にべったりで』

  梓『うわあ……のろけ話ですか』

  律『なっ…ちげーっての!』

 あの頃の澪かわいかったなー、なんて遠くを見つめて言う律先輩が素直にうらやましかった。
 自然に友達と喋れるようになったのはここ最近だから、幼なじみってほどの友達もいないし。

  律『でもべったり過ぎてからかわれたりしたんだよね』

  梓『へぇ。それで助けてあげたみたいな、ちょっといい話系ですか?』

  律『あっそっち聞きたいー? じゃあ私がクラスの男子三人をまとめて――』

  梓『いや結構です』

  律『ちぇ、つれねーなぁ梓は。 ……でさ、からかわれてたんだよ』

  梓『なんてですか?』

  律『あきやまみおはネクラなレズ女だって』



285 名前:訂正しとく:2010/08/16(月) 12:41:22.64 ID:hsE8QGEl0

 思わず、コップに残っていたラムネをいきおいで飲み干した。
 冷たい気泡で胸の奥のくすぶりを洗い流そうとしたのかもしれない。

  律『いやー、小学生って残酷だよなー。言葉の意味もよく知らないで、平気で人にレッテル貼る生き物だもん』

  梓『それは……そうですけど。でもその話がしたかっただけなら、もっと短くまとめてくださいよ』

  律『じゃあまとめる。誰だって知らない相手のことなんか、レッテルしか見ないってことだよ』

  梓『……それぐらい知ってます』

  律『あと、澪はその時に「友達やめよう」って言ってきた』

  梓『えっ……なんでですか?』

  律『いっしょにいるとりっちゃんまでいじめられるから、だーってさ』

 一緒にいると、唯先輩まで。
 ……ただの昔話として受け取ることは、どうしてもできなかった。

  律『友達が梓を見る目も変わるだろうし、唯だって同じだ。』

  梓『……私は、別にいいですけど』

 でもその苦しみに自分たちを置くのは、まだ早いと思う。
 そう言って律先輩は話を切り上げた。
 私は何か反論しようとしたけれど、結局できなかった。
 律先輩を説き伏せたって、世間の何一つ変わらないことも知っていたから。



319 名前:今度こそ訂正・・・。(>>277):2010/08/16(月) 16:48:53.58 ID:hsE8QGEl0

 律先輩と話した日の夜、自分の気持ちを抑え込もうと決めた。
 でも次の日――土手で唯先輩と話したときに一度気持ちが爆発した。
 部活が終わったら会えなくなる。
 卒業したら会えなくなる。
 私は唯先輩の中で思い出の人になって、過去に押し込められて、やがて忘れてゆく人になる。
 そう思ったら……たまらなくなって、思わず逃がさないようにと抱きしめてしまった。
 腕の中に、閉じ込めてしまった。

 あの日の夜は唯先輩が家まで送ってくれた。
 本当はすぐ別れようとしたのに唯先輩は最後まで私のそばから離れてくれなかった。
 やわらかく手を握られて、いとおしさがこみ上げて、私もからめた指を引き剥がせなくて。
 冷え切らない夕方の空気に時々吹く風が心地よくて、
 なんとなくぎゅって握ったら握り返してくれて、
 内緒でほんの少しだけ歩くスピードを落としていたのは、気づかれていたのかな。

 家に着いても、私が玄関を開けて入るまで手を振っていてくれた。
 すぐに自分の部屋から憂にメールで助けを求めたのを覚えてる。

 後にエレベーターの中で先輩は言った。

  唯『だって…あんな顔されたら、あずにゃんを見捨てられないよ』

  梓『…私ってもしかして、顔に出やすいですか?』

  唯『わかるよぉ、あずにゃんのことだもん!』

 昔から「中野さんは考えてることが分からない」
 って言われてきた私にとって、それはみずみずしい驚きだった。
 
 前に学校で純から言われた「梓って変わったよね」
 って言葉も、実際はそういう意味なのかもしれない。



278 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/16(月) 11:25:34.88 ID:hsE8QGEl0

 次の日すぐ、憂は時間を作って私の家に駆けつけてくれた。
 それから唯先輩についていろんな話をした。
 まじめにやってくれないとか。つかみどころがないとか。
 すごいのかすごくないのかわからないとか。
 抱きしめてくるのがはずかしいとか。それでも唯先輩のことばかり考えてしまうとか。

 そしたら憂にも「本当に好きなんだね」って笑われてしまった。
 ……唯先輩のことだったら、人のこといえないと思うんだけどな。

 気持ちを押さえ込むことに決めた、そのことも憂に話した。
 本当は憂からも諦めるきっかけの言葉が欲しかったから。
 もし唯先輩のことを誰よりも見ている憂が、
 唯先輩から私への気持ちを教えてくれたら、すっぱり諦められるかもしれない。
 嘘でもいいからそんな言葉を聞こうとした。

 でも憂は、そんな私のことを応援してくれた。

  憂『これから先、ほんとに付き合ったらいっぱい傷つくと思うよ。
    相手が男の人だったとしても変わらないけど』

  梓『うん、わかってる。付き合うってそういうことだよ』

  憂『それでも、お姉ちゃんと付き合っていけるなら……
    私は梓ちゃんに、お姉ちゃんを幸せにして欲しいって思うな』

  梓『私に、できるのかな?』

  憂『梓ちゃんならできるよ。だってお姉ちゃん、梓ちゃんにそうされたがってるもん』

 憂は笑って応援してくれた。
 自分の気持ちは一言も言わずに、ただ私の背中を押してくれた。
 だからせめて――諦めるとしたって、気持ちだけは伝えようとしたのだ。



279 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/16(月) 11:38:37.83 ID:hsE8QGEl0

 どこでもいい。
 短い時間でもいい。
 唯先輩とふたりっきりになれる場所で、気持ちを伝えよう。
 そう思って、二人で会う約束をつけた。
 勉強の気晴らしに、憂のお願いで……そんな言い訳をたくさん用意してたのに、
 唯先輩はすぐ私たちの約束を「デート」と名づけてしまった。

 あの時、唯先輩が日の出の街を見たいなんて言わなければ。
 私がこんなところを選ばなければ。
 地震が起きたりしなければ。

 ……私たちは、普通に別れてしまえたんだろうか?


 膝に横たわる唯先輩に目を落とす。
 水分補給や応急処置のおかげで少しは苦しそうな表情も薄れたようだった。
 なんとなく唯先輩の汗に濡れた髪をなでてみる。
 抱きしめたい衝動に駆られて、思わず手を離す。
 そろそろ助けが来るだろう。そしたら何とかなるはずだ。

 もちろん、こんな目には二度と遭いたくない。
 けれども同時に一日じゅう唯先輩と過ごして、打ち解けあえた日でもあった。

「このまま出られなくてもいい、二人だけの世界に閉じこもっていたい」
 唯先輩が倒れるまで、私は何度もそんなことを考えてしまっていた。
 どこまで本気か分からないけれど、唯先輩もアイスとギー太と私がいればいいなんて言ってたっけ。

 だから熱中症は神様から私たちへの罰だったのかもしれない。
 あるいは、警告。
 二人きりの世界にいたら、熱にやられてしまうとか、そんなような。



282 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/16(月) 12:05:07.54 ID:hsE8QGEl0

梓「ゆいせんぱい、おみずのみましょうか」

唯「・・・ぅ・・・・…・・ぁ・・……」

 ポカリスエットのキャップを外して、唯先輩の頭を少し上に向ける。
 ペットボトルが結露と汗で濡れていて滑り落としてしまいそうになる。
 口元とあごに指を添えて、やわらかい下唇を人差し指で開く。
 そして半透明な水を、喉につまらないよう少しずつ少しずつ流しこんでゆく。

 口の中に冷たい水が注がれた時、唯先輩のまぶたがぴくっと動く。
 ほんの少し眉をしかめ、それから元のように力をなくした。
 私は一瞬手を止めたけれどまた少しずつ水分を唯先輩に注いでいった。

 この水がどうにか内側から身体中に行き届いてほしい。
 そうしたら熱にやられた唯先輩を、身体の奥から冷やしていってくれるだろう。
 少しずつ少しずつ、口からあふれないように。
 ゆっくりと喉を鳴らすのにあわせて、いたわるようにこの水を身体に入れていく。

梓「…ゆいせんぱい」

唯「……・・・・…」

梓「…あいしています」

 小さく音を立てて喉が少し膨らみ、水が飲み込まれていく。

梓「いっしょに、外に出ましょうね」

 閉じられたまぶたが少しだけ細められた、そんな風に見えた。




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唯「あずにゃん、エレベーター動かない…」#中編
[ 2011/11/26 17:31 ] 非日常系 | | CM(0)

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