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澪『同じ窓から見てた空』#前編 【非日常系】


http://live28.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1275742207/

澪『同じ窓から見てた空』#前編
澪『同じ窓から見てた空』#中編
澪『同じ窓から見てた空』#後編

澪『永遠にともに』




5 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/05(土) 21:55:42.60 ID:/kXEYjk70

桜高軽音部。そこに私が居たのはもう六年も前の事だ。
部内の同級生四名で結成され、その後下級生が一名加入し、
2G1BKDの形に落ち着いたバンド『放課後ティータイム』。

私が担当していたのはB。ベース。レフティーのベーシストだ。
あと、ボーカルも少し担当した事がある。

胸を張って言えることではないが、
この部活には真面目に練習していた時間など殆ど無かったと言っていい。
年に数回ライブをするだけの部活。ライブが近くにならなければ本腰を入れる事などまず無く、
高校生らしいかと言われればそれすらも実に怪しく。

そんな温く緩いティーンエイジライフを私と仲間四人は共有して過ごした。
まあ語りたい事は胸や脳の中に山積しているのだが、全てを吐きだすには少し長くなりすぎるので、
ここは割愛させて頂こうと思う。ご了承を。

さて、今回私が語ろうと思っているのは、ここ数カ月の出来事だ。
先述の通り、私が高校を卒業してからはもう六年の月日が経過している。
今の私は二十三歳。高校卒業と共に地元の町を出て東京都内の国立大学へ進学、無事卒業。
その後は東京のど真ん中にある割と大きな会社でごく平凡なOLなんて職業に就いている。
現在社会人二年目、上場企業の営業課で働いていて、
手取りではなかなかいい額の給料も貰えていると言って良いだろう。

まあ最初営業に配属された時には酷い立ち眩みを覚えたが。
必死に「何とか変更をお願いできませんか?」と申し出たのだが、そこは社会の荒波。
私一人の勝手な懇願が押し通る訳も無く、
同課叩き上げの先輩方に一から十までの対人スキルを叩き込まれたのだった。
それこそ研修期間の間は毎日胃薬が欠かせなかったというのは言うまでもない。

何とか仕事にも慣れ始め、気のいい上司や優しい先輩に恵まれたおかげというのもあるのだろうが、
厳しいながらも充実した入社二年目という日々の流れは、
私からカレンダーの月数時を確認する余裕も奪っていたようだった。

外回りの途中、公道の脇に併設された花壇に
所狭しと植えられたコスモスが薄紫の花弁を脱ぎ捨て始めたのを確認した時、
私は初めて秋の足音が遠ざかって行っている事に気付いたのだった。





8 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/05(土) 22:01:14.85 ID:/kXEYjk70

「えっ……?」

呟いて立ち尽くした後、私は手をブランド物のバッグに差し入れ、
携帯電話のサブディスプレイを点灯させる為にサイドキーを強く押し込んだ。
無機質なアラビア数字が大きく現在の時刻を映し出すが、私の目的はその上のごく小さな数字の方だ。
斜線を挟んで『11』と『28』という数字が隣合わさっているのを見て呆気にとられた……。

というのは社会人として良いやら悪いやらなのだが、
そういえば日付なんてスケジュール組みの上での記号としか
意識をしていなかったというのもまた確かな事で、

残念ながら私は間違いなく、今この瞬間に、
もうこの一年が終わりかけているという事に気が付いたのだった。

「秋山さんさ、正月は地元に帰るの?」

研修期間中、私の指導社員だった三つ年上の先輩がビール片手に話を振ってくる。
ここは我が班御用達の創作居酒屋。
今日は会社発足以来、一番大きなと言っても過言ではない契約をウチの班が取って来た記念の打ち上げだ。
今年の社長賞の受賞も報告と同時に決定し、班の社内評判はまさしく右肩鰻の滝上り。
その班のリーダーである彼女は来年の異動で
昇進が確実となったというのも相まって、超の付くご機嫌だった。

「そうですね」

間髪を容れずに返す。営業はトークが命。
私はこの一年半でトーク技術の向上に重点を置いていたので、それなりに人と話すのが得意になっていた。
それはもう高校時代の自分に教えてあげたくなる程に顕著な成長を見せたと言っても過言ではない。
当時を知る人間には別人と言われてもおかしくないだろう。本当にその位喋るようになったのだ。

「せっかく五日も休みがあるし、たまには両親に顔を見せないと忘れられそうで」

はにかみながら言う私に、先輩は一喝。

「こんなか~いい娘を忘れる親が何処に居るってのよ! 秋山さんちゃんと鏡見てんの? 割れてない?」

我が班が占拠しているテーブルに大きな笑い声がこだまする。皆、先輩につられるかのように上機嫌だ。



9 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/05(土) 22:06:44.73 ID:/kXEYjk70

だがそれもそのはず。この契約を取る為に皆ゴールデンウィークもお盆も休まずに働き詰めだったのだ。
それがこうして結実したのだから、今日はもう飲めや騒げやの大宴会というわけ。

「でも秋山さん入ってからウチの班変わったよね」

こちらは私の二つ年上の先輩社員。
色黒のいかにもというダンディーな男性だ。遊んでいそうに見えて実は病的な愛妻家。
何でも学生結婚をしてから六年間一度も喧嘩をした事が無いそうなのだが、
それは尻に敷かれまくっているからなのだという恐妻家情報も出回っている。
よく喋り、よく働く、模範社員を地で行く人だ。

「何かこう……めちゃくちゃ雰囲気良くなったしさ。
 気も効くし、リーダーの右腕をしっかり務めてたもんね」

べた褒めなのは嬉しいが、どうも男性にこういう事を言われると
靡いてしまう節があるので、自ずと苦笑いになってしまう。

「そんなことありませんよ」

と否定するものの、「いや」とすかさず声が飛んでくる。

「確かに秋山さんの働きは目を見張るものがあったよ」

リーダーが大ジョッキの中身を飲み干して続ける。

「確かに最初入って来た時はひよっこだったけどさ、今じゃウチの班のエースだね! 間違いない!」

えっ……いや……と反応するが、周りの同僚達が拍手喝采を浴びせてきた為、
ややこそばゆくなりつつ、私は一礼してそれに応えた。

「みんなも秋山さんに負けちゃダメだよ! まだ入社して丸二年も経ってないんだから!」

その声に何だか訳の分からないテンションになった男性社員の一人が
鰌掬いを始めたので、皆爆笑しつつ手拍子でそれを煽った。

私は今本当に、心の底から愉快になって笑っていた。
それこそこの短い人生の中では数少ない大歓声を浴びた
『最後』の思い出に並ぶ程楽しい時間を、私は今過ごしていた。
あくまでベクトルが違うので比べられはしないのだが、と付け加えておこう。



10 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/05(土) 22:12:23.80 ID:/kXEYjk70

二次会でやって来たカラオケのトップバッターは何故か私。
皆のテンションに負け、マイクで乾杯の音頭まで取らされ、
リーダーの選んだ一曲目を歌う羽目となってしまったのだ。

だが、正直嫌な気分では無い。歌うのは好きだったし、カラオケは私の数少ない趣味の一つだったから。
それに何より、もう五・六杯は飲んでいたというのも大きいだろう。
私は誰に言われるでもなく、大部屋のど真ん中にあるプチステージに立ち、
誰でも知っているであろう九十年代後半のポップソングを歌い始めた。

イントロ後、私が歌い始めた時、何故か皆の手拍子が暫しの間止み、
その後何故か起こった拍手に首を傾げつつ、私は乱雑な手拍子を目一杯受けてその曲を歌い上げる。
そして律儀にも後奏まで付き合ってくれた同僚達に頭を下げ、
私はトップバッターの役目を終えたのだった。

「すげえええええ!!」

「ちょっとちょっと! 上手すぎでしょ?!」

口々にそんな言葉を飛ばしてくる同僚達。
些か褒められ過ぎでドッキリではないかと疑ってしまいそうだったが、
打ち合わせをしているとも思えなかったので、とりあえず弁明(?)をしておく。

「私、高校の頃バンド組んでたんです」

「へえええええええええ!」 とか「なるほどねぇ」
などという感嘆の言葉を全身で受け止めつつ、私はマイクを鰌掬いの先輩に渡した。

「おっ! こ、これは……!」

「掬わなくていい! 掬わなくていいからな!」

「いや……ほ、発作が!!」

そう言って鰌掬い先輩は本日二度目の鉄板芸を繰り出し始めた。
この人は何が何でも笑いを取らないと気が済まないらしい。まあ実際面白いからそれでいいのだが。
そして、案の定全員が爆笑の渦に巻き込まれたというのも
また言うまでも無い事だった、と付け加えておこう。

「凄かったねー、秋山さんのオンステージ! 男連中湧いてたよ~!」

「後ろから見た鰌掬いもなかなか凄かったです……」

「はは、どんなコラボレーションだっつーの」

タクシーの中、リーダーと二人きりになった私はまだ先程までの余韻に浸っていた。
セーブしたつもりだったのだが、
王様ゲームで飲まされたカクテルの一気がなかなか視界を揺らしている。

テキーラサンライズだったか? 色合いに騙されて一気を渋々受け入れはしたものの、
あれのせいで明日二日酔いになる確率は
小学生の腕相撲大会にサイヤ人が出場して優勝するのとほぼ同率になってしまった。
どうやら洋酒はあまり体に合わないらしい。
やはりこの時期は年齢不相応に見えても熱燗が一番な気がする。肴は炙った烏賊で良い。



14 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/05(土) 22:18:22.99 ID:/kXEYjk70

「それにしてもバンドかー」

リーダーはニヤニヤしながら私の顔を見つめてくる。こんなに表情は初めてだ。

「正直意外だね。もっと大人し目な事やってたかと思ってた」

「大人し目?」

「うん、文芸部とか」

「ああ……」

くすりと笑みが出る。ガラスに映った半透明の自分と目が合い、
その表情を見て今日はやたらと気分が良いのだと始めて気付いた。

「最初は文芸部に入ろうと思ってたんです」

でも、と続ける。

「無理矢理軽音部に入れられちゃいました」

今となっては微笑ましい限りのあの頃の自分。
別に愛着も何も無い所から始まったあの軽音部黎明期は、
思い出すだけでまだ半端で浮ついた入学当初の自分の姿を如実に浮かばせる。

恥ずかしがり屋、臆病者、陰でひっそり生きていたいマイナス思考の塊。
そんな私を眩い光が当たる方へ、自然と視線の集まる場所へと
手を取って導いてくれた幼馴染の姿が、薄曇りの空に霞みつつ浮かんだ気がした。

「へぇ~」

話し出せばきっとキリが無くなる思い出が脳の中から今にも溢れてきそうだったが、
それを語り出す前に黒塗りのタクシーは私の住むアパートの前へと到着した。
些か残念な気がしないでも無かったが、リーダーは「今度じっくり聞き出すからね!」と告げて笑い、
私の「お金半分出します」という一応の提案を
軽いジェスチャーだけで取り下げて再び夜の街へとタクシーを向かわせた。

それが曲がり角で見えなくなるまで私は手を振って見送り、
すぐに感謝のメールを送って心のオアシス・我が家へと帰還を果たす。
次にリーダー含め皆に会うのは……二日後、月曜日の朝だ。



15 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/05(土) 22:23:56.64 ID:/kXEYjk70

じっくりシャワーを浴びて浴室から出てきた私の目に飛び込んできたのは、
携帯の着信ランプが放つエメラルドの光が点滅する様子だった。

すぐさま頭の中に浮かぶ四人の顔。
この色の光が瞬いているという事は、
つまり先程先輩との会話に出てきたバンドのメンバーの誰かから連絡が入ったという事なのだ。

冷蔵庫の中からミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、
それを右手に携えて左手をシルバーの携帯に伸ばす。
ストラップが一つだけぶら下がっているシンプルな携帯。
二つ折りのそれをゆっくり開くと、比較的見慣れた一文字が着信履歴の一番上に刻まれていた。

すぐさまその番号へとリダイヤルを掛ける。
聞き慣れたコール音は一つ目の半ばでキャッチされ、これまた耳に馴染んだ声がすぐさま飛び込んで来た。
『どもども! お久しぶりです!』

相変わらずのテンションに口元が緩んだ。

「昨日も電話したろ?」

そうでしたっけ? という何ともふざけた返答に思わず鼻を鳴らす。
それを聞いて受話器の向こう側にいる通話相手はこう続けた。

『今どうです?』

来た来た。

「空いてるよ。暇で暇でしようが無い」

後半部分をわざと誇張して言うのも最早定型句のような物だ。挨拶代わりだね。

『了解です!』

その言葉と共に通話は向こうから一方的に切られ、
代わりに今度は我が家のインターホンが二回鳴り響いた。
やれやれ、またこの手か。
私は玄関まで行き、すぐさま告げる。

「あ、私仏教徒なんで間に合ってます」

「え゛!?」

「あと、こんな時間に宅配は頼みません。太るし」

「え゛え゛っ!?」

面白い。実に良い反応だ。
チェーンを開け、鍵を回し、ドアノブを捻り、開け、そこに佇む客人を招き入れる。



18 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/05(土) 22:29:22.64 ID:/kXEYjk70

「や、やられました……」

ガクッと首を垂らす小さなギタリストが、そこには居た。

「いつまでもこの時間に宗教の勧誘やピザの配達が来られちゃ
 いい加減迷惑だからな。私だって流石に学習す……」

言いながらふと眼をやれば彼女が背負っているケースがいつもと違う事に気付く。

「お……おい、そのギターまさか……!」

ハッと我に返った彼女はバッ!と顔を上げ、満面の笑みで言う。

「そのまさかです!」

思わず声を上げそうになるが、時間が時間だという事に気付き、取り敢えず中へ招き入れる事にした。

「お邪魔します!」

律儀に靴を揃えて我が家へ上がり込んだ彼女は一目散にリビングへと滑り込み、
早速厳重に施錠されているセミハードケースの解錠を始めた。

「おい、飲むか?」

「勿論です! これが飲まずにいられますか?」

「いられません!」

完全にグロッキー状態でカラオケ店を後にしたのがものの一時間前だというのに、
私は冷蔵庫の中から取り出した日本酒を何の躊躇いもなく
徳利二本になみなみ注ぎ、電子レンジへと放り込んだ。
そしてすぐさま彼女の待ち構えるリビングへと踵を返す。

「……いきますよ?」

「お……おう……!」

そう言って彼女はゴツ目のケースから一気にそれを取り出した。
黒く輝くボディー、それと同色のピックガード、
当たり前のように張られたライトゲージのエリクサー、あちこちに見られる小さな傷。
それら全てが渾然一体となった珠玉の逸品が私の目の前に姿を現したのだ。

「うわああああ! テレキャスター様だ! フェンダーのテレキャスター様だ!」

「誰もが憧れるオールドのテレキャスター様ですよ! 頭が高~い!」

「ま、参りました!」



19 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/05(土) 22:35:24.37 ID:/kXEYjk70


黒塗りのボディーが重厚で鈍い光を放つ。
そのまるで黒真珠のようにひどく尊い御姿に、思わず圧倒され平伏してしまった。

「あははは! 是非手に取って見てみて下さい!」

「い、いいのか?」

「勿論です!」

私は彼女が差し出した大凡全てのミュージシャンが憧れるであろう
そのギターを厳かに受け取り、じっくりとその感触を味わった。
ギターなんて殆ど弾けない私でも何の躊躇いも無く名器と呼べてしまうこれを、
彼女はようやくその手中に収めたのだ。
これを手に入れる為に彼女が流した汗と涙の量は、本当に計り知れない。

「思ったより軽いんだな……」

思わず唾を飲む程に逞しく美しいそれを、私は暫く撫で回すかのように弄っていた。

「コードも抑えやすいし……」

と、私が陶酔しきっていた時だった。

「……ぷっ」

ん?

「……あはは!」

「あ、あず……」

「あははははははははは!!」

突然彼女が笑いだした。正直近隣から苦情が来るレベルのその声量に軽く慌てふためきつつ、訊ねる。

「ど、どうしたんだよ!?」

「せ、先輩……!」

「何だよ! 静かにしろって!」

「やっぱり癖抜けてないんですね!」

そう言って再び腹を抱えて笑いだす彼女。だが私にはその原因が全く以て分からない。
やがて、一分ほど床を転げ回った彼女はようやく服の袖で涙を拭い、
最早彼女専用と言っていい程に形が馴染んだ座布団へと座り直した。

「すいません、あんまり可笑しかったんで」

「まったく……何がそんなに可笑しいんだよ?」

彼女は再びプッ……と吹き出しながら私の顔を見た。

「だって……」

「……?」



21 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/05(土) 22:41:07.59 ID:/kXEYjk70

「何の躊躇いも無く右手でネック握るんですもん」

「……えっ?」

言われて気付いた。このギターは当然ながら右利き用だ。
だが私は何の躊躇いも無く、何の違和感も覚えず、
じっくりとレフティーの構えでこのギターを撫で回していたのだ。
やはり癖とは抜けない物なのか……。

「おまけに今のコード、ふでペンでしょ?」

「う゛っ……!」

バレていた。やはり本職には敵わない。……てか、恥ずかし過ぎるだろコレ。

「そんな真顔で『コードも抑えやすいし』とか言われても……絃反対に張ってるのに……!」

またしても笑いだす彼女。余程ツボに入ったようだ。

「ああもう! せっかくあの日本酒熱燗にしたのに! もうあげない! 私が全部飲む!」

「に゛ゃっ!!??」

すかさず土下座をして詫び出す彼女。

「す、すいません! 私が悪かったです! この通りです! 先輩は神様です!」

「……本当か?」

「はい! 大明神です!」

ふふ……と鼻を鳴らし、何処となく勝ち誇った気分になる。
何とも惨めではあるが、面白いのでそれでいい。

「よし、じゃあ電子レンジの徳利持ってこい。熱いからタオルで挟んでな。お猪口も二つ」

「はい!」

それこそ猫のような身のこなしで台所へと掛けて行く彼女。……ああそうだ。

「烏賊も忘れるなよ~」

はいっ!っという育ちの良さが伝わってくるような返事をし、彼女は台所を漁りまわる。
その音を背で受けつつ、私は敢えて右手でテレキャスターのネックを握り続け、
先程コードを押さえていた曲のベースラインを奏で始めた。


「お前がこっちに来てからもう一年半が経つんだな」

「そうですね~」

ちびちびと貰い物の高級日本酒を味わいつつ、何故か話は少し前の過去へと飛んで行く。



23 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/05(土) 22:46:37.83 ID:/kXEYjk70

自身がやや固く焼き過ぎたと申し出た失敗作の烏賊の炙り。
それをパリパリと小気味良い音を立てながら美味しそうに頬張る彼女の名は、中野梓。
私の高校時代の後輩で、同じバンドにギターで所属していた。

学業面では推薦が取れるほど優秀な成績を修めていたのだが、
ミュージシャンになりたいという幼少の頃からの夢を捨て切れず、
結局は高校卒業後に音楽の専門学校へと入学。

在学中に抜きん出た演奏力の高さと周りに合わせた音作りの素晴らしさが買われ、
晴れて地元の小さな音楽事務所からスカウトを受ける。
売出し中のバンドのサポートメンバー、
インディーズミュージシャンのレコーディング、と多忙な日々を送った後、
昨年の四月に東京の音楽事務所から引き抜きを受けたのだった。

現在はバイトをしつつレコーディングやアシスタントのレベルで音楽を生業にする、
いわいるミュージシャンの卵というポジションだ。
最早私達と一緒にやっていた時のレベルとは比べ物にならない程のテクニックを体得しており、
所属事務所の中でも一・二を争う若手成長株というのが
現在の梓のミュージシャンとしての立ち位置らしい。

本人曰く「あと一・二年もすれば完全に音楽で食べていけるようになる」そうで、
そうなったら事務所の大先輩の下でプロデュースの勉強も始めたいと言っていた。

ちなみに、先程彼女が私に握らせてくれたオールドのテレキャスターは、
彼女が四年も前から欲しがっていた至高の一品で、
悲惨ともいえる東京での貧乏生活を続けてようやく手に入れた、まさしく『逸品』なのだ。
私は地元ショップに売っていたというこのギターの話をそれはそれは幾度も聞かされていたので、
梓が今日どれだけ喜び勇んでこのギターを担いで我が家へ来たのかがよく分かる。

これからこのギターは大変だ。これ以上ない溺愛を受け続け、
梓が死ぬまで酷使され続けるというヘビースパルタな日々を送るに違いない。

……まあ本業はこのように前途洋々な彼女ではあるのだが、
その実先述の通り生活の方は全くと言っていい程潤っていない。
梓の住んでいる所が家から近いという事もあり、私はいつも暇を見つけては彼女をここに招いている。
共に食事をしたり、時々ショッピングに出かけて服を買ってあげたり、
無理矢理酒の相手をさせたり。楽しいものだ。

彼女の貧乏エピソードの中で最も衝撃的だったのは
ギターを買うお金に手を付けられず、本当に餓死寸前の栄養失調で倒れたことがあるというものだ。
その当時の食事が五日でキャベツ一玉だったと聞いた時はこちらが立ち眩みをした。
まったく……青虫じゃないんだから……。

とにかくそんな事情もある為、現在三日に一回程の割合で我が家へ上がり込ませている。
お互い気兼ねなく話せる間柄と言う事もあり、
いつしか互いに接する態度も軟化していき、気付けば随分とフランクな会話をする関係となっていた。

ここには部活時代の些か生真面目な態度を取る梓も、そして同じようなポジションだった私も居ない。
営業の仕事ですっかりトーク力を培った私と、その影響をもろに受けた梓。
なかなか面白いコンビだと自分でも思っている。



24 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/05(土) 22:52:00.28 ID:/kXEYjk70

「先輩は正月帰るんですか?」

「もちろん」

即答だ。

「家のお雑煮は美味いんだぞ~。今回は年末からちゃんと帰れるから是非アレを覚えなきゃな」

「なるほど、じゃあこっちに帰ってきたら是非私に披露して下さい」

ん?

「お前は帰らないのか?」

あー……と、梓。

「帰るんですけど、どっちみち先輩が作る雑煮が食べたいですから」

「こんにゃろ」

軽く徳利で額を小突く。

「あでっ……って……」

「何だ?」

「せ、先輩もう一合飲んだんですか?!」

「ん」

「早っ! 相変わらずの酒豪ですねぇ……。ん? あ、あの……ひょっとして……」

「おかわり」

「やっぱり!」

渋々立ち上がって台所へと向かう彼女を見て、私は何だか妙な溜息を一つ虚空へと送り出した。

「地元……か……」

地元を離れてから六年。この間私は三日以上連続で実家に帰った事が無かった。
ある年はゼミが忙しく、ある年は飛行機代が勿体無く感じ、
去年に至っては社会人一年目という事もあって一日も帰る事が出来ず、
年越しの瞬間はこの部屋で一人酒を煽っていた。
まあおかげで両親がこちらに遊びに来るという
イレギュラーなイベントが発生したのだが、それはまた別の話。

「みんなどうしてるのかな……」

私は暖房の効いた床へゴロンと横になり、台所に居る彼女へと質問の矢を飛ばした。



25 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/05(土) 22:57:23.36 ID:/kXEYjk70

「梓~」

「はい?」

ピョコっと愛らしい顔を覗かせる憎い奴。その小動物的な外見に些かの羨望を覚える。

「梓は皆の近況知ってるか?」

目を逸らして聞く。

「ああ、軽音部のメンバーですか?」

「そう」

まあそれ以外にこれといって友人など居ないというのは黙っておこう。

「ん~……私正直地元の人たちとあんまり連絡取って無いんで……。
 澪先輩こそ詳しいんじゃありません? 皆さん同学年ですし」

そう言われてしまえば普通はそうなのだが……。
だとしたら私はマイノリティーに分類されてしまうのだろうか?

「いやさ、実は私も卒業してから殆どみんなと連絡取って無いんだよ」

「そうなんですか?」

「うん」

近くに転がっていたふかふかのクッションを取り、両腕の中に収め、吐息を一つ宙に向かって溶かし出す。
「律先輩ともですか?」

ん……、と一瞬答えに詰まるが、まさしくその通りだ。

「律とは特に、だ」

「特に?」

その言葉と共に湯気を上げる徳利を手に携えてリビングに戻ってくる彼女。
待ち詫びたブツの到着に私は上体を起こして歓迎の意を示す。

「そう」

差し出したお猪口に熱い酒を注いでもらい、チビ、と一口啜って机に戻す。

「あいつとは卒業式の日以来一度も会って無いし、電話もメールも全くしてないんだ」

「ええっ!?」

梓はその一言が余程衝撃的だったようで、口に含んだ烏賊を喉に詰まらせて噎せた。
おいおい、とその口に酒を流し込んでやると、
彼女は顔を真っ赤にしつつ何とか数回の咳で落ち着きを取り戻し、涙目で私に問う。

「どうしてですか!?
 幼馴染で高校までずっと一緒だったんでしょ!?あんなに仲良かったじゃないですか!」



26 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/05(土) 23:02:42.76 ID:/kXEYjk70

「ん……」

と、天井を見て力無く返す。

「そんな急に連絡しなくなったなんて……。喧嘩でもしたんですか?」

いや、と私。

「喧嘩なんてしてない。お互い恨み恨まれるような事は絶対、な」

「じゃあどうして……?」

「分からない」

即答だ。

「分からないけど……私も律も互いに連絡を入れてないって言う事だけしか私には分からないんだ」

そして、それがどうしてなのかも分からない。と付け足した所で、
私は熱々の徳利をタオルで挟み、お猪口に酒をなみなみ注いだ。
そしてアテの烏賊に手も付けず、一気に飲み干す。
流石に少々熱かったが、
何だか取りとめのないもやもやが込み上げて来たので、もう一度それを繰り返した。

梓はそんな私の行動に何も言うことは無く、
ケースの上でふん反り返っているテレキャスを取り上げ、何か知らない曲を奏で始めた。

「私が知ってるのは……律先輩が短大に行ったって事くらいですかね」

その位は私も知っている。割と偏差値の高い所だったからな。
合格と分かった時には泣いて喜んでたし。……っていうか梓以外の全員で合格発表見に行ったしな。

「ムギ先輩は志望校の女子大に受かって、
 途中で留学したんですよね。えっと……イギリスでしたっけ?」

そうそう。

「で、唯先輩は料理が出来ないのはこの先の人生に置いてマズいよ!
 ……って言って調理師専門学校に……」

「でも願書書いてる途中でパティシエ専攻科みたいなのがあるのを見つけて、
 結局そのコース取っちゃったんだよな」

「仮にちゃんとパティシエになってたとして、唯先輩を雇ってくれる店……あるんですかね?」

「う゛っ……」

痛い所をズバリと突くな、こいつは。



27 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/05(土) 23:08:10.92 ID:/kXEYjk70

「ま、まあ……あるんじゃないか? そんな風変わりな店が……」

「ニートになってなきゃいいですけど……」

ギターを再びケースの上に戻し、烏賊をポリポリと味わいつつ遠い目で天井を眺める梓の脳内では、
きっと二十四歳になった唯が未だに妹の憂ちゃんに家事一切を任せて
ぐうたらしている図が浮かんでいるのだろう。

……というか、唯の高校時代の私生活を少しでも知る者には、
その光景以外浮かばないのではないだろうか。
本人には悪いと思うが、節々のインパクトが強すぎてどうしてもそういう想像になってしまう。

―――皆、今……一体何をしてるんだろう……?

それは、冬の始まるほんの数日前。
いつものように烏賊を齧って日本酒を心行くまで飲み続けるという何とも安いイベントの中盤、
彼氏も居ない二人のうら若き乙女が昔の仲間の事を考えた、ただそれだけの事だった。
こんな広い東京の、こんな狭い部屋の片隅で、私達は天井を見ながら少しだけ……、
そう、少しだけ……皆に会いたくなったのだった。



31 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/05(土) 23:13:34.31 ID:/kXEYjk70

リンドバーグやライト兄弟、かの偉大なる先人型のお陰で制空権を得た人間ではあったが、
鳥からすればこんな傍迷惑な話も無いだろうな……。
などと、誰が得をするでもない思考トレースじみた愚考の行き着いた先にあった答えは、
『どうでもいいから早く家に帰りたい』だった。実家、東京の家、どちらでもいい。

本日は十二月三十日。会社は今日から五連休で、世間でもいわいる正月休みと言う奴が始まっていた。
おかげ様で空港内は右を見ても左を見ても人・人・人。機内もビッチリ人・人・人。
これだから帰省ラッシュは嫌だ。まあ新幹線で帰ろうが飛行機で帰ろうが結局は同じなのだろうが。
ひょっとして予約が取れただけでも良しとしろと言うのだろうか?
まあ、そんなの誰にも言われる筋合いは無いし、どうせ誰も言わないんだろうけどな。

……それにしても。

「梓……おい!」

アホ猫は「んん~……」と呻るだけで、揺すっても揺すっても起きやしない。
まあ飛行機に乗る直前まで近所のスタジオで
徹夜のレコーディング作業をしていたというのだから無理もないかもしれないが……。

「さっさと起きろ! もうすぐ着陸だ! さっさと座席を戻せ!」

「に゛ゃっ!!??」

漸く飛び起きた彼女ではあったが、
何を思ったか混乱した顔になると身体を拘束していたシートベルトを外しだした。

「おおおい! 怒られるからしっかりしろ! CAさんに迷惑を掛けるな!」

……というかまずは私に迷惑を掛けないで欲しいのだが。

「み、澪先輩! ここは何処ですか!? 私何でこんな所……痛っ! 耳が痛いです! 破裂します!」

「ああもう……!」

「ほら、ぷくって! 鼓膜がぷくって!!」

「やかましい! それは鼓膜じゃないし破裂もしない! いいからさっさと目を覚ませ!」

飛行機に乗ったのも覚えてないのかこいつは?
ただでさえこっちだって酒の飲みすぎで頭がガンガンしてるって言うのに……。
まったく……とんだ災難だ。



33 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/05(土) 23:19:03.29 ID:/kXEYjk70

機内から着陸後にかけて繰り広げられた一悶着の後、
ようやく人で溢れる空港の敷地内からレンタカーで抜け出した私達ではあったのだが、
正直この時の私の頭は二日酔いのせいで開店休業状態となっていた。
にもかかわらず、ペーパードライバーである私を無理矢理運転席に押し込んだ梓。
……もう軽く呪っていた。

こう云うのは普通率先して後輩がハンドルを切るのではないのだろうか?
嗚呼……あの優しくて気の利く高校時代の梓は一体何処へ……。

「あれ? ひょっとしてナビが付いてないの借りたんですか?」

「……この期に及んで文句ですか子猫さん?」

「あ、そういうわけじゃないんですけど、
 最近のレンタカーショップって何処も全車ナビ搭載がデフォだと思ってたんで」

「ふ~ん……。ま、同調してやらんでもないが、私が敢えてこの車を選んだのには明確な理由があるのさ」

「へえ~。まさか高給取りの先輩が安かったからこれに決めたなんて言いませんよね?」

「…………」

「おいぃ!? まさか図星ですか!?」

「か、可愛かったからだ! こういう時にも外観にこだわるのが大人のオシャレだろ!」

今のは自分でも随分と苦しかった気がするな。梓もやや白い目でこちらを見ている気がする。
……でも言えない。単に値段表の一番下にあった激安の文字に釣られたなんて絶対に言えない……。
というかこの車全然可愛くない……。

その後はもう酷かった。
ダッシュボードに入っていた難解極まりない表記の地図を
梓に持たせてナビゲートさせたのだが、このネコナビがまあ役に立たない立たない。
高速では降りるべき出口を全力で間違えたり、今通り過ぎたばかりの角を曲がれと言ったり、
本当に帰巣能力が片鱗も垣間見えない究極の方向音痴っぷりをまざまざと見せつけてくれた。

一時間程で到着する筈の道のりを四時間掛けてドライブした末
ようやくホームタウンに到着した瞬間には、
町のシンボルである小さなタワーがまるで喜望峰の様に見えたものだ。
その勇ましいまでの御姿に覚えなくていいはずの感動を無意味に覚え、
互いに本日三本目の缶コーヒーで乾杯をしたというのはここだけの話である。

そんなこんなで、狭い車内で全力の歓喜に沸きつつ、
拍手も喝采も無い凱旋を果たした私達なのではあったが、
ホッとしたせいか遂に私の体力と梓の眠気が限界に来てしまった。
家はもうすぐそこなのに、何故だか全く辿り着ける気がしない。



34 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/05(土) 23:24:23.82 ID:/kXEYjk70


「梓……」

「先輩、皆まで言わないで下さい……」

「……ん」

私がハンドルを切って突撃したのは、学生時代に通っていた通学路の脇にあるスーパーの駐車場だ。
まさかこんな所でダウンを奪われるとは……などと自分の不甲斐なさに頭を痛めつつ、
どうやら普段の運動不足が祟ってこうなったのかもと考えると何だか恥ずかしくなってきた。
私はサイドブレーキを引いてエンジンキーを回したのと同時に、シートを限界まで倒す。
ちなみにアホ猫さんならもう一時間前もから既にその体勢を取っている。

「もう無理だ……」

これ以上無理をしたら確実に事故る。それだけが妙にハッキリと自覚出来ていた。

「右に同じです……」

梓の言葉は最早半分寝言だ。そのふてぶてしさに無駄な神々しさすら感じられる。
それと同じくらい無駄に広い駐車場のど真ん中に車を止めたおかげで、
フロントガラスからは惰眠の世界への案内人である日光様が入り込んで来ていた。

『どうやら今日は休寒日らしい。……よし、それなら私も今日は休肝日だ!』

……こんな事を口にしたらどうせ全力でバカにされるんだろうな……。
まあこんな時にバカにされるのも癪なので、自重して口には出さない事にしよう。
……ああ、下らない事ばかり考えていたら意識が……遠のい……て…………。



37 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/05(土) 23:30:01.40 ID:/kXEYjk70



――――――ャ


……ん?


―――――シャ


……んん………………なん……だ……?


―――パシャ!


パッと目が覚める。何だか聞き覚えのある電子音だった気がするのだが……。


―――パシャ!



……んん!?



38 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/05(土) 23:35:26.52 ID:/kXEYjk70


バッと上体を起こした私が最初に見た物は、太陽がゆっくりと山々の間に消えて行く頃の空の色だった。
まさしく誰そ彼時、時刻はもう夕方の終わり頃だ。

「う、うわぁ! 起きろ梓!」

ん~……と、
日曜の十一時頃に決まって長々と耳にする事になっている猫なで声が、今回ばかりは一瞬で収まった。

「ほえっ! ゆ、夕方!? ってか夜!??」

やってしまった。午前中の便で帰って来てこの有様は何だ。一体何時間寝ていたと言うんだ。

「い、急ごう! 私お節料理作るの手伝うって言ってあったんだ!」

「私も今日は親戚が集まって年に一度の大宴会なんです!」

「ああもう! と、と、とにかく出発だ!」

二人とも慌ててシートを起こし、私は大慌てでエンジンキーを回す。
弱い馬力のエンジンが火を噴いたのと同時にヘッドライトを点け、いざ出発!
……という、まさにその瞬間だった。

「ひっ!!」

「わっ!!」

何と車の目の前に人影が二つ立っていたのだ。ライトを点けるまで全く気付かなかった為、
不意打ち喰らった私達は互いにしがみ付き合って目の前のそれにひたすら怯えた。

「なななな何なんだ!! 金ならないぞ!!」

「そうです! 東京バナナ位しか持ってませんよ!! お金持ちなのは先輩の方です!!」

「お、お前私を売るのか!? 売るならお前のテレキャスを売れ!」

「嫌です! 金目の物なんてアレとムスタングとエフェクターしか持ってないんですから!
 先輩ならそれなりの貯蓄が…………って、アレ……?」

梓は突然両目をパチクリさせてフロントガラスの向こう側を注視しだし、やがて五秒程が経った時、

「あ~っ!!!」

そう叫ぶと、何を思ったかシートベルトを外してドアを乱雑に開き、
外へと一目散に飛び出して行った。

そのあまりの勢いに私がポカンとしていると、
ヘッドライトに照らされた二つの影の内一つが梓を抱き上げ、
きゃっきゃとそこら中を飛び回りだしたではないか。

「な……何だ?」

だが、私が呆けていたのもまたそこまでだった。
梓を抱きしめるその人物のシルエット、髪の色、そしてはしゃぎ方。
その後ろ姿は私を一瞬であの音楽準備室へと連れ戻すのに十分すぎる物だったのだ。



40 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/05(土) 23:40:54.18 ID:/kXEYjk70

エンジンを切り、梓に倣ってシートベルトを外して外へ飛び出し、その人物の名を呼ぶ。

「唯!」

梓から離れた栗色の髪の彼女はこう返す。

「やっほ~澪ちゃん!」

そしてこちらに駆け寄って来る彼女は、
私を押し倒す程の勢いで抱擁という名のダイブをかまして来たのだ。

「六年振りぃ~!!」

その軽い身体を必死に抱き止め、十分に抱擁を味わって地面へと彼女を解放する。
それと同時に目に入ったのは、あの頃のままのやや幼いキュートな童顔だった。
だが、何もかもがあの頃のままと言うわけではない。
首筋辺りから仄かに香る柑橘系の香水、薄く纏った化粧。
ほんの少し、だけど年相応に成長した平沢唯が、そこには居た。

そしてその唯の肩越しに見る同級生同士の抱擁。
二つ並んだ影の内のもう一つ。その正体は、同じく栗色の髪を靡かせる彼女の妹、平沢憂だ。
地元の友人との思わぬ再会。ただそれだけの事だったのだが、
実に六年振りともなればその喜びは天まで届く様なものだった。自然と表情も緩む。

今回の帰省は何かが起こる。そんな事を朧気ながらに考えつつ
メランコリーなドライブをしていた数時間前の自分を褒めてやりたい。
その第六感は、紛れもなく正しかったのだ、と。


「澪ちゃんとあずにゃんの寝顔は相変わらず可愛いねぇ~」

何処の親父だよ、なんてベタなツッコミを後部座席の天然少女に入れつつ、
私達は夜の始まった町をゆっくりとドライブしていた。
ドライブと言ってもただ平沢宅まで二人を送っているだけなのだが。

話を聞くとどうやら二人はスーパーに買い物をしに来ていたらしく、
その帰り際に私達が簡易ベッドにしていたこの車を発見したらしい。
そして、自称悪戯心を決して忘れない乙女の唯が私達の寝顔を携帯で撮影していた時、
タイミング良く東京帰りの美女二人組が目を覚ました。

……というのがこの感動的なまでの再会のプロセスとなったらしいのだ。
通りでパシャパシャ五月蠅かった訳だな。

「二人の寝顔は待ち受けにします」

「おいおい……止めろよな」

「そうですよ。私は恥ずかしいからせめて澪先輩のソロ写真にして下さい」

「じゃあそうするね」

「おい梓! っていうか唯もソロ写真まで撮ってるんじゃない!」

「まあまあ澪ちゃん、油断する方が悪いんだよ」

「そうです。あ、信号青ですよ」



43 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/05(土) 23:46:25.17 ID:/kXEYjk70

どうもペースが掴み辛い。
そういえばいつもこんな感じで練習するのを後回しにされていたんだっけな。
あの頃は確か梓はこちらサイドだったと思うのだが……。

「憂ちゃん、唯はこんなんでちゃんと生活出来てるのか?」

「何それ澪ちゃん!? ちょっとひどくない!?」

憂ちゃんはその唯の物言いに少し苦笑を浮かべつつ答える。

「大丈夫ですよ。お姉ちゃんが働いてるお店凄く評判いいんですから。この前雑誌にも載ったんですよ」

「へぇ~、意外だな」

「それに、もう家事も一対一なんですよ。料理なんて私が教わるくらいです」

「ほお~」

憂ちゃんがそこまで言うなら間違いないのだろう。
まあ唯を嫁に貰うような人は日本でもトップクラスの包容力が無ければ務まらないだろうから、
相手探しにはさぞ苦労するだろうがな。

「あ、私恋人いるよ?」

ブスッと音を立てて胸に言葉の刃が突き刺さる。
梓に大声で促されなければ赤信号の交差点に突撃してしまう所だった。

「ほほほほ本当か!?」

「やだなあ澪ちゃん。私だってもう二十四だよ?」

何でも相手は専門学校時代の同級生で、
今は唯と違う店でチーフを兼任しているやり手の若手パティシエなのだとか。

「もう少ししたら二人の貯金で開店資金が溜まるからさ、
 そうしたら結婚して一緒にお店やるって約束なんだ~!」

まるで捲くし立てるかのように惚気の洪水を浴びせてくる唯。

「け、結婚!!?」

まさかそこまで話が進んでいるとは……。あの唯が……ねぇ……。

「じゃ、じゃあ結婚したら家を出るのか?」

ん~ん、と首を横に振る唯。

「来年の秋頃に駅周辺の再開発があるの。それで新しく大きなビルが出来るんだけど、
 そこの責任者が彼の知り合いでね、かなり良い条件で出店させてくれる予定なの。
 厨房とディスプレイしか無い狭いお店だからって、テナント激安にしてくれたんだよ!」

「それは……凄いな…… 」

ただただ驚嘆するしかない。
あの唯がこんな近未来の、それも至って建設的にして堅実な人生設計を行っていたとは……。
勝手に想像していた二十四歳ニートの唯の姿はもう思い出せそうにない。



45 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/05(土) 23:51:49.07 ID:/kXEYjk70

「じゃあもう結婚は近いんだな。彼氏さんの御両親への挨拶とか大変だったろ?」

先に言ってしまおう。これは唯にとってNGワードだった。
その口から出たのは「ん……」というやや詰まった短い返事で、
それと共に少しばかり顔を顰めさせた唯は、まるで呟くように、そして言葉を選ぶようにこう言った。

「彼ね、孤児院出身なの」

少しトーンを落としつつ、その言葉は続く。

「中学までは施設で過ごして、高校は寮。
 専門学校に通ってた時は友達とルームシェアしてて、まあ……一言で言うと、両親が居ないの」

あ……と口を噤む私。結果論とはいえ、聞くべきではなかった質問を発してしまった自分を軽く呪う。

「だからね、私がせっかく広い一軒家に住んでるんだし、
 どうせ結婚するならもう一緒に暮らそうよって事で今は私の家に住んでるの。

 結婚してもあの家にずっと住んで、多分この街からは一生出て行かない。
 憂も相手見つけて結婚するまでは家で一緒に住んでくれるし、三人家族も楽しくて良いよ!」

落としたトーンを元に戻し、唯は明るくそう言った。
両親は相変わらず帰らない事が多いらしく、
結婚の了承もあの家で彼氏を暮らす許可も取っているらしいので、
最早あの家は九割方この姉妹+1の物なのだそうな。

「じゃあ今家にその人がいるのか?」

ううん、と唯。

「今はフランスの提携店に出向して半年間の武者修行中。
 二月になったら帰って来るよ。向こうでもなかなか評判が良いみたいでね、
 もうこっちに住んじゃえよって言われてるんだって」

可笑しそうに眉を八の字にして笑う唯がバックミラーに映る。
その隣では憂ちゃんも幸せそうに笑っていた。

「憂ちゃんは? 彼氏とか、結婚の予定とか」

姉の惚気話を黙って聞いていた優しい妹からは、
「えっ!? え、えっと……」と、まあ何とも歯切れの悪い返事が戻ってきた。

「今は仕事が忙しくて……なかなか」

確か風の噂によると……

「OLしてるんだっけ?」

「はい」

そして、それは驚きの言葉へと続く。

「K社の支社で働いてます」

…………。

『ええっ!?』

私と梓のユニゾンが車内に響く。

「ど、どうしたんですか?」

些か狼狽した言い方で憂ちゃんが訊ねてきた。そんなに恐い声でも出していただろうか?



48 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/05(土) 23:57:24.57 ID:/kXEYjk70


「私K社の本社勤務なんだよ! 営業で!」

「ええっ!?」

今度は憂ちゃんが大きく目を見開いて私に訊ねてくる。

「じゃ、じゃあA社との契約取って来た本社の営業チームの事詳しかったりします?」

「それ私のチームだよ!」

思わず二人の間だけで笑いが出た。まさかこんな偶然があるなんて……。

「凄いです! 今あのチームはウチの支社でも英雄扱いですよ!」

「そんな名が売れてるのか、ウチのチームは……」

まあ多少の自覚はあったが、こうして改めて第三者的な人間の話を聞くと
それが一気に実感へと変わる。不思議なものだ。

「もう次のプロジェクトに取り掛かってるんですよね?
 本社の営業は凄く忙しいけど待遇もそれだけいいってウチの部長が言ってました」

「ああ、基本的に本社は待遇良いね。でもあの契約のお陰で今年はウチのチームだけ別格扱いだったよ」

「そんなにですか?」

「忘年会が料亭でフグのフルコースだった」

『えええええええええええええええええ!!!?』

私を除く三人分の絶叫が車内にこだまする。
そのあまりのボリュームに思わず怯んで急ブレーキを掛けそうになっってしまった。
まあ何とか冷静さが勝って普通のブレーキを踏めたのは、
日頃の行いの良さを神様が見てくれていたからだろう。
私達四人は無事、平沢宅へと到着を果たしたのだった。

「そうだ澪ちゃん! あずにゃんも! 一日の夜空いてる!?」

目的地に到着したにも関わらず、車内から降りる素振りすら見せずに唯はそう訊ねてきた。

「えっ? まあ……空いてるけど?」

「私もです」

唯はそれを聞くとビシッ!とこちらを指さし、仰々しくも高らかに提案をしてきた。
どこぞのアニメの団長様みたいだとは言うまい。

「じゃあ家で飲もうよ! 久しぶりにみんなで集まろう!」

思いがけない突然の提案だったが、
顔を見合わせた私と梓にはそれを断る理由など櫛に絡まった髪の毛程にも見当たらないのであった。

「いいな! 集まろう!」

「是非お邪魔します!」

唯はふんす!と鼻から息を吐き、してやったりな決め顔で言う。

「決まりだね。じゃあみんなで集まって鍋でもつつきながら……」

くわっ!と目を見開き

「澪ちゃんのフグ大食い事件を激しく糾弾します!!」



50 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/06(日) 00:02:47.82 ID:4dQGTL8i0

そう高らかに宣言した。

「え、ええっ!?」

「二人とも、一日は寝かさないからね! 飲み比べだよ!」

唯はそう言うと後部座席から車外へ飛び出し、
中身がぎっちり詰まったスーパーの袋を二つ手に取って憂ちゃんに続くよう促した。

「あ、そうだ。憂ちゃん、トランク開けて」

車外に出た憂ちゃんが「ん?」という表情を作りながら車の後部へと回り込む。
カチャ、と鳴った音でそこが開かれたのを確認し、私は続ける。

「大きい袋があるの分かる?」

「はーい」

「中身一個出して持って行っていいよ」

わあ! という小さな歓声が一つ、夜道の虚空へと溶ける。

「ありがとうございます! お姉ちゃん! 澪さんから東京バナナもらったよ!」

「わっ! 澪ちゃんありがとう!! 早速頂くね!」

「夜にお菓子食べたら太るぞ?」

「大丈夫だよ~。 私いくら食べても太らな……」

「に゛ゃああああああああああ!!」

「うわあっ!」

「あ、梓落ち付け! あれは敵じゃない!」

「敵です! あの体質を手に入れる為に唯先輩を食べます!!」

「お前はもののけ姫の猩々か! ネタが分かりにくいんだよ!
 じゃ、じゃあ唯、一日はお邪魔するな。また連絡するから!」

「うん! 今日はありがとね! お休み~!」

「お休みなさ~い!」

私は今にも唯に飛びかかろうとしている獰猛なアホ猫を必死に押さえつつ、
クラクションを一つ鳴らして再び夜の車道を走り出した。
バックミラーにはいつまでも手を振る仲良し姉妹の姿が映り込んでいて、
それは私達が角を曲がるまで、ずっと続いていたのだった。

「綺麗になってたな」

特に唯が、とは言わなかったが、言葉のニュアンスで梓にもそれが伝わったようだ。

「まあ恋をすると変わるって言いますもんね」

「そうだな」

「彼氏……か」



51 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/06(日) 00:08:13.88 ID:4dQGTL8i0

何処か遠い目をして虚空を眺める梓。
まあ星を眺めて感慨に浸ったりするような奴じゃないのは私が一番よく知っている。

「何だ? ウエディングドレス姿の自分でも思い浮かべたか?」

「まさか」

すっかり冷たくなったミルクの缶コーヒーの中身を一気に飲み干し、梓は続ける。

「去年のあの事を思い出しただけです」

「ああ……アレか」

確かにひどかった。色々とな。まあ一番ひどいのはあのバカ男のお気楽な脳味噌だったのは間違いない。
あちこちの女に手を出して四股五股と掛けておきながら、
謝りもしないで飄々と梓を捨てようとしたんだからな。

もし私があの話し合いの席でぶん殴らなかったら梓の心に一生治らない程の傷が残っていた事だろう。
結局私のグーパンが皮切りとなり、チャラ男は本命の女に携帯を真っ二つに折られて別れを告げられ、
その他の女達から五発ずつ位のビンタ……というか張り手を受けてその場にへたり込み、
梓にフィニッシュブローの罵詈雑言をこれでもかと言う程叩き込まれてその場は解散になったのだが……、

それでも梓の心が癒えたかと言えば絶対にそうではないだろう。
なにしろあれが梓の初恋だったのだからな。
もしも私が梓の立場だったら、どんなに頑張っても立ち直れない自信が多いにある。

「荒れてましたね……私」

「ああ……、荒れてた」

何だか哀愁漂う梓の表情を横目で眺める。
その行為が何だか自分には恋愛と言う物をとても遠く感じさせた。

二十三歳にして累計男女交際日数ゼロ日の天然記念物女。
C?B?それって何の事? 私は異性とキスもした事が無い。
毎夜この唇に触れるのはお猪口か缶ビールのプルトップの根元くらいなものだ。

……いや、それ以前の問題か。
私は一方的にも恋というものをしたことが無いのだ。
六十数億居る人間の中で、誰にも女として愛し愛された事が無い。

貞操を守っているわけでもないが、自ら捧げる事も無く生きてきた二十三年間。
来月の十五日にはもう二十四になる。何か変わるのか?
二十三では見えなかったものが二十四では見えるのだろうか?
……いや、考えても分かる訳が無いな。

「……まあ」

―――恋なんてゆっくり探せばいいさ。



54 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/06(日) 00:13:37.71 ID:4dQGTL8i0

梓に言ったやら、自分に言ったやら。溜息を一つ、そいつでフロントガラスを曇らせる。
妙にかさつく唇にポケットから取り出したリンゴ味のリップクリームを塗り付け、
それを軽くキスに見立ててみた。

……何と一方的な接吻だろう。などと一人勝手に思いつつ、
私の唇の貞操を捧げられた哀れなリップクリーム。
後二日もすればゴミ箱へと去って行ってしまうであろう
ファーストキスの相手を、私はゆっくりポケットへとしまう。

「……エロい塗り方しますね~。色気ムンムンじゃないですか」

ヤンキーみたいな言い方をして梓は続ける。

「このシュチュで私が男だったら黙ってませんよ」

「はは、それは光栄だな。でも生憎お前は男じゃ無いし、私も百合じゃない」

「そりゃそうですよ。こんなか細くて可愛らしい男が何処に居ますか」

「……そうだな」

そして

「こんな男が居たら脱がして写メ撮ってショタサイトに投稿してひと儲けだな」

そう言って盛大に笑い出した私に、梓はひとしきりの冷ややかな目線と罵詈雑言を送った後

「昔の先輩はこんな人じゃありませんでした」

と捨て台詞を吐いた。そしてすかさず私も返す。

「お前だって昔はもっと素直でいい子だったぞ」

梓はムッとした顔でフロントガラス越しの町をへと視線を向け直した。
その顔を見て、私は言う。

「でも、私は今のお前の方が好きだ」

ピクッと反応して、だけどあくまでこちらに視線をやらない
そのふてぶてしい駄々猫的な態度。そこら辺が、私は好きだ。

「……まあ、私もどちらかと言えば今の澪先輩の方が好きです」

車内に満ちる不思議な空気。
温かくも冷たくも無い二人、遠くも近くもない二人。
私は少し、梓が本当に男だったら……なんて思ってしまい、
また一人で勝手に笑い、その私を見て梓もまた少しだけ笑った。

十二月三十日、レンタカーは街を西へ。
小さな凱旋者二名は愉快に夜道を走るだけ。本当に、本当にそれだけの為の夜だった。



55 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/06(日) 00:19:01.29 ID:4dQGTL8i0

大晦日終了&本年開始から二時間三十四分。
私はがっちりと分厚いコートを着込んで近所の神社の階段をゆっくりと登っていた。
無論、自ら望んでこんな所に居る訳ではない。私の望みは炬燵で蜜柑だ。

「寒い……」

漏れる息は当然白い。

「眠い……」

半開きの両目は濁っている。

「もう帰りましょうよぉ~……」

この……アホ猫め……。

「やかましい。そもそも初詣に連れて行けって言ったのはお前だろうが! 責任取れ!」

「でもまさかお賽銭入れるのに何時間も掛かるだなんて思ってなかったんですよぉ~……」

「これくらい我慢しろ。それよりちゃんと五円玉用意して来たのか?」

「当たり前じゃないですか……」

もう、と仰々しく溜息を吐いてポケットから穴開き硬貨を取り出すアホ猫。

「私はロットを乱されるのが大っ嫌いなんです」

……?

「世の中和を乱すのは大抵時間にルーズな人間ですからね。
 後は事前学習を怠る人間と空気の読めない奴がそれに続きます」

「何の話だよ?」

「恐らく澪先輩には一生縁が無い物ですが、
 一応レクチャーするなら黄色い看板と行列には注意して下さい
 としか私には言ってあげる事が出来ません。若輩者で申し訳ないです」

「……言ってる事は全く分からんが……何だか哲学的だな」

「最早この感情は信仰に近い物があります」

「ん~……まあ何と言うか……熱心なんだな、お前」

「ええ、天地をひっくり返す程の力を有していますからね」

「何だそりゃ」

「何でしょうね」

やたらかっこいい口調で私に何かを説いて来る梓に些かの危険臭を感じつつ、
それでも五円玉をピックに見立ててカッティングの練習する姿を見ると、やはりいつもの梓に変わり無い。

一体この小さな背中に漂う怨念めいたオーラは何なのだろう?
少しだけ私の知らない一面が顔を覗かせたと考えればいいのだろうか?
それにしては些か恐すぎる気がしないでもないのだが……。



58 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/06(日) 00:24:27.17 ID:4dQGTL8i0

「いや~、甘酒美味しいですねぇ!」

「途端に上機嫌だな。甘酒も良いけど、早く書けよ」

年末年始専用の拡張版賽銭箱にできるだけ綺麗な五円玉を二人で計四枚放り込み、
手を合わせた後、さっさと次の参拝客に順番を譲った私達。

そして今は何だか随分割高な気がする絵馬に今年一年の願いなんかを書いている途中だ。
私はあらかじめ考えていた事を書くのみなのでもう完成間近なのだが、
どうも隣のアホ猫さんは甘酒と言う名のミルクを啜るのに御熱心なようで、
まだ綺麗な木目の板がそこにはあるだけだ。

「そういえば、何で五円玉三枚も入れたんですか? 相乗効果ですか? それとも賄賂ですか?」

アホか。神様を政治家扱いするな。

「私、去年こっちに帰って来れなかったろ?
 だからあれはその分と今年の分だ。後の一枚は去年の利子分」

「神様を金融業者扱いするのは良くないですよ? おまけに闇金っぽい利子率だし……」

闇金ねぇ……。

「……やかましゃあ。人の銭の回し方にケチつけとらんと、ワレはとっとと絵馬ぁ書かんかい」

梓、ついて来れるか?

「なっ……! せ、せやけど萬田はん!
 この甘酒飲み干さんと絵馬なんか書きだしたら! さ……冷めてまうやないですか!」

おっ、きたきた。流石だな。

「あぁ?」

「ひっ……!」

「……ふっ、まあええわ」

「ま、萬田はん……?」

「ムッたん言うたか? アンタん所のお子さんは」

「!!」

「じゃあムッたんにちょっとばかり知り合いの店でピンクの照明でも浴びてもらおか」

「ま、待って下さい! それだけは! それだけは堪忍したって下さい!」

「ほんだら早よ書かんかいドアホが!!」

「わ、分かりました……! 迅速に! 迅速に書き上げます!」

「当たり前や。早よせんかい。……あ、それとも一つ言うとくで」

「な……何ですか?」

「ワシは南の鬼言われとるんや。もしも絵馬ぁ書かんと逃げてみぃ。……地獄まで書かせに行くで?」

「は……はいっ!」



63 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/06(日) 00:29:50.87 ID:4dQGTL8i0

「昔からよ~言うやろ。
 ふでペンにはボールペン、カレーの後にはライス……。もう一つは何か知っとるか?」

「な……何ですか?」

「私の恋はホッチキスに決まっとるやないか!! 閉じるぞこんガキャアアアアァ!!!」

「し、失礼しましたあああああっ!!」

うん、即興にしてはなかなかだ。やはりへたれキャラを演じさせたら梓の右に出る者は居ないな。


「澪先輩は『健康』ですか」

「ああ、どうだ?」

「ん~……正直意外です」

「そうか? 座右の銘なんだけどな。」

絵馬を板に掛け終えた私に早速梓が絡んで来る。どうせまたろくでも無い事を言い出すんだろう。

「ち・な・み・に、何て書くと予想してたんだ?」

「天上天下唯我ど」

ドカッ!

「に゛ゃっ!!」

手刀一発 to 脊椎。

「蚊が止まってたんだ」

「真冬ですよ! 明らかに私を仕留めに来ましたよね?!」

「いいだろもう……。そう言うお前は何て書いたんだよ?」

「教えません」

「いいか……らっ!」

「あっ!」

アホ猫の一瞬の隙を突き、ひょいと小さな手から絵馬を取り上げる。
こいつの事だ、一体どんな絵空事を書きこんでいる事やら。

「なになに……『ギターがもっと上手くなりますように』……?」

「…………」

ん~……。方向性は決して間違っていないと思うのだが、この書き方は少し違うんじゃないか?
それにいつも酔っぱらう度に目標は常に高く!とか言っている奴がなんて事書いてんだよ……。



65 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/06(日) 00:35:18.48 ID:4dQGTL8i0

「お前……仮にもプロだろ? もう少し大きく行けよ」

「とは?」

「いざ武道館!とか、横アリ・サマソニ・味の素!とかさ」

「あ……味の素?」

「味の素スタジアムだよ。元東京スタジアム。ネーミングライツで名前変わったろ?」

「ああ……そういう事ですか。何で最後だけ化学調味料なのかと思いましたよ……」

「それもダウトだ。今はうま味調味料っていうんだぞ」

「ええ~……」

「自炊をしないお前には分かるまい」

と、わざと勝ち誇った顔でそう言い放ち、拙い文字で願いが書かれた絵馬を私のそれの隣に掛ける。

「ま、足して二で割ったら『仕事を頑張ります!』って事になるんですかね?」

「そんなとこだろうな。今年も仕事人間確定って事か」

「お互いしっかり稼ぎましょうね!」

「お前はまず人間として成長しろよな」

「澪先輩こそ。今年こそ大人の階段を上って下さい」

「な゛っ……!!」

こいつ……涼しい顔をしてさり気なく痛い所を突いて来やがる。
悔しいが図星すぎて反論も出来ないじゃないか。このアホ猫め……。

「じゃ、行きましょうか」

そう言うと梓は私の手を取り、出店の立ち並ぶ石階段の下へと歩を進めだした。
やれやれ、どうやら神社に連れて来られた本当の理由はこちらにあったようだ。
まあ今更気付いても遅いのだが。

「私はお節があるから何も食べられないぞ」

「じゃあ私が食べるの見てるだけで良いです」

「おいこら」

こいつは本当に……いつからこんな奔放な人間になったんだ?
まあダイレクトに言えば猫に近い物を感じるのだが、この際そんな事はどうでもいい。
この著しいまでの性格の変化を成長と呼んで喜ぶべきか、
はたまた態度の肥大化と位置付けて嘆くべきなのか、焦点はその一つだ。



67 名前: ◆xJIyidv4m6 :2010/06/06(日) 00:40:42.19 ID:4dQGTL8i0

「あ、忘れてました! 御神籤引いてないです!」

「ああ、そう言えば……」

「戻りますよ先輩! 御神籤でデュエルです!」

「デュエル!? 対戦型なのか!?」

「大吉はニャーの翼神龍ですからね!
 猫神から恩恵を受けている私の勝ちは決まったようなもんですよ!」

「ツッコミ所が多すぎてもう訳分からん……」

縺れる足と徐々に襲い来る睡魔に苛まれつつ、私は只々無邪気なアホ猫に腕を引かれ、
どうせすぐに忘れてしまう内容しか書いていない御神籤を買う事となった。

子供の頃は木に結んでしまう迄にその一字一句までを記憶しようと
無駄な努力をした事もあるが、今の私はもう大人。
明日の夜には何を引いたかも覚えていない可能性すらある。
こんな物の為に三百円も出している今の自分が、ちょっと憂鬱だ。

「お互いに見せ合ってから自分のを確認ですからね!」

「望む所だ!」

とか言って結局楽しんでいる大人の私。
こんな事で笑えているというのは、何だかんだでまだまだ子供な証拠なのかもしれないな。

『せぇ~……のっ!!』

梓の手は中吉。なかなかの強豪だ。残る問題は私の手。吉か大吉以外に勝つ術は無い。
勝率は低いが、丸の内OLの仕事人間パワーをなめてもらっては困る。

「な、なかなかやるじゃないですか先輩! でもどうせ私の勝ちです!」

「営業経由エリートコースまっしぐらの私に死角など無い! 行くぞ!」

心にも思っていない事を口にし、私は来るその瞬間へと胸を高鳴らせた。
三……二……一……!

『せーのっ!!』

バッ!と音を上げて紙をひっくり返す。来い……! 来い……っ!!

「……あっ」

「あ、ありゃりゃ……?」

……ダメだ、一気に白けた。互いに肩を竦めて交互に文字を読み上げ合う事にしよう。
因みにこういう時は暗黙の了解で、私が号砲を放つ事になっている。



72 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 00:50:51.37 ID:4dQGTL8i0

「仕事・学業」

「学べば学ぶだけ吉。ただし、範囲・科目は絞る事」


「健康」

「至って良好。各方面に向け励むべし」


「生活」

「文句無し。充実の一言に尽きる」


「金」

「黙っていれば貯まるが、口を出せば大損」


「夢」

「昔から願っている物があれば、叶う」


「待ち人」

「すぐそこに」


「探し物」

「失った物があれば探すべし。見つかる」


「恋愛」

「出会いはまやかし、育みは幻想。捨てられる、ろくなことが無い、止めておけ、ろくなことが無い」


「礎」

「もう築いている」


「転居」

「絶対に止めるべし。不幸の始まり」



以下オリジナル。

「秋山澪」

「可愛い後輩にじゃがバターを奢るべし。敬われる」


「中野梓」

「生まれもっての勝ち組。栄光のロードを突きす」


ベシッ!

「に゛ゃっ!!」

張り手一発 to 額。



74 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 00:56:17.24 ID:4dQGTL8i0

「何で神社の御神籤に商品名や横文字が出てくるんだよ!」

「先に固有名詞を出してきたのは先輩じゃないですか!」

「はあ……。二人とも中吉なんて……本当に面白くない」

「それ私のセリフですよ。デュエルにならないじゃないですか……」

「てかさ、この御神籤作った奴、絶対プライベートで嫌な事があったんだろうな」

「間違いなく私情を持ち込んでますよね。特に恋愛」

「ろくなことが無い、を心の中で反芻している内にこうなったんだろうな」

「きっとそうです。同じ事を二回も書くなんて常軌を逸してます」

それから数秒の沈黙の後、何だか少し重くなった空気の中で「あ~あ……」と二人同時に頭を掻き、
どちらともなく木の枝へと忌むべき白い長方形の紙を結びに歩を進め出した。
早く忘れよう。本当にそれが一番の望みだった。

「御神籤って結ぶと叶うんでしたっけ?」

「だっけか? よく知らないな……」

まあ叶うのなら是非ポジティブな所だけが叶って欲しいものだ。

「一番早く叶いそうなのは……待ち人ですかね? すぐそこに、ですし」

「待ち人って恋愛と定義が曖昧なんだよな……」

「そうなんですか?」

「そう。まあ一般的には会いたい人ってことでいいとは聞いた」

「誰にです?」

「律」

「じゃあアテになりませんね」

「だよな……。そう言うと思ったよ」

「でもまあ面白そうじゃないですか。どうです? 実験してみませんか?」

ニコニコの悪戯顔。また何か至らない事を思いついたようだ。

「言ってみろ」

呆れ顔で目も合わせず返す私。
もうこれが二人のテンプレであると言わざるを得ないのは、楽しいやら悲しいやら……。

「御神籤を木に結んで、この神社の敷地内を出るまでに
 私達が待ち人と出会ったらこの御神籤の効果は本物!
 尚且つ御神籤は木に結ぶと叶うという二つの事象が
 トレース的に証明される事になります! それを今から実験しましょう!」

ほお……と力なく返し、同時に御神籤の木と化した何かの木の袂に行き着く。



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澪『同じ窓から見てた空』#前編
[ 2012/05/01 21:57 ] 非日常系 | | CM(3)

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タイトル:
NO:6407 [ 2012/05/01 22:11 ] [ 編集 ]

名SSキター!
これ読むと中高の奴らと会いたくなるよね
実際こんなに綺麗じゃないけどね
このSSには拓郎の「元気です」だな

タイトル:
NO:6408 [ 2012/05/02 01:47 ] [ 編集 ]

聞いたことはあったけど、本当にいい話だな…

タイトル:承認待ちコメント
NO:6759 [ 2013/03/18 17:48 ] [ 編集 ]

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