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澪『永遠にともに』#4 【非日常系】


http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1279012551/

澪『同じ窓から見てた空』

澪『永遠にともに』#1
澪『永遠にともに』#2
澪『永遠にともに』#3
澪『永遠にともに』#4




158 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 06:17:42.24 ID:lbnm/+LS0

「食前の薬」

「持ちました」

「ミントガム」

「OKです」

「今日の目標は」

「二軒目に誘われる前に敵将を潰すことです」

「その為には」

「やはりチャンポンかと」

「成功する確率は」

「七割程度かと」

二人してぶつくさ言いながら集合場所の一階フロアへ向かう私と課長。
日頃の行いの良さが幸いしてか、何とか会議もその他の雑務も恙無く終了させることが出来た。
まあ会議で問題になった書類の誤字脱字は班員全員に連帯責任として猛省してもらうとしよう。
今日はリーダー命令で私以外の秋山班員は全員残業だ。

「あの店美味しいんだけど、いっつも軟骨の唐揚げ売り切れてるんだよね~。
 あれ目当てで来る客も多いってのに……仕入れ多くなんないのかな?」

「敢えての品切れでプレミア付けてるんじゃないですか? リピーター獲得作戦とか」

「あ~、あるかも。鍋が美味しいからどうしても嫌いになれないんだよね~」

「それ完全に術中にハマってますよ」

そんな哀れな班員達をオフィスに残し、私達はこれから一緒にモツ鍋屋に行かなければならない。
自発的なアルコール摂取ならばいいのだが、これは生憎得意先との飲み会だ。

接待が男の仕事だなんてもう昔の話。
やはり向こうも独身の女と話した方が楽しいのか、わざわざ私達二人に御指名が入ったのだ。
キャバクラじゃないんだから……まったく……。

「ま、さっさと帰れるように尽力しますか」

「了解です」

と、その時


ピリリリリリリリリリ



159 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 06:26:13.31 ID:lbnm/+LS0

「あれ? 私?」

少なくとも私の携帯では無い。
こんな煌びやかな音色の着信音を設定した覚えは無いし、
オフィスの中では常にマナーモードだ。
……あなたから教わったんですよ、課長?

「ちょっち待っててね」

小さなトートバッグを漁りながらフロアの隅へと消えて行く課長。
愛しのダーリンからのコールだろうか? いや、婚約をしているからフィアンセか。
何にせよすぐに話をつけて戻ってくるだろう。接待とはつまり仕事の一環。

あの人がプライベートの電話なんかで仕事の待ち合わせ時間に遅れるような事態を発生させるなんて、
滝登りをしたメダカが鳳凰になって人々に災いを齎すくらいあり得ない事なのだ。

……と、そんな至極どうでもいい事を思いながらふと床を注視してみる。
ビカビカに磨き上げられた白い床に仕事上がりの同僚達が
様々な表情を浮かべて出口へ吸い込まれていく様を見届けつつ、
その先にあるそれぞれの暮らしなんかを勝手に想像してみたりなんかする。

あの女の人は顔やスタイルはいいが性格が頗る悪いので彼氏が出来ず、
休日には似たような友人達と洒落たオープンテラスのカフェに集まって
「いい男いないよね~」なんて愚痴をこぼし合っていそうだ。まずは自分を見直しなさい。

あの男の人は派遣社員で正社員と同じ量の仕事をこなしながらも給料は約四分の一程度。
その上彼を疎ましく思っている正社員から受ける覚えの無い執拗な叱責を飛ばされていそうだ。
憂さ晴らしに今夜も一人で居酒屋かな? 頑張って。

そしてあの女の人は何だかんだで勝ち組になりそう……って、課長じゃないか。
手に携帯を持っていない所を見るともう通話は終了したようである。
やはり話を付けるのが早い……って、何だあの笑顔?

「接待中止!」

「ええっ!?」

両手で大きくバツ印を作る機敏な動作があまりにも豪快だ。たちまちフロア中の視線がこちらに集まる。
まあどうせ皆「またあの人達か……」くらいにしか思っていないのだろうが。……それにしても。

「何かあったんですか?」

とても追加の仕事が入った様なリアクションでは無いのでそこだけは安心できるが。



160 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 06:31:33.85 ID:lbnm/+LS0

「何かあったぜぇ!」

テンション上がりっぱなしの課長がく~るくるスピンを決めながら万歳を三唱する。
あの……まだ火曜日ですよ?

「向こうの社員さんが二人飛んじゃったんだって!
 お陰で朝から大パニック~! 飲み会どころじゃないんだってさ~!」

ケラケラ笑いながらいう割には由々しき事態だな、オイ。

「じゃあさっき電話は……」

「うん、向こうの部長さん。半泣きでキーボード打ってたよ。
 その向こうは阿鼻叫喚JI・GO・KU……!」

「ありゃりゃ……」

なんて言いつつ、正直そんなに驚く話でも無かった。
あの会社がブラックだっていう事は知れた話だったし、
いつも接待の席に同行する下っ端社員達の顔の青い事青い事。

一体どんな人使いをしていたのだろうかね?
まあ見てみたい気がしないでも無いが、味わいたくは絶対に無いな。

「じゃあもうここで解散でいっか。律儀に飲みに行く事も無いっしょ?」

一年前なら構わず行っていたのだろうが、
流石に栄養ドリンクを飲んでまで臨んだ平日業務の後に乾杯をする元気は無いか。
それこそ婚約者に会いにでも行くのかもしれないしな。

「はい、じゃあここで失礼させてもらいます」

「ん、よろしい! じゃあまた明日!」

そう言って再びトートバッグから携帯を取り出し、電光石火の早業で出口へと消えて行った課長。
最後の笑顔は恐らく私に向けられたものでは無かったな。

そう、あれは男を見る目だ。それも最愛の人を見る時の目。
つい三日前に地元の立派なチャペルで同じ目を見てきたから間違いない。

「そういえば……」



161 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 06:36:49.59 ID:lbnm/+LS0

唯はちゃんと病院に連絡しただろうか?
恐らく大丈夫だとは思うが、一応確認するだけ無駄では無いかな?
何故か高校時代の唯が脳裏に浮かんで「大丈夫だよぉ~!」なんて言ってきたが、
その分逆に心配になってきてしまった。

課長と同じくバッグから携帯を取り出し、
発信履歴の上から二番目の番号にカーソルを合わせて通話ボタンを押し込む。
相変わらずパティシエの業務内容までは知らないが、
恐らく今頃は売れ残ったマカロンでも齧っているのではないだろうか。

『お掛けになっ―――』

ワンコールも鳴らずに受話スピーカーから流れてきたその女性の声に今度は溜息で応え、
すぐさま電源ボタンを押し込んで無駄に回線を支配している電波を遮断する。

「あっ……」

ディスプレイの右上に申し訳程度の小さなアラビア文字で表示された時刻が目に飛び込んで来た。
そうだ。接待があるからなんて安っぽい事情で断念していたが、
それが無くなってしまったのだから今からでも舵を切るなんて事は十分出来るじゃないか。

私はまたまたバッグを漁り、日曜の昼間にムギの店で買ったばかりの長財布を手に取った。
本当にユニークなデザインだな。

TとKのアルファベッドが重なったブランドロゴが、
まるで山方の彼方に消える夕陽のような金の光を放っている。
まるで野球球団のようなロゴだが、これを考案した人間が
全国に十二個あるプロ野球チームの名前を一つも上げられなかった事を考えると、
関係性は全くは無いのだろうな。

まあこの財布の事はいい。今は中に収まっている長方形のカードに用があるのだ。
それをカードホルダーの一番手前に見つけ、さっと取り出して右下枠外の小さな表記を確認する、

『面会時間:午後一時~午後八時迄』

よし、大丈夫だ。今から行けば移動時間を差し引いても暫くは居座ることが出来る。
私は診察券を財布に戻して鞄に仕舞い、携帯をポケットに入れて
まるで溢れんばかりの人が吸い込まれるように向かっている出口へと向けて歩を進め出した。

現在時刻は十七時十五分。
日付が変わってからまだあんパンとお茶しか入っていない胃が悲鳴を上げているのを軽く無視しつつ、
私は最寄駅へと向かう人々の流れの中へと身を投じたのだった。



162 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 06:42:07.15 ID:lbnm/+LS0

「えっと、今日からお世話になってる平沢憂の見舞いに来たのですが」

朝と同じ受付で彼女の居る病室を訊ねる。
名札の写真よりやや年配気味に見える看護師さんは最初三十くらいに見えたが、
何とまあ以前私が診察を受けた時に保険証を見て「同い年ですね!」
と意味も無くはしゃいでいたハイテンションナースだと気付いた時は流石に気マズかった。

余程の激務に耐えているのだろう。
笑顔が浮かんでいるだけでも殊勲物だと言わんばかりの濃い隈が私を睨んでいた。

「えっと……平沢さん平沢さん…………あっ、A棟の三〇二号室ですね。
 事前に放送が入りますが二十時になると入り口が閉まってしまいますので、
 余裕を持っての退出をお願い致します」

「ご丁寧にどうもありがとうございます。お仕事頑張ってください」

「はい! ありがとうございます!」

あの頃と元気は変わらないようだが、吐く息に微かに染みついた煙草の匂いが哀愁を感じさせた。
彼女のような人間を天使と揶揄しないで一体どんな女性を天使と呼べというのだろうか。
何度でも言う、頑張って下さい。

「あ、お客様!」

「はい?」

病院でもお客様なんだな。
まあ金を払う立場には変わりないので別にいいのだが、
感覚的に違和感が生じるのは正直言って否めない。

「携帯電話の電源は……」

何だそんな事か。最後まで聞く必要も無い。

「もう切ってます」

そう告げると看護師さんはニコッと笑い、院内A棟へと歩を進める私をジッと見送ってくれた。
人生色々。この道に従事すると決めた時にはあんな隈が出来ると想像していたのだろうか?
夢とは……儚くて恐ろしいものだ。



163 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 06:47:12.36 ID:lbnm/+LS0

三〇二と書かれたプレートの下に六つある入院患者の名前が記されるべきスペース。
その六カ所に書かれてあった文字は合計で漢字が三つ、『平』と『沢』と『憂』だけだった。

「うわ~……ほぼってか完全に個室じゃんか」

何とも厚待遇な話だ。入院などした事が無い私でも
流石にこれが羨望の眼差しを向けられるべき状況なのだという事は理解できる。
全くの赤の他人が同じ部屋の隣のベッドで寝息を立てているだなんて、
私にとっては想像しただけでも身の毛がよだつ事態だ。

もしいつか何らかの事情で私が入院なんかをする日が来でもしたら、
その時には貯金を全て叩いてでも個室に入れてもらうよう周囲に言いくるめておこう。
まあそれを何の苦も無く手に入れてしまった女性がこの扉の向こうに居る訳だ。……ラッキーガールめ。

コンコン、と無機質な音を響かせて部屋の内部へとお伺いを立てる。
まさか帰れとも言われないだろうが、親しき仲にも礼儀ありだ。
そこは絶対に譲れない第一線。それは、私の私たる確固たる所以の一つなのである。

『どうぞ~』

おやおや、起きていたか。
正直「寝ている」にベッドしていたのだがな。まあ声も朝よりは元気そうだしいいさ。

「入るぞ」

そう言って引き戸のドアを開いた私の目に飛び込んできた光景は、
とてもではないが自身の視力を疑わざるを得ないような混乱を脳に来たしたのだった。

一度ドアを閉じ、両目を擦りに擦って頬を片方ずつ張る。
それが三往復程続いた所で『見間違いじゃないよ~?』という声が
やはり目の前のドアの中から聞こえ、私は頭をブンブン振ってもう一度引き戸を開けた。

「ええっ!?」

もう絶対に見間違いでは無い。目の錯覚でも蜃気楼でも幻術でも壮大なドッキリでも無いのだ。
……いや、ある意味ドッキリはドッキリなのだろうが……。

「しーっ」



164 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 06:52:24.11 ID:lbnm/+LS0

鼻の前に人差し指を立てて発せられたその擬音語に、私は激しくデジャヴを覚えた。
それは去る土曜日の朝一。地元のスーパー銭湯でアホ猫にツッコミを入れていた私が
「声のボリュームを抑える様に」と諭される様に示されたジェスチャーだったのだ。

だがその諭しを入れた張本人はベッドの上。私の耳には届かないが明らかに寝息を立てていた。
……にも拘らずあの時と同じ顔に同じジェスチャーが飛んで来るとはこれ如何に?

「起きちゃうから静かに」

三、二、一……で時間切れ。正解など言わずともがなか?

「三日ぶり、澪ちゃん」

声を控えてウインクを飛ばす昼間の電話相手、
そしてベッドで寝息を立てる彼女の姉である新妻様がそこには居た。

「な、な、な、な……!?」

何で!?の一言も出て来ない私の口を手で塞ぎ、彼女はベッドへ向き直って小さく囁く。

「じゃあね憂。また明日来るから」

優しい姉の表情で彼女がそう言った次の瞬間、
私は両肩を押されて気付けば強制退室させられていたのだった。
本日の面会時間、約三十秒。タクシー代返せこの野郎。……ってか。

「唯!? 何でここに居るんだよ!?」

ああ……やっと出た。

「しーっ! 澪ちゃん声大きいよ」

「あっ……う、うん……」



165 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 06:57:41.99 ID:lbnm/+LS0

そういえば病院内だったな。朝一のスーパー銭湯とは訳が違う。
いつものボリュームで声を荒げればナースなんかがすっ飛んで来て
敷地外へ摘み出されかねまい。注意せねば。

「憂が心配でね、飛んで来ちゃった」

恐らく文字通りなんだろうな。飛行機でひとっ飛びか。

「仕事とかあったんじゃないのか?」

「あったけどさ、身内の入院と比べたら流石に計りにかけられないよ」

まあ、と唯。

「とりあえず出ようよ。私あんまり病院の匂い好きじゃないから倒れちゃうかも……」

それはいけない。唯がそう言うなら本当に倒れかねないからな。
せっかくの個室を姉妹の相部屋にするのは流石に忍びない。
ミイラとりをミイラにするわけにはいかないしな。

「分かった。行こう」

そう言って私は唯を背に伴って今来たばかりの廊下を正面出口に向かって歩き出した。

……まあその出口まで来た時、唯が「鞄忘れた~!」と大声で叫んで病室に引き返し、
私がカーデガンを羽織った例の看護士さんにぺこぺこと頭を下げたというのは最早御愛嬌だ。

唯は唯だな。ああ唯だ。



166 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 07:08:37.88 ID:lbnm/+LS0

病院を出て、街。
色々と話したい事もあったが互いにろくな昼食を摂っていなかったという事が判明し、
私達はふと目に入ったレストランに入った。

我が秋山宅から近過ぎて入った事も無かったが、
平日ながらなかなかの盛況ぶりだ。これは期待してもいいパターンだな。

「み、み、み、み……澪ちゃん? 一番安いハンバーグが二千円って……てげ高ぇこっせん?」

「何で宮崎弁になるんだよ……」

何をそんなに驚く事があるのだろうか? 店の雰囲気からして至って普通の値段だと思うのだが。

「わ、私……あんまりお金無いよ……」

その割によく飛行機でかっ飛んできたもんだ。
まあ挙式直後なので本来なら出費は抑えたかった所なのだろうが……。

「今日は私が奢るよ。何でも好きな物食べなって」

「ええっ!? わ、悪いよ~!」

学生時代に二十五万のギターを五万にマケてもらった奴のセリフだろうか?

「気にするなって。現金もカードも貯金もちゃんとあるし。……一人暮らしのOLナメるなよ?」

皮肉の文言をさり気なく呪詛代わりに飛ばし、私はさっと洒落たベージュのメニュー表に目を通す。
肉、魚、野菜に各種コース物と様々な品名が軒を連ねてはいるが、
どうも納得のいかないメニューを野菜欄の枠外に発見してしまった。

『気まぐれシェフの日替わりサラダ ¥550』



167 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 07:13:47.87 ID:lbnm/+LS0

この何処の店にもほぼ常套的と言っていいくらいの確率で存在する
アホ臭い野菜の盛り合わせが私は嫌いだ。

ある日はミミガーが入っていたり、またある日は山盛りの大根が入っていたり、
そのまたある日は鬱憤を晴らすかの如く大量のプチトマトが皿に盛られて出てきたりする
この気まぐれシリーズ。

……ここまでされて気付かないバカも居ないだろう。
そう、これは捌けなかった野菜の在庫を一気に処理できる言わばデッドスットックメニューなのだ。
つまり賞味期限間近で新鮮さの欠片も無い野菜達をシェフの遊び心という目隠しで誤魔化し、
笑って客に食べさせようというまさしく悪魔のメニュー。それがこの気まぐれシリーズなのだ。

なので気軽に頼んではいけない!! マズい野菜を腹いっぱい食わされることになるぞ!!
……と、以前課長に聞いて以来一度たりとも注文する事が無くなったメニューがこれなのだ。
そりゃ嫌いになるってもんだよ。

まあ気を取り直して……。

「私はこの牛肉の赤ワイン煮込みにしそうかな」

ライスでも付ければ腹も膨れるだろう。値段もこのメニューの中では安い方だ。



168 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 07:19:33.67 ID:lbnm/+LS0

「ひっ! さ、三千百五十円もするよ!? 澪ちゃんホントに大丈夫!?」

ここまで金銭感覚がシビアになるのはやはり自営業をしているからだろうか。
夫婦で洋菓子店経営なんて楽しそうなものだが、やはり財布の紐は固く固くと生きているのだろう。
私にはご遠慮願いたい境地だな。

「いいから早く頼もうよ……。あんパンしか食べて無いからお腹空いてるって言っただろ?
 唯だって昼抜きって言ってたじゃないか。それに、私はこう見えても金持ちなんだぞ?」

まあ使い道が無いから金が溜まっていく一方なだけなのだが……。

「え、えっと……じゃあ……!」

「決ったか?」

「この神戸牛のレアステーキで!」

それ五千円じゃねぇかこのタコ。

「ライスは大盛りで!」

……まあ言い出しっぺは私なので別にいいのだが。

「すいません」

近くに居たベスト姿のギャルソンに声を掛けた。
バチッとハードワックスで固められた髪が男前を演出している。
まあ人並み程度の男前顔なのだが、こういう仕事服できちっと決めているのを見ると
二段階ほどランクが上に見えてしまうのは単に私が仕事着フェチだからなのだろうか?
……ゲレンデマジックには気を付けよう。
そんな事を密かに思いつつ、私はメニュー表だけを見てさっさと注文を述べた。

「以上で。お願いします」

「かしこまりました。ワインはお飲みになりませんか?若くて手頃な値段の物が幾つかございますが」

「ああ……えっと……」



169 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 07:25:04.75 ID:lbnm/+LS0

正直飲みたいが……。

「遠慮しておきます。まだ火曜日ですし」

「左様でございますか。では暫しお待ち下さいませ」

丁重な口調と所作でお伺いを立ててくれるギャルソンに微笑みかけ、
厨房へと消えて行くその背中を見送る。

……やはりべストを着ていないと魅力三割減だな。
人は決して見た目ではないが、別にそこにウエイトを置いたって何も悪くは無いはずだ。

「ん? どうした?」

何故か目を丸くして呆けている唯に問う。ワインでも飲みたかったか?

「こ……こ…………」

「こ?」

「神戸牛……ボケたつもりだったのに……」

「分かりにくっ!」

さよなら樋口一葉さん。牛さんの代わりにレジに行って下さいませ。文句はこの若妻が受け付けます。



170 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 07:30:16.31 ID:lbnm/+LS0

「ふぃ~……。いいお湯でした!」

下ろしたてのバスタオルで髪をワシャワシャと掻き回す唯。
オレンジのパジャマが良く似合っているな。……多少子供っぽいとは口に出すまい。

「普段はお湯なんて張らないんだけどな。お客さんが来た時だけ」

「ええっ?! 何で?」

そんなに不思議な事だろうか?

「手間掛かるし、掃除も楽だし、湯船に浸かる時間が勿体無いし、
 汚れを落とすなら髪と体を洗うだけで十分じゃないか? 若い人は多いんだぞ?」

「そ、そんな……お風呂で一息つく時間の幸せに変わる物なんて……」

「……ぼた餅食べるか?」

「頂きますっ!」

あるじゃないか……。

「普段洋菓子しか食べて無いから和菓子は新鮮なんだよね~」

「食べてるのか?」

「うん、売れ残りはよく食べてるよ。まああんまり残らないんだけどね。」

いい事じゃないか。このご時世自営業で生計を立てているなんて本当に大したものだ。
まして洋菓子店なんてライバルも多そうなものなのに
立派に黒字で計上を上げているというのだから尚更だ。

「仲良し夫婦の美味しいお店で通ってるらしいな。ムギから聞いたよ」

「何だか一昔前のキャッチコピーだよね。でも店の名前が売れるのは嬉しいよ」

そう言いながらむしゃむしゃとぼた餅を頬張る唯。
甘い物は別腹説は信じていないタチなのだが、
神戸牛をあんなに貪っておいてまだ胃に物が入るというのだから
やや認識を改めざるを得ないのかもしれないな。

「支店は出したりしないのか? 今は無理でもお金が溜まったら無理な話でも無いだろ」



172 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 07:35:29.43 ID:lbnm/+LS0

だが唯はすぐに首を振り

「私達にそんなノウハウは無いよ。
 ムギちゃんみたいに経営の勉強を専攻した訳でもないし、
 毎日店の切り盛りだけで手いっぱいだもん。

 プロの製菓って実はすっごい神経を使う肉体労働なんだよ。
 雑念が入ったら目の前のお菓子が美味しくなくなっちゃうよ」

ハッキリとそう言った。随分と自分の身の丈を弁えたように聞こえる発言だが、
ただ謙遜しているだけのようにも見えて
何だか「ちゃんと経営者やってるんだな~」と感心させられたのだった。

「で、その切り盛りが大変な店を飛び出して東京に来た訳だ」

ピクッと体を跳ねさせる唯。口は相変わらず動いたままだ。

「ビックリしたよ本当に……。来るなら来るで一言言ってくれれば色々準備くらい出来たのに……」

「えへへ……悪うございましたなぁ……」

苦笑いで湯気の上がる緑茶を啜る唯。

「でも……憂の事が心配だったから」

そうなんだろうな。そうでなければ鞄一つで東京なんかに出て来るものか。私なら死んでも御免だ。

「……ホントにいいお姉ちゃんだな」


その言葉をきっかけに、部屋には少し沈黙が訪れた。
唯はぼた餅を食べ終えてもいないのに両手を膝の上に乗せて
何だか虚ろな瞳でテーブルの木目辺りを注視しだし、
それを見ると何故か私も声を掛ける事が出来ず、只々その姿を眺める事しか出来なかった。

普段は気になる事も無い換気扇の羽音や
壁掛け時計の秒針が規則正しく刻むスタッカート音が妙に鼓膜に突っかかって来る。

そしてその沈黙が破られたのは、スタッカート音が約三百回程聞こえた頃だった。
別に数えた訳では無い。五分経っていただけだ。
唯が口を開く。



173 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 07:41:00.27 ID:lbnm/+LS0

「……結婚式の前の日ね」

「うん」

「……憂が家のみんなと喧嘩したんだ」

あの日、私と梓がレンタカーで地元の町へ帰ってきた時間、
平沢家ではとんでもない修羅場が発生していたらしい。

何でも唯がヤボ用を終えて出先から帰ってきた時、
家の中では酒に酔った憂ちゃんが唯の旦那に向かって罵詈雑言を飛ばしていたそうなのだ。
両親の制止も聞かずにとんでもない言葉を吐きだし続ける憂ちゃん。
そしてそれを困り果てた顔で聞き続けている唯の旦那。
唯が間に割って入っても結果は変わらず、それどころか事態は悪化の一途を辿るばかり。

そして業を煮やした母親が頬を張った事で憂ちゃんが泣き出し、そのまま家を飛び出したのだとか。
憂ちゃんは翌朝戻ってきたそうなのだが結局家族とは一切口をきかず、
その最悪の空気のまま式を迎え、同じように口をきかずに東京へ帰って行ったそうだ。

「そんな事があったのか……」

流石に苦笑いも出なかった。
まるでテレビのバラエティー番組で紹介でもされそうなド修羅場じゃないか。
あの時の憂ちゃんの暴走っぷりも頷けるってもんだ。

「で、憂ちゃんは何で唯の旦那に啖呵を切ったんだ?」

「啖呵って……」

反論でもしようとした感じのリアクションだったが、
当時のVTRが脳内で再生されたかのように「……でもそうだよね」と口を噤んだのだった。
そして唯は仕切り直して続ける。

「実は結婚の前から憂はあの人の事よく思って無かったの……」

それは知っていたのだが、唯はこれまた結構な告白をしてくれた。

「あの人……昔すっごい遊んでたの」

大人が言うからには流石にビー玉やベーゴマでは無いだろう。ズバリ、女だ。



175 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 07:46:31.53 ID:lbnm/+LS0

「地元であの人の女癖の悪さを知らない人は居ないってくらいの遊び人だったらしくって、
 私と付き合ってる時も実は色々と噂があったの。私は知らなかったんだけどね」

それはそれは……。人は見かけによらずとはよく言ったものだ。式の時には実直そうに見えたのだがな。

「それで付き合い出して二ヶ月の頃かな? あの人、憂をナンパしちゃって……」

「うわ……」

何だそれ……。とんでもないな……。

「私はツーショットの写真とか見せてたから憂はあの人の事知ってたんだけど、
 あの人には写真どころか妹が居るなんて話してもいなかったから
 そんな事になっちゃったんだよね……」

「……で、憂ちゃんは?」

「……お察しの通りです」

トランスフォームだったんだろうな……恐らく。
考えただけでも鳥肌がスタンディングオベーションだ。

「まあその騒動がきっかけで他の女の人とは手を切ってもらって
 私としてはOKだったんだけど、憂はその事がどうしても引っかかってたみたい。
 私以上に私の事を考えてくれる子だもん……。不甲斐ない姉で申し訳ないよ……」

「唯も唯でよく許したな……」

「初恋だったもん。それに……好きだったから」

お熱い事だ。今でもラブラブチュッチュなくせに。
……ちょっと古かったか?

「で、その事をずっと腹立たしく思っていた憂ちゃんが酒の力で大暴走した……と?」

唯は黙って一回頷いた。まるで自分の事のように申し訳なさげだ。

「そのせいで式でも全然楽しそうじゃ無かったし、
 二次会に誘っても部屋に籠りきりで話も聞いてくれなかったし……」

ずっと心配だったの……と、唯。



176 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 07:53:56.86 ID:lbnm/+LS0

実は唯が式の途中もずっと親族席を……
いや、憂ちゃんを見ていたのは知っていた。だがまさかそんな事情があったとはな。

「だから式が終わった後もどうにか出来たんじゃないか……ってずっと思ってたんだ。
 憂が去年の五月から東京に出ちゃったでしょ?
 その少し前から私の家で三人で暮らしてたからもう大丈夫って思ってたんだ。

 憂もあの人と同棲することに賛成してくれたし、あの事ももう許してくれたんだなって思ってた。
 もし許してくれてなくても、一緒に暮らしてればいつかは分かってくれる……って」

確か結婚が決まったくらいの頃から唯の家で三人暮らしを始めたって前にも言ってたな。
憂ちゃんがどういう心持でその特殊な同棲を肯定したかは分からないが、
本人は気分のいい物では無かったと酒の席で言っていた気がする。

「でも……そんな時期に憂の転勤が重なっちゃったんだよね。
 凄く東京に行きたそうにしてたからその時に分かったの。
 憂はまだあの人の事を許してない。それどころか存在も快く思って無いって……」

はぁ……と息を一つリビングの虚空へと送り出す唯。

「だから止めた。東京に行かないでって必死に止めたの。
 もう少し……もう少し時間があれば絶対に分かってくれる。
 憂もきっとあの人の事を許してくれると思ったから……」

でも……。

「憂は行っちゃった……。
 私とこのまま一緒に居るといつまでもお互い自立できないからもう離れよう、
 成長しようって言って東京に出て行っちゃった。
 拒むと嫌われそうだったから私も止められなかったの……」

それは悪い事をした。何故なら憂ちゃんを東京に呼んだのは他ならぬ私だからだ。
お互い自立できない云々と吹きこんで東京に出る口実を作らせたのも私。
知ったような口をきいて平沢家の輪を乱したのは私なのかもしれない。

……なんて思っていた時、唯はハッとした顔をして身を乗り出した。
テーブルの上の皿がカタンと音を立てる。

「ご、ごめん! 澪ちゃんを責めてるんじゃないの! ただ時期が被ったってだけだから気にしないで!」

結果論でもそれは無理だ。事情を知ってしまったからには責任を感じずにはいられない。

「……いいよ。私も憂ちゃんから色々と話は聞いてたけど、
 そんな事情があったとは知らなかった。……ゴメン」

謝った所で済む事では無いが、それでも頭を下げずにはいられない。これは気持ちの問題だ。

「わ、私こそ……ゴメン」



177 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 07:59:12.47 ID:lbnm/+LS0

何だか少し空気が重くなる。
またしてもスタッカート音が無遠慮に鼓膜をノックして来て少し憂鬱度を引き上げた。
流石に今度は三百回分も耐えられそうにない。
私は仕切り直すように静寂が蔓延るリビングの中空へと声を飛ばした。

「まあ……その話は別としてさ、唯は憂ちゃんと何か話したのか?」

「今日?」

「うん」

あ~……と、唯。

「私が着いた時にはもう寝てたから。
 一時間くらいして澪ちゃんが来たから出て来ちゃったけど、全然目を覚ましそうになかったよ」

まあそうだろうな。しっかりと栄養を摂ってゆっくりと休むことが目的の入院だ。
昼夜問わずに寝てもらっていなければこちらが困る。

「お医者さんから聞いたけど、ろくなもの食べて無かったんだって?」

あの白髪医師に聞いたのだろう。
ペらペらと何でも喋りそうな顔をしている昭和の医者だ。
これ以上余計な事は喋らない方がよさそうだな。

「ああ、冷蔵庫の中は殆ど酒だったよ。食材なんてぜんぜ……」

そこで私はとんでもない事に気付いた。

「ああっ!!」

「ひっ!?」

思わずテーブルを叩いて立ち上がる。
今朝の自分の愚行に今更気付くとは……私の脳は本当に大丈夫なのだろうか?

「憂ちゃん家の鍵掛けて無い……」

「え、ええっ!?」



178 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 08:04:38.64 ID:lbnm/+LS0

そう、私は今朝歩くことも出来ないくらいに弱った憂ちゃんを背負って玄関を出、
予め呼んでおいた黒のタクシーにやっとの事で乗り込ませ、そのまま迷うことなく病院に直行したのだ。
その間に入るべきドアの施錠という行程を完全に忘れ去っていた。

「わ、わ、わ、私、行って来る!!」

「み、澪ちゃん待って!」

電光石火で玄関から飛び出そうとした私の肩を唯が掴む。

「私も行くよ! 一人より二人だよ!」

いやそんな……と制そうとしたが、よく考えれば時間も遅い。
一応ついて来てもらっても損にはならないだろう。

「じゃあ行こう! 走るよ!」

「イエッサー!」

敬礼をしながらスニーカーを突っ掛ける唯。私は生憎律では無いので気の効いたネタ振りが出来ない。
何から何まですまないな。まあ神戸牛のステーキでチャラにしてくれ。樋口さんも喜ぶさ。



179 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 08:09:49.83 ID:lbnm/+LS0

「よ、よかったぁ~……」

パソコン、テレビ、アクセサリー類が入っているであろう鏡台の鍵付き引き出し。
それら全てが今朝のままである事に安堵し、私は思わずカーペットの上に膝を着いた。
万一これで部屋が荒れ放題にでもなっていたら私は憂ちゃんに泣いて詫びなければならない所だった。
……まあ施錠を忘れた時点で十分それをする理由にはなるのだが、
そこはドジっ娘澪たん御愛嬌萌え~だ。
……嘘です、憂ちゃんごめんなさい。

「うわ……!? こ、これは……」

玄関方向からしたその訝し気な声でなんとか平静を取り戻し、
生まれたての小鹿のような頼りない動作で立ち上がる。
まだ先程までのダッシュの余韻でふらつく体を何とか制御して
辿り着いたピカピカのキッチンでは、唯が冷蔵庫のドアを開いてショックに打ち拉がれていた。

「私も随分驚いたよ……。おまけにこの家には米も小麦粉も無い。
 気付かなかった私も私だけど、一体どんな食生活を送ってたのか不思議でた……」

プシュッ

「……おい? 今何かプルトッ」

プシュ

「おい?」

唯さん、あなた一体何を……?

「はい澪ちゃん!」

そう言って差し出されたのは安物の発泡酒のロング缶だ。
しかもプルトップも押し込み済みときている。これの意味する所は……。

「はいって……おい」

「はいはい!」



180 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 08:15:32.62 ID:lbnm/+LS0

「おわっ!」

無理矢理その缶を握らされる。

「乾杯!」

そう言って私の左手のロング缶に自身のそれをぶつけて来る唯。
それと同時にゴン、と鈍く緩い音が台所の中空に鳴り響いた。

「人の家の物を勝手に……」

と説教を垂れる前に、唯はもう腰に手を当てて缶の内容物を胃の中へと流し込んでいた。

「ああもう……」

知らない、と私もそれに続く。悪いのは唯だ、私じゃ無い。

「プハー!」

と重なる二つの歓声。断腸の思いで断った赤ワインを今更惜しみつつ、
私は唯と一緒にロング缶を半分以上飲み干した。もちろん一気で。

しかしいくらアルコール度が低いとはいえ、
この量を一気に胃に入れると流石に少しカッと食道辺りが熱くなる。
これで酔った気になれるのだから発泡酒とは紛れも無く大の付く素晴らしい発明品なのだ。
……まあ決して美味しくは無いが。

「いや~、染み渡りますなぁ~!」

「……おっさんかよ」

バカバカしく感じつつも何故かこんな事で笑えてしまう自分が居る。アルコールの力はやはり偉大だ。

「よ~し、せっかくここまで来たんだから妹のお宅拝見と行きますか」

「止めとけ止めとけ」



182 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 08:21:20.78 ID:lbnm/+LS0

そう言いつつ全く止める気が無い私。
唯の性格上そんなに手荒な事はしないだろうし、しようとしたなら止めればいい。それだけだ。

「ニヒヒ」

なんて不気味に笑いながらリビングへと歩を進める唯に倣い私は台所を出た。
もちろん発泡酒を啜るのも忘れない。

「ではまずプライベートな香りが蔓延るこちらの机の中からです!」

「いきなり本丸かよ」

唯はその言葉ににへら笑いで返し、ロング缶をクイッと煽って机の上に置いた。
今まさに目の前で行われようとしているプライバシーの侵害に私は眉を八の字に曲げていただろうか?
いや、訝しげな顔すらしていなかっただろうな。

「ではまずはタイムマシンが入っていそうなこの引き出し! こちらからいき……ま……」

どこぞの進行が下手くそなタレントさんのモノマネを突如唯が止め、
掌で引き出しを指していた右手がダラリと垂れる。
その力無くこの星の重力に従うだけとなった一肢体とは間逆に
何故か視線だけは机の上に置き去りとなっていた。

「どうした?」

そう言って私も唯の目線を追う。今置いたばかりのロング缶、木目、ペン立て。

「……あ」

そのペン立ての隣に置かれている木枠の四角形の存在に気付く。
百円均一の店で売っていそうなチープな香りのする図工の授業レベルの別に何のことの無い机の飾り。
ただ彩りを添える為に置いてあるようにも見えるそのスタンドの中では、
どこぞの仲良し姉妹がどちらともなく腕を組んで寄り添い合っていた。

姉が制服を着ているので高校時代の物で間違いないだろう。場所は私達の母校の正門前。
卒業証書授与式と書かれた巨大看板の側ではしゃぎながら二人してピースをしているこの姿に、
私は間違いなく見覚えがあった。何故なら……。



183 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 08:26:43.61 ID:lbnm/+LS0

「……私が撮ったんだよな、この写真」

「……うん」

そのフォトスタンドに手を伸ばす唯。
ガラス部分に指紋が付かないようちゃんと両の掌でサイドを包んで
それを胸の前まで持ってきたのには拍手を送りたい。

「……憂」

感慨深げながらもどこか哀愁に満ちた顔でガラス越しの過去を覗く唯。
もうギターも背負っていなければ髪にピンもしていないその姿は、
写真の中よりずっとずっと大人になっていた。

単に成長や加齢というおざなりな言葉だけでは決して説明が付かないステップを踏んだ彼女。
……この美しい女性を写真の中に帰してあげる術は無いか? それがたとえ一瞬でもいい。
この寄り添う二つの笑顔を一度でいいからその瞼で直接見せてあげたい。……割と切実な望みだ。

「唯……」

私は生憎だが青いネコ型ロボットでも特殊な眼鏡を掛けた発明家小学生でも無いので、
時空を超える術などは当然持ち合わせていない。

……だが、この二人の間を生きてきた私には知っている事がある。
それは一定方向に流れる時間にちゃんとしがみ付いて来たから知り得た事だ。
すべからく時間を勤め、こなしてきた日常の中で得た答え。
それは……机の引き出しなんかには入っていない大人の答案用紙なのだ。
タイムマシンに頼れずに生きてきたやり直しの効かない人生の解答を、私は持っている。
私は唯の肩に掌を乗せて話し掛けた。

「憂ちゃんな」

その言葉に肩を跳ねさせる唯。今の彼女の中でそれ程大きな言葉は他にあるまい。

「その唯の家族達と喧嘩した日の夜、梓の家で大酒飲んで大騒ぎしたんだぞ」

えっ? と振り返る唯。私は続ける。



184 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 08:31:57.59 ID:lbnm/+LS0

「無理に上がり込んでカクテルのロング缶三十本くらい飲んでな、
 本当にべろんべろんのぐでんぐでん。
 あんなタチの悪い酔っぱらい今まで見た事無かったよ……」

「う、憂が……?」

頷く私。

「式まで時間が無かったから何とか酔いを醒まさせないと……ってなってな、
 梓と色々調べてとにかく色々やったんだ。

 憂ちゃんが式に出なかったら唯のテンションが最悪になるって思ってな。
 まあ憂ちゃんが酒に強くて助かったよ。夜明け前までにはちゃんと酔いが醒めた」

そこで私はロング缶に口を付ける。
麦芽の香りが微塵もしない冷たい液体が喉を熱く湿らせ、ゆっくりと食道を流れ落ちて行った。

「で、何でそんな事したかった訊いたらさ、
 唯の旦那さんの事を祝いたくないから式に出たく無かったって答えたんだよ。
 その旦那さんとくっつく唯の事も見たくない……ってさ」

唯の肩から力が抜けて行くのが分かる。露骨にショックを受けているようだ。

「でもな」

その肩に置いていた手に力を入れ、しっかりと聞かせる。

「唯の事だけでも祝ってあげて欲しいって言ったら……頷いてくれたんだぞ」

ハッとして顔を上げる唯。頭を掻きつつ、私は続けた。

「私な、唯達の事知らないから結構失礼なこと言っちゃったんだよ。
 唯の旦那なんか祝わなくていいじゃないか!とか、唯の為だけに式に出ればいい!……とかさ」

今考えればそんな事を言うべきじゃなかったんだな。
唯がどれだけ旦那と憂ちゃんに仲違いを止めて欲しかったかなんて考えてもいなかった。
結果論とはいえ、我ながら嫌になるな。

「憂ちゃんも散々悩んだんだと思う。正直披露宴に来ない確率だって二割くらいはあると思ってた」



185 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 08:37:08.65 ID:lbnm/+LS0

でも……。

「憂ちゃん……来てくれたじゃないか」

そう、来てくれたんだよ。私はロング缶を机に置く。

「憂ちゃんはきっとまだ旦那さんの事をよく思ってないと思う。
 正直これから先もそれはあんまり変わらないんじゃないかな」

あの騒動に直面した私なりの意見だ。憂ちゃんが「あんな奴」とまで揶揄した人物。
どれだけの時間を費やせばそう思わなくなるのかなんて誰にも分からない。

「でも、憂ちゃんはきっとそれで悩んでるんだ。
 このまま旦那さんの事を嫌いなままだったらその内唯の事も嫌いになる。そう思ってるんだよ」

そんな葛藤を消化できなかったから、誰にも話せなかったからきっと今もこんな事になってるんだ。
ストレスから来る私生活の乱れ、アルコールの過剰摂取、そして何よりそれをさせるだけの心労。
そばに居たのに気付けなかったけど……実はボロボロだったんだ。

「だから……。せめて……せめてさ……」

……そこから先は言えなかった。
私がこれ以上入り込めるような問題じゃないし、他者が介入すれば
きっとこの韓流ドラマばりに厄介な三角関係を更に掻き乱してしまうだろう。

それはきっと誰から見ても望ましくない事で、
三角形を形成する頂点側からすれば尚の事なのだろう。
そのくらいは流石に私でも分かる。

そして、きっと唯も分かっている。私が言いたかった事、
地元に置いて来た旦那と東京の病院のベッドの上で寝息を立てている妹の事。
それと……自分自身の事も。

人間関係とは難しい。一つを追えば別の一つを手離さなければならない時も有るだろう。
だが、それが決して出来ない人間が目の前に居る。優しくて、優し過ぎる寂しがり屋
。一人の人間と永遠を誓うというのは一体どういう事なのか?
そんな難しい問題をこれからずっと考えていかなければならない彼女が薬指にはめているリングが、
私にはどうも楔に見えてならなかった。



186 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 08:42:27.96 ID:lbnm/+LS0

金曜、空港。
三泊四日の在京を終えようとしている唯は
航空チケットを片手にロビーのソファーでコーヒーを飲んでいた。
チケットもコーヒーも私の奢りである。

「チケット代ごめんね……。ちゃんと返すから」

「いいって」

別に金持ちを気取りたかったわけでは無い。
私が思っていたよりずっと金欠だった唯の台所事情を聞くと、
チケット代くらい出してあげなければ逆に申し訳ない気がしたのだ。
人付き合いに金は惜しまない。私の座右の銘其の捌だ。

「それより……本当に良かったのか?」

「……うん」

「今なら払い戻しも出来るぞ? キャンセル料掛かったって構わないんだし」

その言葉に唯は首をブンブン振って笑った。眉も八の字だ。

「これ以上お店休んだらスタッフが倒れちゃうよ。それに最近週末は輪を掛けて忙しいもん」


実は唯は東京に来てからまだ一度も憂ちゃんと話していなかったのだ。
別にお互い気まずかったとかそういう事では無く、
この四日間ずっと面会時間に被る時間帯に憂ちゃんが睡眠を取ってしまっただけなのだそうだ。

例の白髪医師曰く、憂ちゃんは夜中から昼前まで起きていて
正午辺りからまた夜中まで寝てしまうという昼夜逆転のリズムで
約半日に当たるの睡眠時間を取っているらしい。薬を飲むと副作用でずっと寝てしまうのだとか。

体を休めることが優先なので面会が無いのは逆に早く治るかもしれないなんて笑っていたが、
それは果たして遥か東京まで見舞いに来ている姉を前に言っていい事だったのだろうか?
些かモラルが欠如しているその発言に正直イラッとしたが、
まあ今年度で定年退職らしいのでよしとしよう。
明日退院する憂ちゃんを迎えに言ったらもう二度と会う事も無いだろうな。

「ちゃんと伝えるよ。唯が面会時間中付きっきりで憂ちゃんの側に居たって」

「いいよ。私が勝手にした事なんだから」



187 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 08:47:52.67 ID:lbnm/+LS0

そう言って手のコーヒーを空にする唯。
ロビー内は暖房もついているし人も多いのだが、
雨のせいか何処かじめじめとしていて溜息を誘う。

迷信が本当ならもう一体どの位の幸せを逃した事になるのだろうか?
今度ネットで調べてみる事にしよう。

「それよりごめんね。見送らせちゃって」

「別に」

伸びをしながら答える。

「仕事が思ったより少なかったんだよ」

まあ正直に言えばこれは真っ赤な嘘だ。
憂ちゃんが居ない分本来なら多かったくらいなのだが、
昨日課長がそれを全部引き取ってくれて
「見送りに行ってあげなよ」と半休をくれたのだ。
……私は幸せ者だね。

「お土産買わなくていいか?」

まだ少し見て回る時間も有る。
空港土産はこれでなかなか面白い物があったりするのだ。……だが。

「妹の看病に来たのにお土産なんて買って帰ったら逆に怒られるよ。
 うちのスタッフはみんな年上だからね」

それに……と、唯。

「売ってるのって九割お菓子でしょ?」

ああそうか……。

「洋菓子店の面々にそんな物買って帰っても喜ばれやしないか」

「うちの商品の方がずっと美味しいしね」



188 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 08:53:04.21 ID:lbnm/+LS0

唯は自信満々にそう言って立ち上がり、紙のコップを捨てて戻ってきた。
だが唯は椅子には座らず、何故か私の前に立つと
突然深々と頭を下げだしたではないか。一体何のつもりだ?

「四日間本当にお世話になりました。向こうに帰ったらすぐにお金も返します。
 それから、これからも憂が何かと迷惑を掛けるとは思いますがその時はどうかよろしくお願いします。
 もう下げられる頭も有りませんが……何も出来ない私からの一生のお願いです。
 どうか……どうか憂を……妹をよろしくお願いします!」

流石に呆気に取られてしまった。そんなに畏まって深々と頭を下げられたらなぁ……。
そんな事をまず断る理由が無いし、大体東京での面倒は全部見るという条件付きで
憂ちゃんをこの街に呼んだのは他ならぬ私なのだ。

この親友の一生のお願いを無下に取り下げられる程
私は肝が据わっている人間ではない。何処にでも居る、普通のOLだ。

「……任されたよ」

一応優しく言ってみたつもりだ。
こんな言葉の吐き方は梓の前では出来ないな。絶対バカにされる。

「……へへ」

少しはにかんで唯は顔を上げた。やはり少し照れくさそうだ。
この旧知の仲でこんなに改まった会話をしたのは実は初めてなのかもしれない。
……いや、旧知の仲だからこそ、か。

「……そろそろ時間だね」

手荷物の検査所と巨大な離発着提示ボードの時計を交互に見て、唯はソファーの上の荷物を取った。
何とも名残惜しいものだが、残念ながら時間は絶対に待ってくれないのである。
私は立ち上がってコートの裾を払った。

「次は……正月かな?」

「そだね。本当はお盆にでも帰って来て欲しいんだけど……」

「我が社は怒涛の繁忙期でございます」

「……ですよね」



190 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 09:02:22.24 ID:lbnm/+LS0

私達は互いに顔を見合わせて笑った。
そして私は先程唯が目をやったボードに視線を向ける。
離陸予定時間まではあと三十四分。確かに丁度いい時間だ。

「ここでいいよ澪ちゃん。あそこ抜けたらもう顔も見えないし、後は一人で行けるから」

「……そっか」

大きめのリュックを愛らしい掛け声とともに背負って、
唯はにっこり微笑んだ。……お別れの合図だな。

「じゃあ……またな」

「……うん、またね」

少し眉を八の字に曲げ、唯は名残惜しそうに後ろを向いた。
手荷物検査所も空いている。三十秒後にはその姿も見えなくなるだろう。

「……バイバイ」

髪に隠れたその耳に向け、決して届かないレベルのボリュームで声を飛ばし、
私はその場で唯を見送る。……正月か。……長いな。


「お姉ちゃん!!」


突如鼓膜を揺らしたその声に思わず肩を竦めてしまった。
周囲の人間がその声の主をギョッとして注視したのが分かる。
……何だよ。とっくに諦めてたのにさ……。

「お姉ちゃん待って!!」

声の主が歩を止めた唯の元へと音を立てて駆け寄る。
そのコートの後ろ姿が視界の隅から中央部までスッとフェードインして来た時、
私は生れて初めて……ほんの少しだけ、どこかの神様に感謝をした。……仏教徒だけどね。



192 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 09:10:19.21 ID:lbnm/+LS0

「やれやれ……」

私はそう小さく呟きつつ、少しだけその姉妹の元へと歩を進め出した。
決して二人の邪魔にならぬよう、声の聞える程度の位置まで。

「えっ……?」

そう言って徐に振り返る唯。
そして突如目の前に現れた妹の姿を見て表情は一変、一瞬で驚愕に満ちた顔つきとなった。

「お姉ちゃん……」

肩で息をしながらそう言った妹は、目をまん丸にさせる姉の前で立ち尽くした。
そして、そのまま沈黙が続く事約二十秒。口火を切ったのは、何とか息を整えた妹だった。

「ごめんなさい……」

そして

「ごめんなさい……!」

そう言って突然泣き崩れる妹。
それはそれは、もう嗚咽で何と言っているかも分からないような泣きっぷりだった。
彼女が何故その謝罪の言葉を述べたかが私には痛いほどよく分かる。

それは去年の五月、彼女が実家を出てからずっと姉に言いたかった言葉なのだ。

「憂……」

一度別れの挨拶をしてカッコよく背を向けていただけに、
唯は何だかよく分からない表情を作って私に首を傾げた。私もすかさず笑って首を傾け返す。
それを見た唯はガクッと首を垂らし、次の瞬間には自分に縋り付く妹をしっかりと抱きしめた。



193 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 09:16:55.50 ID:lbnm/+LS0

「……何で謝るの?」

ゴムで止められていないその妹の頭をグシグシとがさつに撫で回しつつ、すぐに笑顔を作る唯。

「憂に謝られる事なんて……何も無いよ?」

だって……とその言葉は続く。

「私は……憂のお姉ちゃんなんだもん」

その言葉が全ての事を洗い流してくれるとは思わない。
これからも歪な三角形は歪なままで在り続けるだろうし、
今の関係がいきなり好転するだなんて微塵も思わない。

……だが、今はきっとそれでいい。
「いつか必ず」だなんて不確かな言葉は嫌いだが、
それに高額チップを全てベッドしてもいいと思えるくらいの確率で
この姉妹はきっとそれを超えていける。


だって……仲良いじゃないか、この二人。



194 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 09:28:59.16 ID:lbnm/+LS0

「本当にご迷惑をお掛けしました……」

ペコペコと頭を下げて謝罪の意を伝える私に
若い女医師と例の看護師は「いえいえ」と笑ってナースセンターへと引き返して行った。

そのほとほとに疲れ果てた様な笑みを見て
私が「ああ……本当に傍迷惑な事をしたんだな……」
と猛省せざるを得なかったというのは言うまでも無い。
ポリポリと頭を掻きつつ、私は隣で一緒に頭を下げたこの部屋の事実上の主に目をやった。

「……怒られなかったな?」

「……怒られませんでしたね」

ふふ……と二人して疲れた顔をし、私は彼女をベッドへ寝るよう促した。
彼女もまたその指示に素直に従い、コートを脱いでパジャマへと着替え出す。

「あっ……」

チャラ、と鳴った金属音で彼女はコートの内ポケットに入っていたある物の存在に気付き、
すぐさまそれを取り出して私に差し出した。

「本当にありがとうございました。退院したらすぐに……」

その言葉を掌を差し出して遮り、そのまま差し出されたブツを指で挟んで下品に攫った。

「後輩に交通費出させる程金に困ってないよ」

でも……という言葉に蚊でも払うかのような所作で応え、さっさと服を着替えるよう促す。
そして彼女が頭を下げてコートをハンガーに掛けたのを確認し、
私は今しがた受け取ったブツをじっくりと見つめる。

それは数時間前に唯と共にこの部屋を訪れた際、
私が眠り耽っている彼女の枕元にこっそりと置いて行った三万円入りの茶封筒だ。
そしてその茶封筒の表面にはこんな事が書いてある。

『唯が火曜日から看病に来ていて、今日の夕方帰ります。十七時半発の飛行機です。
 あなたがもしそれまでに目覚めて尚且つ動き回る元気があるのなら、
 このお金で空港まで……。澪より』

入院患者に脱走の手筈。普通に考えたら社会人失格レベルの愚考だ。
おまけに彼女は疲れを抜く為に入院しているというのに、
どう考えたって肉体疲労を上乗せさせるような指示まで出していたのだからもう手に負えない。



195 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 09:34:41.09 ID:lbnm/+LS0

「何やってるんだろうね……まったく……」

ポツリと呟き、やや大きな息を吐き出して頭を掻く。

……ま、いいか。

「澪さん」

ん?

「どうした?」

呼ばれて振り返ればそこにはきちっとパジャマに着替えた彼女が姿勢を正して立っていた。

「本当に……色々とご迷惑をお掛けしました」

最近よくデジャヴを見る気がするが、出来ればこれで打ち止めにして欲しいものだ。
あまり礼や謝罪を自分に向けられるのは慣れていない。
……ま、同じ角度の深礼もやっぱり姉妹ってとこで御愛嬌にしとくか。

「別にいいよ。憂ちゃんが謝る事なんて一つも無いさ」

よく考えればこれもどこかで聞いたような台詞だな。
まあ姉同士良いって事にしといてくれ。著作権料なら飛行機のチケット代と宿泊費でチャラだ。

「色々話したい事も有るけど、それは明日にしようか。退院してから憂ちゃんの家で酒でも飲みながらね」

「あ……はい」



196 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 09:41:14.85 ID:lbnm/+LS0

……一応ダメ押ししておくか。

「もちろん飲むのは私だけだぞ? 憂ちゃんは上司命令で暫く飲酒禁止だからな」

あ、そうだ。

「あと、つまみを作るのも憂ちゃん。
 あのピッカピカの炊飯ジャーで米を炊いたらさぞ美味しいだろうから
 焼きおにぎりでも作ってもらおうかな?
 後は食後のデザートにパンケーキでも焼いてもらおう。楽しみだな~!」

ニヤニヤしながら話す私の顔を見ていた彼女だったが、そこまで聞いて遂にガクッと首を垂れた。

「……明日から必要最低限の外食を禁止します。監査役は私。上司命令」

「……はい」

あと一週間くらいの追加入院が必要と感じるような青い顔をして彼女は返事をした。
別に悪気がある訳じゃない。全ては彼女の為なのだ。

……憂ちゃんの事は任されたぞ、唯。正月まで首を長くして待っててくれよな。

「あ、でも……」

「何だ?」

「秋山主任の昇進いわ」

「YOUは烏龍茶だZE☆」

「うわ~ん!」

……当然だろ。

……このタコ。



197 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 09:46:49.86 ID:lbnm/+LS0

「もう……そんな顔して飲むとせっかくのお酒が美味しくなくなりますよ?」

一軒目のビアホールからそんな事を言われている気がするが、そんな言葉は全く耳に引っかからない。

「うるさい。じゃあ何か芸でもしてみせろ。
 私を笑わせる事が出来たら甘~い夜をくれてやる。もちろん添い寝付きだぞ?」

「その時は法廷で会いま」
ドガッ!
「の゛おっ!!」

蛇拳一発 to 脊椎。

「私と過ごせる夜より神聖な物などない。サンタクロースも真っ青だ」

「だからって殴らなくても……」

「殴ってるんじゃない。暴行を加えているんだ」

「言い方変えただけじゃないですか!」

その力の込もった抗議を軽く無視し、カウンター後方にあるアラビア文字の洒落た壁掛け時計に目をやる。

「遅いな……」

約束の時間からもう大分時間が経つ。
遅刻は毎度の事なのだが……それにしても些か遅すぎやしないか?

「……あのバカ」

まあどこかで油でも売っているのだろうと思いつつも随分と遅い到着に若干の苛立ちを覚え、
お猪口の隣に放置していた携帯電話を手に取った瞬間だった。

―――キイイイイイィィ

出入り口のドアから発せられる軋音。
また油か切れたのだろうか? 一回直ってたのに……何だかお化け屋敷みたいだな。夏だけに。



199 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 09:54:12.73 ID:lbnm/+LS0

「遅れてすいません! 本当にすいません! 死ぬ程反省してます!」

そう言ってバタバタと店内に入って来るギターを背負った女性。……いや、猫か。アホ猫だ。
見れば余程焦って走ってきたのだろう、額には玉のような粒が浮かんでいる。

「いらっしゃいませ『RISE』へようこそ! 久し振りだな~梓。注文は何にする?」

律が小慣れた感じで接客用語を叫び、さっとカウンターを出て
本人が命より大事だと主張するオールドのテレキャスターが入ったケースを丁重に預かる。

「えっと、ハイボールお願いします。あとチーズの盛り合わせを」

「はいはい、座って待ってな。チーズ盛りで~す!」

そう叫んで店の奥へと消えていく律の背中を見送り、私は袖で汗を拭うアホ猫をさっさと座るよう促す。

「いくら何でもこの時期に長袖は無いんじゃないのか?」

約半年ぶりの再会だというのに
顔を付け合わせて最初の会話がこれだとは、流石に自分でも笑いが出るな。
まあほぼ毎日電話をしてるとこんなものなのだろうか?
顔を見ても全く懐かしいとか久し振りという言葉が浮かんで来ないな。

「オシャレですよオシャレ。澪先輩こそ何ですかそのクールビズ実施中の銀行員みたいなシャ……」

おっ? 気付いたか?

「あ……アレ?」

掛かった。猫が大きな釣り針に掛かったぞ。

「やっほ~梓ちゃん! 半年振り~!」

「え……あ……う、うん……?」



200 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 10:00:13.18 ID:lbnm/+LS0

椅子に座りもせず、カウンターの前に突っ立ったまま私と彼女を交互に見て固まるアホ猫。
額に「茫然」と書いてあるのが分かる。可愛い顔が台無しだぞ?

「あの……一つお聞きしてもよろしいでございましょうか?」

「ん? 何だ?」

あ、あの……えっと……と、何とも歯切れの悪い前置きをしてアホ猫はその質問を飛ばしてきた。
その間も視線は私に行ったり彼女に行ったりしていたと付言しておこう。

「何で……二人とも同じシャツ着てるんですか?」

……よくぞ聞いてくれた! ダテに私が調教している訳では無いな!

「それは……なぁ、憂ちゃん!」

「ええ、澪さん!」

密かに行った打ち合わせの通り、二人同時に立ち上がってポーズを決め、私達は一緒に叫んだ。

『ずばり、ペアルックです!!』

―――三人の間に訪れる静寂。
厳密に言えば二対一で赤道直下と南極点くらいの温度差がある。中間で気圧の谷でも発生しそうそうだ。

「ぺ……ペア?」

私と憂ちゃんは寸分の狂いも無く右手を握って体の前に突き出し、全くの同時に親指を立てて一言。

『イエス・ザッツ・ライト!』



201 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 10:07:10.02 ID:lbnm/+LS0

―――またしても訪れる静寂。
そしてこの固まった空気を払い除ける役は目の前のアホ猫に振られている。
さあ梓、言え、言うんだ! 台本通りのあのセリフを!

「あ……っと。二人が良いならそれでいいと思いますけど……、
 あまり時代に逆らうのはよろしくないかと……」

……なん……だと?

私は憂ちゃんと目を見開いて顔を見合わせ、
眉を八の字に曲げて涙目で梓に背を向けカウンターに座り直した。こんな……こんなはずじゃ……!

「ちきしょう! 親父っ、がんもと竹輪だ!」

「こっちには牛スジと卵をっ……!」

「あ、あれ!? 何? ひょっとして私何か地雷踏みました!?」

今更になって慌てだすアホ猫。
そのマヌケ面に向かい、いつの間にかハイボールを作り終えた律が
漫画のキャラのような口調で梓に諭しだす。
コースターの上にキンキンに冷えたウィスキーの炭酸割りを乗せながら。

「お嬢ちゃん……。たった半年二人と絡みが無かっただけで
 このノリについて来れねぇんじゃあ……もういっぺん幼稚園からやり直しだな」

「うわ~ん! 梓ちゃんがいい年して童謡を歌わされるよぉ~!」

「憂ちゃん……辛いだろうけど耐えるんだ! これは試練! 試練なんだ!」

「うわ~ん! 梓ちゃ~ん! 梓ちゃ~ん!」

そこでチラッと三人で梓を見てみる。
何だか置いてけぼりな被害者面をしているのが気にくわない。悪いのはどっちだよ?

「ちきしょう! 親父っ、がんもおかわりとこんにゃくだ!」

「すまねえ……こんにゃくは切れちまってて……」

「うわ~ん! 梓ちゃ~ん! 梓ちゃ~ん!」

……梓が半泣きで土下座をしてきたのは、それから本当に間も無くのことであった。



202 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 10:16:27.28 ID:lbnm/+LS0

「なるほど……じゃあ『羨ましいよぉ~! あずも欲し~い!』
 って言いながら地団駄を踏めば良かったんですね?」

ブロックチョコサイズの銀紙入りチーズを口に放りつつ、
こちらに目を向ける梓が悲しげな口調で訊ねて来る。

「そうだよ。せっかくの半年ぶりの再会なんだからって張り切ってボケたのに……」

「シャツも高かったんだよ?」

「そうなの?」

「そうだよ……だってダイソーだよ?」

「百円やないかい!」

そのツッコミが何でさっき出せなかったかね? 相も変わらず一つ惜しい奴だ。
私は溜息を一つ吐いてアホ猫の皿から勝手にクラッカーを奪い、
荒げられる抗議の声にぶりっ子ウインクで返した。

「てへっ☆」

「可愛いつもりかおんどりゃああああぁぁ!! 吐けっ! 吐き出せえええぇ!!」

そうそう、このツッコミ。その声こそが今は何よりの肴だ。

「で、全国行脚はどうだったんだ?」

徳利三本目の日本酒を飲み干し、珍しく梅酒のソーダ割りなんて律に頼みながら梓に問った。
まあ毎日電話をしていたのだから詳細まで知り尽くしているのだが、
その上で敢えて聞いてみる。まあ総括でも頂こうかね。

「ん……そうですね……」

そう言ってハイボールにちびりと口を付ける梓。
半年前まではウィスキーなんて毛嫌いしていたくせに、やたら美味しそうに飲みやがる。
味覚がやっと大人になったか? まあ私は洋酒が合わないから絶対に飲んだりしないが。



203 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 10:24:14.21 ID:lbnm/+LS0

「まあ、楽しかったですよ」

そんな満面の笑みで「まあ」と付ける心が知れない。
だがまあ、楽しかったという言葉に嘘が無さそうで何よりだ。


半年間こいつが何をしていたかと言えば、おざなりな言い方ではあるが
相変わらずメジャーアーティストのバックに付いて全国ツアーを回っていたのだ。
私は仕事と被って見に行けなかったが、芸能ニュースなんかではよく取り上げられていた。
初めてサポートするアーティストだった為色々と気苦労が絶えないと言っていたが、
こうして元気に帰ってきたのだから褒めてあげないとな。

まあ飲み代奢りはいつもの事なので別の何かがいいか。
そうだな……今度先月オープンしたばかりの
珍味専門店にでも連れて行ってやるとしよう。通称『ゲテモノ堂』だ。
ワニの串焼きでも食わしてやろうかね。あれはささみみたいな味で美味しかった。

「先輩と憂はどうでした? この半年間」

猫に問われて憂ちゃんと微笑み合う。
こいつこそ私達の近況など知り尽くしているくせに、律儀なものだ。

「まあ楽しかったさ。いつも二人で飲んでたよ」

私と憂ちゃんにはこれといった変化は無かったかな。
私は予定通り四月の異動を以て営業主任に就任、
憂ちゃんは営業五班サブリーダー兼主任補佐という
凄いのか凄くないのかよく分からないポジションに昇格を果たした。

互いに給料と双肩にのし掛かる責任が増え、
週末には愚痴なんかを肴にたっぷりとアルコールを摂取する生活が春先からずっと続いている。

ちなみに冬終りの入院生活以来憂ちゃんはちゃんと自炊をするようになった。
元々料理が大得意なだけあって冷蔵庫や各種ストッカーはすぐに満タンとなり、
私も最近ではよく買い出しに付き合わされている。

サボらないように監視をするという名目で憂ちゃんの家に上がり込んでいる私の家の冷蔵庫が、
実は逆に殆ど空になってきているというのはここだけの話だ。
内緒内緒。入院しなけりゃバレないだろ。



204 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 10:34:22.12 ID:lbnm/+LS0

「あいよ、梅サワー」

「うぃ」

グラスをコースター経由では無く直接受け取り、一気に半分程飲み干して大きく息を吐いた。
こうして三人並んで酒を飲むのも何だかえらく久しぶりに感じる。
各々が話したい事を話し、残りの二人がなんやかんやと茶々を入れながら最後には必ず笑って頷く。
かしましいと銘打たれるのはやはり勘弁だが、それでもこうしているのは悪くない。
三人揃うとやはり楽しいのだ。
この時間は、何物にも代えがたい。

「ああそうだ、電話で言ってた話って何なんです?」

ハイボールを飲み終えた梓が杏サワーを注文して問ってきた。そうだ、その話を忘れていたな。

「実はオファーが来てな」

「オファー?」

ああ、と私は梅サワーの中に入っていたサクランボを口に放り込んで答えた。
種を出して皿に置く。この種の中に天神様が居ないのは証明済みだ。
昔実証してエライ目にあったのをよく覚えている。目の前で杏酒をグラスに注いでいる奴が原因だ。

「うちの元課長が結婚して会社辞めたんだけどさ、十一月に結婚式やることになったんだ」

「ああ……、何だか話が見えました」

さっと携帯のカレンダーを開いて十一という数字にカーソルを合わせ、
クイッとボタンを押し込む梓。何だ、いやに物分りが良いじゃないか。

「第三土曜日」

「……うぇ」

途端にえづき出す梓。つられて私が覗き込み、憂ちゃんも席を立って後ろへ回り込んだ。
その小さな画面の中ではずらっと並ぶ数字達が土日平日関係無く殆ど赤で染まっている。
……何だこりゃ?



205 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 10:41:49.96 ID:lbnm/+LS0

「赤は仕事です」

「うわ……」

こいつが本当に売れっ子ミュージシャンなのだと今更ながら思い知らされた。
三ヶ月先迄のスケジュールが曜日関係無くぎっちりと埋まっているだなんて、
土日祝日が九十八パーセントの確率で休みな公務員的OLの私にはとても信じられない境地だ。

「ん……? でも……」

何と言う事だろうか。最右列、上から数えて三番目の数字だけが水色に染まっていた。これは……。

「まさか十一月唯一の休日が潰れるだなんて……」

ただひたすらに項垂れるアホ猫。
どうやらオファーを断るという選択肢はネズミの毛程も無い様だ。それでこそ私の後輩だな。

「よしよし、よろしくな」

ポンと頭に掌を乗せ、先に労いを見せておく、約束したからには逃がさないからな。

「そういえばさ、お姉ちゃんの結婚式でブーケ取ったの梓ちゃんでしょ?」

再び椅子に腰を掛けながら問う憂ちゃん。

「いい出会いあった? ツアー先とかで」

無邪気なその顔に悪気などはさらさらない様だが、
何となく鋭い棘が梓の心に突き刺さる音が聞こえた気がした。

「……無いよ」



206 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 10:48:25.55 ID:lbnm/+LS0

ふてくされたかのように携帯をポケットに仕舞って唇を尖らせるアホ猫。
ブーケをキャッチしてしまった時には散々私に当たり散らしてきたくせに、
実は出会いを求めていたのだろうか?
……あ、そういえば私がこいつにレシーブしたんだったな。すっかり忘れていた。

「そ、そう……残念だったね」

憂ちゃんは苦笑いで親友にそう告げ、
最近ハマっているというはちみつシークワーサーのサワーを飲み干した。
私もそれに倣って梅サワーを空にし、それぞれ自身のコースターへとグラスを置く。

「おやおや、今日は二人ともペースが早いね。おかわりは?」

切れていた炭酸水を店の奥に取りに行っていた律が眉を八の字に曲げて問って来る。

「あずさちゃんのと同じので!」

「私もそれでいいや」

「はいはい、杏サワー三つね。少々お待ちを」

梓の為に作っていたグラスの隣に新しいそれを二つ置いた律。
それを見つつ、アヒルの化け物みたいな唇をしていたアホ猫がボソッと呟いた。

「杏の花言葉……」

問われたのは私だろうか憂ちゃんだろうか? ……まあいいさ。

「知らない」

「私も……分からない」

それを聞いて梓はようやくフッと微笑み、
皿の上にドカッと居座っているクリームチーズの銀紙を剥きだした。
白くて艶のある表面が唾液線を刺激する。
一瞬それを奪い取って口に放り込みたい衝動に駆られたが、
梓がこの店のチーズ盛りの中でこれが一番好きと知っているので止めた。泣かれては困る。



207 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 10:59:10.79 ID:lbnm/+LS0

「杏の花言葉は『乙女のはにかみ』です」

何じゃそりゃ……と思っていると、梓はチーズの欠片を口に放って一言。

「つまり、私達のように清らかな女性の事を指すんじゃないでしょうか?」

的を得ているやらいないやら。
だが一応「おお~」なんて気の抜けた歓声と感情の籠っていない拍手を送ってやった。

「そっか。私達、清らかだもんね!」

浮ついた声でキャッキャと手を叩く憂ちゃん。笑い上戸のスイッチが入ってきたか?

「そう、清らか」

フフン、と鼻を鳴らす梓。
だがそれを破ったのはカウンターの中でその杏をつかった酒を作っている律だった。

「御三方、杏の実の花言葉を知っておられるかね?」

「へっ?」

面食らった様な顔をする梓。その小さな頭の上にクエッションマークが羅列されだす。

「実にも花言葉があるんですか?」

「ああ、あるとも」

ぬかったな梓。律のこの手の知識量は意外と凄いんだぞ?

「杏の身の花言葉はな、『気おくれ』だ。杏サワーばっかり飲んでると
 いい男とか思いがけない幸運が突然目の前に現れた時に気おくれするぞ~」



208 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 11:06:45.98 ID:lbnm/+LS0

頭上でドラでも鳴らされたかのように一気に静まり返るカウンターの女三人衆。
私は憂ちゃんと顔を見合わせ、速攻で頷き合った。

「律、私月見灘のロックで!」

「私ピーチサワーでお願いします!」

「ほえ!?」

慄く梓を二人分の激烈眼力で黙らせ、カウンターの中の律へと追加の注文を告げる。

「梓には杏サワーをジョッキで出してやってくれ」

「ええっ!?」

「アイアイサー澪将軍! 仰せのままに~!」

「ええ~っ!!?」

慌てふためくアホ猫。
まあジョッキで飲めばブーケの力と相殺できてもう少し結婚しなくても済むんじゃないか?

「まあ良いじゃないか」

そう言ってアホ猫を窘める。だが、ある疑問が突然頭をよぎった。

「……思いがけない幸運って何だろうな?」


―――金?
金ならまあそこそこはある。
今のペースで貯めていけば銀行が潰れでもしない限り、私の老後は間違いなく安泰だ。

―――男?
論外だ。今はまだこうやって気楽に過ごしたい。

―――えっと……?



209 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 11:18:48.52 ID:lbnm/+LS0

ダメだ、さっぱり浮かばない。
……というか真剣に答えを考えてもいない私なんかに答えが出せるはずもないか。
ここは梓に襷を渡そう。

「お前なら何だ? 男以外でいきなり目の前に現れて欲しい幸せってなんだ?」

「えっ? 私ですか?」

「三、二、一……」

カウンターの中から取られたそのカウントに
「わっ!わっ!」と焦りつつ、ゼロ!のロが出る寸前に梓は右手を上げて答えた。

「し、身長! 身長が伸びて欲しいです!」

あまりに生々しく、そして切実なその願望に私達三人は一瞬呆気に取られ、
次の瞬間には腹筋が痛くなる程の大笑いを強いられていた。
それを見た梓は憤慨した顔で私達に罵詈雑言を飛ばして来る。

やれ高校生と間違えられる悲しみが分かるのか!だの、
やれ酒を買うだけで身分証の提示を求められる虚しさが分かるのか!だのと
悲しいにも程のある体験談を次々と繰り出してくるアホ猫。

「まあまあ梓、そうカッカしなさんなって。
 カルシウム摂ってるか? 煮干しが良いよ、煮干しが。身長も伸びるだろうし」

目の端から溢れ出る涙を拭いつつ、律はいつかと同じように子魚の摂取をアホ猫に勧めた。
だがそれにハッとして物言いを付ける人物が一名。ズバリ、私だ。

「いやいや律、身長を伸ばすならいい飲み物があるんだよ」

その言葉に「ああ!」と手を叩いて反応する憂ちゃん。
律はキョトンとしているがまあ無理もないか。残念ながらこれは三姉妹にしか通じない話だ。

「へえ? そんなのがあんの?」

その困惑顔を他所に私は次女と再び顔を見合わせ、
ニタ~とそれはそれは悪い顔でアホ猫へと目線をやった。
そして首を傾げる三女に向け、私は優しくその言葉を放つ。

「明日の夜、空いてるか?」



210 名前:◆TTt1P6HN1I :2010/07/14(水) 11:25:20.55 ID:lbnm/+LS0

明日から世間は盆休み。私と憂ちゃんに休みは無いが、彼女の家にはお客さんがやって来る。
私も色々と話したい事が有るし、憂ちゃんも今度は水入らずで過ごしたいだろう。
その人物の到着は夜。昼まで働いてそれからこちらに来るらしい。
甘い甘い、クリームたっぷりのケーキを持って。

そして私達はその人物のプチ歓迎会なんて物を考えているのだ。
あの病院にお礼を言いに行って、あのレストランで神戸牛のステーキを食べて、
最近出来たばかりのスーパー銭湯で汗を流すという、至って簡素な歓迎会。
その歓迎会に、私は三女を連れていきたいと考えている。

何故なら私は知っているのだ。その銭湯の脱衣所に併設された自販機の右から二番目。二百円。
そこには、アホ猫の大好きなあのピンクの牛乳が売られているという事を。
きっと喜び勇んで一気飲みするだろう。……髭でも作るんじゃないか?

……まあその時は口でも拭ってやるか。
まだ返していない、本人はもう無くしたと思っているであろうあの青いハンカチで。

「はい、月見灘のロック」

出された高級焼酎をちびりと啜り、私はゆっくり息を吐く。辛い原酒が喉に沁みるな。

ふと目をやれば左に三女、右に次女。こんな可愛い二人の間に挟まれている長女は今、それなりに幸せだ。
こんなささやかな幸せがそれこそ永遠に続けばいいのに……なんて、割りと本気で願う私が居たりする。

そんな勝手な感情が空に舞うバーのカウンター。

私は息を一つ吐き、杏のジョッキを目の前にして真っ青になっている
アホ猫の皿からプロセスチーズを一つ奪い、それをを品も無く貪るのだった。



fin.



212 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/14(水) 11:31:42.50 ID:MCB4hc6j0

おもしろかったよー。




214 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/14(水) 11:36:37.74 ID:TXLgidc/0

おつ!!





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澪『永遠にともに』#4
[ 2012/05/02 17:21 ] 非日常系 | | CM(16)

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タイトル:
NO:6422 [ 2012/05/03 07:26 ] [ 編集 ]

久し振りにいいもの読んだわ。

タイトル:
NO:6425 [ 2012/05/03 13:06 ] [ 編集 ]

これを言っちゃうと変な子が沸くけど
助言をするならば台詞の前には必ず名前を書くのがSSの基本中の基本。
これをしないと読んでくれない可能性もあるので気をつけた方が良い。
前回の例の人のSSっぽいけど(汗

タイトル:
NO:6432 [ 2012/05/03 22:56 ] [ 編集 ]

文句言うと作者が顔真っ赤にして反論してきます!
注意!

タイトル:
NO:6433 [ 2012/05/03 23:04 ] [ 編集 ]

そんなルールきいたことないんだけど、なんかテンプレでもあるの? 小説読む人なら自然に読めると思うし、小説形式で書かれてるのに台詞の前に名前つけるってほうがむしろ基本から外れてると思うんだけど 。まあssは脚本形式を崩したような形が大半だから小説形式に違和感あるのはわかるけど、書き方の基本ってことに 言及するならその大半のssのほうがおかしいことになる?

タイトル:
NO:6436 [ 2012/05/03 23:29 ] [ 編集 ]

もう五月蝿いから黙っとけ

タイトル:
NO:6437 [ 2012/05/04 01:09 ] [ 編集 ]

どっちもな。
スレで言うならともかく、一年以上前にかかれたSSに対して今更こんなとこで「作者にアドバイス」とか始めるバカもそれに真面目に反論するバカも。
そして俺も。

タイトル:
NO:6438 [ 2012/05/04 01:35 ] [ 編集 ]

これと同じ窓から見てた空はどこに載っても荒れるなww
俺的にはすげーおもしろいと思うけどな

タイトル:
NO:6448 [ 2012/05/04 12:18 ] [ 編集 ]

これ好きだな。稀にみる良梓!

タイトル:
NO:6456 [ 2012/05/06 01:12 ] [ 編集 ]

別にセリフの前に名前を入れる決まりはないけど
口調とかで判別できるようにするか
地の文で誰が発言したかわかりやすくする腕がないとダメ

タイトル:
NO:6461 [ 2012/05/06 14:08 ] [ 編集 ]

セリフの前に名前付けないと誰が喋ってるか分からないとかどんだけ地の文飛ばして読んでるんだよ。小説の1・2冊読んで読解力つけてこいっての。

タイトル:
NO:6462 [ 2012/05/06 14:20 ] [ 編集 ]

例の人が顔を真っ赤にして必死になってるね
この人のせいで褒めてるレスも自演に見えてくる(汗
褒めて欲しいだけなら、SSを投稿しないor感想はみない
のどちらかにした方がいいですよ(苦笑

タイトル:
NO:6463 [ 2012/05/06 15:23 ] [ 編集 ]

自分のssが載らないからって嫉妬するなよ… 見苦しいよ。 どうでもいいから台詞に名前つけるのが絶対っつうソース持ってきてよ。

タイトル:
NO:6466 [ 2012/05/06 16:46 ] [ 編集 ]

例の人は(  
の人しかいないなw
何で必死に執着するのか変なところは面白いw
SSに関してはゆっくり読めるときに楽しめる部類だ

タイトル:
NO:6467 [ 2012/05/06 18:24 ] [ 編集 ]

>別にセリフの前に名前を入れる決まりはないけど
>口調とかで判別できるようにするか
>地の文で誰が発言したかわかりやすくする腕がないとダメ

それが正論で結論になりますね。
このSSにはそこまでの腕がないと思ったから、
少しでも上達できるようになればと思い読み手の立場から助言したつもりでしたが、
褒め言葉以外は受け付けないというアレな子だったのが残念。
まぁ他の書き手の人には参考になればいいかな。

タイトル:
NO:6468 [ 2012/05/06 18:31 ] [ 編集 ]

荒れてるなー
もう両方黙っとけって

タイトル:
NO:6469 [ 2012/05/06 19:59 ] [ 編集 ]

> 台詞の前には必ず名前を書くのがSSの基本中の基本。

この考えはどこいったの? 言ってること変わり過ぎだろ。結局何が言いたいのかね。もう少し人に伝える文章の書き方勉強すればと思い助言したつもりでしたが、褒め言葉以外は受け付けないというアレな子だったのが残念。まぁ他の書き手の人には参考になればいいかな。

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