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澪『同じ窓から見てた空』#中編 【非日常系】


http://live28.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1275742207/

澪『同じ窓から見てた空』#前編
澪『同じ窓から見てた空』#中編
澪『同じ窓から見てた空』#後編

澪『永遠にともに』



75 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 01:01:41.82 ID:4dQGTL8i0

「じゃあ待ち人を決めないとな」

「ですね」

う~ん…………。

「ムギでどうだ?」

「奇遇ですね。私も今ムギ先輩の事を思い浮かべてました」

梓は苦虫を噛み潰す様な顔をして続ける。

「おそらくですが、選定理由はダブルブッキングになると思います」

「……だよな」

きっとそうだろう。とても簡単な事だ。
ムギは恐らく、私と梓の共通の知り合いの中で一番この神社に用が無さそうな人物だったからだ。
留学、別荘、旅行。実に都合の良いバックグラウンドを持ち合わせておいでの
琴吹財閥の御令嬢が、こんな所に居るはずが無い。

……というか居てもらったら困る。ムギとこの神社の敷地内で出会う事。
それはつまり、私と梓の今年一年の恋愛運が無条件で沈没してしまう事を意味するのだ。
これは一応、割と重要だと言わせてもらおうか。

「じゃあ……結ぶぞ」

「はい」

縦長の御神籤をくるくると丸めて細長い円柱を作り、
私は小指サイズの太さの枝に、梓は木に巻かれた注連縄の細い部分に、
それぞれの願いを込めて括りつけた。

「これでよし、ですね」

「そうだな」

健康、生活、金運が上々だったのは嬉しいが、
恋愛がズタボロだったのは流石に二十代の女性としては非常にいたたまれない。
もしも私がゆるかわ巻きのスイーツ女子だったら本気で泣いていたかもしれないな。
まあそもそもは機械で刷っている御神籤なんかに信憑性など欠片も感じてなどいなかったのだ。
後輩に諭されたからと言って、それだけで丸々信じてどうする。
自分の恋くらい御神籤に逆らっても罰は当たらないだろう。

「よし、じゃあ連想ゲームでもしながらじゃがバターを食べに行きましょう」

アホ猫もこの調子だし、な。

「ん~……。ま、私はお前が食べてるのを見て
 我慢の精神を鍛えるとしよう。付き合うだけ付き合ってやるよ」

「よし、じゃあ行きますよ! あ、連想ゲームは先輩からスタートで」

「そうだな……」

隣を通り過ぎる晴れ着姿の女の子が手にしている焼きモロコシが目を引く。
遠くに光るケバケバしい祭提灯の明かりを浴びた黄色い粒達が上げる湯気は、
家で待っているお節の存在を霞ませる程私の目と胃袋と鼻孔を刺激した。
……ま、まあ我慢だ、我慢。



76 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 01:07:05.88 ID:4dQGTL8i0

「じゃあ、最初はトウモロコシ」

「ず、随分と独特なセンスをお持ちで……」

「うっさい」

旋を拳でぐりぐりと押し、次を促す

「トウモロコシ……トウモロコシ…………」

思考を巡らせながら石の階段を下りはじめる梓。
その小さな頭の中は今、黄色い粒の塊が積もりに積もっている事だろう。そこから何を連想するのか。

「あ、コーンウォール!」

「何だそれ?」

トウモロコシで出来た夢の家の事か?

「地名ですよ。イングランド南部の」
ほお、梓のくせに博識なんだな。

「ん~……じゃあイギリス」

「チップアンドフィッシュ!」

あのまずい事この上ない最悪のつまみをよく知ってるな……。

「……ん、つまみ」

「つまみときたらお酒!」

居酒屋だったら

「とりあえずビール」

「麦っ!」

「は~い!」

途端に梓が渋い顔をする。

「いや、は~い!って何ですか? 麦ですよ麦! 返事してどうするんですか?」

「ああ? まだ何も言ってないぞ?」

階段を下り終え、人で溢れる石の階段を背に先程アホ猫が甘酒を買った屋台ゾーンへと突撃する。



77 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 01:12:31.60 ID:4dQGTL8i0

「じゃあ早く答えて下さい。麦っ!」

「麦……麦…………」

「は~い!」

「いや、だか……」

「……んん?」

梓は後方から飛んできた第三者の声に気付いてそちらへ向き直り、
それと同時に石の様に固まって歩を止めた。

その顔を横目で見る限り、
どうもその額に浮かんでいるのは冷や汗というか青色の縦線と言うか……。
まあ、そのジャンルに分類されるであろう陳腐な感情表現だ。

「梓ちゃん、久しぶり」

私も「いやいや……」とか「そんなまさか……」
などと心のどこかで思いつつ、梓に倣ってゆっくりと振り返る。

「澪ちゃんすっごく綺麗になったわね! 私の事……覚えてる?」

振り返った先に居たのは、晴れ着姿に
何故かお面を被って手を振っているという、世にも奇妙な出で立ちの成人女性だった。

ユーモラスなデザインの牛のお面の向こうから発せられたであろう声が、頭蓋骨の中でこだまする。
その一見小馬鹿にしているかのような態度を取る二本足歩行の牛さんではあったが、
その特徴ある声の正体に私達二人が気付かないはずもなく、
しかし何故か返事をする事も出来ず、
久々の再会を目の前にしてただただその場に立ち尽くすしか出来なかった。

そんな私達に、牛の彼女はこう続ける。

「迷惑じゃ無ければだけど、もしこれから暇だったら……」

後頭部に掛かった極細の紐をどこか気品ある所作を見せて外し、
彼女は大事そうに牛のお面を胸の前に持ってきた。あまりにも美しいその素顔。
そして、型良く整った唇から発せられるその一言に、私の心はまたあの音楽準備室へと帰って行く。
ほんの数十時間前、あのスーパーの前で唯と梓の絡みを見た時と同じように、一気に。

「久しぶりにお茶しない?」

そして、ダメ押しの一言。

「それとも二人は練習がいいかしら?」

提灯の薄明かりを趣ある照明にし、石畳の上に凛と佇む笑顔の美女。
晴れ着姿の琴吹紬が、そこには居た。



78 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 01:17:57.80 ID:4dQGTL8i0

「あらあら、じゃあその御神籤は当たっちゃったのね」

ああ……、それはもう見事なまでにな……。

「まさかこんなに即効性のある御神籤がこの世にあるとは思わなかったよ……」

「松屋で牛丼が出てくるより早かったですもんね……」

バイパス沿いにある深夜のカフェレストランもといダイニングバー。
大晦日、元旦と続くこの日は人と言う人が街中や神社へと雪崩れ込んでいるらしく、
割と郊外にあるこの店は閑散とも言えない程静まり返っていたのだが、
今はこのテーブルのせいでやや賑わっているという風に見えなくもない。

メニュー表を見るまでは温かいアールグレイとチーズケーキで
六年振りのティータイム……と決まっていたはずだったのだが、
何故かアホ猫と琴吹財閥の御令嬢は中ジョッキ片手に
枝豆と焼き鳥の盛り合わせなんかを口へ運んでいる。
何故だ……何故私は運転手なんて買って出てしまったんだ……!

「ムギ先輩イギリスに留学してたんですよね?」

「ええそうよ。梓ちゃんの出たライブを見に行ってからすぐね」

むしゃむしゃとタレのトリ皮を貪る梓の質問に対し、
ぐびぐびと四杯目のビールを顔色一つ変えずに飲み干すムギがそう答え、
空になったジョッキを置いたその手がそのまますかさず注文ボタンを押す。もう一体何回目だろうか?

「ロンドンはどうでした?」

「ん~、物価が高かった以外でこれと言った印象は残ってないわね。
 向こうの食事に馴染めなくて外食が出来なかったのはいい思い出だわ」

「結局どの位あっちに居たんです?」

「二十日間くらい」

梓はビールを、私は烏龍茶をそれぞれ吹き出し、思い切り噎せた。二十日間?何じゃそりゃ。

「そ、それは留学じゃ無くてもう観光なんじゃないのか?」

んー……、と眉を顰めて、ムギ。

「本当はロンドン一年とフランス一年の予定だったんだけど、ちょっとホームシックが激し過ぎて……。
 あ、生中一杯とシーザーサラダと軟骨の唐揚げをお願いします。梓ちゃんは?」

「野菜スティックとイカゲソの大を。野菜スティックのマヨネーズは大盛りにして下さい。
 あ、ムギ先輩、よかったら焼酎飲みませんか?」

「あっ、いいかもいいかも!」

嗚呼……年の始めからこれかよ……。運転手を少しは敬え梓。もう……何と言うか…………不幸だ……。



79 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 01:23:25.21 ID:4dQGTL8i0

「じゃあもうボトルにしましょう。私この焼酎大好きなんです。
 普通は酒造会社のある九州くらいにしかボトルで置いてる店は無いんですけど、
 ここは本当によく分かってますね。

 この酒類、特に焼酎の値段と品揃えは一瞥するだけで
 店主の酒に対してのこだわりと並々ならぬサービス精神を感じ取れます。
 さぞや凄まじい嗅覚をお持ちの方なのでしょう!」

バン! と机を叩き、拳をつき上げ、梓。

「私は今、猛烈に感動しています! こんなにいい店が実家のそばにあったなんて!」

オーダーを取りに来た中年の女性店員が目をパチクリさせて梓を見ている。
賢者モードに入った梓を相手にすれば、誰でもこうなるというものだ。すいません、本当にすいません。

「何だかよく分からないけど、ここは梓ちゃんにお任せするわ。私はロックで飲みたいかも」

「分かりました。じゃあさっきの生中取り消しで、
 『巡風の寶』のボトルを。あとは氷と割る用の烏龍茶を下さい。
 グラスは二つで、トングとマドラーは一つずつでいいです」

梓の無駄に荘厳な一人語りに呆けていた店員ではあったが、
すぐさま注文を繰り返して店の奥へと消えて行った。
一年の始まりからこんな煩い客に対して丁寧に接して下さるその笑顔には正直もう脱帽だ。

何だか無意味に申し訳なくなって
その中肉中背の背中に頭を下げたくなってしまう。それも九十度くらいに。

「で、何の話でしたっけ?」

「ムギのロンドン滞在談だろ」

「ああ、そうでしたね。二十日何をしてたんですか?」

「引きこもり」

私はまたしても烏龍茶を盛大に吹き出し、激しく噎せた。

「初めの五日間くらいはまだ我慢して学校に行く手続きとかしてたんだけどね、
 もう何って言うか……町の空気から合わなくて、本当に外にも出られなかったの。
 それで、もう無理~!って親に泣きついちゃった」

舌を出してウインクしつつ、悪戯っぽく笑うムギ。
何だかその表情を見ると高校時代から一皮も二皮もむけた感じがする。

「で、結局さっさとこっちに戻って来ちゃったんだけど、
 元々大学もあんまり面白くなくてね。だったら、って思ってそれからすぐ辞めちゃった。

 その後は無理を言って全国各地を丸一年掛けてバイクで一人旅。
 お金が無くなったらその行く先々で日雇いのバイトを探したりしてね。
 栃木で工事現場のお兄さん達と一緒に飲んだ時は本当に楽しかったわ。
 まあ朝まで飲んで全員潰したんだけどね。

 で、その旅が終わってからは親の会社で働きながら専門学校にも行ったりして、
 今も色々と勉強してるの。普通に大学を卒業するよりよっぽど楽しい数年だったわ」

これには流石に驚嘆した。言っちゃ悪いが、正直高校を卒業する時には
「あのお嬢様の事だからきっと何の不自由も束縛も無い一生を悠々と過ごすんだろうな」
と思っていたからな。

それがどうだ、この超の付くアグレッシブな攻めの人生。
成人女性が一人でバイク旅なんてどんなに暇な一般人でもなかなか出来る事じゃない。



80 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 01:28:49.51 ID:4dQGTL8i0

「じゃあ今は親の会社でOLか。秘書でもやってんのか?」

「ううん」

すかさず首を横に振るライダームギ。

「今はジュエリーショップのオーナー。留学する前からジュエリーデザインの勉強をしてたんだけど、
 親が出資してくれるって言うから思い切ってオリジナルブランドを立ち上げてお店を出したの。
 来年の……あ、もう今年ね、夏には大阪と福岡に支店を出して、そこで成功すれば京都と広島にも。
 って感じかな」

「き、起業家なんだな……」

「血は争えないものね。何だかんだ言っても私は琴吹家の人間だわ」

それが誇りをもって言った事なのか、それとも自嘲気味に言った事なのかは分からない。
だが、目の前のムギはとても幸せそうに付け合わせのキャベツを齧っている。
それは何だか「今、私は十分幸せなの」と言っているように感じた。

「梓ちゃんは何を?」

「聞いて驚いて下さい!」

高速ピッキングやら超絶タッピングの入り混じったジェスチャーを交えながら

「プロのギタリストです!!」

と、誇らしげに、梓。そしてそれに対し

「すごーい!!!」

と、絶叫のムギ。周りに他の客が居なくて良かった。
女二人がハイタッチを交わしてキャッキャッとはしゃぐ姿はなかなか見栄えがするものの、
どうか私も含めてかしましと銘打たれない事だけは切に祈っておきたい。

「お待たせしましたー」

先程の店員が焼酎のセットを大きなトレイに乗せて器用に運んで来る。
そして広いテーブルの上へ真っ先に置かれたボトルのラベルを見て、
私は梓が何故数あるラインナップからこの焼酎をチョイスしたのかを
おおよそ百パーセントに近いであろう確率で理解した。
アホ猫らしい、けれど洒落の利いた、いかにもこいつらしいチョイスだ。

「なるほどね……『麦』焼酎、か」

「あ、バレました?」

にへら笑いを浮かべ、早速二人分の焼酎を作り始める梓。
その手がトングを持って氷を逆台形型の洒落たグラスへ放り込んでいる隙を突き、
私は「あっ! ダメですよぉ!」という制止の声を無視して、
割る用の烏龍茶を自分のグラスへと注ぎ、本日二度目の乾杯に備えた。



81 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 01:34:21.08 ID:4dQGTL8i0

「も、もう……のめ゛ませ゛ん……」

すっかり白んできた冬空の下、ムギの家までの道をひた走る軽のレンタカー。
その後部座席で鉄パイプにやられたゾンビのように伸びている
アホ猫の呻き声を無視し、私はムギに問う。

「なあムギ、今日の夜空いてるか?」

忙しそうなものだが、一応訊くだけ無駄ではあるまい。
もう既にバンド内で三人の参加が確定しているのだ。是が非でもムギにも参加してもらいたいものだ。

「あら、私はもう唯ちゃんからお誘いを頂いたわ」

「そうなのか? じゃあ今でも唯と親交があったり……」

「ええ、もちろん」

間髪を容れずに次の言葉が飛んで来る。

「結婚指輪もウチの店で予約済みなの。まだ口約束だけど」

「何だ、随分と楽しい間柄だな」

「数少ない高校時代からの友達だもん。
 同じ町に住んでるんだし、使ってるスーパーも同じでよく会うの。
 唯ちゃんがお店を出そうとしてる所の向かいのビルに私の店が入ってるのよ」

へぇ~、と感嘆の意を込めた返事をし、チラとムギの顔を見る。
梓があんなになるまで同じペースで飲んでいたというのに、
遂に最後まで朱に染まる事は無かったその顔。
シミ一つない肌、晴れ着に合わせた化粧、高校時代より少し短くなっている髪。
何処を見ても相変わらず綺麗なものだ。

改めて振り返ってみると、軽音部で一番美人だったのはやはり間違いなくムギと思う。
それでいて一番空気が読めて、一番気の遣えるオトナ高校生。
……きっと、ムギはムギのまま大人になったんだな。過程はどうあれ、今を優しく頼もしく生きている。

「あ、澪ちゃん!」

運転席側の窓を指さし、ムギが子供の様に叫んだ。やはり少しは酔っているのだろうか?

「……わぁ」

その橙の来光に思わず言葉と意識を奪われる。
高校二年の冬だったか。こんなシュチュエーションで同じ光景を見たのを思い出すな。
あの時は何処かの高台で、おまけに五人全員揃っていたが。

「……あっ」

まあ、今は思う事はただ一つ。

「トラの猫耳持って来ればよかったな、梓」

その言葉に対し何事かを呻くアホ猫の声を聞き、初日の出に向かって私とムギは同時に笑った。



83 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 01:39:45.81 ID:4dQGTL8i0


唯一無二とはよく言ったものだが、
私は少なからず本気であいつをそう云う存在だと思っていた。あいつもきっとそうだろう。
親友と言う看板を互いに打ち付け合い、周囲にもそう認知されていたはずだ。

だが、そんな私達がもう実に六年もの間、
何の連絡も取っていないという事実を知っている人間が一体どれ程居るのだろうか?

かさばる電話代と、古い順に消えて行くメール達。
それこそ明日会って話せばいいような事を、毎日毎日取りとめもなく電波に乗せていたあの頃。
あの頃の自分達が今のこの関係を見たら一体何と言うだろう。……あいつは否定してくれるだろうか?
よく考えれば別に冷えきっているというわけでもないし、
そもそも何故こういう関係に委縮したのかも分からない。

……だが、その答えが出た今でさえ、
私はあいつの番号にカーソルを合わせて通話ボタンを押し込む事が出来なかった。

「……はぁ」

だからこうして溜息なんかを吐きながら歩いているのだ。
通い慣れたと言ってしまえばそれまでだが、
それこそ目を瞑ってでも辿り着ける自信がある、あの家までの道を。

最初は正直車で行こう思っていたのだが、お節を食べる際に
金粉入りのありがたくも死ぬ程不味いお神酒を飲まされてしまった為、断念せざるを得なかった。

「あれ? 澪ちゃん」

携帯をいじりながら歩いていた為、
突然自分の名前を呼ばれた私は変な声を上げながら思い切り身を竦ませてしまった。

「……あ」

必死に動悸を押さえつつ目線を上げた先には、
今夜集まろうと言い出した愛らしいパティシエが立っていた。

「ゆ、唯か……。ビックリしたよ……もう……。あ、そうだ。明けましておめでとう」

「うん、おめでとう。あ、携帯いじりながら歩くと危ないよ? 」

「う゛っ……」

正論すぎて反論できない……。
まさかこんな事で唯に説教をくらう日が来るとは、一体どうやれば想像がついただろうな。

「ひょっとして、りっちゃん家に行くの?」

「ああそうだ。親にお神酒飲まされちゃってな。仕方なく歩いて来たんだよ」

現在時刻は薄曇りの昼下がりだ。
いくら分厚く着込んでもシャツの中へ入って来る冷気を完全にシャットアウトできる訳ではない。
そのもどかしさが酔いなどすぐに吹き飛ばしてはくれそうだったのだが、
それと交通法規の遵守は全く以て別の問題だ。飲んだら乗るな。

「その言い方だと……もう行ってきたみたいだな?」

「うん」

少し困った顔になって、唯は続けた。



84 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 01:46:04.40 ID:4dQGTL8i0

「せっかくだからいっぱい呼ぼうと思ってみんなに連絡してみたんだけど、
 りっちゃんだけ……ちょっとハプニングがあってね」

ハプニング? 何だそれ?

「久しぶりに電話掛けたら、番号……変わってて繋がらなかったんだ」

……は?

「ひどいよね、この親友に新しい番号を教えないなんてさ。家にも誰も居なかったし」

…………。

「だからここはりっちゃんの大親友である
 澪ちゃんに連絡してもらおうと思って、今から新年の挨拶がてら家まで行こうと……」

唯の言葉を途中で遮り、
私は今日まであんなに押せなかった律の番号にカーソルを合わせ、即行でコールを掛けた。

「……澪ちゃん?」

心配そうに顔を覗き込んで来る唯。
だが、言い方は悪いが私の意識はすでにそこへ向いていなかった。
耳に着けた受話スピーカーから流れてくる音へと全神経を傾ける。

だが、唯の悪い勘違いであって欲しいという私の願いは、
数秒の時間を掛ける事も無く、無下に取り下げられたのだった。

『お掛けになった電話番号は、げんざ―――』

すぐに切ってもう一度。

『お掛けにな』

もう一度……!

『お掛けに』

「……そんな」

そう呟き、スピーカーに向こうから流れ続ける
インフォメーションメッセージを、左耳から脳も経由させずに外へ追い出していく。
思いつく言葉はただ一つだけ。

「どうして……」

本当に、ただそれだけだった。



85 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 01:51:29.48 ID:4dQGTL8i0

「どうしたんだろうね……りっちゃん」

私と律が六年もの間連絡を取っていないと告げた直後、唯は歩みを止めずに言った。

「……ま、仕方ないよね。もう社会人なんだし、色々あるんだよ」

これからスーパーで買い出しをすると言った唯に付き添うべく、
私はそのやや遅めの足取りで道を行く唯の隣を歩いていた。
正直家に居てもやることが無いので、
これから直接唯の家に行って料理を手伝うというのも悪くないかもしれないな。

「澪ちゃんひょっとしてさ、もうちょっと早く歩きたい?」

「え?」

突然笑顔になって前に躍り出た唯の言葉に、私は首を傾げた・

「私、歩くの遅いでしょ?」

いや、確かに少しばかりはそう思ったが、別に気になる程度では無かったのだが……。
そもそも何故そう感じたのだろうか? 私が何かそんな素振りでも見せたのか?

「この前ね、和ちゃんと会ったの」

「ああ、大学は京都だったよな」

うん、と唯。

「今は大阪で食品会社に勤めてるんだけどね。
 で、出張でこっちに来た時に時間があったから一緒にご飯を食べに行ったの」

唯は何処となく憂いを帯びたような声でそう続け、白い溜息を虚空へ送り出し、こう言った。

「歩くスピードが変わってた」

速くなってたの、と唯。

「幼稚園からずっと一緒だったからね、それがお互いよく分かったんだ。
 和ちゃん、今迄ずっと私に合わせてくれてたんだ……って。
 それが私と離れてからは何の枷も無くなって、元のスピードに戻ったんだ……って」

「唯……」

くるっと振り返り、唯は続ける。

「でもね、和ちゃんはこう言ったの。
 『元のスピードは唯と同じよ。
  でも……私は変わったね。もう唯と一緒の早さで歩けなくなっちゃった』……って」

「和がそんな事を?」

うん、と唯。

「……寂しかった」

ポケットに手を突っ込んで、その言葉は続く。

「あんなに仲が良かったのに……
 たった何年か会わなかっただけで和ちゃんが取られちゃった……って思ったの。
 誰に、とか……何に、とかじゃなくて、取られちゃったんだ……って」



87 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 01:56:55.18 ID:4dQGTL8i0

そこで唯は「はぁ……」と、空まで届く様な長い長い溜息を吐いた。それは当然の様に白く濁り、
遥かオゾンの層までも揺らすかの様に、そこに留まることなく消えて行った。

「それに気付いたら、他の人のも気付いたの。
 最初は憂、次はムギちゃん。あずにゃんに……今は澪ちゃんもそう。みんな歩く速さが変わってる。
 少なくとも高校時代よりはすごく速くなってる。横を歩くとすぐ分かるよ」

そして私の目を見て、眉を八の字に曲げ、こう言った。


―――みんな……大人になっちゃったんだね。


……何故か、胸がグッと締め付けられた。
言われるまで気付かなかったのかもしれないし、気付かないフリをしていたのかもしれない。
だけど今の唯の一言は、こんな寂しい事を実感、そして自覚させた。


―――私達はもう一緒じゃない。


あれだけ楽しい時間を共有した仲間なのに、もう私と唯は同じ道を歩けないのだ。ムギも、梓も。
道が交われば何処かで会えるかもしれない。
スクランブル交差点の様に皆が同じ空間に居る事もあるかもしれない。
だが、結局その先にあるのはそれぞれの道だ。私達は結局、自分の道以外を歩けない。



91 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 02:07:48.24 ID:4dQGTL8i0

「何か……苦いな」

「……うん」

甘い紅茶を啜っていた私達。でももうその紅茶は目の前には無い。

「……苦いよ」

そう、苦いブラックの缶コーヒーなんかがお似合いの大人に、私はなってしまっていた。
それは決して悪い事では無く、世の理なのだと思える日が、
思ってしまう日が、いつか来てしまうのだろうか?


……律


……私は


……お前は


…………………………。



92 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 02:13:14.98 ID:4dQGTL8i0

「あずにゃん遅いよ~!」

「すいません! 本っ当にすいません!」

飲み会の席に社長出勤してきたアホ猫がただひたすらに頭を下げていた。うん、滑稽だ。
料理やらなんやらをしている内に時間はあっという間に過ぎ、時計の針は夜の八時半を指していた。
本日最後の出席者が息切れをしながら平沢家のリビングに飛び込んで来たのが約三十秒前。
罵声と歓声を一身に受けながら、梓はビールを注いで回りだした。

「もう絶対お前には鰤の刺身食わせないからな」

「ひえええっ! 後生を! 御慈悲をっ!」

「澪ちゃん、それは可哀そうよ」

ムギがフォローを入れ……

「つまぐらいは食べさせてあげましょう」

「に゛ゃっ!!?」

その一言に面食らったアホ猫がひどく動揺したのを見て、私はパックの刺身を梓の席から遠ざけた。
その先に居た人物のコップにモスコミュールを注ぎつつ、梓は話し掛ける。

「わっ! お久し振りです!」

「ええ、久しぶりね梓ちゃん。四年振りくらいかしら。澪から話は色々と聞いてるわよ」

「いや~、照れます~」

「とうとうAカップまで萎んだんだって? お気の毒様」

「ごるらぁ秋山あああっ!! ワレ何吹き込んどんじゃい!!
 わしゃ中二からずっとA+なんじゃアホんだらめ!!」

「プラスもマイナスも変わらないだろ?」

「義理と人情に於いてその発言は許さんぞおおぉ!!!」

「あ~肩凝った。梓、揉め」

「指詰めたろかワレ!!!」

梓迫真の演技。そのあまりの入り込みっぷりに、
モスコミュールで満たされたコップを震わせる真鍋和が、そこには居た。

「ミュ、ミュージシャンになって性格が激変したのかしら? それともそう言う方達とお付き合いが……」

「無い無い! 無いですっ! 潔白! ホワイト!」

梓の演技力も凄いが、和の妄想力もまた酷いものがある。両者引けを取らず、凄まじい攻防だ。



93 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 02:18:40.76 ID:4dQGTL8i0

「まあまあ、じゃあそろそろ乾杯しましょう。鍋も煮詰まっちゃうし。唯ちゃん、乾杯の音頭取って」

「えっ? 私?」

「うん、主催者だしね」

「しゅ、主催者……!」

その言葉に一体何の魅力を嗅ぎ取ったのだろうか?
唯は勢い良く立ち上がると、仰々しくオホン!と咳払いをしてみせ、
まるでスポットライトでも浴びているかのように燦然と瞳を輝かせた。

「え~、お集まり頂きました三名と一匹の客人方。
 ようこそいらっしゃいました! 私がこの席の主催者、MS. HIRASAWAデ~ス!」

「もうミセスでいいんじゃない?」

「ええっ! いや、まだ早いよ~!」

「その割に身体はくねくね反応してますけど? あと私、猫じゃないです」

「も~あずにゃんったら! 照れるな照れるな!」

「いや……微塵も照れてな」

「じゃ、私達の再会と、今年一年のスタートを祝いまして! せ~の!」

飲み会に於けるこの上ない常套的な定型句がMS.HIRASAWAの口から発せられ、
残りのメンバーがそれを復唱し、私達の長い夜は幕を開けた。
ムギが十四オンスのグラスを一瞬で空にし、和と唯憂ペアを驚愕させたのは、最早言うまでもない。



95 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 02:24:17.97 ID:4dQGTL8i0

「タバコ吸うんだ?」

「まあね」

リビングから聞こえる笑い声を背に台所で洗い物をする私の横、
真っ白な換気扇の下で紫煙を燻らせる和。
どこか絵になっているのはモデルが良いからだろうか? メンソールのグリーンラベルが味を出している。

「仕事でストレス溜まっちゃって。休みの日は専らオールで雀荘に居たりするのよ」

「へぇ~」

意外と言えば意外だが、ウチの会社にもそういう人間は多い。
OLと言っても皆が皆スイーツしてる訳ではないのだ。
私も和もきっとそのジャンルに分類されるのだろう。
現に二人ともファッション誌を見たのは十代が最後で、
先程それを唯達に激しく糾弾されてしまった所だ。

ちなみに現在のリビングの状況であるが、
唯は顔が真っ赤、憂ちゃんは頬が朱に染まり、笑い上戸であることが判明した。
その他の面子はほぼノーダメージのままで既に飲み会開始から三時間が経過しており、
とても洗い物を任せられない状態にある平沢姉妹に変わって
私が土鍋の底に付いたうどんをこそぎ落としている所である。

「澪は凄いわね。あんな大きな会社でバリバリ働いてるんでしょ?」

「凄いっていうか……毎日やることやってるだけだよ。職場も楽しいし、同僚も良い人ばっかりだし」

「楽しいお酒の相手もいるしね」

「ん~……ま、まあね」

その酒の相手といえば先輩に洗い物をさせておいて、顔色一つ変えずに日本酒を煽っているわけなのだが。

「和はどう?」

「どうって?」

「大阪、楽しい?」

数秒の間を置き、和はゆっくりと主流煙を換気扇に送って、呟くようにこう言った。

「全っ然……」

その言葉は何だか物悲しく、同じトーンで更に続く。

「受験に失敗したのがダメだったわね。
 滑り止めの大学で飲み会サークルに入って合コン三昧。好きでも無い男と寝たことも何度も有ったわ」

思わず菜箸を洗う手が止まる。

「そんな生活しててろくな就職先が見つかるわけないわよね。
 今働いてる所も親戚の紹介で入ったようなものよ」

「でも唯から聞いたけど、一応中央区にある会社なんだろ? 大阪城がそばにある」

そうよ、と和。

「でもね、所詮は下請けメインの中規模会社。女にはろくな仕事が回ってこないから薄給もいいとこよ」

煙を吸って一気に吐き出し、和はコークハイのロング缶に口を付ける。
あまり美味しそうに飲んでいるようには見えない。



97 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 02:29:43.72 ID:4dQGTL8i0

「会社から帰る時に大阪城公園っていう駅を使うんだけど、
 そこに行くまでに時々屋台が出てたりするの。
 アーティストが大阪城ホールでライブをする時は一万人集まるからね。
 売出し中のミュージシャンがストリートライブなんてやってる時もあるわ」

「へえ、何だかすごいな。お祭りみたいだ」

「そう、お祭り」

遠い目をして、和は続ける。

「その屋台のイカ焼きが晩御飯の時もあるわ。すごく悲しくなる」

「……そう」

最後の大皿を洗い終え、水切り台のシンクに手を伸ばす。
綺麗に手入れされているが、一応洗剤で殺菌しておこう。

「今思えばすごく楽しかったわ……高校時代。生徒会長やって、あなた達と受験勉強して……」

和はそう言って私の隣に移動し、蛇口の水を二秒程奪ってタバコの火を消した。
それは何だか線香花火が落ちるように寂しく、油蝉が鳴き止むように物悲しく、
静謐な円の心の叫びを表しているようにも聞こえ、私の心をキュッと締めたのだった。

「澪さぁ~ん」

ハッとして二人で後ろを振り返る。

「お願いがあるんです! あははっ!」

そこには、見た事もない程の超絶スマイルで首を傾ける憂ちゃんが立っていた。

「お願い?」

私なんかが憂ちゃんに頼まれて出来るような事は、大抵自身で出来る事なのだと思うが……。

「はい! 梓ちゃんから聞いたんですけど、
 澪さんの作る五目チャーハンって凄く美味しいらしいじゃないですか!」

「ああ……、まあ時々作ってやったりはするけどな」

「ずるいです! 私も食べてみたいです! 澪さんの五目チャーハン!」

「え、ええっ?」

あのアホ猫め……また余計な事を……。



100 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 02:35:09.84 ID:4dQGTL8i0

「そんな物珍しいものじゃないよ?」

「いいんです! それでも食べてみたいです!」

「ん~……あんまり期待されても困るけど……。まあ、材料があればすぐできるよ」

「じゃあお願いしても良いですか?」

「ん、分かった。飲みながら待ってなよ」

「やった! ありがとうございます! お姉ちゃん、澪さん作ってくれるって!」

『よくやった! よくやったよおおおおおぉ!』

『せ、先輩何で泣いてるんですか!?』

「お、お姉ちゃん!?」

慌ててリビングに戻って行くその華奢な背中を見つめ、私は一言。

「……唯は泣き上戸か」

先程までしていた話のシリアスさを完全に奪われていた事に気付いたのは、
私がフライパンに胡麻油を敷いた頃だった。


「ほいひーよ澪ちゃん!」

「口に物を入れながら喋るな」

「ほーれふよ、ふいへんはい」

「お前もだこのタコ」

タコだか猫だか知らないが、こいつは本当に奔放だな。
自由で見てて楽しいが、ミュージシャンをクビになっても他の職業には就けそうにないな。
その時は泣きつかれてもシカトしてやろう。

「あっ! ほーれふ! ンぐッ!! い、今何時ですか?!」

「はぁ?」

突然目つきを鋭くし、怒鳴るように訊ねてくる梓。いきなり何だってんだ?

「あ~……ここからじゃ時計見えないな。ムギ、見えるか?」

「えっと……日付変わって十二時二分ね」

「ホントですか!? よ~し!」

突然立ち上がるアホ猫。何だ? 芸でもしようってのか?



102 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 02:40:44.19 ID:4dQGTL8i0

「大大大発表があります!!」

「お、おい! 声でかいって……!深夜だぞ?」

「おっ!? 何だ何だ~!!」

「行け~! 行くんだ梓ちゃ~ん!!」

「ああもう! うるさいっ!」

せっかくフォローしてやったってのに……、この酔いどれ姉妹はまったく……。

「それで、大発表って何なの?」

「よくぞ聞いてくれましたムギ先輩!」

そう言うと梓はポケットからチラシを取り出し、何やら能書きを垂れ始めた。

「まずは皆さん、『SPARKLING VINEGAR』ってバンドを知ってますか?」

いやいや、知らない奴なんて居ないだろう。今巷でブレイク中のガールズバンドじゃないか。
ちょっとでも音楽番組を見ている人間なら誰しもチャートの上位でその名を聞いたことがあるはずだ。

「スパビネ? 私大好き~!」

「お姉ちゃんアルバム全部持ってるもんね」

唯の向かいの和も口を開く。

「私も聴いたことあるわ。友達と大阪のライブ行ったし」

「ええっ!? ホントに!?」

「ウチの会社が大阪公演のスポンサーでね。
 上司がチケットくれたから行ってきたの。まあ楽しかったよ」

「ずるいよ和ちゃん!
 ファンクラブに入らないと殆どチケット取れないんだよ! 私も行きたかったのに……」

「あら、そうなの?」

「そうだよ~!」

意外や意外、唯がそこまでのファンだったとは。

「まあ落ち付け唯。ムギは知ってるか? スパビネ」

「ええ、もちろん」

まあそうだろうな。芸能ニュースなんかでもよく取り上げられているし、
何より流行に疎い私が知っている位なのだから、ムギが知らないはずもない。

「皆さん知ってるんですね? じゃあ話が早いです!」

梓は畳んだチラシをさっと開き、
こちらにその中身を「じゃーん!」という何とも古臭い効果音と共に見せつけてきた。
見たことはないが、昭和のバラエティーなんかはこんな感じだったのだろうか。レトロ。



104 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 02:46:11.20 ID:4dQGTL8i0

「本日一月二日の午前0時を以て発表されるスパビネの最新情報です! なんとスパビネが……」

チラシをバン!と炬燵に叩きつけ、

「三月から四回目の全国ツアーを行うんです!」

と、梓。

「初日の横浜アリーナを皮切りにスパビネ初の福岡公演!
 地元関西は大阪城ホールと神戸ワールド記念ホールをそれぞれ二日間ずつ!
 続けて徳島と愛媛ではホールでライブを行って、仙台と新潟で東北計四日間!
 北海道では初のワンマンを二百人規模のライブハウスで行います!
 そして広島グリーンアリーナ、セミファイナルの名古屋ガイシホールを経由し、
 何とファイナルが……!」

グッと握り締めた拳と高々と突き上げ、

「聖地、武道館で一万人ライブですっ!!」

おお~っ!!! と声を上げたのは私以外の全員だ。
唯憂は抱き合って喜び合い、和とムギはチラシを凝視している。

「すごいよあずにゃん! 何でこんな情報知ってるの!?
 昨日ホームページ見たけどそんなの書いてなかったよ!?」

「ふふん……」

興奮しきりの唯に、梓はしてやったりな顔をして答える。
そのキリッとした顔がやや鼻につくが、どうもツッコミを入れられるような空気では無い。

「答えはそのチラシの中にあります」

ええ? と、唯憂はムギと和の間に割って入り先の二人と同じく、
目を三日間何も食べていない荒鷲の様にしてチラシの文字を指でスクロールしつつ、言葉を続かせる。

「ん~っと……、地元関西でのアリーナ4Days、
 初上陸となる北海道・九州でのライブや、恒例となった四国でのホールライブも。
 そしてファイナルの初武道館公演までを二カ月で回るスパビネ史上最大規模のツアー。
 バンドメンバーは更なるステージへのこだわりと音の厚みを追及する為に
 最強のサポートメンバーを招集。
 様々なアーティストのバックで活躍する……ピー……イー……アールの……?」

「Per。パーカッションだよお姉ちゃん」

「おお! さすがは物知り憂!」

「えへへ~」

「えっと、活躍するパーカッションの花蓮[RAINBOW]奈々と、
 インディーズ時代のレコーディングからライブのアシスタントを経て、
 後にサポートメンバーとしてもツアーにも参加した
 スパビネの相方的存在、GtのAZUが四人の脇をしっかりと固める。

 最早死角無しのスパビネ。春の日本を弾けさせるのは、この六人だ!
 詳細は以下のオフィシャルHPにて。携帯の方はQRコードからどうぞ……」

全文を読み終えた唯はじめ、全員が目をまん丸と開いて視線をチラシの一点に集中させる。
何処、なんて聞くのは最早無粋だろう。
満面の笑みを浮かべる梓が、早くそこを訊けというオーラを噴出させていた。

「あ、あずにゃん……? このギターのAZUって……」

してやったりの顔のまま、アホ猫がどこか慇懃な口調で答える。



106 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 02:52:46.98 ID:4dQGTL8i0

「私の芸名です」

全員、開いた口が塞がらない。もちろん私も含めて、だ。

「じゃ……じゃあ……! じゃあ……!」

ええ、と揚々答える梓。

「私、スパビネのサポートで武道館に立ちます!!」

アホ猫がそう言い終った瞬間、深夜の一軒家には五人分の大絶叫がこだました。
もちろん私もそれを咎めはしない。
……というか、後で聞けば私が一番大声を上げていたんだそうな。

後はもうメチャクチャ。
唯は梓に抱きつきながら感極まって大声で泣き出し、
憂ちゃんは一人で万歳三唱を延々繰り返す興奮ぶり。
ムギと和は黄色い歓声を上げながら唯と梓に駆け寄ってもみくちゃにし、
私はその光景を見ながら一人、端の方から視界を滲ませていた。
梓が武道館に……。それはそれは……考えただけで、もう……。


「今日まで情報を漏らすのは厳禁だったんですよ」

みんなが寝静まった薄暗いリビングのソファーで
平沢家秘蔵の年代物赤ワインをありがたく頂きながら、私と梓は身を寄せ合って話をしていた。

「どうしても外部に情報を漏らす事が出来なかったんです。
 今はネットですぐに情報が広まっちゃう時代ですからね。

 サプライズ性の遵守を第一に考えて、メンバー、スタッフ一同は
 身内に話す事も禁止されました。澪先輩には伝えておきたかったんですけど……」

……ごめんなさい、と梓。

「バーカ」

ロックグラスに注いだワインを口に流し込み、アホ猫の頭を小突く。

「そんなの気にすんなよ」

梓が空になった私のグラスに紅色の葡萄液を注ぎ、私はそれをすかさず口へと運ぶ。
ちびちび飲むには本当に最高の酒だな。

「私だって社内機密をお前に話したり出来ないし、お前の所属事務所やその提携先だってまた然りだ。
 それは企業として、社会として当たり前の事なんだよ。
 個人の感情なんかが入っちゃいけないし、それを掻き乱した奴はつまみ出されて当然だ」

梓は何故か目をパチクリさせ、こちらへ妙な視線を送って来た。そして、相変わらずな一言。

「床に落ちたねるねるねるねでも拾い食いしたんですか?」

甘噛み一発 to 耳朶。

「ふわっ……」

「変な声出すなバカ」



109 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 02:58:19.25 ID:4dQGTL8i0

「も、もう! 身体を持て余した女にこんな事しないで下さいよ!
 だいたい……百合じゃ無いんじゃなかったんですか?」

おかしなことを言う猫だ。

「私は生れてから一秒たりともヘテロの枠内を飛び出した事は無いぞ?」

「……じゃあただの酔いどれ独女です」

ふん、と鼻を鳴らし、私。

「いいじゃないか。今日ぐらい酔わせてくれよ」

ちびりとワインを流し込み、グラスを置いて梓の小さな頭を反時計回りに撫でる。

「……可愛い後輩の大出世を祝いたいんだよ」

その言葉に身体を小さく跳ねさせる梓。暗がりの中でもよく分かる。こいつ、顔が真っ赤だ。

「……今日はやけにデレますね」

そう呟き、私の掌を頭に乗せたまま二杯目のワインをクイッと飲み干すアホ猫。可愛いもんだ。

「おう。私にはツンデレの師匠が居るからな」

「師匠?」

「そう、師匠」

再びグラスに手を伸ばし、軽く飲み干した所で視界がようやく歪んで来た。

「ツンデレの基本はツインテールだろ? あずにゃん師匠」

「な゛っ……」

その後、皆をたたき起しそうなボリュームで暫し続いた梓の罵詈雑言をスルーし、
私は軽くブランデーなんかが飲みたくなった。
だが、そんな気の利いた物が台所に無かった事を思い出し、
梓の口を手で塞いで本日五杯目のワインを注ぐよう促したのだった。

それから私と梓が眠りに就いたのは、もう空が白み始めた明け方の事。
互いにもたれかかるように、それはもうただひたすらだらしなく。
後日、いつの間にかその決定的瞬間をカメラで収めていた唯から送られてきた写真を見て、
二人して頭を掻いたというのは、最早言うまでもない。



112 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 03:03:44.47 ID:4dQGTL8i0

吹き荒ぶ東京のビル風。この冷たさには正直いつまで経っても慣れない自信がある。
身を切るような寒さと言うのはきっとこういう事を言うのだろう。
ジャック・ザ・リッパーの正体は限界まで加速したビル風、
というあまりに非現実的な『犯人鎌鼬説』をも信じてしまえるような気分だ。

雪も降らないオフィス街で日々仕事に勤しむ独女。つまり、私。
早い物で、世間では最大の恋愛イベントと銘打たれるバレンタインデーがもう終わってしまっていた。
その手の行事に縁が無いと言えばそれまでなのだが、それがどうもあの御神籤のせいな気がしてならない。このままでは今年一年、本当にまた仕事だけで暮れてしまう。

「秋山さん」

ボーっとビルの谷間の茜空を見ていた私に、リーダーが話し掛けてくる。

「報告終わり。部長が直帰の許可くれたよ。久々の早上がりだから熱燗でも飲んで帰ればいいってさ」

「わぁ、嬉しいです」

これにて外回り終了。お疲れ様、今週の私。

「今日は疲れたねぇ~。秋山さんが相方じゃなかったらもう一時間くらい掛かってたよ。
 頼りになるなぁ、我が班のサブリーダーは」

そう、私は新年一発目の班内異動でサブリーダーへと昇格していた。
今までとやる事はさして変わらないのだが、
リーダーが四月から主任を飛び越して係長に昇進するので、
それに伴って現在のリーダーのポジションが空席となる。
そして、その後任に現リーダーからの推薦を受けた私が選ばれたというわけだ。

つまり、今はリーダーの引き継ぎ期間中。
四月からは私が現在の班をリーダーとして任されるのだ。
話を聞けば現リーダーも今の私と同じ二十四歳で
今のポジションになったという事なので、早すぎるという事は無いとの事。
プレッシャーはあるがリーダーに任された大切なポジション。頑張らない訳にいくまい。

「どう? 一杯?」

「ええ、お付き合いさせてもらいます。係長」

「ほほー! いい響きだねぇ、新リーダー君! 二人で営業課を盛り上げようではないか!」

「はい!」

……あ、そうだ。

「先輩、申し訳ないんですけどちょっとだけ寄りたい所があるんです。いいですか?」

「おっ? 何処だい何処だい?」

「吉祥寺です」

「ああ、電車で十五分ってとこだね。いいよ、付き合う」

「ありがとうございます!」



116 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 03:09:09.50 ID:4dQGTL8i0

そう、この用事はどうしても今日中に済まさなければならないのだ。寛大な新係長に、感謝

「その代わり、今日はオールだぜ?」

「またカラオケですか?」

「いんや、今日は歌舞伎町のバーに行こう。朝までやってるバーでね、店員がみんないい男なんだわ」

「あら、お熱ですか?」

「いや、みんなゲイだから」

「ゲ、ゲイ?!」

正直驚いた。交友関係が広い人だとは思っていたけど、
まさかそんなジャンルに迄手が伸びていたとは……。

「楽しいよ~。ホストよりよっぽどいい男達と遊んでるっていうのに、
 格安で飲み放題なんだからね。あんなに女心の分かる男達はまあ居ないさ。
 おまけに絶対手を出されないっていうオプションも付いてるし!」

「は、はぁ……」

勇ましい……。この人は勇まし過ぎる……。ついて行けるだろうか……。
…………不安だ。


「こんにちは~」

「ああ、秋山さんか。どうもどうも」

自動ドアの開いた先に居たのは、もう数回顔を合わせている眼鏡の店主だ。
モスグリーンのエプロンの下からは
ややくたびれた黒のワイシャツと、同色のスラックスが顔を覗かせている。
何度来てもこの格好から変わることがないという事は、これが彼のデフォルトなのだろう。

「今日はお連れさんがご一緒かい?」

「どうも、秋山の上司です」

「あらまあ、てっきり双子の姉妹かと思ったよ。美人過ぎると皆顔が似るとはよく言ったもんだ」

そんな冗談を言いつつ椅子に座って新聞を読んでいる所を見ると、
どうやら今日も客の入りは芳しくないらしい。
まあこの店が店頭品を生業の種にしていない事など、
この怠惰に塗れた陳列状況を一目見れば分かるので、別に心配はしない。

「ほぇ~……それにしても年季の入った店だねぇ。店主さんからも燻銀な職人の臭いがするよ」

「はは、一応香水は振ってあるんだがね。妙な臭いは消えないか」

掛けて待っててくんな、と言い、にへら笑いで店の奥へと引っ込んでいく店主。その言葉に倣い、
何処かの廃屋から拾って来たとしか思えない程煤けた色合いの椅子に二人して腰を掛ける。



118 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 03:14:43.36 ID:4dQGTL8i0

リーダーがドアを勢い良く引くと、
そこには思っていたより三十倍程盛り上がっている男衆の姿があった。

「よっほ~皆さん!! おっひさ~!!」

その声に対し、
おおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!
というけたたましいにも程がある歓声……いや、雄叫びが上がる。
なんだか大軍勢に向かって百人だけで挑んでいく
勇敢な兵士達が脳裏をよぎった気がしたが、スルーした。

「みっちゃああああああああああぁん!! 会いたかったわよおおおおおおぉぉ!!」

「おっす忍! 私も会いたかったぜ!」

出迎えにやってきたレスラー体型の男が着ているタンクトップの真ん中辺りを
バチン!! と叩いてスキンシップを図るリーダー。
そしてそれに「ああん! これがいいのおおおおおぉぉ……!!」
だなんて黄色い叫びを上げてへたり込む忍さんとやら。ダメだ、予想の右斜め上を行く地獄絵図だ。

「やっほ~健史! この子は私の部下だよん! 優しくしてやってねん!」

カウンターの中に居るひと際精悍な顔立ちをした
ワイシャツベスト姿の男性とやりとりを交わすリーダー。
男性の名札に『MASTER』という字が刻まれているので、この人が責任者と見て間違いないだろう。

「いらっしゃいませ! 『RISE』へようこそ! おい忍、早く荷物をお預かりしろ」

その声でへたり込んでいた忍さんとやらが
リーダーと私の荷物一式をカウンターの中へ運んで行く。
なる程、態度は乙女、身体は男、か。

「さ、どうぞどうぞ。みっちゃんに連れて来られて朝まで帰った人は居ないけど、大丈夫かな?」

私達をカウンターに座るよう促し、
マスターは端の席二つにおしぼりと洒落たコースターを二つずつ、
それと凝ったデザインのメニュー表を置いた。

「秋山さんは私よりお酒強いからね、ガンガン飲ませてあげてよ!
 ウチの班の男共なんて皆潰されちゃったんだから!」

ああ……そんな事も……ありましたね。

「秋山さんね。差支えなければ下の名前を教えてもらっても……」

「あ……えっと、澪です」

「澪ちゃんね。じゃ、早速その酒豪っぷりを見せてもらおうかな。
 ご注文どうぞ。みっちゃんはいつものアレでいい?」

「オケーイ!」

ファーストオーダーが黙っていても出てくる程通い詰めているのかこの人は……。
じゃあ早く決めないといけないな。

「あの……、私洋酒が苦手なんで、焼酎って置いてたりしますか?」

「あらら、若いのに珍しいね。じゃあ……」

その場にしゃがんで何かを漁りだすマスター。
やがて戻ってきたその手にはラミネート加工された別のメニュー表が握られていた。

「ウチが出せるのはこれだけだよ。まあその辺の店よりはいい物を出してるかな」

確かに言う通りだ。
有名な焼酎やいつも私が自宅用に買い込んでいる美味しい日本酒の名前もある。これは嬉しい。

「じゃあ月見灘をロックでお願いします」

「渋いねー。オッケー! 少々お待ち下さ~い!」



120 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 03:20:09.43 ID:4dQGTL8i0

そう言うとマスターは早速カクテル作りに取り掛かった。
なかなかいいジーンズを履いてるじゃないか。あれ多分ビンテージ物だ。

「いい男でしょ~。普通にモデルやってても何もおかしくないもんねー」

「はは、元モデルだって何回言えば覚えてくれるかな?」

「まあまあ、御愛嬌御愛嬌! ね、秋山さん!」

「えっ? い、いや……、あの……その……」

「ほら~、澪ちゃん困ってんじゃんか。
 初めて連れて来た時は優しくしてやんねーと、次付き合ってくんね~よ?」

そう言ってマスターはテキパキとリーダーのカクテルを作り上げていく。
見た目は色が薄くとても綺麗に見えるが、一体何と言うカクテルなのだろうか?

「あれ何て言うお酒ですか?」

ふふん、と鼻を鳴らし、リーダーは胸を張って言う。

「カクテルの王様って言われてるんだけど、何か知ってる?」

「何だか聞いたことがあるような無いような……。私ほとんど日本酒しか飲まないんで……」

「そうなんだ、じゃあ今日覚えて帰ったらいいよ。ね、健史!」

その言葉に笑顔で応え、マスターはまず私の焼酎をコースターの上に置き、
そしてリーダーのそれの上には煌々と輝きを放つ、
まるで宝石のような液体をいっぱいに蓄えたカクテルグラスを差し出した。そして、決め顔で一言。

「マティーニでございます」

それに見蕩れる私の視線に気付いたのか

「気になるなら後で飲んでみたらいいよ。時間無制限の飲み放題だからさ」

そんな事を言ってリーダーは妖しく笑った。
……その笑顔が私の見た事のない、狂喜に塗れた物に変わるまで要した時間は僅か一時間余り。
王様は……やはり強かった。



122 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 03:25:35.41 ID:4dQGTL8i0

「本当にすいません……」

「あはは! 澪ちゃんが謝る事じゃないさ。
 みっちゃんも久し振りだったからね。きっと楽しかったんだよ」

朝の山手線車内。ぐったりして動かない、
そして何より酒臭い事極まりないリーダーを担いでマスターはニコニコ笑っていた。
先輩の完璧に近いボディーをその肌に当てながら動揺の欠片も見せない所を見ると、
この人がホモセクシャルであるという事を深々納得できる。

「ウチの店に来るといつもこうだよ。
 朝まで飲んで、はしゃいで泣いて、担がれて俺の家まで連れて行かれて、
 夕方くらいまで眠って、んで起きたら地獄。胃液しか出なくなるまでトイレの住人になって、
 気分が良くなるまで寝て過ごして、俺が出勤してる間に帰るんだ」

「そうなんですか……」

昨夜もまさにそう。
はしゃぎにはしゃいで、思い切り笑っていたと思ったらトイレから帰ってこなくて、
マスターと一緒に様子を見に行ったら、何とあのリーダーが大号泣中。

「昨日は特にペースも早かったし、俺にはやけ酒に見えたよ。疲れてたのかな?」

確かにそうだろう。それに、色々と溜まっている物もあるのかもしれない。
いくら酒が入っているとはいえ、あんな子供みたいな泣き方をする様な人だなんて想像した事もなかった。

いつもクールで優しくて、でも羽目を外す時は人一倍はしゃいで、
それでもちゃんとリミッターを掛けられる完璧な人だとばかり……。
その分、リーダーがマスターの胸の中で泣いているのを見た時のショックは、割と大きな物だった。
大人が泣いちゃいけないだなんて微塵も思わないけど、それでも……やはりあの泣き顔はズンと胸に来た。
「ま、寝て起きたらスッキリするよ。
 澪ちゃんも少し付き合ってあげて欲しいな。お茶くらい出すからさ」

「ええ、ありがとうございます」

どうせ帰る方向も一緒だ。マスター宅の最寄り駅は私と一緒。
おまけに家も割と近所だという事が昨夜分かっており、
先輩が寝てしまった時からそうするつもりだった。


「あ~……驚かないでいいように先に言っておくね」

ん?

「俺、嫁と子供がいるんだ」

「…………」

……は?



124 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 03:31:03.26 ID:4dQGTL8i0

マンションのエントランス。突然マスターの口から飛んできた告白に私は多大な衝撃を受けた。

「え……ええっ!?……で、でも……マスターは……あの……その…………」

「うん、ゲイだよ」

さらっと軽やかに、そんな告白。

「……で、ですよね? 昨夜熱弁振るってましたもんね?」

じゃあ……

「奥さんと子供って……」

マスターは笑顔を崩さず、ニコニコと答える。

「籍は入れてないんだけどね、訳ありで同棲しだしたらその生活に慣れちゃって。
 今は内縁の妻ってところかな。あ、肉体関係はもちろんないよ? 俺、男が好きだし」

「そ、そうですか……」

何と答えればいいやら。夜の街にはこういう夫婦の形もあるのだろうか?
こんないい男に抱いてもらえない奥さんって一体……。

「あ、ボタン押してくれる? うち六階ね」

「あっ、はい」

無機質なエレベータに吸い込まれていく私とマスターとリーダー。
この鉄の箱の内部と言う閉鎖空間が実はあまり好きでは無かったりする。
何故かは分からない。だが、嫌いだ。

「奥さん達寝てるかもしれないけど、別に気にしなくていいからね。
 今日は映画見に行くって言ってたし、寝ててもすぐ起きる時間になるから」

「はい」

「奥さん寝起き悪いけど、その時は勘弁してあげてね。仕事も育児も大変だから疲れてるんだ」

「分かりました」

入り口上部にあるパネルの 『6』部分が光り、『↑』から光が消え、扉が開いた。
何だかそれだけで救われた気分になる。
目の前に現れた踊り場を見てハッとなり、扉を押さえてマスターを促した。

「ん、ありがと」

部屋はエレベーターからすぐの607号室。玄関のドアもなかなか立派だ。
ウチのボロアパートとはえらい違いだな。まあマスターが頑張っている証拠だろう。

「えっと、ドアノブ捻ってくれる? 鍵掛かってなかったら奥さん起きてるから」

「はい」

ドアの右側に付いているノブを左手で回し、少し引くと
『カチャ』と言う小気味良い音と共に何の滞りも無くドアが開いた。
どうやら奥様方は起床していらっしゃるらしい。

「ありがとね澪ちゃん。さ、上がって上がって。お~い、帰ったよ~!」

「お邪魔します」



127 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 03:36:29.32 ID:4dQGTL8i0

玄関から中を覗くとまたまた驚いた。何だこの綺麗さは。
白い壁、ベージュの天井、高そうな靴箱、ピカピカの廊下。
照明だって普通の家にあるような物じゃないぞ。
バーの経営者ってのはこんなに儲かる物なのか? もう感心するばかりだ。

……なんて、人様の生活水準を興味深げに、おまけに卑しく探ってしまっていた私なのだが、
廊下の向こうからドタドタと音を立てて近付いて来るその存在のお陰で
ようやくきょろきょろと田舎者臭く周りを見渡すのを止めることが出来た。

「パパおかえり~!」

「ミサただいま~!」

父親の帰りを出迎える娘。それに抱擁で応える父。
それだけなら何もおかしくないはずの光景だったのだが、
私の目には酷く尖った既視感が突き刺さっていた。
父親の背に担がれた女性も、女性を担いだ父親自身も、今は霞んで見える。
寧ろ眼中にないと言っても良い。

「わ~! くさい~!」

「パパまた飲みすぎちゃったよ~。ミサも早くパパとお酒飲めるようになろうな~」

「え~。くさいのやだ~!」

無邪気に笑うその女の子の笑顔。その顔に、私は間違いなく見覚えがあった。
無論、この子自身であるはずが無いのだが、この子自身で無いとおかしいとも思うくらいのレベルで、
この子の顔は私の頭の中で山積みになっている思い出のフィルム達に焼き付いた、
あいつの顔とほぼ百パーセント合致していたのだ。

「り……つ……?」

そう言った私の顔をマスターは驚いた顔で、女の子は首を傾げて眺める。
そして女の子は二回程両目をパチクリさせた後、
さも当然かの様な口調で、私にこんな事を言ったのだった。

「わたし……おかあさんじゃないよ?」

おかあ……さん?

「あれ~? お客さん?」

扉の向こうから聞こえてきたその声に、私の脈は徒競争をしている時のような急激な増加を見せた。
この声を他と聞き違うはずが無い。それにこの子の顔も、さっきの言葉も。
もうそうでなければ絶対におかしいとまで私は確信し、
その扉の向こうから近付いて来る人物の名を頭の中で呟いた。

「またみっちゃんかな~? どうせマティーニでも飲みすぎ……」

その人物と目が合う。さしずめキャッチコピーを付けるとすれば、近所で話題の若奥様というところか。
白の清楚なワンピース、濃くも薄くもない化粧、しっかりとセットされた髪、
……そこには乗っていない黄色のカチューシャ。



130 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 03:41:55.77 ID:4dQGTL8i0

「み……澪…………?」

……私の知らない所で、すっかり女性らしく成長した田井中律が……そこには居た。



「ほらミサ、パンダさん乗っといで。これ入れるんだよ」

「わ~い!」

律からお金を受け取ったミサちゃんが一目散に駆けて行く。

「転ぶよ~! 気を付けて~!」

その背中が小学生の頃の律とダブり、思わずあの頃と同じ言葉を娘にも叫んでしまった

「だいじょうぶだよみおちゃ~ん!」

「う゛っ……」

激しくデジャウ゛だ。
なまじ外見が幼少期の頃の律と似ているなんてレベルではない程酷似している為、
どうにもこうにも反論できない。あの顔には、弱い。

「みおちゃんって……」

「しょうがないだろ? 私の娘なんだから」

律らしい言葉だ。……けど、話し方は昔のままでは無い。
どこか上品に洗練されていて、何だか節々に違和感を覚えてしまう。
今の言葉だって、どこか無理矢理昔の言葉遣いに直している様な気がしてならない。

―――だが、そうなってしまったのも、また仕方が無い事なのかもしれないな。

桜高を卒業した後、律は保育士の免許を取って地元の保育園で働きだしたのそうだ。
そして保育園に勤め出して一年が経った時、
短大時代から付き合っていた恋人が横浜に転勤するのをきっかけに結婚、退職。
五歳年上の素朴なサラリーマンだったそうだ。

曰く「優しくてね、すぐ惚れちゃったよ。何度もフラれたけどさ。
押して押して押しまくったら折れてくれた」だ、そうだ。
いかにも律らしい。そんなこんなで幸せを『もぎ取った』のだそうだ。
だが、横浜に移り住んだ律を待っていたのは……あまりにもありきたりで残酷なシナリオだった。



132 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 03:47:23.41 ID:4dQGTL8i0

それは突然やってきたという。テレビやドラマの中の絵空事だとばかり思っていた現代社会の冷たい風。
夫の会社の倒産。決らない就職先。そして酒浸りの日々の末、彼が選んでしまった……最悪の選択肢。


一生を添い遂げると約束したその人が飛び込んだのは律の胸では無く、
近所を走るローカル線の踏切だった


「……今でも肉が食べられないんだ。……見てるだけで吐きそうになる」

肩を震わせながらそう言った律の顔を、私は見る事が出来なかった。

「とんだ未亡人だよ。……惨めな、ね」

その男は結婚する時、一体どれだけの想いで律を大切にすると言ったのだろうか?
自分がこの世を去った方が律を傷付けないとでも思ったのか?
……死人の悪口など言いたくはないが、随分とご機嫌な思想の持ち主だったんだな、そいつは。

律は鉄道会社から請求された多額の賠償金を退職金を前借して清算してくれた両親に合わせる顔が無く、
最後に残った僅かな金で東京へ出てきたのだという。

「身体売って、少しでも親に金返して、さっさと死のうと思った」

でも……と、律。

「その前に…………澪に一目……会いたかったんだ……」

卒業してから疎遠になっていた私が東京に居るという事だけは分かっていた律は、
覚えている限りの記憶を辿って東京を練り歩いた。
携帯電話は金が払えなくて止まり、両親に連絡を取るのも躊躇われた為、
浮かんで来る地名を思い出しては歩き、思い出してはまた歩きという生活を三カ月続けた結果、
新宿のコンビニで水を買ったのを最後に財布が空となる。

自身の持つ全ての財産を失った律は、完全に憔悴しきっていた。
最後に固形の食物を口に入れたのはもう二十日も前。
元々細かった身体に鞭を売って歩き回り、
食事のメニューは水だけという遭難者のような生活をずっと送っていた為、
最後の方は自分が何をしているのかも分からなかったそうだ。

そんな律を助けたのが、マスターだった。



134 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 03:52:48.54 ID:4dQGTL8i0

「歌舞伎町で風俗の面接に落ちてさ、近くのビルで雨宿りしてたら……
 ずっと座り込んでる私に気付いた健史が飯食わしてくれたんだ」

その時にマスターが出してくれたサンドイッチを、律は泣きながら食べたという。

「汚い顔してる私を見かねてさ、途中で店閉めて家に連れて行ってくれたんだ。
 後で聞いたらアンパンマンに出て来るホラーマンみたいだったってさ。そりゃ風俗も落ちるよ」

くすりと笑い、律。

「で、そのままここに住んでいいって言われてさ。申し訳ないとは思ったんだけど……
 もうあんな生活に戻るのが嫌だったから、結局住ませてもらう事にしたんだ。

 で、だらだら過ごす訳にもいかないから必死に仕事探して、
 結局小さな子供のおもちゃを作ってる会社で働ける事になったんだ。
 現場で働いてた保育士がぜひ欲しかった!とか言われてさ。
 お陰で少ないけど収入が入るようになったよ。健史も喜んでくれた」

そしたらがめついもんでね、と、律。

「自分が作ったおもちゃで遊んでくれる……子供が欲しくなっちゃったんだ」

隣に立つ父親もね、と言ってミサちゃんに手を振る律。なんだか母親の顔だ。

「そう言ったら……健史が抱いてくれたんだ……」

だがそこには疑問符しか残らない。それも、えらく根本的なものだ。

「でも……マスターって……ゲ、ゲ……ゲイ……なんだろ?」

一体どうやってミサちゃんを……。

「ああ、そこまでは聞いてなかったんだ?」

そこまでは? これ以上まだ私を驚かせるつもりなのか?
へへっ、と笑って悪い顔をする律。こんな顔で唯やムギの顔が浮かぶ自分の脳が、ちょっと嫌だ。

「健史さ、実はゲイじゃ無くてバイなんだよ」

……ん~?

「……バイ……って?」

その私の言葉に律は「へっ?」と間の抜けた返事をよこし、
何やらまじまと私の顔を見た後、いきなり大声で笑い出した。

「あっはっはっは! 国立大出てバイも知らないのかよ澪ちゃんは! 世間知らずだねぇ~!」

その懐かしいリアクションに久々にイラっと来た私は、
気付けば『ゴツッ!!』という鈍い音をデパートの屋上に響かせていた。拳一発 to 後頭部。

「だああっ!! な、何するんだよ澪?!」

「うるさいこのバカ律! だいたい六年も連絡よこさなかったお前の方が非常識だろ!」

「なんだよ! それ言うなら澪だって連絡してこなかったじゃんか~!」



136 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 03:58:13.83 ID:4dQGTL8i0

そんな悪い子にはお仕置きだ!と私を指さし、律はミサちゃんの方へ向き直る。

「ミサ~! 悪の手先をやっつけるぞ! おいでっ!」

「ホントっ!?」

そう言ってまだ動いているパンダから飛び降りるプチ律ことミサちゃん。
母親に似たのか、足が早い早い。

「ママ、どうすればいいの!?」

「澪のわき腹をくすぐるんだ!」

「分かった!」

「え、ええっ!? ちょ、ちょっとま」

「ミサ! かかれー!」

「たーっ!」

さすが親子なだけあって、阿吽の呼吸はダテじゃない。
ものの一分後にはその場にへたり込んで悶絶痙攣をする私の姿があった。
大体狙いはわき腹じゃなかったのか? 色々揉みやがって……。性教育するのが早すぎだっての……。

「ううっ……もうお嫁に行けない……」

「思い知ったかー!」

「かー!」

「よしミサ、三人でアレ乗ろうぜ!」

「のろうぜー! みおちゃん、いこっ!」

「ええっ?! ア、アレに乗るの!?」

律とミサちゃんが指をさした先には、あろうことか私が大の苦手としている魔の乗り物、
コーヒーカップが次の搭乗客を待ち詫びるかのようにエンジン音を上げていた。

「みおちゃんはやくー!」

「いやあああああ! ミサちゃんまだ乗れないだろ!」

「身長九十センチ以上の子は保護者同伴で乗れるんだよ! ミサは身長高いもんなー!」

「なー!」

「いやあああああああ!!」

その後、私は本気で嫌がったにもかかわらず、
この凶悪な親子から無理矢理シートベルトで縛り上げられ、むざむざと回転地獄へ落ちて行った。
リーダー程ではないが私も一応二日酔いだったという事を思い出したのは、
ミサちゃんが面白がって中央のテーブルをマックスまで回し終えた時だったと付言しておこう。



138 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 04:03:38.92 ID:4dQGTL8i0

「じゃあ来れるんだな。よかった」

受話器の向こうからの声が五月最後の土曜日に開かれる
大イベントに参加できることになった旨の言葉を告げ、
それを聞いた私は先の言葉と共に安堵の溜息を洩らした。
良かった本当に。

『その日忍ちゃんが休みだからミサを預かってくれるんだってさ。
 健史も「たまには思いっきりはしゃいで来い!」だって! 幸せもんだよ私は』

「本当にな」

忍さんの髭を引っ張って遊ぶミサちゃんの姿が目に浮かび、思わず笑いが出てしまう。
あの二人、本当にいいコンビだからな。

『梓の晴れ舞台を見に行かないわけにはいかないもんな。皆にも会いたいし』

「唯とムギと、あと和と憂ちゃんも来るんだぞ。みんな家でお泊まり会」

『さわちゃんは?』

「先生は三年生の担任だから東京まで来る余裕が無いんだって。
 でも神戸のライブには行くらしいよ。ヘドバンしすぎで首痛めなきゃいいけど」

『ああ……周りの客が引かなきゃいいけどな……』

大いにあり得そうでまた怖い。デスメタルのライブじゃないという事だけは強く注意しておこう。

「それよりどうだ? 律も家に泊まるか?」

もちろん! と、景気のいい声が返ってくる。

『みんな寝かさないぜぇ~! 部長権力使いまくってやる!』

「ほどほどにしとけよ。ああ、ちなみにみんな超の付く酒豪になってるから気を付けろよ。
 特にムギ。あいつのペースに付き合ってたらアフリカゾウでもぶっ倒れそうだ」

『そ、そんなに!?』

律が今日一番叫びを上げた所で、インターホンが高い高い呼び声を上げた。
遅刻だな。時間にルーズな奴が大嫌いだと年の頭に聞いたばかりだったはずなのだが。

『あれ? インターホン鳴った?』

立ち上がり、玄関へ向かいながら返す。

「ああ、猫が来たよ猫が」

『ああ、ちびっ子ギタリストか。よろしく言っといてよ』

「うん、じゃあ切るな」

『おう! また明日!』

「ああ、おやすみ」

『おやすみぃ!』

電源ボタンを押して通話時間を確認。今日は十五分十二秒。最短記録だ。
電話料金の請求書が投函される日が恐ろしい。
コンコン、とドアを叩く小さな音でようやく画面から目を離す。アホ猫め。お仕置きだ。





140 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 04:09:08.01 ID:4dQGTL8i0

「二十分も遅刻する奴を入れる程、私は優しくありません」

ありゃりゃ……、とドアの向こうの声。

「じゃあこの泡盛は一人でのも」

奥義、瞬間扉開け。

「いらっしゃいませ」

「ひゃっ!」

「ようこそいらっしゃいました。荷物をお持ちいたしますのでどうぞ中へお進み下さい」

「せ、先輩……、目がマジですよ?」

「えらくマジです」

『海人ぬ風』という黄色いラベルの張られた青い瓶を受け取るというよりは奪い、
梓を置き去りにして私はさっさとリビングへ向かった。

「に゛ゃっ!! 先輩! 話が違います!」

黙れ黙れ。お前の耳には波と風と琉球の大地の音が聞こえんのか。アホ猫め。

「いよいよ明後日からなんだな。初日が横浜だったっけ」

「はい」

古酒の何とも言えない香りが漂うリビング。梓はニコニコ顔でそう答えた。

「合宿とかリハも大変でしたけど、いよいよ本番だと思うともう楽しみで楽しみで」

ミュージシャンとして全国行脚だもんな。
音楽を生業にしている者としては冥利に尽きるのではないだろうか。

「ツアー中は家に帰ったりするのか?」

んー……と梓。

「出来るだけ帰らないようにしたいと思ってます。
 私、一回スイッチがオフになるとなかなか入れ直せないんで」

「だな」

確かにそうだ。炬燵で丸くなると梃子でも動かないもんな。

「だから、長めに間が空く日を使ってベースのミキさんと沖縄に行ってきます」

「へえ、古酒でも漁りに行くのか?」

「いえ、今度レコーディングするカップリング曲に沖縄をイメージしたヤツが採用されたんです」

「おお、じゃあ観光兼半分仕事ってわけか」

「まあそれもあるんですけど」



142 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 04:15:04.50 ID:4dQGTL8i0

泡盛をくいっと煽り、愛らしい目で笑う猫。

「三線が欲しいんです」

「ほお」

それはそれは。何とも楽しそうな話じゃないか。

「やっぱりミュージシャンたる者、自分で見て聴いて触ったやつを買わないと」

おいおい。

「その為に沖縄まで行くってか。えらく急に羽振りが良くなったな」

「誘ってくれたのはミキさんで、
 特典DVDの撮影も兼ねてるから私の旅費も全部経費で落ちるらしいです。
 それに、この業界当たれば大きいですから」

ん……まあそうだな。そうでなければミュージシャンを志す物がこんなに世に溢れている訳が無い。
既に一発当てた梓はいつの間にかバイトを辞めていたしな。

「あ、そうだ」

梓はトーンを変えてグラスを置く。

「何でこれ持って来させたんです?」

壁に立て掛けたギターケースを指さし、梓は不思議そうに問う。中身は例のテレキャスターだ。
そう、実はこれこそが本題。
ありがたくも泡盛なんて持って来てくれたおかげで危うく忘れてしまう所だった。

「ちょっと中見せてもらってもいいか?」

更に首を傾げるアホ猫。
だが「いいですけど……」という言葉と共に立ち上がり、
大事そうにケースを取って私の隣に腰を落とした。
動きの一つ一つがいちいちちょこまか忙しい奴だ。

「開けるな」

「はい」

中から出てきたのは指紋が一つも付いていない程ビカビカに磨き上げられたオールドのテレキャスターだ。
黒ボディーに黒のピックガード。
ピックガードはもともと白だったものをわざわざメーカーに頼んで黒く塗ってもらった特注品なのだとか。

確かに黒×白より締まって見えるな。
このギターを無くしでもしたら梓は間違いなく卒倒して発狂する事だろう。

「ウチのテレさんが何か失礼でも?」

「テ、テレさん?」

ええ、と梓。

「私より遥かに年上ですからね。敬称略はできません」

「な、なるほど……」



144 名前: ◆/uf3rSAnrA :2010/06/06(日) 04:20:44.14 ID:4dQGTL8i0

納得していいものかどうかは甚だ疑問だが、やや唯化したあずさに
この手のツッコミを入れても無駄だという事は十二分に分かっている。止めておこう。
まあ、実を言うと私が用があるのはテレさんではないのだ。

「ああ、やっぱりな」

「えっ?」

私が取り出したのはテレさんでは無く、そのテレさんと梓を繋ぐ命綱。ストラップの方だ。

「何だこのストラップ?」

「え……あの……普通のストラップ……ですけど?」

そう、普通のストラップだ。三千円そこらのメーカー名しか入っていないような、普通の。

「色気の無いストラップだな。プロが使ってるなんて思えないぞ? 色も地味だし……」

その一言にすぐさま抗議のバズーカ砲が飛んでくる。

「高校の頃カッコよくて自分に似合ったのはなかなか無いし、
 結局シンプルなのが一番だよって言ったの澪先輩じゃないですか。覚えてないんですか」

「もちろん覚えてるさ」

途端にブスッと膨れて私から茶色のストラップを奪い取る梓。そんなに気に入っているのだろうか?

「これには思い出が詰まってるんです」

ほう。

「そうなのか?」

「楽器屋で買う時に五十円足りなくて店長さんがまけてくれた思い出が詰まってるんです!」

「情けないわ!」

間違いなくアホ猫だ。そろそろバカ猫にランクアップさせた方がいいかもしれない。

「まったく……ストラップにも五分の魂だ。ミュージシャンならかっこつけろよな」

「そんな事言ったって……」

しかめっ面で安物(五十円まけ)のストラップをジトッと眺める梓。
その顔が……今から一体どう変わるやら。



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澪『同じ窓から見てた空』#中編
[ 2012/05/01 21:57 ] 非日常系 | | CM(0)

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