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唯「私たちの歌を、聴いてください!」#8 【ホラー】


唯「私たちの歌を、聴いてください!」




管理人:読みにくいと感じたので、改行させて頂きました。ご了承下さい。
     また、人によっては不快になる可能性があります。
     閲覧にご注意下さい。

     元URL: http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi?bbs=news4gep&key=1288675992&ls=50






200名前:◆D8R1/Af/eU:2010/11/03(水)17:50:04.77 ID:M/Z8WKMo

八曲目。人によっては耳を閉じたほうがよさそうです。



201名前:◆D8R1/Af/eU:2010/11/03(水)17:53:30.81 ID:M/Z8WKMo

 もうすぐクリスマス。その先に少し距離をあけてお正月がある。
二つの記念日を間近に控えて、田井中律は自室の机の上で筆ペンを握っている。
ひじをつき、ペンの尻をおでこにあてて唸っている。時刻はおよそ十時。

学生であれば、模範的なものは予習復習をし、そうでないものはそうでないなりの趣味や私事に走る時間帯。
しかし彼女は自分のためでも自分の成績のためでもないことに挑み続けている。

 ふと彼女は親友である秋山澪との最初の出会いを思い出す。衝撃的なことはなにもない。
ただ小学校のクラス別けで同じ組になり自己紹介をしたこと。
もしかしたら入学式に少し話したりしていたかもしれないし、
それ以前にご近所同士のお付き合いで一緒に遊んだことがあるのかもしれない。
しかし明確な記憶の再来はいつまでも訪れない。

気がつけば側にいるようになっていて、友達ということで今まで続いている。
そのことを書こうかと律は頭を悩ませるが、結局書こうというまでには至らない。
筆ペンは相変わらず定位置であるでこの先にある。

 それからいくつかの記憶がシャボン玉のように浮かんでくる。
ゆっくり考えれば大きな事柄で、すばやく考えれば小さな事柄がたくさん浮かんでくる。
その中に幼馴染みとしての軌跡を辿っていく。また律はそれらを書こうかどうか迷う。
しかし意識は記憶を掘り起こすことが癖になってしまっている。

一時的に、頭の中で、二人だけのアルバムが徐々に完成していく。
二人が高校に入った辺りでやっと回顧作業は中断される。

 律は携帯を取り出してメールをする。
手短かな要件と顔文字を一つつけて送信する。すぐに返信がくる。
凡庸的な応援メッセージにため息をつく。携帯を折りたたんだでベッドのほうに放ってしまう。
また机の中心に視線を固定する。

書けそうな数行だけ試しに書いてみるより、真白な紙を中途半端に汚してしまうことに罪悪感を覚える。
こういったものは自分には向いていないようだと結論を出す。

 律はベッドに勢いよく倒れこむ。また携帯を開けてみる。そこにはまだ彼女宛てに送られてきたメールの本文
が残っている。メールの送り主である名前を示す文字列を睨む。依頼主の名前が本当にその人物であることを再
認し、なんだか気怠い気持ちに襲われる。



 夜中の執筆はまだ幾日か続く。
とうとう第一筆は二日目の夜に決行される。そして当然のように数秒経って書き直したい衝動に駆られる。

試しにいらない紙切れに田んぼの田を書き、消しゴムでこすってみる。
そこだけ堤防が消滅した川のようになってしまう。また消しゴムのほうにも黒いインクがついてしまい、憂鬱な気分になる。

このまま次に使うと消しゴムが黒線伸ばしゴムになってしまうので、親指で強引に消しかすを出してやる。
三回擦ってから、今度は思い立ったようにでこに擦りつけてみる。
一回で摩擦というものを体感する。やはり親指に対処を任せたほうがよさそうだと思い改める。



 一度筆をおろすと、やけくそが手伝ってか効率は徐々に上がっていく。その分だけとりとめの無さは増える。
見直せば重複しているところを見つけることができただろう。しかし律はそれをしない。
筆ペンで書いたものは消せないのだし、本気で消去するつもりなら紙ごと捨てなければならない。
努力が無駄に終わるというものを律は好まない。

だいたい一枚目を書き終えたのが三日目の夜で、二枚目もその日のうちに完成する。


 そうやって誰が特をするのか頭を悩ませるような作業が続く。しかし依頼主は確かに存在する。
律がメールを送るとだいたい十分以内に返信がある。
逆にメールをしないと、さて寝ようとかという時に向こうから送られてくる。
一日一通。

その正確さが捻じれる気配はない。

監視されているみたいだと律は思い、全くその通りだと断定したのが、だいたい五日目の夜になる。

 執筆ペースは尻上がりの逆放物線を唐突に逸脱する。
こんなことをしてなにになるという自暴自棄に似たどうでもよさが膨らんでくる。

六日目の夜。
いよいよ律はもう無理だとメールを打つ。依頼主は本当に無理なのかと念を押して訊いてくる。
律は正直に疲れたし飽きたんだと告白する。依頼主はしぶしぶといった感じで了承する。


六日目の夜、金曜日。



202名前:◆D8R1/Af/eU:2010/11/03(水)17:55:09.64 ID:M/Z8WKMo

 学校での依頼主の態度はまったく変わらない。
ひょっとしたら頼んだ本人がそのことを忘れているのではないかと思ってしまうほどだ。
律一人だけが不毛な悩みを勝手に抱えているようにみえる。
絶対に他言しないようにと頼まれていて、律は友達との約束をかたくなに守る。
そのせいか体の芯が鈍くなっているような気がする。
ストレスが徐々に溜まってきているのだろうか。

七日目。

昼休みを利用して例の人物を誰もいない音楽準備室に連れ込む。

「あのさ」と律は言う。

「昨日メールでも伝えたけど、これ以上は書けないと思う」

 彼女は少し黙っている。
それから分かりやすく残念という顔をする。

「そっかぁ。もう無理?」

「うん。もう無理だわ」

「どれくらいの量になった?」

「ルーズリーフ五枚くらいかな」

「以外と少ないね」と彼女は以外そうに言う。

「だって、こういうの書いたのはじめてだったし」

「ふーん」と彼女は言う。「私もまだ書いたことはないよ」


 律は、彼女が彼女の幼馴染みとの馴れ初めを書き綴っている姿を想像する。
少なくとも自分よりは似合うのではないかと思う。
かなり早いペースで書き続けられるだろう。しかし文章は乱雑とした内容であることも予想できる。

「それで」と律は会話を再開させる。「なんでこんなの書いて欲しかったんだ?」

 彼女はまた少し黙る。「理由言ったほうがいい?」

「あ、いや別に」と律は思わず否定してしまう。

 時計の針が残された時間を削っていく。

「ちなみに、今日そのルーズリーフは持ってきてる?」と彼女が訊く。

「いんや。まだ家に置いたままだけど」と律は答える。

「じゃあじゃあ、明日土曜日だからうちに来ない?」

「あの紙を持ってか?」

「そう」

「うーん」と律は唸る。「でもクリスマスイブイブだし、迷惑にならないかな」

「そんなことないよ!」と彼女は迫真に主張する。「おいしいお昼ごはん作って待ってるから」

「それは翌日の、クリスマス会のために控えといてもいいと思うぞ」

「大丈夫。憂が色々と用意してくれるから」


 放課後の部活は、日曜日のクリスマス会への出席とプレゼント交換の確認に、茶と菓子を堪能するくらいしかすることがない。
学祭は少し前に終わり、今日で二学期の授業が終わっている。
律は土曜日に彼女の家に遊びにいくという旨をここで話題に出そうか迷う。
しかし結局話さないまま下校のチャイムが鳴ってしまう。


 土曜日。律は平沢家に暖かく出迎えられる。
チャイムを押すと姉妹揃って玄関までやってくる。時刻は十二時少し前。

二階のリビングに上がると、既に食卓テーブルには三人分の食器が並んでいる。
ちょうどお腹も減っていたので、早速ご馳走になることにする。


 平沢家の食事は、なにか秘密にしている万能の旨み薬を使っているのではないかと勘ぐりたくなるほどだ。
ちょっとしたデパートの上階にあるレストラン街にそのまま店を構えてもおかしくはない。
目の前には平沢姉妹が並んで座っていて、おいしいおいしいと食べる律のほうを見ている。
食事をする律の姿をつまみにものを食べているといった感じを受ける。
腹八分目となったあたりで、ようやく食への欲求が先細っていく。

「お父さんとお母さんは?」と律が訊く。

「いないよ」と平沢唯は答える。
「うちの両親仲いいから、二人でドイツに行くって部室でも言ったよ。もうとっくに向こうに着いてると思う」


 食事が済むと、手早く憂がテーブルの上を片していく。テーブルの空白が増えてどこか物足りなくなる。
唯がふんすと鼻の穴を膨らませてなにかを待っているので、仕方なく例のルーズリーフを取り出してやる。
きっと手に取るなり夢中で読み始めるのだろうと思っていたら、本当にその通りになる。
唯はうんうんと誰かに相づちを打ちながら熱心に字を追っている。心を覗かれているみたいで羞恥がこみあげる。

頭のしんがぼやけて広がっていくのを感じる。
まさか明日のクリスマス会で使おうと思ってるんじゃないだろうな、と問おうとしたけれど、
何故か呂律がまわらない。靄がかかっていく視界の端に、唯の満面の笑みがうつる。



203名前:◆D8R1/Af/eU:2010/11/03(水)18:00:11.65 ID:M/Z8WKMo

 寒気と熱気に律は目を覚ます。まだ頭のしんのほうはうまく再構成されていない。
なんとなくここが唯の部屋であるということが分かる。
それから今日はクリスマスイブイブで平沢家でお邪魔になっていたことを思い出す。
招かれてすぐに昼食をとり、そのまま眠ってしまっていたのだ。

熱気の正体はストーブ。異様に近い距離にある。
体の全面だけぬるいバーナーであぶられ続けたように肌がちりちりする。
寒気の正体は、丸裸になっていることからきている。


 律はのっそりと起き上がり周囲を見渡す。間違いなくここは唯の部屋だ。
なにせ部屋主が、ベッドの上からこちらを見下ろしているのだから。

律は直感で狂気を悟る。

筆ペンを片手に控えた唯は、爛々と目を輝かせてこちらを凝視している。

「なあ。これは……」と律は言い続けたかったが、途中で断念される。
体を唯のほうに向けながら言ったのだが、その途中でみっともなく床に転がってしまう。
足の自由がきかないからか? いや、手の自由もきいていない。
冷たい拘束を感じることができる。

「りっちゃんはこれっぽっちしか澪ちゃんのことについて書けないの?」と唯が言う。
右手に筆ペンを持ち、左手に一組の幼馴染みの軌跡がある。
「こんなんじゃダメダメだね」と唯はその紙に大きくバツ印を上書きする。


 律はなにか言うべきか迷ったが、浮かんでくるどんな言葉もこの場には不適切であるような気分になる。
喉が詰まり、反対に顎は震えてきている。裸であることも影響しているのかもしれない。
今までに見てきた彼女のどんなイメージにも当てはまらない姿を目の当たりにしている。
これは夢なんじゃないかと考えていたら、くしゃみにそれを否定されてしまう

「ねえ。私は、なにを書いてきて欲しいってお願いしたんだっけ」と唯は言う。


 律はどうにか声帯を広げてから答える。「澪との思い出に、その時の感情とかそういう感じの」

「それがたったのルーズリーフ五枚? ふざけてるの? 小学校の時からの付き合いなんでしょ? もっと他に
も色々書くこと書けることなかったの?」


 質問のマシンガンが続く。

その全てが律を、薄情者と罵る意味合いを含んでいるように聞こえる。
黙って聞いているうちに、ふつふつと心の奥から熱い感情が沸きたってくる。
例えば自分が、もっと澪を大切にしている気持ちがあるにしても、それを全て現実にさらけ出すのは間違っているはずだ。
「んなもん人の勝手だろ!」と律は大雑把にひとまとめに言う。


 唯は大声に驚いて一瞬だけ黙る。
「私ならもっともっと書けるよ。りっちゃんの肌全てを下地にしてもまだ足りないくらい」


 唯が筆ペンの先を向け身を乗り出してきている。
こいつは、人の体を紙替わりに同じことをやろうとしている。
律は咄嗟に、思い出したように胸と股を隠す。
きつい体育座りをしながら神様にお祈りしている風になる。
体躯としてそう大差ないはずの唯が、とてつもない巨人となってのしかかってくるのを感じる。


 唯が一筆目を脛からはじめる。律は反射的に目を瞑ってしまう。
くすぐったくはないが、掻いてしまいたくなる。
縦に二行目が書かれようというとき、律はゆっくりと目を開ける。
逆文字になっていて読みづらいが『はじめて澪ちゃんを見たのは入学式のとき』と書かれている。
それからすぐ横に『大きな吸い込まれそうな瞳だった』と続けられるのを目で追う。
また横に、また横に、彼女が抱いた秋山澪という人間の身体的特徴を一つづつ丁寧に書き込んでいく。

筆先が踊っている。

唯の目はスイーツを前にするより輝いている。
彼女の狂気が黒いインクから血液に染み、全身に行き渡っていくような錯覚に陥ってしまう。


 唯が太ももの裏に筆を進めようと、足首を掴んで引っ張ってくる。
律はたまらず力を入れて振り払う。くるぶしに鉄環が擦れてひりひりする。
しかし唯は臆さない。もう一度律の足首を掴みにかかってくる。

「いい加減に!」と律は振り払う。

「しろって!」と唯の右肩めがけて両足で蹴りを入れる。
反動で背中がストーブにぶつかりそうになるが、なんとか堪える。


 ベッドの手前までよろよろと飛んだ唯はどこか呆然としている。
それから時間をかけてゆっくりと立ち上がる。
表情のなかに固いものが含まれるようになる。
大股一歩で律の目前に立塞がると、無造作に右足を振り上げる。



204名前:◆D8R1/Af/eU:2010/11/03(水)18:01:21.09 ID:M/Z8WKMo

 律は後方へ足蹴にされる。ダン、ジュッという音が耳に飛び込んでくる。
同時に、肩甲骨から首にかけて刺すような痛みを感じる。

律は短く「あ゛!」と叫び、転がるようにその場を脱しようとする。
右に体を捻ったとき、右頬が一瞬熱棒に触れてしまう。どうにか熱源から離れることに成功する。
しかし体は別の熱いものを手に入れたように滾って強ばっている。
どうして最新式のものを使わないんだ、などと律は、相応しくないところに文句をつけたくなる。


 唯はストーブを起こしてから律の体を抱き起こす。
「りっちゃんのためを思って置いといたのに」と耳打ちされる。
それは裸にしたことへの対処だろうか。
懲罰としての戯具だろうか。
判別をつける前に、考えはどこかに消え去ってしまう。


 律はすっかり弱気になる。両肩の間が、今も燃え続けているように思える。
耳をすませばジクジクと膿んでいく音が聞こえるかもしれない。
反面それ以外の皮膚は、細胞が活動をやめてしまったように固くなっている。
筆先を甘んじて受け止め続ける。


 片足がほとんど文字で埋め尽くされるまでそう時間はかからない。
唯は疲れというものを知らないように書き続けている。
踵をあげられ、足の裏が地面から離れる。
唯は親指の先から小指の先まで丹念に文章を繋げ続ける。

足の裏は律にとってくすぐったさが最も露呈する場所である。
にも関わらず、身を捩ったり暴れたり高い声をあげたくはならない。
それはどこか自分の倫理的な面が打ち壊されつつある不安に変換される。
犯されている、という言葉がはじめて脳裏を掠める。


 両足の白と黒の比が一対一になる頃、唯は満足して顔を上げる。
そして次の満足を満たそうと上半身へ迫ってくる。
律ははじめ嫌がるが、肩を掴まれ少しづつ押されていく中でしぶしぶ承諾する。
足を伸ばしてバンザイの状態になり、前面の全てを唯の前に提供する。
救いがあるとすれば、彼女は友達の女性としてのシンボルにさして興味を示さないことだ。
右の肩から左の肩へ、流れるように筆先を滑らせていく。


 ふと律は一つのチャンスに気がつく。
唯は相変わらず一つのことしか頭にないようで、律自身の動作については無関心である。
およそ字にならないほどの震えでなければ許容するといった感じだ。
今彼女は律の胴体に夢中になっていて、上方に意識を向けているようには見えない。

この金属の手錠を彼女めがけて振り下ろしたらどうなるだろう。
律の手首は悲鳴をあげるはずだが、頭で受け止める痛さには遠く及ばないだろう。
突然の痛みに彼女の頭は混乱するに違いない。
そこで思い切り張り倒し、仰向けにさせ、のしかかってマウントポジションを取る。
それから手錠の鎖を彼女の首筋にあてがって降参させる。
記憶のどこかで似たような映画のワンシーンが上映される。


 しかし想起したタイミングが悪ことに気づく。筆先はもう律の胸の上にまで迫ってきている。
左から右へ、二つの丘を昇り降りしはじめている。これでは力が入らない。
仕方なくやり過ごしてしまうしかない。
文字列の起伏の差がどんどん広まっていく、が早々に山頂を迎えてしまう。

律は息を止めてぐっと目を瞑る。
胸先だけの感覚が、ぴりぴりと体の芯に伝っていくのを感じる。
呼吸器全般が結束して圧力をかけてきている。
はあと思い切り息を吐けたら、どんなに楽になれるだろうと思う。

それが二回続く。
我慢に我慢した律の顔は酸欠で赤くなっている。
ひあ、と擦れた空気をついに吐き出してしまう。
唯の手が一瞬だけ止まる。しかしすぐに続きに集中する。


 律はとうとう覚悟を決める。
彼女の頭部を見据えて何度かシミュレーションをする。
友達に暴力を振るうのは良心が痛むけれど、元はと言えば向こうから仕掛けてきたのだ。
躊躇する必要はない、と何度か言い聞かせる。

唯はへその辺りで『部室での普段の澪ちゃんは』というくだりに差しかかっている。
鼓動が高まり、アドレナリンが放出する。感づかれないようにひっそりと決意を固める。

こんなことは間違っている。
正直言って気持ち悪い。
吐き気がする。

ありたっけの負の感情と共に、律は正義の鉄拳を振り下ろす。



205名前:◆D8R1/Af/eU:2010/11/03(水)18:02:00.82 ID:M/Z8WKMo

 しかし何故か急停止する。
なにかがおかしい。
決意は確かに揺らいでいないし、これほど力を込めているというのに。
クレーンが鉄骨を吊るように、徐々に徐々に、両腕が意志に反して上昇していってしまう。
手首に冷たい鉄が食い込んでくる。やっと律は気づく。
ストーブの熱気に隠れるように、背後に誰かが立っているのだ。

そして手錠のチェーンを握り締めると上方にきりきりと締め上げている。
認識した途端にその存在は強大なものに変わる。
目下の唯はなんくるないといった様子で作業に没頭している。
律は、もはや逃れられないという運命を認めはじめる。


 まさかとは思ったけれど、急所の入り口を広げられなくて心底安心する。
そうこうしている間に、もう腕にまで文字の侵略を許している。
表面的に見れば半分以上の行程を終えている。

律は、もうひと踏ん張りだという妥協と、できるなら突っぱねたいという強がりに挟まれる。
顔を逸らしても、目を閉じても、触感が否応なく反応してしまう。

「こんなことしてなにになるんだ?」と律は言う。声が微妙に上ずっている。
言った後で、久しぶりに意思疎通を計ったことに気づく。

「私のためになる」と唯は言う。「りっちゃんには悪いと思ってるけど」


 彼女が罪悪感を持っていることに驚く。
それから、彼女が罪悪感なんて捨てていると思っていた自分にも驚く。
これはもしかすると説得することができるかもしれない。

かすかな希望が見えてくる。

律は慎重に言葉を選んでいく。
「今こんなことになってるって知ったら、澪は悲しむと思う」


 唯の動きがまた一瞬止める。しかしすぐに続ける。
「一方的な感情は誰だって持ってるよ。相思相愛だけが全てじゃない」

「それでも、唯は澪が悲しんでる姿なんて見たくないだろう?」と律は優しく言う。

「悲しい思いをしても、後が楽しければたぶん問題ない」

「後が楽しい?」と律は声を大きくして聞き返す。
「あいつの幼馴染みを十年近くやってきた私が言うけど、それは絶対に有り得ない。自慢じゃないけど、
 たまにひどいことしてるけど、私がひどい目に合えば本気で心配してくれるような奴だから」

「だからさ」と唯も負けじと強く言う。「その後でなんとかすれば問題ないんだよ」

「どうやって?」

 唯は黙る。それから小さく言う。「教えない」


 説得は唐突に打ち切られる。
短い言葉で呼びかけてみても、唯は反応しない。

『合宿のときの澪ちゃんは』という話に差しかかっている。
人の体は使うくせに、声にはてんで興味を示さなくなる。
このペースで書き続けて、果たして残りのスペースで書ききれるのだろうかという疑問が湧いてくる。
不意に唯のことが可哀想な子だと思えてくる。なにをもってこんな行為をしているのか。

おそらく常人の考え方でないことは確かだ。
これが母性の一種なのか、という考えた頭をもたげたところで、律はぶんぶんとその考えを振り払う。


 唯は律にうつ伏せになるように促す。
カーペットだが、平らな冷たさが全身に伝わってくる。
むしろ熱を奪い取られているように感じる。
前は冷気、後ろは熱気という異様な状態に長く置かれながら、
それでも体は芯は火照っているというのはなんとも不思議だ。


 刺すようだった痛みは、染み入る痛みに姿を変えてくる。
火傷を負っているだろう部分でも、
それこそ少しシミてるけど問題ないといった調子で、唯は筆ペンの先を押し付ける。

律はうつ伏せになって両腕を前に出している。
上から見れば体は一本の線のようになっているだろう。
目を開けていると、否応にも二の腕から先の呪詛のような恋文を見ることになってしまう。

そんなものを見続けていたいはずもない。
律はやっかいな様々な現状から逃れようと、なにか別のベクトルで考えていられればと思う。


 耳なし芳一という言葉が浮かんでくる。
法師の芳一は悪霊から身を守るために全身に般若心経を書かされるが、
うっかり耳だけ書き忘れられてしまい、結局その悪霊に耳を持っていかれてしまうという話である。
このお話しに一体どんな教訓や開示が込められているのか、律にとってはそれこそどうでもいいことになる。
ただ全身にお経を書かれるのはいい気持ちでなかったろうなということだけだ。

想像上のお話しに共感者を求めるのは、なんとも滑稽である。
染みるような痛みは消えかかっている。
後は腰と上尻と、顔さえ許せば終わるのだといった安心がこみ上げてくる。



206名前:◆D8R1/Af/eU:2010/11/03(水)18:03:07.85 ID:M/Z8WKMo

 唯は無言でいる。律も無言でいる。
うつ伏せから起き上がる時に背後を盗み見たが、他には誰もいない。
さきほどの殺意にも似た存在感はどこかに消えてしまっている。
作業効率は滞りなく一定を保ち続ける。

一体こいつは疲れを知らないのだろうか、という疑問はとうに出尽くしている。
はじめのほうは、唯がどの思い出を書き写しているのかちらちらち確認していたが、
今はさっぱりそんな気持ちは無くなっている。

しばらくは文字という文字を見ないで数日を過ごしたいと思うようになっている。
日本語でなくても、英語しかり中国語しかりアラビア語しかり。

「りっちゃん目え閉じて」といきなり唯が言う。
律はどきりとしてその通りにする。


 まぶたの上にもなにかが書かれていくのを感じる。
律は一つのシーンを思い出す。
新入生の中野梓が入部した日のこと。

せっかくだから記念撮影をと五人で撮った写真がある。
それはちょっとしたお遊びを含むものだ。
梓を除く四人が瞼を閉じ、マジックで書いた第三の目を出して写るという趣向のもの。

誰が言い出したのかは定かではないが、確かに律の瞼の上に目を書き入れたのは唯だ。
あの時も、今みたいに気軽に話しかけられてのことだ。
だが、状況とはまるで違っている。
確かに一つの共通点があるが、それは全く別物であると信じたい律がいる。

つまり今の唯とあの時の唯は別人である。
それほどまでに律は固く目を閉じ、今この時を否定したい衝動に駆られる。

「埋まったー!」と唯は明るく言う。

 律はゆっくりと瞼を上げる。「終わった、のか?」

「そうだよりっちゃん。これはかなりの傑作だよ」

「そうか」と律は言う。

全身が弛緩していく。
妙な達成感が沸いてきて、たまらなく嫌な気持ちになる。


 唯が背後からなにかを運んでくる。

気を利かせてストーブを前にしてくれるのだろうか。

いや、違う。

それは勘違いだと次の瞬間知ることになる。
全身すっぽり映るだろう立ち鏡が律の目の前に置かれようとしている。
おまけに角度を調整できるタイプのものだ。
律は反射的に顔を逸らしたが、最悪の光景を数瞬目にしてしまう。


 まるでゴキブリにたかられているみたいだ。
まるで無数の黒い粒が律の動きに合わせて進軍してきているようだ。
顔を逸らした先にはギターがあったが、そんなものはまるで目に止まらない。
頭の中で、ほんの数分の一秒だけ見えてしまったものが、絶え間なく誇張を続けている。

律は嗚咽を覚えて両手を口で塞いでしまう。
胃がおかしな方向に暴れようとする。
唾液が隙間から垂れて手錠にまで付着する。
吐いてしまいたい気持ちを必死に抑えつける。
素直に吐けばいいじゃないかと誰かが耳打ちする。

しかしどうにか堪える。
それは一言でいえば自尊心なのかもしれないが、本当のところは律自身にも分からない。
ただ体も思考もぐちゃぐちゃにされつつあるという不快感が止まらない。


 唯が今度は手鏡を持って迫ってくる。
そして俯いたままの律に上から被さると、生え際の辺りを確認してなにやら「んー」と唸っている。
律は薄目をあけて鏡越しに唯の顔をちらちら見ている。
十分根元まで書けきっているじゃないかと、視線に訴えを込める。

それと同時に、梓はいつもこんな風に抱きしめられているのかと、ふと思ってしまう。
でこに書かれている文字が目に入ってしまう。
『学園祭のときの澪ちゃんは』という辺りで文字が切れている。

「でも」と唯が言う。「まだまだ全然書き足りないなぁ」


 律の全身に怖気が走る。
記された文字たちが意志を持って動き出そうとする錯覚に陥る。
唯の手が律の後頭部に添えられる。
全ての動作がスローモーションのように感じられる中で、
思考だけが回転速度をあげているのが分かる。

これからなにをされるのか。
思いついていくものは悲しい結末ばかりだ。

「やめろ! もうやめてくれ!」と律は叫ぶ。


 律は力の限り抱擁から脱する。
いもむしみたいなほふく前進で、
できるだけ唯から遠いところに行ってしまいたいと切に願う。

カーペットとの摩擦をじかに感じる。
ベッドをなんとか這い上がる。
すぐに部屋の角にぶつかってしまう。

勢いで平沢チキンを人質にとってその場にうずくまる。
もう何も考えられず、ひたすら平沢チキンを顔に押し当てて涙がでないようにする。



207名前:◆D8R1/Af/eU:2010/11/03(水)18:03:49.97 ID:M/Z8WKMo

 少しの沈黙。ガチャとドアが開く音がする。
今度は気配[ピーーー]必要はないらしい。
唯が「よろしくね」と言うと、おそらく唯ではないもう一人が律に無遠慮にのしかかる。
大切なカチューシャを外される。

首筋に片手が添えられ、もう片方の手がいちょう色の髪の毛をぶぢぶぢと引き抜いていく。
律はひたすら痛みに耐え続ける。
何も考えず、何も憂いず、ただ被害者としての役割を真っ当に引き受ける。
涙が出ているのかいないのか、それすら分からないくらいになっている。
いつしか平地になった頭皮に冷たい文字が走っていく。


 次の瞬間、律は股間に蛇が這ってくるような感覚に苛まれる。
その蛇は残されたままの陰毛にかぶりつき、飲み込んでしまおうと引き千切る。

律は陰核を噛まれたみたいに叫ぶ。
これは生理現象みたいなものだ。
一束ちぎられるたびに一叫する。
股関節から深腹筋が正常に機能しなくなっていくのを感じる。


 律の体が優しく横に倒される。仰向けになる。
もう目を閉じ続けていく気力がない。唯はなんの気概もなさそうに、律の膣に筆を進める。
それからメインディッシュといったように黄色いカチューシャを手にとる。


 あれには澪との大切な思い出があるのだと、言おうとしたが言葉にはなってくれない。
はじめて律のことをポジティブに言ってくれたのがカチューシャのことだ。
それ以来ほとんど毎日つけ続けている。

そんな、律と澪を繋ぐ最後の砦まで毒されようとしている。
唯はつるつるしたプラスティックの表面に挑むが、早々にこれは無理だと断念してしまう。
助かったと律は思った。

しかし甘かった。
唯は半ばやけくそになったように黄色い部分を黒で塗りつぶしはじめる。
ぼやけてきた視界の中で、真っ黒になったカチューシャの出来栄えに唯がにこりと笑う。

もう駄目だ。
もう自分には澪に合わせる顔がない。体もない。心もない。
全ては唯のどす黒い願望で上書きされてしまっている。


 軽音部クリスマスパーティーは予定通り決行される。
三人プラス平沢姉妹が、平沢家のリビングに集合している。
そこに田井中律の姿はない。

昨晩彼女は平沢家に泊まったのだと他のメンバーは聞かされている。
しかし全員が集合したにも関わらずまだ姿を見せていない。
おそらくなにかドッキリを仕掛けるつもりなのだろうと、メンバーは思っているはずだ。


 特に何も起こらないままプレゼント交換をしようと唯は言い出す。
澪はもう一度律のことを尋ねるが、唯は自身満々に問題ないと言う。
おそらくドッキリというのはプレゼント交換の時に仕掛けられるものらしい。
それぞれのプレゼントがテーブルの上に乗せられていくなか、
唯はソファーの裏から特大の箱を引きずりだす。

そして澪の前まで持っていく。皆だいたいの見当をつける。
全く、といった調子で澪は、丁寧にリボンを解き包装紙をはがす。
息を呑んで上部の蓋を開ける。


 そこには全身を黒いチェーンのようななにかで縛られた律がいる。
まるで死んでいるようにピクリとも動かない。

澪は絶句する。
他の二人がなんだなんだと興味津々な表情で澪の後ろから覗きこむ。
またたく間に血の気が引いたような顔になる。

「私からのプレゼント交換」と唯が言う。
「それからかくし芸もあるよ」とどこに隠していたのかギー太を取り出して演奏をはじめる。

ふでペン~ボールペン~。

そんな唯を、非現実なものみたいに眺めている残された三人。


 唯は言う。
「交換だからちゃんと返してね。澪ちゃんの愛で。大丈夫。ちょーきょーっていうのは一晩で覚えたから」


 箱の中からメロディーに合わせた鼻歌が聞こえる。とても愉快に、とても楽しそうに。



208名前:◆D8R1/Af/eU:2010/11/03(水)18:04:49.92 ID:M/Z8WKMo

刺激の強い八曲目でした。

次は九曲目です。




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唯「私たちの歌を、聴いてください!」#8
[ 2010/11/03 20:41 ] ホラー | | CM(0)

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