SS保存場所(けいおん!) TOP  >  非日常系 >  律「終末の過ごし方」#7

お知らせ

SS保存場所は移転しました。
現在けいおん!関連の更新はしていません。
今後更新するかは未定です。
SS保存場所






律「終末の過ごし方」#7 【非日常系】


SS速報VIP(SS・ノベル・やる夫等々)@VIPServiseより

http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1304790351/

律「終末の過ごし方」#index


438 名前:にゃんこ:2011/08/07(日) 22:33:20.38 ID:9FBCI9DI0






教室に前後があるかどうかは分からないけど、
教壇の方を前と考えると、二年一組の教室の後ろの扉の前。
梓の居場所を教えてもらった後、純ちゃんと別れた私達はそこに立っていた。
梓の居場所がそのまま梓の教室だなんて、何だか馬鹿みたいに単純な答えだった。

分かってみれば簡単ではあるけど、
純ちゃんに教えてもらえてなければ、私達はこんなに早くここには辿り着けなかった。
ずっと後で辿り着けていたとしても、その時間にはもう梓は教室の中に居なかっただろう。
さっき自分で言った事だけど、
確かにそれは私達と純ちゃんの共同作業のおかげだな、と思った。

そうだ。
ムギの励ましと純ちゃんの想いが無ければ、私はここには辿り着けなかった。
辿り着こうとも思えなかったんじゃないだろうか。

勿論、今の私の支えはその二人だけじゃない。
振り返ってみれば、
私の周りでは色んな人たちが世界の終わりを目の前にして、精一杯生きていた。

人を気遣い、たくさんの人を心配している憂ちゃん。
軽音部のために動いてくれてる和。
強く生きるための笑顔を見せた信代。
関係なく見える誰かと誰かでも、決して無関係ではない事を教えてくれたいちご。
人のために動ける私を嬉しいと言ってくれた聡。
この状況でも自分を変えずに生きている唯。
自分を変えて、私達の関係を変えたいと思っている澪。

あれ?
さわちゃんからは何か支えてもらったっけ?
……思い付かない。
突っ込みを鍛えてもらった気はする。
いや、鍛えてもらったっていうか、必然的に鍛えさせられたというか……。
ごめん、さわちゃん。
今度会う時までに考えとくよ。



439 名前:にゃんこ:2011/08/07(日) 22:35:10.28 ID:9FBCI9DI0

でも、思った。
多くの人達の生き方が私の胸の中でまだ生きてるんだって。
ほんの小さな支えが重なって、そのおかげで私は今ここにいられるんだって。
だから、進める。
進もうって思える。
緊張して胸が張り裂けそうなほど高鳴るけど、足を動かせる。
震える手を押し留めて、二年一組の教室の扉に手を掛ける事ができる。

後ろにいるムギに私は軽く視線を向けた。
胸の前で拳を握り締め、ムギが強い視線を返してくれる。
頑張って、とその視線は言っているように思えた。
そうだ。頑張らないといけない。
梓の悩みを聞き出すのは、私の役目なんだから。

さっき少し相談して、ムギは教室の中に入らない事に決めていた。
それはもしまた梓が逃げ出しても、
すぐに追いかけられるようにムギが待機しておくって意味もあったけど、
それ以上にムギが私を信じてくれてるのが大きかった。

「りっちゃんが梓ちゃんと話すのが一番いいと思う」ってムギは言った。
「私は口下手だし……」と苦笑交じりにそうも言ってたけど、
私は別にムギが口下手だとは思わない。

確かにムギは私達の中では比較的口数が少なめだし、
自分の想いを難しい言葉なんかで表現する事も少なかったけど、
その分自分の考えを単純な言葉でストレートに表現してくれてると私は思う。
「楽しい」とか、「素敵」とか、「面白い」とか、
ムギの言う言葉は本当に単純で、単純なのが嬉しかった。
自分の気持ちを的確に表現できてるし、そういうのは口下手とは言わないはずだ。
むしろ妙に持って回った言い方をしてしまう私の方こそ、本当に口下手って言えるかもしれない。

それでも、ムギは私に梓を任せてくれた。
私なら梓の悩みを聞き出せると信じてくれた。
「梓ちゃんが一番悩みを話しやすいのは、りっちゃんだと思うから」と言ってくれた。
ムギは教室の外で私達を待つ事に決めてくれた。
その想いに応えられるかどうかは分からない。

だけど、もう私は梓の前から逃げたくなかったから。
自分自身の迷いを断ち切るためにも、梓と正面から向き合いたかったから。
私は梓と話をしたい。話したいんだ。
考えてみれば、この一週間、梓とはろくに会話もできてないしな。
顔を合わせながら、一週間も会話できてないなんて辛過ぎるじゃないか……。
ひょっとしたら、ムギは私のその考えを感じ取ってもくれたのかもしれなかった。

どちらにしろ、私にできるのは進む事だけだ。
ムギにもう一度だけ視線を向けてから、私は教室の扉を引いた。
梓から見えないように、一歩引いてムギが廊下に身体を隠す。
結果がどうなろうと、ムギはそこで待っててくれるだろう。



440 名前:にゃんこ:2011/08/07(日) 22:37:27.71 ID:9FBCI9DI0

「頼もう」

小さく呟いて、私は二年一組の教室の中に足を踏み入れる。
何度か来た事のある教室だけど、入り慣れない梓の教室はとても新鮮に見えた。
いや、そんな事は別にどうでもいい。
教室の扉を軽く閉めてから、私はこの教室に居るはずの梓を捜し始める。

梓はすぐに見つかった。
と言うか、すぐ傍に居た。
教室の廊下側、後ろから三番目の梓の席だった。
私は後ろの扉の方から教室に入ったわけだから、
私から数歩ほどしか離れてない距離に梓は座っていた。

だけど、梓は私の存在には一切気付いてないみたいだった。
私は扉を開いて、「頼もう」と呟き、扉を閉めまでしたのに、
梓はその私の動きに全く気付かなかったようで、自分の席で微動たりともしなかった。
ただ両手で頬杖を付いて、何の動きも見せない。
そんな梓の後ろ姿を見て、私はひどく不安になる。

私はこれまで何度も梓に迷惑を掛けてきたと思うし、それで何度も梓に叱られてきた。
生意気な後輩だと思ったけど、同時に私に突っ掛かって来る梓の姿が嬉しかった。
その梓が私に文句の一つも言わずに、自分の中に悩みを抱え込んでいるなんて。
ずっと逃げ出してた私の姿に気付かないほど、胸の中の悩みに支配されてるなんて……。
この数日で何度も梓から逃げられてしまった私だけど、
そんな抜け殻みたいな梓の姿を見る方が、逃げられるよりも何倍も辛かった。
何とかしないと……。
私が……、何とかしないと……!

唇を閉じ、私は梓との数歩の距離を縮めるために足を動かす。
一歩。
梓が何を悩んでいるのかは分からない。
二歩。
純ちゃんの言うように、本当に軽音部の事を悩んでいるんなら、多分その原因は私だろう。
三歩。
私が原因なら、私はもう梓の目の前から消えよう。それで梓の悩みが晴れるんなら、それもいい。
四歩。
だけど、最後のライブは梓に参加させてやりたい。きっとそれが梓の心の支えになる。
五歩。
そうなると私は最後のライブには参加できなくなるのか。ドラムだけ録音しておくべきか?
六歩。
嫌だ! 本当は私も梓と一緒にライブに参加したい。皆と曲を合わせたいんだ!
そのためには……。
そのために私がするべき事は……!

「……確保」

私は手を伸ばし、梓の頬杖の左腕を軽く掴む。
梓に私の存在を気付かせるために、
それ以上に私の中の不安感を振り払うために、それは必要な行動だった。



441 名前:にゃんこ:2011/08/07(日) 22:39:04.25 ID:9FBCI9DI0

「えっ……?」

突然の事に驚いた梓が身体を震わせる。
自分の手を掴んだのが誰なのかを確認するために、私の方に視線を向ける。
梓と私の視線が合う。
その一瞬に、気付いた。
梓の顔がひどくやつれ果ててる事に。

頬は軽くこけ、目には深い隈が刻まれて、自慢のツインテールも左右非対称だ。
元気が無いとは思っていたけど、こんなにやつれてるなんて私は気付いてなかった。
気付けなかったのは、ずっと梓が私から視線を逸らしていたからだ。
それでも、梓が視線を逸らすだけなら、私は梓のやつれた顔に気付けたはずだ。

本当に気付けなかった理由はたった一つ。
梓に目を逸らされるのが恐くて、私の方もチラチラとしか梓の姿を見ていなかったからだ。
昨日一度だけ視線が合ったが、その時も遠目で何も気付く事ができなかった。
梓の何を分かってやれる気でいたんだよ、私は……!
心底、自分を軽蔑したくなる。
思わず梓の腕を掴んでいた手に力を入れてしまう。

だけど、梓は言った。
驚いた顔を無理に隠して、力の入らない笑顔まで浮かべて。

「さっきはすみません、律先輩……」

「すみませんって……、おまえ……」

まさか梓の方から謝られるなんて思ってなかった。
面食らった私は、掛けるつもりだった言葉が頭の中で真っ白になっていくのを感じた。

「驚かせちゃいましたよね、
 急に逃げ出しなんかしちゃったりして……。
 驚くなって言う方が無理な話ですよね。
 本当にすみません。
 でも、私、すごく寂しくなっちゃって……。
 それで……」

「寂しく……なった……?」

「いえ……、ほら、今日唯先輩が来ないって事は私も分かってたんですけど、
 澪先輩まで来ないなんて知らなくって……。
 それが辛くて、何だか恐くなっちゃって……。
 気が付いたら軽音部から飛び出してたんです」

「澪が来ないのが、そんなに辛かったか……?」

「はい……。あ、いえ、ちょっと違います。
 澪先輩って言うか……、先輩達が一人ずつ減っていくのが恐くて……。
 今冷静に考えると偶然だって事は分かるんですけど、
 唯先輩に続いて澪先輩まで部活に来なくなって、
 最後にはムギ先輩や律先輩まで来なくなっちゃうんじゃないかって。
 そんな風に思っちゃって……」

「そんな事はないぞ。
 私もムギも、週末までずっと部活に出るつもりだぜ?
 唯だって明日には来るし、澪も今日は考え事があるから家に居るだけだ。
 明日には全員揃う。全員揃って練習できるし、お茶だってできる。
 ムギがFTG何とかって美味しい紅茶も入れてくれる」

「そう……ですよね。
 そうですよね……。不安になる必要なんて、無いですよね」

言って、梓が笑う。
力無く、自信も無さそうに。
その表情のまま、梓は続けた。



442 名前:にゃんこ:2011/08/07(日) 22:42:37.71 ID:9FBCI9DI0

「ごめんなさい、律先輩。
 後でムギ先輩にも謝らないといけませんね。
 部活に戻りましょう、律先輩。
 すみません、お時間を取らせてしまって……。
 恐かったけど……、もう大丈夫です。
 明日には皆揃うんですもんね。だから、大丈夫です」

梓は自分の席から立ち上がる。
まだ不安感を完全には拭えてないけど、自分の力だけで立ち上がる。
自分を待つ軽音部の仲間の下に、無理をしながらでも歩き出していく。
私にできるのは、そんな梓を見守ってやる事だけだ。

梓の抱えてた悩みは、
軽音部の仲間が居なくなるかもしれないって不安感からだったんだな……。
世界の終わりを間近に迎えたこの状況だ。
確かに誰かが欠けてしまってもおかしくはない。
その不安感は私にもある。ムギや唯、澪にだってあるだろう。

でも、軽音部の全員は最後まで部活に出たいと思ってる。
明日には全員が勢揃いして、いつしか不安感だって消えていく。
それでいい。それでいいんだ。
私が嫌われてるわけじゃなくて、本当によかった。
後は梓を大切にしてやるだけだ。

梓は足を踏み出して、教室を後にしようと歩き出そうとする。
私もそんな梓を笑顔で見送って……。
って……。

「ちょっと……、律先輩……?」

私は梓の腕を掴んだままにしていた手に力を込める。
さっきみたいに自分自身を嫌悪してるからじゃない。
絶対に離さないって思ったからだ。
この手だけは絶対に離しちゃいけない。



443 名前:にゃんこ:2011/08/07(日) 22:47:16.84 ID:9FBCI9DI0

「……あるかよ」

「えっ……? 何ですか、律先輩?」

「って、そんなわけがあるかよ!
 そんなのってあるかよ!」

私は腹の底から叫ぶ。
教室が揺れる。そう思えるくらいに精一杯の大声で。
今は絶叫しなきゃいけない時だった。
自分を誤魔化してはいけないんだって。
不安を見ないふりをしてちゃいけないんだって。
私は梓と自分にそれを分からせなきゃいけないんだ!

「律先輩……、何を……?
 何を……言って……」

貼り付けたみたいな梓の笑顔が硬直する。
分かってないはずがない。
私より誰より、梓自身が自分に嘘を吐いている事をよく分かっているはずだった。
いや、完全には嘘じゃないか。
でも、だからこそ、余計に始末に負えない嘘なんだ。

さっきまでの梓の言葉に嘘はなかったと思う。
軽音部の仲間が減っていくのが不安だったのは確かだろうし、
それ以外の話もほとんどが梓の本心だったはずだ。
悩みの理由としては問題無かったし、よくできた話ではあった。

だけど、よく考えてみなくても分かる。
梓はこんなに簡単に誰かに悩みを語る子だったか?
抱え込んで、一人で悩み続けるのが梓って子じゃなかったか?
良くも悪くもそれが梓なんだ。

そんな梓が自分の本心を簡単に語る理由だって分かる。
本当に隠しておきたい事を隠すために、それ以外の本心を語ったんだ。
普段は隠している本心を語れば、それで納得してもらえるだろうって思ったんだろう。
部活の先輩達が居なくなるのが辛い、ってのは、それはそれで十分な悩みだ。

これが昨日の私なら、私もその梓の言葉を信じてたと思う。
梓が私の前から逃げ出した理由は、
居なくなるかもしれない私の顔を見るのが辛いから、だの何だのって適当な理由でも考えて。

だけど、残念ながらと言うべきなのかな、
今日の私にはその梓の誤魔化しは通用しなかった。
まずはこんな時期の深夜に動き回ってる梓の姿を見たからってのがある。
私はそれを梓にぶつけてみる。



444 名前:にゃんこ:2011/08/07(日) 22:49:48.23 ID:9FBCI9DI0

「なあ、梓……。
 おまえの悩みは本当にそれか?
 そりゃ、私達と離れるのが辛かったって悩みは嬉しいし、それは本当だと思う。

 でもさ、それじゃ説明が付かないんだよ。
 おまえ……、昨日、いや、今日か。
 今日の深夜に何してた?
 憂ちゃんと会う前に外を走り回ってただろ?
 見たんだよ、偶然」

梓の硬直した笑顔が今度は強張る。
私から視線を逸らして、足下に伏せる。
その様子が私の言葉を完全に認めていたけど、言葉だけは力強く梓が言った。

「何を言ってるんですか、律先輩。
 夜は憂が来るまで、家でずっとギターの練習をしてましたよ?
 それに、こんな時期の深夜に、どうして外を出歩かなきゃいけないんですか?
 そんなはずないじゃないですか。
 律先輩の見間違いですよ。見間違いに決まってるじゃないですか」

口早に梓が捲し立てる。
それだけでも嘘だと言ってる様なもんだけど、私はそれについて追及しなかった。
夜に見たあの影は間違いなく梓だったんだろうけど、
見間違いと言い切られたら、それ以上話を進めようがない。
水掛け論で終わっちゃうのが関の山だ。
だったら、私にできる事は結局はたった一つ。
それは梓の事を信じてやる事だ。

いや、梓の言う事を全面的に信じるって意味じゃない。
何度も語り掛けて、いつかは梓が本当の事を言ってくれるって信じる事だ。
これまでに積み重ねた私達の関係を信じるって事だ。
それを信じられなければ、私は梓の部長でいる意味も価値もないんだ。
ムギと純ちゃんと話してきた中で、私はそう思った。
私は自慢の部長と呼ばれるに相応しい部長になりたい。
そのためにも、梓の本心から逃げちゃいけない。

「梓。見間違いだっておまえが言うなら、それでいい。
 無理をするなとも言わない。
 無理しなきゃ、こんな状況で生きてけないもんな……。

 でもさ、おまえのその無理は違う……。違うと思う。
 無理しないおまえを受け止めてくれる人の前じゃ、無理しなくてもいいと思う。
 そんなに私の事が信じられないか?
 本当の悩みを口にしたら、見限られるとでも思ってるのか?

 いや、確かに私はおまえにとっていい部長じゃなかったとは思うよ。
 迷惑掛けてばっかりだったもんな……。
 私を信じられないってんなら、それも仕方ない事だと思う。
 おまえがそんなにやつれてるって事すら、
 今日まで気付けなかった馬鹿な部長だもんな。仕方ないよ。

 それなら……、それならさ……。
 せめて……、せめて私以外の誰かには話してほしいんだ。
 私じゃ役不足だと思うなら、唯にでも、憂ちゃんにでも、誰にでもいいから話してほしい。
 おまえ自身のためだし、それが負い目になるってんなら、
 駄目な部長の私の願いを聞いてやるって意味で、誰かに話してほしいんだよ……」



445 名前:にゃんこ:2011/08/07(日) 22:50:44.24 ID:9FBCI9DI0

話せば話すほど、自分自身の無力を実感させられる気がした。
私には梓に何かしてやれるほど、梓に信じられてなかったのかもしれない。
それを実感するのが恐くて、ずっと逃げ出してきた。
でも、もう逃げられない。逃げたくない。
私の胸の痛みなんかより、こんなに傷付いてる梓の姿こそどうにかしなきゃいけないんだ。
だから、梓の誤魔化しに騙されたふりをしちゃいけないんだ。

「そんな……、私が律先輩を信じてないなんて……。
 そんな事……、そんな事ないよ……。
 私は律先輩が……、律先輩の事が……。
 でも……、でも……」

梓が呟きながら後ずさり、視線をあちこちに移動させる。
追い詰める形になってしまって、ひどく申し訳ない気分になってくる。
それでも、私は梓の腕を掴んだ手を離さなかった。

恨んでくれても構わない。
後で何度殴ってくれたっていい。
このままでいちゃいけないんだ。
梓の悩みがどんなに重い悩みでも、私はそれを受け止めたい。
それこそ犯罪が関わるような悩みだって構わない。
それを受け止めるのがここまで梓を追い詰めた私の責任だと思うから……。

不意に。
梓が視線を何度か自分の机の方に向けた。
さり気ない行為だったけど、
ずっと梓を見つめていた私は、それを見逃さなかった。
あらゆるものを見落としてきた私だけど、今度こそ見逃すわけにはいかなかった。

机の中に何かあるのか?
それが梓の悩みの原因なのか?

「机……?」

私が呟くと、梓がはっとした表情で急に動き始めた。
私が無理に机の中を覗こうとしたわけじゃない。
何となく疑問に思って呟いただけだったけど、
その事で梓は自分の机を探られるんじゃないかと過剰に反応していた。
身体を無理に動かし、私に掴まれた手を振りほどこうと暴れる。
危険だとは思ったけど、私としても梓の腕だけは離すわけにはいかない。
余計に力を込め、梓から離れないようにして……、それが悪かった。



446 名前:にゃんこ:2011/08/07(日) 22:54:14.06 ID:9FBCI9DI0

「ちょっ……!」

「うわっ……!」

無理な体勢でいたせいでバランスを崩してしまい、
二人で小さく悲鳴を上げて、その場で折り重なって倒れてしまった。
周りの机や椅子も巻き込んで倒れてしまって、豪快な音が教室に響く。

「痛たたた……。
 大丈夫か、梓?」

それでも梓の腕だけは離さずにいられたみたいだ。
私は梓の手を掴んだまま顔を上げ、その場に座り込んで訊ねる。
梓からの返事はなかった。
やばいっ。打ち所が悪かったかっ?
そうやって心配になって梓の方に顔を向けてみたけど、
幸い梓の方は自分の椅子に倒れ込むような形になっただけみたいで、私よりも無事な様子に見えた。
だったら、どうして返事がなかったんだ?

梓の顔を覗き込んでみると、梓は大きく目を見開いて私じゃない何処かを見ていた。
そこでようやく私は気が付いた。
倒れた衝撃で梓の机を横向きに倒してしまい、机の中身をその場にぶち撒けてしまっていた事に。
梓がその机の中身を見ているんだって事に。

事故とは言え、梓が隠そうとしてた物をこの目で確認していいんだろうか。
そう思わなくもなかったけど、それを確認しないのも不自然過ぎた。
心の中で梓に謝り、私もその机の中に入っていた物に視線を向ける。

「えっ……?」

そう呟いてしまうくらい、予想外の物がそこに転がっていた。
死体とか拳銃とか麻薬とか、そういう不謹慎な意味で予想外だったわけじゃない。
意外じゃなさ過ぎて、逆に意外な物だったんだ。

その場所には、うちの学校の学生鞄が転がっていた。
机の中に入れるために小さく潰されている。
多分、中には何も入ってないんだろう。
でも、どうして鞄を机の中に……?
疑問に思って私が梓に視線を向けると、急に梓の表情が大きく崩れた。
いや、崩れたってレベルじゃない。
大粒の涙を流して、大声で泣き声を上げ始めた。



447 名前:にゃんこ:2011/08/07(日) 22:55:02.89 ID:9FBCI9DI0

「ごめんなさい!
 ううっく……、う……、あ、ああ……!
 うああああああああああああっ!」

梓が何を言っているのか見当も付かない。
鞄が何なんだ?
中には何も入ってなさそうだし、何で梓は泣き出してるんだよ?
突然の展開にこれまでと違った意味で不安になってくる。

「おい、ちょっと梓……」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!
 本当にすみません! すみません、すみません、すみません!
 すみま……せ……、うううう……!
 ひぐっ……! あっ……、うわあああああああああああっ!」

梓の涙は止まらない。
その原因が私なら何とかしようもあるだろうけど、
本当に何が起こったのか私にはまだ何も理解できてない。
梓の涙の原因……、それはやっぱり机の中に隠されてた鞄なんだろう。
鞄といえば、考えてみれば、最近、梓は部室に鞄を持って来てなかった。
それは授業が少なくなって、荷物も無くなったからだと思ってたけど……。

そこで私は一つの事を思い出していた。
ああ、何で気付かなかったんだ。
授業がほとんど無くなったのは、当然だけど『終末宣言』の後だ。
『終末宣言』の後も、梓は普段通りに部室に学生鞄を持って来てたじゃないか。
そりゃそうだ。授業が無くたって、弁当やら何やらの荷物はあるんだから。
梓が部室に鞄を持って来なくなったのは、
そう、約一週間前……、梓の様子がおかしくなった頃からだ!
じゃあ、やっぱり梓の悩みは鞄に関係していて……。
そこでまた私の思考が止まる。

だから、鞄が何だってんだよ。
鞄の中身が悩みだって言うのか?
でも、中には何も入ってないだろうくらい小さく潰されてるし、
何かが入ってたとしても、そんな大袈裟な物が入ってるわけが……。

一瞬、また私の思考が止まった。
疑問に立ち止まってしまったわけじゃない。
梓の悩みと、梓の痛み、梓の隠してた事が分かったからだ。
やっぱり、梓の悩みは鞄の中身じゃなかった。
まだ見てないけど、鞄の中身なんて見る必要もなかったし、中身なんて何でもよかった。

でも、それじゃ……。
こんな……、こんな事で、梓は一週間も悩んでくれていたのか?
それもただの一週間じゃない。
世界の終わりを週末に控えたかけがえのないこの一週間を?

馬鹿だ。
本当に馬鹿な後輩だ、梓は……。
こんな取るに足らない事でずっと悩んでいただなんて……。
だけど、梓の辛さや不安は、私自身も痛いくらいに実感できた。
梓ほどじゃないにしても、同じ状況に置かれたら、
間違いなく私も同じ不安に襲われてただろう。



448 名前:にゃんこ:2011/08/07(日) 22:55:34.42 ID:9FBCI9DI0

私は掴んでいた梓の腕を離した。
もう掴んでいる必要はない。
必要なのは多分、私の言葉と心だ。

「失くしたんだな、梓……」

「ごめ……ひぐっ、なさい……。
 大切にしてたのに……、大切だっ、ひっく、たのに……。
 どうして……、こんな時に……、ううううう……。
 ずっと探してるのに、どうして……、ひぐっ、どうして見つからないの……!」

「京都土産のキーホルダー……か」

梓じゃなくて、自分に言い聞かせるよう呟く。
修学旅行で行った京都で、
京都とは何の関係もないけど、私達が買ってきたお揃いのキーホルダー。

私が『け』。
ムギが『い』
澪が『お』。
唯が『ん』。
梓が『ぶ』。

五人合わせて『けいおんぶ』になる、そんな茶目っ気から購入したキーホルダーだ。
何気ないお土産だけど、梓がとても喜んでくれた事をよく覚えてる。
最初はそうでもなかったけど、梓の喜ぶ顔を見て、
私もこのキーホルダーを一生大切にしようって思った。
それくらい梓は喜んでくれたんだ。
少し大袈裟かもしれないけど、
多分他の部員の皆も軽音部の絆の品みたいな感じに思ってくれてるはずだ。

その『ぶ』のキーホルダーを梓は失くしてしまった。
梓の鞄をどう見回しても見つからないのは、そういう事なんだろう。
梓が隠したかったのは鞄そのものじゃない。
本当に隠したかったのは、キーホルダーを失くしてしまったって事実だったんだ。

これまでの梓の不審な行動も、
失くしてしまったキーホルダーを捜しての事だと考えて間違いない。
ずっと思いつめていたのは、
自分がキーホルダーを失くしてしまった事にいつ気付かれるかと気が気でなかったから。
昨日、校庭で私の前から逃げ出したのは、
キーホルダーを捜しているのを私に知られたくなかったから。
深夜に外を出歩いていたのは、
自分の身も案じずに必死にキーホルダーを捜していたからだ。

梓は本当に馬鹿だ。
小さなキーホルダーのために、どれだけ自分を追い詰めてしまったんだろう。
こんなにやつれ果ててまで、どうして……。
だけど、誰にそれが責められるだろう。
少なくとも私には、そんな梓を責める事なんてできない。



449 名前:にゃんこ:2011/08/07(日) 22:58:46.25 ID:9FBCI9DI0



今夜はここまでです。
やっと梓の悩みが明らかに……。
って、悩みのスケール、超小さい。
のが。
可愛いと思うんですが。

(註)誤字脱字が多めな本作ですが、りっちゃんの役不足は誤植ではありません。
りっちゃん、役不足の意味を間違えて覚えてます。
何とも無駄なところで細かい設定で申し訳ない。




450 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/07(日) 23:13:51.50 ID:7V+DpOJ7o

乙。切ないよー



451 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/07(日) 23:56:05.01 ID:NQELTxiOo

世界の終わりなんて壮大な話やってるのに
すごいけいおんぽいと思う
いつも楽しみにしてる



452 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/08(月) 07:11:20.76 ID:PZmI8XpSO


梓の悩みがわかった時ちょっとウルッときちゃったよ
いい話だな



453 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区):2011/08/08(月) 18:07:46.00 ID:TK8pEMpp0

おつー
次も楽しみに待ってます





454 名前:にゃんこ:2011/08/11(木) 21:39:13.80 ID:okX2kLbx0

不安で仕方がなかったんだろうと思う。
ずっと不安で、誰にも言い出せずに胸の中に溜め込んで、
不自然なくらい過剰にキーホルダーを失くした事を隠してた梓。

考えてみれば、さっきの行動にしたってそうだ。
鞄が梓の机から飛び出た時、いくらでも誤魔化しようがあったのに。
私にしたって、鞄を目にした当初は何も分かってなかったのに。

なのに、梓は過剰に反応してしまって、涙までこぼしてしまっていた。
それはきっと恐かったからだ。
キーホルダーを失くした事を知られてしまう事が恐くて、
ほんの少し私がその真相に近付いただけで、
全ての隠し事を知られてしまったと勘違いしてしまったんだ。

更に言わせてもらうと、何も梓は机の中に鞄を隠す必要なんてなかった。
鞄が学校の机にあるという事は、
キーホルダーを失くしたと梓が気付いたのは学校だったんだろう。
小さく潰れた学生鞄を見る限り、鞄の中身は小分けにして家に持ち帰ってるんだと思う。
多分、違う鞄を自宅から持って来て、それに入れて持ち帰ったに違いない。

梓はその時、学生鞄も持って帰ればよかったんだ。
持ち帰る時、学生鞄を誰かに見られるのが不安なら、
小さく折り畳んでその違う鞄にでも入れておけばよかったんだ。
まあ、そりゃ少し不自然ではあるけど、
普段と違う鞄を持ち歩いてるくらいじゃ、誰も深く問い詰めたりなんてしない。

でも、梓はその少しの不自然さすら、不安でしょうがなかったんだ。
もしもいつもと違う鞄を持っているのを誰かに見られてしまったら。
その誰かにいつもの学生鞄はどうしたのかと訊ねられてしまったら。
それで万が一、鞄の中身について訊ねられてしまったら……。

冷静に考えればそんな事があるはずないのに、きっと梓はそう考えてしまったんだろう。
だから、一週間も机の中に鞄を入れたまま、放置する事しかできなかったんだ。
誰かに見られるのが不安で、机以外の何処かに隠す事さえできなかったんだ。

「恐かっ……た……。恐かったんです……」

不意に梓が言葉を続けた。
しゃくり上げるのは少しだけ治まっていたけど、
梓の目からは止まることなく大粒の涙が流れ続けている。
私は座り込んだままで、涙に濡れる梓の瞳をじっと見つめる。



455 名前:にゃんこ:2011/08/11(木) 21:40:53.70 ID:okX2kLbx0

「『終末宣言』とか……、世界の終わりの日とか……、
それより前からずっと私、恐くて……。
不安で、寂しくて……。それで……」

「『終末宣言』の前から……?」

「はい……。私……、私、不安で……。
 先輩達が卒業した後も、軽音部でやってけるのかなって……。
 ひとりぼっちの軽音部で、
 ちゃんと部を盛り上げていけるのかなって、そう思うと恐くて……。
 それで私……、私……は……!
 う……っ、ううううっ……!」

また梓の涙が激しさを増していく。
梓の言葉が涙に押し潰されそうになる。
だけど、梓は涙を流しながらも、しゃくり上げながらも言葉を止めなかった。
ずっと隠してた涙と同じように、ずっと隠してた言葉も止まらないんだと思う。

「ごめん……なさい、律先輩……!
 私……、私、とんでもない事をして……!
 皆さんに、ひっく、皆さんに……、私は……とんでもない事を……!」

「何だよっ? どうしたっ?
 とんでもない事って何だよっ?」

梓の突然の告白。
気付けば私は立ち上がって梓の肩を掴んでいた。
梓の悩みはキーホルダーを失くした事だけじゃなかったのか?
新しい不安が悪寒となって私の全身を襲う気がした。
梓が「ごめんなさい」と言いながら、自らの涙を袖口で拭う。

「ごめ……んなさい……!
 私、考えちゃったんです……。
 願っちゃいけない事なのに、願って……しまったんです……。
 『先輩達に卒業してほしくないな』って……。
 『先輩達とまたライブしたいな』って……。

 それが……、それがこんな……、こんな形で叶……、叶うなんて……!
 私……が、願っちゃったから……! 終末なんて形で……、願いが叶って……!
 そん……な……、そんなつもりじゃ、なかったのに……!」

おまえは何を言ってるんだ。
終末……、世界の終わりと梓の願いが関係してるはずがない。
それこそ自分が世界の中心だって、自分から宣言してるようなもんだ。
世界はおまえを中心に回ってない。
世界の終わりとおまえは考えるまでもなく無関係だ。
無関係に決まってる。



456 名前:にゃんこ:2011/08/11(木) 21:41:54.07 ID:okX2kLbx0

私はそう梓に伝えたかったけど、そうする事はできずに言葉を止めた。
そんなの私に言われるまでもない。
梓だって自分がどれだけ無茶な事を言っているか百も承知のはずだ。

梓は頭がいい後輩だ。私なんかよりずっと勉強もできる。
確かに梓の言葉通り、世界の終わりが来る事で私達の卒業は無くなったし、
あるはずがなかった最後のライブを開催する事ができるようにはなった。
だとしても、その自分の願いが世界の終わりと何の関係もない事は、梓だって理解してるだろう。

それでも……。
それでも梓がそう思わずにはいられない事も、私には痛いくらいに分かった。
世界の終わりがどうのこうのって話より、梓は多分、
間近に迫った私達の卒業を心から祝福できない自分に罪悪感を抱いてるんだと思う。
笑顔で見送りたいのに、私達を安心して卒業させたいのに、
それよりも自分の寂しさと不安を優先させてしまう自分が嫌なんだと思う。

梓は真面目な子で、いつも私達を気遣ってくれていて、
ちゃんとした部と呼ぶにはちょっと無理がある我が軽音部にも馴染んでくれて……。
梓はそんな私達には勿体無いよくできた後輩だ。
よくできた後輩だからこそ、色んな事に責任を感じてしまってるんだ。

そして、梓をそこまで追い込んでしまったのは、ある意味では私の責任でもあった。
二年生の部員は梓一人で、一年生の部員に至っては一人もいない我が軽音部。
五人だけの軽音部。
五人で居る事の居心地の良さに私は甘えてしまってた。
五人だけで私の部は十分だと思ってた。

それはそうかもしれないけれど、一人残される梓の気持ちをもっと考えるべきだったんだ。
五人でなくなった時の、軽音部の事を考えなきゃいけなかったんだ。
梓はずっとそれを考えてた。考えてくれてた。
だから、梓は私達の中の誰よりも、キーホルダーを大切にしてくれてたんだ。
世界の終わりの前の一週間を費やしてしまうくらいに。



457 名前:にゃんこ:2011/08/11(木) 21:42:36.19 ID:okX2kLbx0

「キーホルダーだけどさ……」

私が小さく口にすると、目に見えて梓が大きく震え出した。
触れずにいた方がいい事かもしれなかったけど、触れずにいるわけにもいかなかった。
梓をこんなに辛い目に合わせているのはキーホルダーだ。
小さなキーホルダーのせいで、梓はこんなにも怯えてしまっている。
でも、梓を救えるのも、恐らくはその小さなキーホルダーだと思うから。
私はキーホルダーの事について、話を始めようと思った。

「梓がそんなに大切にしてくれてるとは思わなかったよ。
 京都の土産なのに、京都とは何の関係もないしさ。
 実は呆れられてるんじゃないかって、何となく思ってた」

「呆れるなんて……、そんな事……。
 私、嬉しくて……、宝物にしようと思って……、
 でも、大切にしてたのに……、落としちゃうなんて、私……。
 こんなんじゃ……、こんなんじゃ私……、
 先輩達の後輩でいる資格なんて……」

涙を流して、梓はその場に目を伏せようとする。
私は梓の肩を掴んでいる手に力を入れて、視線を私の方に向かせる。
梓と目を合わせて、視線を逸らさない。
泣き腫らした梓の瞼が痛々しくて、ひどく胸が痛くなってくる。

梓を悲しませているのは、軽音部の先輩である私達の無力が原因だ。
私の方も、梓と同じく大声で泣きたい気分だった。
役に立てず、負い目しか感じさせる事のできない無力過ぎる私達。
自分の情けなさに涙が滲んでくる。
だけど、泣いちゃいけない。視線を逸らしちゃいけない。
今一番泣きたいのは梓で、今泣いていいのは梓だけだ。

どうして、キーホルダーを失くしたって言ってくれなかったんだ?
そう言葉にしようとしてしまうけど、唇を噛み締めて必死に堪える。
梓がキーホルダーを失くした事を私達に話さなかった理由……、
それは訊くまでもないし、訊いちゃいけない事だ。

キーホルダーを失くしたと私達に話してしまったら、
いや、知られてしまったら、
私達の心が自分から離れていってしまうって、梓は考えたんだ。
キーホルダーを一週間も一人で捜し続けてた事から考えても、それは間違いない。

あのキーホルダーは私達にとって、単なる思い出の品なんかじゃない。
軽音部の絆の証、絆の品なんだ。
特に来年一人で取り残されるはずだった梓にとっては、私達以上にその意味があるだろう。
一人でも大丈夫だと思えるために、梓はきっとあのキーホルダーに頼ってくれてたんだ。
絆を信じられるために。

そうだ。
梓が本当に悲しんでる理由は、キーホルダーを失くしたからじゃない。
キーホルダーを失くした事で、
私達の絆その物も失くしてしまった気がしてしまって、それが悲しいんだ。

実際、私達だって、キーホルダーを失くされた事で梓を責めたりしない。
梓も私達から責められるとは思ってないだろう。
梓を責めているのは梓自身。
世界の終わりを間近にしたこの時期に、絆を失くしてしまった自分を許せないんだ。
だから、誰にも知られないままに、自分の力だけで失くしたキーホルダーを見付けたかったんだ。

でも、だからこそ、私には梓に掛けてやれる慰めの言葉が思い付かなかった。
キーホルダーを失くした事なんて気にするな、なんて簡単な言葉で片付く話じゃない。
そんな言葉を掛けてしまったら、それこそ梓は今以上に自分自身を責める事になるはずだ。

一瞬だけの笑顔は貰えるかもしれない。
その場限りの安心は得られるかもしれない。
でも、それだけだ。
それ以降、世界の終わりまで、梓は自分自身を責め続ける事になるだろう。
勿論、私だって、私自身を許せないまま、世界の終わりを迎える事になる。

なら、私に何ができる?
無力で、頼りなくて、後輩に気を遣わせて追い込んでしまった私に何が?
……何もできないのかもしれない。
何もしてやれないのかもしれない。
少なくとも、今の私にできる事は何もない。今の私には何もできないんだ。
でも……。
だからこそ、今の私じゃなく……。



462 名前:にゃんこ:2011/08/13(土) 22:51:20.97 ID:A5NjIVI60

私は大きく溜息を吐く。
何もできない今の自分を情けなく思いながら、
それでも、掴んでいた梓の肩を思い切り自分の方に引き寄せる。
私の胸元に椅子から転がり込んでくる梓を座り込んで抱き締める。

「あの……っ、えっと……?
 律……先輩……?」

小さな身体を震わせて、何をされたのか分からない様子の梓が呟く。
呟きながらも、梓の涙はとめどなく流れ続けている。
しゃくり上げながら、震える身体も治まる事がない。
今の私には梓の涙を止められない。震えも止めてやる事ができない。
梓の不安を止めてやれるのは、今の私じゃない。

だから、胸元に引き寄せた梓を、私は頭から包み込むように抱き締める。
強く強く、抱き締める。
まだ掛けてあげられる言葉は見つからない。
その代わりに、小さな梓を身体全体で受け止める。
小さな梓と同じくらい小さな私が、小さな身体で小さく包み込む。
どこまでも小さな存在の私達。
それでも、私達は小さいけれど、とんでもなくちっぽけな存在だけど、
信じてる事だって……、信じていたい事だってあるんだ。

「梓……。きっとさ……。
 今の私が何を言っても、おまえの不安を消してはやれないと思う。
 私は人を支えてあげられるタイプじゃないだろうし、
 誰かの不安を消してあげられるくらい頼り甲斐のある部長でもないんだ。
 逆に皆に支えられてばかりだしさ……」

やっと見付けた言葉が私の口からこぼれ出る。
でも、これは梓の耳元に囁いてはいるけど、梓だけに聞かせてる言葉でもなかった。
これは自分に言い聞かせてもいる言葉だ。
願いみたいなものだった。
祈りみたいなものだった。

私の胸の中で、梓は私の言葉を震えながら聞いている。
その震えを止めてやれる自信はない。
今の私に梓を安心させてあげる事はできないだろう。
私の気持ちを上手く伝える事もできないかもしれない。
でも……。

「でもさ、梓……。
 こう言われるのは迷惑かもしれないけど、
 私の勝手な勘違いかもしれないけど、一つだけ思い出してほしい事があるんだよ。

 なあ、梓。
 キーホルダーを失くしちゃった事は、梓も辛くて不安だったんだろう。
 もっと早く気付いてやれなくて、悪かった。
 私はさ……、こう言うのも情けないんだけど、
 あんまり梓が私と目を合わせてくれないもんだから、梓に嫌われちゃったんだって思ってた。
 それが不安で辛くてさ……、それで梓と話す勇気が中々持てなかったんだよな」

私の言葉を聞くと、腕の中の梓の震えが大きくなった。
その震えは不安が増したってわけじゃなく、自分の行為をはっと思い出したって感じだった。

「そんな……。そんな風に思われてたなんて……。
 でも……、思い出してみたら、そう思われても仕方ない事を私は……。
 すみません、律先輩!
 私は律先輩の事を……、嫌いになってなんか……」

「いいよ」

言って、私はまた腕に力を込めて梓を抱き締める。
今話すべきなのは、梓が私を嫌ってるかどうかじゃない。
嫌われてたって、疎まれてたって、
それでも梓の悩みを晴らしてあげるのが、私のなりたい『自慢の部長』だと思うから。
勿論、梓に嫌われてなかったのは嬉しいけどな。
本当に泣き出してしまいそうなくらい嬉しいけど、それを噛み締めるのはまだお預けだ。



463 名前:にゃんこ:2011/08/13(土) 22:52:25.97 ID:A5NjIVI60

「いいんだよ、梓。その言葉だけで私は十分だよ。
 キーホルダーを失くして、梓がそんなに不安に思ってくれたのも嬉しい。
 キーホルダーを失くした自分が許せなくて、必死に探してたんだろうって事も分かる。
 こんなにやつれちゃってさ……、こんなになるまで……。
 キーホルダーを失くしたからって、私達がおまえから離れてくって思ったのか?」

「いいえ……、そんな事考えてなんか……。
 でも……、でも……、ひっく、そんな事あるはずがないって思ってても……、
 心の何処かで考えちゃってたのかも……しれません……。

 先輩達を信じてるのに、だけど……、夜に夢で見ちゃうんです……。
 キーホルダーを失くした私の前から……、先輩が離れていく夢を……。
 そんな……、そんな自分が、嫌で、本当に嫌で……。
 うっ、ううっ……!」

梓の涙がまた強くなる。
もしもの話だけど、キーホルダーを失くしたのが『終末宣言』の前なら、
梓はこんなにも不安にならず、涙を流す事も無かったんじゃないだろうか。

世界の終わりっていう避けようがない非情な現実。
誰だってその現実に大きな不安を感じながら、それをどうにか耐えて生きている。
普段通りの生活を送る事で、世界の終わりから必死に目を背けたり。
秘密にしていた事を公表する事で、別の非日常の中に身を置いてみたり。
そんな風に何かを心の支えにしながら、どうにか生きていられる。

梓の場合は多分キーホルダーがそれだったんだと思う。
小さいけれど、目にするだけで私達の絆を思い出せるかけがえの無い宝物。
それを失くしてしまった梓の不安は、一体どれほどだったんだろう。

私も自分が世界の終わりから逃げてる事に気付いた時は、吐いてしまうくらいの不安と恐怖に襲われた。
その時の私はそれをいちごや和に支えてもらえたけど、
梓はずっと一人でその不安に耐えて、自分を責め続けていたんだ。
こんなにやつれるのも無理もない話だった。

小さい事だけど、きっと私達はそんな小さい事の積み重ねで生きていられる。
小さい物でも、失ってしまうと不安で仕方なくなるんだ。
だけど、不安になるという事はつまり……。

「なあ、梓。
 話を戻させてもらうけど、一つだけ思い出してほしい」

「は……い……?」

「軽音部、楽しかったよな?
 そりゃ普通の部とはかなり違ってたと思うけど、でも、すごく楽しかったよな?」

「あの……?」

「私は楽しかったよ。
 ムギのおやつは美味しいし、ライブは熱かったし、楽しかった。
 唯は面白いし、澪は楽しいし、ムギはいつも意外な事をやってくれるしな。
 二年になって梓って生意気な後輩もできた。
 楽しかったんだよ、本気で……。
 軽音部、楽しかったよな……?
 楽しかったのは、私だけじゃ……ないよな……?」

私の言葉の勢いが弱まっていく。
その私の姿を不審に思ったんだろう。
梓が少しだけ自分の腕を動かし、私の背中を軽く撫でてくれる。

「律先輩……? 急に何を……?」

「ああ、ごめんな……。ちょっと……さ。
 梓はどうだったんだろうって思ってさ……」

「私……ですか……?」

「私ってさ、結構一人で空回りしちゃう事が多いだろ?
 部長としても、役不足だったと思うし……。
 でも、楽しかった事だけは、本当だったって信じてる。
 ……信じたいんだ。それだけは譲りたくないんだ。

 だから、梓に思い出してほしいんだよ。
 軽音部が楽しかったのかどうかを。私達のこれまでを。
 今の私に梓の不安を消し去ってあげる事はできないと思う。
 梓の不安を消せるのは梓だけだし、私にできるのはその手助けだけだ。
 それも、その手助けができるのは今の私じゃなくて、梓の中の昔の私だけだと思うんだよ」



464 名前:にゃんこ:2011/08/13(土) 22:53:10.02 ID:A5NjIVI60

「昔の……律先輩……?」

「これまで私が梓に何をしてあげられたか。
 梓をどれだけ楽しませてあげられたか……。それを思い出してほしい。
 自信なんてこれっぽっちも無いけど、ほんの少しでも手助けになればいいと思う。
 なってほしいと思う。

 私じゃ役不足だと思うなら、私以外とのこれまでを思い出してくれ。
 澪やムギ、唯と過ごしてきたこれまでの自分を思い出してくれ。
 そうすれば……、少しはその不安も晴れるんじゃないかって……、思うんだ……」

今の私に梓の不安を晴らすだけの力が無いのは、すごく無念だ。
やっぱり私は、梓にとっていい部長じゃなかったんだろう。
だけど、梓と笑い合えたあの頃の事は嘘じゃなかったはずだ。
梓も楽しんでくれていたはずだ。
私はいい部長ではなかったけど、いい友達としては梓と関係してこれたはずだ。
そのはずなんだって……、信じたい。

不安な自分を奮い立たせるのは、自分の中のかけがえのない過去。
今の自分を作り上げた誰かと積み重ねてきた楽しかった思い出だと思うから。
私は梓にもそれができると信じるしかない。
それができるくらいには、私は梓と信頼関係を積み重ねてこれたんだって信じるしかない。

そもそも不安や罪悪感ってのは、そういうもののはずなんだ。
楽しかったから、かけがえがないものだから、失うのを不安になってしまうんだ。
失ってしまった自分に罪悪感を抱いてしまうんだ。
失くすものが無ければ、大切なものが無ければ、不安なんて感じるはずがない。
それを梓が気付いてくれたなら……、
いや、気付いてはいるだろうけど、心から実感してくれたなら……。
その涙を少しは拭う事ができるかもしれない。

私は小さな身体で小さな梓を強く抱き締める。
それは小さな私にできる世界の終わりへの小さな反抗でもあった。
まだその日が来てもいないのに、世界の終わりってやつは色んな物を私達から奪おうとする。
小さなものから取り囲んで奪い去っていく。

そうはいくもんか。
もうすぐ死んでしまうとしても、それまでは何も奪わせてやるもんか。
過去も、現在も、未来だって、奪わせてなんかやらない。
私から、梓を奪わせたりしない。

不意に私の腕の中の梓が震えを止めて、小さく言った。

「そうですね。
 律先輩じゃ役不足ですよ」

一瞬、頭の中が真っ白になった。
梓じゃなくて、私の身体が震え始める。止められない。
全身から何かを成し遂げようとしてた気力が抜けていくのを感じる。
駄目だった……のか……?
私じゃ、梓のいい部長どころか、いい友達にもなれなかったってのか……?
私の小さな反抗は脆くも崩れ去ったってのか……?
信じたかった私の思い出は、全部無意味だったのか……。

梓は別に私を嫌ってはいなかった。
でも、力になってやれるほど、私は信頼されてもいなかったんだ。
抱き締めていた梓を、私の胸から解放する。
もう私に抱き締められる事なんて、もう梓は求めないだろう。
私には梓の不安を晴らしてやれないし、涙も止められないし、震えも治められない。

私は梓に……。
信じさせたかった。
信じられたかった。
信じていたかった。
でも、もう私は……、私は……。

身体を離したけれど、私はそこにいる梓の顔を見る事ができない。
その場から逃げ出したくなる。
もうこの場には居られない。



465 名前:にゃんこ:2011/08/13(土) 22:54:15.96 ID:A5NjIVI60

「梓、ごめ……ん……」

喉の奥から絞り出して言って、
振り向きもせずに逃げ出そうとして……。
そんな私を華奢で柔らかい何かが包み込んだ。
何が起こったのか、数秒くらい私には分からなかった。
梓に抱き締められたんだって気付いたのは、それからしばらく経ってからの事だ。
私は私が梓にしたように、頭から胸の中に強く抱き留められていた。

「あず……さ……?」

何も分からなくて、間抜けな声を出してしまう。
ただ一つ分かるのは、抱き締められる一瞬前、梓が笑っていた事だった。
涙が止まったわけじゃない。
涙を止められたわけじゃない。
でも、梓は笑っていた。泣きながら、笑っていたんだ。
今梓の胸の中にいる私にとっては、もう確かめようもない事だけど……。

「ありがとうございます、律先輩……。
 こんな面倒くさい後輩なのに、こんなに大切に思ってくれて、
 私、嬉しいです」

「でも、梓、おまえ……。
 えっと……、私を……」

言葉にできない。
梓の真意が掴めなくて、曖昧な言葉しか形にできない。
梓が明るい声を上げた。

「もう……、律先輩ったらこんな時にもいつもの律先輩で……。
 真面目な話をしてるのに、普段通りのいい加減で大雑把な律先輩で……。
 そんな律先輩を見てると……、何だか私、嬉しくなってきちゃうじゃないですか。
 不安になってなんか、いられなくなっちゃうじゃないですか……」

「大雑把って、おまえ……。
 いつもはともかく、さっきまではそんな変な事言ったつもりは……」

「もう一度、言いますよ。
 律先輩は役不足です。
 私の不安を晴らす役なんて、律先輩には役不足過ぎます」

「だから、そんなはっきり言うなよ……」

少しやけくそになって、吐き捨てるみたいに呟いてみる。
梓が明るい声になったのは嬉しいけど、そこまで馬鹿にされると釈然としない。
でも、梓はやっぱり明るい声を崩さなかった。

「ねえ、律先輩?
 役不足の意味、知ってますか?」

「何だよ……。
 その役を務めるには、実力が不足してるって事だろ……?」

「もう、やっぱり……。
 受験生なんだから、ちゃんと勉強して下さいよ、律先輩。
 役不足って、役の方が不足してるって意味なんですよ?」

「役の方が不足……って?」

「もういいです。これ以上は家で辞書で調べて下さい」

「何なんだよ、一体……」

「とにかく……、ありがとうございます、律先輩……。
 私……、嬉しかったです。
 律先輩との思い出……、思い出してみるとすごく楽しかった。
 軽音部に入ってよかったって、思えました……」

まだ梓が何を言っているのかは分からない。
でも、梓の声が明るくなったのは何よりで、私の方も嬉しくなった。
梓の変な言葉も、まあ、いいか、と思える。

私の小さな反抗は、少しだけ成功したって事でいいんだろうか。
今の私も、過去の私も、結局は梓の涙を止める事はできなかった。
でも、少なくとも笑顔にしてあげる事はできたみたいだった。
それだけでも今は十分だ。

……役不足の意味は、後で純ちゃんにでも聞いてみる事にしよう。



466 名前:にゃんこ:2011/08/13(土) 22:58:36.73 ID:A5NjIVI60



今回はここまでです。
梓編終わったみたいですが、まだ続きます。

役不足って、そういう伏線だったのかよ。
長い前振りでした。




467 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/13(土) 23:16:24.77 ID:6VfcYIOSO

りっちゃんかわいい



468 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/13(土) 23:25:15.26 ID:kWq8XTRPo


役不足ネタをこの場面で使うとはww



469 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/13(土) 23:35:38.49 ID:OPNz0AUSO

良かったー乙!



470 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/14(日) 15:25:04.51 ID:yYGGgxBIO

役不足はわざと誤用してたのかw






関連記事

ランダム記事(試用版)




律「終末の過ごし方」#7
[ 2012/03/20 08:31 ] 非日常系 | 終末の過ごし方 | CM(1)

コメント(アンカー機能)
●>>1と半角で書き込むと>>1と記事へのアンカーが生成される。
●*1と半角で書き込むと1とコメントへのアンカーが生成される。
上記の2つのアンカーが有効なのは該当記事のみ。

タイトル:
NO:5986 [ 2012/03/20 18:15 ] [ 編集 ]

これ待ってました
さっそく読みたいと思います

コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

サイト関連
メール ツイッター 最新記事一覧(30件)
ユーザータグ 検索

U:
P:
色々変更
好みのカラーコードをどうぞ

記事の背景色変更


本体の背景色変更


名前の色変更
IE8:重
火狐4.01:軽
chrome:軽


広告4
広告5
広告6