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唯「ごねんご!」#前編 【非日常系】


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唯「ごねんご!」#前編
唯「ごねんご!」#中編
唯「ごねんご!」#後編




1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 15:42:31.26 ID:XH8Cv2OP0

田井中律の場合。





2 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 15:43:26.84 ID:XH8Cv2OP0

人の人生は重荷を負う時もあるけれど
そりゃあ長い道のりだもの途中で落っことすなんて事態は往々にして有り得る。
そんでもっていちいち振り返ったり拾い直したりするのはあまりにも面倒だ。
腰をひねるだけでも痛みが走るっていうのに、全くこいつはどういうことだよ。


「田井中さーん。次冷蔵庫でー」

「ういーっす」


レディースパック、っていう煽りを利用してCMの宣伝文句にしているみたいだが。
私に言わせりゃ何でそんなシステムを作っちまったんだよと文句をぶつけてやりたい。
おかげでこの有様だ、田井中さんってー男らしいからー
重い荷物とか頼んじゃいますねーだとさ、ふざけんな。

まぁこれは心の中で悪態をつくに留まっているのだが
妄想の中ではけちょんけちょんに言い負かしている。
負け犬の遠吠えにも及ばないことは自分でも理解しているさ。
そんでも腹立たしい気持ちは収まりきらない、
ついでに今担いでるタンスも隙間に入りきらない。


「あの、ちゃんと詰めれば入るんですけど」

「あ、はぁ。やってみます」


角詰めって結構大変なんだぞ。
こんなつるつるなフローリングになんてするから引きづれないんだ。
早くどっかに行っちまえ、そしたら動かした後で目立たないように修正してやるから。
ともかくだ、早くやり切って家で待ってるチビ共に飯を食わせにゃあならん。
力を込めて、ふぁいとおおおおおおおおおいっぱああああああああつ!!!

―――― ゴリジョリィ

「ちょっと何やってるんですか!」

「あっ、さっ、サァーッセン!!!」


またやっちまった、今回はどんだけ給料引かれちまうんだ。



5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 15:46:04.01 ID:XH8Cv2OP0

運び屋っていう職業は自分自身に幸せを届けることができないらしい。
最も『職業』なんて大義名分背負って大袈裟に語れる程の立場でもないんだが、
つまりパートアルバイトです。

どこぞの派遣社員さんよりハードな首切り経営の中で
しのぎを削りながらもなんとか生きてる今の私です。

生きる屍とは言いすぎかもなぁと思う傍ら、
案外間違ってねぇなと悪魔が槍を突き刺してくるからマジで痛い。

腰痛い、肩痛い、ついでに心痛い、
あのぅ鬱病申請して生活保護受けさせてもらえませんか。
あっ健康そうですか、ですよねー、見かけだけならそうなんですけど。


「あの子みなよークスクス」


大学生ウゼェ何様のつもりだ、なんだその長すぎる爪は、エックスメンにでも出演したいのか。
大体梱包が多すぎるんだよ、そんなに詰め物がやりたいならスーパーのレジ打ちに採用されてこい。
もしくはテトリスで満足してろ、
グラフィックが可愛くないと文句をつけるならぷよぷよにするとか方法はあるだろうが。

まずはだな、夏休みの空いた時間にちょっと稼ぎたい、なんて甘っちょろい考え方がムカつくんだ。
その稼いだ金は何の為に使う、大体が彼氏友達サークル仲間と遊びつくしヤりつくしになるんだろうな。
こっちは自分の為に使う金稼いでる訳じゃねぇんだよ、家族五人で生きなくちゃいけない金が必要なんだ。
お前らがパンパンにつめたダンボールを汗水たらして担いでいる人を笑い者にしていいはずないだろ。
普通ならシンデレラのごとく持てはやされ偉いね偉いねと頭を撫でられるのが当然じゃないのか。
あっそういえばシンデレラは王子様に見初められてから日の目を見るんだった。



7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 15:49:48.51 ID:XH8Cv2OP0

「田井中さんってもう子供が三人もいるんだってー」

「えーまじでー。あの若さで三人もってことはヤっちゃった婚なんじゃない」

「きっとあれだよ、学生で孕んで退学させられるパターン」

「そんで逃げた夫が帰ってくるのを信じて待ってるシングルマザーとか」

「あははははは。それ笑えないから」


殴っちゃ駄目だ殴っちゃ駄目だ殴っちゃ駄目だ、でも許されるなら殴りたい。
まず文句をつけたい所が、孕んだのは確かだが学生の時じゃあない。
厳密に言えば合っているんだけど、あれだ産婦人科に行ったのはギリ卒業式の後だ。

よく言うだろ、死んじまっても病院の先生に認知されなけりゃ正式に死亡と認定されないって。
同じようなもんだよ、似たようなジャンルだしどっちも医者で病院じゃん、無問題だ。

それから夫には逃げられていない、稀にだけど家に帰って来ることがある。
とはいっても大概は金が無くなったから小遣いが欲しいだの
もう一人作っちまおうぜ的な感じではあるんだけど。
参ったことに恋する乙女レーダーがキュンキュンに反応しちゃうものだから断れないんだな。

でもやっぱり子供の将来を考えれば離婚とか絶対に不可能なわけで。
一応お互いの両親には、慎ましくも精一杯家族として暮らしています、
というアピールをしているからな。

そんな時だけ何故か夫はスーツをキメて、夜は私がキメられて、
ってさっきから下ネタばっかりじゃないか。
本当に自分と自分の周りが嫌になる、過去に戻れるなら戻りたい、前世も可能ならば本気で切望する。



10 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 15:54:54.20 ID:XH8Cv2OP0

「おっかれっしたー」

「おつか」


返事を返してくれるのはこれまた梱包の冴えないおばちゃんただ一人。
そんな白髪満載の盛り具合でよく面接通ったな、と疑問に思うんだがまぁ面接では染めてるはずだよな。
髪に負けない勢いで肌の褐色度合いもヤバい、有り得ないくらいヤバい、肌脱色しましたってくらい。
返事は常に尻切れトンボだけど実物の尻は大きいし臭いし嫌われる要素があり過ぎる、
むしろその方面しかない。

なんで私の話し相手がこんな死にかけのおばちゃんしかいないんだ。
職場の皆明いです☆ワイワイやってます♪、の宣伝文句だったはずだが今すぐに書き換えろ。
もしくは私を宣伝部に回してください、つまり正社員に、駄目ですよねそれくらい分かってますよ。
ハァ、後三十年経てばあのポジションに超絶美少女の私が当て嵌まってしまうということか。
それまで生きていられるかな、いいや生きなくてはいけないんだ。



11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 15:57:33.05 ID:XH8Cv2OP0

「只今よりタイムセールを行いまーす! 秋刀魚一尾で三十円!」

「おいおい安すぎだろ」


自動ドアをくぐった瞬間に聴覚のはしっこで見つけたおいしい情報が胸をときめかせる。
おいおい、昨日がパスタだから当然のように今日はうどん、と思っていたのだが予定変更だごるぁ。
りっちゃんだあああああっしゅ、で颯爽に駆けつけようとしたのだが如何せん人大杉でした。

そこのけそこのけで最前列へ強引に割り込んでやる、
と意気込むのだけどこれも妄想が大半を占めている訳で。
暑い暑すぎる、奥様方の無駄な贅肉が可憐なこの身を押しつぶすと擦り切れてミンチになりそうだ。

そうか、魚コーナーの隣に冷凍コーナーが並列されてるのはこの暑さ対策の為だったのか。
もしそうなら肉のタイムセール時には冷凍モノ全部移動させなくちゃいけないんじゃないか。
いや待てよ、タイムセールコーナーそのものを作っちまえばいいんじゃないか、
バスの補助席みたいな感じで。
これはかなりいいアイデアかもしれない、早速履歴書と企画書持ってスーパーの求人に応募しなくては。

とは閃いたものの我が家に書類作成ができるパソコンやらプリンターが常備されてるわけでもない。
上流階級様がご使用になられる大層な高級品を召し遊ばせる余裕もない訳で。
でも高校の時までは、実家には一台あったはずだよな、多分そうだと思う。

そんな思考回路を行ったり来たり問答を繰り返していればお目当てのサンマはなくなっていた。
いいやよく見れば丁度五尾残っているじゃないか、おばはん共の手垢が魚肉にまで染み渡った秋刀魚が。
これを取ったら負け組み確定、プライドを堅く持つんだ気高いりっちゃん。


「あのー、痛んでしまったので買われるなら値引きできますが」

「すいません。お願いします」



13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 16:00:20.57 ID:XH8Cv2OP0

「たでーまー」

「かーちゃんおかーりー」


うは、お出迎えとか可愛すぎだろ我が愛息子達、残念ながら娘はいないが。
本当は娘が欲しかったんだよなぁ澪みたいに可愛い、
おっとこのジャンルはとっくの昔に卒業したんだった。

そういや澪は今頃何してるのかなぁ、
偏差値だけ高い大学には行ったらしいけれど全く連絡していないし。
あれちょっと待て、仮に澪が一度も留年していないとして
現在の学年はいくつだ、いいや卒業しているのか。
高校の卒業式があの時で、出産があの時で、
二回目の子作りがあの時で、やばいここから思い出せない。

澪と時間感覚の喪失は後回しにして自分の、いやチビ共の腹具合を心配するのが専決だ。
連絡がないってことは誰かとヨロシクやっているということじゃないか。
とりあえず一番下の子のおしめを手早く代えてやろう、そうすりゃ臭いで嫌でも現実に引き戻される。



14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 16:03:43.33 ID:XH8Cv2OP0

「ねーかーちゃん。あとでとーちゃんがくるってー」

「それマジノスケ?」


なしてしばらく会ってもいないのに生理が終わる日だけは完璧に把握していやがるんだ。
どんな超能力エスパーだ、いや誰かが密告したと考えれば不自然ではない、その方が合理的。
だとすれば自然と息子達に聞くのが最も手っ取り早い方法ではあるのだが、
もう女体に興味を持ったわけじゃあるまいな。
一番上でも五歳だから流石に有り得ん、
私が始めてエロ本を見たのは小学五年生の七月六日だったからまず有り得ん。

でも男の子とはレディーに自然と興味持つのが当たり前だし、
まさか旦那とヤってるとこを見てしまったとか。
そんな冗談はなんとかカラクリテレビとかの中だけかと思ってたぞ。
幼稚園児がマイクの前でパパとママが夜中に裸でちゅっちゅちゅっちゅ。

うわあああああああ決して言葉にはしないが
我が息子達の心に完全なるトラウマを植えつけていただなんて。
恥ずかしい、これは恥ずかしすぎる、ってどうして私は実の息子に羞恥心を抱いてるんだ。
おかしいだろ、ここの穴からスポーンって出てきたんだぞ。

ともかくだ、それプラス旦那自身が教え込んだという可能性は無きにしも非ず
エロ奉行であってエロ大名人だからな、こっちの方が確率的には高いだろう。
息子に見られながらのプレイを強要される前に先手を打っておかないと、大変なことになるぞ。
いつ役所の児童相談のおばちゃんが乗り込んできたって不思議じゃない。
よし、心を落ち着かせて聞くんだ、聞いちまえ。


「なあ、エッチって言葉分かるか?」

「えっち? すけっちわんたっちー」

「よし、ハイタッチー!」


駄目だこれ以上なにも突っ込めない、息子可愛すぎる。



16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 16:06:55.87 ID:XH8Cv2OP0

「かーちゃんまた雨漏りー」

「あーまじだ。またバケツ拾ってこないとな」


水溜りって程あからさまではないんだけどチビ共のおねしょ以上の世界地図ではある。
家賃が家賃なんだが、広さだけはそこそこある、むしろ大きいほうだし部屋も一つじゃあない。
散々に貧乏アピールしておいて手のひら返しかよ、なんて思わずとも安心して壁の御札を見て欲しい。
チビ共が遊び暴れ回った時に外れちまったことがあるんだよな、ビリィヤベェって。
その時は夜も末だった訳で神社に貰いに行くのを躊躇っちまったんだが、全くもって不正解だった。

夜中にオシッコーとぐずり出したのでしょうがないなぁと健気な母を演じみてたのだが。
その時に幽霊を見た、厳密に言えば息子が見た、やっぱり子供って霊感あるんだろうなぁ震えてたよ。
天井指差してコワイコワイって叫ぶんだけど如何せん私には何も見えないからとっとと寝なさいって。
んで寝かしつけるのに小一時間かかっちまってようやく床に着こうとした途端。
バギバギバギイイイィィィって天井が落ちてきたんだ、夢でも見てるのかと思った。

それから我が家、いや我が賃貸部屋の天井だけはどんだけ直しても雨漏りがする。
超特急で御札をふんだくって貼ると幽霊は見えなくなったのだが
滴る水は止まってくれなかった、クラシアンでも無理らしい。

田井中流節約術の一つである所謂いわく憑き物件なのだが。
それ以外に不便なところはないので平穏無事に暮らしてる、低家賃うめぇ。
でもバケツを拾ってくるのは正直もの凄く恥ずかしい、他は以前として超貧乏。



18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 16:09:15.43 ID:XH8Cv2OP0

「チーッス」

「おっ、おかえり。もうご飯食べ終わっちゃったよ」


スーツキタコレまじやばい超絶格好いい
ホント見た目だけなら山Pの三倍増しだよなって誰に言ってるんだ私は。
誰にでもなく同意を求めるけど求めた時点で答えは一つしか求めない、
だってそれ以外は耳に入れないから。

そんでまぁ都合よくチビ共はぐーがー寝息を立ててるんだよな、
流石空気の読める子に育てた覚えがある。

おかえりなさいアナタ、お風呂にするご飯にするそれともひゃふぅんぃやぁいきなり触らないでぇ。
そのままお姫様抱っこでベッドへ、なら最高なんだけど二人の愛液染み込んだ布団にゴールイン。
今日はいつも以上に乱暴ね♪なんて甘ったるい声を発する間も与えてくれなぁっぁんぁん。

え、着たままがいいの、でもだって汚れちゃうし
どうせならアナタの色で丸ごと汚して欲しいってゆぅかぁ。
だめぇそこはおしっこするところらめぇくちゃくちゃしないで、はふぅんはふぅん。
分かってる、分かってるってばお相子様でしょ、舐めてあげるこの包茎さんっ。
っあいたぁ、仮性と真性はが違うことくらい分かってるってば、
大丈夫よアナタの壁と一緒にズル剥けちゃうから。

ちゅぱぁんぐっっぷはぁいつにも増してしょっぱい、
こいつぅ今日ずっと私のこと考えてたな可愛い奴め。
えっもうイキそうなの、早いってばあっあっ、汚ねぇでもこの感覚は嫌いじゃないちょっと臭いけど。
入れるってちょまっまだそんなに濡れてぅんっはぁっ痛いけど
チビを生んだ時に比べたら、あっあっいやぁぅんっはぁ。
そんなあっ強くしたらぁうぅん声が漏ぁっぁっキスでぇんん塞いじゃってぇぇぁんっ。


「お前最高に可愛いな」

「当たり前だのくらっかあぁぁぁあぁんっ」



21 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 16:12:21.07 ID:XH8Cv2OP0

あぁ目の前が白い、そっか気ぃ失ってたのかよくあることだけど。
ツキアカリノミチシルベが差し込んでくる、もう夜中の三時じゃないか、寝ないと明日も体が持たない。
正気に戻ったはいいものの乙女レーダーの電池はまだ残っていたらしく
ベランダで煙草を吸う旦那の姿を捉えた。

でも反応するのはレーダーくらいなもので、
思考はやっと正常に機能を取り戻していた。むしろ戻らないほうが幸せだと思う、
だって恋していれば嫌なこと全部忘れられるじゃん、こんな生活とかさ。

早起きして飯作って洗濯して干してチビ共保育所に送って仕事して倒れるまで働いて。
スーパー寄ってチビ共連れて帰って面倒見ながら家事に追われてクタクタになって。
そんで一日の仕舞いにはこの有様、体中べとべとで内側からもまだ白いのが溢れてくる始末。
もう惚れ直す気力なんてないっつーの、正直なのは体だけ。
心まではそう簡単に、なんて強がりを持てるのはこの時間くらいなものだ。

でも実際はドッキュンラブハートになっていた記憶が頭に、証拠が体に残ってるんだからなんて惨めだ。
いっそ超絶激しいSMプレイでも要求してそのままイキ死んじまったほうが楽なのかもしれない。
そう言ったら案外あっさりと受け入れられてしまいそうなのがまた怖い。
それを知った息子達がショック死してしまいそうなのも怖い。
そろそろ考えるのも疲れた、シャワーを浴びてとっとと寝よう。
どうせ目が覚めれば旦那の姿は消えているのだから。


「寝る」

「おう」



22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 16:15:49.74 ID:XH8Cv2OP0

「どおおおおおおおりゃああああああ!!!」

「かあちゃんじこる! じこる!」


案の定、体は満足寝は不足がたたって意識を戻すとバッチリ時計が一回りしていた。
もんどりうって冷凍食品を弁当箱にぶち込むと化粧なんざ無視して準備、準備、準備。
朝の忙しさは異常すぎる、ただ鳴いているだけで許される鶏と立場を交換したいくらいだ。

玄関から発進すればちんたら通勤ライフを送っているロードレーサー共をぶち抜いてトップへ躍り出る
今なら某野原家の奥さんにも勝るんじゃないだろうか、と勝利を確信しつつ爆走街道まっしぐらである。
ちなみに今まで事故を起こしたことは一度も無い。
少し前でも取り上げたが、これは事故だと認められなきゃ立証されないっていうことだ。

キキィーッとドリフトをかませば、
連れられた宇宙人のごとくチビ共の首根っこを掴んで保育所に突入する。


「田井中さん! 時間はきっちりと守って下さい」

「っしゃぁーっせん! でも仕事遅刻しそうなんで失礼しゃーっす!」


お叱りも話半分でママチャリに飛び乗ると身を翻して再発進。
都内の託児事情によると満員御礼字の如しで、今こうしてる間にも予約が殺到しているそうだ。
全く働く女に冷たい社会になったもんだ、ここでの女とは出産を経験しているということだがな。
出生率の問題とか色々あるじゃないか、今のペースだと日本人はいずれ絶滅するんだと。
その頃には私も息子も生きているはずがないのだけれど、想像してみれば寂しくなってしまうもんだ。

だから私は胸を張って誇っていられる、なんたってこの若さで三人もスパコンしてるんだからな。
下らない妄想は誇張は止まないが、
こうでもしていなければ今から始まる地獄の荷移しに耐えられないわけで。
さあ、いよいよご到着、土下座の準備だ。


「田井中ァ! また遅刻かァ!」

「んっとにサァーッセンッ!!!」



24 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 16:19:24.47 ID:XH8Cv2OP0

最近頭を下げるのに抵抗力がなくなっている気がする、
妙なワクチンでも注射されたわけじゃあるまいに。
そのせいか体がダルい、心もダルい、日ハムのダルびっしゅ格好いい。
スーパースターのお嫁さんになれたらいいな、
なんて期待をほのかに隠し持っていた私の子供時代は何だったんだ。

野球って言ったら近所のガキ共連れて野原貸し切って
私が監督で聡が雑用で、プロ野球ごっこしてたっけ。
あの辺りから男勝りになってしまったんだよなぁ、
先に澪に出会っていれば立派なオンナノコになっていたかもしれない。

聡は結局サッカーの道に進んだんだ、絶対プロになってやるって頑張って毎日友達と練習してて。
高校の終わりに家を出たんだから最後に見たあいつは中学生だったか、まぁ必死になっていた時期だな。

ここまでは振り返れるもののその先となるとさっぱりだ、
軽蔑しているんだろう連絡を送ってくる気配もない。

姉に似ていながら根は真面目なんだもんな、
あいつがスターになってからひょっこり目の前に現れてみれば。

『とっとと消えろ! 俺は金づるじゃねぇ!』なんて真顔で言われそうだ、おぉコワイコワイ。

逆に私が引越し業界のスターになったら向こうから会いにきてくれるかな、まさかそんなわけ


「おい田井中! 前見ろ前!」

「んん、っへ?」


―――― ガシャーン!

ぐぁいってええぇぇ、やっちまったついにやっちまった、江戸時代なら打ち首獄門の系に処される勢いだ。
プラズマ液晶を粗大ゴミに変える能力が身についた、そんなもんいらねぇ。
ガラスやら機材の破片やらが足の裏から膝回りまで一面を覆っている、痛そうじゃなくて痛い。
私の人生終わったわ、このままぶっ倒れて生活保護の暮らしに切り替えよう、それがいい。
そうと決まったらさも血の気が引いたように倒れて、ぐでーん。



25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 16:23:07.28 ID:XH8Cv2OP0

「過労ですかね」


当たり前だろ、これだけ体を動かして疲れない奴は
幽霊もしくは未来から送られてきたターミネーターしかいない。

もっとも私はあんなゴツゴツにシュワルツしていない、抱きしめたい程に華奢で可憐なんだからな。
しかし点滴がこんなに気持ちのいいものだとは、
なんていうかぶっとい針が体の芯まで入っていくっていうかぁ。
こいつはどんな変態プレイだ、口にするのは控えておこう、精神科に書類を送られてしまう。
とりあえずだ、ここは家族を養う為に健気に働くも無理がたたって倒れた美しい若奥様を演じるに限る。
そんでもって労働基準法違反でゴメンナサイさせて多額の慰謝料をせしめれば、計画通り。


「とはいっても既に元気になられたようなので。
 後一時間で点滴終わりますから、そうしたら帰宅されて下さい」

「それだけっすか」


よく見れば病院内は人でギュウギュウ詰めになっていて、
部屋からはみ出たタンカーにまで患者さんが寝ている始末。
大病院の割にはゆとりがないものだと嘆いてみたって
救急車で運ばれてすぐに診てもらえた私は恵まれ過ぎているだろう。

過労、なんて大して珍しい病名でもないということだ、
早く帰って私達の負担を減らして下さいと医者が顔で訴えている。
分かるよその気持ち、でも高い給料貰ってるんだから
もうちょっと頑張ろうよ、私の時給の十倍は超えてるんじゃないの。

賃金量は労働量に比例する、なんて極論言わないけれど
それ位の措置を取ってもらわないと底辺は納得しないぞ。
ともかく後一時間しかいられないのなら横になって寝ていよう、
私過労で倒れたんだった。



27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 16:26:43.29 ID:XH8Cv2OP0

「ふふふーんふーんんふふ」


ご近所さん方よ変な目で見るな、自分だって変なのは重々承知しているしこれはワザとなんだからな。
ああそれでもスキップは止まらない、なんて清々しい灼熱の太陽なんだ。
ただ歩いているだけでこんなにも汗が噴出してくるなんて、なんて素晴らしいのだろう。

『しばらく仕事に来るな、処分は後からなんちゃら』という
半解雇宣告を受けたわけだが、何故だろうか気分はこんなにも浮かれている。
なんかもう自分でも自分の気持ちが正確に把握できていない、
自暴自棄っていうの、もう何にも怖くぜないみたいな。
きっと衝動犯罪を起こしてしまう連中はこんな気分なんだろうな、
俺達に明日はない、だったら今この瞬間に輝いてやろうじゃないかって。

そんで堂々巡りを起こした挙句に、
何かデカイことをしたい、なんて下賎な発想を素晴らしいと勘違いしてしまう。
私はやらないぞ、多分きっと、パーセンテージで言えば八十を占める余裕がある。
その内訳を支えているのはやはり家族だ、やっぱり家族、それだけあればいいじゃないか。

トントントーンと階段を上って我が家にご到着、さて何をしようか、空いた時間はたっぷりとある。
チビ共が帰ってくるのにはまだ早いし、といえどもあいつらが自発的に帰宅するわけじゃあないぞ。
初めてのお使いじゃないんだから保護者もいないしカメラマンもない、
そんな危ない橋を渡らせるつもりはない。

三つ隣の部屋に暮らしているシングルマザーにお頼み申しているわけで、奥様友達っていう間柄だな。
向こうは大変ザマァなことに旦那に逃げられてしまったようだけれど、
あながち私の立場とそう違いはない。

貧乏不幸妻連合と命名しているが乗り気なのは私くらいなもので、恥ずかしいからとよく否定される。
でも仲はそこそこ良好だと思う、給料日になったら缶ビール片手にお邪魔できるほどだ。
似たもの同士蹴り飛ばせないのだろう、好きでなくても嫌われてしまったらそれこそ一人ボッチだ。
持ちつ持たれつ依存し合うのはいつの世でも起こりうる事なんだと思う。



30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 16:32:16.02 ID:XH8Cv2OP0

―――― ガサッゴソッ

レーダー感知、レーダー感知、方角は寝室この音はネズミだな。
夏場は特に困る、天井の隙間から進入してきた輩が生ゴミを食い散らかしては我が城を作る。
最も作り上げた城に長居はしないようで、
食うもの食ったらすぐにオサラバでその後片付けをするのが私の役割となる。

どうして寝室にゴミ袋があるのかというのは、まぁ掃除面倒臭いんだよ少しくらいいいじゃないか。
右手にゴキジェット、左手に丸めた新聞紙を準備してさぁ突撃だ、経験値稼ぎまくってやるぜ。
じりじりと近づき一気に部屋のドアを開けてとうりゃああああああああ、あ?


「ちっ、違うこれは誤解だ!」

「ナニヤッテンノ」


ああ、分かるよ分かる、素っ裸のお前と部屋の隅っこで毛布に毛布にくるまってる、見覚えのある背中。
なんだその地味な隠れ方は、ケツが丸見えなんだよ、白く濁ったケツがな。
そうかい、そういうことかい、言い訳なんてするなよ、
この状況を見てコロっと言い包められるとかどんなお人好しだよ。

私は騙されないぞ、その口調その表情、
冷汗たらして必死に言い訳の言葉を探してる顔だ、それ以外にナニが映る。
ふざけんなよお前ら、なんで真昼間っから子作りに性出してんだよ、こっちは労働に性出してきたんだぞ。
昨日の夜、私を抱いたよな、
『最高に可愛い』って『お前しか有り無い』ってありったけの甘い言葉を並べて。
あれは嘘だったのか、別に嘘じゃなくてもいいよ、
お前はそういった言動を誰にともなくひけらかせる人間なのかってことだ。
久しぶりにキレちまったよ、ちょっと地獄まで行こうか、片道切符なら私が用意してやる。
怖がることはないって、痛いのはほんの一瞬、
後は魂が来世に着くまでのんびり彼岸の花でも摘んでいようじゃないか。


「私、この人にレイプされてたの!」

「ハァ?」



33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 16:36:26.43 ID:XH8Cv2OP0

おいおい何の冗談ですか、
きっちりと折り畳まれた洋服は何ですか、抗った形跡がないのはどういうことですか。
同意のあるレイプなんてレイプとは言わなくね、むしろドントコイってことだったんだろ。
友達じゃなかったのかよ、私達似たもの同志だか士仲良くやろうって、仲良くやるしかないって。
汗と唾液と精液にまみれたその手で私の息子達を連れて帰ってきてくれてたって訳か。
言い訳なんて求めてないよ、もう絶交だから、つうか元々お前のことそんな好きでもなかったし。

まだ恥ずかしそうに局部を隠そうとしますか、
こちとら人生の恥部を進行形で晒しまくってるっていうのによ。
死ね、死んじまえ、あの世に行ったらもう一回殺してやる、
そんで来世でも殺してやる、その次もその次も永遠に。


「包丁とか、やめようぜ。な、話し合えば何とかなる」

「とりあえず死んでから話そうか」


好都合なことにキッチンはこちら側だ、シャキーン二刀流だぜ怖いだろ恐ろしいだろ。
恐怖に歪んだ表情ってたまらないな、この私が二人分の命を握っているんだぜ、いや切り裂くのか。
ホレ、ホレ、昨日までの強気な態度はどこに行った、
屈服させられる側はさぞかし気持ちがいいだろう、究極のSMプレイだ。

歪めろよ、もっと震えろよ、
お前らの人生のフィルムが途切れようとしているんだぞ、根性で延長してみせろ。
這いずり回って逃げ惑って抗って痛みに打ちひしがれて
の垂れてのた打ち回って引き裂かれて溢れさせて中身全部穿り出して。
想像しただけで虫唾が走るだろう、もう無理だ、我慢できねえ。

―――― ボフゥッ

「ちょっ前が見えな、ゴフゥッ」



36 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 16:40:33.95 ID:XH8Cv2OP0

「たでーまー」

「んー」

「だっ、誰?」


『ん』の一言だけでもお前のかーちゃんだと分かってくれ。
血の繋がった親子じゃないか、分かってくれないと泣いちゃうぞ、既に泣き腫らしてるけど。
布団が臭い、私と旦那と友達だと思ってたクソビッチの汁がたっぷりと染み込んでる。

いい加減に起きてみるとするか、
わお見事に二つの穴が形成されているな、ここに刺さって包丁が無効化されたのか。
結果は惨敗に終わったのか、私もあの二人も、
揃って仲良くゴートゥーヘルしようという短期計画が台無しだ。
お陰で攻撃力がゼロに戻った私は立てなくなるまでボコボコに殴られ蹴られで体を歪めた。
その最中に視界の片隅で捉えたクソビッチのざまみろな表情が海馬にこびり付いて離れない。

ダッチワイフの次はボパンチングマシーンか、
殴られても点数が出るだけじゃないんだ、血だって吐くし悲鳴だって上げる。
それでも通報されなかったのは生活習慣が悪いんだよな、
喘ぎ声の出し方を変えなくてはいけない、とっても次は誰に使うのやら。
もう無理だ、ボロボロになった姿を実の息子達に見られているかと思うと、石ころ帽子でも被りたい。


「かーちゃんどーしたの! かーちゃん!」

「っよぉ」


すげぇ涙目だな、その涙を傷口にあてがってくれよ、ゲームみたいに回復するかもしれないからさ。
というか誰が連れて帰ってきたんだ、扉が開いてるのは確かだけれど視界が霞んでよく見えない。
あの真っ赤なコートはクソビッチか、最後の善行のつもりなのか、お迎えだけはきっちりしてくれやがって。
とっとと失せろ、消えろ、二度と姿を見せるな、
って言いたいんだけど舌がもつれて唸ることしか出来ない格好悪い私。



37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 16:43:23.44 ID:XH8Cv2OP0

「ここ、電話」

「わがっだ、かげる」


泣きながら電話をピポパポする息子も可愛いな、子機だけでもどこかから拾ってくるべきか。
それにしても最後の手段を使っちまうとは私も情けない、子供に話をさせようとしている部分もな。
これだけは絶対にしないつもりだったんだ、天変地異で地球の自転が止まってしまっても。

おー、繋がったのか懐かしい声だな、そうテンパるなって、お前のおじちゃんに当たる人物なんだぞ。
とりあえずかーちゃんの名前を出して助けて欲しいって言っておけ、あと住所くらいでいいわ。
両親が出なかったのが何よりの救いだな、最後まで頭ごなしに反対されてたっけ。
よーし偉いぞちゃんと言えたんだな、後でご褒美にもやし炒め作ってやろう、特製中華ソースでな。
もっとも先にアイツが来るのが早そうだ、そしたら再開パーティーでもやろう、盛大にな。



39 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 16:48:11.34 ID:XH8Cv2OP0

「意味分かんねぇ」

「うへへ」


お前の口癖直ってないな、
いい加減子供っぽい言葉使いは卒業したと思っていたんだけれどまだまだだということだ。

私が先に死ななければお前は年上になることができない、ざまぁ味噌漬け。
冗談に決まってるだろそんな怖いを顔するな、もう少しで死んでたのかもしれないのは事実なんだけどさ。
あと病院とか必要ないから、もうはっきり喋れるし関節以外はちゃんと動かせるぞ。
だから救急車とか呼ばなくていいんだってば、何の為にお前に電話したと思ってるんだ。


「とりあえず話しようぜ。話相手が欲しいんだ」

「ねーちゃんは大馬鹿者だよ」


んまぁ私の近況なんて見ての通りだよ、こんな貧乏生活にガキが三人、おまけに痣だらけ。
しかめっ面してないで笑ってくれよ、昔みたいに『ばっかでー』っておどけてみせろよ。
私の中ではお前の時間は止まったままだったんだ、中学生で小さくてやんちゃで無邪気で純粋で。
もう数年経ってるし理解だけはしているつもりだ、お前だって女と社会を知る年になったんだろう。

でも今はそんな現実すら耐えられないんだ、全部放棄したい、粗大ゴミ置き場に不法投棄したい。
いやいやただの妄言だから、あくまでも理想図であって実行に移すかどうかは別問題だ。
『常識的にそんな体になるのはおかしい』か、凄まじい一般論だな、正論すぎて傷がしみるぜ。

んで肝心の今日なんだけど、早々と家に帰ってきたら旦那と元友達がアンアンチュッチュしてたという訳。
そしたら柄にもなく頭にきて包丁握り締めたら逆ギレされちまった、昼ドラの修羅場かと思ったよ。
別に客観的に見れる余裕なんてなかったけどな、振り返ってみれば改めてそう思えたということ。
つまらないだろ、こんな人生、もう私の話はいいからお前のことを聞かせてくれよ。
いいから聞かせろ、今の自分がどれだけ惨めなのかを比較して絶望したいんだ。



41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 16:52:01.38 ID:XH8Cv2OP0

へぇ、ふぅん、ほうほう、そいつは順風満帆だ。
体連のサッカー部ってそんなに凄いもんなのか、マジでか、全国大会とかすげーな。
そんだけ活躍してても全く耳に入って来なかったぜ、我が家にテレビなんて置いてないからな。
聡もついに立派な大学生になったってことか、背も抜かれてるし胸囲だって完全に負けてるな。

まぁ流石に田井中家の血筋を継いでるだけあって顔はあどけないハニーフェイスだがな。
さぞかしモテるんだろう、えっ彼女がいるとな、ようしそいつを品定めするから今すぐここに連れて来い。
嘘に決まってるだろ、それくらい分かれっての、こんな姉の存在自体話したくないよな。
それ以上はいいや、キャンバスライフなんて眩しすぎて失明しちまいそうだよ。


「それで一生のお願いなんだが。今夜泊まってくれないか」

「本気で言ってんの?」


顔じゃヘラヘラしてるけどさ、本気で怖いんだよ、殺されるかもしれない。
マジで痛かったんだ、頭も頬も肩も胸も腹も手も足も心も穴の中も何かも解体されるみたいに。
なんだかんだ逃亡癖を持ちそうになるも実際はこの世界と息子達に未練たらたらなんだ。
頼れるのはお前だけしかいないんだ、もう疲れたんだ、今夜くらいは安心して眠りたい。
いきなりで失礼すぎるお願いだっていうのは重々承知してる、でも死にそうに辛いんだ。
未発達のまま大人になった愚かな姉からの一生に一度だけのお願いを聞いて欲しい。


「分かった」

「マジでか。ありがとう、感謝する」

「分かったからさ。忘れないうちにコレ、家から持ってきた」



44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 16:55:49.71 ID:XH8Cv2OP0

夢が眩しい、どれだけ昔のことなのだろう過去の出来事。
栄光とまではいかないけれど確かに私の人生で輝いている場面があった。
下らない勉強して放課後集まればティータイムでたまにドラム叩いて夕方になったら一緒に帰って。

今にして考えればなんて間の抜けた青春時代送ってしまったのかと
渇を入れてやりたい心持ちだがそれも叶わない。
時間の流れさえ止まってしまったかのように緩やかで、ずっとずっと、永遠に続くのかと思ってた。

そんなの有り得ないと悟ったのは家を飛び出した後だった、
何気ない日常が最高にかけがえの無いものなんだって。
旦那と子供さえいればどんな壁でも乗り越えていける、
なんて思い込んではどれだけ転んで起き上がってきたことか。


「迎えには俺が行くから。でも今日中には帰ってこいよ」

「わぁってるって」


朝の日差しが眩しい、しかし常ならば日が昇ると同時に起きているので、これでも随分と寝坊な方だ。
一生に二度のお願いになってしまった、どれだけ感謝しても足りないくらいだ。

とりあえず金の確認をする、
『小遣いやるよ』なんてこんな年にもなって弟から貰ってしまうとは何とも情けない。
次いで服装、悪くはないが良いということでもない、色気もクソもないことは確かだ。
時間にはまだ余裕がある、しかし早すぎて困るということでもないだろう。



47 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 16:59:47.95 ID:XH8Cv2OP0

「ちょっくら行ってくるぜ。いい子にしてるんだぞ」

「ほーい」


きつく握り締めるのは『軽音部同窓会のお知らせ』で聡から渡されたものだ。
ムギが出してくれたらしい、『同窓会するのが夢だったんです~』と聞き覚えのあるフレーズが並んでいる。
見た瞬間は捨ててしまおうかと思った、落ちぶれた私なんかが顔を出してはずないだろうって。
そう言ったら聡に説教をされてしまった、この機会を逃せば二度と会えなくなるのだと脅されてしまった。
これから頼れる人が増えるのなら俺も助かるから、とツンデレ臭い言い分まで付け加えてくれた。
そんな風に諭されたら行くに決まっているだろう、姉の扱い方だけは忘れないでいてくれたんだな。

あいつらは今頃何をしているんだろう、高校を卒業してからもう五年が経ったらしい。
手紙の印象からムギは順風満帆なお嬢様ライフに戻ったのだと推測される。

イイトコの大学に進学した澪だが、
順調にやっているならば社会人一年目の暑すぎる夏を過ごしているはずだ。

和に引っ張られるように短大に入った唯はちゃんと生きているかさえ不安になる。

絶対にミュージシャンになると意気込んでいた梓は結果を出せたのだろうか。

流石に私よりドン底人生を歩んでる奴はいないだろう、
せいぜい笑い者になって元気づける役に徹するとしよう。
それにしても楽しみだ、あいつらは一体どんな大人になっていることだろう。



57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 17:24:55.49 ID:XH8Cv2OP0

平沢唯の場合。



58 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 17:25:46.68 ID:XH8Cv2OP0

恥の知らぬ人生を送ってきました。
私には世界の常識というものが、その時まで理解できていなかったのです。

一見薔薇色に見えた世界の原色は色褪せていて、
レンズを取り替えてみれば視点が丸ごと変わってしまったのです。
ピンクに熟れていた果実は軒下に吊るされた柿以下の存在になり、
澄み切った純粋は泥水に姿を変えてしまいます。

どれもこれもが、何もかもが色素を失った私の世界、何をするにも億劫で退屈になりました。
急激な変化に体が拒否反応を起こすと、妬みと憎しみがこの身を締め上げようと絡み付くのです。

我慢するのには慣れました、否、そうやって耐えるしか方法が見つからなかったのです。
手を伸ばせばすぐそこにある、もう一回もう一回だけ、と震える指先が別の意思を持って動く。
何度か弾いてから約束の物を掴むことが出来ました、後はそっと乗せて、火を焚くだけ。

そう、その調子、やれば出来る子なのがこの私、平沢唯です。



59 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 17:26:29.42 ID:XH8Cv2OP0

―――― ツーン


「っぷはぁ」


吐息が震えると肺がけたたましいサイレンを鳴らして体中の熱を呼び戻す。
この感覚こそ私が欲しがってたもの、ずっと奥まで浸透して丸ごと満たしてしまえ。
その内なにもかもが飲み込まれて、ぐちゃぐちゃになって、溶けて混ざって蒸発してしまうまで。

電流が脳天にまで走っていくのを感じる、そのまま抜けてしまえるように強く吸い直した。
苦味が舌下まで広がると喉元に針が刺さる痛みを感じる、次いで胸の奥がぼわんとふくらむ。
もうしばらくすれば目的の場所へと到達できるはず、呼吸を止めずに後少し。
眠くなってしまえばいよいよ見えてきた、明日の朝日が昇る頃にまた戻ってこよう。



60 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 17:27:21.72 ID:XH8Cv2OP0

―――― チュンチュン

「ぅ、あぁぁ」


苦しい、呼吸を忘れていたのは故意にではないがその所存は私自身にある。
罪悪感に襲われるのはいつものことだ、楽しい時間を振り返る分だけ今の虚しさを強調させる。
ピリピリと痺れる、体中に地割れが走ったようにあちこちでひび割れが起きているようだ。
試しに動かしてみようとするがやはり無理だった、完全に戻りきっていないのだろう。
少しくらい遅刻をしたって構わないさ、あれだけ腐った上司なのだから大抵のことは大目に見てくれる。


「うーいー」


誰もいない空間ほど寂しいものはない、立派な一軒家は小さな私が一人で使うには余り過ぎている。
自分の声だけがエコーして、やはり一人ぼっちなのだということを再確認する。
憂は早々に嫁に出て行ってしまった、薄情者め、スキスキ大好きお姉ちゃんはどこに消えてしまったのか。

女の結婚需要なんて二十二までがピークだというのは本物らしい、
最近は以前よりも嫌らしい目線を貰う頻度が減ったような気がする。
新鮮なうちに大企業の会社員を召し取ったのは実に賢いのだけれど、姉としては全く腹が好かない。
ストレス性胃炎を起こす前に常用している薬を流し込むことにする。



62 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 17:32:08.66 ID:XH8Cv2OP0

「だーるーいー」


ようやく起き上がれた手前に愚痴を零しても受け皿は用意されていない、黙って木の壁が吸収する。
牛乳一杯に食パン一枚、食欲が低下したのか最近は出来たものしか口にしなくなっている。
憂がいた頃は立派な朝食がずらりと並んでいた、それでいて我が侭を言えば大抵のものは作ってくれた。
砂糖たっぷりの卵焼きが食べたい、胃に染み渡るお味噌汁が飲みたい、
今は自分でやればいい話なのだけれど。

少し前に卵焼きを作ってみたことがある、
調子に乗って思い切りフライパンを返すと手首に着地して悲鳴を上げた。
ボーダーラインで形成された古傷が相まって小一時間床を転げまわった記憶がある。


「いってきまぁーす」


返事の無い問いかけはこれで三回目、
一人暮らになってから無駄に虚空に話しかける回数が増えていた。
高い目線をくれる太陽が眩しい、通勤組みには親切心を働かせてもう少し低く構えてくれてもいいと思う。
私のような社会人が一斉に熱中症で倒れれば世界が止まってしまうのだから。
水平線から顔を覗かせる程度に、
そうすれば清々しい朝を満喫したままクーラーのかかった部屋まで辿り着ける。
とは考えるものの冬の通勤を考えること主張は間反対に傾いてしまう、もっと高い所にいて欲しいと。
ともかく遅刻は確定したのだけれど急いで駆けつけたというアピールは必要なので適度に走っておく。
う、うっぷぇ、やっぱり駄目だ吐きそうだ、昨日は量を増やしすぎてしまったらしい。
しかし歩いたとしても確実に労働という退屈な時間が近づいていることに間違いはなかった。



63 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 17:36:31.52 ID:XH8Cv2OP0

「これコピーしといて。それからこの資料打ち込んどいて」

「わぁりましたぁ」


案の定叱られることもなく仕事を押し付けられる、
私への社内の風評から誰も文句をつけようとは考えない。
業務内容は専ら雑用なのだけれど、
パートアルバイトと似たような働きで正社員の給与が頂けるのはおいしい。

コピー、シュレッダー、お茶汲み、猿でも出来るタイピング、と簡単すぎる内容だ。
稀にではあるがお偉いさんのご機嫌伺いの為に女体要員として借り出されることもある。
だとしても文句を言ってはいけない、これ以外に私が出来る仕事などないのだから。

似たような年齢の女が一人いるけれど、
頼まれてもいない企画書を作るだの他人のプロジェクトに首突っ込むだの良く思われていない。
プライドの高い女嫌いだ、実力を求められてる訳でもないの気合だけが空回りしてる。

そんな必死な姿を横目に傍聴しながら私は申し付けられた業務をこなして着々と年齢を重ねていく。
会社が潰れたり社会革命が起こったりしない限りはこの繰り返しで人生を消費していくのだろう。
生き甲斐も何も無い、夢のない話だ。


「どうだね、進んでるかね。んんー?」

「はい。もう少しです」


尻を撫でられながら業務報告をさせられる、毎度のことながら周囲の人達は目を逸らして無視している。
そこだけぽっかりと切り取られたようにセクハラ空間だけが孤立していた。
隙間に入られてしまわないように太ももをきつく締めれば、汚らしい手を挟まれて弄ばれる。
我慢する表情をチラつかせれば血気盛んな若手社員らの目線が戻ってくる、こっちを見るな。
ひたすら労働に勤めていればいいものを、オカズを見るような視線は止まらず堪れなくなる。
年配の女性社員さんが席を立つ合図でこの儀式は毎回終了を迎える、
すっかり習慣となってしまったものだ。
もう少しだけ我慢すれば開放される、それまでの辛抱だ。



64 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 17:39:22.28 ID:XH8Cv2OP0

「あのさ、また在庫切れちゃったんだけど」

「あんたさぁいい加減頻度減らしなよ」


半ば軽蔑の対象としていたほぼ同期の働き蟻にも頭の上がらない時はある。
嫌な顔をされつつも目的の物を予約することが出来た、これで快適な週末を送れるだろう。
最も会話はこれ位なもので一度オフィスに戻れば目も合わさない犬猿の関係に戻る。
私が席に着くのを待っていたのか、セクハラ上司が目の色を濁らせると嫌な予感が背筋を凍らせた。


「今週の土曜、空いてるかな」

「はい。まぁ一応」


空いてますけど好きに過ごさせて下さい、と言ってしまえれば楽になれるのだろう。
しかし今日と昨日と先週ともう少し前にも遅刻をしたのだった、そろそろ借りが貯まってきた頃合だ。
出来るなら断りたいのだけれど自由な時間と引き換えに首が飛ぶかもしれない、でもやっぱり。

なんて思考迷路を彷徨っていても結局は生きる道を選んでしまうものだから人間の生存本能は恐ろしい。
安全日でもあるしピルでも飲んで無理矢理にでもコンドームを装着させれば問題ないだろう。
こんな腐れゴリラの子供なんて授かった時点で人生ゲームオーバーなのだから。
『外に出せばいい』なんて甘い考えで臨むべきではないということだ。

我慢汁というものがあるけれど、あれには微量ながら生きている精子が含まれている。
その辺りを童貞や処女は知らないものだから
ウッカリ妊娠なんて悲劇が起こってしまう、りっちゃんみたいに。

すっかり忘れてしまったはずなのに意外な人物が頭の中に浮かび上がってきた。
だとしても思い出したところで何かのプラスになるとも思えない、今は現実だけを見ていよう。



65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 17:42:00.90 ID:XH8Cv2OP0

「本当にスケベな女だねぇ、君は」

「先にシャワー浴びてきます」


週末のホテルは独特の雰囲気を漂わせると陰陽に男女が惹かれ合う。
そこそこ豪勢なホテルの一室は私がそれに見合った女であると認めてくれている。
多少は嬉しいのだけれど、それも年齢というもの大きな割合を占めているからだろう。
対してお相手はチビハゲデブと害悪が三拍子揃った醜い性欲の塊、
正装はお世辞にも馬子にも衣装にも劣る。

それでも嫌な顔を見せぬよう努力をして、しかし耐えるのも面倒なので早々にバスルームへと逃げ込む。
その後に展開される行為を考えれば全くいい心持がしないのだけれど、
最低限の身なりを整えてしまうのは女の性だろうか。
乗り越えてしまえば溜まっていたマイナスポイントに
徳政令が適応されるのだから、チョロイものだと考えよう。

そうとでも思い込まなければやっていけないのだ、
この就職氷河期に雑用一つで転職が許される会社なんてあるはずがない。
我慢我慢、と純白な肌に仕上がったところで決戦の地まで赴くとしよう。
ひたすら汚される為だけに仕上げたこの体が心まで乾いてしまわないうちに。



66 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 17:45:43.81 ID:XH8Cv2OP0

一通り済ませてしまえば後は惰性が突き動かしてくれる、便利な習性が身に付いたものだ。
案の定に一発屋の異名は全く衰えていないようで早々にくたばった。
ベッドで大股を広げて誰にともなく短小を見せつける姿は張り付けにされる惨めな異教徒のようだ。

一瞥してから都会のネオンを見下ろして、口直しならぬ視界直しをする、本当に綺麗だ。
色取り取りの明かりが眩しい、赤白黄色と輝いては存在感を存分に誇張していた。
だとしても闇があるから輝けるもので、
散らばる光の隙間にはそれだけ犠牲になっているものがあるのだと考える。
その中の一つを自分と照合してみて、やっぱり暗いからよく見えないと諦める。

ただ同じ立場の人間がそれだけ存在しているのだろうという仮定だけで満足だった。
全体の中の一部、本気でそう思えるのならば耐えていけると確信していたのかもしれない。
だとすればその役割に徹することこそが平沢唯という人間が存在する意義なのだろう。
諦めるとも抗うとも違う、受け入れる姿勢がここにはある、と緩慢に言い聞かせてから心を強く持った。
道化を演じるのがこんなに辛いことだなんて、誰が教えてくれただろうか。



68 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 17:48:04.98 ID:XH8Cv2OP0

「何なのよこんな夜中に」

「こんな夜中だからこそだよ」


能書きはいいからとっとと遣せ、取りに来ればあると確かに言ったのは其方じゃないか。
元はと言えば誰が薦めてきたんだ、最後まで責任を取るべきなのは当たり前だろう。
本当に早くして欲しい、体中がむず痒くて堪らない、また蛆虫が這い回る悪夢に襲われる。
お金なら十分にある、これしか楽しみがないのだからこんなにも必死な形相をしている。


「今回はいいけど、次から別の人にあたってくれないかな」

「まじで」


そろそろ言い出す頃合だと思ってたんだ、ここの所露骨に態度に表していたから。
それに普通に考えれば危ない橋を何度も往復しようなんて馬鹿な真似はしない。
私ならきっと大丈夫、これだけ人畜無害な幼顔をしているのだから何とでも誤魔化せる。
捕まるわけ無い、今までもそうだったしこれからも、きっとその繰り返し。

御託はいいから早く貰える時間と場所を教えろ、
でないと例の上司に頼んで更に居心地を悪くさせてあげようか。
元々嫌われ役だもんね、これ以上一人遊びが過ぎるようだと終に左遷されちゃうんじゃない。
それで私と手が切れるのなら安いものでしょう、二度と口を利かないって約束してあげる。



70 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 17:51:36.61 ID:XH8Cv2OP0

「お姉ちゃん。お姉ちゃんってば!」

せっかくいい気分に浸っていたっていうのに何様のつもりだ。
誰だよあんた、人の顔覗き込んで勝手に涙零して吹きかけやがって。
私と瓜二つな顔をしていながら幸せ指数は間逆のあんただよ、何しに来たっていうの。
あんたなんて知らない、私のよく知っている憂は優しくて素直でお願いすれば何でも叶えてくれるんだ。
一人じゃ何も出来なかった私を見捨てて消えてしまうような奴は私の妹じゃない。

どこかに失せろ、今いい場面だったんだ、パパとママの手を取っていつかの河川敷を散歩してた。
もちろん三人でだよ、憂はいない、あはははははざまぁみろ省かれてやんの。
離れてよ、くっ付かないで、消えろ失せろ死ね、老衰までみっともなく生きて死んでしまえばいい。


「こんなことやめてって何度言ったら分かるの! 昔のお姉ちゃんに戻ってよ」


昔っていつのことを指してるの、もう大人なんだからいつまでも覚えていられないよ。
たまに顔を見せたと思いきや癇に障るような嫌味ばかり、もう耳にタコができてるのが分からないの。

とっとと帰って旦那とパコパコやってればいいじゃん、聞いたよ、不妊治療頑張ってるんだって。
折角いい家に転がり込んだのに子供も産めないんじゃお笑い者だよね。
それでヤられるだけヤられて観念したら養子でも連れてくるとか、一生を賭けた渾身のギャグだよね。
自分の生きた証を何も残さず無様に土に埋もれていく、そんな人生楽しいの、ねぇ楽しいの。
私は必死に避妊してるっていうのに体質は間逆になっちゃったみたいだね、
分けてあげようか、方法知らないけど。

社会の一部として真面目に働いてる方が偉いってこと、神様はちゃんと理解して差別してくれたんだよ。
納得できたら失せろよ主婦ニート、肉便器として壊れるまで働けばいいんだ。


「私だってこんな腐ったお姉ちゃんいらない、もう二度と来ないから!」



71 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 17:54:58.15 ID:XH8Cv2OP0

潮騒が激しい、跳ねる飛沫が私を祝福をしてくれているように感じる。
ひと気もねみず気もない港の倉庫群に紛れていた、真夏だというのに異様な寒さが支配している。
それでも心は温かく波打っていた、期待と緊張が足音を消すほどに騒ぎ立てる。
指定された番号の倉庫を見つけると息を呑んで扉を開けた。


「すいませーん」

「あん?」


とびきりガラの悪いお兄さんが三人揃って睨み込んできた、受け流すように笑顔を忘れずに。
きっと大丈夫、私ならやれる、それでも震える足先は一向に前に進んでくれないのだけれど。
ひゃっうっ、いきなり何処触ってる、やめっそんな奥まで、ちょっちょっと待って。
えーと、身体検査ね、いきなり紛らわしいことをするのはどうかと思う。

ともかく取引はしてくれるらしい、大金を渡すとちょいちょいとサブバッグを指差す。
用が済んだらトンズラだ、これで一ヶ月以上は不憫な思いをすることもないだろう。
後は持ち帰るだけ、無事に家まで辿り着くだけ。



72 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 17:57:43.55 ID:XH8Cv2OP0

生きてるって素晴らしい、生きてるって最高だ。
家に着くまでの時間が長いようで短い、この気持ちを端的に表すならば修学旅行の前夜がぴったりだ。
邪魔な憂は消えたし同僚の馬鹿女とも付き合わなくて済む、後は全てが私の思い通りにできるのだ。

好きなように生きて好きなように過ごす、案外難しいだろうけれど抜け道はすぐ側を通っていたらしい。
私だけの世界はいつだって真実を具現化している、この世は悦楽と差をつける為の罰でしかない。
早く向こう側に行きたい、私を待ちわびているはずだ、自然と歩行が不規則になる。


「すいません。ちょっとお話聞かせて貰えませんか」

「は、はひっ」


だだだ誰ですかあなた、どうしてそんな強面を前面に押し出しているのですか。
私は急いでるんです、早く帰らなければいけない事情と理由があるんです。
その内容はですね、えぇと身内の不幸とかいうやつですよ、駄目ですか。
それ警察手帳って呼ばれてるものですよね、
でも最近複製とか色々あるじゃないですか、別に詳しくないんですけど。
ですから急用があって、あっ確か職務質問は任意のはずですよね、拒否させて下さい。
ですからいい加減通して下さい、でないと困るんです、理由は言えませんけど凄く困るんです。



74 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 18:00:23.67 ID:XH8Cv2OP0

「顔色が優れないようだけど」

「えーと、トイレに行きたいかなぁなんて」

「便所なら目の前にあるじゃないか」


本当にあった、ともかく嘘ついて針千本飲まされるのも怖いから発言に責任を持っておこう。
小さな小窓から覗き見るに、どうやら此方の用が済むまで待機しているつもりらしい。
本当に困った、あの野郎は足が付きやすいルートを私に教え込んだらしい、とんだ罠だったんだ。

警官の問い詰めにうっかり首を縦に振れば人生を棒に振ることになってしまう。
仮に否定を続けたとしても気の弱い私が最後まで耐える自信はあるだろうか。
逃げればいいんじゃないか、顔は見られてしまったけれどそれ以外の情報は漏洩していない。
丁度入り口とは反対側に窓枠がある、汚いけれどこれ位の隙間なら通り抜けられるだろう。
そうと決まれば早速実行、の前にやはり出すものは出しておきたい。


「こちらスネーク。花摘みは終了した、今より帰還する」


案の定女の子は長いと勘ぐっているのか、待ちわびている様子もなく簡単に脱出することができた。
それでも急ぎ足は止まない、万が一に備えて隠しておかなくてはいけないからだ。
一般人からも怪しまれないように気を張ってそそくさと忍び足で走る。

玄関まで到着するとミッションは達成された、よく考えればとても簡単な任務だった。
家に入る傍ら、ポストからはみ出ている鮮やかな絵葉書が疑問を煽って興味を引いた。
一体誰がこんな私に手紙を遣したというのだろう。



75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 18:04:13.51 ID:XH8Cv2OP0

『軽音部同窓会のお知らせ』か、確かにムギちゃんらしい、この名前も久しぶりだけれど。
日時は一週間後の夕方、いくらなんでも近すぎる、お嬢様の常識にだって反するだろう。
全く乗り気がしない、日中の通販番組にイラズラ電話をかけるよりも気が進まない。
確かに気にはなる、あれから皆がどんな大人になっていったのか、
知りたいという欲求は少なからずあった。

それでもわざわざ出向く必要があるのかと問われれば圧倒的に否だ。
今の自分を曝け出して得になるとも思えないし、皆の話を聞いたところで対した感慨も抱けないだろう。
本気で伝えたい事なら黙っていても直接連絡してくるはずだ、よって優先度は極めて低い。
ともかく今は我慢してきた鬱憤を晴らすのが先決だ、一向に胸のモヤモヤが治まらない。

――――ツーン



77 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 18:07:25.81 ID:XH8Cv2OP0

「なんなのさ、もう」

違う、これじゃない、全然叶っていない、広告に偽りありだ。
何で軽音部の夢なんて見ていたんだ、
私が想像したのはまだ三歳くらいでパパとママと遊んでいた場面だ。

未練が残ってるっていうのか、まさか、もう必要ないんだって捨てたはずじゃないか。
自堕落に時間を浪費する生活がそんなに楽しかったのか、本気でその頃に帰りたいと切望しているのか。

ただ何かしなければマズイって和ちゃんに急かされただけなんだ。
別に音楽になんて興味なかった、ギターが特別好きという訳でもなかった。
その場の雰囲気で決めてしまって、後は惰性で続けたようなものだったんだ。

ムギちゃんの用意したお茶とお菓子で無駄に時間を潰してさ、練習なんて殆どやらなくて。
あずにゃんに抱き付けばりっちゃんがはやし立てて、澪ちゃんが羨ましそうに見つめてきて。
さわちゃんが新しい衣装を作ってくれば皆でモデルごっこして時間が経つのなんて忘れちゃって。
皆で帰りながらアイス食べたりクレープ食べたりたい焼き食べたりしながらだべって。

合宿に行ったはずなのに気付けば遊び呆けてて、あずにゃんが日焼けの跡をくっきり残しちゃって。
ライブが近い日は結構頑張って練習してくたくたになるまで汗を流して。
文化祭ではギー太を家に置いてきちゃって、絶対に間に合わせるんだって力の限り走って。
今の私なら下らないと一蹴できるのかもしれないけれど、確かにあの時の私は軽音部が全てだったんだ。
開け放しの瞼が水分を欲しがると感情とは関係なしに涙が伝った。



79 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 18:11:59.00 ID:XH8Cv2OP0

今にして思うと高校生の私は全く出来ていない人間だった。
お菓子が大好きで甘いものが大好きで、頭の中まで生クリームに占領されていた。
誰の言うことも疑わずにひたすら純粋無垢で、文字通りの無邪気な子供だった。

だから社会に出た時の衝撃は
他人のそれとは比べ物にならなかったんだろう、耐性を付けてこなかったのだ。

短大を出た頃は恨んでいた、何も学んでこなかった不真面目な自分と自堕落に過ごした日々を。
そこまで含めた積年の過去さえも、今ならば若気の至りだと目を背けることができる。
嫉妬していたのだ、自然体のままで、何一つ不自由がなかった高校までの自分を。
戻りたいなら戻りたいけれど、決してそうもいかない事態は誰にともなく平等に定められている。


「やっと受け入れられたっていうことかな」


初めてコレを使用した時、私は高校時代の夢を見ようと思った。
浸っていれる時まではよかったのだろう、思考が明確になるにつれて現実味が容赦なく襲ってきた。
そして思った、大して変化してる部分なんてないのでは、と恐怖した。
流されるまま人生を漂っているだけ、差異があるならば年齢くらいなものだろう。
目も鼻も口も耳も輪郭も髪の毛も体型も、大人びた印象はなく
、少し毛が濃くなった程度にしか違わない。

激しい嫌悪感が頭を掻き毟る、
ただ無気力な生活が社会人という立場に置き換わったものとしか見れなかった。
次からはもっと小さい頃を目指すようになる、今は遠くはなれた場所にいる父と母の存在。

しかし何処を覗いても憂が邪魔をした、幼い独占欲がまだ小さな妹をぐしゃぐしゃに捻り潰そうとする。
何度目かの逃避行でようやく見つけた自分だけの桃源郷、三歳の頃の私は全てに恵まれていた。
不思議と冷静に、正しく過去を振り返れていた。
薄ぼんやりとした意識の中でそんな事を思い出していた。



80 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/13(日) 18:14:42.42 ID:XH8Cv2OP0

「君を見てると、いつもハートどきどきっ」


気付いたら出発していた、懐かしいフレーズに歩数を合わせながら目的の場所を目指す。
考え方なんてコロコロ変わってしまうものだから、決心が固いうちに実行した方がいいのだ。
今更になって再開してもあの頃の私達が蘇るなんて有り得ない、それくらいは当然理解している。

だとしても勝手に期待が膨らんでくる、まだまだ大人に成りきれていない証拠だろうか。
精々立派になった四人の姿を想像しながら比較して楽しむことに務めよう。
会社には電話一本で有給を申し付けてしまった、そろそろ腐れ上司の耳に届く頃合だろう。
夢を見ることができなくとも、夢の延長に何が待っているか見てみたかった。


「ふたりーだーけの、どりいーむーたいむくだーさい――――」



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